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2014.07.29

【芝居】「クツシタの夜」猫の会

2014.7.21 17:00 [CoRich]

2009年初演作( 1, 2 ) の再演。27日までひつじ座。100分。

夫婦の事を描くことが多かった初期の作品の一本。市井に暮らすけれど、どこか少し狂ったところがある人々。静かに演じられていても、たとえば電器店勤めだけれどのめり込むように野良猫のことが最優先という夫だったり、奔放に振る舞い映画関係の友達が毎日のように訪れたり、ぷいと居なくなったかと思えば他の男と旅をしている女だったり。相当にぶっ飛んでいます。 そうなのです、人間の話なのか、猫の話なのか、という境界の曖昧さが魅力を生むのです。猫は自由でいいなぁ、というあこがれのようなものと、人間が猫という生き物の生き死にをコントロールすること、という具合に対比が一つの幹なのだな、と思うのです。

具象で作られた初演に対して、床に散乱した大量の服と吊られたいくつかの服、シンプルにテーブルや椅子。部屋のどこで会話されていて、何処にどんな物があるかという周囲の状況がわからない感じで、会話が行われる場所だけを取り出して、クローズアップしてるような印象があります。

初演もリーディングも見てるのに例によってすっぽりと記憶がなくて、新鮮な気持ちで見ているアタシですが、販売されている戯曲のおしまいについていた過去も含めたキャストの一覧を見比べてみると、こういうキャラクタにはこの役者、という雰囲気を思い出します。

数日後に観たもう一本が強烈すぎて、誠実に物語に向き合って作り上げた今作の舞台の印象があまりに弱くなってしまったのは本当に惜しい。ゆっくり、ゆっくりかみしめるように味わいたい物語なのです。

妻を演じた菊池佳南はちょっと猫っぽい顔立ちもあいまって、奔放でも夫は待ってるし、弱ってきたら戻ってくるし、という説得力があります。大家を演じた、村田与志行は近所の顔役的なオジさん感がいい味になっています。映画監督を演じた力武修一は、ちょっとなよっとしている感じにスカートといういでたちがよくあっています。山ノ井史が演じた獣医という役は、伝統的に何か企みを持っている怪しい人物という役ですが、これもまたよくあってるなぁ。

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【芝居】「あゆみ」青年座

2014.7.21 14:00 [CoRich]

60周年企画として、青年座の役者たちによる三演目連続上演という企画公演「Act 3D」の一本め。 2008年初演(私は未見です)が様々な演出や台本で演じられている (1, 2, 3) ものの、作家自身による青年座への初演出。 (「ままごと」のサイトで、戯曲の無料公開がされています。  21日まで青年座劇場。90分。

「あいちの」とか「弘前の」とタイトルがついて、いろいろな演出バリエーションがある「あゆみ」ですが、一人芝居版をのぞけば、「舞台の幅を超えて登場人物たちがよこすクロールで移動し続ける物語」を「役者が代わる代わるで一人の人物と、人数によっては周りの人々」を演じる、というフォーマットが基本だと思います。ずっと同じ方向で成長を、ちょっと回り道で停滞とか思いの強さ、あるいは逆行して思い出すこと、など巧いフォーマットを発明したものだな、というのをさまざまなバリエーションを観て今さら気付くワタシです。

「青年座版」として上演された本作も例外ではありません。わりと若い(高校生など)によって演じられることが多い戯曲ですが、今作は青年座の幅広い年齢の俳優たちによって演じられ、更に男性が加わっているというのも珍しい印象です。それでも基本的には女性たちの物語を主軸にしつつ、意地悪する男子とか会社の後輩男子兼・夫になるひと、あるいは散歩に連れ歩く犬(山口晃 が演じる小学生、犬が実に絶品で)など、いろんな演じ方ができるなという奥深さと物語が持つ幹の強さと余白も再確認できるのです。

女優が演じている、という前提で、序盤のはじめの一歩までの部分が、女優を意識した台詞が追加されていたり、途中の上京の目的が女優になりかけたりとか(元々の戯曲は、上京の理由が進学なのか就職なのか注意深くそぎ落とされていることに戯曲を読んで初めて気付きました。たしかに高校生に演じさせるならここを限定するべきじゃない。)

会社に入って後輩の男の子と呑んだあげく酔いつぶれて、おんぶされながら延々歩くシーンがやっぱりすきです。なんだろね、このアタシの嗜好。

上京、恋愛、結婚、出産というのが明らかに未来(の一部)である女子高生たちが演じる場合と、むしろそれを現在進行や過去のこと(女優たちが果たして結婚しているのか、子供がいるのかについては全く知らない私ですが)と感じられるように演じられる今作とでは合わせ鏡のように印象が異なる、というのも新しい地平。とはいえ、戯曲にある逆行を山登り、だということなんかすっかり忘れてもいるアタシなのですが。

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2014.07.28

【芝居】「三人吉三」松竹・まつもと市民芸術館

2014.7.20 17:00 [CoRich]

25日までまつもと市民芸術館 主ホール。先行発売の時はまだ市民枠でとれたのに、すっかり失念していて追加発売で入手した4等で。三幕、休憩込みで200分。初日の昼頃までは、渋谷と同様の町中の「お練り」や松本城中庭での挨拶、というイベントも設定されていましたが、あたしはお練りには間に合わず。残念無念。

有名な演目(wikipedia)ですがアタシは初見。庶民たちの暮らしを挟みつつ、池や路地を作りだし庶民たちが暮らす町のようすをしっかりと描きつつ、あからさまに年増な夜鷹たちなどのコミカルさだったり、桟敷席を歩き回ったりとさまざまに楽しさを優先するようで気楽に楽しめるように始まり、三人の盗賊・吉三たちが義兄弟の契りを結ぶ序幕は見やすく楽しいし、お嬢吉三が百両を奪う「こいつぁ春から」な「厄払い」の台詞のかっこよさ。

対して二幕めは、人間関係の複雑さを明らかにしていくためか、全体にフラットで、わりと薄暗いなかでモノクロームな印象。そもそも初見なので他の演出と比べるべくもないけれど、ほとんど天井桟敷かという距離感の4等ではあまりに薄暗く、人を見分けるのも苦労する感じなので、筋を追うのも少々大変に。

かわって終幕は、雪一色の中、雪の中の火の見櫓のあたりからは、スピーディな「チャンバラ」の格好良さ、リズムも実によくてそれが長い間続く凄さは、遠く4等席からでも美しいのです。

3Fの4等席が遠いのは仕方ないけれど、前列が身を乗り出すと見えなくなっちゃう、というのはもうすこしアナウンスや、3Fエリア立て札をおくなど撮影禁止などと同様に周知されてもいい気がします。 ケイタイも鳴るし、バイブレータを切らない客もそこそこ居たりするのは、こういう誰でも観る舞台だから仕方ないとはいえ。電波の妨害装置を入れる劇場も増えてきましたが、それに頼らずに客が自らどうあるべきかを(おそらくは普段芝居を観ない人々が大勢訪れるからこそ)ある意味、教育していく、というのは税金を入れた拠点劇場だからこその役割だと思うのです。

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2014.07.27

【芝居】「レイモンドの夢みる機械」演劇裁縫室ミシン

2014.7.20 13:30 [CoRich]

茅野での公演に続き、20日まで松本・ピカデリーホールというミニツアーになっています。115分。

13世紀のイベリア半島。先進していたイスラム教の土地に台頭してきたキリスト教とが衝突している。仕えていた王のチェスが強い妾との失恋をきっかけに、意味は記号で表される、「言葉を紡ぐ機械」を作ることに没頭する男。資金を得るために布教の役にたつといい、命を助けた少年を従者にしてヨーロッパから果てはアフリカまで旅をする。男に一方的な憧れをいだきつつも、男の作る機械が神の存在を否定するものになることをおそれる大司教、強大な力を利用し、異教徒に打ち勝ち、異教徒を奴隷として、利益を企む商人たち。

ナンセンス評伝劇、と銘打ちつつ、ことさらに笑いを取りに行くようなコミカルさは薄めで、きっちりと人物を描きつつ、しかし軽やかに物語を運ぶのです。今まで観てきたものの、装置はごくシンプルに見えて、廻り舞台に二階層の構造で走り回っても大丈夫なぐらいにきっちり作られていて、ピカデリーホールの広くタッパのある舞台をきっちり埋めています。

正直に云えば、世界史がまったくダメだったアタシ、イスラムvsキリスト、みたいなその時代の背景の知識が足りないままに観ちゃったからか、背景となる時代の真実と、創作で作られた部分がないまぜに取り込まれてきて、少々混乱する感じ。むしろ、ちょっと挟まれるさまざまな小ネタの方に楽しくなっちゃうアタシです。二進法を確立したラインプニッツを01の羅列から水玉→草間彌生とやってみたり、情報工学の人物、チューリング、ノイマン、シャノンになぜかジョブズだったり。あるいは機械を水に沈めて泡が出るから未だ隙間がある(というのはジョブズというよりウォークマンの盛田昭夫語録じゃ無いかと思うけれど)まあいろいろ楽しく見てしまうのです。

かつて愛した女への想いから、 「記号が重なり合って意味を持ち、それは機械にすることが出来る」と発想し、金を出すもの利用しようとするもの、あるいは人を信じるものたちさまざまなな人々の間で翻弄され、奇人扱いされてもその道を真っ直ぐ進む、というのをまるっきりの創作で作り出しちゃうのが面白い。従順な、しかし適切にツッコミを入れる利発な従者を従えて布教の旅というのもやけに説得力というか人物の厚みが増えるようで楽しい。

奇妙な機械をつくることに魅せられた男を演じた大久保学、不思議と真っ直ぐな感じが巧い造型。従者の少年を演じた清水奎花は、ともかくパワフルに走り回り、時に情けなく、しかし終幕近くで悲劇でもあってきっちりと振り幅。かつて男が惚れた女を演じた宮下治美は、露出というのとは違うけれどしっかり大人の色っぽさと、老魔女役との振れ幅も楽しい。篠原鈴香は商売女という手練れと少年を食ってしまうような強気の色気も楽しいし、人に優しくされることを素直に嬉しく思う気持ちの細やかさ。大司教を演じた米山亘はどこか木訥で真っ直ぐという人物の造型。商人を演じた有賀慎之助はきっちりヒールを、チンピラ風味の味付けに。若い日の男を演じた滝沢秀宜は若いのにどこか飄々とした感じが不思議とこの男は若い頃からこうだったんじゃないかと思わせる雰囲気を纏います。

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【芝居】「こんにちわ、さようなら、またあしたけいこちゃん。」なかないで、毒きのこちゃん

2014.7.19 18:00 [CoRich]

稽古風景をみせる、という体裁の220分。休憩25分を含みます。20日まで王子スタジオ1。

4時間の芝居といっていたけれど、40分ぶんしかできませんでした。なので、稽古風景を見せることにしました。アップから通し稽古、駄目だし、返し稽古、衣装付きの通し稽古、駄目だし、迫ってくる退出時間。
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動かない心拍モニタの横で呆然とする女、女手一つで育て上げてくれた母親に、子供のころから、ワガママや酷いことばっかり云ってきた。感謝の気持ちを伝えるチャンスはいくらでもあったのに、感謝の気持ちをまったく伝えていない。小中高大、社会人の時の私を呼び寄せて、あのタイミングで伝えられるはず。
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芝居の外側に演出家(役)、演出助手(役)を加えて、観客の入っているWIP的な場所、というのが大枠になっています。前半は軽いアップから通し、駄目だし。楽しげでバカバカしい演出家の好みだったり、ゆるい空気で構成。休憩を挟んだ後半は衣装をつけて、母親役を交代して同じ芝居をもう一度。 この二点の違いで印象がまた変わる愉しさもあるし、確実に何かが「進化」していること(のレプリカ)を見せているのが楽しい。 その後のダメだしというか、返し稽古は注目点にアンダーラインを引くかのように同じシーンを何度も繰り返す、というのがその熱量を支えます。

劇中劇というか、稽古している芝居は実はきっちり完成しています。母親へ伝えられなかった言葉、という意味では中吊りでよく見かける葬儀社の広告風味だったり、一人の人生をスライスして同時に存在させるという意味ではトープレのIn her twenties (1, 2) の演出に似ているともいえますが、それは大きな問題ではありません。シンプルな一つの想いを 高い熱量で描くこの話自体がよくできていて、 どこか母親への想いに共振して全体の構造とは別に、二回の通しだけで珍しくボロ泣きしてしまうアタシなのです。

この物語を核にしつつ、しかし客席の一部でしか聞こえないようなひそひそ話が6人の女優たちや演出ブースで行われているというのもちょっとギミックになっていますが、アタシはどちらも聞こえる席でなくて無念。二回目の通しの後はダメだしというよりは、注目点を取り出し繰り返し、熱量を更に高める ということが「物語の外側にある稽古場」というメタな構造を取り入れたからこそ可能になったと思うのです。 この構造というか表現方法が、「次元を加えてみせる」という表現の必然として取り入れられている わけだし、稽古場ということ場を作り出すために4時間弱をかけるという必然も納得感があります。何より この長時間、まったく飽きないで観続けられる、ということは実に凄いことだと思うのです。

浅川千絵は小学生を演じるけれど、座組の中では比較的年上という位置付けでどこか距離があったりする感じが巧い。中学生を演じ(る役者を演じ..以下同じ)た長澤ケリー花の暴れっぷりが凄くて目が離せない感じ。高校生を演じた小鹿めめこは眼鏡や衣装による落差がびっくりするほど、なんか見惚れてしまうのです。大学生を演じた大河原恵のどこかとぼけた感じの絶妙さが良くて、宗教にハマっちゃった、という 役のキャラクタと相まって不思議な雰囲気がしっかり。新卒を演じた原田つむぎの、前半にやけに 可愛らしさ押しを支える説得力。26歳を演じた堀内萌は大人しい感じかと思っていると、終幕で 熱量のある芝居を圧巻で繰り返すパワーに驚きます。 母親を演じた富山恵理子がまた、どこかゆったりとしたリズムを感じさせる雰囲気がいい。 休憩時間で、富山恵理子がつれなくするのになんとかして関係を修復しようとする浅川千絵の会話が絶妙。 演出家役を演じた東山拓広はどこまでも軽薄さ で押す前半と、終幕でみせる迫力の落差がちょっとカッコイイ。演出助手役を演じ、一回目の通しで母親役の代役も演じた狐崎崇史の、どことなく憎めない可愛らしさのようなものが、これもまた母親役の造型の バリエーションを見るようで楽しい。

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【芝居】「PRESENT」フライングステージ

2014.7.19 14:00
[CoRich]

新作中心のフライングステージ、2003年初演作(未見)を11年ぶりに再演。115分。劇団サイトに無料で公開されている初演の上演台本
心意気。21日までOFF OFFシアター。

二人で暮らしている男。一人は派遣社員だったがいまはフリーターになっている。もう一人は公務員でわりと忙しい。久しぶりの夜だったがうまくいかなかった。
フリーターの男は恋人にこのまえ一緒に受けたHIV検査の結果を伝えられなかったが、母親に自分がゲイだということをカミングアウトしたとき、母親が入院すると伝えてきたときと同じように、さらっと相手に伝えることにする。

恋人との距離は遠くなってしまった。友人のボランティア、病院で会った若い男、昔の恋人の男たちの気持ちが支える。
恋人も戻ってくる。
が、まだ母親にはHIVポジティブということを伝えられていない。

最近の彼らの紡ぐ物語に比べると、ずっとシンプルにゲイであることそのもの、カミングアウトするということ、あるいはHIVやAIDSといったゲイにまつわる悩みを紡いだ物語になっています。そういう意味ではひねりはなくて、ストレートにゲイであるつづける、ということを描きます。

初演の時点で、AIDSに対して死ぬということを描くのではなく、どう生きるかを描く「誰も死なない」HIVの物語としたのだといいます。物語の最後、二人が来年も再来年も10年後もきっと正月のキレイな空を見られるだろうと話し合ったけれど、初演から10年、2004年時点から10年も経ったのに、ゆっくりと進歩はしているものの、AIDSもHIVも有効な解決策を見つけられずに居るわたしたち。あのころよりはずっと
社会的な認知度は上がってきているし、寛容な見方をする人も増えて居るはずで、そういう意味では
「生きやすく」はなったのかもしれません。

人に囲まれて生きている、ということ。主役の男の台詞、
「僕のこと心配してくれるのはありがたい、でも、僕ばっかり大事にされて、僕のまわりのみんなが悲しい目に会ってるのは、なんだか納得がいかない。」という台詞がとても効いています。
そんな立場にワタシはなれるだろうか、と考えるのです。
あるいは、ひとりで住んでいることが心配だ、というシーン、別にゲイに限ったことではないけれど、ひとりで居ることの寂しさも、命の危険があるということも身につまされてしまうアタシです。



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2014.07.25

【芝居】「妹の歌」ガレキの太鼓

2014.7.18 19:30 [CoRich]

21日まで王子小劇場。125分。当日パンフの特別協力としてチラシを置いてくれた店をちゃんとクレジットする心意気もいい。

高校生になった妹分を連れて、カリフォルニアの知人夫婦を訪ねて集まることにした30歳になった男女。高校生は小説家になりたいと思い始めていて、小説を書いている。かつて自分が小学生の時に一緒に遊んでもらったのはカリフォルニアにあつまった人々をモデルにしている。それは、あまりにも暑い夏の日に友達の家で涼もうと考えたのに入れずに思いついて呼んだ鍵開け業者の話だったり、九州に旅行に行った話だったりをモチーフに、世界に戦いを挑む「大食いファイター」たちの話だった。
その憧れのお姉さんたちとの久々の再会に緊張しまくって挙動不審ですらある「妹」だけれど、30になった人々はあのころのようにキラキラとしているかというと、そうでもない。何より夫婦は離婚を決めているのだが、それを知らないのはその高校生だけなのだ。

作家の年代に近い30歳、 大人になってみれば、高校生のあの時の熱い想いを忘れてた。今更恥ずかしい熱い想い。でもあのとき小学校だった妹分が18歳になって(心は)キラキラしてたりして、それに応えられない今の自分が居たりする、という構造で作られたコントラストにグッときます。妹分が聞き取ってフィクションを加えて書いた自分たちが高校生だった頃のさまざまな出来事を見せる前半。何にでも闘う気持ちに溢れてて、良く笑って、思いついて、ドキドキして。恋人ができたり。そう、あの時の私たちはそうだったのだ、ということを丁寧に、しかもわりと爆笑編で描きます。

それに応えられない今の自分たち、というのが後半。モデルにはなれなかったし、思い通りになってないこともあるし。離婚を決めた夫婦がホワイトボードに二人で向き合って整理するシーンがけっこう好きです。踏み出す気持ちが起こらない、なぜなら相手を失ったからだ、 ということを繰り返し頭が疲れ切るまで考え抜く、同じ場所をぐるぐると回っているのだけれど、それはきっとスパイラルを描いて進んでいるのだという 物語の圧力もあるし、こういう話をホワイトボードでやる、というのもどこかほのかに青年団な香りがします。もしかしたら御大もこうやって離婚を整理したのかとか勝手に妄想したり。

正直に云えば、人数の配分は巧くないと思います。大人の女5人の高校時代を3人(+大人と共通の1人)で演じるのだけれど、高校生パートは役を兼ねた結果わかりにくくなってしまいます。大人の役者がもっと応援してもいいし、別の役者を加えるという手もあるかもしれません。大人側も見た目には魅力的だけれど(すがやかずみの眼鏡が素敵)、人数が多すぎるし、背景の厚みが足りないのも惜しい。その分、高校生チームが凄いとも云えるけれど、3x5の無理をするよりは、3x3とか4x4に配分した方がという気もします。 大人と子供に共通の一人を演じた工藤さやが狂言回しのポジションで物語を進めます。 夫を演じた酒巻誉洋のどこまでも優しくきっちり向かい合う夫がカッコイイ。駐在員っぽい感じもいい。妻を演じた森岡望のぐるぐるする感じ。 その妻の高校生の頃を演じた前田佳那子は大人っぽくて可愛らしくて素敵。 カリフォルニアの空気というか、角材などの木地をラフにだしたまま、劇場を横使いにして裏側に導線を確保した舞台も素敵です。装置とは関係ないけれど、序盤の飛行機、着陸前にランプを点滅させるのはシンプルなアイディアですが、巧い。

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【芝居】「CQ、CQ、」サムゴーギャットモンティブ

2014.7.17 19:30 [CoRich]

135分。21日までpit北/区域。アタシは劇団初見です。有料の共通パンフによればいままでのオムニバス、という形態のようです。

公演で飲食店バイトを休んでいた劇団員はバイトリーダもやっていたが久しぶりに職場に戻るとそのポジションには鈍くさい女が入って自分の居場所は無くなっていて面白くない。今のバイトリーダには厳しいことを云われたが、そのバイトリーダはあまりに忙しくなりすぎていて妻と幼い娘が待つ家にはなかなか戻れない。
気合いの入った公演のオーディションをしているが、遅刻してきた男は自己アピールしたいといい、バーで女を口説くシーンをやる、という。
18歳に成長した女が生活や学費を援助してくれていた男の家を訪ねると、ちょうど色っぽい女が出て行くところだった。男はどこまでも優しく向き合うが、やくざ風の男にまずい写真を撮られてしまい、何もかも失うことになりそうになり18歳の女は二人で逃げよう、という。
扇風機は地球外から迎えに来る仲間を待って電波を出し続け、男はそれを手助けしつつも扇風機に恋してしまい、逃したくない気持ちが勝ってきている。
超能力の訓練をする子供たち、その陣頭指揮をとるのは勝ち気な少女だが、ガキ大将な少年にほのかな恋心を抱いているが、少年は気付かない。無口な少年は、実は超能力は何でもできてしまう。
女子高生の時に天狗を目撃した女はそれ以来ずっと天狗を追い続けている。山に分け入り、やっと天狗に会えると思ったのに。

おそらくは一つ一つの物語それぞれが今までの公演をモチーフにしているのでしょう。明らかに世界観が違うものも含めて、ゆるやかに繋いでいって、ともかく一つの街に暮らす人々の点描という形にまとめ上げたのは、じつはちょっと凄いんじゃないかと思ったりもします。そういう意味では一つにまとめ上げるという技巧が今作のポイントかなと思います。 その全体が表すモノが見えにくいかんじなので、いままでの公演を 見ているという基礎体力があれば、キャンディーズの「微笑みがえし」にアタシが感動するのと同様に、 その世界を見るだけでも楽しくなりそうな予感はします。そういう意味では劇団初見のアタシにはその 本当の楽しさは感じ取れない気はしていますし、劇団の力を測りかねる感じではあります。

一つ一つの物語は嫌な感じだったりやけに暖かい感じだったり、気持ち悪かったりという断片。それぞれの物語をどこかでゆるく繋げていって、一つの街の片隅でひっそりと生きる人々のほんの僅かだったりそうでもないさざ波が生まれる瞬間を描き、全体として、人を通して街を描いてるよう。

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2014.07.19

【芝居】「冷蔵庫に、晴れ」chon-muop

2014.7.13 19:30 [CoRich]

演目自体は3回目のようですが、店を変えての上演。この演目は初見、劇団として拝見するのも2009年の 連続公演以来なのでずいぶん間があいてしまいました。 https://kawahira.cocolog-nifty.com/fringe/2009/09/2009.html https://kawahira.cocolog-nifty.com/fringe/2009/11/chon-muop-552b.html ウルトラマンの商店街として有名な祖師谷大倉の商店街奥、空が広く見えるカフェ、MURIWUI。13日まで60分。

店には常連の女と店主だけが居る。そろそろ閉店という時刻か。 日常の会話をするうち、店主が「この店にははじめ、ハジメさんが居た」という。 彼は店を作り、仲間を集めて、開店して、いつも同じ席に座るガンコさんという常連客が居て、 連れが居たり居なかったり。それぞれにテキストを残していた。
店主は用があると店を出る。おそらくは数年後、常連だった女が店主になってまかないを作っていて、 常連の別の客が来て、またハジメさんの話をする。

どこか昔話めいた話を話す店主、語られる物語。 必ずしも上演されたこの店のために作られた物語ではないと思いますが、夕暮れ時、風が通る気持ちの良い手作り感溢れる店内に、どこかほっこり暖かかったり、あるいはちょっと寂しい気持ちだったりがないまぜになった物語。作家が出演することも多い 「トリのマーク(通称)」の「場所から発想する」というのを地で行くように気楽に楽しめるのです。

店を作り上げるシーンは、コントラバスをのこぎりのように弾き、太鼓を釘打ちのように叩き、(おもちゃの)ピアノの鍵盤をペンキの刷毛のように塗り、バンジョーでカンナのように削る、というシーンのいちいちが見立てに溢れていて、音も溢れていて、祝祭的な空間を作ります。 店が出来てからの常連たち、その店の雰囲気を決定づけるような常連客、しかし店という場所はそのままでも店主が替わり、客が替わり、次々と店が手渡されていくという時間の流れをこんなにも短い時間で描くのです。

冷房はアテにならず、小さな扇風機と、配られる小さな冷却剤と扇子・団扇、それにチケットとは別に購入が必要な飲み物(当然アタシはビール、ですが)だけが頼り。とはいいながら、アタシの拝見した日曜夜は、夕暮れ時にほどよく涼しい風がやや強め(むしろ傘が飛ばされそう) で、実に快適でした。終演後にもう一杯追加して、広いルーフバルコニーで過ごす時間は開演前も含めて実に快適、というのはまあ天候次第ではあるのですが。

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2014.07.18

【芝居】「ビー・ヒア・ナウ Be Here Now」文化庁・日本劇団協議会(虚構の旅団)

2014.7.13 14:00 [CoRich]

文化庁の委託事業、「時代の文化を創造する新進芸術家育成事業」とクレジットされています。虚構の劇団で、演出を鴻上尚史以外で行う「虚構の旅団」名義も使われています。第三舞台での上演から24年で、初めての再演のようですが、アタシは初見です。 21日までシアターグリーン、BIG TREE。120分。

おまえを誘拐したという手紙が二通届くが、自分はここに居る。 友人の作家志望に相談するが、警察にも相手にはされない。 (モチベーター)研修の最後のセッション、上からの指示で売られるように云われていた高額なサプリメントにその効果が無いことを喋ってしまい、会社を辞めたが客はその効果を求めていた その時に参加者が喋った言葉を記したノートを求めて、 デスラー総統というパラレルワールドの住人で年号を弥勒としようとしている男たち、イザベル(ドロンジョ)という宇宙意思と会話できるというチャネラー、ビジネスで成功を収めた男、がそのノートを求めて現れる。

どこかSFめいた設定、作家の世代ということもありますが、パラレルワールドとか、あるいは半笑い的な扱い方だけれどチャネラーとかを様々に盛りだくさんに。物語の着地点周辺に至って、内面というか気持ちを描くというのがちょっといい。

朝日、の凄さは判っているつもりだけれど第三舞台の公演に対してリテラシーが高い訳ではありません。鴻上尚史という作家の昨今は時代を取り入れつつ、自分の世界を再生産する、ステージにあるように思います。 彼が描くのはおそらく若い頃に感じたさまざな想いの断片を詩的だったり象徴的だったり、手を変え品を変え描いているように思うのです。 それは何か壁があるという話だったり(天使は瞳を閉じて)、駅のホームで別れがたい恋人を見送った自分と見送らなかったかもしれないパラレルワールドを夢想することだったりだと思うのです。 演出なのか役者の布陣なのか、第三舞台での上演を観てないので元々がどうだったかもわかりませんが、正直にいえば、なんか全体に薄味というか物足りない感じが残ります。プロジェクションマッピングっぽいのは昨今の東京の芝居ではやや陳腐になりそうな感じだし、迫ってくる壁、も必ずしも効果的ではない感じ。小劇場でやってるってのが凄いということではあるんですが。

第三舞台では筒井真理子が演じたドロンジョ・イザベルを演じた七味まゆ味は他では見られないぐらいにフリフリの衣装をパワフルに。ちょっと空気読めない感じのキャラクタが当てられることの多い筒井真理子のこの役はさぞや似合っていたろうと思うのです。 お供のボヤッキーを演じた小沢道成も軽快でいい造型。 秘書を演じた木村美月(クロムモリブデンの彼女とは別人)のやや野暮ったい感じがやけにそそられてしまうアタシです(笑)

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2014.07.15

【芝居】「愛ヲ避ケル」桃尻犬

2014.7.12 19:30  [CoRich]

13日まで王子小劇場、105分。

「愛のあるセックス」だけで感染する「ギュウタン病」は、すべてを楽観的にとらえるようになる。その患者が作るということで高額に売れる段ボールを作る会社は彼によって支えられていて彼が出勤してこなければほかの従業員はすることがない。その彼と同じ病気を抱える女も出入りするようになる。ある日、患者を雇って酷い扱いをしていると目を付けた人権団体らしい男がやってきて、二人の患者を保護して連れ帰ろうとする。

小さな工場というコミュニティの中、差別されがちな病気にかかっているけれど(対比して、背景を知らずに無自覚に在日という単語を出した男が反省するという序盤のシーンが効いている)それで工場を回せるようになっているという場所。

ハンディキャップを埋めるためのさまざまな施策、最近だと女性のという流れにもなっているけれど、その段ボールがなぜ八千円という高額で売れるかということは、ロゴの入ったマーキングが鍵なんだろうと想像しますが、もう一押し説得力がほしいところ。それでモノを送ると社会的地位が高いと錯覚する、とか、あるいは人権団体らしい男がそこに何か反応(これはすごいとか、逆に世間で良く思われてるこれをこんな劣悪な場所でとか)をするとか。現実の社会に対して作家が何か違和感を感じたからこそ作り上げた設定なのだから、現実味を帯びさせるという一押しが効きそうに思います。あと、普通は段ボール工場から出荷する前に段ボール組み立てて置いたりしない(かさばるし)とか、まあ細かいところが気になったりも。

従業員の一人の母親という人物の登場は唐突ですが、おもしろい。ごくごく普通に息子を愛する母親というだけのことなのだけれど、行動の規範というか原理の軸が違うという意味でアタマがおかしいように見えてしまうというのはやけに説得力があります。役名も「お母さん」という一般名詞でしかないというのも思い切りが良くていい。演じた、踊り子あり(という役者)は若く綺麗な役者だと思うけれど、ちょっと派手目のダサ気な服でがさつに演じて、愛すべきオバサンを出現させます。

解放に向かうかに見えた物語は終幕で閉息する家族という体裁のラストに着地します。一人敵だったはずの人権団体の男が、白濁した粘り気のある液体を浴びてこの「家族」に取り込まれるような体裁。正直に言えば、「愛のあるセックス」でしか伝染らないはずの病気が、これだけだったり、あるいはワカメを食べさせるというだけで伝染ってしまう、というのは序盤の説明と違ってるので戸惑う感じではあります。

病気にかかっている男を演じた糸山和則は高いテンションを維持しつつ、単にかわいそうな人にしないという説得力。同じ病気にかかった女を演じた長井短は外人っぽい顔立ちを生かしたエセ外人キャラのシーンも楽しいけれど、自分が魔法少女であると信じて疑わないイノセントさも捨てがたい。

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2014.07.14

【芝居】「夏といえば! に捧げる演劇儀式 〜愛と絶望の夢幻煉獄〜」宗教劇団ピャー!!

2014.7.12 14:00  [CoRich]

四つのパートで見せる幻夢。
黒づくめの女たち、何かを反省しているような、すべてに絶望しているような
悲しいことを流してしまうガムを発明してそのはき出されたガムを集めて人々の絶望を仏像アートにする女。
私のカラダの中から出て行くもの、あるいは入ってくるモノ、握るモノ。
友よ、この音ではない、それじゃない。生活に戻る。

正直にいえば、みたことがなかったわりにアタシの、この劇団に対する拒絶したい気持ちがすごかったのです。団体名も、主宰が毎回のように失踪するということをウリにする芸風も、なにもかもが、見たくないと考えると云うよりはなんか脳みそがイヤイヤしてる感じ。とはいえ折角の佐藤佐吉演劇祭のラインナップ、乗ってみることに。劇場に入ってみれば、やけに手の込んだ装置だったり劇場全体のデコレーションだったりの気合いの入り方はハンパなく。 タダでさえ地下感溢れる劇場を、これでもかとデコレーション。魔術めいた人型、はたまた中東あたりの雰囲気に布で装飾された空間はともかく過剰に作り込まれていて、あるいは 女優ばかりということもあって(笑)、思いのほか気楽に楽しんでしまったりします。

「第九」をモチーフにした4部構成はそれっぽく理屈はつけているけれど、若さ特有の不安定さのようなことが全面に押し出てたりして、物語がない断片。音楽に対してアタシがもうちょっと素養があれば違う感想になる気もします。が、アタシには観念的な雰囲気すら溢れる舞台で、わりとテンション高いままで続く芝居ともパフォーマンスとも取れない「なにものか」はやはり少々手強い感じではあります。

アタシの友人は、通常のここの公演は作家が描こうとしていることがあまりにも壮大すぎて表現が追い付かない、という言い方をしてるけれど、今作に至ってはその主宰作家は失踪していて、別のメンバーが書いたりしてるわけで、そういう意味では劇団の真価をみたのかといわれると心許ないなとも。

コンビニでたばこを売るかのごとく、「悲しいことをすべて流していい思い出だけを残すガム」はちょっとファンタジーっぽくておもしろい装置として機能しています。流される悲しい出来事が具体的に描かれるわけでもなく、そういうものがある、ということを描いているだけなのが惜しい。あるいは色っぽさ皆無の男子の小学生レベルで尿ですウンコです言いまくるのもまあどうかと思うけれど、それを繰り返すうち、 後半に至り、女性特有な経血や、あるいは自分の中に入ってくる男、ということを描く女性に着地するのはまあちょっと大人な感じ。その章での配分というかバランスが少々もったいない印象で、結果として女性が見えてくる瞬間が唐突な感じがします。

最終章ではそれまでの3パートを「これじゃない」とといい、女優たちの日常っぽい仕草を大量に見せていきます。そこに物語があるわけじゃないけれど、そこまでの全てが過剰な芝居を詰め込んできたために、本格的な声楽での「歓喜の歌」という非日常感ではあるのだけれど、やけに可愛らしく彼女たちの日常に見えたりするのが不思議だったりもします。正直、拒否感が払拭されたかというと怪しいし、手放しで面白かったとは云えないのだけれど、思ったよりは怖くなかったな、と思うのです。

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【芝居】「CEREMONY セレモニー」東京デスロック

2014.7.11 19:30 [CoRich]

135分。13日までSTスポット。

さまざまなセレモニー。さまざまな祝辞をサンプルにみせる「祝辞の儀」、挨拶する人々という「挨拶の儀」、みんなが少しずつ足した水でご飯を炊く「食事の儀」、「音楽の儀」や踊ったり踊りを見たりという「踊りの儀」、演劇の誕生と成長を目撃する「演劇の儀」など

結婚式二次会かという雰囲気の受付。祝辞や挨拶、踊りや演劇などさまざまな断片を見せていきますがこれは演劇か、といわれるとそうではないように思います。観客自体が積極的に参加するのは、踊りのパートぐらいなのですが、それでも全体の雰囲気はワークショップという感じではあって、物語を楽しむという意味の演劇としての要素は皆無で、いろいろなものを見て、私たちがどう感じるか、ということを実験させられている感じ。

その踊りのパートの前半は 二重の円形に並んだ観客が互いに逆回転でまわっていくのは盆踊りとかフォークダンスという感じ。思いの外若い女性の観客が多くて、別に触れあう訳じゃないけれど、互いに向き合い視線を合わせ、動いていくという流れだけで、本当にトキメいてしまった、ということがなんか新鮮な発見で驚きます。どれだけそういうことと無縁な生活送ってるんだ、あたし。

踊りパートの後半は、役者たちが見せるわりとエンドレスな踊り。盆踊りだったりトランス風味のビートが効いた音楽だったりがつながっていきます。ビートさえ合えばなのか、不思議と盆踊りとのマッチングがかっこよかったりします。

「音楽の儀」は音楽評論家という人物が登場して、音楽と祝祭の関係についてしゃべってみたりしつつ。かの有名な「4分33秒」を体験できたのは素直に嬉しい。ストップウオッチなしでその時間を切り取るというのもちょっとイベントっぽくて楽しい。(金曜夜は4分43秒でした)

後半の演劇にまつわる小さな芝居はわかりやすくおもしろい。保育園バスを待つママ友3人が井戸端会議よろしく噂話をしているうち、ここに居ない人の物まねをして説明する、というその瞬間をとらえて「演劇の誕生」としてみたり、あるいはスピーチの練習相手になった妻がこうしたらいいというアドバイスした瞬間を「演劇の成長=演出の誕生 」というのがちょっとおもしろい。人類にとっての演劇の誕生というよりは、どこにでも演劇が生まれる瞬間があるのだということを云っているようで楽しく。

正直に言えば、これは体験ではあっても、演劇というのとはちょっと違う感じではあります。が、儀式の体裁をとってその要素であるさまざまを切り取って見せるというのは ちょっとおもしろい体験であったことは間違いないのです。

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2014.07.13

【芝居】「許されざる者」シンクロ少女

2014.7.6 19:30 [CoRich]

8日までアトリエヘリコプター120分。

マンションの隣り合う二組の夫婦。一方は若い男と一回り違う女で、夫の浮気を妻が長い間なじり続けていて夫は我慢の限界にきている。もう一方は浮気が理由で離婚したテレビドラマの脚本を書く男と再婚した若い女。新しい妻はいままでの男がみな浮気していたので男を信用しない前提で心おだやかに暮らしたいと思っている。元の妻は脚本を共同で書いていて、通ってきていて仲良しだ。
若い男が隣の若い女がスカイツリーに行ったことがばれてしまう。年上の妻は隣の夫と同じようにスカイツリーにいくことを提案して、意気投合し、二組の夫婦は時折相手を交換して出かけたり、セックスしたりするような傍目には奇妙な生活を始め、巧くいくかにみえた。
が、ある日両方の女が妊娠していることが発覚する。互いの夫は自分の子供ではないのではないかと疑う。それでも若い男は妻の気持ちをくみ取り信じて、子供を育てることにする。作家の男は別れた妻に息子がいることもあり子供はもういらないとおもっていて、今の妻に子供を堕ろすように頼むが、妻は家を出てしまう。

下手側には畳とちゃぶ台、下手側にはダイニングテーブルのセットにパソコン、中央にはベランダを模した腰より少し低いぐらいの台。ごくシンプルなセットで隣り合う二つの世帯を描きます。 片や激しく口論(というよりは妻が一方的に責め立て)している夫婦、嫉妬だったり苛立ちという感情に溢れていて、まさに決壊寸前の状態。片や、表向きは心穏やかにスマートで余裕のある暮らしをしている夫婦だけれど、隣夫婦の荒れ狂う感情に巻き添えを食うように隠れていた、あるいは見ないようにしていた感情がにじみ出してきて。一時は夫婦交換という四人の間だけではなんとか平穏と均衡を取り戻したかに見えても、という展開。

分譲マンション、住宅ローンでパツパツの生活をしていて、しかも年齢を重ねた女と若い男をという夫婦を下手側ちゃぶ台の部屋に、同じマンションだけれど収入もそれなりにある年上の男と若くて穏やかな女を上手側ダイニングテーブルの部屋に設定。 上手側で平穏に暮らす私たちという視座を基準点に、 下手側には金銭も気持ちも余裕のないゆえに今持っているものに固執する立場を濃縮、上手側に災難が降りかかる、という構図が安定していると感じるのは、どこか映画で培われたようなある種の文法に則っているのではないかと想像します。知識がなくてこの推測が当たっているかどうかはわかりませんが、近作では映画の雰囲気を滲ませる作演の力が遺憾なく発揮されています。その安定した構図の中に、小さなしかし本人たちにとっては重大な愛情とか夫婦といった小劇場っぽい物語を、少しばかりのインモラルな刺激をもって濃密に描くのが巧く機能しています。

浮気をなぜするのか、を食べ物に喩えて説明を試みるシーンがあります。まあ、同じ家に居る相手を日常食、隣の芝生ならぬ相手をハレの日のご馳走として説明を始めるけれど、話していくうちにその説明ではうまく機能できなくなって、でもなんとか説得しなきゃいけないと進めようとするも、「あれ、どうしよう」と迷走する感じで、作家の表情を想像しながら観てしまったアタシはやけに愛らしく感じてしまうのです。

かつてのシンクロ少女といえば、女性の作家ではあるけれどことさらに性愛を色っぽく描くことが身上という感じでもありましたが、作家が年齢を重ねたゆえか、映画の文法を取り入れたゆえか、セクシュアルな表現をあからさまにしなくても、ちゃんとそこに居る二組の夫婦(と一人の元妻)の人々が 圧倒的な説得力を持って立ち上がるようになってきています。役者の精度も上がっているということはまちがいありません。

テンガロンハットで燃え尽きるオープニングからやけにカッコイイ造型の泉政宏ですが、年下の女にも隣人にも翻弄されるトホホな感じもいい。その若い妻を演じた菊川朝子は、めずらしくぽよんと、心穏やかにロハスな感じの造型が印象的ですが、云えなかったことがあるという後半も素敵。別れた妻を演じて作演を兼ねる名嘉友美はツッコミというか、二組の夫婦ではない、近しいけれど距離は保つ他人の存在としてきっちり機能しています。隣家で責め立てられる若い夫を演じた中田麦平は我慢に我慢を重ねてもこれを守りたいという優しい男がカッコイイ。責め立てる年上の女を演じた田中のり子はこういうキャラクタで 四十歳にしてはやけに可愛いというのはご愛敬だけれど精神的に何かありそうなぐらいに内向きで居続けるというのは演じるには辛い造型だけれど、きっちりと。三人の女性がすべて名嘉友美の分身に見えてしまうけれど、もっとも彼女のプライベートを何一つ知ってるわけはない、と後から気付いたりするアタシです。

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【芝居】「星の結び目」青☆組

2014.7.6 14:00 [CoRich]

時間堂への2011年書き下ろし作品の、青組としての初演。9日まで吉祥寺シアター。135分。

広い舞台に段をつけていくつかの小さなステージ。天井から青系の色で統一された淡い和風柄の布。風が通るような古い日本家屋の雰囲気。縁側がある。和服。広い舞台を生かして、日本家屋の和の雰囲気と、クールさが併存する空間をスタイリッシュかつ贅沢に作り出します。

確かにお屋敷も使用人も居るけれど、歴史ある重厚さではなくて一代目の優秀さゆえに成り上がった商家。そういう「贅沢」に暮らしている家族たち(YouTube)が手にしている今の暮らしを失うかも知れないという不安と、はしたなくはしたくないけれど生活は守りたいし金は必要だし。 そういう場所で生まれ育ってしまった家族が戸惑う物語。 青年団・ソウル市民( 1, 2, 3) にやや雰囲気が似ている気もします。 それはタッパが高くて広々とした舞台にどちらかというと硬質な印象の和風の装置で作られた中で演じられる家族とその外側の社会の物語という成り立ちがそう感じさせるのかも知れません。

もっとも、作家・吉田小夏が描き続けているのは、社会に軸足というよりは家族の中での女たちの物語で、今作もその例外ではありません。 金を手に入れるためだったり子を産むために、と役割を強制された時代を背景に、もちろん現代の感覚では納得なんかできないのだけれど。 多くの男たちは登場するけれど、どちらかというと女たちがそういう境遇になった背景、として(もちろん高い精度で)描かれています。 時間堂公演でそれをアタシは「男たちは薄っぺらい」と書いたけれど、それは女たちの濃密な描かれ方の対比故にそう感じたにすぎないのだ、ということだというのを再発見するのです。

舌足らずな喋り方とオーバーなリアクションで幼さなの印象が強く残る女中と、台詞はひとつもなく豪快だった先代に呼ばれて花見に来るぐらいのうつくしい女を二役で演じた小瀧万梨子はその振れ幅ゆえにお得感というか堪能できる感じで、特に前者は他の舞台では滅多に見られない役で新しい魅力。 普段の役柄印象が違うという意味では多根周作演じるかんしゃく持ちの長男というのも珍しい。役者としての活動を休むという意味で変化球気味なこの役はラストステージに相応しい王道というわけではないけれど、 触れたら崩れてしまいそうな脆い心を虚勢という仮面をかぶらなければならないという時代の長男像の説得力。振れ幅という点では荒井志郎が演じる、スマートで恰好がよい次男坊と豪快で一代で財をなした一代目を初演につづき二役で演じた荒井志郎も印象的で、アタシは特に一代目の造型が好きです。 一代目の商売の才覚というDNAを受け継いだのが次男だったということを明確に描くこの 配役も巧くはまっています。 教師となった娘を嫁に欲しいと金にあかせて手に入れようと考える男を演じた村上哲也は今作においてほぼヒールだけれど、その理不尽さをぶれることなく貫徹。語り部を兼ねつつ利発な女中とを演じた福寿奈央は物語の軸になり、しっかりと支えます。長女を演じた渋谷はるかは、この一家の豊かな時代からいわば落ちぶれていく時代までの背負った女、時代を追ってどこまでも幸せな前半、少々の虚勢で支えようと懸命な中盤、後半で消え入りたいと思うようなグラデーションが鮮やか。大西玲子は娘時代には今作の質感の中では少々違和感を感じないことはないのだけれど、その後、教師となってからのたたずまいがいい。

出演 荒井志郎、福寿奈央、藤川修二、大西玲子、小瀧万梨子(青年団)、渋谷はるか(文学座)、吉田久美(演劇集団円)、代田正彦(★☆北区AKTSTAGE)、多根周作(ハイリンド)、西村壮悟、村上哲也(Ort-d.d) 脚本 吉田小夏 -->

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2014.07.11

【芝居】「博多アシッド山笠」ハリケーンディスコ

2014.7.5 19:30 [CoRich]

6日まで参宮橋トランスミッション。105分。土曜夜にはネットでの中継を設定していたようです。 (Ustream) 飲み屋で生計を立てる兄妹。来る客はしょっぱい。妹が懐いてるのは長距離トラックの運転手をしている常連の女。いつも連んで来る二人組の男は、友達だという金持ちにたかってばかりいる。片方には妹が居るが金がなくて大学への進学は叶わなかった。チンピラの二人組にはこの店でどうしても聞きたいことがある。
裏山笠、というのがあるらしい。福岡から下関まで一番に駆け抜けるのを競う祭りで勝てば一攫千金なのだが、やくざもあからさまに絡んでいる。店の兄妹の父親はその裏山笠(ウラヤマガサ)で命を落とした。チンピラの若い方の父親もそうだという。
金持ちだった男もすっからかんになり、金を借りに来るが誰も金は持っていない。みんな裏山笠で勝つしかなくなっている。

物語の骨子は流れ者たちが裏山笠という大もうけできるかもしれない死と隣り合わせのイベントを潰すという一つの目標で団結して、しかし次々と倒れていく、というシンプルな物語を、やくざ映画かVシネか、という味付けのスペクタクルに仕上げます。

その物語を狭い舞台上に天井にぶつかりそうな程の高さに組み上げた山笠風味の神輿だったり、長距離トラックだったりのあれこれを詰め込んでいて、アタシの友人が喩える「ミニマムサイズの維新派」というのは確かにその通り。維新派が音楽やリズムであの膨大な舞台を支えているように、今作は序盤から舞台中央にある(居酒屋のカウンターを模した)DJブースで多くの音響を担っていて、うっすら流れているシーンも含めてほぼ全てのシーンでビートを持った音楽が流れ続けています。同じ音楽といっても、維新派だとリズム、ハリケーンディスコだとビート、と云いたくなるのは何だろう。流れる音楽のジャンルの違いかなと思ったりもします。

博多の大規模な祭りである山笠は、ギンギラ太陽'sの芝居(1)で福岡を訪れた時にちょっとだけ体験。 もっとも前夜に盛り上がるテレビを呑み屋で呑んだくれた挙げ句、目が覚めたのはほぼ終盤で慌てて外に飛び出した、というぐらいの経験ですが。街が一丸となって盛り上がる、という余韻はきっちり感じられたのです。なるほど、ならば山笠に裏イベントがあってもいい、という物語世界の熱量の説得力は感じるのです。それは、客席にいわゆるブルーカラーっぽい芝居を見慣れない観客が混じっている楽しさでもあるのです。こういう人々が気楽に楽しめるエンタテインメントの一つに芝居があるって、たとえば助成金前提でスタイリッシュだったりオシャレだったりする芝居とは別格の、地力の強さのようなものがあって、それを信用したいと思うのです。

馬鹿馬鹿しい物語を圧倒的な熱量で走りきるというのは重要で、今作は役者の力量もあいまって、見応えがあります。ここ最近、見応えが出てきた三瓶大介はちょっと痩せた感もあってうっかりカッコイイと思ってしまうぐらいにちょっといい。肉体を疲れさせたものを見せるということが小劇場の芝居で有効であるかということはちょっと懐疑的なアタシですが、今作においては巧く機能していると思うのは、いままでのわりとチャラくて楽しい芝居を観ていたということとの対比から生まれる気持ち、ということかもしれません。

あるいは、牛水里美が演じるいわゆるヤンキー女は所属する黒色綺譚カナリア派の持つアングラ後のアングラという空気感とは違うはずなのだけれど、想いの熱量が溢れんばかりに役者の圧巻の力が備わるという点で似ているというのは新たな発見。竹岡真悟がホントにヤクザっぽい造型で、きっちりと支えるというのも安定感。澤唯はそういう意味では器用ゆえに今作では圧倒的な印象というわけではないけれど、安定感の一つ。常連となった感のある津波恵は器用な役者ではない気がしますが、物語での役によくあっていて、安定感のもう一つの要因になっています。

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2014.07.10

【芝居】「女子と算数」NICE STALKER

2014.7.5 15:00 [CoRich]

6日までpit北/区域。120分。 男が作った計算機の設計図。夫亡きあと、妻はそれを製品化して生計を立てようと考えるが、子供の暗算の方が早くて役に立つといわれてなかなか製品にならない。足し算とかけ算はできるのに、引き算ができなかったのだ。
女と暮らしている仕事もろくにしない男。女は結婚することに決めたと宣言する。すがる男に対して、あなたと結婚するためには子供の頃からやけにモテていたらしい男の生涯で一番好きだと思われなければできない、と伝える。
小学生のときも、高校生の時も同級生の二人の女子がずっと男をとりあっていた。男は気づいていない。片方の女はずっと想い続けている。もう片方は策略を巡らせてモノにしようとしている。

計算機の話をめぐる話と、一人のやけにもてまくる男と同棲する彼女、彼女が嫉妬する過去の女二人の物語を交互に描きます。数学をめぐる素敵な話というのが前半だけれど、おそらくは作家自身が感じているとおり、二桁の掛け算や足し算を素早くするTipsや、タイガー計算機など、それっぽくは作っているけれど、どこか 「算数を物語に取り入れましたよ」というアリバイめいていて、物語の幹は後者にあると思います。基本的にはヒモに近い職安にも行きたがらないダメな男と、だけれどその彼のことが好きでたまらない女の想いが何よりも物語の基本で、「一番」でなけれな結婚したくないという女の検証を、男の脳内に残る子供から高校生に至る時期に気になった過去の二人の女子と比べて、今の彼女がどうだ、と描くという体裁だと思うのです。

女の子があからさまに自分を取り合う、なんて人生経験がさらさら無いあたしにとってはこれはもう、ファンタジーなわけで(泣)、物語がリアルかどうかとか、共感できるかどうかということは判断がつきません。ひたすらに、女子たちがそのアタリで何かしているということを眺めるのが楽しい、となれば今回の佐吉祭りはやけにそういうスタイルの芝居が多いのは、イベント主催者の差し金かと思ったり思わなかったり。

彼女を演じた帯金ゆかりは、ダメ男に対する圧倒的な熱量だったり、ツッコんでみたり、押したり引いたりが楽しいあれこれ。幼い頃に一途に男に恋していた女を演じた秋月愛は好きな気持ちを伝えられずいつも後れをとってしまう可愛らしさをきっちり。まあ、男はアタシも含めて俯瞰すればこういうキャラに弱い気がするけれど、当事者となるとその想いに気付かないのはどうなんだというのは自戒も込めて。同じ頃に、ちょっとずるい手でも使って好きなことをモノにする女を演じた藤田彩子、押してきてくれる女子についつい男はなびいちゃうんだよなぁ、という説得力。結果的にものすごい量の役を担う杉村こずえは、特徴的な声の訳者だけれど、その声に引きずられることもなく、どの役もきっちりとしている安定感。

理系、という学歴をもつアタシですが、まあびっくりするほど数学の知識が薄くて。1=0.9999...を証明する一連にしたって、その場で(わりと真剣に)観て、ああそうか、とおもうほどの情けなさ。まあ、それはある種バラエティ番組を見てちょっと心が動くというのに似ていて、芝居がどうか、ということとは別の領域の話なのですが。

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2014.07.06

【芝居】「ツヤマジケン」日本のラジオ

2014.7.3 20:00 [CoRich]

平日20時開演が嬉しい100分。6日まで王子小劇場。

山奥の公共施設に合宿にやってきた女子高の演劇部。顧問はほとんどやる気がない。携帯の電波もつながらないような場所。メンバーの一人が到着していない。バスには乗っていたかも怪しい。施設の中にある少し広い場所の物陰には、ライフルと日本刀を持った男が隠れている。

百合、というよりは女子校特有の好意という感情のすれ違い。好意と愛情がないまぜというか分化してない感情が同じ学校の女子に向かったり、他校の男子高校生に向かったり、教師に向かったり。3年という時間の中での成長の度合いがそれぞれ違っていて、それがすれ違いを生んだり、悪意に転化したり、というパワーゲームというかバランスが緻密でおもしろいのです。

じっさいのところ、むちゃくちゃに広げた風呂敷をなんとかすっと畳むために大量殺人の事件をモチーフにしたような感じではあるのですが、実際のところ、ライフルで殺したということ、男がそれらしいことを云う(が、それは今作の物語の主軸にはいささかも関わらない)以外は特に津山事件である必要もないわけで、それは歴史というか事件というかかかわった人々への敬意というものが余りに足りないのではないか、という気がしないでもありません。そんなことをしなくたって、女子高生たちの群像劇として十分におもしろいよなぁと思える一本なのです。

吉岡そんれい 演じる教師が本当に腹立たしいぐらいの造型、凄い。背乃じゅん演じる副部長の、回すために必死というすがたはリアリティがあって、部長を演じた福満瑠美は美しく、しかし顧問にあれやこれやとかの脆さもいい。同じ学年を演じた坂本鈴は、人の面倒を見たということが自分を支えるけれど、みんな自分を抜いていく、おどおどした感じが痛々しく見える、ということは巧い。元気、とクレジットされつつも実は企む女を演じたレベッカもまた憎々しく見えちゃう造型。
物語のキーとなる二人、最初にみつけた女を演じた西山愛の不思議ちゃんだけれど鋭く冷静、というのもいいし、ラストシーンがやけにカッコイイ。それに懐いた1年生を演じた三澤さきは後輩キャラだけれど、一人の女性が絶命するまでを丁寧に描くというのは厳しい役どころだけれど、解像度高く、しっかり。

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2014.07.05

【芝居】「エロビアンナイト」犬と串

2014.6.29 13:00 [CoRich]

初めて性を描いた、と銘打つ125分。29日まで王子小劇場。

高校生の男女、互いの好意を確認したが気持ちの準備がつかない女が男を制するために、頭の中でエロとは別のことを考えるように頼んだことで、二人は毎夜エロに踏み出さないために、おもしろい馬鹿話を続ける。5年経ち、二人は大人になり、互いに好意を持っているしデートもするが、男はその一歩を踏み出そうとするだけで馬鹿話の妄想があふれ出すようになるどころか、バイト先の店長とただれた関係の店員とがいちゃつこうとするだけでも、その妄想があふれ出してしまう。
店長は男の本性を暴こうとするが。

好きあう二人だけれど、最初の拒絶が尾を引いて5年ものあいだずっと触れあうことすらできない二人を物語の軸に。そのエロい考えを止めるためのとりとめのないバカ妄想の数々がこの物語を彩り、性愛一歩手前の寸止め感を、高い精度とテンションで引っ張り続けます。一つ一つは「生牡蠣」にしても「ワキオニギリ」にしてもコネタだしナンセンスだったりもして、爆発力という点でそれほど強力なわけではないけれど、これだけの物量とテンポの良さできっちり引っ張る力があります。

後半に至り、二人の男女を隔てる理由が、二人は兄妹の関係なのだということが あかされます。そこまでのばかばかしさとは一転、かなり高いハードルが立ちはだかるわけで、結果、やや自閉ともとれる状態に追い込まれている男の立ち位置も明らかにされます。これをどう乗り越えるか(あるいは乗り越えられないか)が作家の腕の見せ所になるはずなのだけれど、正直にいえば、作家はここを乗り越えるということを放棄していて、二人の気持ちの持ちようの変化と、 ちょっとびっくりするような演出という見せ方だけで、この問題を乗り越えたかのように見せていて、正直肩すかしな感は否めません。インモラルが悪いというわけではなくて、なにも解決してないはずなのに、解決したかのように見せているだけだ、ということが根幹の問題として残るのです。

とはいえ若い劇団らしく、高いテンションのまま延々と続くコミカルな馬鹿馬鹿しさはこれだけの物量でがんばれば実に楽しくて。若いカップルを演じた藤尾姦太郎はまっすぐゆえに自閉に追い込まれる造形とバカ芝居のふれ幅の魅力。その彼女を演じた服部容子は肉感的で明るくて魅力的で惚れてしまいます。 すっかりブス扱いなのに性欲におぼれるという役を演じる鈴木アメリもしかし、やけにめがねキャラがかわいらしく。アラビア風衣装のバカ芝居を担う三人(石澤希代子、板倉武志、堀雄貴)は、物語には実際のところからまないけれど、めまぐるしい早変わりと高いテンションが維持し続けられていて、 まるで舞台装置の一部を担うように、場を作り出しています。

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【芝居】「映画」ワワフラミンゴ

2014.6.28 19:00  [CoRich]

佐藤佐吉演劇祭2014+ の中では唯一、二週末にわたる公演となる80分。同じキャスト、似たような話をやや配役を変えて二つ連続で上演という構成で「分身」を描きたいといいます。6日まで王子スタジオ1。

ぬれせんべいは美味しいよね、と話す三人は実は妖怪みたい。人の頭に手を置こうとすると滑ってしまってうまくいかない。テーブルクロスを売ろうとしている二人は店が入りづらいんじゃないかと相談してる。眉毛が太いかも心配。ジュースのお礼の札束は拾ったものだし、好きな男の子の話もしたい。 トイレには落書きされるし。
ビルの前にフクロウを見つけたり、私はどうして私なんだろうって思ったり、コヨーテが出てくる話なのに 人間のことしか覚えてない友達と話はかみあわないし、デブはデブ同士なんでつきあうんだろう。

例によって、時にさえずる少女のよう、時にもう少し大人の割り切った感じ、時になんかうまくいかなくてワガママになる感じだったり(すくなくとも私の考える)女子の姿、さまざまな点描。二つの物語は分身なのだといい、確かに同じような要素を人数を変えて表現したりはしているけれど、作家の中で何がどう起きているか、ということは相変わらず判りません。

「恋人にしてあげること」を羅列していくシーンががちょっと好きです。ポップコーン作ってあげたり、 お弁当つくってあげたりと普通のことも並べたりするけれど、「彼が好きなアイドルのことをちょっとだけ覚えてあげる」とか、ぐっとときます。

あるいは、ちょっとじゃれ合うように触られたときに、嫌そうに「触らないでょぉ」とくねくねさせるのも、物語としての意味はさっぱりわからないけれど、街のどこかにありそうな風景を切り取るようで楽しい。 あだ名はその人の今の現実を表しているけれど、願い事は本名に表される、なんてのも鋭いセリフ。こういう鋭さが時々見え隠れするのが彼女たちの凄さなのだなと思うのです。

名児耶ゆりの歌はちょっと凄い。けれど、著作権ゴロのアレを、というのはまあちょっとリスク高い気もします。すっかり劇団の顔である北村恵のちょっと拗ねる感じが圧巻で、なぜか脳みそが喜んでしまう アタシです。

時折見損ないながらも、ずっと観続けています。 例によってこの場の雰囲気楽しくて、頭のなかがぼんやりと嬉しい気持ちでぼんやりしちゃうのだけれど、正直にいえば、その会話で作り出される世界というか物語のようなものを感じ取りたいな、ということをここしばらく思ったりもします。 もしかしたら、このままではアタシが飽きてしまうのではないか、という危惧があります。ダンスに興味が持続できないのとちょっと似てるかもしれません。まあ、誰に何の危惧をしてるんだって話なのだけれど。

せめて何かの補助線、解説とまではいかないけれど、見方みたいなもの、どうとらえたら面白いか、何かのフレームで捉えることができるか、みたいなことを作家でも、作家じゃなくてもいいから誰か語ってくれないかなぁ、と思ったらアフタートーク設定回があったのか。見逃したのは残念無念。

観るとどうしても食べたくなるのがぬれせんべい、駅前の小藤屋に充実のラインナップ。

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【芝居】「へんてこレストラン」柿喰う客

2014.6.28 17:00 [CoRich]

柿喰う客の子供向けプロジェクトの第二弾は「注文の多い料理店」を4人の役者で演じる45分。29日まで北とぴあスカイホール。 低めに作った舞台。開場時間中は窓から景色が見えて楽しい感じ。舞台中央にはモノリスのような物体が。

4人構成でミニマルに。3人は二人の猟師と、犬&語り部的な役割に。リズムをふんだんにして、舞台奥からずんずんとせり出してくるリズムを繰り返します。洋館に入り、それぞれの扉をあけると何かの指令がある、ということを延々繰り返させます。そのうち、飽き飽きとしてその状況に対して文句を言う、というぼやき漫才のようなセリフを散りばめてコミカルな感じを挟みます。もう一人はメイド姿の女で、これはこの料理店の 店主を演じます。

音楽も音響もなし、天井は低く照明は幾つかスタンドで立てて設営。ミニマルにそぎ落として、 ほぼ役者の足踏みならす音だけで構成しています。 昨今の柿喰う客は、薄っぺらなセリフを数多く重ねていって厚みをつくる、という今までのやりかたから そぎ落とした表現を中心に据えるようになってきていて、これは今作でも変わりません。 いわゆる子供向けにもりだくさん、というよりはごくシンプルに仕上げています。

あらかさまにお色気メイドに造型した深谷由梨香にはもちろん目を奪われてしまうのはオヤジゆえにご容赦。猟犬と語り部を兼ねる葉丸あすかはくるくると変わる表情が可愛らしい。 前説から物語に導入する役割も担う永島敬三は、優しいお兄ちゃん、という造型もいいし、 中盤の汗だくもなんか可愛らしい。 相棒の猟師を演じた大村わたるはひげ面だけれど、これがまたいい表情。

こういう繰り返しが子供に対して効果的なのかどうかは、私の観た回の子供たちの反応ではいまいち判らず。終演後の恒例、の作演トークでは、場所によって子供たちの鋭い突っ込みがあったりするという ことも語られていました。もちろん彼らのこと、子供たちの反応に対してフィードバックは確実だと 思いますし、そういうことの楽しさを感じて欲しいなと思います。 一般3000円で、親子ペア3500円、二人目以降の子供は一人あたり500円という設定は、まあざっくりいえば 大人3000円で子供を500と考えていいと思うのですが、正直に云えば、子育て中の親子に対して、 この設定の金額を評価の定まらない45分のパフォーマンスに対して出せるか、というのは地域差はあるとは思うけれど、 かなり微妙な領域ではある気がします。もちろん行政の補助金というやりかたもあるけれど、それは 税金ですからそれをツッコむのが正しいのか、ということに対しては、わりと懐疑的なアタシですが 。

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【芝居】「ノット・アナザー・ティーンムービー」ナカゴー

2014.6.28 15:00 [CoRich]

北とぴあ カナリアホールで29日まで。80分。

久々に戻ってきたジェイクは山わさびの会社の息子で、母親と養子で妹になったキャシーと(なるほどキャリー)学園に戻ってきた。ジェイクが離れてから学校は荒れている。キャシーは同級生からいじめられるが、不思議な力が発動して、同級生たちは倒れる。 同級生の一人が、同じ同級生に食べられる、という事件が勃発する。かつてこの土地には、食人族と、心優しいぽよぽよ族とが居て、ぽよぽよ族の復活を願う狂信的な生き残りの反撃が始まろうとしている。

B級ハリウッド風にベタな造型の登場人物、ハイスクールを舞台にしてるというのもそれっぽい。登場人物キャシーを何度も「キャリー」と言い間違いさせて、映画「キャリー」の雰囲気、内気で虐められがちな女生徒が不思議な力を、というのを盛り込んで。かと思えば、ぬいぐるみのように作った男根であれやこれやのお色気というよりはやけに下品な見せ方をはさみつつ。

多くの役者を出しつつ、それこそやりたい放題にあれこれ大風呂敷を広げてもきっちり回収するのは見事。もっとも物語というよりは、役者のテンションだったり、数々の小道具(性器だったり、胴が真っ二つにされることだったりがいろんな意味で凄い)の馬鹿馬鹿しさだったりというもので80分疾走し続けるのです。

確かに大笑いするし、飽きることなく観続けられるのだけれど、どうしてもアタシの中では観たい劇団の優先順位としては低めになってしまう感じは正直否めません。が、たとえばCoRichの評価は結構高かったりもして、あれれ、アタシずれたか、と思ったり思わなかったり。

天井の低いシャンデリア付きの広間、という雰囲気の場所、中央に舞台をしつらえ、対面の客席。あきらかに演劇用ではないスペースだけれど、客席の片方のブロックの後方両側に出捌けを設定してスピーディーでめまぐるしいく役者を入れ替えて、テンポがいいのはさすがです。もっとも対面の客席のうち、出捌けを背にした側があからさまに正面というシーンが少なくなくて、その割には開場時点では奥が見やすいという案内をしたりするのは、今ひとつではあります。終盤に至り、それはまあどうでもよくなるわけですが。

篠原正明は、ハリウッドティーンムービーの典型的な主役像をかっちりと。これは本当に完成度が高くて、崩れないのがたいしたもの。小笠原結が演じる母親が陵辱されたりもするけれど、それとは関係なくやけに色っぽい大人な感じが魅力。佐々木幸子が演じたビッチな同級生の造型がほんとうにすさまじくて、迫力が目一杯。作演を兼ねる鎌田順也は、序盤ちょっとだけのカメオ的な出演だけれど、幼い喋りにちょっと怖い事いいそうな雰囲気もたしかにハリウッドっぽい。

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【芝居】「つぎとまります・初夏」肋骨蜜柑同好会

2014.6.28 13:00 [CoRich]

2012年にわずか一ヶ月で再演され、佐藤佐吉賞2012優秀脚本賞ノミネートという劇団の看板演目の3演。私は初見の劇団です。70分。29日までpit/北区域。

かけなくなった小説家は、日常から逃げようとして、気がついたらバス停に居た。バス停の前にはブルーシート。テーブルを出して、おもちゃの「流しそうめん機」で食べている女がいる。女は女優を名乗るが、演技の経験はないのだという。男は小説がかけなくなって逃げてきたという。

行き詰まったクリエーターの自問自答かという外枠を持ちながら、その内側にバス停前のホームレス風な女との延々な二人語り。何かを待っているのか待っていないのか、ここで遊び続けているというのは「ゴドーを待ちながら」な雰囲気で始まり、不条理の様相に。 小説家のように日常(繰り返す日常を流しそうめん機でぐるぐると廻るアヒルの人形にたとえるのが可笑しい)から逃げてきたとしても、その外側にはまた再帰的にフラクタルに同じような世界が広がっているのだ、だから逃げての無駄で「ここに居る」のだ、という語り口と読みました。が、それは消極的に「ここに居るしかない」のではなくて、ここには地蔵しか居ないけれど、私は女優として此処という舞台に立っているのだというしごく前向きな雰囲気に。

ゴドーに、独りでも立ち続けること、どこか再帰的な感じとなれば「朝日のような夕日をつれて」がどうしても思い浮かぶアタシです。ひとりでは耐えられないと認めながらも、独りで立ち続けるのだ、というどこか悲壮さすら感じさせる(しかしそのシーンが実に格好いいのだけど)見え方に対して、その独りで立ち続けているということを喋るのが女性だからなのか、今作の雰囲気はずっと柔らかで、軽快に感じるのは、今時の女性、という感じでもあります。

四角い舞台をの二辺に座席を持ち、バルコニーもある特殊な形状のpit/北区域です。観客の導線も通常とは異なって、入り口からすぐに下に降りる(通常は楽屋スペースになっているところと推測します)ようにしていて、その入り口から遠い側のブロックにすわったアタシは結果的にはあまりうまくありませんでした。音響ブースのある入り口に近い側の方があからさまに正面で、特に女優の右肩と脇をずっと観続ける(でも肩が出てる衣装で実に色っぽいのですが)ことになりました。もっとも終幕近く、女優が上のバルコニー席に上がるシーンの神々しさすら感じさせるシーンが観られるのはむしろこの席だったので痛し痒しではありますが。どうしてもこの向きにしか舞台が作れない、という感じでもないので、ちょっと残念。

「女優」がドレスと主張する衣装も近くでみれば、カーテンだったり、肩紐がビニール紐だったりと廃品利用をことさらに隠すことなく。そのわりには実に美しくていい感じではあるのだけれど、 ブルーシートにキャンプ用のテーブルとなれば、序盤で台詞にあるとおり、ホームレスか、ということになるのだけれど、それはあっさり通ってきてここに居るのだ、というわけでややミスリードな感じは否めませんが、これは大きな問題ではありません。

女を演じた田中渚は、声が印象的で可愛らしいのに、きっちり前向き。佐藤佐吉演劇祭期間中に王子小劇場裏に設営された「ひみつ基地」でうろうろしてたら終演後の私服姿、下駄にワンピースでまたこれが美しく、見とれてしまったとかなんとか。男を演じたフジタタイセイはどこか情けない感じだけれど、不条理なことに突っ込みを入れる感じが誰かに似ていると思ったら、元P.E.C.T.の中嶋比呂嗣だな、と思ったけれどどこがどう似てるか今ひとつ巧く表現できないのですが。

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2014.07.01

【芝居】「WILCO」ミナモザ

2014.6.27 19:30  [CoRich]

29日まで座・高円寺1。115分。

その男は、自衛隊をたった二年で除隊するという。ここでは戦争ができないので、ある程度スキルと体力をつけたら、フランスの外人部隊に入るのだとういう。が、そこもサラリーマンだと感じた男は米国の民間軍事会社でイラクという戦場に向かう。そこで医療ボランティアの日本人女性を助けるが、戦争は無くならないという男の考えと、なくせると考える女の距離は縮まらない。

作家が何かを世間よりも知っている、世間よりも進んだ考えをもっている、ということに立脚したつくりではありません。おそらくは世間よりはややモノを知らない作家が、新たに知ったことが物語の種になっています。そんなことも知らないのか、もっと考えてから作品にしろと切って捨てるのは簡単だし、 作家が理解出来ないこと、引っかかったことの思索を延々見せられるということに我慢が出来ないという向きがあることも理解できます。 物語というよりは、作家の思索をダダ漏れさせる、という体裁は 効率も悪いし、危なっかしいし、何より頭悪そうに見えてしまうというリスクもあります。

が、知らなかった、ということを開き直るでもなく、あくまで実直にまっすぐ向かい合おうというのは未熟ではあっても、作家の真摯さの現れととらえて、まるで丸裸でしかし立ち向かうような 立ち位置というかスタイルに 魅力を感じてしまうのです。そういう意味では原発事故を物見遊山で見に行く、という無茶苦茶な スタイルで顰蹙を買いがちだった「ホット・パーティクル」(1)と似た匂いを感じます。 作家自身がその名前で登場したホット・パーティクルほどではないにせよ、 ボランティアの女が愚直に諦めることなく「戦争は止められるのではないか」と問い続ける姿にしても、 久々に会った同級生と簡単にホテルに行ってしまうような女の面にしても、どこか作家・瀬戸山美咲 を感じさせます。もっとも後者はそういう性格はどうかはわからなくて、わりと露出の多い服だったり 体型の色っぽさのようなものからアタシが勝手に妄想してるだけなんですが(←怒られます)。

どうやったら戦争はなくせるのか、なくしたいと考えている女と、武器はかっこいいと思う本能なのだから、戦争は決してなくならない、と考える男との二人が対峙するシーンが好きです。いまさら感ハンパないし、きっと言い古され語り尽くされてきたことだけれど、格好悪くても、彼女が自分の脳味噌で汗をかいて考えているという描き方は、頭がよくてスタイリッシュで、結論まで全部正しいコトが見えちゃうという 作家よりもずっと信用してしまうアタシで、それは編集者という立場を挟まず、ドラマターグの支えを借りながらも基本的には作家一人の語り口である小劇場だからこそ観られるものの一つ、だと思うのです。 もっともそれも語り口の好みにあったからそう感じるということの否めませんが。

実戦を求めて外人部隊に入る男を演じた鍛治本大樹は、キャラメルでは見せない、なかなかどうして 逞しく、一途に考える男。軽口を叩くフランス軍兵士を演じた佐藤滋は、目一杯の肉体美と、 軽妙さでコミカルさを。 ボランティアの女を演じた佐藤みゆきは、ホットパーティクルに続き、この思索し迷う一個人という作家の姿をしっかり。コンビニの女を演じた川島佳帆里はずかずかと人の領域に踏み込む感じ、わからないを わからないとはっきり言う、しかに女を見せるキャラクタをしっかり。 自衛隊員を演じた山森大輔は序盤こそ軽いいじられ役でコミカルに徹するけれど、後半、イラクで 民間兵士と自衛隊員という立場での級友との再会のほんのひとときが実に静かでいい。

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