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2014.02.05

【芝居】「雪が降ってるのなど見たことないが気のせいか」ガレキの太鼓

2014.2.1 18:00 [CoRich]

2日までアゴラ劇場。115分。

インド・ダージリンの安宿に居る20代後半から30代後半の日本人たち。ここで翻訳の仕事をしながら暮らしている女、足取りの判らなくなった友人を探すために訪れている男二人。一人旅を続けている 男と女は酒とラリったイキオイのせいかどうか、ここの一室でカラダを重ねてしまって、朝が来る。
今日もどこかで調達したビールと「クサ」を練り込んだクッキーで宴会が始まる。昨晩に続いて現実と幻覚が曖昧になって。

入場はエレベータで、突然広がるインドっぽい場所。アゴラの全体をパノラマのようにインドの安宿に仕立て、その中のあちこちにバラバラに観客を座らせる、という趣向。この劇団が得意とする、マンションなどを使った「覗き見演劇」の体裁。

インドという街を舞台に。国は違えど旅する日本人の安宿という意味で青年団「冒険王」な雰囲気だけど、あのストイックさに比べると数段ダメやグダグダな場所。仕事している人はいるし、人探しという理由で訪れてるひとは居るけれど、男女は寝ちゃうし(でも翌朝照れたりする)、クサを練り込んだクッキーや、怪しいアルコールでラリったり、酔っぱらったり、幻覚みたり。

物語としてあるのは、人を捜してる男二人、一夜を伴にした男女の間、あるいはこの宿を去る人への想いやこの場所の日の出の凄さという風景。その間をつなぐのは、ラリった幻覚かどうかな、蟻のお墓をめぐる拘泥や ここから遠くエジプトへ飛んでいった感覚という意味の感じられない、けれど盛り上がっている人々を描きます。

それでも、やはりアタシは物語を求めてしまうのです。そういう意味で、一夜を伴にした朝のテレ具合、それが一人をのぞいた全員に知られている恥ずかしさ、あるいその相手が去ってしまえばもう二度と逢えないかもしれないという気持ちがあるのに、男女ともいい歳だから言い出せない感じは物語になっていて好き。一連のこの物語は劇団が得意とする「覗き見公演」な感じだけれど、いままで一室だけで行われていた覗き見に比べると、箱庭のようにコンパクトではあっても、他人が居る場所であるというある種のちいさな社会でもあるし、誰といるかによってめまぐるしくロールやしゃべることが変わるというおもしろさをぎゅっと圧縮してみせるおもしろさがあるのです。ある種の色っぽさも含めて作家の得意技ではありますが。

この喧噪のなか、人々はときどき座を抜けて、一人ベランダで水たばこをふかしたり、トイレに行ったり、自室に至り。これもまた社会な感じ。人と一緒の座に居たい気持ちは強いのにそれは1時間ぐらいで満足したのか、あるいは自分の内面を見つめちゃうからか、座を抜ける感じはアタシの気持ちに近いのです。そういう行動をすること自体は物語には影響しません。台本を買い損なったので、台本の指定か演出(同じ人ですが)かどうかもわかりません。

とはいえ、正直にいえば、ラリってるシーンが長すぎる感じではあります。90分以下にぎゅっと圧縮したら印象がずいぶん違う気がします。当事者の感覚なのか、それを観せられている(幻覚を共有できない〜できればいいというわけでもないですが)観客にうんざりする感情を与えたいのかはわからないけれど、アタシの感じではむしろ中だるみな印象が強くて勿体ないと思うのです。

一夜を伴にした女を演じた南波早は、バックパッカーらしいクールさの中に見え隠れする女の子な可愛らしさが魅力的で照れるあたりなんか絶品。その相手の男を演じた海老根理はどこか気の弱い優男風情がちょっといい雰囲気。人を探してる年長の男を演じた佐藤滋は微妙に空気を読めなかったりする感じが楽しい。クサを練り込んだクッキーを持ち込んだ男を演じた末吉康一郎は日に焼けた感じがバックパッカーという感じだけれど、それが詩人でもあるというのがらしい感じ。仕事をしている女を演じた宍戸香那恵はそういう意味でブレーキを掛ける役だけれど、それも含めてわやに幻覚に飲み込まれちゃうのは役としてはなんか勿体ない感じ。

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