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2013.12.30

【芝居】「アマリリス」池亀さん、他

2013.12.28 13:00 [CoRich]

一軒家の二階にある子供部屋。女子中学生たちが集まってくる。マンガとお菓子があって、気ままに過ごせるこの部屋の主は、不登校で同級生たちが集まってきている。そこに部屋の主の姉である女子大生が東京から戻ってくる。遠慮しようとする同級生たちを引き留め、自身もこの部屋にいつづける。妹のことが心配だというが、他に目的があるようだ。
熱心に素振りするテニス部が、クラスの男の子から告白されたという。無関心を装う他の面々だが、バスケ部でクラスの人気者の男の子はやはり気になる。姉に命じられ同級生たちのジュースを買いに行かされたこの部屋の主はジュースを持たずに戻ってくる。貸していたマンガをその男の子から返して貰って、次の一冊を貸すのだと聞いて、一同は色めき立つ。

大人の扉が見えていても、キスどころか恋人なんてのもまだまだなウブな気持ちな年頃の女子中学生。虫歯がキスで感染るなんて言葉でもりあがったかといえば、食欲至上主義も居たりという具合な成長途上な感じが楽しい。微妙に難しそうな言葉の聞き間違いなどをちりばめた全体の作りは爆笑編で気楽に楽しめます。

現れた「大人」の女子大生。わりとダメな感じというのが後半で明らかになるけれど、気になる男の子に対して盛り上がったり潔癖さによる無関心を装ったりという具合の恋に対する幼さに対してどんどん煽っていきます。それはやがて四人とも実は気になっているクラスの男の子、という結束点、更には学校に行ってないこの部屋の主が一番彼に近いという状況が明らかになるに至って色めき立ち、面々が大混乱に陥って大騒ぎ、ちゃんとみんな色気づいてるという大人の階段に一歩を踏み出した感の楽しさ。

学校には行ってない子の家に毎日のように通ってくる同級生というなんかほっこりした感じがちょっといい。不登校だけど勉強はそこそこ出来る、という前半のネタ振りが後半に至り、同級生の男の子の存在にリンクするのが楽しい。携帯電話は持ってるけど他の友達は持ってないから云わない、というぐあいに「不登校な友達よりはまともでちょっと上の私」という、順序づけする行動原理が崩れた瞬間が混乱に至るという物語の面白さ。その後に今さらDVDで観た映画「桐島、部活やめるってよ」にも通じるような 混乱の極まる感じが楽しい。

いい歳した役者たちだけれど、女子中学生役の四人。潔癖な三つ編みを演じた萱怜子は大きい目を見開いてきゃんきゃんと叫ぶ感じ、食べ物への固執を演じた富山恵理子はおおらかさ、食べ物好きというわかりやすいかんじだけれど、ちゃんと恋心の物語の楽しさ。フライヤーモデルでもあるテニス部を演じたあやかは終幕のメタ視点になるまで物語を何度もドライブする感じ。静かなこの部屋の主を演じた大河原恵はフラットに居続けるということが重要な役。終盤の大騒ぎの中で見せた笑い顔にほっこりします。東京の大学に通う姉を演じた中野あきは、煽り、ガソリンを注ぎ、時に懐かしい気持ちに甘酸っぱくなりの先にあるのは金を借りたいという自分の理由という役だけれど、ダメんずにあんまり見えないのはご愛敬、というか実家だからそりゃそうか。

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【芝居】「晴れ、ときどき束縛、のち解放」池亀さん、他

2013.12.28 11:00 [CoRich]

地方の若者を描く「いけがめ、さんた」の新作。65分。 28日までRAFT。

クリスマスの夜、大きな男を背負って小さな女が倉庫に入ってくる。この田舎町で暮らす姉妹は子供のころ、近所の男に誘拐され、犯人は刑務所に居るが、ガンの宣告を受けて刑務所を出てこの町に戻ってくると聞き、姉妹はこの町で暮らし続けている息子であるこの男を監禁している。姉は結婚、妹は東京の専門学校に進むためにこの町を出ようとしている。東京に住む男の姉も久しぶりに戻ってきて、監禁に手を貸す。

子供の頃の誘拐。犯人は生活に困っての末の犯罪だったが、娘は東京に移り住み、息子はこの町でまだ暮らしている。犯人がこの町にもどり、反対に姉妹がこの町を出るのをきっかけに、息子に同じ誘拐・監禁をしようという骨子。あとから思い返せば上記のような感じなのだけれど、物語の運びとしては何も情報が観客に提示されない開幕から、姉妹であること、誘拐をしようとしていること、最後に来た女が男の姉であること、じつは誘拐された姉妹と犯人の子供たちであること、といった具合に情報が徐々に開示されていきます。物語の進み方は決して順調ではなくて、淀む感じも多いのですが、この背景のよくわからないまま流れる会話の着地点のわからなさ、姉妹が誘拐監禁を決めながらも、どうしたらこの状況が終わるのかを設定しなかったまま見切り発車したという、行き場ない気持ちを表しているようだとも思うのです。敵意むきだしな姉妹に対峙する男が、実はちょっと姉の方が好きだという後半のスパイスがいい味わい。

姉妹の姉を演じた片桐はづきは、心に秘めた力強さ、コミュ障な妹を演じた榊菜津美は、可愛らしさ、姉へのおめでとうな気持ちと、拷問道具ひとそろえ(バールのようなもの、とか)のギャップが楽しい。姉弟の姉を演じた浅川薫理はふわふわとした感じ、東京に出ては行ってるけれど大したことになってないのに、地元に帰れば東京を笠に着る地方都市な感じ。大男な弟を演じた後藤剛範は、三人の女性を相手にしたって簡単に逃げ切れそうな説得力。優しさ、降ってきてしまった犯罪者の父親というなかでもこの土地で生き続ける力強さも。

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【芝居】「なんでわたしばっかり」プリンレディ

2013.12.27 19:30 [CoRich]

120分。29日まで遊空間・がざぴぃ。

友人の結婚パーティから酔って帰宅した妹と喧嘩した翌日、妹は居なくなった。姉である自分は輸入雑貨の店を持ちたくてがんばって貯金も勉強もしているのに、社員として勤めていたカフェもあっさりやめてしまって遊んでばかりの妹に腹立たしい。
大学のサークルの友人、勤務先のカフェ店長に話を訊きに行った姉は、目立って派手なことばかりが好きで地味なことには手をつけず、友達が居そうもない話ばかりが出てくる。何より姉自身、自分の彼氏を寝取られてて。

まじめを絵に描いたような姉を一人の女優が演じ、奔放な妹を四人の女優を演じるという趣向。同級生から、同僚から、男から、姉からという四つの視点から三面図よろしく描き出して、妹の姿を立体的に立ち上げます。衣装はほぼ黒一色だけれど、妹役は他の人物も演じることを、髪型に変化をつけて姉妹の二人は首に飾りをつけるということで明確に示して見やすい感じ。それほどタッパのある劇場ではないけれど、キューブとゲートを動かしながらさまざまな場所をスピーディに作り出すのが楽しい。

聖書にあるマリア・マルタをベースにして、せわしく働く姉と何もしなかったけれど主のそばにずっと居たがために好かれた妹。小劇場では珍しいモチーフという気がしますが、なるほど、それを現代の姉妹にあてはめて、しかもプチ整形を絡めてみたりして、きっちり現代劇に。

些細な、二重瞼のプチ整形だけれど、それが地味で引きこもり気味だった妹に自信をもたせて、あっという間に派手好きな女に変わっていく姿を見ていた姉。妹の外でのひどさも聞き取っていくというのは、実際のところ姉は新しい事実を知りたかったのではなくて、自分の彼氏を寝取った妹を貶める補強材料を探し求めているのだと思うのです。 終盤にちょっと挟まれるシーン。派手好きゆえのややズレた感覚ゆえというのはあるけれど、妹だって真剣に生きているけれど、それが報われないという孤独。顔の美しさは手に入れたから男が寄ってくるようになったけれど、心から愛されることはない、という悲しさ。友人たちはおろか、姉にすら「外側」だけを見られているということの絶望。

終幕では行方不明だった妹が友達の家に転がり込んで、スナックで働いているところに姉が訪ねてくるというシーンがいい雰囲気。友達がひとりは居たということも、姉妹の間にわだかまっていたことも雪解けに至るすてきなシーンです。

姉を演じた石井舞はまじめ故に翻弄される感じ、まじめが実に似合う造形。やけに謝る深々としたお辞儀のキレがいいのは、なぐりーずのフリゆえか。姉から見た妹を演じた栗又萌は四人のなかでは異質で、それは(プチ整形前だから)という説得力だけれど、可愛らしい。残りの三人はみな美形で方向がわりと同じ美形なのがもったいない気も。同級生から見た妹を演じた中村真沙海はキリっとした力強さの説得力。同僚から見た妹を演じた池田嘩百哩は派手好きな感じ。男から見た妹を演じた美吉弘恵はロングヘアーで髪型を変えるという作戦が効奏して違う印象の役を重ねます。女友達を演じた江花実里は男装の麗人かという姉の新しい彼氏やら、やけに足を広げて座るスナックの女なんてのが楽しい。

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【芝居】「同行二人」同行二人

2013.12.27 15:00 [CoRich]

この戯曲を上演するために結成され、一年ぶり再演。アタシは初見です。60分。 28日までmagari 中野店。

引っ越しの準備でしまい込んでいたカフェの開店告知のはがきをみつけた。駅の近く、路地にあるカフェを訪れた女。 些細なことが積み重なって離婚、そのあと数年ぶりに店のオープン前にふらっと訪れ再婚の報告をしてから初めて訪れる。コーヒーを入れてみる手つきは覚束ないけれど支えてくれる気がする。

結婚していた二人。離婚を経て、男が開店した店を訪れるぐらいには友達という距離感だけれど、別の人と再婚する女。それから数年を経て誰もいないこの店に寄ってみる女が報告したかったこと。

便座の上げ下げなど些細なことの積み重ねで喧嘩して別れたけれど、節目を報告したいという気持ち、男はちゃんと話を聞くし、再婚にもちゃんとおめでとうと心の底から云ってくれるという「信頼できるひと」であった男。だからこそ節目の報告はしたいし、もう男がこの世に居なくなっているのに、最後に会った彼の店を訪れて妊娠を告げたいという気持ち。どちらかというと女の側の主観視線で紡がれる物語だけれど、(夫以外の)人生の伴走をしてくれている人が居ることの安心感。

男が亡くなっていて、それなのにこの店に来てしまった、という一点が要で、その構造はわりと早い段階でわかってしまう感じではあります。が、それは大きな問題ではなくて、積み重ねていった想いがあった、ということこそが重要なのです。

女が一人この店で聴いている声は過去にどこかでした会話のリフレイン。だけれど、初めてコーヒーを煎れる横でアドバイスしてくれているのは、これは今まで経験をしたことがないこと。それでも声が聞こえた(気がする)というこのシーンが好きです。が、そこに囚われることなく、ちゃんと前に進もうという終幕も気持ちがいいのです。

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2013.12.28

【芝居】「新説・とりかへばや物語」カムヰヤッセン

2013.12.22 19:00 [CoRich]

23日まで、雑遊。 真打ちになって数年たった落語家のもとに少女が弟子入りを志願してきた。真打ちなのだから自分で好きなように決めよといいながら、自身は女が語る落語を認めない師匠に対して一門全体のことなのだから認めてほしいと考える。
女の方が語ることが得意なはずなのに、男の職業となっているのはおかしいと考えた落語家、自分の子供の女児と男児を入れ替えて育てる「とりかえばや物語」を下敷きに、落語は元々女が語っていたという創作落語を作り、自分の高座にかける。師匠は激怒するが、師匠が隠している何かがあると考えて..

母親なら誰でも子供に物語を語るということを根拠にして、(歌舞伎と同様に)落語も女性が発祥という架空の歴史を核に、それが男の仕事に変わったきっかけを新作落語として作る噺家の物語。女の仕事であること、男の仕事であることという歴史による強いこだわりがある、という世界。

落語家の物語が核になっているがために、双子の男女を入れ替えるという対象性が物語のバランスとして崩れてしまっている感じは否めません。ましてや、客も含めて皆、男だとわかって楽しんでいたというのだから、男女逆転も、発想としてはおもしろいけれど、物語として巧く機能してるとはいえない感じも残ります。学問と女性という点で津田梅子を持ってくるのは巧いと云えば巧いけれど、ややとってつけた感じ。

いくつも舞台として見所があります。たとえば格子戸に囲まれた舞台の向こう側で待機する役者たち。外側待機というスタイルは使い古された感もありますが、板張りの舞台の外側に格子戸を置いて間に挟むだけで語られる世界の質感が数段アップする不思議。取り替えられた女と遊女が抱かれた後の台詞や、落語を取り上げられた女と師匠の台詞という、空間や時代を超えた二者が同期して発話するシーンの音の美しさは格別で、実に心地よいのです。

たとえば言葉の端々がやけに今っぽかったり、いくらなんでも江戸時代を設定してるシーンでマッチはなかろうと思ったり、板の間に座ったままの落語は寂しいなと思ったり、あとから考えれば違和感はいくらでも出てくるのですが、実際のところそれが見ている最中は不思議と気にならないというのは、この江戸とも現代ともつかない不思議な空間にアタシがとりこまれたのだなぁと思ったりもするのですが。

笠井里美は、江戸っ娘よろしく気っ風のいい姉様口調にしびれます。

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【芝居】「ことし、さいあくだった人」エビス駅前バーP

2013.12.22 16:00 [CoRich]

25日までエビス駅前バー。 80分。 小説家志望だが実績のない女。大人の恋の物語をオーダーされるも経験は乏しく、男友達が働くバーでバイトに入り客の話をネタにしようとする。
常連の女が社内恋愛に悩む同僚の相談に乗ろうと待ち合わせるが、雲行きが怪しい。
落ち込んだ若手を慰めるために呑みにつれだした先輩と課長。トラウマから女が苦手だという若手がバーで見かけ一目惚れした女と近づけるようにするが。

恋をめぐるいいことなかった人々のものがたり。外側に興味津々な小説家志望を置き、二股の上に風俗通いがやめられない男に惚れてしまった女二人の修羅場、さらには女が苦手な若者とそれを応援する先輩や上司といった人々のドタバタに描きます。

前半の物語はいわゆる三角関係。わりと早い段階で読めてしまう関係、前半こそ正面衝突をなんとか回避するように物語を運びつつも、後半に至っても解決に至らず同じところをぐるぐると回ってしまうというキライはあるし、ビッチだったりやや病んでる感じすらあったりとキャラクタが極端に過ぎるというのもあるのだけれど、それぞれが何か欠陥を抱えた人々の恋愛という意味では「大人の恋愛」そのものを描いているともいえるのです。

この題材にして、サラリーマン三人の後半はどうしてもこれだけでは物語が自立せず、結局前半の物語の関係に追っかけで物語を盛るような不思議な構成に。中年な課長が若い女性に話しかけたらなんかいい雰囲気になってしまうとか、どこの世界のファンタジーかと思ったりもするけれど、そういうことがあってもいいのがクリスマス。かとも思ったり。

物語のベースになるのは、ややいたずらっぽい目で笑いながら、小説のネタ探しをする女と、それに優しい視線を投げかける男の物語。男の想いはやや描かれても、それ以上までは描かない寸止め感は微妙なところ。 小説家志望を演じた菊池美里は、コミカルに強い女優で、口数の少なさでおもしろい、というのが多い印象ですが、大量の台詞で笑いをドライブするということはむしろ珍しい感じだけれど巧くまわります。彼女に想いを抱く男を演じた伊丹孝利もこの雰囲気によくあっています。田口千尋は大人っぽさの造形、引き込まれるような目力。斉藤麻衣子は神経質そう。あいまいな記憶ですが、ビッチとメンヘラ、と二人を評していう雰囲気をふたりとも体現しています。

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【芝居】「治天ノ君」チョコレートケーキ

2013.12.22 13:00 [CoRich]

22日まで駅前劇場。140分。アタシは劇団初見です。

皇太子として節子と結婚した嘉仁、側室の子で身体は弱く勉学に秀でているともいえなかったうえ、父・明治天皇の考える天皇は神の如く君臨せねばならないという考え方にも沿わず、臣民に近しく親しみやすくあった。大正天皇となり、激務の中で体調をくずし、やがて公務を果たすことも難しくなり、息子・裕仁の摂政を受け入れざるを得なくなる。それは同時に、明治天皇と同じ絶対である天皇のありかた、という時代に戻ることでもあった。

皇后節子を語り部として、夫・大正天皇(wikipedia)、父・明治天皇、息子昭和天皇の三世代での天皇のありかたを語る物語。フィクション、とは断りつつもわりとWikipediaに描かれるような人となり、といったものを色濃く描き出します。江戸から明治時代という大きな変化の中で決してぶれることなくそこに存在しつづけ、「神棚」でありつづけることが求められた明治、あまりの急激な変化の中で国としての疲労が限界に達して少し歩みをゆるめたという大正、その後の時代で世界的なおおきなうねりの中に巻き込まれていくために再び力強いことが求められた昭和の時代。三つの時代の背景を描きながら、その中でそれぞれの天皇像が語られていきます。

劇団名に似合わず重厚な物語を紡ぐという評判は耳にしているものの、なぜかいつも激戦区な週末に重なってしまい今回劇団初見。政治とか天皇のありかたといったやや歯ごたえのある題材ではあるけれど、史実の隙間の面白さが存分に。史実といってもそれほどの知識が要求されるでなく、むしろ「人間」(この物語でこの言葉の意味は重い)の強い思いが物語をドライブすることによって牽引される物語の強さとでも云いましょうか。国を治めるものではあるけれど、一方では一人の人間としての苦悩や生き方を骨太に描いた物語は力強く重厚で、しかもいたずらに複雑にはならない見やすさも兼ね備えています。

語っている題材もあってか、全体として重厚さが勝る造形の役者たち。小劇場というフィールドで見慣れた役者が多数出ていますが、プロトコルというか形式や威厳といったものを前面に押している雰囲気は珍しい。たとえば、現人神たる明治天皇を演じた谷仲恵輔は普段はむしろ人間くささこそ持ち味の役者なのですが、この威厳のすごさ。普段は軽さこそ身の上という雰囲気の役が多い青木柳葉魚も(大正天皇への心酔はあるにせよ)全体としてはこの時代の重厚さをきちんと。
松本紀保は格が一段違うという印象だけれど、三つの世代を見続けているという役にはそれが座組のバランスの中ではプラスに作用した印象。冷たくあり続ける政治家を演じた金成均も実に雰囲気がよくて、印象的。

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【芝居】「Romantic Love?」競泳水着

2013.12.21 14:00 [CoRich]

125分。26日までサンモールスタジオ。

元カレと結婚することになった友人のパーティに呼ばれる女。初恋、先生を経て美大進学に上京。やがて料理が出来て優しい映像関係の男と結婚も考えるように。その妹とも仲良くなる。男は映像をやめて就職して、絵を描く女を応援するという。男は忙しくなり女は不安になる。イラストの仕事を発注してくれた男に相談した挙げ句、肌を重ねてしまう。
芸大の親友にはツッコまれまくり。果たして個展を開くけれど。

主人公・ゆきを巡る恋愛模様。いくつかの恋愛を経て、結婚まで至ろうという彼氏は自分のことを心から支えてくれているのはわかっているし、その妹とも本当に仲良くなったけれど、恋人らしくふれあい、温もりあうことが減ってしまうことに募る不安。仕事で出会った男は冷たいぐらいなのにオトコを感じ惹かれてしまうという自分のオンナの部分に戸惑いながらも、恋愛(というよりは性愛だと思うけれど)を選ぶ感覚。

わりとドロドロで、愛情とセックスが分裂してしまった感じのアンバランスといったベタな物語 。冷静に考えたら主役・りさは相当にビッチなんですが、その揺れ動く気持ちを持つ女、を物語として眺めている分には愛おしく感じてしまうのです。が、おそらく評価はひとそれぞれだろうし、絶賛したとしても男性と女性では基本的に違うところを見ているんじゃないか、と思ったりします。 観客が女性ならば感情移入できるかどうかの観客の視座にかかっているだろうし、観客が男性ならこんなビッチは許せないという視点が基本になりそうな気がするので、「愛おしい」というアタシの感想はなんか特殊な気がします。

上野友之が得意とする恋愛・トレンディという路線。あらたな役者のキャラクタゆえなのか、旗揚げ十年を経て作家がオヤジになったのか、ここまで性愛原理主義のような物語はわりと珍しい感じがします。男性側の「やりたい」の論理ではなくて、どこまでも女性が自立的に選んでいくこと。それが必ずしも成功しないというのもいいし、ことさらにだめんずというわけでも、セックスに縛られながらも溺れるほどではないという絶妙さが心地よいのです。

恋愛とセックスと気持ちと。こういう話を肴に女性ととことん語り合いたいなぁと思うけれど、恋愛偏差値がひたすらに低いアタシだと何が語れるんだとも思うし、それなのにそういう話を異性としていると、どうしてもその人自身を意識してしまう感じではあるし、そもそもそういう人はいったいどこに(泣)。

主役を演じた田中沙織、公開結婚ののち離婚を経てるということを一般の観客であるアタシでも知ってる、ということが、恋愛する気持ちもカラダに惹かれる気持ちもという生々しさと奥行きを感じさせます。 彼女を支えるために就職した挙げ句にフられてしまう男を演じた斉藤マッチュは優しさ主体な造形。その妹を演じた谷田部美咲は若い潔癖さと(兄の婚約者という)年上の友達な感覚という若さがほんとうに眩しい。選ばれる男を演じた倉田大輔は、体温低そうなのに仕事も出来てきっとセックスが巧いんだろうなぁという造形なんかイラっと来るけどちょっとうらやましい、なんてことを40過ぎてるアタシがいってちゃいけないわけですが。その男とのセックスが本当に忘れられない女を演じた亀田梨紗も実にいい。なんだろ、こういう生々しい造形に惹かれてしまうオヤジな私です。 美大の同級生を演じた小野寺ずる、いわゆる頭の中の天使と悪魔というツッコミの役回り。きっちり。
アタシが観た21日昼のゲストは堀越涼。なよっとした口調なのだけど、それが優しげで心地よい感じ。

21日昼の終演後に設定されたイベントは、旗揚げ公演のリーディングを50分ほど。ラブホテルの三部屋を巡るカップルたちとその間を繋ぐ掃除のおばちゃんの話。高校生カップルになったのび太としずかちゃん、出会い系で出会った男女、夫のいいつけでスワッピングしたカップル。ぎこちなささったり、どん欲なセックスだったり、戸惑いだったり。全体には爆笑編な作りに、どこまでも中二っぽいエロ満載な感じが楽しい。スワッピングにとまどう女を演じたすがやかずみの一途さが可愛らしい。掃除のおばちゃんを演じた森谷ふみはどこまでもコメディエンヌで下世話にならない感じがいい。セックスにどん欲な女を演じた谷田部美咲はさっぱりした感じなのにこの役というギャップの魅力。

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2013.12.18

【芝居】「1万円の使いみち」monophonic orchestra

2013.12.15 18:00 [CoRich]

須貝英のユニット、monophonic orchestraの新作。110分。25日まで新宿眼科画廊。

映画学校の卒業制作として、一万円を使いきって貰うことをドキュメンタリーとして描こうと考えた男。街で声をかけたアルバイトの男にその一万円を託す。久しぶりの友人たちに会ってみようと出かける。ほのかに想いを寄せる女、金持ちで金を借りっぱなしの男、先輩のバイト先。ふとしたきっかけで、卒業制作の一万円の入手の顛末を聞いた男は、今やらなければいけないことを思い出す。

ロードムービー風に吉祥寺・渋谷・横浜を結ぶ物語。亡くなってしまった恋人への想い、それを見守る友人、あるいはほのかな恋心のまま長い時間が過ぎすでに恋人ができてしまっているという女への想い。長くつきあっている恋人に一区切りをつけようという気持ちのすれ違いなど、さまざまなカップルたちの物語を描きます。

学校に忘れ物を取りに戻ったあたり、亡くなった恋人に囚われている男と、それを見守る女のシーンが好きです。よくある王道風といえばそうだけれど、それが謎めいた一万円に表出して物語の骨格になるということにワクワクとします。

あるいは、長くつきあっている恋人への別れを告げようと決心する女、それを一万円ムービーに感化されたか、同様にデートで一万円使いきったらというゲームに仕立てる感じ。ライトに過ぎるのではないかという気がしないでもありませんが、別れを切り出すハードルってのはキツいわけで、その後押しをゲームめいたことに託してみるという気持ちもおもしろい。

ロードムービーという軸に対して、それぞれが一万円の使い道を考えるという骨格は面白いけれど、正直に云えば、(すくなくともアタシの観た時点では)たとえばボンボンと役者の卵が物語としては収束しないのが惜しい感じは残ります。

ロードムービーな二人を演じた大石憲と篠崎大悟は旅をしてる感じがたのしいし、それぞれの裏側に見えてくる思いが両輪になって走っているグルーブ感がいい。別れたい女を演じた伊佐千明は決心してでもいいあぐねて、きちんと向き合って切り出す表情がカッコイイ。方々でバイトする女を演じた小笠原結はそれぞれの場所でそれぞれかみ合わない感じが可愛らしく、コメディのリズムを作ります。見守る女を演じた津留崎夏子、思い続ける造形がすき。役者の卵を演じた荒川佳もボンボンを演じた櫻井竜もなんか若いゆえにかみあわない感じも含めて微笑ましく。別れたくない男を演じた加藤岳史は人の良さが前面にでるよう、実直でまっすぐ。

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【芝居】「目頭を押さえた」iaku

2013.12.15 13:00 [CoRich] 昨年初演の作品を東京・三重のツアー。 アタシは劇団じたいが初見です。三重のあと、15日までアゴラ劇場。115分。

田舎の村、山の林業で暮らしている。それぞれの村が仕事を分業することが進んでいるが、この村にはもう林業を営んでいるのは枝払いの一軒しかない。弔いもその一軒が行う習わしで喪屋(モヤ)が庭にある。
その家の高校生の娘をモデルにして同級生が撮った写真が高校生の写真コンクールで全国一位に輝く。亡き母のカメラで母親の生まれ故郷のこの村の暮らしている姿を遺影として撮りつづけてきたなかの一枚。父親は妻を亡くしたあとに、娘をつれてこの村にやってきた。葬儀社で勤めていて、古いしきたりの親戚との距離がある。
高校の写真部はたった一人で、暗室を取り上げられることになってしまい、この喪屋を使わせてほしい、と頼む。本来は亡くなった者と跡取りだけが入れる部屋だが、普段はおとなしい従姉妹の熱意にそれを許す。コンクールの優勝を機会に、写真を学びたくなり、ここを出て東京の芸大に進もうと考え始める。

少しばかり不思議な葬儀の風習を持つ田舎を舞台に、村で一軒になりながらも林業と風習を引き継ぐ一家と、そこから東京に嫁いでいたが亡くなりこの土地で働くようになっていた一家。従姉妹どうしの二人の女子高生を物語の核にしながら、この狭いコミュニティの中で風習や産業を引き継いでいくこと、を描きます。

田舎のこんな土地だけれど、短大には通わせてもらえそうだし、この集落から出て行くという選択肢を思い浮かべもしなかった女子高生。従姉妹だってきっと同じようにここに残るはずだと思っていたのに、コンクールの優勝というきっかけで東京に出てみようと考えているのを知り、置いて行かれるという気持ちがめいっぱいに。想いを寄せる教師も顧問と部員という立場ゆえに近いのが嫉妬を生み出していること。

田舎の女子高生という役だけれど、セーラー服はともかく、夏休みらしいやや露出多めな普段着のまぶしさったらないのです。物語に出てくるほとんどは親戚や女性ですから、そこに唯一若い教師が他人として存在しているということ。そこには成熟し恋心も嫉妬もしているという大人の女のすがたが描かれているように思います。 写真家になりたい女子高生を演じた松永渚は、物静かな中に力強い将来への意思が少女から大人への一歩をしっかりと。従姉妹の女子高生を演じた橋爪未萠里はそれまでの明るさ爛漫さゆえに、逆に教師への想いが伝えられなかったり、置かれていくような寂しさが終盤で決定的な一枚を撮ることにつながるという説得力。

写真家になりたいという娘を持つ父親はその成長を眩しく思いながらも、彼にだって生活がある拘泥。他の土地から来たのに一人でもここで暮らすことに拘泥することに多少の違和感は感じるけれど、あの不器用な感じがやっとの思いで手にした仕事を手放したくないという気持ちか。 娘を手放してしまえばこの土地へのつながりを失い仕事も生活も立ちゆかなくなるというということの恐怖はいかばかり。演じた金替康博は、どこか抜けたようなコミカルさが持ち味の役者ですが、それが木訥とした生真面目さのようなものを感じさせていい味になっています。

わりと重い物語に見えたりもするけれど、実際に見ている感覚は大笑いするようなシーンも多くて実に見やすいのです。ひたすらにカレーが出てくる感じとか、夫婦の会話のずれた感じ、つっこむ感じの楽しさとかのバランスがとてもいいのです。 この土地独特の風習を語りながらも、この笑いによるリズムや見やすさを支えるのは、夫婦の二人。 父親を演じた緒方晋の凄さ。関西弁のおっちゃん風で、やや不機嫌気味に突っ込んでいく感じとか、基本的にはあまりしゃべらない感じとかが大人の男っぽくてカッコいい。母親を演じた魔瑠はずいぶん久し振りに拝見する気がしますが、かつて遊気舎が東京公演を重ねていた頃のアナーキーさはどこへやら、可愛らしさも兼ね備えつつ、おばちゃん風情な感じが物語を柔らかくしています。

教師を演じるうえだひろしは、若い教師のまっすぐさ、揺れる気持ちが繊細に。家庭教師を演じた七味まゆ味は、都会のキレイな女の人、という女子高生にとっての憧れを体現するような素敵さ。長男を演じた野村脩貴は子役だけれど、ゲームばかりの引っ込み思案な「子供」っぽさが成長する一瞬が印象的。

なにより、登場するすべての役がきちんと物語をもっているし、無駄だと思えるエピソードも物語も何一つなくて、必要にして十分という密度のすごみ。どの役のどの台詞も削れないようなぴったりした感じは気持ちがいいのです。

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2013.12.16

【芝居】「アイロニーの夜」KAKUTA

2013.12.15 19:00 [CoRich]

14日まですみだパークスタジオ倉。 朗読シリーズ。140分。14日まで。

洗濯物を干していたら髪の毛が物干し竿にからみついた。外を通っていた男が解いて、庭が気になるといって、手入れをする、出来は良くて、料金も格安。トイが気になり、物置が気になり。「テンガロンハット」(kindle版あり)
同級生はものすごく格好良くて、動物園のアドバイスでキスも出来た。社会人になって、自分は中華料理屋に、もう一人は文房具屋に。格好良かった同級生は車の部品を作っていて、相変わらずカッコいい。社員食堂があまりに混んでいて、ショートカットしようと、プレス機の横をすり抜けるが。「虎の肉球は消音器」
銭湯で風呂に入る女二人。高円寺には「足が炎上してる男」が居るという。恩師の葬式で同級生はいっぱい居たが、昔のとおり、モテもせず、同級生たちも気づかず、親友と二人、そんな炎上の話をする。マンションを買い(諦めてない)、自分だって稼げている。女ふたり、バンドを始めることにする。「炎上する君」
隣に引っ越してきた熊とピクニックに出かける。(が、2011年の春か)「神様2011」
勤めていた工場をクビになった女は列車にのって旅に出ようと考えるが、停車中の駅で、同じ工場の後輩にみつかり、彼女と一緒に旅をすることになる。「アイロニーの夜」

日常がほころぶ瞬間というテーマで集められたのかな、と邪推する短編集。ホラーめいていたり、SFっぽかったりというバラエティが楽しい詰め合わせ。

「テンガロン〜」は日常に滑り込む善意に見える他人がエスカレートしていく一本。悪意のかけらもなく善意ゆえにというのは小説という感じですが、最初のきっかけはともかく、善意が膨らんで、日常のちょっとしたことから、どんどんコントロールが効かなくなっていく感じの怖さ。 男を演じた若狭勝也は、いい男ゆえに女が一瞬油断するということの説得力。女を演じた大枝佳織は、最初の物干し竿に髪の毛が絡むというのがやけに可愛らしくて目が離せないまま、物語に引き込まれます。

「虎の〜」は腐れ縁の男ともだち、年を重ねていけば人生のコマを順調に進めるもの、挫折するもの、そもそもスタートもしてないものなどそれぞれの差が出てくる感じは身に沁みます。ちょっと巧く人生立ち回っていたとしても、それがある日突然反転してしまう感じ。仕事なんてものがどうなっていくかはもう解らないのだという今の時代の雰囲気にもよくあっています。俺を演じた成清正紀は置いて行かれる感じの焦りと、それゆえに二人の友達をずっと見つづけているという造形。追い抜かれる男を演じた佐賀野雅和も、追い越す男を演じた櫻井麻樹ともども、くだらない男子たちの腐れ縁、という楽しさを目一杯。

「炎上〜」は恋とか結婚とかにはもうはっきり見切りをつけた女ともだちふたり。順調で隙のない生活設計のはずなのに、何かが足りないと感じて高円寺に住んでみたりバンドを始めてみたり(もっとも生活は安定させた上でというのがちょっといい)というのが、なんかカッコいい。どこかコミカルで形式ばった風の女二人のかけあいがおもしろいけれど、それが「女を値踏みしない男」に出会うことであっさり女になってしまう、という落差を生み出して、それまで穿いたことのないハイヒールとか、身体を磨くということになっていくのが微笑ましい。もっとも、こういう「かわいくなっちゃう女」をいいなと思ってしまうと云うこと自体がもう、女を女として値踏みしてるってことなのだろうから、この物語の中では唾棄すべきもの、ってことなんですが。
最強の女優二人のタッグが楽しい。高速に三つ編みをする女を演じた桑原裕子も高円寺に住んでいた女を演じた異儀田夏葉にしても、決してブスなんかではないのに、こういう役がくるとやけにイキイキと見えてしまうというのはどうなんだ、と思ったり。

「神様〜」 (1, 2) はこの劇団の朗読シリーズでは定番となった一編を311以降に作家自身が書き直した一本。物語の骨子は変わらないのに、そこかしこに放射線とつきあうざるをえない人々の生活という体裁に変えています。正直にいえば、物語としておもしろくはなっていません。川上弘美ほどの作家がそれを自覚できないわけはありませんから、それでも彼女にとって最初に賞を取った一番大切であろう短編をあえてこう書き直そうと考えた、という事実こそが作家の怒りというか悲しさの深さを感じさせるのです。
「神様」を大切に取り上げてきたKAKUTAのリーディングがこれにもあえて「つきあっていこう」という心意気に主宰の、あるいは劇団の気持ちを感じて嬉しくなるのです。

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【芝居】「ショッキングなほど煮えたぎれ美しく」KAKUTA

2013.12.14 14:00 [CoRich]

KAKUTAの新作、青春群像劇と銘打つ120分。15日まで、すみだパークスタジオ。

稼いでいる父親のもと、父親の金で遊び回り、何不自由ない生活を送っていた高校生。ある日帰宅すると、父親が首をつっていた。命をとりとめたものの、汚職の疑惑もあり周囲は騒がしくなり、預けられた祖父は突然亡くなってしまう。夏休みということもあり、オジさんの元に預けられる。雀荘を営むオジさんはその高校生を近所のサバ加工工場で働かせる。

「渾身のこじらせ力」と評されるらしいバンド・フリサトの音楽を挟みながら、どこか冷めた高校生、あきらめた中年の両方を核に、熱い気持ちという「ロック」な人々を、コミカルに描きます。

地方都市の高校生、東京への距離感を持ちながらも、さしるバイトがあるわけでもなく、サバ加工工場での人々。 金に不自由しなかった高校生、地味でキツいバイトで得た初めての金。それをことさらに喜んだりはしないけれど、じゃあ、いっちょ打ち上げますかという気持ち、高校生が飲み屋、しかもスナックに迷い込んでしまう感じの居心地の悪さ、高校生が飲酒というのを厳しく云う向きもありましょうが、ダメな他人の大人たちのダメな姿を見るという「社会勉強」というのは確かに必要な過程で、それはコミュニティのひとつの姿。 竜史が演じる高校生。どこまでもちゃんと高校生、スレた感じも、それが田舎で洗われたようにエネルギーがめいっぱいという感じの振れ幅もいいのです。

あるいは、地元の「ダメ大人」そのままに、何もかもあきらめて無気力な感じの大人、それが高校生と暮らしたからというわけじゃないのだろうけれど、とりあえずは「働く」という一歩の重さ。私はどちらかというと、こちらの感覚のほうに寄り添われる気持ちがします。 演じた成清正紀は、静かにフラットな諦観の雰囲気がいいし、終盤のちょっと暴れる感じは氷が溶けるようでかっこいい。それに思いを寄せる女を演じた高山奈央子はすらりと美しく、パンツ見せたって下品にならず、威厳すら。でも、その想いのストレートさが切ない。スナックのマスターを演じた若狭勝也はフラットにこの土地の大人の基準を保つポジションを。借金を抱える男を演じた実近順次の、人がいいから謝金を抱えてしまうという人間の造形が実に良くて。

高校生たちの友達という感覚だったり、親や親戚や自分についての不満や将来の不安を抱えた感じ、あるいは実らない恋心だったりと青春群像劇まっさかりの物語が微笑ましく楽しい。片思い、おもいがけない方向からの想いに驚いたりするきもち。無邪気に親友と思うきもちもまた青春。なんか本当にまぶしい。 仁藤萌乃はなるほど、歌を一曲というポジション。恋の行方だってきっちり描かれているサイドストーリーを背負うし、歌ナシできっちり勝負したって大丈夫なのにむしろ勿体ない気持ちもあるけれど、目当てな方もいるだろうから難しいところ。鈴木朝代の丸顔な感じの可愛らしさ。想いはあるけれど伝えられない女子っぽさの造形もいいのです。

あるいは見合いで結婚が決まっているのに、どうにもそういう気持ちになれない女。ここからあきらかに生活レベルがあがるということを嬉しく想っている兄の酔っぱらいのダメさ加減。なんか自分を見るよう(泣)。演じた坪内悟の優しい雰囲気がいい。妹を演じた異儀田夏葉、なかなか普段の役では見られないような、いわゆる婚約者然としたファッションがみな可愛らしくて、なんか娘を観てるような気持ちになってしまう妙。

サバ加工工場の主任を演じた桑原裕子は、出落ちかと思わせる、アイパッチに青づくめ。あからさまにコミカルでもあるけれど、意味深でもあったりしてカッコいい。この無茶な場所を牽引する力を持ちつつ、まあ、オイシい役ではあるけれど。社員を演じた野澤爽子はどこまでも真面目がよくあっています。

ミュージシャンがきっちり歌いつつ、きちんとした演劇というフォーマットは、芝居ばかりにかまけていてライブからは遠くなっちゃってるアタシにはまた楽しい空間。もっとも、これはこれで難しいところで、歌を何曲もきっちり入れて、芝居もちゃんとあってとなるとどうしても時間は長くなりがちです。曲の難しいところは、物語の幕間としての曲の雰囲気は感じ取れても、歌詞の方は(歳のせいか)初めて聴くとなかなか聞き取れず、物語との繋がりを楽しみづらいところ。CD販売買っておけば良かったなとおもいつつも、当日パンフに歌詞が入ってたら嬉しいな、と思ってしまうけれどこれは違うかなぁ。まだ判断に迷います。

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【芝居】「Life Shot」さるしげろっく

2013.12.12 19:00 [CoRich]

東京の劇団の松本ツアー。東京のあと、15日まで信濃ギャラリー。

父親のギャラリーに集う息子と同級生たち。卒業式の日。じゃあ呑むか、といって盛り上がって買い出しに行ったり、第二ボタンを貰いに女子が来たりする。
成人式の日。それぞれの道。地方の大学、演劇、ギャラリーを継いでたり。
仲間の一人の結婚式の前日、余興の相談。
同窓会を抜け出してきたあのときの仲間。離婚を経験した仲間に恋人が出来ていて、身体を心配してるが、その直後に亡くなってしまう。
演劇を続けるために金を無心する男。小説を諦めた男はおもしろくない。
ギャラリー最後の日。最初にして最後の写真展。卒業式から50年経っている。そこに、あの子の娘が現れる。

東京・松本ともギャラリーと名の付いた演劇スペースでの公演。フラットな場所を囲むように客席というのもおそらく同じような感じでしょう。写真の画廊という場所に集う人々の高校卒業からの50年を描きます。恋心、親友、久しぶりに会ったりという、ゆるやかに、しかしつながりあう人々が紡ぐ物語。

写真が上手かった父親から引き継いだ画廊だけれど、自分ではほとんど写真を撮らずに過ごしてきた日々。オープニングでおそらくは父親が嬉しい気持ちで掲げる写真は妹の足の裏を撮った写真、明確には語られないけれど、これはおそらく兄が初めて撮った写真なのでしょう。写真は好きじゃない、とはいいながらも卒業式とか独身最後とか、節目の写真を撮るということは普通のこと。写ルンですとか、写メとか、コンパクトデジカメの気楽な写真とか。50年も経った初めての写真展、撮りためたそれぞれの写真を並べることで、早回しでよみがえる記憶はどこまでも美しくなるのです。

男子高校生の腐れ縁、馬鹿話も、恋バナっぽいことも、醸されてきたことの時間軸の長さ。あからさまにコスプレのように子供から老人に至るまできちんとしたダイナミックレンジ。しっかりとした役者たちによる物語は時に少々イタい感じにもなるけれど、それに笑いを依存することなく、どこまでも真面目にこの50年を描こうという姿勢。若い頃よりも年齢を重ねてからのシーンに向かってどんどんコミカルを減らすというのはこの時間軸の醸し出した重みを感じさせるつくり。

正直に言えば、物語のバランスとしてやけに長いところ、短いところに違和感。これがリズムになりきれない感じが少しばかり残るのはやや残念。たとえばゲストのシーンが大爆笑になるのだったらこれが真ん中あたりに欲しいな、という気もしますが、ゲスト次第とも思うので難しいところ。

ギャラリーの主を演じた賢茂エイジはやや籠もり気味な造形だけれど親友を思うきもちの圧倒的な強さ。第二ボタンを貰われて、そのひとつの想いでをずっとずっと大事にするナイーブさもきちんと。友人を演じた天晴一之丞は声が大きくて大人という落ち着きと存在感が圧巻。それゆえに亡くしてしまった時の喪失感の大きさに説得力。もう一人の友人を演じた竹中孝明は小説を諦め、きちんと働くというクリエイターを離れた立場をしっかり。さらに一人の友人を演じた永野和宏はエンゲキに進んだ人生という説得力な声と熱さ。ずっと一緒にいる同級生を演じた飛田さやかはかわいらしく愛される存在という説得力。第二ボタンを貰いアメリカに留学した同級生を演じた柳里実のあけっぴろげな造形が楽しい。妹を演じた斎藤なぎはかわいらしく飛び跳ねる感じから、空間デザイナーという大人な卒業までをしっかり、たばこをやめさせたかった恋人を演じた舞華はまっすぐな気持ちをしっかり。 日替わりゲストを演じた中村まゆみはきっちりコミカルに。

東京でやっているフルサイズの公演を松本に自主公演として持ってくる劇団はほとんどありません。信州大学の劇団・山脈(やまなみ)出身ということから企画されている公演のようですが、東京の公演にはなかなかコマ不足で伺えなくても、平日の松本公演ならほいほいと通ってしまうあたしなのです(笑)。

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2013.12.11

【芝居】「デンギョー!」小松台東

2013.12.8 18:00  [CoRich]

小松台東(こまつだいひがし)の新作は、地方の小さな電気工事会社("電業")をめぐるオジサンたちの熱い物語、110分。10日までラビネスト。

工事会社の現場作業者「電工さん」の詰め所。現場からのたたき上げでこの会社を作った社長が入院してしまう。社長に家庭的な雰囲気と厳しさの両方があって育て上げられ、見守られ続けてきた会社ゆえに、外部からやってきた社長の代理と現場の間には溝がある。さらに、地元出身だが東京で銀行に勤めていた元銀行マンを執行役員として迎えられる。現場の作業者たちは、いままでの社長からの変化に戸惑い、反発する。

作業着姿の現場の熱いものがたり。若い役も物語には含まれていますが、物語の骨格を作るのは、社長など一つ上の世代が去り、自分たちがその会社を支えるという世代に直面する、ということ。大きな会社なら、「半沢直樹」や「踊る大捜査線」のような、何段階もあるステップの一部になるのでしょうが、小さな会社の人間の物語として描いた結果、一番のペーペーから、文字通り明日からのリーダーに至るまでが、この狭い詰め所で、ほんの数日の物語として描ける濃密さを持ちます。

ことさらにハッピーエンドにしなくても、残って続けることを決めるもの、去るものがいるという決断のリアリティ、さらには熱い想いだけでは妻子を養えないという現実を(ややコミカルに)重ねることでリアリティを持つのです。

実体験があるわけじゃないけれど、引きこもりがちだったり使い物になりそうもない若者にともかく仕事を与えたり、社員同士を結婚させて人生の駒を進めたりということを積極的にやっているという、ある種の家族のような小さな世界の中で仕事も私生活も含めて「コミュニティ」として生きていくということ。ことさらに人のためになるような理念の会社だということを台詞にしなくても、小さな会社ゆえに一人のパーソナリティに結実させれば、この会社がどういう雰囲気でうまくやってきたかということがきっちり描かれるのは巧い。

世代交代のフロントエンドという年代ゆえか、あるいは「電気」工事というのが微妙に近しく感じるのか、働くオジさんたちの物語はアタシの心を掴んで離しません。下請けの男のセリフの一つ一つの悲哀にしても、綺麗事じゃ生活はしていけないという現実にしても、それでもここで踏ん張るという気持ちにしても、仕事と生活にちゃんと向き合うこと、ということを改めてたたき込まれるようで、泣いてしまいそうなシーンがいくつも。

業種は違うけれど、現場作業の男たち、という意味では、吾妻ひでお「失踪日記」のガス工事の日々を思い浮かべたりもします。

東京からやってきた男を演じた佐藤達の生真面目な前向きさがいい造型。リーダー格を演じた小林俊祐の不器用さ時折見せるコミカルが実に味わい深くていいオヤジっぽく印象に残ります。中堅を演じた永山智啓は要所を締めつつも妻を演じた石澤美和とのバカップルぶりが微笑ましくて好き。外注を演じた竹岡真悟は実力も迫力もあるけれどという立場込みでカッコイイおやじっぷり。なよっとした男を演じた中田麦平の真っ直ぐな恋心、「意識が高くて」やや浮き気味の若手をえんじた尾倉ケント、初めての担当でいきなり鼻っ柱を折られる緑川陽介、挨拶と想いだけはやたらにいい小笠原健吉、新入社員を演じた塙育大と、それぞれが実に魅力的。
何より凄いと思うのは、事務職の女の若い方を演じた大竹沙絵子で、タトゥの今時の若者風の造形からスタートしながら、生い立ちを経て出てくる深い闇、その先には「喧嘩をやめて」状態のめまぐるしさで、振り幅も奥行きも実に印象的な一本。作家を兼ねる松本哲也はどこまでもヒールでクール。だけど、それも現実という立場をしっかりと。

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【芝居】「性病はなによりの証拠」ブラジル

2013.12.8 13:00  [CoRich]

ブラジルとして10年目の再演。アタシは本作初見です。120分。8日まで王子小劇場。

町工場の社員旅行で来た八丈島。小さな工場故に恋人を連れている社員も居る。二級船舶を持っている社員の操縦で船を借りてホエールウォッチングに出たが、大波におそわれ、レジャーボートにぎゅう詰めになった8人が漂流している。
そのうち、一人が突然嘔吐に襲われる。元看護師の社員に問いつめられ、性的接触でしか感染しない性病にかかっていたが、その治療薬は船に置いてきてしまったという。

白濁系といわれてたころよりはずいぶん後だけれど、黄色い嘔吐物がそこら中に出てくるなど、往年の「エロ・グロ・ナンセンス」な感じもたくさん。

生死が迫る過酷で切迫した状況を舞台にそこに性的接触でのみ感染するという性病という物語のスパイスを一振り。隠しておきたかったことが露呈していくという過程の面白さ。小さな嘘はもとより、生き様とか愛とか生活とかさまざま偉そうなことを云っておきながら「セックスをした」という一点で崩れてしままうこと。それを混乱しながらも乗り越えていったり、あるいは乗り越えるまでもなくそんなことは折り込み済みで変わらぬ愛情だったりが交錯する物語は、物理的な狭さもあいまって圧倒的な密度で迫ってくるのです。

これだけセックスのことを扱っているのに、舞台では直接的には性的なことをほとんど描かない(そのかわり嘔吐しまくりなわけですが )というのもちょっといい。7日水なしはいくらなんでもとか、そもそも排泄はどうしてるのだとか、まあ細かいところをツッコめばキリがない気もしますが、それは黙って見過ごすのが吉。

役者8人が乗る定員3人のレジャー用ゴムボートが中央に。それを囲むように客席が設定されています。ボートに乗っている役者たちは中央に向かい合って乗ることになるので、背中しか見えないシーンがいくつもあるのだけれど、それがあまり気にならないのはわりと良く拝見している役者揃いというだけではなくて、それぞれの役の関係や立場が(役名の横に書けるぐらいに)明確に分かれていて、仕草が想像できるぐらいにはっきりしたコントラストをもって造型されているからではないかと思います。

見せ方に関してはもうひとつ。最初は観客を混乱させないために座り位置を固定したままである程度物語を進め、役が定着したあたりで(方向のないゴムボートという枠を生かして)、途中の暗転で役者を180度入れ替えています。「物語の受け入れやすさ・見やすさ」と、「見えないという観客のストレス」をわりと早い段階で低減するというバランス。巧いなぁと思うのです。私のような記憶力の薄弱な観客でも安心して見ていられる安心感。

主任を演じた西山聡が前半を空回り気味でも構わず突っ走ることで、ほとんど動きのない舞台の助走となります。ボートに詳しい男を演じた印宮伸二は信号弾がないことなど物語の細かなリアリティを支えることでこの物語という大きな嘘っぱちに説得力。妻にデロデロな感じも楽しい。その妻を演じた金沢涼恵は献身さが勝つ前半から後半で開きなおる感じが楽しい。女が前面に出る感じは珍しいけれど、ホンモノの色気に至らないのは可愛らしくご愛敬。お局を演じた堀川炎は情欲も諦観もいいバランス。社長を演じた辰巳智秋との取っ組み合いのあまりの大きさが違うコントラスト。互いに首に手を回してるのに、片や半分もまわらず、かたや頭全体を包み込めそうなほどの差なのに取っ組み合いが対等に感じられるぐらいのパワフルが楽しい。その辰巳智秋、食欲に振ったのんびりした感じがすき。作家志望を演じた諌山幸治、その恋人を演じた小川夏鈴の引かれ合う感じが素敵、佐々木千恵のヤンキー豹変が楽しい。ちょっと水着が見え隠れしちゃうのも喜んでしまうオヤジなアタシです。

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2013.12.10

【芝居】「ア・ラ・カルト2 ~役者と音楽家のいるレストラン Final」青山円形劇場(こどもの城)

2013.12.7 17:00 [CoRich]

フォーマット変更から5年、その前から合わせると25周年となる年末・青山円形の人気企画。青山円形劇場の存続の行方ゆえか、ファイナルを謳う180分(有償のワインサービス有りの休憩15分込み)。26日まで。

遅い時間に一人で訪れる女性客、25年前の開店も、5年前の改装も知っている「ひとりだけの特別席〜人生はおとぎ話では終わらない」
会社の先輩後輩、男子二人きりの定例、後輩も結婚し子供も産まれ、もうこの会は「フランス料理とワインを嗜む会〜三度炊く飯さえ硬し柔らかし」
ゲスト(Rolly)を迎えて「おしゃべりなレストラン」
待ち合わせる男女。恋した女の企みがうまくいかず、手近に呼べそうな男を呼びだしたのだ「フランス料理恋のレシピ小辞典〜ワイン一杯よりお茶碗一杯のシアワセ」
「ショータイム」
老いた男女。古くからの知り合いだが、妻は夫をなくしていて、孫の結婚式にあわせて上京している。久しぶりに会う男は亡くした夫とも友人で、歳を取った今でも山に登り続けている。かつての想いはあれど、電話はしない約束だった。「夢見る頃を過ぎても〜ワンダフルワールド」
閉店の時間、最後の食後酒を飲む女。そこに駆け込んでくる男、店員たちもこの店の25周年を祝う気持ちで一杯傾けようとしていた。「マンハッタン〜ベルエキップ よき仲間逹」

たぶんいままでの半分ぐらいはみてるア・ラ・カルト。5年前の大改装に驚き、少し安心した矢先の劇場の問題(その結論はまだ出ていなと思うのですが)を背景にしながらも面だっては語らず、基本的にはこの5年で培われた、恋人たちの現場としてのレストランという基本(タカハシが登場するアレは恋人じゃないけれど)。のフォーマット。もうこれだけで嬉しく成っちゃう風物詩。

体調のせいかどうか、特に前半のいくつかはやたら長い感じがしたり、話が堂々巡りするように感じたりしたアタシです。それでも、テーブルの上の小さな物語は、その緩やかな時間の流れという意味でもフランス料理っぽいのかなとも思ったり。

「ひとりだけの〜」はこの舞台の歴史を振り返るような雰囲気。ちょっと寂しい感じもあるけれど楽しい時間の始まり。
「〜嗜む会」はコミカルに振り切ったシリーズ、マンネリに見えても日々の暮らしの変化を楽しむ気持ち、それは舞台という「ハレ」が無くなったってちゃんと変化はあるし楽しさだってあるよ、と読むのはやり過ぎか。
「おしゃべり〜」はゲストの近況報告、実家が電気屋だってはなしのなんかオッちゃん感が実に楽しい。

ゲストを迎えての「恋のレシピ小辞典」は、片思いし続けている男と気づかない女のどこまでいっても平行線のコミカル。電気釜の大きさで同居かどうかの反応をみるという仕掛けがいい。
「夢見る〜」は亡くなった一人の男を思い続けている男女、歳を取っているのに登山を辞めないのは亡くなった男の命日に押し花を作り続けているという想いもいいし、かつて身を引いた生きている男の方が、この期に及んでも二度と電話はしないと決めているという実直さが前面で、アタシの好きな一本。 「マンハッタン〜」はどちらかというと、この舞台への乾杯という感じを根底に感じます。ラストに一曲ありますが、アタシの観た回では更にも一曲のアンコール。


アタシの観た 7日夜のゲストはRolly。50歳になるのだそうだけれど、生真面目な青年風から、ショータイムのロックアーチスト、トークでの関西のオッちゃん風味、果てはやや業界人めいた造型まで、見た目にはあまり変わらないのに、そのキャラクタの振り幅にびっくりして、楽しむのです。

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2013.12.09

【芝居】「ウルトラマリンブルー・クリスマス」キャラメルボックス

2013.12.7 13:00 [CoRich]

キャラメルボックスの新作クリスマスツアーは、映画「素晴らしき哉人生!」を翻案。一部ダブルキャストで二通りのエンディングと謳われています。アタシが観た7日昼はシリウスストーリーの125分。神戸・新潟のあと、サンシャイン劇場では25日まで。

橋の上から身を投げようとした男より早く天使が川に落ちる。それを助けようとして命を落とす男。ほかの天使たちもやってきて、男を地上に戻すというが、男はもう生きていたくないと拒む。
地方の小さな工務店の長男として生まれ野球に夢中だった男がロケット技師になりたい、そのために東京の大学に行きたいと願った男。喫茶店のバイトで学費を貯め、二浪してまで大学に合格し、東京に旅立つ直前に父親が倒れる。弟が経営を学ぶ間と思って地元に残り会社を支えるが、弟は大学で大会社の社長の娘と恋仲になり結婚してしまう。それでも父親の意志を継ぎ、地元の人々のためにいつもかつかつの値段しかつけずに、会社の経営状態は安定しないし、災害が起きれば私財をつぎ込んでも人々を助けようとする。人々の信頼を勝ち取りながらも、会社は大きくならず、忙しいばかりでやっと結婚した妻を旅行に連れていっていない。
ある日、客から受け取った大金を銀行の返済に入金しにいくときに、その金が無くなってしまう。

映画は未見です。映画では男の人生を描いた末に登場する天使のようですが、今作では冒頭に「二級天使」を登場させてその後の人生を早送りで描きます。全体の枠組みが先に見える今作のやり方の方が、舞台には合っている感じがします。 映画ではアメリカ・大恐慌の時代を背景にしていますが、今作はガガーリン、アポロ11、万博という時代を背景に、高度経済成長だったり、個人というよりは小さな会社を背負う男というのも、たぶん、映画とはちょっと違う味付けで。

映画に原作をとりながらも、小さな挫折の積み重ねの人生は、ときおり成井豊が描く題材の一つ。それよりも悪い人生があるということに思いを馳せて気持ちを前向きに持とう、というのはオジサンたちに向けたクリスマスの奇跡。天使が出てきて奇跡が起こるわけですから、ファンタジーなのは間違いないし、 解決があまりに急速なハッピーエンドに向かうことに戸惑う気持ちがなくはないのですが、そういうことがあってもいいよね、という天使のウインクを感じて観るというのが正しい見方なのだと思うのです。 タイトルは知っていても、名作と謳われる映画を観てみようかな、と思わせるタッチポイントの広がりは原作モノの良さ。年末年始も近いし、どこかで探してみますか。

翻弄される男を演じた阿部丈二は明るく前向きから落ち込んださままでの振れ幅がいままでになく広く。妻を演じた実川貴美子は本当に可憐で美しくしかし力強い造型で印象に。不動産会社の秘書を演じた林貴子はキャピキャピの女子高生から仕事に苛つくキャリアウーマン、こういう振れ幅をキャラメルボックスで女優が演じることは少ないのでこれも印象的。老いの領域まで踏み込んだ役を演じたベテラン組、西川浩幸、坂口理恵、前田綾はしっかりと舞台を支えます。

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2013.12.06

【芝居】「天才高校〜デスペラード〜」ホチキス

2013.12.1 17:00 [CoRich]

ホチキスの新作はスピード感と馬鹿馬鹿しさで押しまくる100分。4日までサンモールスタジオ。

高校で起こるあらゆる事件を解決する高校刑事が訪れたの]は「天才高校」と呼ばれる高校だった。そこでは全員が学校から何か一つの天才になるように命じられていた。生徒会長(の天才)と番長(の天才)の敵対は一触即発の状態になっている。この危機を救うために現れた刑事は、リリーという謎の生徒たちとともに、この学校の危機を回避すべく全力で戦う。 引き戸が三組、華やかな色使いの舞台。

学園モノに特撮ヒーローのような刑事モノを組み合わせ、抗争や策略のドラマを乗せて、萌えまで詰め込んだ盛りだくさん。キャラ立ちするさまざまな登場人物たちと対決してみたり、助け合ったり。きちんとドラマまで用意されていて飽きることがありません。 情景描写と体力勝負な疾走感が惑星ピスタチオ的であったり、短く切ったシーンを繋ぐアイキャッチや終幕のアレが発砲B-ZIN的であったりと、大の大人がエンタメ的なばかばかしい話を圧倒的な熱量で演じるというのは、今の小劇場の現場ではとても少ないと感じてて、中年以上のおっさんにはなんかわくわくしちゃう荒唐無稽が魅力的に作られるのです。たしかにこういう芝居あんまり無い昨今です。

物語もさることながら、「~の天才」という一芸でキャラ立てさせるのはうまい作戦。ことに、「思わせぶりの天才」や「妹の天才」という一種のマンガの中かとつっこみたくなるステロタイプに可愛らしい女子はあからさまにおっさんホイホイの様相に(前説に出てきた)作家のほくそ笑む顔が目に浮かぶよう。

刑事を演じた山﨑雅志は暑苦しく駆け抜けるヒーロー感満載。 謎の女生徒を演じた小玉久仁子はもちろん圧倒的な安定感があって、しかしこういう荒唐無稽な物語ではそれに輪をかけた凄さ。 生徒会長を演じた林修司は、おそらく初めて拝見しましたが、どこか気の弱い優男風なのが役に合っています。声の印象か雰囲気の印象か、どこか升毅な印象。番長を演じた加藤敦は番長という迫力もさることながら、優しい一面もあるという力を抜いた感じも、番長になる前の回想シーンのギャップも楽しい。ライバルの天才を演じた斎藤陽介も今までに見てきたどれよりものびのびとしてる感もあって、なるほど二枚目なんだなと再認識。
副会長かつ「思わせぶりの天才」を演じた斎藤美和子にしても、「妹の天才」を演じた木内文香にしても、めいっぱいの女子力キャラも、(芝居の中の)普段の口調とのギャップも楽しくて、しかもドキドキしてしまいます。これはああそうだ、NHKのSHIBUYA-DEEP Aで女優がなんか囁いてくれる感じだ(いつのまにか番組終わってた..)。

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【芝居】「富士の破れる日」声を出すと気持ちいいの会

2013.12.1 14:00 [CoRich]

アタシは初見の劇団・コエキモの新作。3日まで武蔵野芸能劇場。105分。

身重の妻に御神水を届けようと富士詣でに来た商人だったが、忘れた財布をとりに戻ったために、強力とはぐれ、日が暮れ暗くなり道に迷ってしまう。そんな中、女人禁制のはずのこの山で赤ん坊を抱えた女を見かけるがそれも見失う。それを救ったのは富士講の五代目で弟子も取らずに山中に籠もる行者・月行だった。別の系譜の月心の弟子・村上光清は多くの弟子とともに富士講の権力をほしいままにしていた。
そのころ、富士山の噴火を予知した東京の学者は盲目の妻を家に残し富士に入り、火口に人工石を積んで噴火をくい止めようとする。商人の妻は家の暗い廊下の壁づたい歩く中、富士の胎内洞窟にやってきてしまう。

富士講の五代目・六代目たちの江戸時代、列強に対抗しようという明治、神話の登場人物・コノハナノサクヤヒメといったぐあいに富士山や噴火・火ににまつわるさまざまな要素を時代を超えて組み合わせ一種の奇譚として描きます。

盲目の自分のために富士講に出て戻らぬ子に迫る危機を心配する母であったり、身重の妻のために何かをしたいと想う気持ち。さまざまな要素を組み合わせて、人間のドラマを立ち上げます。正直に云えば、信仰、特に力を持って制することを是とするものから気持ちがどうにも離れてしまうアタシにとっては(現実の富士講や村上光清がどうであるかは知らないけれど)どうにも心が離れてしまって、物語に寄り添えないのが残念。あるいは家の壁づたいに歩いていた妻が富士の胎内に現れたりと、物語の根幹の部分がファンタジーな感じなのも、あまり得意ではないアタシです。

権力の側が、知らないほうがいいと考えて、というのを秘密保護法になぞってとらえるのは、ちょっとうがちすぎな感じはしますが、時期があっているだけに考えてしまうのです。

國重直也は、この物語の主軸となるちから。石井舞は和服を拝見するのは初めてだとおもうのだけれど、商人の妻らしく、殊更に型どおりでもなく、かといってだらしない感じにもならないいい塩梅の説得力。

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2013.12.02

【芝居】「その胸にうなだれて」and Me

2013.11.30 19:00 [CoRich]

出演者は女性ばかりでの上演というプロデュースユニットの新作は助産院を舞台にした出産と女たちのものがたり。3日までOFF OFFシアター。95分。

助産院。助産師と、高校教師である娘、助手が暮らしていて、出産間近の妊婦はここに泊まっている。助産師のかつての同僚の娘が助産師になり近くの総合病院で助産師と働きながら、時々手伝いに来ている。総菜を配達する主婦も顔なじみだ。
最近の出産事情について取材をしたいというフリーのライターが訪ねてきたり、自然分娩にこだわる妊婦が紹介状を携えて訪れたりしているある日、助産院への無言電話やここの助産婦とその娘への中傷がエスカレートしている。

出産の舞台(現場というわけではなくとも)立ち会った経験のないアタシです。自然の営みではあるけれど、そこには間違いなく母親にも子供にも危険はあって医療の介入も必要な場面もあるし、その甲斐なく亡くなることもあるし、あるいは妊娠ということに広げてみれば堕胎もあって。
作家・笹峰愛は妊娠・出産にまつわるこれらすべてのさまざまを1時間半強の時間に詰め込みます。トピックは豊富だし、出産の一番の根幹の部分は母子の健康というメッセージの持つ力強さとのバランスも間違いなく見応えがあります。

それぞれの女性たちが背負う物語をきちんと描き、それを上っ面な説明台詞ではなく、その気持ちの動きに対してこういう行動をする説得力も確かです。正直に云えば、トピックとそれぞれの人物の背景を詰め込んだ結果、たとえばライターの立ち位置や、母と娘、助産師どうしの関係(これもきちんと描かれているけれど)混乱しそうな感じは残ります。

出産を巡る昨今の情勢、そもそもリスクがあるのに医者や助産師に対しておしなべて「死なせた」とあげつらう感じ(マスコミと受け手の問題だとアタシは思うけれど)、結果、産科を閉じる病院のことだったり、ことさらに自然分娩に拘泥することの危険、普通の出産なんてものはないのだ、ということの女性たちをめぐる物語もきちんと取り込んでいる(結果として詰め込むことになるのは痛し痒しだけれど)のは作家の執念すら感じるのです。もっともアタシは週刊モーニングの「コウノトリ」あたりの知識ですが、当事者たちにとっては確かに切実なこと。

助産師を演じた津田真澄は細やかだったり、説得力だったり圧巻の叫びだったりと、オフオフという狭い舞台の規模を超えるような確かな力。妊婦を演じた菊池美里のオーガニックなふわふわした感じはちょっと似合わない感はあるのだけれど、そういうことを云ってられない陣痛のある種の顔芸のギャップが好き。総菜屋を演じた川原万季は物語の上で難しいポジションですが、おばちゃん感が楽しい。病院に勤める助産師を演じたもたい陽子は自然体で、パワフルさもあって魅力的。助手を演じた内山ちひろは物語を背負わないけれど、そのかわりにこの場に集う女たちの物語を絶妙にコントロールしています。ライターを演じた大見遙は、取材の不躾さなどある種のヒールをきちんと背負います(これを描いている作家は、それを自覚してるというのも信用できる)。娘を演じた村田綾は可愛らしさ、この産院で生まれた命の先にある人の姿、という未来を感じさせるポジションをしっかりと。

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【芝居】「居抜きの来夢来人」東京おいっす

2013.11.30 14:30 [CoRich]

東京おいっすの新作。キャスト交代があるようです。95分。1日まで「劇」小劇場。

同じ名前のまま居抜きで続いているスナック。ママと連絡がとれないのに大盛況でひとり奮闘する店の女。出入りのカラオケ業者の男の紹介でもっと条件のいい店の面接に行こうとしているが出られない。
店には久しぶりにやってきたというサラリーマンや、ママを待っているうちに酔いつぶれた初見の女、常連の生臭坊主、訳あり風な男女で溢れている。
上から目線の女が訪れて店で働かせろと迫ったりと騒ぎが続くなか、ママの娘を名乗る女がやってきて、ママは男と逃げたんじゃないかと云う。

大昔に連れて行かれたことはあるけれど、まだスナックに足繁く通うということは未経験なアタシです。まあ、飲み屋に広げれば何軒かはあるわけですが。世間の流行なのか、あるいはしょぼい感じに歳とってきたせいかどうにもスナックが気になってしまうお歳頃なアタシです。

緩くつながる常連の話しかと思えば、実はそうでもなくて、現在の常連らしいのは二人だけ。名前込みで居抜きが四代続くスナックにまつわる人々。友達関係ではあるのに切ない片思いだったり、一度は恋仲になったのにあっさりとフラれたまま断ち切れなかったり、まだ若くて可能性があるからもっと上に行けるという感じだったりとそれぞれの世代に分けて、スナックのごく狭い人間関係をショーケース的に。

それぞれのグタグダ込みな人間模様を描きつつも、スナックというある種のゆるさの空間への優しい目線が前編を貫きます。このスナックが嫌いな若い女ですら、ボヤをみんなと一緒に懸命に消火するうちに、この空間に取り込まれていく感じ。グダグダといえばそうだけど、その空気はどこまでも優しい。

あまりにもできすぎに偶然この店に都合良くみんなが集まる、という物語の根幹を「昨日近くで同じ名前の別の店でボヤがあったからそれを新聞で目にして」という理由付けで突破するのは、まあ強引ではあるけれどうまいやりかただし、それをボヤ騒ぎにつなげるのもちゃんと物語で機能しているのはおもしろい。 正直にいえば、それぞれの人々の物語がそれ以上に互いにつながらないのは勿体ない感じがしないでもなくて「そういうことがあった」「そういう人々が集っている」ということ以上に物語をドライブしないのはやや不満は残ります。

あまり役名で呼ばれるシーンがなくて、実は誰がどの役か全員はわかりません。 大倉みなみはスナックに集う一癖ふた癖の人々を優しく見守る感じ。 生臭坊主を演じたのはどなただろう。やや狙いすぎな感もありますが、確かにスナック常連ぽいゆるく飄々とした感じがそれっぽくていい。

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