【芝居】「戦場のピクニック」&「Lady Macbeth」 身体の景色
2014.5.17 14:00 [CoRich]
去年上演された「戦場のピクニックフェスティバル」(未見)の再演と、来月の韓国公演を控えた新作を組み合わせて75分。トークショーの付いた回でしたが、次の予定のため拝見せず退出しました。 18日までd-倉庫。
戦場の息子を訪ねて両親が訪れる。ピクニックをしようというのだ。「戦場のピクニック」王になると囁かれた男は、妻にもそそのかされて、泊まっていた今の王を殺してしまう「Lady Macbeth」。
既存の物語を切り出して、どちらかというと身体表現や独自の見せ方に主体を置いて表現しようというこころみを続けているようです。そういう意味では山の手事情舎やくなうか、三条会につながる系譜。こういうやり方の場合、この舞台だけでは物語を完結させるのはなかなか難しくて、観客に元々知識がある前提というやりかたもありましょうが、当日パンフに元々のあらすじを載せているのはわかりやすくてたすかります。
「戦場〜」は、戦場に両親が訪ねてくるという不条理感いっぱいの物語。去年、この劇場でこの戯曲をいくつもの団体で上演するという試みがあったようで(アタシは未見)、その再演。この物語に対して、昭和の香り漂う両親と息子、親戚の甥っ子といった風情で。夏の一コマを切り取ったような動きをさせ、台詞はもとの戯曲のものをつかう方法で、西洋のピクニックを縁側がありそうな夏の風景に置き換えて「家族」を描き出そうとしています。
わりと違和感なくはめ込めてはいるものの、家族を軸にした置き換えて日常と地続きの戦争、という以上に戦場とか捕虜といった元々の戯曲の鍵となると演出が考えたものを何に置き換えているのかがいまひとつわからなくて、表表現を試みる、という以上の効果が見えてこないのが惜しい。とはいえ、私にとっては初体験の戯曲で、青年団「砂と兵隊」とちょっと似ていて元ネタっぽい感じなのがおもしろく。
序盤では父母に見立てた仮面に対して語りかける男からスタートするピンと張り詰めた空気。男を演じた岡野暢が緊張感をきっちりと。
表現の手強さという点では、「〜Macbeth」の方がアタシには手強い。マクベス夫人を強く企むものとして描く解釈まではなんとかついていけます。当日パンフは元々のシェイクスピアの1606年を使用テキストとしていますので、オリジナル、ということなのでしょうが、Lady Machbethやマクベス夫人という芝居も本も山のようにありますので、それに対してどのようにオリジナリティ、ということが勝負だと思うのです。
魔女とマクベス夫人を一人の役者にあてるところも表裏になっているようで新鮮です。外国人の女優(ペ・ミヒャン)をここに据えるということで、やや私たちの普通の感覚からは離れたもの、という異質感なのかな、と捉えました。が、ワンピース姿の女や従者たちなどいまひとつどうとらえていいかわからなかったりするというのはマクベスという物語に解釈も知識も思い入れもアタシには少なすぎるということなのかもしれません。
当日パンフによれば彼らのポイントは「身体の奥に眠る"記憶にない記憶"」という潜在意識を、テキストの世界に「入って」繋げていく、ということなのだそう。正直、まだまだアタシには物語を利用した記憶の混濁を楽しむ、というところまでは至れないのはちょっと残念。
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