« 2013年10月 | トップページ | 2013年12月 »

2013.11.30

【芝居】「殺戮十七音」パラドックス定数

2013.11.23 18:00 [CoRich]

パラドックス定数の新作は、俳句十七音に魅惑された人の想いがないまぜの85分。24日まで荻窪小劇場。

俳句教室を主催する妻の浮気相手とその夫。薬物をキメながら溺れていく精神科医。地元の俳人。

史実の隙間を描くのに定評なパラ定ですが、作家が時折不思議な物語を紡ぐことがあって、そのギャップに驚き、あるときは面白がれて、あるときは頭の上に疑問符を乗っけたまま劇場を後にします。今作に関して云えば、俳句に囚われの身となったといってもいい男たちは、それぞれの生活はありながらも、俳句の世界で時に飛び、時に沈み。という物語。その人々の潔さとズブズブと抜けられないという背反するようなことが同居する不思議な空間。

序盤の、酔っぱらって吐くかのように、口からあふれる何か。そうせずにはいられない人のあれこれのシーンが好きです。表現せずにはいられないというクリエーターの業なのだと思うのです。特定の誰かというのではなくて、おそらくはクリエーターという立場の普遍的な宿命を、今作の作家が気持ちを共有したのだという気がするのです。

その上で、虚構を作ろうとしたのかどうか、妻の浮気相手にねじれた気持ちを抱く男と一緒の俳句教室をやっているというなんかねじれまくる感じが楽しい。見られること、存在することということが混じり合いながら、関係からみえる物語が観ていて見やすいのです。

俳句にたいしてそう何かを知っているというわけではありませんし、特段に想いがあるというわけでもないアタシです。物語としても捕らえ所も脈略もない感じで、どう受け入れたらいいのか、まったく方策が立たないワタシです。

日本語の十七音のリズムの心地よさは感じられても、その意味をとらえるには次々と音があふれるばかりで、受け入れるより先に自分がオーバーフローしてしまいそうで、楽しめるという感じにもなりません。 それなのに、小さい劇場ゆえに役者の強い圧力というパッケージは大したもので、最前列に座ったあたしは、その迫力に圧倒されてしまって目が離せなくて、帰り道で友達と楽しく酒が呑める足取りには、荻窪という場所がまた楽しいのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013.11.28

【芝居】「地を渡る舟 -1945/アチック・ミューゼアムと記述者たち-」てがみ座

2013.11.24 14:00  [CoRich]

てがみ座の新作は、民俗学の研究者、宮本常一をめぐる100分。扇田拓也の演出。24日まで東京芸術劇場シアターウェスト。

柳田國男との出会いから民俗学に傾倒した財界人・渋沢敬三は自宅の一角設けた研究所「アチック・ミューゼアム」で若い研究者たちと、在野にありながら庶民たちが持つ日常の「モノ」を通してこの国の姿を記録していく日々を送っていた。
ある日、瀬戸内海に生まれ教師をしていた宮本常一を招く。学者になりたかったが銀行家としての日々に忙しい渋沢は、宮本に文字にならなかった庶民の暮らしの姿を記録するように日本各地の調査を支えていた。
戦時下に突き進む日本の中で変わっていくそれぞれの「民俗学」。

史実を下敷きにして、民俗学にかけた熱い想いの男たちを描く一本。日本の民俗学の父・柳田國男に端を発しても、もっと人々の生活に寄り添うような立場をとる人々。ゾウリの形や魚の呼び名の方言といった、取るに足らないと思われるような些細な庶民の生活を描く在野の研究者たちと、財界人にもかかわらず、文字通り資材をなげうってそれを支えた資産家の、ある種幸せな空間は、日本が周辺の国々を巻き込んだ「共栄圏」の構築をもくろむ中、その「民俗学」は「民族学」とされることを要請されるようになっていくという舞台とあいまって、巻き込まれていく学問にとっての悲劇を描きます。

日本中を旅する研究者・宮本常一のフィールドワークの一端をかいまみる農村のシーンが好きです。農村にいる老人に稲作の困りごとの相談にのり、まさに人間として向き合い話しをして聞き取っていくという地道な日々は、学問と庶民をつなぎ、終戦間近になって、人々をまもるために再会の旅にでるのは農村と都市をつないでいくという対比もおもしろい。

どこまでが史実でどこまでが創作によるものなのかはいまひとつわかりませんが、その想いを丁寧に描いていて、熱い想い、時代の怖さも描きます。

宮本常一を演じた古川耕史は、まっすぐで熱い想いの造型で物語の核に。資産家・渋沢敬三を演じた青山勝は、きちんと上品さといたずらっ子のような好奇心とが同居する魅力的な造型。農村の老人を演じた中村シュンは悲しみも力強さも内包した奥行きのある、農村での庶民の姿を好演。

資産家の妻という、この物語の中ではある種のヒールを演じる石村みかは、しかし、そこに資産家なりの苦悩をきちんと。もう一人のヒール、軍人を演じる生津徹も、ある種時代の背景を一人で背負うことになりますがそれに負けずに。この家に出入りする女・かつらを演じる七味まゆ味は、軽薄さの向こうに、もう一つの顔。民俗を語る上でほんとうは避けがたい被差別の人々。難しいバランスの役ですがことさらに 糾弾せずに描いたことにより、その理不尽さを感じさせるのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【芝居】「ホテル・アムール」ナカゴー

2013.11.23 19:00 [CoRich]

ナカゴーの新作。12月8日まで、あさくさ劇亭。85分。

ホテルのベッドで男が寝ていて、女がその寝顔を見つめている。女は「浮気してるでしょ」と男に詰め寄る。

シンプルな台詞をこれでもかとしつこく繰り返すのが基本のフォーマット。前半は面倒くさくてシツコイ女が疑う浮気と、うんざりする男が延々と続きます。抱きしめて一瞬納得したりするけれど、でも疑いは晴れずということが延々と。この部分だけ取り出せば、女は理不尽なもの、というひどい芝居になるところですが、まあ、さすがにそうはなりません。

中盤、キレた男が繰り出すのは、唐突なフレーズ。これもまた、うんざりするほど延々と繰り返します。この繰り返しは(体が動かせない体勢であびせられることもあって)DVの様相。これがトラウマになるというのはよくわかって、これが後半でもういっかい出てくるのは巧い。その結果 出てくるのは、生き霊の様相な女たち。この延々と続く地獄の中の一瞬の息が抜ける瞬間。出てこられた側の女子にとってはこここそが地獄ですが。

時間はそれなりにありますが、物語の骨子は本当にこれだけで、繰り返しの可笑しさと云うより怖さを前面に。

これまでも恐怖体験だけれど、更に怖いのは終盤。確かになにをどう説明しても納得しない女を相手にし結果、終盤で男は説得をもう一度試みます。女に対して、誰が前に立っている、ならばなぜ立っているのか、なぜこの距離に立っているのかということを畳みかけ繰り返していって説得というよりはある種の強引に説き伏せるダイアログ。客席から傍で見ている分にはコメディともとれますが、二人きりでこういうやり方ということの恐怖。 営業や勧誘の現場でそこら中にありそうな洗脳の現場を感じさせる怖さに鳥肌が立つのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【芝居】「モモノパノラマ」マームとジプシー

2013.11.23 14:00 [CoRich]

マームとジプシーの新作。100分。12月1日まで神奈川芸術劇場大スタジオ。そのあと新潟、北九州。

その猫は生まれるたびに川に流すことを繰り返してる友達の家から貰ってきた。妹は、自分の友達をとったとかシャーペン買って貰ったとか難癖を付けていつも取っ組み合いになってしまう。レールに耳をつけて列車の音を聞いている友達は正義感が強くて。好きな男の子が出来た友達は、家で出せるお菓子がイケてないのがとてもイヤでだったりする。

過去公演のタイトル「コドモも、モモも、森んなか」を少し種明かし的に当日パンフに。作家自身が亡くした猫の喪失感から、再び海の見える町の子供たちの物語(一部では「北の湘南サーガ」、と呼ぶようです)への回帰とも感じられる体裁に。

その街にいるしかない子供たちの狭い狭いコミュニティの中だけれど、生まれまくる猫をそのつど川に流させられる子供だったり、恋する女の子だったり、友達の家で朝まで遊ぶことだったり、姉妹の取っ組み合いの喧嘩だったり、男の子たちのクダらない水泳だったり。おそらくは作家が過ごしたある時期の断片をつなぎつつ作り上げた感じ(本当かどうかはわかりませんが)。ナイーブで、子供たちだってそれぞれの自我と事情があってという雰囲気がめいっぱい。

いくつかある姉妹の取っ組み合いというシーンがとても愛おしい。自分のものだと思っていた友達を取られてしまったと感じて不愉快に思うという感覚は、友達とても少な目なアタシとしては実体験と感じられるわけではないけれど、そういうことをたとえば人脈とか人間関係として感じる大人だって(大人ゆえにさらに面倒くさく)居るわけで、それが箱庭のように描かれるこのシーンの濃密さ。あるいはお姉ちゃんはシャーペン買って貰った、ワタシはお姉ちゃんのお下がりの練り消し貰っただけだというのも言いがかりに近いけれど、狭いコミュニティの中で生きているがために、そう感じるということを描き出すおもしろさ。姉を演じた成田亜佑美の圧巻な安定感は物語の一番外側の骨格を作る強靱さ。妹を演じた吉田聡子はその枠組みのなかではあるけれど、暴れ回る(ように見える)気持ちの強さが凄い。取っ組み合いはある種のプロレスなアングルだけれど、これはこれで見てて楽しい。

あるいは、好きになった男の子に告白して受け入れてもらったけど男の子が「連絡してくんなよ」とかいうガサツな感じの返事しかもらえない切ない感じとか、自宅に友達が来たときに、かりん糖はあるけれど(自分がイケてると思う)柿ピーがないとか、お母さんがパンの耳を揚げたのを出すとかが耐えられない、といった子供はそれぞれの家の親の事情と他が違うことに強烈なコンプレックスがあるというのも「子供から見える世界」がそのまま舞台に載っているよう。演じた伊東茄那は、髪の色のせいかマームっぽくない感じだけれど、むしろそこに内気な女の子という役を当てたことが効奏して強い印象を残します。

レールに耳を当てる年上の団地に住む女の子の存在は、どこか謎めいています。後半の静かなシーン、梯子の上からでことさらに盛り上げないのも巧い。演じた荻原綾は秘める雰囲気がどこかなまめかしさすら感じさせる質感。生まれた子猫を流す子供を演じた召田実子は、あげたはずなのにずっと気にかかっている、という造型が切なくて新しい魅力。

毎度のことながら凝っている当日パンフ、紙を二つ折りに縫いつけた内側に押し花(かな。モモへの手向け、か。)と当日パンフ。出演していない(しかも別の本番が直前の)青柳いづみのクレジットが嬉しいのです。

四方囲みの客席、角材でつくられたいくつかのフレームをマジックテープで縛るように箱や屏風状に組み立てて作る空間のおもしろさはわくわくする感じ。正直にいえば、正面(元々の客席の側)から見て上手側端に座った私には終盤フレームで組み立てられたままで待機する役者たちもその側に集められていて、姉妹と猫の終盤の物語がとても遠く、ほぼ遮られている感じになるのは残念。三鷹のアレ池袋のアレに比べれば格段に見えない客席は減っているとは思うものの、(自由席でしかも開場からずいぶん遅れての入場なので自己責任なんですが)、こうも(アタシが座った席がことごとく外れるということが)続くと、演出が観客からみた空間の把握ができないのでは、という疑念がぬぐい去れないのも事実なのです。(や、そこの席でなければたぶん、格段に感想は違うと思うのですが)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013.11.22

【芝居】「くさり」れんげでごはん

2013.11.17 14:00 [CoRich]

17日までピカデリーホール(長野県松本市)。 100分。 レンタル家族サービスで働く男に舞い込んだあたらしい仕事。5年10年の長期に渡るが、破格の条件が提示され、失踪したこの家の次男の代わりとして他の兄弟たちと一緒に生活する、というものだった。が、この仕事を紹介し たのは同じくここでレンタル家族の一人として暮らしている女で、「助け出して欲しい」のだという。

いままでになく大がかりなセットに舞台正面上からの照明を含む機材、それぞれ場の間に映される「レンタル家族の心得」なることば。「れんげでごはん史上、最大規模」と謳うだけの気合いがはいった一本。オープニングの映像のズーム感、そこからチラシの画像にズームアウトするという映像は格好良くてワクワクします。ムービングライトで怪しげな雰囲気を作るのもうまく機能しています。

レンタル家族というネタそのものは小劇場の芝居では正直、そう珍しいものではないけれど、コミカルな感じとサスペンスな感じを混ぜ合わせて描くのは、兄弟とはどういう距離感なのかという物語なのです。 序盤で恋人を兄弟に紹介するというシーンはコミカルな感じがが強くて楽しい。当たり障りのないレンタル兄弟として向かい入れられる中盤もコミカルが強くて、大の大人たちがケイドロに興じたり、期限切れのカルピスでやばい感じになったり。が、徐々にこの場の不穏な感じが見えてきます。 30過ぎても不自然なほどに仲がいいというある種の気持ち悪さもさることながら、この場を支配している空気を誰がコントロールしているのかがずっと判らないことが観客の不安な気持ちを煽ります。

終盤に至り、この兄弟たちは次女のワガママを満たす、ということがこの家を支配しているのがわかります。兄弟たちは仲良く一緒に暮らしてなきゃいけない、という次女の想いが、この家を出て行こうという男が姿を消したことにつながり、サスペンス風味は最高潮に。

正直、謎解きな要素としては強力な物語ではありません。むしろ、普通は取り替えられない家族とか兄弟というものを「取り替え可能なもの」と捉えたことのひずみ。あるいは子供を「拉致してきてでも」家族にして、そのまま30代まで過ごしているということ。 勤めにも出ているようだしなんで逃げなかったんだとか、まあ細かいツッコミの余地はあるんですが、これも一種の共棲なのかなと思い、それ故にあとからジワジワ怖くなります。なるほど、タイトルの「くさり」はなるほど、「きずな」ではなく、強いて関係を維持するということか。

それでも、云いたいことがちゃんと云えるのが兄弟じゃないかという終盤は少し暖かい。物語の着地点は決して幸せなものではないのは、この家族を放り出したようなところもあって、評価が分かれそうな気もします。

雇われた男を演じた宗基は、コミカルから真摯さまできっちり、物語にとって観客の視座となる位置という説得力。長女を演じた馬渡理子は序盤「恋人の姉」のコミカルさが本当に好き。終盤でやっとの想いで次女に刃向かう姿は、この家族の先行きの一筋の光を感じさせる声もいい。物語の核となる次女を演じた市川しをりは可愛らしいキャラクタの造型、更に無邪気ゆえの怖さを静かにつくります。

しかし、前売り1000円でこの規模にセットを組み、照明も豪華に。やや心配になるほどではあります。が、それに見合う物語、役者の確かな力。新たな一歩だと思うのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013.11.20

【芝居】「イタコ探偵工藤よしこの事件簿」渡辺源四郎商店

2013.11.16 15:00 [CoRich]

ナベゲンの新作。青森のあと、17日までアゴラ劇場。 民生委員の工藤美子は担当地区の家を訪ねる。癖のある男が一人住んでいる。この家に居るはずの母親は湯治に行っていると言い張る。テレビドラマでは「イタコ探偵工藤よしこの事件簿」を再放送している。
この家にはもうひとり、若い女が住んでいる。

青森、フォークロアなイタコといえば、「もしイタ」ですが、新たなイタコの物語。サスペンステレビドラマと、現実世界での問題点を並行して描きます。現実の世界では年金の不正受給や失踪、あるいは個人情報への過剰な意識などを語りつつ。今の日本で起きている様々を織り込みつつ、フォークロアを混ぜているのがいいのです。 正直にいえば、わりと速い段階で不正受給という底は判ってしまいます。一筋縄ではいかない作家はもう少しネタを仕込みます。 つまり、拉致してほぼ監禁や、強制わいせつとか。男女が一つ屋根の下にずっと住んでいると共棲するようになる、ということ、男女の仲というか。それでも逃げない女というのが絶妙な距離感。

あるいは、死を認めるかどうかについて。死体が無ければ死んでない、ということはつまり、その人の死を受け入れられないということ。死体が見付かっていない娘のことを死んだと受け入れて(諦めて)その先の一歩を踏み出せるか、死体をないことにして、死を受け入れられないということのコントラスト。

ドラマの中のイタコ探偵がドラマというメタの境を超えて、民生委員の亡くなった子供の降霊というのがひとひねり。それをオカルトに扱わず、「イタコっていうのは、だいたい三つのことしか云わないんですね、 気をつけろ、ごめんなさい、ありがとう。」というのを置くのが理性的でいいのです。それはそれとしても、そういうことを降ろされた霊の言葉として聴きたい、という気持ちをくみ取るのも優しいのです。

アタシがみた16日は山上由美子の出演がなく、かわりに元々二役やっている三上晴佳が更に二役。オーバーアクションのコミカルな感じがショーケースのようで楽しい。イタコ探偵を演じた奥崎愛野は可愛らしく、しかし鬼気迫るような瞬間も見えたり(それゆえか16日昼は数珠がはじけ飛んだりも。こういうハプニングも面白い)。民生委員を演じた工藤由佳子はマドンナにみえる瞬間が美しい。駄目な感じのネタ(NHK, KKK, YKKとか)も合わせて楽しい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013.11.19

【芝居】「ソニックルーレット」サマカト

2013.11.15 19:30 [CoRich]

三年ぶりとなるサマカトの本公演は新作。お笑いコンビとその周辺の人々の80分。17日まで雑遊。

行き詰まり感が否めないお笑いコンビ。コンテストを前にして先輩にだめ出しをされてる。ツッコミとボケが曖昧になってたり。なにが枠組みかわからなくなっている。相方が出られなくなっていて低迷する先輩芸人、ツッコミが切れるけれど実は売れてない先輩芸人。事務所にはバイトの女の子がはいってきて、あからさまにヤクザ風情の男と仲よさげだったりもする。

ルーレットが何度も回転して、それが止まった瞬間という感じで、ちいさなシーンを山ほど積み重ねていきます。最初のコントはあからまさに長いし、大爆笑というわけでもない(芽が出ないコンビ感の説得力)けれど、それ意外はことごとく短い。日常に遍在するちいさな会話をボケ・ツッコミの会話として拾い出します。意識しているかしてないかに関わらず、会話がズレていて、そこに気づいて指摘することがボケ・ツッコミとするならば、雑多ないろいろなパターンをこれでもか、と詰め込んでいて楽しい。それを職業とするから正面から向き合うしかないのだけれど、その妻だったり恋人だったり兄弟だったりという人々は巻き込まれているに過ぎないわけで、お笑い、というものに対しての一般の人々との想いのギャップが物語に奥行きを作ります。

煮え切らない彼氏ことを振り向かせようとする恋人のシーンが好きです。演じた中野架奈、彼と会話をしたいから面白いと思うことをさまざまするのが、いじらしくて、本当に可愛らしく女子っぽさが印象に残ります。

あるいは芸人の夫を持つ妻の会話。妻を演じた松木美路子は少しズレている(天然ともいう)造型が絶品。笑いというよりはペーソスすら感じさせるのです。事務所のライブを支えてるのを自負する夫に対して、「あなたが行ってもどうにもなってないじゃない」と切り込むのはまさにツッコミなのだけれど、これもまた、笑いに対しての冷静と情熱の間。

細々としたネタが好きです。序盤のやや長い(笑)コントはボケやツッコミがずれてるとどんな悲劇が起こるかという実験場のよう。あるいは和風ハンバーグの和風を忘れたのでお詫びとして和風ハンバーグが出てくるとか。めぞん一刻をダブって持っちゃってるからどうしたらいいかという相談に、好きな人にあげたらいいじゃんというアイディアにさらに好きな人はもう持ってるからね、という積み重ね。 先輩芸人を演じた澤唯は、圧巻のツッコミ力が冴えます。もう一生分やったんじゃないかというキレが気持ちいい。もう独りの先輩芸人を演じた力武修一は、声や見た目の雰囲気が芸人っぽく見えて場所の説得力。やくざを演じた江崎穣は物静かに語り続ける説得力、いつハリケーンディスコのように大騒ぎになるのかドキドキしちゃったのはアタシの勝手な想い(笑)。ヤクザと仲良くなるアルバイトを演じた徳元直子は、天真爛漫を地で行くような笑顔がいい役者で、ヤクザに対して何も物怖じしないというキャラクタに説得力。終幕のワンシーンもいい。

コンビを演じた内山清人と櫻井拓也は売れそうで売れないという悶々とした気持ち、だけれど離れるのは怖いという絶妙な距離感もいい味わいなのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【芝居】「お嬢さん」浮世企画

2013.11.15 14:30 [CoRich]

浮世企画の新作は、初めての女性メインという115分。17日までギャラリールデコ5。

かつては城下町だったけれど観光地というわけでもなく中途半端な地方都市。かつては名士だった屋敷に暮らしている老いた母親が倒れた報せを受けて長女が夫と娘を連れて久しぶりに帰郷する。隣の敷地に暮らす弟は病院つとめの医者だが金遣いも遊びも荒く評判は必ずしもよくない。隣人は、どうも気に入らないらしく何かと難癖をつけてくる。母についてきた一人娘は、この家に「おっさん」が棲みついていることに気づくが他の人にはみえないようだ。このおっさんは、元・座敷童子のなれの果てだと名乗り、大人になれない奴にしか見えないのだという。
目が覚めた母親は若い娘のように、キラキラとした眼差しで恋した男の名前を口にするが、それは亡夫ではなかった。母親が倒れた時に救急車を呼んだのは、最近時々訪ねてきていた男だった。目が覚めた母親は、その男のことを「恋した男の名前」で呼ぶのだった。
男の父親はこの母親とかつて不倫していて駆け落ち寸前まで行ったのだが、それは未遂に終わったのだという。家に尽くしているだけの母親の姿しか見ていなかったことに長女は衝撃を受ける。

名士といわれた家に嫁ぎ、実はちょっと世間知らずなところもあったりするけれど家と家族にすべてを捧げているような人生を送るのはいやだと母親を反面教師にしていたはずなのに、母親の隠れた女の一面をみ、そこからあれほどいやがっていたのと同じような人生を歩みつつあるというのが物語の骨組み。膨大な時間と

劇場の構造故に舞台中央にでんと柱。それを二カ所に分けたのはうまいkれど、上手端に座ってしまったあたしには家の奥に置かれたもの、古い写真などの家の雰囲気がわからないのは惜しい。ここが「元名士の家」という感じがしないというか。

膨大な時間と血のつながり、それゆえに起きる何かを描きたいというのはわかるけれど、それは母と娘の二代以外に関しては必ずしも生かし切れていない感はあります。家系図をもとにして喋る台詞がありますが、物語の上では正直、少々唐突に出てきた印象が拭えないのです。

元名士の家に並々ならぬ恨みをもって理不尽の限りを尽くす隣人を演じた森田ガンツが凄い。顔は笑顔なのに毒を吐き、嫌悪を隠しもしないという相当にエグみのあるヒールがほんとうに憎たらしい。かわいらしくなってしまった老女を演じた甘粕阿紗子は、ことさらに老女ではなくパジャマ姿にナチュラルな実年齢なりのしゃべり方の造型がよく、可愛らしく魅力的。戻ってきた長女を演じた広正裕子はいろいろ気持ちに余裕のなく苛つく日常のキツい感じと、恋心に戸惑い揺れ動く「女」を前面に出した振れ幅がいい。年下の男を演じた根津茂尚は年齢をそれなりに重ねた優男という風情。頼りない夫を演じた鈴木歩己は、それでも家族を守ろうという気持ちの熱さの造型、やや出落ちな感もある元・座敷童子を演じた森下雄貴はチャーミングで、物語にリズムを作ります。一人娘を演じた柴田薫との掛け合いのような会話が楽しい。弟を演じた島田雅之は隣人に比べてしまうとやや陰が薄い感は否めませんが、長女にとって(年下の彫れた男以外の)男たちが、身内すらも頼りにならないということをしっかり。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013.11.12

【芝居】「ショーシャンクの空に」WOWOW・産経新聞社・ネビュラプロジェクト

2013.11.10 14:00 [CoRich]

名作と名高い小説・映画を日本で初めて舞台化。「桐島、部活やめるってよ」の喜安浩平の脚本で。10分の休憩を2回はさみ、195分。10日までサンシャイン劇場、そのあと大阪・名古屋・福岡・松本。満員の千秋楽ですが、地方公演はやや苦戦という噂も耳にしますが、長い上演時間にひるまず、ぜひ。

刑務所から50年ぶりに仮出所を許された老人は、刑務所での出来事をつづり続けている。本当のことか、妄想かあいまいになってきている。
妻とその浮気相手を射殺した男は無罪を主張しつづけ、終身刑となり凶悪犯ばかりの刑務所・ショーシャンクに送り込まれた男。手痛い歓迎で痛めつけられ続けるが、調達屋の老人に頼んで小さなロックハンマーを手に入れる。石を磨くのが趣味でそれを再開したいのだという。
ある日、看守が相続した遺産の税金に不満があると耳にして、若くして元頭取だった知識を活用して節税のアドバイスをさずけ、その礼として、仲間たちと一杯のビールを飲むことに成功する。所長や刑務所の節税や、図書室の予算の嘆願、労働に疲れ切った仲間たちのためにレコードを流すなど、小さな、しかし自由をかけた戦いを勝ち取っていく。
ある日、新入りの男に請われて読み書きを教えるうち、妻殺しには実は別に真犯人が居ることを聞くが、その上告の想いは所長によって握りつぶされる。
失意の男はすっかりやる気をなくしたかに見えたが、

原作・映画とも未見です。一種の刑務所モノともいえますが、老いていく時間の話しだったり、知恵で自由を勝ち取る話でもあって、確かにハリウッド的なおもしろさにあふれています。歳をとったからといっても、ずっと諦めずにいることの難しさと、しかしその向こうにあるかもしれない希望の美しさ。

その出来事を「調達屋」の老人の目を通したホントかどうか判らない小説として描く体裁に対して、3人のピンナップ・ガールというそれぞれの時代の映画女優たちを語り部として加筆。女優や歌の華やかさとコメディの要素を差し色のように加えて、3時間飽きさせずに走りきります。

成河(ソンハ)は理知的で物静の心の奥底にある圧倒的な強さを、この広い舞台の上できっちり見せる凄さ。ほんの少しかいま見せる怒りのエネルギーの凄さもまた魅力的。益岡徹は諦めそうになる老い、しかしその先に一歩踏み出す勇気の三幕めがいい。序盤の何でも出来る調達屋も帽子が実にキマってかっこいいのです。所長を演じた粟根まことは冷徹で汚くありつつづける物語のヒールを好演。鳩を飼っている老人を演じた大家仁志の、曖昧な笑顔の味(上映会のシーンで一番後ろの席で楽しそうに静かに笑っている表情が絶品)。

いわゆる小劇場の役者たちの活躍も嬉しい。今奈良孝行と畑中智行のコンビの「仲間たち」感だったり、山崎彬が二役を演じる「読み書きのわからない」少年の活発さと若さと。日栄洋祐や山崎和如・鈴木秀明の演じる囚人たちは序盤でこの場所が地獄であることを印象づけるという舞台設定を強い印象で。

ピンナップガールたちは、それぞれに可愛らしく、コミカルで楽しい。リタ・ヘイワースを演じた高橋由美子はゴージャスを押す印象、物語の中では明らかに異物なピンナップガールという存在を信じさせてしまうちから。マリリン・モンローを演じた新良エツ子はなんせあのボディに歌声。確かに適役だし、なんだろう頭弱そうにみえちゃう(本当に失礼だけれど)ある種の親しみやすさもモンローのよう。ラクエル・ウェルチを演じた宇野まり絵はおそらく初めて拝見したけれど、すらりとして舞台を動き回る姿がほんとうに美しい。

三部構成で二回の休憩は、ピンナップガールの時代として別れているけれど、正直にいえば、休憩一回の二時間半ぐらいに凝縮してほしい感じはあります。正直にいえば、といえば終幕の大きく広がる風景。きっと映画では本当の青空と海の壮大さなのだろうけれど、これを大幕への書き割りにしてしまうのはほんとうに勿体ない。ここはシンプルに青一色に輝く壁があればよかったのではないか、と思うのです。

続きを読む "【芝居】「ショーシャンクの空に」WOWOW・産経新聞社・ネビュラプロジェクト"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【芝居】「いのうえシェイクスピア「鉈切り丸」~W.シェイクスピア<リチャード三世>より」パルコ・プロデュース

2013.11.9 18:30 [CoRich] [感想文リンク]

いのうえひでのりの演出プランをもとにしたリチャード三世を青木豪の脚本で。大阪のあと30日までシアターオーブ。20分の休憩を挟み180分。

鎌倉時代、源頼朝の弟として戦で活躍をした源範頼は、せむしでびっこを引く醜男だった。木曽義仲を 斬っても気丈に振る舞う巴御前の美しさにこころ奪われる。
鎌倉の世、頼朝と北条政子は範頼に信頼を寄せるようになるが、頼朝・義経を陥れて天下をとろうという範頼の策略だった。

鎌倉時代の史実の隙間に物語を潜り込ませたというよりは吾妻鏡という「記録された」ものとは別の事実があったという体裁で、シェイクスピア・リチャード三世をモチーフにしたドロドロとした復習劇を仕立てます。この構造のおかげで、史実(といわれているもの)に対してかなり自由度を増すことが できるというは巧く考えたものだと思います。もっともこの手なら何でも出来るじゃんということに なりかねないわけですが。

「せむしでビッコ」という醜男のゆがんだ成功願望、策略をめぐらせて親族さえもその手にかけてという冷酷無比な男を日本の歴史物として描き直すという心意気が面白い。バラエティ溢れる役者たち、創作に溢れたキャラクタを楽しむのが吉。

正直に云えば、前半の物語の進みがどうにも興味が持ちづらい感じでこのままで大丈夫かと思ったりもしたのだけれど、後半はスピード感もあってあっという間でおもしろく。ならば休憩をなくして2時間ぐらいに出来たのじゃないかと思わなくはないのですが、このキャストゆえにそれぞれに見せ場が必要、 ということなのかもしれません。/P>

森田剛は流石にオーラ、少々同じ感じの発声が続くのは気になりますが、そういうキャラクタということかもしれません。全体にコミカルで鷹揚な人の良さの造型で、物語にテンションの強弱を与えたという意味で頼朝を演じた生瀬勝久なしにはこの舞台は成立していないと思います。時折みせる凄みとの ダイナミックレンジもいい。軽薄な感じという意味では吾妻鏡の書き手を演じた山内圭哉もいい味わい。 渡辺いっけいの人の良い感じ、若村麻由美の厳しい妻像は北条政子を戯画的に描いていて魅力的。 秋山菜津子の凄みも印象的。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【芝居】「栄え」MCR

2013.11.9 15:00 [CoRich]

MCRの新作。10日まで駅前劇場。95分。

40男のサカエは、成功を収めたとはいえない日々を送っていたが、ある日突然、高校時代に逆戻りした。 人生の転機となる転校生がやってきたこの日。男子校なのに男の身なりで入ってきた転校生が女であること、恋仲になり結婚するが(←明確にはそうじゃなかったです。ご指摘感謝)破綻すること、そのままぱっとしない人生を送ることをもう自ら体験済みの男 だったが、それを知ってるがゆえに最初から転校生を意識しまくって、妙な勘違いをした教師たちに 早々に告白させられてしまう羽目になる。

いわゆる時間旅行もの、オジさんが人生の転換点に戻ってのドタバタ。物語の枠組みとしてはそう珍しく はないのですが、みるからに冴えず警備のバイトで生計を立て、20歳の時を最後に女とは縁の無い 中年がそのままの姿で高校生というのが、笑わせつつも、自分だってそんなに変わらないじゃないかと 身につまされるよう。男子校なのに女子が一人、男と偽って転校生というのは少年漫画っぽいし、それが ばれるシーンもやけに生々しく、グラマーな感じのもそんな気持ちにさせます。

そのオジサン高校生にしても、 あらゆるドラッグに手を出し果ては自分で作る教師にしても、ドラッグをキノコから手作りする父親に してもダメ大人ばかり、 高校生たち(まあ、これも役者の年齢はそう変わらないのはご愛敬だけど)がキラキラと自分の 夢を持っているのに、(見える未来で)あっさり崩されてしまうのも切なくおかしい。

そんな諦める感じのペーソスを織り込みながらも、物語の着地点は「未来は変えられる」というところへ。 もっとも、それをことさらに盛り上げないのも作家の持ち味。 ドラックを手作りする父親が石巻に引っ越したとしても生き残り、あるいは高校生から未来に向けて 歩む中で原発を止めまくったということを、風俗店の店先という、どうでもいい場所で さらりと描いて物語は幕を閉じるのがなんかカッコイイ。

友松栄は冴えないオジサンキャラ全開。汗をかきながら転げ回るようなのがどこか愛らしく、 しかし明日は我が身なわけで笑ってばかりも居られなく切なく。 堀靖明は得意なツッコむキャラクタが冴える。小栗剛はギラギラとした未来への熱意と、 それがあっさり折られるあたりがちょっといい。 本井博之、櫻井智也は軽い感じのダメ大人がまあ得意なキャラクタだろうけれど安定で楽しく。
女優一人で頑張る伊達香苗は、詰め襟に帽子姿がやけに凛々しく美少年といっても通じるよう。 「脱いだ」ときのギャップもよくて、サラシにしなかった生々しさもちょっと眼福。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【芝居】「地球の軌道をグイッと 」ぬいぐるみハンター

2013.11.8 19:30 [CoRich] [感想文リンク(劇団)]

疾走感が持ち味のぬいぐるみハンターが次章の始まりと位置づける新作は劇団員だけでの公演。17日まで「楽園」。 85分。

大学のワンダーフォーゲル部。4年に一度のヒマラヤ登山イベントに盛り上がっていたが、結局中止になってしまう。そのために貯めていた費用で会社を作ろうと言い出したのは、9歳にして大学に入った天才だった。
子供そのままにわがままで、会話もかみ合わないことばかりだったが、社長となりサークルの人々を創業者に巻き込んではじめたネット事業は見事に大当たりするが、ある日、新たな事業の立ち上げを宣言する。

9歳にして大学に入った天才、天才ゆえの孤独感の中で培われる「自分の信じる未来」それが世間一般の 人々とは違う価値観だったとしても、「天才」は聞く耳を持たないという全体の枠組み。 そんな「天才」と長い時間を時間を共有した人々の物語と読みました。この頭おかしい天才と一緒に居た おかげで、安定した職も豊かな暮らしも恋人も結婚相手も、あるいは新しい仕事も見つけられたし、 その人のことは苛つくことも多いけれど、仲間ではある。しかし、この天才との絶望的な溝を前にして この人々が選んだのは、自分たちをどうやって守るかということ。彼の云っていること行おうとしていることはもしかしたら正しいのかもしれないけれど、それは受け入れられないという決断。

深い深い溝の物語だと思うのです。わかりあえない天才と人々。 誕生日を効果的な小道具になっていて、誰もに生まれた日があるということ、生きると云うことは死ぬということだし、そんな共通点があっても解りあえないということの絶望でもあるのです。それでも、人々がこの天才とずっと一緒に居て手を放さなかったのは、もしかしたら給料のためだったかもしれないけれど、友達という想いだったかもしれないという一筋の希望が見えたりもするのです。

神戸アキコは孤高で有り続ける役をがっちり。時にコミカルに舞台を引っ張りつつも、しかしどこか気高さを漂わせ、しかし孤独な造型。 浅利ねこ、猪股和磨は想いを静かに持ち続ける側の枠組みをしっかりと。 坊主頭の森崎健吾もまた想う側だけれど、もう少し高い熱量を持っている造型。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013.11.07

【芝居】「モスキート」根本宗子

2013.11.3 20:00 [CoRich]

バー公演を、ミステリー仕立てにした「ミステリーサークル」と題した企画。国分寺大人倶楽部の河西祐介の書き下ろしによる60分。10日までバー夢。 追加公演も設定されたようです。

地方都市のワインバー。店主の姉で東京在住の女が、店主の親友に呼び出されて訪れている。自分の夫が自宅で殺され、浮気の疑いがあり、東京在住だが元カノ女が怪しいと呼び出したのだ。が、妻にもやましいところがあって。

ワインバーをめぐる物語の外側に語り部を設定したような構成の二日間の物語。いわゆる痴情のもつれっぽい殺人事件。落書き、回数券、血液型などを証拠として置きながら犯人を追いつめる、と思いきや、大騒ぎしたわりには、あっさりと乾杯でうっちゃる感じ。解決編と題した二場で、真犯人が判明するけれど、猟奇殺人な風味の真相がまた別にあったり。ミステリーというか、猟奇小説のような感じ。その外側の語り部の存在がちょっといい語り口だったりします。

さまざまにふったわかりやすい証拠や解れをちゃんと回収しているのはいい感じ。落書きをめぐってフェイクにはめるかんじも、まあ古畑にしてもコロンボにしてもよくあるやりかただけれど、ライブってのはいいもので、ちゃんと迫力をもってみせられると、あれれ、そうだったったけなと思っちゃうのは、映像や小説とは違う魅力。

ネタバレかも。

続きを読む "【芝居】「モスキート」根本宗子"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2013年10月 | トップページ | 2013年12月 »