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2014.07.11

【芝居】「博多アシッド山笠」ハリケーンディスコ

2014.7.5 19:30 [CoRich]

6日まで参宮橋トランスミッション。105分。土曜夜にはネットでの中継を設定していたようです。 (Ustream) 飲み屋で生計を立てる兄妹。来る客はしょっぱい。妹が懐いてるのは長距離トラックの運転手をしている常連の女。いつも連んで来る二人組の男は、友達だという金持ちにたかってばかりいる。片方には妹が居るが金がなくて大学への進学は叶わなかった。チンピラの二人組にはこの店でどうしても聞きたいことがある。
裏山笠、というのがあるらしい。福岡から下関まで一番に駆け抜けるのを競う祭りで勝てば一攫千金なのだが、やくざもあからさまに絡んでいる。店の兄妹の父親はその裏山笠(ウラヤマガサ)で命を落とした。チンピラの若い方の父親もそうだという。
金持ちだった男もすっからかんになり、金を借りに来るが誰も金は持っていない。みんな裏山笠で勝つしかなくなっている。

物語の骨子は流れ者たちが裏山笠という大もうけできるかもしれない死と隣り合わせのイベントを潰すという一つの目標で団結して、しかし次々と倒れていく、というシンプルな物語を、やくざ映画かVシネか、という味付けのスペクタクルに仕上げます。

その物語を狭い舞台上に天井にぶつかりそうな程の高さに組み上げた山笠風味の神輿だったり、長距離トラックだったりのあれこれを詰め込んでいて、アタシの友人が喩える「ミニマムサイズの維新派」というのは確かにその通り。維新派が音楽やリズムであの膨大な舞台を支えているように、今作は序盤から舞台中央にある(居酒屋のカウンターを模した)DJブースで多くの音響を担っていて、うっすら流れているシーンも含めてほぼ全てのシーンでビートを持った音楽が流れ続けています。同じ音楽といっても、維新派だとリズム、ハリケーンディスコだとビート、と云いたくなるのは何だろう。流れる音楽のジャンルの違いかなと思ったりもします。

博多の大規模な祭りである山笠は、ギンギラ太陽'sの芝居(1)で福岡を訪れた時にちょっとだけ体験。 もっとも前夜に盛り上がるテレビを呑み屋で呑んだくれた挙げ句、目が覚めたのはほぼ終盤で慌てて外に飛び出した、というぐらいの経験ですが。街が一丸となって盛り上がる、という余韻はきっちり感じられたのです。なるほど、ならば山笠に裏イベントがあってもいい、という物語世界の熱量の説得力は感じるのです。それは、客席にいわゆるブルーカラーっぽい芝居を見慣れない観客が混じっている楽しさでもあるのです。こういう人々が気楽に楽しめるエンタテインメントの一つに芝居があるって、たとえば助成金前提でスタイリッシュだったりオシャレだったりする芝居とは別格の、地力の強さのようなものがあって、それを信用したいと思うのです。

馬鹿馬鹿しい物語を圧倒的な熱量で走りきるというのは重要で、今作は役者の力量もあいまって、見応えがあります。ここ最近、見応えが出てきた三瓶大介はちょっと痩せた感もあってうっかりカッコイイと思ってしまうぐらいにちょっといい。肉体を疲れさせたものを見せるということが小劇場の芝居で有効であるかということはちょっと懐疑的なアタシですが、今作においては巧く機能していると思うのは、いままでのわりとチャラくて楽しい芝居を観ていたということとの対比から生まれる気持ち、ということかもしれません。

あるいは、牛水里美が演じるいわゆるヤンキー女は所属する黒色綺譚カナリア派の持つアングラ後のアングラという空気感とは違うはずなのだけれど、想いの熱量が溢れんばかりに役者の圧巻の力が備わるという点で似ているというのは新たな発見。竹岡真悟がホントにヤクザっぽい造型で、きっちりと支えるというのも安定感。澤唯はそういう意味では器用ゆえに今作では圧倒的な印象というわけではないけれど、安定感の一つ。常連となった感のある津波恵は器用な役者ではない気がしますが、物語での役によくあっていて、安定感のもう一つの要因になっています。

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コメント

とても魅力的な記事でした。
また遊びに来ます!!

投稿: 履歴書 | 2014.08.26 12:12

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