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2014.02.26

【芝居】「ただえり」+「轟百合子の毎日」 リケチカ+ロージーとハワイマンズ

2014.2.22 19:30 [CoRich]

劇場主催の二人芝居×二本立て。休憩5分を挟み100分。23日までRAFT。

同棲してる男女。男は女のことがとても好き でたまらない。ある日、女は帰宅するなり唐突に「ワタシ、かわいい?」と聞く。産婦人科に行った帰り道で桃を拾ってきたのだ。女は子供が出来ないカラダなのだと診断される。桃は日々大きくなる。「ただえり」(リケチカ)
女子高生は購買部で万引きしたことを産休補助でやってきたばかりの若い女教師にみつかってしまう。いじめられているのではないかとしつこく聞き出す教師を面倒に思うのは、それを口にすると現実になってしまうからだった。教師はそれを見抜き、前向きに立ち向かう術を与える。前向きになった女子高生は教師に。「轟百合子の毎日」

「ただえり」は同棲をしているカップルが子供ができること、できないこと、諦められるかということ、についての物語。もしかしたらあったはずだった未来が閉ざされた気持ちの混乱。それぞれが様々の人に会い、会話していく中でゆっくりと堆積する自分の気持ちを緩やかに描くのです。

正直に云えば、これは物語の枠組みとしては二人芝居ではありません。役者は二人ですが、いくつものパペットを遣い、かなり多くの人数を登場させています。それを二人で演じきる感じも(舞台上で)バタバタと転換する感じも楽しいので結果オーライなのですが、(二人芝居という)レギュレーションを破るのは、まあ早い者勝ちか(笑)

女を演じた菊池美里は、決して美人ではない女優ですが、気持ちの中にある可愛らしさが溢れる瞬間があって、それは後から思い出すと凄みすらあるのです。妊娠できない、という事実の前に後ろ向きになってしまう細やかな気持ちも解像度高く紡ぐのです。 男を演じた杉木隆幸、そういう女の事実を聴いても動じず、ずっとフラットに居続ける男の格好良さ。 傷ついているだろう女をずっと思いやり、ずっと変わらず好きでいるということの優しさに 作家(力武修一)の雰囲気をみるよう。

「轟〜」はしっかりとした会話劇。短い時間の芝居ですが真ん中を境にくるりと転回する(某保険会社のように)する鮮やかに舌を巻きます。前半ではイジメられている生徒を前向きに導いていた教師が、生徒が前向きになった途端に、一転、キラらわれているというどん底。それを信じない気持ちというのは生徒が前半でたどった道。終盤に至り、生徒が教師を救うようにしても、なんか元の木阿弥な幕切れの気持ち悪さもいいのです

どちらがどちらの役かわかりませんが(当日パンフに役割を書いていただけるとありがたいのですが) 女生徒を演じた役者のいじめられてる感じ、そこから漫画のようにキラキラと前向きになるダイナミックレンジが楽しい。そういう意味では教師を演じた役者はウザいぐらいに前向きにするという前半と鬱々とした後半のギャップも凄いのです。

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【芝居】「許して欲しいの」(A) 競泳水着

2014.2.22 14:00 [CoRich]

劇団十周年記念第二弾は特別公演として、一つの物語を劇作家・役者という二つの座組で交互上演する80分。アタシが拝見できたのは、劇作家版の(A)です。

少女漫画家。自分の体験に基づく話ししか書けない上に、こもってばかりで完全に煮詰まり、編集者とのセックスやらネットで無駄な時間が過ぎていく。会社員の妹はアシスタントというだけではなく励まし、時にアドバイスもしているばかりでなく、自分でもマンガを描きためている。それに目を付けた編集者は妹をデビューさせてしまい、姉は全く書けなくなり、行方をくらまして原稿を落としてしまう。
姉は仕事のないまま一年が過ぎるが、そんな姉の元に若い男がアシスタントになりたいとやってくる。旅に明け暮れて描く気配のない姉を無理矢理少しでも描かせるが、編集者の評判は芳しくない。ある日送られてきたメールの差出人は、家を出た母親の再婚相手との娘からだった。 どうにも書けないで苦しみ、自信がなくて男とみればすぐ寝てしまう女の作家、色気というよりはセックスを消費して時間を潰している感じだけで押し切るかと思えばさにあらず。 ゲイの男をアシスタントとして同居させるというのは実に巧くて、ここでスパッとセックス依存な香りを断ち切るのです。

セックス至上主義、という感じだったり、 階段を駆け上がるようにあれよあれよと人気が出てしまう書ける作家だったり、 自ら表現することを諦め、表現させるサポートという道を選ぶということだったり、 表現する技術も欲求もあるのに表現することが見つからないということだったり。 あるいは、表現と云うことに対してニュートラルであることだったり。 作家の私生活はもちろん知る由もないし、作家のパブリックイメージがわからなかったりはするけれど、 どこか、この作家たちのアテ書きという風情のある性格付けの登場人物というのが楽しい。

作家を特権的なものとして描くのではなく、同じフィールドで(元、も含めて)表現するものたちの様々な類型をならべ、 表現者でないのは一人だけというのは良く考えればかなり特殊な状況です。 が、人数が少ないこと、この作家としては珍しく漫画家の作業部屋という一カ所での物語に絞り込んだことで、この特殊な状況でも違和感がないのです。それでも、最後に投入される(表現者ではない) 「普通のひと」がいること、それも表現者に囲まれてもファンだとは云いながらも物怖じしないある種の図太さを持ったキャラクタを置くことが巧く機能していて、物語に起伏を与えていると思うのです。

あるいは表現者をめぐる社会的な問題もさまざまに。人の作った物を自分の名義で発表するかどうかという矜恃のこと、あるいは映像化した場合の原作者の思いが伝わらないままに商業ベースに乗ってしまうことに対する忸怩たる思いもきっちり織り込まれているのです。

姉の漫画家を演じた名嘉友美は、セックス至上主義みたいな序盤から、表現者としての矜恃まで、清々しさすら感じさせる造形が美しい。 人気が出る妹の漫画家を演じた根本宗子は、苦しさを見せずに軽々と表現を作り出すにもかかわらず、きちんと作りだした物への想いが込められているから映像に抗議するという誠実さが似合います。 編集者を演じた糸井幸之介はある種上から目線だけれど、浮気もしちゃうし駄目な感じ、さらには過去の挫折だってきっちり織り込むオジサンな感じが実にいい味わい。 表現者でない女を演じた藤吉みわはニュートラルさがぴったり合う感じ。 書けない作家なのにアシスタントをしている男を演じた竜史は、若い男にある種特有な、根拠も内のにどこか妙に自信に溢れている感じが眩しい。

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【芝居】「あの世界」MCR (ドリルチョコレート)

2014.2.21 15:00 [CoRich]

28日までOFF OFFシアター。75分。

プロレスの控え室。普段は前座のおちゃらけた試合ばかりの男だが、ファンの間では実は強いのではないかとまことしやかに語られている。人気レスラーを挑発した結果の因縁試合。かつてタッグを組んでいたが膝を壊して引退している仲間にセコンドを依頼するも、ほとんど準備をしないばかりか、プロレスには興味のないが金目当てで付いてきた飲み屋の女を口説こうしている。取材に訪れた記者はどう書けばいいのか頭を抱えている。
最初はガチでやる気だったのだが、上の意向で「プロレス」をやるようにし向けられ、選手であり続けるために、それに従うことにしたのだ。だが向こうはガチを仕掛けてきてるようだ。

プロレスの楽屋、1時間強の濃密な時間。 かつての伝説こそあるものの、今ガチで勝負すれば年齢もハンデでおそらくは勝てないだろうという自覚があるのに、周到に準備した相手に比べて無為な時間を過ごしたままに迎えた試合当日。危機的なストレスの状況になると逃げてしまうという感じといい、かつてはそれなりに何かが出来てた筈なのに衰えた感じといい、更に生活することだったりと、アタシにもヒトゴトではありません(泣)。 もしかしたら役者自身だってそうなのかもしれないけれど、それを単に望みのない話にはしないで、「プロレス」の世界に描くことで、ガチかもしれないし、プロレス(=作られた物語)かもしれない、プロレスの中に一縷のガチがあるかもしれない、という希望の物語になるのです。

プロレスには詳しくないアタシです。ガチはわかっても、「プロレス」という言葉のニュアンスだったり、「ジョブする」という言葉の意味だったりは知らないけれど、それを直接には説明しなくたって、文脈と繰り返しの中でニュアンスが判っちゃう感じが楽しい。

中年プロレスラーを演じた有川マコトは飄々とした中に哀愁というある種得意な造形だけれど、その中にある熱さがプロレスという物語にぴったりして実によくあっています。 引退したけれどセコンドにやってきた熱い男を演じた櫻井智也は、燃料を投下し続け、煽り続けます。その中に見えてくる「ステージを去った者」の視線は、厳しい現実も感じさせたり。 連れてこられた女を演じた後藤飛鳥は、拝金主義だったり、どこかこの熱さを小馬鹿にしたような感じでもあるのだけれど、その中に、そんな男たちを見て可愛らしいと思ってるんじゃないかというどこか母性のようなものが見えたりするのが暖かい。 記者を演じた堀靖明は、前半こそ得意なツッコミな造形だけれど、後半に至って彼から溢れる熱量のシーンがいい。この部屋を一歩出れば、ファンたちの異常な熱気と期待に溢れているということがはっきり感じ取れるのです。

--> 有川マコト、櫻井智也、堀靖明、後藤飛鳥(五反田団) 脚本 櫻井智也 -->

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2014.02.21

【芝居】「緑ノハネボキン」MACCA

2014.2.16 14:00 [CoRich]

わりと高い頻度で公演していてわりと気になっていましたが、アタシは初見です。大雪に見舞われた週末ゆえに東京に出られず、自分の予定に無かった松本での公演を。16日までピカデリーホール。90分。

あんまり良くなってない国。自動車産業と酪農、募金ぐらいでしかまともに暮らせなくなっている。
モーターショーで展示されていた高価な最新型を盗んだキャンギャルの女。盗まれてクビになった管理職。
田舎の高校生、グラビアでみた女に会いたいという親友のため、酪農で儲けている男からだまし取ってでもその夢を叶えたいと奔走する。
海外から日本のスターを楽しみに来た女、しかし持ってきた金はあっという間にだまし取られてしまう。

コントかと思えばがっつりエンゲキ。経済としても駄目な感じになっている筈なのに、カネのあるところにはあるという格差を社会派として描くかと思えばさにあらず。なんだろ、カネは無いし、夢はわりとしょぼいし、だまし取ったり取られたりはしてるけれど、登場人物たちがやたらに明るいのです。 経済的にあまり良くないけれど、わりと陽気なラテンな感じすらする国の人々を巡る物語。やることの定まらない先行きのわからないけれどささやかな夢はある高校生、芸能人に会いたくて来日したけどカネを失い路頭に迷うカタコト外国人、超高級車なのにオヤジというOYG3000を盗んで金儲けを企むやさぐれたキャンギャル、盗まれて路頭に迷う管理職と理不尽にクビを宣告する女部長、この国の経済を支える数少ない産業となった酪農で国を変えようと考える純朴な酪農家。決していい環境じゃないのに、未来に希望だって持てないのに、少々小ずるくしてでも前向きに生きている、という感じの人々。

ショートコントのような細かな断片が組み上がっていって人々を点描する感じで、大きな物語をくみ上げるという感じではありませんが、断片が収束している感じなには楽しい。細かく組み込まれた会話や笑いが客席の大きな笑いに繋がればいい味になると思うのだけど、劇場が大きすぎるせいか、今ひとつ伝わらない感じもあってどこかもどかしいのです。 終幕、 人工知能と外国人のカタコトな日本語が爆弾を爆発、少しばかりの余韻を見せつつも 物語をすぱんと切り落とす感じなのは潔い感じすらして、わたしわりと好きだったりするのです。

キャンギャルを演じた野中毬菜がやさぐれた感じといい、ウシの一芸といい、(アタシがオヤジだから)眼福な感じといい、目を引くだけでなく、きっちり物語を運びます。 主宰、おちやいたかしの、シャイなオヤジ造形が楽しい。 篠原主任が演じた中学生ぽい造形の高校生は関西弁もうまく機能していて、序盤で雑誌を読みふけったあとに中途半端な方言ギャグをした親友に突っ込むあたりが好きです。もう独りの高校生を演じた川居たかしのはじける感じはこの二人の友情の物語をドライブする感じ。 酪農家を演じた本沢誠はしっかりと安定感。クビになった管理職を演じた大久保げんてんは不安に溢れる感じも、キャンギャルに手を出しそうなオヤジな造形もちょっといい。首にした上司を演じた大澤祐子は上から目線がいい感じ。海外から来た女を演じた落合陽子はキャラクタの設定に苦労する感じはあるけれど純粋さも垣間見える造形で好演。

松本のエンゲキ事情として、ピカデリーホールが少々大きすぎて、その下の信濃ギャラリーとの間を埋めるちょうどいい劇場がないのですが、この公演だとその間が欲しい感じがします。東京だったら駅前、王子、アゴラといった規模感。声量はあってもこのテンポが必要なセリフをどう伝えるかが懸念という感じがします。たとえば同じ物語をラジオドラマ風に聴いてみたい感じはします。もっとも高級車OYG3000な出落ち感はそれではわからないわけですが。

終演後は客出しを兼ねて劇場前で役者たちのダンス、というのはちょっと面白い。もっともこの大雪、人通りもクルマすら少なくてやや空回り感はありますが、劇場の中から外にアウトリーチする心意気は楽しい。

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2014.02.12

【芝居】「春の遭難者」B.LET'S

2014.2.9 14:00 [CoRich]

2010年初演、同年に劇作家協会新人戯曲賞の最終候補作の一本。アタシは初見です。 12日まで「劇」小劇場。115分。東京が大雪に見舞われたこの日に雪とか遭難という巡り合わせも印象的だったりします。

田舎の山にある家。都会から移住してきた女4人が暮らしている。女たちは性犯罪の被害者で普通に暮らせる生活を求めて、知り合いの居ないこの土地に越してきている。近くの雑貨屋から配達に来る女は、突然の春の大雪で帰れなくなって泊まることになる。
今日は住人の一人が起こした裁判の判決の日だったが、被告の男に執行猶予がついたうえ、判決のこの日になって裁判員の一人が被害者の女の知り合いだとわかり、控訴する気力も失せていて、激励会となる筈だった家の中の空気は微妙になっている。
春の大雪、吹雪の中、意識朦朧となった男が家に入ってきて、倒れてしまう。配達の女はこの男を救わなければならないと訴えるが、4人の女たちは男を救う気にはなれない。頭では救わなければいけないと思っているが、恐怖が先に立つ。私たちは救われなかったのに、なぜ救わなければならないのかに折り合いがつかない。

性的暴力の被害に遭って、男そのものに恐怖心しか抱けない女たちの目の前に現れ、倒れてしまう男を救うかどうかというある種の「正義について」考えながら進む物語。物語として描くことには相当な配慮が必要な題材だけれど、当日パンフによれば女性である作家は「使命感にも似た気持ちで動かされて」書いたのだといいます。

この重い題材を選び、芝居として成立させるという心意気や書き切った力量という時点でたいしたものです。が、正直に云えば、4人居る女性たちが思ったほどにキャラクタのばらけ方というか幅や奥行きが広がりません。とりわけ、物語の大きなポイントとなる、男を救うか同感会話に対して、配達の女とそれ以外となってしまうのが残念なのです。あるいは、4人対1人の落としどころを論理ではなくて、逃げ出した1人を皆が探す、といううやむやな感じだったり、 それぞれの物語を語らせている割には4人である物語を運ぶの上での意味が感じづらかったり(コミュニティが形成できる人数という必然はもちろん理解した上で)します。結果として上演時間に対して物語が転がらないというか中弛みを感じるところもあるのは残念な感じが残ります。

舞台上手側にも椅子を置いて「劇」小劇場としては珍しいL字型の客席。こちらも正直に云えば、もともとの客席に対しての演技という演出になっているのはやや残念。もっとも、そのおかげでいくつものシーンでオフショットだったり、対峙する会話の一方と同じ視座になったりという楽しみはもちろんあるのですが。

女性が抱えていた恐怖が癒えていったり、それまでは閉じこもり閉鎖的であったところから、一歩踏み出していくという幕切れの雰囲気は好きです。ほぼ倒れてるシーンとなっている男ですが、終盤に至りちょっと可愛らしい感じに描いているのもいいのです。

惜しいところばかり書いてしまった感じはあるのですが、しかしこのテーマだし、作家が誠実に物語に対して向き合っていると感じさせる舞台を観ると、なんかその真摯さに打たれるのです。なので、ついついまた観てしまうコトになるんだろうなぁとおもったりも。

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【芝居】「乾杯の戦士」ホチキス

2014.2.8 19:00 [CoRich]

ホチキスとしては珍しい感じのちいさな空間での公演。 9日までエビス駅前バー。65分。

階段を昇る途中にあるその店はもう戻れないあの場所に行く前に再会したい人々と3人に逢えるバーで、一人の男が訪れる。
一人目はお笑いを目指していた時の相方、状況の直前に裏切るような形で男は姿を消していたが、時折送られるネタを目にしていて元・相方はこのコンビが最高なのだと信じていて、今の相方も事務所も腑に落ちない。

二人目は喪服の女。ともに戦った仲間だったが、あのときからずっと会っていなかった。あの一年が濃すぎて他の仕事についてもうまくいかない。
三人目は母親。スナックを営むがさつな母親とは会えばいつも喧嘩になるが、映画監督とかいう息子の嘘を簡単に信じる。何だって信じる、というからじゃあ、自分はこの星を守るために一年間戦ってきた、ということだって簡単に信じてしまう

あの世に行く前に、逢える三人との会話。青春の残り香といった風情の一人目。二人で打って出るはずだったのに、直前に逃げた男だけれど、やっぱり互いに最高なんだ、どうして死んだんだ、と普通にいい話に物語を展開。お笑いの相方を演じた齋藤陽介の熱い感じが物語によくあっていますし、ここで作った物語の下地があとで効いてくるのです。

物語が展開する二人目。一人目で残された謎「どうして突然姿を消したのか」に対する謎解きを、 地球を守るための戦隊の一員として戦ってたという唐突さとその設定の破壊力がまず楽しい。が、その見せ方が巧くて、現れた喪服姿の女を「ピンク」と呼び、主役の男を「レッド」と、言葉を交わすだけで客席を大爆笑させる、ブレークポイントが凄い。長官となんでつきあってるのとか、変身グッズのだめ押しといったおかずもてんこもり。 ピンクを演じた田中沙織は声に少々不安な感じが残るものの、ちょっと勝ち気な感じに色っぽさ(喪服は意外にせよ)の組み合わせとくれば、確かに戦隊モノのピンクのポジション、という役割をきっちり。

物語をもう一押しして、着地させる三人目。 スナックママの母親(小玉久仁子)のがさつさの登場はやや出落ち感あれど、母親の深い愛情を短い時間で描き切る着地点は盤石の物語としての強さに役者の安定が加わる盤石さがあります。おそらくは出任せで云った、映画監督になってるという息子の一言を頼りにTSUTAYAでビデオを探し回り、果てはAVコーナーまで探し回ったという、息子の活躍が楽しみな母親という造形。この下ごしらえのあとに、 それまで打ち明けてはこなかったけれど、一年間この星を守るために戦い続けていたのだという息子の言葉すら信じるということの説得感。このお膳立てがあったからこそ、この男が死んだ理由である、(自分たちの後輩である)今のヒーローの代役に立ち、身代わりになった、ということが明かされるのです。 子供の死んだ理由を聞かされて泣く、という母親という段に至ってはやや浪花節な感じは正直あるのですが、全体が短く濃縮されていることもあって、きっちりエンタメになっている、という印象が強い一本になっているのです。

死んだ男を演じた加藤敦はフラットであり続けることで、振れ幅が広い三人に対してずっと真ん中で居続ける説得力。物語の軸が揺るぎないという安心感。バーテンダーを演じた松本理史は酒を作る手元がやや危うい感じなのはご愛敬だけれど、こちらもフラットで居続けることでバーテンダーのものであるバーという場所を作ります。もっとも、三人目、カウンターの中に(母親が)入ってきてこられてはどうしようもないわけですが、漫画のコマをぶち破ってるのと同じ感じで、これはこれで楽しい感じ。

基本的にはスピードやグルーブだったり、あるいはある種のイキオイとかの印象が強いホチキスという劇団ですが、看板女優の月刊企画を始めたからかどうか、この 狭い場所に対して適切な大きさの芝居になっているということに新鮮な驚きはあります。まあ、もっとも、それはこの役者陣ですから、当然持っていて当然とも思っちゃうわけですが。

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【芝居】「行動・1」射手座の行動

2014.2.8 15:00 [CoRich]

12日まで新宿眼科画廊。大雪でやや開演が押したけれど、予定通り80分。

男は部外者立ち入り禁止の場所にこっそり愛妻を連れ込む「こだま」。
接骨院、診療時間が終わったあと。ここに通っている若い夫婦が呼ばれる。院長は、もうここに来ないでほしいという「ある院長の憂鬱」
タクシーの運転手、今の客を乗せてすでに3回も動物をひいている。客は兄妹、待ち合わせがあると駅まで乗っていたのだが「タクシー」
生徒の家、親に会いに教師が三人訪れている。親は学校に申し入れをしてたが、 その対応のために教師たちがやってきた。「親」

登場人物が重なるけれど、基本的には直接の関係のない短編四つ。

「こだま」はコンプライアンス一発アウトな、新幹線運転室への部外者立ち入り。新婚ほやほやな妻との新婚ドライブよろしくなアツアツぶりなバカップルっぷりを徐々に見せ、設定の妙で笑わせる前半。前妻に対するヤキモチから、愛情を示すために(こだまなのに)一駅飛ばせという無茶振り、最初は真面目に見えたのにそれに乗っかっちゃう車掌が楽しい。この流れならもっとアナーキーな感じを期待しちゃうけれど、少なくとも外観は淡々と、しかし内面のアナーキーさが作家らしい感じ。

「ある院長〜」は、些細な好意を押さえきれなくなって、かといって犯罪に及ぶでもなく、きっちり面と向かっていい大人が愛情を表明したうえで、でも自信がないからもう来ないでくれという、なんというか中学生のような素直さ。接骨院で一緒に働く女性もこの院長に好意を持っているというのを端々に混ぜつつも、それをあからさまには語らない秘めたる感じがいい。 好意を持たれた妻、素直に引き下がると思いきや最後の一言で、オジサンの気持ち一気に燃え上がらせてしまう幕切れがちょっと好きで、アタシだって気持ちが妙に燃え上がる。

「タクシー」は動物を立て続けに引いてしまう、なんか引きの悪い感じの運転手。あろうことかその罪を気持ちだけでも一人分引き受けてくれないかという混乱した感じは、引きの悪さを自分で引き寄せてるんじゃないかという雰囲気。 失意のままにタクシー運転手となったけれどうまくいかない仕事を、妻が密やかに支えていこうという愛情はいい話ではあるし淡々とした語り口も飽きないけれど、この流れなら後半に笑い欲しいかなぁ。アタシは。

「親」は学校に申し入れをした親、一つしか無い特進クラスで息子と同級生のクラスを分けて欲しいという無理な要求。モンスターペアレントか、という対策を教師たちが取っているから、対応がマニュアルめいているという設定の面白さ。生徒たちの関係という問題を解決するのでは無くて、その親がモンスターペアレントかという判定やその対策に多大な時間をかけているという、本末転倒に問題に向かい合っている姿は可笑しいけれど、どこかできっと起こっていそうな風景だなとも思わせて、ちょっと暗澹たる気持ちにもなったりして。

四つの物語は、一話の運転手と車掌が、二話・三話に現れ、二話の妻が四話に現れという繋がりはあるものの、基本的にはまったく別個の話。世界を共有しているという感じでもないし、四つの物語に何か構造があるという繋がりがあるわけでもないのはちょっと勿体ない感じ。個々の話は何かで観ていると思ったら、これシティーボーイズの味わいにちょっと似てる、と思ったらそのとおり、何本かライブの台本を書いているよう。シティーボーイズだと、全体になんか枠組みめいたモノがある気がするのだけど、それはあの三人、というだけのことかもしれません。

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2014.02.08

【芝居】「父と乳」らぶ・まん

2014.2.2 18:00 [CoRich]

60分。2日まで王子小劇場。

父親は突然乳首から乳が出るようになる。仕事を失ったが牛乳売りを娘と始めてなんとか暮らせるようになる。女の立場がないと絶望した母親は弟を生むが全身を乳で覆った姿となり家を出る。
若い男は乳首をなくし、探し求めるが、見つからなかったりひどい目にあったり。

一部で色んな意味で評判の劇団。2日夕方は割と満員。全体としての物語は希薄で、幾つかの場面を繋げて作ります。正直に云うと、この作家には語りたい物語さえないのだと想像します。作り出さなきゃいけない状況で絞り出したような感じがするのです。男の乳首、乳が出るのと、不要なものという対比が二編に描かれている、ということはわかんるですが。

父親を演じた吉成豊はフルモンティな、あるいはバカボンのパパっぽいキャラクタに造形。 正面に組まれたイントラの上で主、を演じた下尾里美の雰囲気の楽しさ。母親を演じたボボジョ貴族の着ぐるみも楽しい。娘を演じた新井田沙亜梨、お茶の間のシーンで可愛らしい。

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2014.02.05

【芝居】「世迷言」柿喰う客

2014.2.2 14:00 [CoRich]

4日まで本多劇場のあと、金沢、大阪。95分。いつものように、終演後のトークイベントが15分ほど設定されています。

(あらすじにはネタバレが含まれます)
山から降りてきた翁は赤子を抱えていた。ひかり輝く竹の中から見つけたという。媼との間には子供はなく、二人が育てた娘は美しく成長して、国中の男たちが嫁にもらい受けたいと押し寄せる。娘は夜ごと夢に現れる鬼の首を取ってきた男の元へ嫁ぐという。男たちは色めき立つが鬼に敵うわけもなく、みな戻ってこない。帝も娘を娶りたいと思うが、「人にあらざるもの」つまり猿ならば鬼の首を手に入れるという話を聞いて猿の長に協力を求める。猿の長は帝の子種を欲しいというが叶わないなら帝の妹を娶りたいという。帝は妹を不治の病で亡くしたことにして猿の元に送り出す。
果たして猿の長は鬼の首を手に入れるが、鬼は元々は人である、と語り出す。
不治の病となった母親は息子も同じ病の気があると考え、医者から人でなくなればその病を避けられ、そのためには人の生き肝を食べさせればいいのだと聴く。自分の生き肝を息子に食べさせようとするが、医者の話を立ち聞きしていた息子は自分の生き肝を先に母親に食べさせ、母親は鬼となる。鬼となったが、子を産み人の心を取り戻したいと考えるようになり、竹取にやってきた翁に子種をよこせと迫り、子を産むが自分で育てると子も鬼となってしまい、人に育てられなければならないと聞き、翁に子を託したが、美しく成長した娘の血の匂いに誘われて姿を見られ、さらには娘の夢の中に現れるようになったのだ。
その娘を娶り子を設けた帝はそれを知るものをすべて亡き者としたが、やがて世迷い言のように自分の子供が鬼の子だというようになり、心配した周囲は呪い師を呼ぶ。現れた猿使いの呪い師は猿に心を許した自分の妹だった。

竹取物語を骨格にしながら、夫婦が二人で桃から取り上げた物語とは違って、赤子を抱いて山を下りてきた翁の証言だけで竹から生まれたという伝承の隙間をつきつつ、鬼などさまざまなフォークロアを混ぜて描きます。王子小劇場だった時代はわりと笑いや(薄っぺらな言葉をミルフィーユのように多数重ねて厚みをつくる)つか芝居な雰囲気が強い印象の劇団ですが、一年半前の★★本公演「無差別」から新たに語りたくなった語り口ができたのだ、と思います。今でも続くエンタメ路線の「女体シェイクスピア」や子供向けのいくつかとの印象の差は大きくて、劇団を見始めた観客が戸惑いそうな感じではありますが、これはまた劇団の振り幅のちから。もちろん、「女体〜」や「本公演」など、ちゃんとサブタイトルでわかるようにしてるので劇団が出来ることはちゃんとしている 、と思うのです。

梯子を立てたり横にしたりして役者の動きを拘束して見せたり、寝てしまったということを「ぐーぐー」と(可愛らしく)云うだけで片づけたり。前は薄っぺらい物語を重ねて厚みを出して語るための、つか口調が今作では物語を運ぶように進化したのは役者の力。

帝と妹、帝の姫への思いゆえに妹を猿に嫁がせ、鬼に打ち勝つ手段を手に入れるというシーンがわりと好きです。話としてはそうとう非道いけれど、アタシにとって見慣れた魅力ある役者ふたりの濃密さということではあるけれど、この物語が終盤に至って効いてくる構成のおもしろさも相まっていいのです。しかし猿は優しく受け入れ、受け入れられればそこで生きていく気持ちがわき上がるという心の動きの解像度の高い描き方。それは時に傍目には笑うしかないほど荒唐無稽だけれど、それがまたその気持ちの着地点。

鬼を演じた篠井英介は、すごみも、元は人間だったという哀しさ。振れ幅も圧巻なのです。婆(媼・嫗/おうな)を演じた永島敬三は目立たない感じではあるけれど、着実に物語を運び哀しさだってきちんと、な力を付けて来ていると感じます。帝を演じた七味まゆ味と妹を演じた深谷由梨香は圧巻の安定感。玉置玲央ももちろん。これに比べると客演も若い劇団員も、やや見劣りがしてしまいます。

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【芝居】「雪が降ってるのなど見たことないが気のせいか」ガレキの太鼓

2014.2.1 18:00 [CoRich]

2日までアゴラ劇場。115分。

インド・ダージリンの安宿に居る20代後半から30代後半の日本人たち。ここで翻訳の仕事をしながら暮らしている女、足取りの判らなくなった友人を探すために訪れている男二人。一人旅を続けている 男と女は酒とラリったイキオイのせいかどうか、ここの一室でカラダを重ねてしまって、朝が来る。
今日もどこかで調達したビールと「クサ」を練り込んだクッキーで宴会が始まる。昨晩に続いて現実と幻覚が曖昧になって。

入場はエレベータで、突然広がるインドっぽい場所。アゴラの全体をパノラマのようにインドの安宿に仕立て、その中のあちこちにバラバラに観客を座らせる、という趣向。この劇団が得意とする、マンションなどを使った「覗き見演劇」の体裁。

インドという街を舞台に。国は違えど旅する日本人の安宿という意味で青年団「冒険王」な雰囲気だけど、あのストイックさに比べると数段ダメやグダグダな場所。仕事している人はいるし、人探しという理由で訪れてるひとは居るけれど、男女は寝ちゃうし(でも翌朝照れたりする)、クサを練り込んだクッキーや、怪しいアルコールでラリったり、酔っぱらったり、幻覚みたり。

物語としてあるのは、人を捜してる男二人、一夜を伴にした男女の間、あるいはこの宿を去る人への想いやこの場所の日の出の凄さという風景。その間をつなぐのは、ラリった幻覚かどうかな、蟻のお墓をめぐる拘泥や ここから遠くエジプトへ飛んでいった感覚という意味の感じられない、けれど盛り上がっている人々を描きます。

それでも、やはりアタシは物語を求めてしまうのです。そういう意味で、一夜を伴にした朝のテレ具合、それが一人をのぞいた全員に知られている恥ずかしさ、あるいその相手が去ってしまえばもう二度と逢えないかもしれないという気持ちがあるのに、男女ともいい歳だから言い出せない感じは物語になっていて好き。一連のこの物語は劇団が得意とする「覗き見公演」な感じだけれど、いままで一室だけで行われていた覗き見に比べると、箱庭のようにコンパクトではあっても、他人が居る場所であるというある種のちいさな社会でもあるし、誰といるかによってめまぐるしくロールやしゃべることが変わるというおもしろさをぎゅっと圧縮してみせるおもしろさがあるのです。ある種の色っぽさも含めて作家の得意技ではありますが。

この喧噪のなか、人々はときどき座を抜けて、一人ベランダで水たばこをふかしたり、トイレに行ったり、自室に至り。これもまた社会な感じ。人と一緒の座に居たい気持ちは強いのにそれは1時間ぐらいで満足したのか、あるいは自分の内面を見つめちゃうからか、座を抜ける感じはアタシの気持ちに近いのです。そういう行動をすること自体は物語には影響しません。台本を買い損なったので、台本の指定か演出(同じ人ですが)かどうかもわかりません。

とはいえ、正直にいえば、ラリってるシーンが長すぎる感じではあります。90分以下にぎゅっと圧縮したら印象がずいぶん違う気がします。当事者の感覚なのか、それを観せられている(幻覚を共有できない〜できればいいというわけでもないですが)観客にうんざりする感情を与えたいのかはわからないけれど、アタシの感じではむしろ中だるみな印象が強くて勿体ないと思うのです。

一夜を伴にした女を演じた南波早は、バックパッカーらしいクールさの中に見え隠れする女の子な可愛らしさが魅力的で照れるあたりなんか絶品。その相手の男を演じた海老根理はどこか気の弱い優男風情がちょっといい雰囲気。人を探してる年長の男を演じた佐藤滋は微妙に空気を読めなかったりする感じが楽しい。クサを練り込んだクッキーを持ち込んだ男を演じた末吉康一郎は日に焼けた感じがバックパッカーという感じだけれど、それが詩人でもあるというのがらしい感じ。仕事をしている女を演じた宍戸香那恵はそういう意味でブレーキを掛ける役だけれど、それも含めてわやに幻覚に飲み込まれちゃうのは役としてはなんか勿体ない感じ。

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【芝居】「電磁装甲兵ルルルルルルル」あひるなんちゃら

2014.2.1 15:00 [CoRich]

いつものように駄弁芝居、75分。2日までOFF OFFシアター。 その回のMP3音声を500円で販売しています。(手持ちのUSBメモリーにコピー、または販売用メモリ(+300円)、CD-R)

攻めてくる敵に対抗するためにつくられた合体ロボット。街の住民は避難しており、本部の前で三体の訓練が行われている。休憩所でそれを見ている男はロボットに乗りたかったが漏れてここで働いている。最高司令官やサポートのためのオペレータスタッフ、エンジニアたちも集うこの場所に警報が鳴り響き敵が攻めてくる。なんとか撃退したものの、三体の合体はうまくいかない。双子の男の息は合っているが、天才だという女との息がどうしてもあわない。

巨大ロボットを擁する防衛基地だけれど、実はオフィス(の休憩所)とかバックヤードとか、どこでもありそうなオンとオフの狭間にあるような風景の点描。外回り(営業)のパイロット、それをサポートする営業補助やエンジニア、あるいはOLな感じ。ラインからははずれた感じの社員、仕事という場所ならどこにでも当てはまりそうなコアを見極めて、外側の舞台にあわせてアレンジを加えている感じがします。ロボットに会社組織といえばアニメ・トライダーG7、って考えちゃうのあたしもいい歳です。

街を眺めるという感じの休憩所のごく短い会話からこの街が住民を避難してここが前線基地で隊長が誰で、最高司令官に可愛らしいキャラがついてたりと、人々や設定をあっという間に観客に伝えてしまいます。かと思えば思い出の語りなど設定とは関係ないことに話が飛びまくったりというのも実に見やすい。というか、このリズムが実に心地いいのです。 舞台で演じられるものとしてはいわゆる台詞を中心としたコントがもっとも近いという感じですが、昨今テレビではこんなに時間をかけて一つの世界を描くことはできませんから、舞台だからこそのフォーマットだし、時間を短くしたゆえの濃密に描かれる世界。それがいつもハズレなしなのがこの劇団のいいところ、人にも勧めやすいのです。

コーラを買うために100円を拾おうとする女にあげる、貸すを断ってでも起こした奇跡(客席ではっと息を呑んだ音が聞こえた)は簡単なことなんだけど巧いしなんか楽しい。似てない双子が見分けられるのはこの基地のなかでも非常に限られているという「なにこの世界」な感じをゆるやかにひっぱるのも巧いなと思うのです。

(すくなくとも昔は理系だった)アタシのツボにはまるのがなぜ、ルが7つなのか、という説明のシーン。三つの機体、1号、2号、4号(つまり二進数の桁)が合体する巨大ロボットだからで、更に二つで合体したときにどの組み合わせか呼び分けられるからと説明し、だめ押しで単に三つの数字を桁に(10進数)割り振ったらさらに大変なことになると説明するのは、Eテレあたりでやってほしいぐらいにおもしろく、知っていてもワクワクしちゃうのです。

初出演にして、女性では唯一のツッコミという重責を担った森かなみは、ツッコミながらもどこか優しくほわっとした雰囲気がいい。最高司令官にして女の子を演じた田代尚子は声に特徴があって印象的。 オペレータリーダを演じた松木美路子はフラットにぼけ倒す味が安定すら感じさせます。二進数が理解出来なかったりカタカナに弱かったり自覚なくコネ入社したと信じてる女を演じた宮本奈津美、明るくテンション高くずれたボケが可愛らしい。エンジニアを演じた三澤さきはギャンブル依存という造形を悲壮感なく楽しい感じに。双子が唯一見分けられる天才なのに都合が悪くなると耳が聞こえなくなる難病を抱えたパイロットを演じた篠本美帆は、強気の感じが原点・チーム下克上でのオラオラ感が久しぶりに戻った感じが楽しい。パイロットになりたい男を演じた根津茂尚は実直まっすぐという造形が物語の骨格。あからさまに見た目が違う三瓶大介と堀靖明を似てない双子とした設定の破壊力はたいしたものだし、微妙な喋りのシンクロがまた楽しかったりもするけれど、常連の役者二人をここにあてて、結果として同じようなつっこみをするようになってしまったのはちょっと勿体ない気もします。

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