【芝居】「世迷言」柿喰う客
2014.2.2 14:00 [CoRich]
4日まで本多劇場のあと、金沢、大阪。95分。いつものように、終演後のトークイベントが15分ほど設定されています。
(あらすじにはネタバレが含まれます)
山から降りてきた翁は赤子を抱えていた。ひかり輝く竹の中から見つけたという。媼との間には子供はなく、二人が育てた娘は美しく成長して、国中の男たちが嫁にもらい受けたいと押し寄せる。娘は夜ごと夢に現れる鬼の首を取ってきた男の元へ嫁ぐという。男たちは色めき立つが鬼に敵うわけもなく、みな戻ってこない。帝も娘を娶りたいと思うが、「人にあらざるもの」つまり猿ならば鬼の首を手に入れるという話を聞いて猿の長に協力を求める。猿の長は帝の子種を欲しいというが叶わないなら帝の妹を娶りたいという。帝は妹を不治の病で亡くしたことにして猿の元に送り出す。
果たして猿の長は鬼の首を手に入れるが、鬼は元々は人である、と語り出す。
不治の病となった母親は息子も同じ病の気があると考え、医者から人でなくなればその病を避けられ、そのためには人の生き肝を食べさせればいいのだと聴く。自分の生き肝を息子に食べさせようとするが、医者の話を立ち聞きしていた息子は自分の生き肝を先に母親に食べさせ、母親は鬼となる。鬼となったが、子を産み人の心を取り戻したいと考えるようになり、竹取にやってきた翁に子種をよこせと迫り、子を産むが自分で育てると子も鬼となってしまい、人に育てられなければならないと聞き、翁に子を託したが、美しく成長した娘の血の匂いに誘われて姿を見られ、さらには娘の夢の中に現れるようになったのだ。
その娘を娶り子を設けた帝はそれを知るものをすべて亡き者としたが、やがて世迷い言のように自分の子供が鬼の子だというようになり、心配した周囲は呪い師を呼ぶ。現れた猿使いの呪い師は猿に心を許した自分の妹だった。
竹取物語を骨格にしながら、夫婦が二人で桃から取り上げた物語とは違って、赤子を抱いて山を下りてきた翁の証言だけで竹から生まれたという伝承の隙間をつきつつ、鬼などさまざまなフォークロアを混ぜて描きます。王子小劇場だった時代はわりと笑いや(薄っぺらな言葉をミルフィーユのように多数重ねて厚みをつくる)つか芝居な雰囲気が強い印象の劇団ですが、一年半前の★★本公演「無差別」から新たに語りたくなった語り口ができたのだ、と思います。今でも続くエンタメ路線の「女体シェイクスピア」や子供向けのいくつかとの印象の差は大きくて、劇団を見始めた観客が戸惑いそうな感じではありますが、これはまた劇団の振り幅のちから。もちろん、「女体〜」や「本公演」など、ちゃんとサブタイトルでわかるようにしてるので劇団が出来ることはちゃんとしている 、と思うのです。
梯子を立てたり横にしたりして役者の動きを拘束して見せたり、寝てしまったということを「ぐーぐー」と(可愛らしく)云うだけで片づけたり。前は薄っぺらい物語を重ねて厚みを出して語るための、つか口調が今作では物語を運ぶように進化したのは役者の力。
帝と妹、帝の姫への思いゆえに妹を猿に嫁がせ、鬼に打ち勝つ手段を手に入れるというシーンがわりと好きです。話としてはそうとう非道いけれど、アタシにとって見慣れた魅力ある役者ふたりの濃密さということではあるけれど、この物語が終盤に至って効いてくる構成のおもしろさも相まっていいのです。しかし猿は優しく受け入れ、受け入れられればそこで生きていく気持ちがわき上がるという心の動きの解像度の高い描き方。それは時に傍目には笑うしかないほど荒唐無稽だけれど、それがまたその気持ちの着地点。
鬼を演じた篠井英介は、すごみも、元は人間だったという哀しさ。振れ幅も圧巻なのです。婆(媼・嫗/おうな)を演じた永島敬三は目立たない感じではあるけれど、着実に物語を運び哀しさだってきちんと、な力を付けて来ていると感じます。帝を演じた七味まゆ味と妹を演じた深谷由梨香は圧巻の安定感。玉置玲央ももちろん。これに比べると客演も若い劇団員も、やや見劣りがしてしまいます。
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