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2014.03.30

【芝居】「緑子の部屋」鳥公園

2014.3.30 14:00 [CoRich]

秋葉原にほど近い小学校を改装した施設、3331 Arts Chiyodaでの上演。3月31日まで。65分。

亡くなった女の兄に呼ばれ、女の昔の恋人と、女の学生時代の友達が呼ばれて酒をのんでいる。そういえば女は、学生の頃は虫を飼っていて、ほかの女性たちとつるむということをしなかった。 恋人の家に引っ越してきた時に、ミシンを持っていて、それが実家の食肉工場ににているということをいっていた。女は虫の観察日記をつけていた、餃子をたくさんつくっていた。 アヤが屋上を半狂乱で走っていたのをみたが、これはやばいと思った。

男2,女1の三人の俳優、白く塗られた長方形の空間にL字の客席、短辺側にスクリーン、長辺側にテーブルなどからスタート。絵本の中の二人の女の姿、を語る男から、(登場しない)緑子の兄の部屋へ。亡くなったらしい緑子が出せなかった年賀状の二人の友達を兄が部屋に招いたらしいシーン。どこか美大生っぽさを感じさせる、虫を飼って観察日記書いて我が道を行く感じだったり、ミシンを使わなくてもその動くのを面白がったりする感じだったり、どこか虚言癖だったりとどれが嘘なのか、どれが過去なのか始終境界をあいまいにしたまま進みます。虚言には子供のころの強烈な体験という理由があることもちゃんと語られますが、正直にいえば、全体がうっすらしていて、ちょっとわかりにくい。

3章めにあたる部分は緑子が書いた、虫の観察日記の体裁だけれど、虫に自分を模して俯瞰で書いたような日記だと読みました。その外側にある自分の噂話を混ぜた場面を挟んで、あきらかにイジメられているという描写の怖い感じ。 女子的な文化を否定する感じとか。興味なくても同調圧力に屈しないままに一人で居続けること、 それがつまりイジメにつながるわけですが、イジメる側にしても、自分にも当てはまる単語が 悪口のレパートリーに加わると、笑えなくなる、というのイジメの恐怖の現場の肌感覚なのでしょう。 それは中国人であること、すでに三世で日本人の気持ちだけれど、 そこからつながる食肉工場の家ということ、差別的なこと、それを意識させること。 あるいは、男が別れる理由に挙げたときの容赦なくムカつく瞬間、 殴る側の論理も展開させるのは淡々とした語り口だけに怖いのです

作家の頭の中の問題意識の発露、それは(少なくとも私にとっては)整理されないままお店を広げるように 世の中一般で考えられているタブーに近い部分を切り取って並べているように感じられて、 観ている最中は作家の切実さがもう少し感じられたらと思っていたアタシです。 が、こうやって書き連ねてみると、何も外国人とか食肉工場とか、あるいはイジメといった一見 極端な話題ばかりでは無くて、たとえば女性が男性を怖いと感じる瞬間を追体験させたり、 男が正論を述べても女は納得できなかったり、あるいは触れられなくなった女が苛ついて男の 浮気を疑ったりと、どこにでもありそうなシーンにこそ切れ味がいいシーンがあるように感じます。

餃子を作る、ということによって匂いの体験や、舞台奥の角からあっというまに洗濯物っぽいものが飛び出してくるという演出は舞台ならではですが、正直にいえば、アタシの観た日曜昼は、雨ゆえに湿度が高いからか、匂いはそれほどでもなくやや残念。つきあったことになった体裁もちょと幸せな感じに着地するのがいい。

正直に云うと、こういう施設で上演される、どこかT/PAMに出てきそうな感じの上品な というか、税金使ってる感じの上演があまり得意でないアタシです。まあ、それは好みの問題なのですが。

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【芝居】「遙かなるカトマンズ」暴走乙女ライン

2014.3.29 14:30 [CoRich]

散歩道楽の四人の女優によるユニットの初公演。役者とともにドリームダンの作演も行う川原万季の作演で。3月30日までプロット。95分。

蕎麦打ちが心底好きな女、父の残した蕎麦屋を継ぎ借金も抱え、気がついたら恋人もいないままいい歳になってしまった。絶望する気持ちのまま自殺を企てるが、そのとき男が店に入ってきて未遂に終わる。女はこの男こそが運命の人なのだと考え、恋に落ちる。
久々に逢いに来た高校の同級生や、蕎麦好きのナースとそれを追いかけてきたタレントの卵はみなこの男の元恋人だったり、今の恋人だったりするが、蕎麦屋では再会した店主と男は寝てしまった結果、女たちは つかみ合いの大騒ぎになるが、男は結局アルバイトの若い女を選ぶ。

女性によるユニットらしく、一人の男をめぐる女たちの物語。傍目にはうだつの上がらなそうな中年の男が、モテモテ。さらには真面目までもがその虜になりつかみ合いの大喧嘩の挙げ句の諸行無常。 物語の骨子をいってしまえば、これだけのことなのだけれど、その無情感を、「はるかなるカトマンズ」の地でコミュニティをつくり悟って暮らす女たちという終幕の跳びっぷりがかっこいい。

久しぶりの親友に好きな人が初めてできた、ということを語るシーンがちょっといい組立て。 絵のモデルだったり、タレントだったり、それぞれのきっかけがいちいち胡散臭いうえに、風俗狂いの上に借金を貸してるというそれぞれの絡み方がバラバラで、わりと漫画のように分かりやすいものが多いのも 見やすいところ。正直にいえば、登場人物はここまで必要ない感じがしなくもありませんが、 あまり大きな問題ではありません。

この女たちの中にあって、子供というまったく影響されないポジションに淡々と居続ける菊池美里は派手さはないのに、彼女以外では誰ができるのか想像がつかないほどにすごみがあるのです。蕎麦を延々食べてるだけ、なんてシーンの存在感。 蕎麦屋の地味な女を演じた鉄炮塚雅よは、実像は知る由もありませんが、地味だけど思いこんだら突っ走る、まさに「暴走乙女」を体現するかのように好演。高校の友達で、セックス大好きでセーラー服姿 というキャラクタ勝負な造型のヒルタ街、自分本位すぎる感じのややイタい感じのタレントを演じた珠乃 という、一癖二癖な女優陣の魅力。
それにしても唯一の男性を演じた村田与志行のうだつ上がらない感じなのに、やけにモテる感じ、 やけに説得力。
若い女を演じた荒川佳は、かっさらうことのかわいらしさの説得力。前半で男に興味ないといっていても、コロっと、というあっさりさも(セックス上手を基準に考える)のも含めていい。
店主の大学の後輩を演じたナースを演じた竹原千恵のなんか、惚れてることを隠してる説得力。店主の下着姿の後とはいえ、パンツみせての格闘に喜んでしまうオヤジなアタシです。

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【歌舞伎】「空ヲ刻ム者 ―若き仏師の物語―」松竹(スーパー歌舞伎II)

2014.3.23 11:00 [CoRich]

猿之介が意志を受け継いでセカンドと銘打ってスタートしたシリーズ。小劇場好きとしては対等に渡り合う佐々木蔵之介がうれしい休憩二回込みの4時間20分。29日まで新橋演舞場。

凶作が続く村だが貴族から注文を受ける仏像で生活できている。若い仏師は仏や仏像は救われるといって諦めさせるまやかしだと考え仏を壊すことにする。政はここで実現できないと決めて都で役人になることを決める男。仏師は牢獄で出会った女盗賊と一緒に脱獄し、仏像を壊してまわっている。役人を目指した男は、百姓の気持ちがわかる役人として目をかけてきた上司の命に従い、政治を変えるために百姓を束ねて反乱を起こす準備をする。 仏師は忍び込んだ工房で目にした像に心を打たれる。最初は未完成でもよくて、人々がどう想い、信仰するかなのだ、ということを悟り、再び彫ることをはじめる。 幼なじみだった仏師と役人は対峙するが、どちらを選ぶべきかは明らかだ。が、百姓が反乱を起こそうとしている朱雀門には遠すぎる、もう間に合わない。

普通だったら買わないチケット、譲っていただいて初めてのスーパー歌舞伎。安くはないチケット代ですが、きっちり超満員。演舞場の久しぶりの雰囲気が実にいい。花道ヨコでみる役者たちのそれぞれの表情も実にいいのです。ああ、なるほど、花道の嬉しさ。

作/演出の前川知大といえば「散歩する侵略者」( 1, 2) がアタシにとってのマスターピース。なるほど、人と距離を取る感じ、自分が思い描くところと現実の距離、など(歌舞伎にとっては)若い世代の作家の描く主人公と友人の成長譚がある意味(少年)ジャンプのようで心地いい。 自分は何も出来はしないのだという無力感から仏像を壊して廻るやんちゃ、あるいは友人の大局として変えていくために目の前の小事には目をつぶることだったり。 思い描くこと、信じ考えたことを頼りに進む男 たちは誠実で格好いいのです。

新聞やテレビで目にするスーパー歌舞伎は、まあ宙乗りですが、それが必要になるシチュエーションを距離と時間という絶対的なもので追い込んでいってくれれば、ファンタジーになるのです。 空を飛ぶという人間には不可能な奇跡をどうやって違和感なく作るかという意味では だいぶ意味合いは違うけれどキャラメルボックスの「広くてすてきな宇宙じゃないか」 (1, 2) を思い出すアタシです。でも、そうするしかない、という瞬間があれば(芝居にはずいぶんスレちゃったアタシ)だって、今作でがーっと泣くのです。

仏が仏たるにはどうあることか、仏像であるだけでは仏ではなく、人々から信心を集めればそれは仏である、ということ、簡単に云ってしまえばそういう道筋の成長譚です。歌舞伎というよりは現代劇の物語の運び方に近くて、明確に主人公やそのまわりの人々の成長を軸に物語を進めます。歌舞伎でこういう物語の運び方をするのは珍しいと思いますが、あんまり観てないのでほんとうはどうなんだろう。

現代劇の役者が歌舞伎に、というのはたとえば「天日坊」の白井晃や近藤公園といった前例はあるけれど、しっかり物語の主軸にというのは珍しい気がします。 惑星ピスタチオの頃から目撃してるアタシとしては 佐々木蔵之介が演舞場に、というだけで泣けますが、歌舞伎の役者にちゃんと対等に渡り合ってる(少なくとも、アタシにはそう見える)ことが実に嬉しい。

幕開けの口上はびっくりしますが、更にひとり、自分は(役名である)鳴子、と言い張る老婆から始まる物語は実にスムーズで遊び心もあって楽しい。演じた 浅野和之は語り部でもあり、物語の登場人物でもあり、それを軽薄さを伴った軽妙さで全編のリズムを形づくるようで楽しく、そして見やすいのです。

成長する仏師を演じた猿之助はきっちり真っ直ぐに前を観続けます。中盤でことさらあからさまには語らないけれど、伝統を続けるばかりではなくて新しいものを、というのは先代から受け継いだ「スーパー歌舞伎」というものの置かれた位置。彼の座組だからこそアタシの心に迫ります。

女盗賊を演じた笑也は本当に格好良くて、今時の女子の男気溢れる感じらしくて腑に落ちます。 マダム、な女・時子を演じた春猿は若者を引き込むなどたやすい年増の魅力が凄い。仏師を演じた 右近は物語後半、骨太で居続ける柱。

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2014.03.26

【芝居】「40 Minutes」TABACCHI(チョコレートケーキ×JACROW×電動夏子安置システム)

2014.3.22 19:00 [CoRich] [CoRich] [因幡屋ぶろぐ]

サムライを統一テーマに三劇団が40分ずつ公演、観客の投票によって優勝者に賞金という企画。23日まで、 スクエア荏原・ひらつかホール。

太平洋戦争末期に海軍が開発した特攻人間魚雷・回天の開発中、開発者の一人を含む二名が回天に閉じこめられたまま、海底につきささって身動きがとれなくなっている。狭い艦内で迫り来る死を前にしながらも、この事故で開発が止まらず、この兵器での特攻が始まるように 冷静な日誌を残した。「◯六◯◯猶二人生存ス」(劇団チョコレートケーキ)
電力会社の管理職にもかかわらず、ホテル街に立ち男に声をかける毎日、しかも毎日四人というノルマまで課して。殺されてしまうが、劇作家はその被害者の女に興味を持つ。「刀と天秤(はかり)」(JACROW)
5人の議員でやっとこさもっているが、政権にすりより与党となり、大臣も一人出しているものの、失言続きで危うくなっている。その党の事務所。大臣が別の大臣の公用車と衝突事故を起こすが、溝の深い相手だったことから、故意につっこんだのではないかという疑惑も起きている。 目撃したという男が現れて。「召シマセ腹ヲ」(電動夏子安置システム)

チョコレートケーキは史実を多少の想像力で補いながら緊張感一本槍で濃厚に描ききる一本。戦争末期を生きた軍人のまっすぐな気持ちをそのままに描き、終戦を知るもう一人を配することで作家の視座をきちんと提示する一本。史実だけに絶望の結末を知るものには、40分はあまりに長く苦しいのも事実なのですが、観客の息苦しさを意にも介さず濃密なまま描ききる力なのです。

JACROWも実際の事件を描きます。いわゆる「東電OL殺人事件」の被害者をサムライになぞるのはさすがに少々無理があるのと、作家の興味や疑問という以上の何も提示しないままです。しかも法廷ですら真実が確定していない事件の被害者である彼女への冒涜にすぎるのではないか、というアタシの友人の言葉に賛成します。これでは週刊誌と何も変わらないし、生身の人間を扱う演劇としては少なくとも少々配慮がなさすぎるのではないか、と思うのです。被害者を演じた蒻崎今日子は着替えも舞台上ですることで、セックスにまつわる題材と生きていた人のこと、という説得力。高嶋みありは若い役者だと思いますが冷徹(に見せている)母親の怖さが滲みます。

重苦しい話が二つ続いたあとなので、電夏は得をした感じではあります。こちらもサムライ、という題材は手榴弾を持った彼か、あるいは公用車をつっこませた大臣かあたりに投影したのでしょうか。コメディだし、確かに客席は沸くし、三本の中でみると、どうしても重い気持ちよりは楽しい話に票を投じたくなる気持ちは、わざわざチケット代を払って観ている以上よくわかります。 嘘を一つだけ、というロジックめいた感じはわくわくするのにそれをあっさりうっちゃるのはどうなんだろとか、いろいろアラはあるのですが。

劇場の大きさがこのラインナップでは少々厳しい感じもします。共通で使われる装置をそれぞれに工夫したりするのはいい感じですが。

正直テイストも向き合い方も違う芝居で、しかもなにを評価すべきかのガイドラインを明示しないままの順位付けには意味がないどころが害にすらなるのではないかと思い、投票はしませんでした。笑えればいいのか視点の鋭さなのか、史実を淡々と描くことをよしとするのか。評価軸は何であれ、一位をととったところはいいでしょうが、そのほかの団体はたまったものではありません。まあ、劇王とかでも感じることですから、ここだけの問題でもありませんが。そういう意味ではショーケースに徹する15minutes madeの見識はたいしたものです。

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2014.03.25

【芝居】「3番目の恋人」エビス駅前バープロデュース

2014.3.22 16:30 [CoRich]

三演めとなるバーの芝居。あたしは初見です。4月2日までエビス駅前バー。80分。合い言葉で木戸銭の割引があります。

不振で店を閉めることにしたバー。バーテンはでたらめな占いの口先三寸だが、恋を成就させるのが巧かったりする。荷物の搬出作業をしている最中にかかってきた電話は、バーテンのかつての仲間だが、仲違いしたままだった男からだった。急遽営業することにするが、そこに常連客だった夫婦が入ってくる。バーテンの占いをきっかけに結婚したが、裕福な家に生まれた女と妻とした漁師の家に生まれた男の価値観の相違はどうにも埋まらなくなり、離婚を決意したのだという。
かつての仲間は口べただが、惚れている女が居て、どうしたら結婚できるのかを聞きにきた。彼女は裕福な生まれで男は劣等感も手伝って告白できないままでいる。

コメディというよりは、ラブストーリー仕立てで素敵な物語、という体裁。格差というとちょっと違う気はするけれど、家柄だったりそれまで生きてきた生活レベルだったりというものの差が夫婦の危機を迎えているカップルのバーへの再訪と、まさに今その格差婚に踏み切ろうとしている若いカップル、口先三寸だけれどカップルを成立させるのはうまいマスターと。3年を隔てた二組の格差カップルが、それを乗り越えていけるかどうか、という構造がまるで時間軸をさかのぼるかのように二重写しになっているのがポイントなのです。それは離婚寸前のカップルにもかつてあった、熱く互いに想い合っていたことを思い起こす、というハートウォーミングな構造が微笑ましいし、終幕にもう一押し、というのも素敵で、そうであっても次の恋にすすむ、という清々しさがいいのです。

口八丁なバーテンを演じた島田雅之はさすがの安定感、情けなかったり、虚勢張ってみたりとオジサン感が嬉しい。妻を演じた田中千佳子はエビス駅前バーの公演の常連で、芝居毎の振れ幅の広さの魅力。 電話して訪れる友人を演じた末原拓馬はキメ顔と恋してメロメロになる男子の落差が可愛らしい。その 彼女は日替わりになっていますが、アタシの観た回は工藤理穂で、いっぱいいっぱいな男子に対して ノってあげてるのに裏切られちゃうがっかりな感じがかわいい。

正直にいえば店を閉じたバーという設定でなかったとしても、客がたまたまあまり来ないというシチュエーションでさえあれば、あまり変わらないのは勿体ない。席についた瞬間に棚に居並ぶはずのボトルが すっきりない、というのは新鮮でわくわくするような魅力的な設定なのに、それが必ずしも生きていない感じなのは少々もったいない感じもするのです。

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【芝居】「OLと課長さん」関村俊介と川村紗也と浅野千鶴の三人芝居

2014.3.21 19:30 [CoRich]

女優二人と作演を兼ねる俳優という公演。あひるなんちゃらの駄弁芝居だけれど、役者もスタッフも最小限の人数で回すというのもちょっといい(初日は)65分。23日まで、スタジオ空洞。

昼休みの公園のベンチ。先輩後輩の二人のOLが座っている。課長に相談があるのでランチを一緒にしようと呼び出したのだ。いい歳の先輩OLはアイドルになるために会社を辞めると言い出し、後輩は先輩が辞めるなら一緒に辞める、という。

時に理不尽なこと、時にうなるような鋭さを混ぜ合わせながら魔法少女アニメ(クリーミーマミとかミンキーモモとか懐かしすぎる)に端を発して、OLに人気なランチ弁当事情や、ラーメンや牛丼に一人で女子が 入れるか入れないか問題、会社を辞めること、カレーのトッピング、会社の不満、将来の夢なんてことがさまざま入り乱れて語られます。なにも生産的なことが起こらないという無駄の権化のような会話が楽しい。OL二人がベンチに座って無駄話をしているさえずりをガン見し続ける、というオジサンにとっては夢のような(笑)シチュエーションも実に楽しくて。

仕事中にインターネット見続けちゃってるのに、なんで給料もらえるんだろうとか、本当はイヤだけどこの場をなんとかするために受け入れるとかの心の声のダダ漏れとか、トッピングになるならどれがいいという突拍子もなさをつっこんだら課長が乗っかるとか、来月の13日に有給を取りたいといったら却下されるからブラック企業だと思ったけれどそれは日曜日だからとか、なぜか挟まる、ループする実験的な演劇なんか大嫌いという一刀両断に喝采を送ったり。コネタを重ねるけれど、ずっとずっと笑って 観てられるという芝居のなんと幸せなことか。

先輩はソックス生足、後輩はストッキングというのがなんかいい取り合わせ。これもオヤジだからか。 先輩を演じた浅野千鶴は時に突拍子もないぶっとびな感じだったり、時に常識的で説得力だったりの、静かな中見た目に対して内面に飼っているある種の狂気。後輩を演じた川村紗也はむしろ天然な造型。ぼけまくったり、上司をぞんざいに扱ったり、それなのに絵とかヨット買って人生変わるかもという、問題意識だけはあるけれど、全く意味がないというのが楽しい。 課長を演じた関村俊介はOL二人にいいように扱われて、トホホな感じを交えつつ、でもちょっと嬉しい気持ちもありそうなオジサン感がいい。

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【芝居】「そしてまたキミのユメをみる。(B)」なかないで、毒きのこちゃん

2014.3.21 17:00 [CoRich]

死を意識させるBバージョン。23日まで、風みどり。

二人の女が住んでいるが、浮いた話の一つもない。ある日、一人が夢でいい男に結婚を申し込まれ子供ができたといい、夢の虜になりそうになるのをもう一人が懸命に止めようとするが 「芝ちゃん、浜ちゃんん、たかなしくん」
寝間着の女、どこで人生を間違ってしまったのだろう、非行に走り父母の借金を背負い、風俗をしたりもするけれど、結婚した君は支えてくれて 「さよなら、はじめましてちゃん」
カメラでビデオレターを撮る。もうすぐ死ぬので家族に遺産相続のこととか、どうしてこんな姿なのかを語りかける。 「みどりちゃん、もうすぐべいじゅちゃん」 「芝ちゃん〜」は落語のような体裁で語り始める、夢に拘泥してしまった女の話に始まるけれど、夢に囚われてしまったのは単にイケメンだからというわけでもなく、なくしたものを忘れないために夢の中で囚われているという話に着地。後半が涙ながらに声を張り上げつづける熱演だけれど、感情の吐露がインフレーションを起こしてしまうのがやや残念で、抑えてやるのでもいいのではないかと思ったり。 演じた背乃じゅんはどちらかというとコミカルに強い役者という印象で、そういう意味では 苦労したのではないかと思いますが、新しい一面。

「さよなら〜」は女の一代記。朝起きて歯を磨いてという日常のテンションで始まりながらも、踏み外した人生を検証するかのように順を追っての波瀾万丈。長い髪振り乱しての熱演ではあるのだけれど、こちらもやや感情のインフレーション気味で、高いテンションが長く続いてしまうがために、後半が平坦に見えてしまうのが惜しい。演じた三澤さきは長い髪が印象的。序盤のジャージ姿で歯を磨くシーンの可愛らしい感じが好きです。

「みどりちゃん〜」は死を間近にした女の家族へのビデオレター。深い悲しみをかくしてつとめて明るく振る舞おうというテンションがやや妙な空回りになるという体裁。結婚の遅い長女、早々に結婚した次女とその婿と孫、夫へのそれぞれの語りかけ。物語としてのキーは、死期が近いのに財産叩いて全身美容したのは夫への愛、ということなのだけれど、せっかくのハイライトが全体に対して同じバランスになっちゃうのが惜しいといえば惜しい。演じた梅本幸希は終始笑顔、実は平坦になりがちで大変だとおもうのだけれど、その中でも起伏をちゃんと作ります。

全体を通してみると、題材や演出の雰囲気が似てしまった感はあって、ややもったいない感じ惜しい。

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2014.03.24

【芝居】「そしてまたキミのユメをみる。(A)」なかないで、毒きのこちゃん

2014.3.21 14:00 [CoRich]

一人芝居を三本立てで公演。2バージョンあるうちのAバージョンは、若さとか生きることのいわば陽なものを集めています。23日まで風みどり。60分。

学校の女子トイレに閉じこもって泣いている女の子、扉の外の友達に口述で遺書を書いてもらっている。もうすぐ死ぬのだと思っていて。感謝の気持ちとか、友達の彼氏に告白しようとしたり「おせきはん、たく。」
自分の部屋で野球部の先輩への告白を夢見て妄想とシミュレーションを繰り返す高校生。母親が外で聞いてたりもして「そしてまたキミのユメをみる。」
アイドルのファーストライブ。空回りするほど元気いっぱい。最後の曲の前にファンに話したいことがある、という。デビューから9年経ったが 「ふつうの女の子、18歳(仮)」

前回に来たときとは少し場所の様子が変わっています。改造をしているのか、徐々にアトリエの様相になってきてるのが楽しみです。

「おせきはん〜」はタイトルで着地点は早々にばれてしまうし、そんなのきっと知ってるはずで、こんな状態にはならないだろう、ということを小学校三年生と、小学校での教育は(事実かはわからねども)四年生という 設定がこの舞台の異常事態を支えます。こんな細かなことだけれど、それがあるだけでずいぶん印象が違うわけで、その細やかさは大切なこと。
背筋を伸ばして胸を張り、前に歩き出してカーテンの向こう側消えていくラストシーンがいい。風の強い日だったけれど、カーテン越しの風がいいのです。演じた浅川千絵は体操着姿の小学生というかなり危うい感じだけれど、説得力。

「そして〜」は、女子の妄想力いっぱいが背骨で、まあ、その恥ずかしさを端で見る楽しさがベース。広島弁が可愛らしく、じゃけんね、という語尾だったり カープ観に行くとか、初恋の味のカルピスだったり、インパクト勝負だったりとさまざまが楽しい。 そこに差し挟まれる母の過去がスパイスに。 そのあこがれの先輩には彼女が居て、それでも、奪い取る気合い十分なのは、女の子にみえて女の一面を みせます。演じた坂本梓はちっちゃくて元気いっぱいな女子っぽさが爽やかに。

「ふつうの〜」は、 あきらかに反応の薄い、しかも座席の少ない客席を前提にしながらも、コールアンドレスポンスを強要する、女優にとっても修行のようなつくり。モデルデビューから9年の谷ばかりのこの世界の生活、6年目にしてつかんだセンセイとの出会いはナンパだったのに熱意に負けて経験もないのに売り出してというあからさまにダメな感じがほほえましく、 その後のアイドル生活3年の間に、迷走しまくって、サイボーグ、反省、逢えない、白線、死なないというポイント、短期間にどんだけ迷走しているのだというばかばかしさが楽しい。 観客に対してもある種の試練があって、ハンドル名をいちいちつけて呼びかけられたりします。 少ないファン前提だったことがあかされる終幕、というのもちゃんとこの場に対して戻ってくるというのが着地点として美しくて。 正直に云えばカバー曲で時間を使いすぎているところはあるけれど、ちゃんと踊るのをフルコーラスでこの距離で見ているということの眩しさはちょっと浮かれちゃう春の日なのです。演じる 田村優依はアイドル特有の「いい娘なんだろうな」な説得力の造型。

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2014.03.22

【芝居】「スマートコミュニティアンドメンタルヘルスケア」青年団若手自主企画 河村企画

2014.3.16 16:00 [CoRich]

山田百次の作演で。85分。17日まで、アトリエ春風舎。

卒業を間近に控えた中学校の複式学級。校長は失踪していて、担任はいらついている。卒業式の君が代、日の丸を巡り校長を取り囲んで教師たちが問いつめていたのを見ている生徒も居る。教室の片隅で、はい・いいえをかいた紙で鉛筆を動かしている二人がいる。 それぞれの人々に守護メンがいるという。窓の向こうの廃団地からこちらを見つめる邪悪なものがあるといい、力強い守護メンを持っている男子たちならば、劇題できるという。盛り上がる男子たち。女子はひややかに見ているが、やがて彼女たちもその異常な現象を感じるようになる。が、教師が入ってきてそこでいったんおしまい。 数日後の教室、あのとき結界を張っていたにもかかわらず、心の隙間に邪悪なものを取り込んでしまったのは誰だという裁判な風景。

体操着姿、学校のスチール机・椅子、教壇という道具立て。団地はあるけれど人は居なくなっていて、 全学年で7名という複式学級の教室の中で起こること。年上だけどやや年下に嘗められていたり、 プロレスっぽい感じでいじめに近いことが常態化していたり。こっくりさんとか結界といった オカルトな遊びに端を発したごっこあそびが、 やがてクラス全体を巻き込んで集団ヒステリーになっていきます。冷ややかに見ていた女子も 巻き込んでの一大スペクタクル。 あるいは結界を張っていたはずなのに心の隙間を狙われて邪悪なるものにとりつかれたやつがいる、 という魔女狩りめいたこと。二人しか居ない女子生徒だけれど、一人が標的になっているときに ジャージのパンツを脱がせれば出られなくなるだろうというのを提案するのがもう一人の女子 だったり、それをあっさり覆したあとの周囲の変わりよう。 外から見ていると明らかに異常な事態が起きているのだけれど、その渦中の子供たちは真剣で、 それは滑稽を通り越して怖いという領域。

このヒステリーは、教師の登場によって日常生活に戻るかに見えるのだけれど、 女性の教師は、中華人民共和国が好きで韓国もわりと好きで 朝日新聞も好きで、日の丸・君が代を卒業式にとりいれようとする校長をつるし上げるといった 具合に戯画的に日教組っぽく造型されています。 この教師の許で運営される教室という場所の怖さがジワジワくるのです。朝日と日経という新聞が配られる家で育ったアタシですから、それほど違和感がないはずなのだけれども、 じゃあ、いまの総理が正しいかというとそうとは思えない、このむずむずする感じはどうなんだろう、いろいろと。

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【芝居】「あなたがここにいればよかったのに」キャラメルボックス

2014.3.16 13:00 [CoRIch]

アコースティックシアターの新作。真柴あずきの単独作演。120分。大阪、名古屋のあと、23日までサンシャイン劇場。「ヒトミ」との交互上演。 忙しくてなかなか逢えない恋人からプロポーズを告白された女はまだつきあって半年なのでやや面くらい、返事を保留する。恋人が仕事に呼び戻されて、女に声をかけた見知らぬ男は、プロポーズを受けてはいけない、という。信じない女に、親友が双子を妊娠していることを予言し、これが当たったら自分の助言を信じて結婚するなという。
添い遂げる相手は本当に彼(彼女)でよいのか、という30代女性のプロポーズにまつわる迷う気持ちを核に、ややほろ苦いダメ男という現実というリアリティと、それを救ってくれるややSFめいたヒーロー という枠組みであくまでエンタメなのだけれど、語り口はアコースティックシアターらしく、 丁寧に女性に寄り添って描きます。

物語の上で主役となるのはその「SFめいたヒーロー」なのだけれど、そのSFめいた設定は 「不思議なことが起きた」 というだけでさらりと流し、あくまでも描かれるのは彼がどう考えて、どういう強い意志で人生を切り開いてきたかということ。老いだって感じ始める昨今のアタシ、「経験や考え方は歳をとった今のまま、 カラダは若かりし昔に戻れないか」なんてことをかんがえることはしばしばあるけれど、 そういうことじゃなくて、ここで描かれるのは35歳からの時間遡行で、あくまでも同じ時間軸の 上を完璧に生きる、ということを描いていて、その「完璧さ」がヒーローなのだよなぁと思うのです。

が、アタシが主役だと感じるのはむしろプロポーズに迷う女の方。SFチックなヒーローも完全なヒールとなる婚約者もそれぞれ「隠していること」があって、その二人に挟まれた彼女こそが、観客の私たちの 視点。奇想天外な展開に翻弄されながらも、自分の人生を切り開く姿の成長が 描かれる女性の姿こそが、成長の物語だし、アタシの気持ちに寄り添って進んでるなぁと感じるのです。

そう、成長の物語なのです。ヒーローの男だって、一度は失敗しかけた人生だけれど人に救われ、 成功というわけじゃないかもしれないけれど真っ当な人生を歩み始め、あるいは身に降りかかった 不思議な出来事をてこにして、こんどはもっと高い理想を目指して成長しているのです。 完璧すぎるところが気にならなくはないのですが、だからこそヒーローとも云えるわけで。 女もちゃんと成長の物語。翻訳を仕事にしたいと思い努力はしているけれど、書店アルバイトだという 現実、プロポーズを受けてもちろん揺れ動く気持ちだけれど、不思議な男の登場によって、 仕事も恋や結婚も自分で選び取り、自分の力で前に進むように成長していくのです。 終幕に至っても、二人は互いに想っていることは示されても、どうなっていったかは明確には 示されません。が、二人の交わす手紙という距離感こそが、「心の中で相手のことを想い続ける」 ということの静かに永く続く二人の恋心を暗示するのです。

不思議な体験をした男を演じた筒井俊作は、完璧なヒーローという物語の上での要請に対して、 決してスマートでも見た目に格好良くはない、という役者のバランスの妙で「強い意志を持った、 しかし一人の人間」を造型。わりとコミカルなところに強みある役者ですが、今作ではそれを抑えて あくまでも大人の男、という人間としての格好良さが滲むようで印象に残ります。

プロポーズされた女を演じた林貴子は笑顔、元気に強みのある役者なのだけれど、恋にも仕事にも 悩み切り開く大人のヒロインは新たな魅力を見せます。プロポーズした男を演じた阿部丈二は ヒロインからは大人に見える前半と、隠していた顔が見えてきて実は成長していないということが あからさまになる後半の振り幅がしっかりで、舞台に説得力。そこそこボンボンが現実を直視 できないまま夢見ているというダメ男を、作家はヒールとして容赦なく描くのです。

何より凄いのは客演・大家仁志が演じる父親。娘に対しては冷たくて厳格な父親だけれど、 正しいことを正しく行うという何にも揺るがなさ。時に親友の子供を更正させて支え、 娘を静かに支え守るというのはこれこそ超人的に写るけれど、娘にとってのある種理想の父親像 という説得力。コミカルパートとなる書店のバックヤードを支えた菅野良一はまさかのお姉キャラで、 まあやややり過ぎな感は否めないけれど、全体のバランスとしては悪くない。小林春世が演じた 漫画家志望のアルバイトは、物語に直接からむわけではないけれど、オリジナルに作り出すこととは 何かというつぶやきにも似たいくつかの言葉が作家の独り言のようで楽しい。

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2014.03.21

【芝居】「江戸系 諏訪御寮」あやめ十八番

2014.3.15 18:00 [CoRIch]

堀越涼のユニットの第三回公演 (1(イベント), 2, 3 ) にして初の劇場公演だといいます。120分。土曜夜の回は劇中の楽団の音楽と主宰のトークによるライブがついていました。16日まで楽園。

川で隔てられた十六島とよばれたその土地には鬼が村の若い娘をさらい子鬼に食べさせていたという伝説がある。
その土地には「拝み屋」という一種の祈祷師の一家が住んでいて、一帯の人々の信仰を集めている。信仰の柱となるのは一家の姉、長男は宗教法人やデイサービスの会社の経営が忙しいが次男は音楽にうつつを抜かしている。
近くには店を営む家族。姉は結婚し夫がこの家で同居していて、妊娠している。弟は高校を辞めたが元英語教師だった祖母に英語を習い大学に進むつもりでいる。祖母はデイサービスに通所するようになるが、少女に出会った直後に意識を失って目をさまさなくなる。弟は行き場のない少女に恋をする。
拝み屋の人々は元々関西の大店からここに住むようになり、金でこの土地を治めるようになるがさらに治める力を得たいと感じていた。 船頭の娘はかけられた橋により家が傾き、父が亡くなり母は男に狂い姉のの婚約者とともに駆け落ちしてしまう。この家に奉公に来るようになるが、母が産んだ赤ん坊を押しつけられるが、やがて赤ん坊は死んでしまう。近くの神社に亡骸を運ぶが、その神社は鬼が封じられていた。鬼は死んだ赤ん坊を生き返らせる。それが拝み屋への信仰の始まりになった。

祖母の時代を象徴するようなオールディーズを中心にした生演奏を挟みながら物語を進めます。

「拝み屋」諏訪家の役名は史実にあるもののようですが、物語はそれとは関係がないようです。むしろ作家が自分の父母に聞いた「拝み屋」を軸に、 作家の生まれた千葉県にある十六島など「シマ」を舞台にして描きます。鬼から寿命を「借りる」ことができるというフォークロアっぽい伝説を下敷きに、信仰を集め続ける地元の大家と半ばそれに巻き込まれたごく普通の一家を二つの軸ににして物語が進みます。

割と多くの方が指摘しているように、やや複雑で壮大な物語を、生演奏の音楽を挟んで描くのは、少々過剰に詰め込んでしまったという印象が残ります。音楽も心地いいけれど、物語が寸断されてしまう感じはあってやや勿体ない。あるいは信仰を集める拝み屋の発端となった物語を(アナザーストーリーとして別の話に切り出して今作では)ばっさりカットしても成立すると思うのです。諏訪の伝説をもっとコンパクトに作るという手もありそうです。

高校も辞めてしまった男(美斉津恵友)と突然現れた少女(土佐まりな)のやや切ないラブストーリーが好きです。このシーンをずっと観ていたい感じがします。 父を演じた北沢洋と母親を演じた中島美紀の温かい家庭な雰囲気がいいのです。 宗教法人かつデイケアの経営者を演じた堀越涼、最初にヒッチコックよろしく、本人が喋るというフォーマットがいい。

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2014.03.19

【芝居】「ヒトミ」キャラメルボックス

2014.3.14 19:00 [CoRich]

約十年ぶりの三演( 1, 2)。 23日まで、サンシャイン劇場。「あなたがここにいればよかったのに」との交互上演。120分。 (1) 事故で全身不随になった女。恋人には一方的に別れを告げて自棄になっていた。入院している大学病院で開発されたハーネスという装置のテストに参加することになる。切れた神経をバイパスし脳からの指令を筋肉に伝える装置で、懸命のリハビリの甲斐あって、体が動くようになるが、目標だったはずのピアノには向き合わない。ある日ハーネスの欠陥が発見されると、女は親友の経営するホテルに向かう。

まだ芝居見始めの頃に観たキャラメルボックス、確か二本目がこれの初演、坂口理恵主演でした。 その前のスケッチブックボイジャーとの振り幅の広さに驚いた、というのは初演の時に書いた感想を もう一度読んで思い出したわけですが。あの時のダー泣きな気持ち、それは小川江利子の再演でも 変わりませんでした。

が、三演めとなる今作、物語の流れをわかっているからか、泣くというのとはちょっと違う、もうちょっと違う遠さから芝居を観ている自分に気がつきます。劇団の強力なホスピタリティも、物語の強さも 役者の確かな力量だっていつものとおり、 アタシにとってのマスターピースだということは変わりません。

どちらかというと、あんなに若手だった役者たちが こんなにも、というまるで親のようなアタシの視点。記憶力のないアタシは、 初演再演と比べてどう、ということにいちいち気づけないのですが、 劇団を観続けていて、物語も役者たちにも気持ちが近く なってしまうと、こういう感情が起こるのだということに初めて気がつきます。 宝塚にハマる人が云っていたのは、こういうことかと。それだけの劇団の厚みもちつつも、 あくまでも劇団としてはポップでアリ続けると云うこともまた安心感なのです。

フィードバックがなく指令を片方向で伝えるだけで感覚が脳には伝わらないというハーネスや、 寝たきりという設定をあえてベッドを使わずに椅子でシンプルに表現することなど、 設定や演出の面白さというのは何度観てもいいなと思います。

実川貴美子は今までのヒロインとは違う造型に。身体が動かない、リハビリしていることの説得力はそのままなのに、軽やかさを感じさせる仕上がり。初めて立ち上がり、バランスを崩しそうになる時の慌てる 感じから、足の上に腰が乗り、背骨が立ち上がり、胸を張ったときの美しいかたちは二回目の同じシーンを 観ても惚れ惚れします。初演のヒロイン、坂口理恵の出番が少なめなのは悲しいけれど、短い時間の 中で心配すること、母親、でも仕事を持っている、ということの距離の作り方の解像度が高い。 親友を演じた渡邊安理は天真爛漫さのキャラクタが巧く機能。スーツがほんとにカッコイイ。 初演では親友を演じた岡田さつきは、コメディーパートを一手に背負う掃除のおばちゃん役。 元々の役がそう書かれているのだけれど、ちゃんと安定して笑いを取るということは誰にでもできることではありません。恋人を演じた多田直人は得意なやんちゃな造型を封じられている役だけれど誠実さだってきちんと伝わることを再発見するのです。

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2014.03.16

【芝居】「もっと泣いてよフラッパー」まつもと市民芸術館

2014.3.10 13:00 [CoRich]

オンシアター自由劇場の伝説的作品の22年振り再演。アタシは初見です。東京のあと、 9日までまつもと市民芸術館主ホール、そのあと大阪。休憩15分込みの210分。

1920年代、その街はギャングと禁酒法の街。経済的な余裕をもったアバンギャルドな女たちは 酒とタバコを片手に、自立しはじめていた。それでも女たちは恋をして、破れたりもしている。
古くからこの街を縄張りとしてきた古参のギャング団と、新興で最近伸してきたギャング団の対立は 一発触発になっている。正義感にはあふれるがチカラはない新聞記者はギャングたちを快く思わず すきあらば叩きたいと思っている。彼には勉強好きの許嫁がいる。
踊り子になるために田舎から出てきた女は、ひどい目にも、あるいはネズミたちの 生活に紛れ込んで酷い目にあったりしながらも、八百長ボクサーの道案内でたどり着いた クラブの踊り子になる。大騒ぎのバックステージだが、 踊り子たちは異国の皇太子に見初められたり、酷い男ばかり掴み続けていたのが優しい男に出会ったり、 恋にも忙しい。
恋に落ちた皇太子は国に帰らず道化師となり、月に似た人形に恋をしてしまった道化を演じる。古参のギャングのボスは記者の許嫁に許されない恋をしてしまう。

20年代の最先端の女性たち・フラッパーを主軸に享楽的だったりギャングだったり、あるいは時に不思議なネズミの物語や人形の物語を織り交ぜ、音楽に乗せて描きます。華やかなクラブのショー、賑やかでごみごみとさえしているバックステージ。八百長なボクサーの思い悩む姿。 女性たちのそれぞれの恋、非道い男ばかりにあたったり、皇太子にプロポーズされたり、ギャングのボスの許されぬ恋だったり。恋をした男たちは、のめり込んで身を持ち崩したり、命までうしなったりとろくなことはないけれど、女たちは泣いてはみてもどこまでも力強い。

ギャングのボスが恋した女の子、それが実るという一連のシーンがとても好きです。オジサンの切なさと、純粋に愛される女の子が受け入れるのに、あっという間に二人に死別が訪れるということの幕切れと。

田舎から出てきた踊り子を演じた松たか子は、男物のスーツに「着られる」感じのある種の幼さから、不思議な冒険を経て、男とも寝たりし成長していく姿がいい。大人の女優が若い女性を演じるとき、たとえば深津絵里や宮沢りえがするのと同様の発声に聞こえるように思うのだけどどうしてだろう。 ボスを演じた松尾スズキは、役じたいの少々卑怯な感じはあるけれど、ほどよい力の抜け具合と、恋してメロメロな中年の悲哀すらある感じが印象的。東京公演での感想に多く見られるせりふの不安定さはみじんもなく。ボスに惚れられる女を演じた鈴木蘭々は意外なほど(失礼)可憐で、しかも誠実なワンピースの似合う女性を好演。 皇太子に惚れられる踊り子を演じた秋山奈津子は、それでも舞い上がったりしない大人な感じがいい。恋い多き踊り子を演じたりょうのしかし真っ直ぐな感じがいい。月にたとえられる踊り子を演じた太田緑ロランスはすらりと美しく、みとれます。 串田和美舞台に欠かせない片岡正二郎、内田紳一郎はコミカルだったり、軽妙だったりとかっこいい。

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2014.03.13

【芝居】「大きなものを破壊命令」ニッポンの河川

2014.3.8 18:00 [CoRich]

9日まで東京芸術劇場シアターイースト。65分。

首締めジャックの出没で人々が恐怖している。高校を卒業する男は、一番強いのは自分たちだということを守るためにも対峙するのだといって駅前にでかけるが、逆に殺されてしまう。
軍隊を逃げ出した四人の姉妹、長女はかつて豆腐屋の見合いを断ったりもしたが、男に抱かれたいと考えて敵陣に乗り込んだ結果、半分機械の身体に改造されてしまう。 役者たちは腰にスピーカー、手にはカセットプレイヤーを持って、カセットをとっかえひっかえしながら音響として、そこかしこに仕込まれたフットスイッチを踏みつけて照明を切り替えて何でもこの四人で こなしてしまう趣向。客席で四角く囲まれた舞台はさながらリングのようでもあって、パフォーマンスとしてがちゃがちゃとした大道芸っぽさが楽しい。

もっとも描かれている二つの物語は、互いには繋がらず、どこか荒唐無稽だったりシュールっぽかったり。高い密度で物語を紡ぐし、それを 見せきってしまう役者の確かなチカラはあるのだけれど、正直に云えば、コントというほど笑いを とるでもないし、物語に今ひとつ入り込めないというか興味が持てない感じがあって、いまひとつ 入り込めない感じが残ります。

四人姉妹の方の話では、小津安二郎風というか原節子風というかな喋り方だけで芝居にしてしまうのはちょっと面白い。長女を演じた峯村リエは、こういう喋りが意外なほどぴったりと似合って、魅力的。末っ子と首締めに挑む少年を演じた佐藤真弓のダイナミックレンジの広さが凄い。

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【芝居】「彼の地」北九州芸術劇場P

2014.3.8 14:00 [CoRich]

作演が一ヶ月半現地に滞在して劇作するという北九州芸術劇場のシリーズで、女性の演出家は初めてといいます。東京公演は9日まであうるすぽっと。145分。当日パンフに織り込まれた、手書きのマップが優しい感じで行ってみたいと思わせる出来で印象的です。

北九州の土地。結婚を間近に控えた女を東京の友人が訪ねるが、本人はなれない環境に不安になり、逃げ出したいという。東京から引っ越してきて、工場に勤めて40年が経ち定年を迎えた男は職場がなんか冷たいと感じてベトナムからやってきた40歳の工員に昔の話をする。妻が隠れてしていた仕事がどうしても許すことができない夫、妻は家を出てここにたどり着くが、夫も追いかけてきて。ヤクザの男が密かにかわいがっていた野良猫が居なくなり、同じ猫を探しているサラリーマンと出会う。アル中の男に振り回される母と弟。ケーブルカーの職員が密かサラクラ山の父と呼ばれて相談に訪れる人々が後を絶たない。母が居なくなったのは自分のせいだと考え根無し草のように友達の家を泊まり歩く高校生の男、恋人だと思っていた女もいるし、心配で自分の家に呼ぶ同級生も居る。

小倉の街を見下ろす山と、そこから見える街で暮らす人々を群像として描きます。ナカヤマと呼ばれる男が中心になるようなオープニングはありますが、全体としてはわりとフラットにそれぞれの人々をみな丁寧に描いたという印象があります。プロデュース公演で、しかも地元の役者も数多く出演するわけで、そのそれぞれにちゃんと見せ場があるという作家の確かな力は感じるけれど、人数の多さもあって幹がない(あるいは全部が幹)というのは正直に云えばパンフォーカスのようで全部にピントがあってるようでいて全体にぼやっとしている印象はあって、シャープに切り取るんじゃなくて、こういう人々から浮かび上がる街を感じて見るということが、今作の見方のちょっとしたコツじゃないかと思うのです。

ヤクザものだったりアル中だったり、あるいはストリッパーや工員など今の時代にだって確実に存在しているのに表だってはあんまり語られない、ある種昭和な香り満載な人々。最近はそういう人々を丁寧に描くことが多い作家で、決してキレイな生き方ばかりじゃなくて、どちらかというと日陰でしかし日々をしっかりと生きていく人々に対する優しい目線もまた、作家の持ち味になってきたなと思うのです。

北九州の芸術劇場のこのシリーズは当日パンフによればプロデューサーが明確に特徴を(北九州のイメージ、第一線の演出家が北九州にすみながら、地域の役者やスタッフ、東京でも公演)というもって作り出していて、現代口語演劇以降の芝居も精力的に取り上げているということが印象的です。そういう意味じゃ、アタシの住む松本もがんばってるけれど、外の演出は少なくて、どうしても芸術監督のキャラクタに近いものが多くて(それはそれでアタシには祝祭感あふれる自由劇場の再発見だったりもするのですが)現代口語演劇がすっぱり存在しないことになっているというある種の偏りを感じたりもするので、この幅広さはちょっとうらやましくもあったりします。

マリッジブルーな新婦の親友を演じた異儀田夏葉は、時に力強く励まし、あるいは巻き込まれというキャラクタに秘められた終盤の細やかな感情の解像度が高い。その新婦を演じた服部容子の細やかさ。猫好きなヤクザを演じた(すみません、役者名わからず)と同じく猫好きを共有するサラリーマンを演じた佐賀野雅和のコミカルな掛け合いが楽しい。定年の男を演じた高山力造の味わい、離婚された男を演じた若狭勝也の人のいい感じもいいし、アル中の男を演じた寺田剛史は、始終テンションが高いという嘘っぽくなりがちな役だけれどしっかり。

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2014.03.08

【芝居】「大きなお家」しなの八號

2014.3.7 19:30 [CoRich]

9日まで、ピカデリーホール。普段より狭く使っているので客席が普段とは違います。平日の19:30という開演で、75分という尺が嬉しい。

家族が暮らしている家だけれど、夏のこの時期はいつもキャンプに行くと決めている。妻は今日は人が来るからと家に引き留めようとする。夫はなんとしてもこの場所から出ていなくちゃならないという。そうこうしてるうちに、わらわらと人がやってくる。夫は隠していることがあるのだ。

シチュエーションコメディで安心の着地点。自作のコメディで暖かなな着地点というのは正しい選択で、三谷幸喜の風味。 正直に云えば、コメディの難しさは物語の構造とセリフの間合いだと思ってるアタシにとっては、若い作演の物語の構造はシチュエーションコメディの王道できっちり描いている印象。むしろ難しいのはコメディを演じる役者たちで、しかも初日ですからやや堅い感じは否めません。もっと遊べばいいのに、とロビーで声を掛ける観客に同意するアタシなのです。

芝居ができる役者の布陣ですが、とりわけミシンからの客演の二人がキッチリとドライブするチカラ強さ。やや強引にかき回す兄を演じた有賀慎之助はそのテンションを始終一貫するというパワフルさがちょっと嬉しい。アシスタントを演じて宣伝美術からオープンニングの素敵な動画までこなす篠原鈴香は、時に可愛らしく、いじけるおとこをしっかり支える造型がどこか嬉しい。この二人のシーンが楽しい。 信州大学の劇団・山脈(やまなみ)の齋藤大河の(大人が子供を演じるというある種のあざとさはあるにせよ)伸び伸びと楽しい。夫を演じたコウヘイは気弱そうなキャラクタは合っているけれど、シチュエーションコメディで真ん中にいて翻弄されるトホホ感がもっと欲しい気はしますが、それはアタシがオヤジだからですかそうですか。 妻を演じた、らぼはフラットで居続けるというのは脚本の指定かどうかわかわかりませんが、それでも夫について行くという健気さがいい。気難しい建築家を演じた無糖弘樹が、キッチンのリフォーム(か、立て替え)についての思いのたけをキッチリ語るシーンの圧力が好きです。

制作面として、入り口から遠い側の客席は導線がわかりにくく、年寄りだと踏み外しそうな気はします。 終演後の証明は後ろからの白熱球な色温度の照明はやや暗い。客席でアンケートを書かせるならば全体に明るくしてもいいですし、ロビーでも座って書けますよ、と案内する手もあると思います。

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【芝居】「Hula-Hooperが、ゴドーを待ってみる」Hula-Hooper

2014.3.2 18:00 [CoRich]

Hula-Hooper名義としては6年振りの上演とか。菊川朝子と上枝鞠生の二人芝居。待っているのはゴドーなのかはややわからない、90分。(開演予定時刻基点、休憩込み) 3日は休演で4日が千秋楽。下北沢・Mother's RUIN。

ダイニングバー。女が一人入ってくる。いつもの何かを頼んだりする。あとからもう一人。入ってくる。二人は知り合いのようで、作家である一人が書くはずの物語が書けないのをずっと待っているのは女優らしいもう一人。ここに居るのは二人きりだけれど、時におじさんを登場させてみたり、アテ振りをしてみたり、書けたらこんないいいことがあると夢想してみたり。演劇の舞台に立つのは久しぶりだから自分を観に来てくれる客なんか居ないと拗ねてみたりしながらも。

人生は暇つぶし、というほどには達観しないけれど、どうしても必要というわけじゃないエンゲキを続けて行くしかないし、続けて行きたいという決意表明だと思うのです。東京と遠く離れた出身地を行き来する生活だったり(そこで公演やったりもしてる)、なかなか公演を打てないということの焦りだったり、あるいは なかなか舞台には立てていないという気持ちだったり。 表現したいという切実さが感じられる芝居(もっとも、今作はある種の「書けない節」だったりもするけれど)というのが俄然大好物なアタシです。

そのキリキリとしているであろう気持ちはきっちりと隠して、 前半はビールの一杯目がオイシイとか、二重敬語が許せないとか、あるいは時にアカペラで歌を口ずさんだり、アテ振りしてみたり。なかなか現れない ゴドーならぬ物語を待ち続け、あるいは待ちくたびれながら、やめると時にいいながらも、エンゲキから離れられない感じで進む物語。

休憩を挟んだ後半は、ヨガ・ピラティスに浮気した(ある種の自己実現という意味で、エンゲキと対比してフィジカルトレーニングを持ち出してくるのが巧い)など、続けて行っていいのかという不安な気持ち。それはもう会わないとか、ココを出て行くとか逡巡しながらも、二人で歩みだそうという決意表明のようで気持ちいいのです。ああ、なるほど、何か孵化できるかもしれないタイミングを待ちつつ、しかし馬鹿馬鹿しい会話をしつつ、時間を潰していく、という人々。そら、会社員のアタシだって、時間を潰すために生きてるところはあるわけで、どこか気持ちがシンクロしたりするのです。

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2014.03.07

【芝居】「ある冬の朝、Kは」タテヨコ企画

2014.3.2 15:00 [CoRich]

大学からの知り合いが40近くになってのあれこれ。コの字型の客席ですが、私がみたのは入り口から遠い側の角で、わりと正解だった気がします。9日まで雑遊。120分。

別居を決意したカップルの家、女が出て行く日に偶然訪れたのは大学のサークルの友達だった。彼は「キムラが死んだ」という。二人でこい、といわれて行くことに。
葬式で集まり、そのあともう一度会うことにする人々。大学近くの呑み屋の屋上、店で宴会しつつ、屋上でも呑んだりする人々。時間はずいぶん経っている。思い出すことも多いし、忘れてよかったこともある。
サークルの勧誘、映画描いたり、家とか屋上とかあちこちで呑んだり、喧嘩したり、冒険(気分)したりする。大学は街からは離れていて、ここの名物は3S、一つはスポーツ、一つはセックス、一つは諸説あるけれど。

学校の近くに娯楽はなくという大学のテニスサークルの何年かにわたる先輩後輩たちが過ごした部室、近くの御用達の居酒屋の屋上を中心に、引っ越し真っ最中の家の二階や居酒屋店内などを一つのやや八百屋(=斜めになった)舞台で、それをコの字型に客席が囲みます。舞台の設えは面白くて、鉄の棒がポールダンスのように立っていたり、マンホールのような丸い蓋がそこかしこにあったり。序盤の引っ越しのシーンの直後の企みも、ナマの舞台という感じで楽しい。

40歳も過ぎれば、死ぬヤツだって居るし、それで久々に集まって思いでも今のことも話したりもするようになる。別れもあるし、そこそこ成功してるヤツも居れば、 あるいは会社が無くなったりという、今のアタシにはまったくもって身近で切実な人々。大学生の時の友達というのは(まあ人によっても違うでしょうが)殆ど会わなくたって、きっと再会すればあの頃のことがぶわっと蘇って、でも確実に年齢は重ねていて。

現代の話としては、携帯電話こそあっても、facebookとかメールのような、「もう何年も会ってないのに、動向は知ってる」ということを注意深く排除してあって、久しぶりに会うことで蘇る記憶というものを大切に描いているともいえるのです。

正直に云えば、特に序盤は細かく行きつ戻りつしすぎる感じはあって、映像と違って単に編集で繋げばいいというわけではないので、出捌けにやや無理が出たり、少々多めの登場人物たちのキャラクタを観客が 定着できないうちに若くなったり歳取ったりということで混乱する感じだったり、時間を長く感じてしまうのは少々勿体ない。とはいえ、丁寧に描かれた物語、そこかしこにリズムを整えたりするような緩急があるのはいいのです。

死んだはずの一人の男を特異点として描くのは、物語の中にどこかSF要素を紛れ込ませるようでもあって、わりとフラットに続く物語のなかにちょっと紛れ込ませた遊び心。とはいっても、物語の語り口は、馬鹿話、ふざけ会っているシーンであっても真面目さを感じさせるようで、 破壊力という点では物足りなさを感じたりはするものの、全体の隅々までピントを合わせたような 丁寧な語り口はタテヨコの作家らしく健在なのです。

細かいことだけれど、映画を撮ってるというシーンでちゃんと8mmが回ってるような音がちゃんとしているのがオヤジな私にはなんかうるっと来る感じもあったり映画を撮るということのリアリティというか。

別居するカップルを演じた青木柳葉魚と市橋朝子、ずっと舞台に居る役をきっちり演じきって物語の柱になっている説得力。 先輩を演じる西山竜一は頼りになる感じ。関西弁の男 を演じたムラコは大声でまくし立ててみたり時に人情っぽかったりと、タテヨコの役者陣にはあまりない 凄みとか迫力といったものも併せ持つことで、浮かび上がる存在感が印象的。 生意気な後輩を演じた石塚義高のデキる感じがややイラッとする造型が効果的。 辻川幸代が演じた居酒屋のおばちゃんキャラはどこか可愛らしくて懐かしい感じすら。

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【芝居】「トムソンガゼル」ぬいぐるみハンター

2014.3.1 18:00 [CoRich]

冷たい雨の中でしたが、この日時に。劇団員と客演を組み合わせた三人芝居を、5週間に渡って上演する企画公演。小規模・実験性が強い公演としてオルガアタックと銘打って。2日まで、風みどり。70分。終演の翌日になって劇団員退団のリリースが出ています。

妹の住処に逃げ込んできた姉二人。姉妹はサバンナ最弱の草食動物、トムソンガゼル。妹は幼い頃に人間に囚われて人間と同様の生活をし、この建物で暮らしているが、姉二人は野生のまま暮らしている。

動物の姉妹という設定。野生の姉二匹と、人間社会に溶け込んだ末っ子。哲学を語るようで、日々生きていくことが大切という寓話っぽさが面白い。狭いキッチンのような場所、もう人間の生活になじんでしまって、コーヒーでも淹れちゃっても、あるいはシャワーを浴びるのどうの、毛が詰まるから嫌だというやりとりといい溶け込みっぷりがわりと好きです。

かと思えば、交尾とセックスは違うというちょっと哲学的なことも「交尾」という言葉が動物という設定にあっていたり、料理するかどうかという会話で、火は怖いじゃんとか(野菜は焼いたら燃えてなくなっちゃうじゃんもなんかいい)とか動物な会話。かと思えば神様はいるのかどうか、というよく概念のわからないものをあれこれ想像したり、かと思えばその失敗作たるヌーのことで卑近に引き寄せて考えたりというあれこれ。人間は退屈を埋めるために生活してるなんてことも、「動物から見て」そう感じてるという視点。

飼い主というか家主がずいぶん前に出て行ったきり戻ってきてないということだったり、過去には末っ子が人間に捕まったのを匂わせるセリフだったり、かと思えば末っ子はどこか飼い主と恋人気分があるんじゃないかという流れは、もしかしたらもう末っ子はこの「人間的な」生活からは離れて野生に戻るんじゃ無いかと匂わせていて、それはそれで、ちょっと切ない話だったりもします。

長女を演じた杉村こずえは、もっとも「野生」っぽいという設定で、つっこみまくる感じが楽しい。次女を演じた小園茉奈は可愛らしく、しかしこれも野生というある種のギャップ感。人間らしい生活をしてる末っ子を演じた土田香織もまた可愛らしく、お姉ちゃんたちの傍若無人に振り回される前半の味が好きです。

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【芝居】「蜜月の獣」小西耕一 ひとり芝居

2014.3.1 15:00 [CoRich]

ひとり芝居というユニットなのだけれど三人芝居。3日までRAFT。95分。

同棲してる男女。フリーターの男はOLの女のことが大好きでたまらず、女が男友達と食事をして帰ってくるだけでも強く嫉妬する。それなのに、30過ぎでも処女である女には指一本触れない。女は抱いて欲しいと懇願するが、それは叶えられない。 バツイチの男、その恋人になった女、二人を引き合わせた男。繋がりたいけれど繋がれない人々の物語。それは恋人なのに抱かない男だったり、セックスはしたいはずなのに、次の恋人に抱かれそうになると全力で抵抗する感じだったり。レイプされた経験のある女性を真ん中に置き、二通りの男を配置します。

正直に云えば、ずっと好きだった男がなぜ彼女を別の男に紹介したのか、が今ひとつ腑に落ちないこと。もう一つ、終盤の初めまして、で始まるシーンの意味が分かりづらい気はします。順番が違えば、あなたのことを守ることも出来たかも知れないし、きちんと抱いてあげられあかもしれないし、受け入れられたかもしれない、というシーンと読み解きましたがどうだろう。もしかしたらあったかもしれないパラレルワールドという感じでもありますが、それは現実ではない、ということの絶望。

レイプされた女性に対して男性が話をするということの二類型を描くのは丁寧な気がします。話させることでセカンドレイプに繋がるという男と、君のことを知りたいからといって話して欲しいという男。私の感覚としては前者の方が腑に落ちますが、後者はつまり、自分のことが一番大事、というキャラクタなのだと気づきます。だから、女が止めたって、アイツを殺す、という激情につながるということ。あるいは前妻に拘泥するということにも説得力があります。

バツイチの男を演じた河西裕介は病的なほどにいろいろ思い詰める造型の説得力。 女を演じた宍戸香奈恵は誠実で、美しく、しかし恐怖と戦いながら中心にいるという姿がいい。アタシは一番奥にある寝床の横の席でしたが、布団で居るシーンの色っぽさ、角度的に胸元が見えたりもして勝手にドキドキするオヤジです。 紹介した男を演じて作演を兼ねる小西耕一は、どちらかというと優男の造型。あたしとしてはこの役からの視点で芝居をみていました。優男じゃ無いけど。

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