« 【芝居】「新年工場見学会2014」五反田団 | トップページ | 【芝居】「人魚の夜」青組 »

2014.01.08

【芝居】「深川ももんが」前進座Next

2014.1.4 15:00 [CoRich]

前進座の若手公演となる前進座Nextのプロデュース公演ふたつめは太田善也を作演に迎えて。アタシは初見です。休憩15分を含む本編130分ですがカーテンコール後にそのままトークが始まりました(次の予定があったのでアタシは退出しちゃいましたが)。6日まで深川江戸資料館小劇場。初日は振る舞い酒もあったりしました。

深川の長屋。何をやっても半人前なのに妖怪話をでっち上げるのが得意なの職人が姉と暮らしている。いたずらに振り回される一方でろくに働かない男を心配する長屋の面々。ある日、朝鮮服の男が現れる。国の使節団の一人として来日しているが、抜け出してきたのだという。庶民の本当の生活が見たいのでここで暮らしたいという。

働かない男に優しく見守る姉やまわりの人々に、二人に対して想いを寄せる人々という構造に、ある日現れた外国人を巡る騒ぎだったり登場人物たちの成長だったりという物語は泣き笑いが詰め込まれた物語。時代劇にあえて外国人を組み込むこと自体はそう珍しいわけではないのですが、朝鮮人という属性を設定し、どちらの国が優れているかという些細なことの小競り合いから始まる序盤の設定が秀逸。 対立をこの構図にすることで、昨今の二つの国の関係の悪い状況を見るようでもあります。 が、人間なのか才能というものゆえなのか、一緒に暮らし技術を学び、働くようになり、国の理解を深めていく、という流れの成長。才能を見いだされてダメだった男が更正していく様。絵を描けば、頭の中だけにあったものを出現させることができる、というのは(工業デザインなど含めた)アーティストというもののある種の特権ではあるのだけれど、誰にでもそれはあって、育てること、ということの重要さも描かれるのです。

最近きな臭い、日本と韓国。相手の国を憎く思う気持ちがあっても、どちらが上とか下とか張り合うのではなく、それぞれなのだと認め合うことで高め合っていけるのだ、というのはファンタジーに過ぎるという向きもありましょうが、そういうことはどんな国の間でも起こりえるのだということを信じる物語を紡ぐ優しい視線はいいな、と思うのです。

優しい作家の視点は続きます。 江戸時代が無駄のない循環型社会だったという話はよく聴くけれど、それを背景にして、人間の社会にだって、無駄なんてものはないのだ、みんな何かの役に立つ、それは主人公の才能だってそうなのだというのもいい物語。

ヤクザ者と姉のなかなかお互いの想いを云えない雰囲気だったり、新たな恋の予感の感じだったりというスパイスも随所にきいていて、下町の長屋の雰囲気ということの安心感。客席には子供も老人も、という満員でしたが、食い入るように舞台を見つめる子供の姿が印象的でもあるし、こういう観客を持っているという劇団の強みも感じるのです。

差配を演じた柳生啓介の得体の知れなさ奥深さの魅力。ある種の特異点で、何でもありというワイルドカードで物語を端折る役割持ちますが、そんな存在の説得力がすごい。 やくざ者を演じた高橋佑一郎の不器用さは時に可愛らしく。 主人公を演じた藤井偉策は、若くてふてくされる感じと実直さ。 語りを兼ね、姉を演じた黒河内雅子も不器用さと実直さ、通る声の印象。 主人公への恋心を持つ女を演じた平澤愛は現代的な造形が見やすさ。 何よりこの舞台を支えたのは朝鮮通信使を演じた金世一で、頑なさ、軽いコミカルな感じの面白さという振れ幅の広さが印象に残るのです。

|

« 【芝居】「新年工場見学会2014」五反田団 | トップページ | 【芝居】「人魚の夜」青組 »

演劇・芝居」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 【芝居】「深川ももんが」前進座Next:

« 【芝居】「新年工場見学会2014」五反田団 | トップページ | 【芝居】「人魚の夜」青組 »