【芝居】「ルームシェア」ごったに
2013.10.27 13:00 [CoRich]
まつもと演劇祭では恒例となった まつもと演劇連合会の演劇塾卒業生を核とするユニット。Godsound+Studioendとタヌキ王国を講師とするコースだったようで、劇団所属のベテラン勢を加えての60分。27日までピカデリーホール。
富士山の噴火によって大きな被害が出て避難所での生活をしている人々。一人の少女が逃げ込んでくる。避難所ではそこに残された「タイタス・アンドロニカス」の戯曲を見つける。不安な中、その一節を演じてみることにする。生活は徐々に改善されてくるが、最初の緊張感も解け、食事や当番への不満や、あるいは欲望が見え隠れするようになる。
ほぼ素舞台。同じ劇場を交互に使用する演劇裁縫室・ミシンのおかげか、ムービングライトで、舞台への照明の切り替えによって、避難所に集う人々の場面と、シェークスピア劇の場面という演出がスピード感があって、物語をスムーズに運びます。
シェイクスピア劇のなかでとりわけ残虐性の強く悲惨さが前面に出る「タイタス・アンドロニカス」と、避難所の中に渦巻く不満や悲しさのようなどちらかというとマイナスな感情の空間を混ぜ合わせたような空間。構成演出の方のblogによれば、既存戯曲の構成劇、そこに震災や避難所の物語を織り込んだよう。正直な話、避難所でこの物語を上演するということの現実味はほぼゼロですし、親子の愛情とか他人との軋轢といった共通点はあっても、それ以上に何が重なったり作用することを意図しての構成かは今ひとつわからないアタシです。それはけっしてつまらなかった、ということではありません。口当たりのいい芝居ではないと思いますが、何か気持ちがぐるぐるする感じ。
避難所で配られた弁当と、ボランティアたちの持ち込んだ食料・あるいは畑を持っている人が野菜を独占してるなんか嫌な感じだったり、被災していても仕事には出かけて酒を呑んで帰ってくるということだったり、避難所の当番や老人に対する世話だったり。普段だったら見えない「他人との生活」の嫌な感じが「(望まない)ルームシェア」によってあからさまになる感じ。反面、終盤で居なくなった子供のことが見え続けている母親を遠巻きに見守る人々、見えない子供を受け入れる優しさみたいなものもあって、人が一緒に暮らすことの光明のようなものも見えたりして。
シェイクスピア劇のシーンは、物語の大枠はあって、その中で役者をきっちり演じさせるという意味で、 俳優コースの卒業お披露目的な意味合いをしっかり。低い重心で腰を安定させたり、発声などという役者の訓練という点で一年ぐらいの役者がやっていてもあまり違和感がないというのはたいしたもの。どちらかというと山の手事情者やク・ナウカのような訓練された役者の方向性(ってことは、鈴木メソッドか)を感じます。個人的には突き詰めるとあまり得意じゃないジャンルの芝居だけれど、適度なユルサがありつつも、訓練された役者たちによって演じられる舞台が持つ力は間違いなくあって、舞台を観た、という満腹感。こういう訓練を受けた役者は強いと思うので、俳優の養成という点でうまく機能していると思うのです。
この座組の中ではどうしてもベテラン勢に目が行ってしまうワタシです。とりわけ、齋藤綾乃の何者か判らない感はちょっと凄い。林清美のアンニュイ感、ついこの前まで公演だった曽根原史乃の野菜をかじるおばちゃんもちょっと凄みがあります。
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