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2014.03.07

【芝居】「ある冬の朝、Kは」タテヨコ企画

2014.3.2 15:00 [CoRich]

大学からの知り合いが40近くになってのあれこれ。コの字型の客席ですが、私がみたのは入り口から遠い側の角で、わりと正解だった気がします。9日まで雑遊。120分。

別居を決意したカップルの家、女が出て行く日に偶然訪れたのは大学のサークルの友達だった。彼は「キムラが死んだ」という。二人でこい、といわれて行くことに。
葬式で集まり、そのあともう一度会うことにする人々。大学近くの呑み屋の屋上、店で宴会しつつ、屋上でも呑んだりする人々。時間はずいぶん経っている。思い出すことも多いし、忘れてよかったこともある。
サークルの勧誘、映画描いたり、家とか屋上とかあちこちで呑んだり、喧嘩したり、冒険(気分)したりする。大学は街からは離れていて、ここの名物は3S、一つはスポーツ、一つはセックス、一つは諸説あるけれど。

学校の近くに娯楽はなくという大学のテニスサークルの何年かにわたる先輩後輩たちが過ごした部室、近くの御用達の居酒屋の屋上を中心に、引っ越し真っ最中の家の二階や居酒屋店内などを一つのやや八百屋(=斜めになった)舞台で、それをコの字型に客席が囲みます。舞台の設えは面白くて、鉄の棒がポールダンスのように立っていたり、マンホールのような丸い蓋がそこかしこにあったり。序盤の引っ越しのシーンの直後の企みも、ナマの舞台という感じで楽しい。

40歳も過ぎれば、死ぬヤツだって居るし、それで久々に集まって思いでも今のことも話したりもするようになる。別れもあるし、そこそこ成功してるヤツも居れば、 あるいは会社が無くなったりという、今のアタシにはまったくもって身近で切実な人々。大学生の時の友達というのは(まあ人によっても違うでしょうが)殆ど会わなくたって、きっと再会すればあの頃のことがぶわっと蘇って、でも確実に年齢は重ねていて。

現代の話としては、携帯電話こそあっても、facebookとかメールのような、「もう何年も会ってないのに、動向は知ってる」ということを注意深く排除してあって、久しぶりに会うことで蘇る記憶というものを大切に描いているともいえるのです。

正直に云えば、特に序盤は細かく行きつ戻りつしすぎる感じはあって、映像と違って単に編集で繋げばいいというわけではないので、出捌けにやや無理が出たり、少々多めの登場人物たちのキャラクタを観客が 定着できないうちに若くなったり歳取ったりということで混乱する感じだったり、時間を長く感じてしまうのは少々勿体ない。とはいえ、丁寧に描かれた物語、そこかしこにリズムを整えたりするような緩急があるのはいいのです。

死んだはずの一人の男を特異点として描くのは、物語の中にどこかSF要素を紛れ込ませるようでもあって、わりとフラットに続く物語のなかにちょっと紛れ込ませた遊び心。とはいっても、物語の語り口は、馬鹿話、ふざけ会っているシーンであっても真面目さを感じさせるようで、 破壊力という点では物足りなさを感じたりはするものの、全体の隅々までピントを合わせたような 丁寧な語り口はタテヨコの作家らしく健在なのです。

細かいことだけれど、映画を撮ってるというシーンでちゃんと8mmが回ってるような音がちゃんとしているのがオヤジな私にはなんかうるっと来る感じもあったり映画を撮るということのリアリティというか。

別居するカップルを演じた青木柳葉魚と市橋朝子、ずっと舞台に居る役をきっちり演じきって物語の柱になっている説得力。 先輩を演じる西山竜一は頼りになる感じ。関西弁の男 を演じたムラコは大声でまくし立ててみたり時に人情っぽかったりと、タテヨコの役者陣にはあまりない 凄みとか迫力といったものも併せ持つことで、浮かび上がる存在感が印象的。 生意気な後輩を演じた石塚義高のデキる感じがややイラッとする造型が効果的。 辻川幸代が演じた居酒屋のおばちゃんキャラはどこか可愛らしくて懐かしい感じすら。

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