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2014.06.30

【芝居】「臭う女(黒)~におうひとノワール~」野の上

2014.6.22 18:00 [CoRich]

弘前劇場時代の若手公演を野の上名義で再演した2010年(1)作を、改訂再演。90分。 23日まで、こまばアゴラ劇場。

タバコ農家の庭先に集まる近所の主婦たち。それぞれの事情を抱えていてカネが必要となった女たちに声をかけて手伝ってもらっている。廃作勧告が増えタバコで生計を立てていくのも難しくなってきていて、彼女たちが密かに育てているのは大麻だった。売人が現れて、 役所に大麻栽培の正式な許可のとりかたを問い合わせしたヤツは誰だ、と詰め寄る。 元々は主宰の津軽弁を大きな武器とする劇団で、前回の上演では津軽地方のニンニク農家を舞台に子供が減り消滅を匂わせるコミュニティと、しかしその中で強く生きる女たち、あるいは中国からの留学生や農協との関係でがんじがらめになっている状況をこれでもか、と詰め込んだ一本でした。今作は舞台を作演の出身地である(津軽とは敵対する土地柄でもある)青森県南部地方を舞台に設定し、ニンニクからタバコ・大麻を作っている女たちという設定に変更。 実際のところ物語は大幅に変わっていて、大麻の栽培と密かに行う女たちの生活はそこそこに潤っていたり、あるいはその買い手のあからさまに裏社会の男が現れたり、果ては派手なガンアクションまであったりしてやけにハードボイルドでアバンギャルドな感じの仕上がりに。

南部にとって津軽を殊更にディスるというのも舞台設定の変更で現れた新たな効果。まあ、県の単位と昔からの生活圏文化圏の違いによるある種の仲悪さというのはたとえばこの前までアタシが暮らしていた長野県の長野市と松本市の関係みたいなもの。津軽大学の学生だというと敵対心をあらわにするのに秋田出身だというと急に仲間意識になってみたりという豹変が絶妙で面白い。

南部に限らないようですが青森を舞台にして、大麻を取り上げるというのもきっちり地方を描く要素の一つです。農作物の育たない寒冷地ゆえに綿花が栽培できないために繊維原料としての大麻栽培が 行われていた土地だったということを劇中で語る ことさらに社会派、という描き方ではないけれど、JTやJAと農家の関係やTPPに少しだけ言及する中盤。補助金漬けになってしまっていてがんじがらめになって抜け出せないというのは、「お母さん」と呼ばれる女が麻薬漬けになっていることに象徴的に投影されているように思います。 大麻栽培というまさに「劇薬」はそのJAの支配や、あるいは苦しい生活から一歩逃れ自立しよう、 という女たちの力強い姿、その売人との関係からも自由になろうという大麻栽培免許への 一歩が悲劇を生む、という悲しいがんじがらめな絶望。

という物語だと読み解くのだけれど、舞台は少なくとも中盤まではコミカルな印象が強い仕上がり。それぞれの生活の苦しさだって笑い飛ばしちゃうような女たちのチカラ強さを描くのに、南部弁という方言 が果たしている役割も多いと思います。

津軽弁で圧巻をみせてきた乗田夏子は南部弁で苦労したとはいいながら、実際の処県外の私にはどこがどう違うかはわからず、いつもどおりのパワフルを。おばちゃんたちを演じた藤本一喜も沼山真紀子も、それぞれの事情を背負った女たちをきっちり。前回の上演では中国人留学生だった三上晴佳は、不倫の果てに 出戻ってきた影のある女(だけど最年少)もまた新たな魅力。大学生を演じた赤刎千久子のぶりっぶりの造型だけれど、「意識の高い」若者っぽさな鼻につく造型がちょっと凄くて、翻弄されるけれど惚れちゃってる男を演じる高岡秀伍とのコントラストがいい。売人を演じた葛西大志は強面なのに実に人間っぽい感じが魅力的、山田百次は使いっ走りな体温の低い若者っぽさの説得力。

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2014.06.29

【芝居】「昭和十一年五月十八日の犯罪」鵺的

2014.6.22 14:30 [CoRich]

阿部定の事件を題材にした鵺的の「毒婦二景」と題した新作交互上演のBプロは、逮捕後の取調室でのワンシチュエーションで描く70分。23日まで、楽園。

定の逮捕は世間の耳目を集めて逮捕後の取り調べをする警察の前にも大勢の記者や野次馬が押し寄せる。本庁への移送が迫った日、取り調べは難航していて、どうして殺すに至ったかについて、刑事たちは腑に落ちない。
内務省から丁重に扱う指示が出て、それと前後して内務省からと名乗る役人が訪れる。

こちらも、仕上がりは喜劇です。取調室で行われたあれこれ。事件については、名前や待合い旅館の名前、あるいは資生堂で買い求めたカルモチンを30錠、あるいは殺す直前の「俺が眠る間、俺の首のまわりに腰紐を置いて、もう一度それで絞めてくれ、おまえが俺を絞め殺し始めるら、痛いから今度は止めてはいけない」というセリフ、あるいはその後に先生にあった、など 文献や史実(wikipedia)に基づいたものを置きながらも、一躍社会尾注目を集めるある種のスターの取り調べ現場で何が起こっていたか、ということは作家の想像力で作り上げたもの、と想像します。

作家が選びとったのは、二・二六事件(wikipedia)直後の不安定な世相、内務省が阿部定を利用して世間の耳目をそちらに逸らそうとした、という道でした。一部屋のワンシチュエーションで、外側で何が起きているかということを外挿するのは面白くてワクワクします。

そこにスパイスとして加えたのは、内務省を名乗る頭をおかしくした男の存在。あからさまに偉そうで、刑事たちも信じちゃうわりに、単に世間のスターに会いたいだけ、という無茶気持ちを、取調室まで入り込んでしまうという異物を加えることで圧巻の喜劇になるのです。演じたのは瀧川英次で、役人から単なる素人までの振り幅に加えて、頭おかしいわりに抑制が効いた、という造型がいい。

もう一つ、懐に持って手放さない局部を奪い取ろうと、刑事たちが定に襲いかかるシーンにははっとします。権力というか男が女に襲いかかる、ということ。今作での定は基本的には凛として強い女であり続けていますが、それだって、こうも羽交い締めにされ男が二人がかりで、という恐怖。それはAプロで語られた、15歳でで大学生に襲われたというおそらくは全ての出発点を象徴している、と感じます。 定を演じたハマカワフミエはずっと机の上に正座し続け、背筋をぴんと伸ばした姿が美しい。更に凄いのは、男たちに襲われてはぎ取られた着物を、5分程度できちんと自力で着付ける、という凄さ。着付けができるというだけではなくて、スピードが要求されるということはつまりある種の曲芸を隙無く。着付けた姿が正しいのか、美しくできているのか、ということは私は正直わからないけれど。

上役の刑事を演じた谷仲恵輔は内務省と名乗る男の存在に従うことも部下に対して威厳を持ち続けるということも、板挟みになる中間管理職の悲哀というか、その中でみせる余裕というか、カッコイイ。

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【芝居】「怪獣使いの娘たち」味わい堂々×バジリコFバジオ

2014.6.21 19:00  [CoRich]

その南の島は船乗りに発見されて、美しい名前が付けられた。それから年月が経ち、島には人間がウサギという怪物に変異する現象にみまわれていた。かつては教会もあったが、今は破壊されてしまっている。領主の妻もまたウサギになってしまったが、かつて養女たちに甘塩っぱい食べ物を作ってくれて養女たちはそれが忘れられない。
三人の養女を溺愛する領主はウサギを怖がる養女のためにウサギの殺戮を繰り返しているが、元は人間だったこともあり、革命組織がかくまっていて、領主の兄の蜂起を望んでいる。
ダークファンタジー風味の物語。凶悪なウサギに変異してしまうという奇妙な現象が襲う国。独裁者たる領主、彼が育てるイノセントなしかしワガママな養女たちが主軸で、でもその中で反逆者たちが身内から育っていたり、この島の出来事を語る謎の植物、あるいは人形のチカラ強さはもちろんバジリコの持ち味で最大限に。

それなのに、なのです面白そうな要素は山ほど詰め込まれているし、役者だって味わい堂々の三人を初めとしてテンションの高さもコミカルも絶妙だし、歌もいいのですが、物語として入ってこない惜しさ。夢さえ見られないがゆえにウサギにならずにすんだ(それも夢か、なのですが)一人生き残ってしまった独裁者の孤独。この終幕はわりといい味わいだとアタシは思うし、一人の男の脳内で起きていることが一つの国の大きな話だった、という落差が欲しかったということは理解出来るのですが、なんだろ、どこかバランスが悪いというかそこまでのあれこれで何かを語っているかのような思わせぶりが多すぎて脳みそが疲れちゃったというか。

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【芝居】「耳のトンネル」FUKAIPRODUCE羽衣

2014.6.21 14:00 [CoRich]

「妙ジカル」が人気の劇団の改訂再演。アタシは初見です。休憩を挟み3時間。伊丹のあと、22日まで吉祥寺シアター。

自称ミュージシャンの男が死んだ。喪主は同棲していた女で、彼女が男からベッドの横で聞かされたこれまでの生い立ちと歌を思い出す。
中学生の時は女子とはしゃべれなかったのにおっぱいには触りたくて、エレキギターを買ってもらって男友達ができて、ラジオドラマを作ることになり、同級生たちは恋人ができたり、夏休みの間に初体験をすませたり。大学生の時に同級生は世界を自転車で巡り、友達も恋人もできて。
好意を持っている女とラブホテルにはいって結婚を申し込み、しかし飲み屋の若い女に熱を上げて旅行にいったあげく離婚され、子供とも分かれてしまう。そのあと一緒に住むようになった女が喪主で。

わりと下世話な男女の話を基本に、一人の男の女遍歴、という体裁で物語は進みます。愛と云うよりはおっぱいにさわりたい、初体験したい、セックスしたいというのが原動力な動き方で、気持ちいいほどに下世話で統一した物語はたいしたもので、わりとそれが好きなあたしです。

曲はそれぞれに魅力的なのだけれど、童貞処女の若いカップルが、夕暮れの帰り道、というところから夏休みの留守番というタイミングがあって初体験に至る「ロストチェリー」がちょっといい味わい。金子岳憲の歌ってあまり聞かないけれど、もう熱唱ともいう感じで、それが巧くて、なんか沁みてきます。ポップさでは自転車旅行に出かけた男の「旅させろ!!旅させろ!」の高揚感もいい。

よく考えたらモテモテ男の恋愛遍歴という感じな訳で、鼻持ちならない感じになりかねないところなのだけれど、ミュージカル風味にしてあるからかアカラサマにスケベ押しでコミカルにしてあるからかそれほどイヤな感じでもありません。

小説家志望の男を働いて支える女、妊娠を知ると男が逃げ出してしまうという酷い話も、やけにコミカル ラブホテルでのさまざまな男女を描く「ラブホチャペル」のマンガのようなカップルたちがおもしろいし、歌った幸田尚子、澤田慎司のイケメン、美女なカップルがすごいし、きめっきめでかっこいい。

なにより、不倫旅行に出かける二人の物語と歌がいいのです。 男を何歳に設定したかわからないけれど、若い女への恋心、もう老いに入りつつある自分を自覚しつつ、でも彼女のことがとても好きで自分のものにしたい、というスケベ心全開の、しかしどこかまっすぐな「ちかちゃん、ちかちゃん」は、年齢の老いとか若い女へのほのかな恋心がというのが、アタシの年齢にとても沁みるのです。もっとも、モテは一致しないわけですが(泣)。若い恋人を演じた内田慈は、それはもう本当に魅力的で可愛らしい。

確かに葬儀で一つにまとめてはいるけれど、軸となる男の物語以外に、その友人や同棲相手を描くわき道も割と充実していて、キャストの魅力を楽しむという意味ではうれしい感じ。正直に云えば、物語のまとまりとしては正直イマイチでやや散漫な印象が残ります。ええ、もちろんおなかいっぱいに盛りだくさんなのはどれ一つ手抜かりがなくて、楽しめるのですが。もう一つ「屁phychedelic GUS」という曲があるけれど、"GAS"じゃないのかなぁ。

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【芝居】「解体されゆくアントニン・レーモンド建築 旧体育館の話」高校生と作るリーディング

2014.6.15 10:00 [公演情報]

2011年初演の趣向の公演、通称「Q体」を女子高校生たちのリーディングとして上演という企画。 90分。城崎国際アートセンター。

東京女子大の旧体育館の取り壊しをめぐる女子大生たちの物語、大学入学という解放された感じから就職や社会運動的に至る成長を描く物語だけれど、演じる彼女たちにとっては実は未来の話という外側の構図込みで面白い。 あからさまに「女子大生」な奔放さを、もっと若い彼女たちが白い衣装といういでたちでややイノセントな雰囲気をまとって演じるとちょっとギャップがあって、妙にドキドキしてしまう、というのはアタシがオジサンだからですかそうですか。

趣向の神奈川公演ではもの凄く広い舞台だったのに比べると、客席もごくごく小さな空間にぎゅっと集まった中でのミニマムな作り。むしろこの狭さが、場面を切り取るような印象になっていて、これはこれでうまく機能していると思います。外を走る列車の音が聞こえたりもしつつ窓を特に暗幕でふさぐようなことをせず、日の光が差し込む午前中の上演も意外なほど気にならず、むしろ爽やかな語り口に感じられます。

舞台をH字型に組み、中央の舞台を挟むように客席を対面で設定(参考)。ほとんどは壁際の椅子ですわったり立ったりという場所だけれど、いくつかの場面だけは中央の舞台で、という感じ。リーディングとはいいながら、役者も対面に座っており、位置は動かなくても視線の交差がある、というのは通常視線が行き来しないリーディングとはひと味違う印象になります。

現場での演出はごく短期間で行われたようですが、それまでの稽古の賜物か、あるいは高校生の瞬発力か、きっちりと濃密な空間に。もともとのQ体という題材に興味が持てるか、あるいは若い女性たちそれぞれの成長を群像として描いたもの、というのを楽しく観られるかによってずいぶん評価が変わりそうなところですが、アタシにとってはわりとど真ん中、楽しくみられる一本なのです。

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【芝居】「復活!ゴールド劇場特別公演 『松野井雅ひとり芝居〜万華鏡三景〜』」二本松企画

2014.6.14 23:30 [公演情報]

温泉地の真ん中にある20人も入れば半分は立ち見の元ストリップ小屋をそのまま使った企画公演。 元AV女優の松野井雅の一人芝居、作演出は赤澤ムックで。45分。 アタシの観た回は追加公演だけれど、このあとにもう一回24:30の追加公演。

潰れたストリップ小屋、掃除をしているおばちゃん。あるいは 一度踊ったことがある女、若い恋人が逢いに来た。 ストーカーのように出待ちしていたオジサン、刑期を終えたという手紙、店長と恋仲でもつれ、女が刺してしまったところに。そのオジサンが現れる。

蒼々たる劇作家が当日券に並んだりしてる、というのも壮観ですが、劇場に入ってみれば舞台は一畳半ぐらい、そこにぎゅっと、という見世物小屋的な楽しさ。ストリップ小屋にスマートボールの遊技場が鍵型に組み合わさるような小さな空間を見いだした時点で勝ちは決まったようなもので、果たして、劇作家大会においては市長賞を受賞。町の中にある隠れた「資産」を生かした企画が功を奏しています。

物語も役者もその場所、その雰囲気を存分に生かしています。温泉地、社員旅行かもしれない。家庭から離れた男の一夜の気持ち、というのを女優の外側に作りだします。若い可愛らしい女の子から、擦れた感じ、さらにはストーカーな中年男への感謝の気持ちに着地します。

松野井雅を拝見したのは初めて。目が大きくて、鋭い眼光、ちょっと気の強いストリップ嬢かと思うと、その印象から、おぼこな感じの少女だったり、掃除のおばちゃんの人生を積み重ねた厚みだったり、あるいは中年男に惚れられられた女の怖さに震える疲れたような感じから、秘めていることがある、というミステリアスまで、振り幅の魅力。あまりに舞台が小さいので、そこにこの存在感の役者は胃もたれするほどに強烈というのは痛し痒しだけれど、赤いカーテンの前で強い印象を残すのです。

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2014.06.27

【芝居】「乱歩の恋文~芝居小屋バージョン」てがみ座

2014.6.14 13:00 [CoRich]

アタシは初見です。15日まで出石永楽館。120分。14日は近畿最古の劇場のバックステージツアーも設定。

江戸川乱歩、いよいよ切羽詰まり原稿を落として姿を消す。妻は乱歩の足取りを追ううち、操り人形たちが大量に積まれた人形館浅草の人形館に足を踏み入れる。人形たちが動きだし、妻の思いでの出来事が繰り広げられる。妻の故郷の造船所勤務時代に知り合い、そのあとの手紙のやりとりの後、東京で兄弟が開いていた古本屋に転がり込み、結婚する。乱歩は海外の探偵小説に刺激を受けて本格推理小説を書き始めて出版されるが、世間の人気は怪奇性の高い通俗小説で評価されるようになる。連載の展開に苦しむようになり、姿を消してしまう。

江戸川乱歩の評伝、という骨格を持ちながらも、その外側に休筆し行方をくらませた乱歩を支え続けた妻がなかば白昼夢のように思い出したこれまで、という構造にしています。人形館の操り人形たちによって半ば怪奇めいて描き出される妻との出会い、結婚、小説の売れていく様、本格推理小説よりも世間が怪奇通俗小説に評価をしていくながれを描きます。元々は王子小劇場や世田谷パブリックシアターで上演された(未見)ものですが、出石永楽館という年月を経た空間を得て、時間という厚みを持つある種の怪しい空間をきっちりと作り出します。

人形館に紛れ込んだ妻が観たのは自分が経験してきたことの巻き戻しか。それを演じるのは人形たち、という体裁で、なるほど乱歩の怪奇モノっぽい感じ。演じる役者たちの手首や首、肩に糸(というよりはまあ、縮尺の都合でロープですが)というのは象徴的でちょっといいのです。

怪人二十面相という少年向きのいくつかの作品を除いて、 評伝としての乱歩もほとんど知らないアタシは、魅力的な役者たちによって演じられる評伝劇としても楽しめる一本にでもありました。今作の立ち位置は女性の立場からの、どこか連れないような描き方だけれど、それでも彼女が惹かれ、支え続けた乱歩という作家の人間くささも含めた魅力にあふれるのです。

もはや小劇場というよりはもう少し大きな商業演劇の香りすらする厚みのあるキャスト陣。 乱歩を演じた佐藤誓は、ついこの前までの別の本番のあとにこの芝居の凄さ。 ある種ワガママな作家というものの存在感。 それを支え、乱歩の失踪で人形館に紛れ込んでしまった妻を演じた石村みか、ときに力強く、しかし 一途に、あの恋文を支えに信じ続ける造型の厚み。 選んだ夫を全力で肯定する、というのは古い女の姿だけれど、 その妻の若き時代をやや素朴な造型で演じた福田温子を優しく見守る構図が実にいい。

劇作家大会2014豊岡大会ではワークショップや講演会に加えて多くの上演がされていますが、CoRichや劇団ホームページにこの公演を劇団自ら登録していたのはここだけだと思います。CoRichには劇作家協会が「劇作家大会」として登録はしていますが、それぞれのイベントは独立な公演なのだし、後々に残るデータベースとしてはそれぞれの公演で残したいところ。それは劇作家大会の事務局よりは劇団の領域だと思います。そういう意味でちゃんと自身の手によって公演登録がなされているてがみ座は、制作という観点でもしっかりしているな、と一歩秀でた印象です。

土曜日のイベントに設定された舞台芸術家のトークショー、バックステージツアー、大向こう体験は実に盛りだくさんに過ぎた印象。トークショーはここでなくても独立してどこかで聴きたいような美術から見た舞台の構図、というような話。大向こう体験は、体験というよりは大向こうとはなんぞや、ということと、この劇場で上演された歌舞伎の上映(にあわせて大向こうの体験、という手はずだったとは思いますが)だけになってしまった感じ。ワークショップ的なことを想像していたアタシはやや肩すかし。バックステージツアーは、若い館長(YouTube)の説明が実に小気味よく、しかもシャトルバス客の優先をお願いするなど、心配りがちゃんとしていて、もてなされた、という気持ちで心地いいのです。

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2014.06.26

【芝居】「コウノトリの温泉めぐり」世田谷シルク

2014.6.13 20:00 [CoRich] [YouTube]

劇作家大会の企画で、玄武洞公園の青龍洞での企画公演のひとつ。45分。13日のみ1ステージ。

行方のわからなくなった老いた父親を捜しに若い夫婦が訪れる。姿を現したのはコウノトリたちで、 父親の行方を教えるかわりに、近くの温泉の名前の由来を教えてほしいとせがむ。
父親は幼い頃、幼なじみの少女と山の上で待ち合わせる約束をしていたのに、そこにいかなかった。それを思い出したのだ、きっと。

日の入りからの時間の変化を借景にした「マジックアワー」のあとは、とっぷりと日もくれてからの開演となる一本。それまではずっとついていた照明を完全に消すことで訪れる静かな闇。岩場を巧くつかって、奥行きと出捌けをうまく構成。リズムやダンスをふんだんにとりいれながらも、世田谷シルクらしく、セリフのある芝居として見せてくれるのが魅力なのです。

闇に囲まれると、人間は小さいな、とか、怖いなということを感じるんだ、ということを再認識。夫婦は二人連れだけれど、やっぱり怖くて、ならばコウノトリと会話できれば怖くないんじゃないか、という物語の枠組みだと読みました。

コウノトリとの会話は、 城崎温泉の七つの外湯(一の湯、御所の湯、まんだら湯、さとの湯、柳湯、地蔵湯、鴻の湯)と、自分たちの父親について ですが、 温泉についてのそれぞれは、わりとくだらないものから、ああ、物語があるんだな、と感じるものまでさまざま。アタシは柳湯と地蔵湯と、あとはさとの湯の足湯だけしか経験出来なかったけれど、 風情のある川沿いに柳、という場所。 作家は、この場所の物語、ということをしっかり作ろうとしていて、なるほど早送りの観光案内みたいな感じで楽しくて。このやり方なら、昼間に温泉界隈を役者たちが練り歩いてそれぞれの外湯の前で5分ぐらいの小芝居を打つ、というやり方も出来そうです。

今作は池の向こう側の岩場を舞台にしてるので、正直に云えばちょっと遠いのですが、遠景にみえるさまざまな人々というのは夜にむけて気持ちが落ち着くように感じました。見慣れた役者はいくつかのシーンでしっかりと確認出来ます。 前園あかり は可愛らしく、ちょっとコミカルという印象(あれ、他の芝居と混じっちゃったかもしれない) 小林真梨恵は、立ち姿の美しさが印象的です。

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2014.06.24

【芝居】「恋のマジック・アワー〜僕のママは食人鬼〜」《谷賢一×山崎彬》企画

2014.6.13 19:30 [公演情報] [YouTube]

玄武洞公園にある青龍洞という大きな玄武岩の岩壁とその前にある池を舞台に設定した企画公演。劇作家大会 2014豊岡大会の目玉企画の一つでもあります。13日の一回限り。45分。

大きな洞窟に少女が訪れる。野球を志していた兄の行方がわからず、ここにいると探しにきたのだ。この洞窟には鬼がすんでいて、洞窟で命を落とした人間を食らって生きている。鬼の子供はその少女に恋をしてしまうが、自分の正体を打ち明けることができない。

前の日は豪雨だったそうで、ゲネすらできなかったようですが、当日は小雨がぱらつきながらもなんとか上演。上演前に演出自らが着物姿で現れ、ちょっとおどけた感じで注意事項を伝えながら、虫除けスプレーをサービス。客席を和らげますし、何より特別なイベント感が盛り上がります。一杯ひっかけたいところではありますが、まあそこまでは無理か。(予定を詰め込みすぎて、用意する時間が無かったのが残念)

美しい岩肌と池ばかりでなく、日没後空の色がどんどん変わっていく「マジックアワー」を借景にしながら、淡く幼い恋心を核に描きます。 とはいえ、あからさまにアングラというかピエロっぽいメイクに 、大声で叫び、池にジャバジャバと入り、 焼き肉まで焼いてその匂いがほんのりしたり、 池川貴清のフォーク調の歌をたくさん交えてバカ芝居っぽく気楽な感じで、子供も大喜び、という感じでもあって、イベント演劇としてまったく正しいのです。

野球の挫折から男色のコーチについていって行方がわからなくなった 兄の行方を捜す少女、少女に恋する食人鬼、そのコンプレックスからそれを少女に伝えられないこと。 一つ一つが大仰なバカ芝居っぽい演じ方だけれど、兄を思う妹、兄の野球にかける思いの男色の コーチへの思いへの変節、あるいは少女にコンプレックスから告白できない感じだったり、 思春期の息子を想う父母だったりと、細やかな心を派手で大仰な芝居に載せて、というのも楽しく。 わりと最近ではストレートで重厚な芝居が増えてきた谷賢一ですが、時々みせる、いたずら心いっぱい のバカ芝居(1)もアタシはとても好きだったりするのです。 少女を演じた橋爪未萠里はきっちりと少女で物語の中心にあり続け、ほぼ出突っ張りだけれどどっしりと、堂々と。ミュージシャンである池川貴清はどうしても歌に比べるとセリフがへたれた感じになるけれど、気の弱い少年というキャラクタにはあってる感じもします。この芝居で頭に登場するので ほぼ出落ちみたいな扱いを受ける父親を演じた大原研二は、それに負けずにきっちり。 母親を演じた若林えりは気立ての優しい、しかし可愛らしい母親を。谷賢一・山崎彬のなんというか そのものずばりなホモっぽいきゃっきゃきゃっきゃ馬鹿騒ぎする感じはどこか可愛らしささえ 出てしまうのもなんか微笑ましい。

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2014.06.22

【芝居】「Butterfly」qui-co.

2014.6.13 16:00

7月の東京公演となる「紙の左手」[Corich] のワーク・イン・プログレスだけれど、それとはタイトルも役者も異なる別バージョン。13日の一回のみ。 120分、城崎国際アートセンター/ホール。

老舗の葬儀会社。派遣会社からのメンバーも混じっている。もうやめる男がずっと片思いしていた女と同じ現場に配置されて舞い上がっているが、その現場で、霊柩車の手配を忘れていることが判明する。時間を稼ぐために坊主の頭をスリッパで叩く、という無茶な指示で現場は混乱する。
一段落付いたかと思った夜、葬儀社の電話が鳴り続ける。男ばかりが次々と死んでいる。もうこれが最後かも知れないと考えた男たち女たち。

大きなホールで常設座席と舞台の間が広くあいているため、張り出すような形にいすを並べて。告知は公開稽古WIPとしてあったので、ここまでしっかり上演ということになると思わず、そういう意味ではうれしい誤算。

老舗の葬儀社の人々、香典泥棒とおぼしき人物が現れたり、手配の段取りがされておらず混乱だったり、その下地としての仕事場と淡い恋心、という種でものがたりは始まります。やがて、社員たちと派遣という立場の違いは少し度を超して、暴力が常態化している場に。キコはこういう暴力と男らしさみたいな話がことさらに強調される印象があって、正直にいって少々苦手な感じではあるのですが、今作においては、それは人物のパワーバランスとキャラクタ設定にすぎず、物語の中心ではありません。

この町にかつて戦時中に謎の研究施設がおかれていたことを匂わせ、カマキリの交尾の最中に雄は雌に食べられてしまうことが象徴的に語られる中盤から、物語は大きく違う方向に舵を切り、不穏さを増していきます。男ばかりの葬儀の依頼の電話が鳴り止まなくなり、(「繁忙期」という言葉をここに使うのがちょっとおもしろい。そりゃそうか、あるか、繁忙期)どうも何かわからない理由で、性交中の男ばかりがどんどん死んでいるということが明らかになります。いわゆる腹上死だと半笑いな感じだった社員たちが自分たちに次のセックスが人生最後になる、ということがわかってくる中盤のどきどきする感じ。

それがもう一段、性交に至らなけれ、欲情している女が死ぬ、という一ひねりがおもしろい。キスを象徴的に使うことができるのもマル。惹かれあう気持ちまでは持ったとしても、もう一歩距離を縮めて近づくか、というのが駆け引きのようでもあって、若いときの初めてキスする、はじめてする、という時の未知の体験を恐れながらもでも惚れてしまう感覚がよみがえるよう。それは終盤に至りどんどんと、ロマンティックさを増して、惹かれあう男女の物語に着地するのです。

正直にいうと、男の葬儀依頼ばかりということはいえて、それがみな性交中ということは示されても、セックスすれば必ず死ぬことの証明にはならないとか、途中で人類の希望のごとくいわれる、次の葬儀依頼が女ならば、望みはある、ということはいや、別に今回の異常事態とは別に女だって死ぬだろとか、あるいは性交で100%男が死ぬなら双子が生まれない限り人類破滅だろうとか、運命とか逃げ場のなさを補強しようとしている脇のものがたりが必ずしもうまく機能してないという感じがあってそれは惜しいところなんですが。

暴力の常態化した現場だけれど、追いつめられた男女のあがきにも似た、惹かれあう気持ちというのはちょっとぐっとくる感じで、キコの中ではいちばんおもしろかったな、という印象なのです。

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【芝居】「俺たちの劇 inspired by 屋根裏」ろりえ

2014.6.13 14:00  [CoRich]

劇作家大会の提携企画。15日まで、城崎国際アートセンター/スタジオ5、120分。

久々に会う劇団の人々が懐かしい居酒屋に集まる。店員もあの時のままだ。かならずしもみな芝居で暮らしているわけではなくなってる。劇団を続けてきた主宰の女は姿を見せない。東京を離れて地元に戻ろうとしている。
田舎の高校生、ここで暮らしているけれど、同級生の女の子はキラキラしている東京に憬れている。

燐光群の名作、「屋根裏」(1)にインスパイアされたのだといいます。舞台奥にその「屋根裏」をかたどったランプはあるものの、どこがどう屋根裏インスパイアなのかは正直わかりません。星空の星座のように屋根裏の形に、といえば云えるかも知れません。

劇団があって、それぞれの人々が居てものすごく盛り上がった時代もあったけれど、それぞれの歩む道が変わってきていること、とりわけ熱心に制作の立場で支えてきた女が東京を離れて地元に戻ろうという気持ちに変化したということが物語のベースのひとつ。久しぶりに集まった人々、そこの場のなにもかもがなつかしく、あのころこれがあったあれがあったということを語る会話の楽しさ。役者が売れてみたり、別の道だったり。それぞれが解散していくちょっともの悲しい感じ。

もう一つの物語は田舎の高校生、東京にはキラキラがあり、田舎は好きになれない女子の姿。

二人が居合わせる、列車の中。銀河鉄道の夜風味ではあるけれど、二人に強いつながりがあるわけでもなく、あるいは東京と地方という場所と時間の違いを生かして同一人物に重ねるということでもなく、出会ってそして別れます。

劇団の方のパートは、作家の周囲50cmで起きる出来事を描くという意味で小劇場でよくある話で、それぞれの役者のキャラクタは面白いものの、物語としてそう大きな事が起きるわけではありません。高校生のパートも、そういう意味では物語があるわけではなく。

田舎の高校生パートで、非関西圏のアタシにすらわかるニセモノの関西弁を、関西のこの場所でやるということの意味がよくわからないのです。意図的に戯画的な描き方といえばそうかもしれないけれど、どちらかというと敬意がなく感じて、不快感が先に立つ私です。せめて物語の上で何かの効果なり、敬意なりが欲しい。東京なら何でもない芝居の一つとして切り捨てればすむものですが、劇作家大会という場所で、関西圏の(たしかに)田舎のこの場所でこれを上演するということの意図が分からないのです。

地方から見た東京のキラキラと、その後のやや夢破れて地元に戻る、という対比、それを銀河鉄道の車内で交差させる、という構図はちょっと面白いだけに、不快に感じてしまう作り方が残念。

役者それぞれの魅力。尾倉ケントの盛り上げる感じだったり、中村梨那の中国人店員だったり、制作を演じた片岡ちひろの凛とした感じだったり、主宰を演じた渡辺実希の美しさだったり。なにより東京に憬れる高校生を演じた南美櫻、わりとテンションの高い役が多い役者ですが、それを封印してきちんと芝居であって、印象に残る役者なのです。

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2014.06.20

【芝居】「人の気も知らないで」iaku

2014.6.13 12:00 [CoRich]

東京ではやらない、という全国ツアーの幕開けは、劇作家大会2014のプログラムとして。60分。 15日まで、カフェ木もれび(城崎温泉)。そのあと、福岡、熊本、仙台、札幌、京都、三重。

休日、カフェにあつまる三人の女。ミニコミ誌をつくる小さな会社の女三人が、職場結婚を果たす同僚の結婚式の余興を相談するために打ち合わせることにした。うち二人は打ち合わせの前に交通事故で入院した同僚の見舞いに行ったが、予想以上に悪い状況になっていることに動揺している。入院している女は営業でその仕事を肩代わりしているのが、遅れてやってきた三人目の女で、週末もろくに休めないほどの忙しさはついつい、入院している女に対する愚痴になってしまう。

適齢期の女三人の会話劇ときけばアタシの大好物ですが、それを抜きにしても、徐々に示されるそれぞれの関係、という会話劇の王道。実にワクワクするのです。

舞台設定こそ、結婚式の余興の相談をする休日の午後というややのんびりした感じ。入院を見舞った直後のショックの余韻を引きずりつつも、午後のひととき、女性の関西弁のリズムも気持ちよく。無駄に思えることも、あるいは乗りつっこみを交えつつという形でここまで濃密に会話するのは嘘っぽいと感じる向きもありましょうが、アタシの関西育ちの友人は、女性の会話としてこれは自然な感じなのだといいます。なるほど。女性だからなのか、関西だからなのかはわからないけれども、 題材はともかく、こういう会話のリズムや気持ちよさに憬れすら感じるアタシです。

事故に遭い入院した同僚は登場しないけれど、彼女を軸に。その仕事を引き継いで休みもろくにとれない営業職、その同期の事務職、おなじ事務職で入院している女にショックを受けている後輩という三人。忙しさのあまりついつい口を突いて出てしまう悪口めいた愚痴をきかされるこっちの身にもという気持ち、あるいはショックを受けている自分に比べるとやけに薄い反応の相手に突っかかる気持ち、同じ事象に対して感じることのギャップを生み出すということが物語の真骨頂。三人の持っている情報を小出しにみせていく、いわゆる「情報開示のタイミング」が実に緻密で、会話の中での優位不利だったり、あるいは見ているアタシの中での登場人物たちに対して酷いと思うか同情できると感じるかという力関係がくるくると変わる中盤の応酬が圧巻です。

ネタバレかも

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【芝居】「定や、定」鵺的 (毒婦二景・A)

2014.6.12 19:30 [CoRich]

阿部定を巡る新作を二編交互上演する企画公演の一本。75分。23日まで「楽園」。

世間を騒がせた阿部定、その親戚の男が語る本当の定の姿。子供のころに学生に乱暴され不良となり親が頼んできたのは、腕の傷で立ちゆかなくなって女衒をしていた親戚の男のところだった。あちこちの店を転々とし、接するうちに、定に惚れてしまう男だが、定はつれない。それどころか、惚れるということがどういうことなのかさっぱりわからないのだというが、あるきっかけで出会った男に心底惚れてしまう。が、それは情交中の絞殺、陰部を切り取って逃走したというセンセーショナルな事件となる。世間の好奇の目は容赦がないが、殺した男のことをひどくいうことだけはどうしても許せない。

今企画を含めて、好いた男を殺すばかりか陰部を切り取り逃走するというセンセーショナルさゆえに世間の関心と興味を引きがちなテーマでの企画。当日パンフによれば、作家はそれをあっけらかんと明るい喜劇のように描くことにしたようで、Aバージョンとなる今作は、定と、その親戚の女衒の男というほぼ二人の姿から、定の一生をコンパクトに描きます。

不良ぶってはいたが若い娘は実はまだウブ、女衒の一通りの手ほどきを受けて女郎になり人気に。その娘にぞっこんになってしまったのは客ばかりではなく、当の女衒で、しかも妻と一緒に娘同様にかわいがりながらも女として心底ほしくなってしまっているというのが面白い。

女が身体を重ねることは抵抗がないどころか好きなのに、恋愛とか愛するということがずっとわからなかったのに、恋する相手ができた、と喜ぶシーンが好きです。もういい歳になっているはずなのに、少女のように無邪気に可愛らしくて本当に愛らしい。

こういう内容なのだけれど、基本的に情交のシーンは最後の一つを除いて注意深くそぎ落としています。最後の一つにしても、芝居の一シーンとして棒読みではじめ、迫真の声がでる段階では影絵で表現して、記号として置いているという感じで、抽象度を保ちながらというのが巧い。

定を演じた岡田あがさは、跳ねっ返り、すれっからしから少女のような可憐さ、果ては情欲あふれる熟した女、あるいはコミカルまで振り幅がとにかくすごい。きっちりと和装がきりりと美しく、しかも押し倒されたり馬乗りになったりと大暴れなのに乱れないというのがすごい。役者の演技の技術なのか、着付けの技術(詩森ろば)なのかはわからないけれど。女衒を演じ寺十吾は、 女に対して上手であった序盤の強気な感じから、一方的に惚れ込んでしまったときのちょっと情けないコミカルな造型、声の魅力と相まって喜劇としての下地をしっかり。

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【芝居】「忠臣蔵・OL編」(B) 青年団(平田オリザ演劇展vol.4)

2014.6.8 18:30 [CoRich] 15日までの企画公演。60分。

人気シリーズのレジェンドな一本。AB二つのキャストで上演されていますが、ベテランを配しやや年齢高めのBキャスト。OL編とはいいながら、制服のある内勤ばかりではなく外回りを思わせるスーツ姿が居たりと、まあ女子社員編という様相。もっとも、みな正社員という感じなのは、社食があるような規模の今時の日本の会社としちゃ珍しいかんじではあります。

とはいえ、びっくりするほど何度観ても印象がかわらず、直前に観た武士編に対しても台詞そのものはあまり変えていないということに改めて驚きます。武士なら知ってる前提で簡単な注釈ですんだところを、もうすこし今っぽい注釈を加えた結果、やや長くなったのがOL編という印象があります。

男ばかりの武士編は、おそらく忠臣蔵の昔から日本人の意志決定はこういうもんだったのだろうなぁと思わせるある種の伝統すら感じさせる雰囲気だったのだけれど、女性ばかりのOL編でも違和感なくはまってしまう、というのは、意志決定のありかた、というものが日本人なら誰でも同じような感じ、という仮説に基づいて作っているのだろうなと思うのです。自分たちの親分とか自分たちの組織がある、という前提が必要ですからある程度場面は限られましょうが、まだまだいろんなバリエーションができそうです。せりふはいじらず、それぞれの劇団がやる「劇団編」も余興としては楽しそう。

可愛い顔してやけにつっこみの鋭い井上三奈子の切れっ切れな感じが心地いい。バリバリなキャリアな感じで髪だってビシッと決めた小瀧万梨子がやけに色っぽく、一言発するたびにへなへなとなってしまうあたしです。この中では親分なポジションの山村崇子は調整型というよりは、話を聞いてすぱっと方針を見つけ、それを諭すように伝えるという感じがあって、なんかアタシの感じる理想的な上司像が透けてみえる感じ。

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【芝居】『忠臣蔵・武士編』青年団(平田オリザ演劇展vol.4)

2014.6.8 16:00 [CoRich]

日本人の意思決定プロセスを戯画的に描いてる人気シリーズ。15日まで、駒場アゴラ劇場。55分。

殿が松の廊下で人情刃傷に及んだ直後の赤穂藩城内で行われたかもしれない、藩士たちの意志決定のプロセスを描いた爆笑編。OLや高校野球と、およそ武士とは関係ない場にむりやり赤穂藩の物語という設定の面白さに加えて、意志決定もその意志決定の責任の所在のあいまいさを描いて人気のシリーズ。一回りして武士編ならふつうの忠臣蔵じゃないか、という気もしますが、意志決定のぼんやりした感じはシリーズそのままに、タブレットもってたりずいぶんと現代的というよりはどこかのバイト先とか会社な感じで、OLや高校野球というある種のノイズ(これはこれで魅力的なんだけど)をなくすことで、意志決定の面白さだけが際だつようになっていて、みやすく、そしてきっちり爆笑も取るのです。

初の武士編とはいいながら、どこかで観た気がすると思ったら、青年団ではない新国立劇場2001年の公演や、文学座での上演がこれでした。もっとも、もっとちゃんと武士な感じの作られ方で、ここまで崩した感じではなかったわけですが、どうやっても物語の根幹の面白さのおかげでおなじように面白い一本になるのです。

今時の感じならば、会社が突然無くなっちゃうような感じ。おそらくは幹部クラスの人々で、最終的な意志決定に至る前のゆるやかな方針決めというシチュエーション。最近近いシチュエーションを経験(だけど幹部じゃないから、意志決定には参加してないけれど)したアタシには、この先どうやって生きていくかの選択肢を並べていく感じは、スリリングで、しかしやけに今までよりも心に深く突き刺さるようで、よりリアリティをもって感じられる一本なのです。

大塚洋の、人の意見を聞いてまとめあげる、良くも悪くも日本のリーダー像が、まさにそのままな感じで面白い。島田曜蔵のパワフルなコミカルは相変わらずこれも楽しい。

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2014.06.17

【芝居】「言うなればゲシュタルト崩壊」MCR

2014.6.7 19:00 [CoRich]

8日まで駅前劇場。1h35。

男は、恋人のことは好きだが、一番だ、ということがわからなくなり、それを正直に伝えると恋人は心底混乱する。
その男が勤め先の新人バイトは、いままで怖いと思ったことがなくて、それは想像するということができないからだという。職場のアイドル的な女のことをスケベだと言い切る。

物語の核となるのは、恋人の二人。 好きだということはわかるが、好きすぎて、あるいはずっと考えすぎてその理由とか、好きがどういうことかとかという理由がわからなくなる瞬間をゲシュタルト崩壊になぞります。それが不安になる自分大好きな女とのあれこれ。恋人同士は特別な存在であるという、おそらく誰もが信じて疑わない一点が揺るぐということの着想の面白さ。わからなくなる男はあくまでも恋人に対して真摯に向き合い、自分はそれを特別な存在であることが考えすぎてわからなくなるし、それを聞かされた恋人の不安は、微妙にずれていて、愛されていないかもしれない、たまたま選ばれただけで、常にえらびとられるわけではないかもしれないという不安は、自分の身を、気持ちという点でどう守るかという点に向かうのもまた、実に丁寧な描き方で人物を造型するのです。

この核の物語、手を変え品を変え、笑いも起こしつつ描くけれど、じっさいのところ、ずっと同じことを描いているという感じ。もやもやとよくわからない核心は直接描けなくて、うろうろと周囲からいろんな角度で描くという感じですが、作家に何かあったのだろうか、なんて考えてしまう感じでもあるし、それを鬱々と考えることがゲシュタルト崩壊を起こす感じでもあって面白いのです。

その不安を、「ほかの人々とすべてがフラットになった並べられた時に、一粒の砂のように自分を選び取ってくれる、私のストロングポイント」を知ればその不安が解消されるという女のロジックを茶化すように描くけれど、ワタシにはそれが作家が女を可愛らしく感じてやまない、という描き方に感じられれて面白い。男を演じた西山聡はあくまで真面目に大汗かいてという人物をきっちり。女を演じた金沢涼恵はしかし自分のことに精一杯なある種の幼さをどこまでも可愛らしくきっちりと。 このワンテーマでは少々不安になったのかどうか、職場の人々の物語だったり、元のバンドの仲間たちとを描くのだけれど、正直にいえば、前者は核となる物語に対してあまりに繋がりが薄くて、そういう人々がいる、という人物スケッチのショーケースという感じ。 後者は男の自分探しな素性を補強はするものの、あまり効果的ではない感じでもあるのが惜しいのです。

もちろん面白くないということではなくて、人々をみて描く鋭さ、あるいはある種の優しさのようなものが隅々まで行き届いた人物造型は作家のまさに「ストロングポイント」で、それを繊細にしかし爆笑を伴いながら作り上げる芸達者な役者たちのガチンコ勝負っぽくもあって楽しいのです。 想像することができないから、怖いという感情がわからない男を演じた熊野善啓の平板なのにちゃんと生きてる人間を描くことだったり、 職場のアイドルのはずなのに、スケベな本性が徐々に見え隠れする女を演じた後藤飛鳥のぞくっとするような色気、終幕の一言なんか絶品で。手相を見る女を演じたザンヨウコは、ちやほやされる若い女ではなくて、まあオバサンの領域に足を踏み入れるけれど、どこかチャーミングで人好きで、という積み重ねるものの味わいを繊細に。なかなかできるものではありません。

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【芝居】「妻らない極道たち」ホチキス

2014.6.7 14:00 [CoRich]

ホチキスの新作。10日まで吉祥寺シアター。120分。

先代が亡くなり妻が組長を継いだ任侠。先代が殺されそうになっていた女を助け出し、懇意にしているスナックにかくまったことから夫婦になり、先代が亡き後、困ってる人は放っておけない任侠の志を受け継いでいるが、組員はじり貧だし、対抗する組も伸してきている。
一周忌の日、そのスナックに集まる面々だが、この店が借金のカタに失われそうになると知り、インテリ組員は名前だけの団体を作り助成金をせしめることを提案するが、組長は「結婚相談所」を開くことを決める。縁遠い女が訪ねて来たがその日のうちに恋人ができるなど、評判になる。
外国語スクールの講師の女は、熱心に通う生徒の男の優しい言葉に大金をだまし取られてしまう。その女が登録された結婚相談所のデータを観た組員のアニキは一目惚れをするが、自分が任侠であることを言い出せず、それがばれてしまうと女の元を去る。
だまし取った男は結婚詐欺の常習で、結婚相談所を訪れ、これまで金持ちに囲われてばかりだった気位の高い女に紹介され、再び女から金をだまし取る。女は権藤組に対抗する暴力団の組長の愛人で、組の金に手を着けたのだった。ほどなくして詐欺師の男は捕らわれる。 外国語スクールの女は結婚相談所で相談をして、任侠の男を受け入れることを決める。 だました男とはいえ、命は救わなくてはいけないと考える任侠たちは、男を救うために、戦争になるのを覚悟で戦いを挑もうとするが、スナックは警官が取り囲み身動きがとれない。大切な人を守るために、組長は箒を手にする。

大きな劇場でも見劣りしないエンタメ路線。お芸術にいったりしないでひたすらわかりやすく、エンタメな路線を歩む彼ら。小劇場の領域でいわゆる評論家や好事家の評価は得づらい路線だし、この路線はそれこそやれそうでそう巧く水準を保てる劇団はじっさい、そう多くはありません。芸達者な役者たちときっちり挑戦を続ける作演が揃ってきちんと水準を保っている、というのはそれだけでたいしたもの。

ギャグを沢山おりまぜながらも、基本になるのは人を好きと思う気持ちだったり、あるいは人を助けることを喜びと感じる気持ちだったり。そういうある種の前向きが根底にあるから、どこか暖かい気持ちになるしエンタメとして気持ちよく仕上がると思うのです。

ミュージカルっぽく、いくつもの歌。どこか耳覚えのある感じを残しながらも基本的にはオリジナル曲で通したのはたいしたもの。著作権ゴロの大ヒット映画のタイトルをタイムリーにもじっ って「アナウンサーと雪の情報」と取り込んじゃうというのも巧い。

結婚、ということの女性の立場として「私はつまらない妻になる」ということを歌い上げるというのもちょっと凄い。そういう側面が今でもある、ということを女性自身がきちんと自覚する、という ことは(物語で語られるわけでは無いけれど)それを自覚して、その一歩先に進む女たちの姿を 作家が胸に秘めた上で物語を描いている、という感じがします。ギャグに隠れがちだけれど、そういう しっかりと、優しい視線があるのが作家の持ち味という気がします。これを甘口に過ぎると捉える向きも ありましょうが。

看板、小玉久仁子は濃いキャラだけれど心優しいヤクザの親分、しかも先代の妻という女性の側面を併せ持つというかならい無茶なオーダーを何の不安もなく。まさかの猫役、しかしワンシーンだけ実に格好いい男を演じた加藤敦はいや、ほんとにカッコイイ。結婚詐欺の男を演じた齋藤陽介あからさまにヒールで 救いようがないけれど、ころりと騙されちゃうある種の可愛さに説得力。 細野今日子・村上誠基を林家パー子・ペー風に仕立てるのは巧いくて、特に序盤、こういう場所に人が集まるということの暖かさの説得力。

それにしても、何もか万事休す、もう打つ手無し、という追い込まれる状況なら、もう箒で宙に浮くしかない、というのはファンタジーの王道で、気持ちがいいのです。

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2014.06.09

【芝居】「ウォーターバック」ぬいぐるみハンター

2014.6.1 16:30 [CoRich]

120分。千穐楽は15分ほど押しての開演。1日まで吉祥寺シアター。

サバンナ。野生動物たちは少なくなっていて、人間たちが暮らしているが、圧倒的な権力を持つキングは頂点に、まるで野生動物のピラミッドのように強弱のついた民族たちが暮らしている。かつての反乱を経て、キングはこのサバンナでの音楽を禁じている。
ある日、東の島国から旅人の女二人がキングを探してサバンナを訪れるが音楽のことを口にしてキングの命を受けたハイエナ族に追われる。かくまわれたウォーターバック族の村にハイエナ族の追っ手がやってきて小さい子供はキングの元にさらわれてしまう。ウォーターバック族の女・ミーアの母親はこの村を裏切ったという声を浴びせる者もいて、ミーアは外の世界を見るためにサバンナを出る。ミーアの姉の結婚式までに連れ戻すため、幼なじみも後を追う。ミーアは サバンナでは目にしたことのなかった海にたどりつき、ギターを抱えた女、そして音楽と出会う。音楽を持ち帰った村では、結婚式が盛大に執り行われる。 前回作品からサバンナの野生動物をモチーフにした芝居になっている、ぬいハン。大きなタッパに深い奥行きの吉祥寺シアターに対して彼らは人数と物語の物量という方法で。

子供たちの成長、裏切った母親、禁じられた音楽などの物語の物量や、多くの役者、あるいは野生動物を模した人々の造型が消化し切れていないという感じがして、やや混乱したままに本番を迎えているという印象を残します。物語の骨子や雰囲気は面白くなりそうな予感もありますから、研ぎ澄まされた一本を見たいなとも思うのです。

序盤や結婚式での人数を生かしたダンスは、吉祥寺シアターの舞台の広さもあいまって祝祭感も迫力もあってみていて楽しい。 思春期なんだぞとか何とかいいながら、照れ合う男女のシーンが好きです。どちらかというとこれまでのぬいぐるみハンターの得意技ですから、そいういう意味では安心感があるということかもしれません。あるいは細かく入れたギャグ、唐突に現れるカレーを探し回る男とか、飼っているルンバという設定なのにタミヤのマークの付いたTシャツを着た男のラジコン操作が見切れるとかといったあたりもかならずしも上手くはまってない惜しさはあるものの、なんかやけに好きだったりします。

一色洋平の卓越した身体能力は、今作の見所の一つです。この広い劇場を飛び回り跳ね回る疾走感やジャンプするイキオイが見ていて楽しい。正直に云えばこのテンションに対抗しうる役者が座組に居たらまた一つ面白さが増すだろうな、と思ったりもします。富山恵理子はやや低いテンションだけれどちゃんと笑いを取る安定感、若い座組の中にあってわりと年齢の高い辻修も遜色なく、昔のママにややオフビートなコミカルさがさすが。道化を演じた浅見臣樹もやや低いテンションでツッコむ面白さ。どちらかというと可愛さが先に立ち、テンションとかコミカルという点では物足りなさの残る水木桜子の旅のシーンをきっちりサポートします。

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2014.06.07

【芝居】「proof(プルーフ)-証明-」風琴工房

2013.5.31 19:00 [CoRich]

1日までSHIBAURA HOUSE 5階。ほぼ2時間ですが、アタシの回はやや客入れに手間取って、15分押しでした。 ( 1, 2, 3, 4, 5)

これまで観てきたのはすべてコロブチカ版以外は谷賢一翻訳版で、演出も彼の手によるものでした。新たな翻訳、新たな演出でみるというのはスリリングででした。

風琴工房が見つけてくる上演場所の「ロケハン」能力の高さには何時も驚かされます。ここもその例に漏れません。 10階相当のガラス張りの高さ、夕暮れから日が暮れていく時間とともに進む物語。昼公演では、最初にカーテンを閉めておいて夜のシーンが終わったところでカーテンを開いているようで、それはそれで新鮮で華やかな感じがたのしそう。対して夜公演では、暮れなずみ変化していく夜景を背景という楽しさ。正直に云えば、この風景は舞台となっているシカゴというよりは妹が忌み嫌い姉が住むニューヨークじゃないか、と思わないことはないけれど。 借景の面白さなら、たとえば湖畔の別荘とか飲食店のデッキで演じられるのもみたいなと思ったりします。

戯曲の設定ではすべて家の裏側にあるバックポーチ、という場所なのだそう。風琴版ではそれに忠実で、ずっと外、という印象。 コロブチカ版ではブランコがあった記憶ですから、これも戯曲通り。 ダルカラ版では、外の部屋と家の中の部屋をめまぐるしく変わっている印象がここ数本では感じます。これも判ってないだけ、の可能性もありますが。

もうひとつ一日で観た二本の顕著な違いは、父と住み続けた妹・キャサリンの造型なのです。 風琴版は空が見える借景に登場するという場所の違いも大きいと思いますが、キャサリンはどこまでもフラットで、というよりはむしろ健康的な造型が強烈な印象を残します。なるほど終盤で、彼女は強いという台詞、あるいは男が大丈夫だよ、と云うという台詞に対しての説得力はこちらが増している印象。美しすぎなくて、髪が無造作な感じ(←失礼)もいいのです。

佐藤誓が演じた父親の造型もまた新たな印象。大人でやさしくて、力強くて。正直にいえば美しい数式を苦もなく生み出すというよりは、地道な積み重ねという印象が勝ります。 ペンがノック式じゃなくてキャップ式というのも新鮮な驚きでした。 若い男を演じた金丸慎太郎はどこか企みそうな感じで、私のハルの基準点に近い印象。 姉を演じた李千鶴は美しく、力強く。

バックポーチに戸棚を作って、役者に食器を持たせて通路を移動させないというのはいいアイディアで、スピーディーに場転できるように思います。 休憩無しの2時間強という時間ですが、特段に何かを削ったという印象では無く、かといって早口というわけでもないので、こういう細かな詰めも効いているのだろうなと思います。

私にとってのプルーフが、新たな軸を持って感じ受け取れた、という「多様さ」が得られたことがとても嬉しいし、この場所で上演されたこともあいまって、強烈な印象を残す一本となったのです。

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2014.06.04

【芝居】「プルーフ/証明」DULL-COLORED POP

2014.5.31 13:00 [CoRich]

安定のダルカラ版。宝塚、青年座、テレビ系の俳優という新たなキャストを得て、客層も変化しています。4日までサンモールスタジオ。150分。 ( 1, 2, 3, 4)

場面の転換に一つの役のストップモーションのシーンを挟んだり、ロックな曲をかけてみたりと、ポップさを演出しているものの、これまで見てきたプルーフが谷翻訳のものばかりで、ずっと見続けているアタシにはどちらかというと精度はあがっているものの、かつてのポップさよりは、重厚さだったり安定だったりを強く感じる仕上がり。それは大きな舞台の演出をすることも増えている演出家の変化やキャストの変化が素直に投影されているように感じます。それは成長を見守るような気持ちにもなるけれど、なんか寂しくなっちゃう気持ちが、どこか舞台を見守る父親の気持ちに勝手にシンクロしてしまう感じでもあります。

このあと夜に見た風琴工房版に比べると、ずっとアンダグラウンドな香り。それは劇場の違いということだけではありません。ダルカラ版では基本的にはキャサリンは発症はしてないものの、それに向かっているという印象の造型です。誕生日のシャンパンのラッパ飲み一つとっても呑んだくれだし、暴れるときだって、喧嘩売るときだって下目遣いから見上げるような(わかるかな..ヤンキーっぽい感じ、です(笑))感じで、やや斜に構えるという印象なのです。私にとっての基準点はダルカラ版ですからこれが普通なのですが。それでも全身で不満や思いや不安をぶつける感じは百花亜希らしくて好きなのです。

ダルカラ版であってもキャストによる印象の違いも感じます。山本匠馬はどこまでも素直ないい子、という印象で結果として、ノートを盗そうにないのが痛し痒し。 遠野あすかは、ほんとうに美しく凛として。クレアは数学ではなく金融アナリストという道を選んだという意味で俗物に近いという造型が多い気がしますが、そういう俗物っぽさが薄いのはやや残念。 大家仁志は、感情よりも理性とどこまでもジェントルであり続ける雰囲気。精神を病んでいるように見えづらいのが、惜しいと云えば惜しいけれど、娘に優しく、学問に対して真摯であり続けるという気高さがカッコイイなぁと思うのです。

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2014.06.01

【芝居】「2003」定時残業Z

2014.5.25 18:00 [CoRich]

2008年にNot in service名義で上演された作品(未見)の改訂再演のようです。120分。25日までシアターミラクル。初演当時は浪人中の鬱屈から描いた物語だそうで、男性版女性版があったようですが、今回は女性版のみの上演。

浪人専門の女子寮。勉強熱心な女、アニヲタでいじめられがちな女、彼女と同郷だがアニメ嫌いで夜のバイトに精を出す女、OLをやっている姉の干渉がウザいと思っている女は裏口入学を企ててネットで裏口入学の斡旋の噂を聞きつけてこの寮を選んだ。寮の管理人は不気味な雰囲気の男だが、大学に進学しようとしている娘が居る。借金を取り立てようとヤクザっぽい男が出入りしている。
裏口入学を企てている女は夜遊びがすぎるが、ある日、テレビ局のADから、CMオーディションの噂を聞きつける。4人一組の応募が条件で、寮の友人たちに頼み込んでオーディションに応募し、見事グランプリを獲得するが、ただそれだけで何も生活は変わらなかったが、アニヲタだった女は自分が可愛いということを積極的に言い出し、中学以来の友人を見下すようになる。アニオタ嫌いだった女は男に見事に振られてしまう。この大騒ぎでも見事大学合格した女の誕生日パーティーが企画されるが、成功を妬んだ女たちははめようとするがそれは失敗する。 浪人のための女子寮、おそらくは一年限りの同居生活だし、管理人の男はまたずいぶんと怪しい感じだし、借金取りも出入りしてて。きっちり勉強してたり、アニヲタだけれど自分は可愛いと思っていたり、男も居るリア充だったり、調子よく裏口入学して遊ぶことが目的だったりというバラバラな女たち。仲良くもないし、見えている世界だってバラバラで。CMオーディションでまあ頑張ってそれなりにまとまって結果を残したりもしたし、虐められてたアニヲタ女は自分の可愛さに自信持ったりもする。 それなのに連んで仲よさそうなのに陰口はたたくし、酔わせてエロ動画撮って貶めようとしたりと、 酷いもの。管理人だって憧れの予備校教師だって盗撮してたり、スーフリよろしくヤることしか考えてない男だったりとどこまでもゲスな人々。殺すことでそこから抜け出したかに見えた4人は仲良くなることもないけれどどこか同胞な感じの前に新たに現れる敵、なるほど後半は対戦ゲームよろしく戦い続ける 戦士たちの物語という様相すら。

浪人という鬱屈から生まれた妄想とイキオイの物語の骨子は荒削りではあっても盛りだくさんだし、いろいろ魅力的な登場人物たちもいます。反面、たとえば場のつなぎ方がもたつく感じがあるのは、DJでも活動する演出家なのに ちょっと意外な気がします。校正状態の書き込みをそのまま印刷したような体裁の当日パンフはちょっと面白い。

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