【芝居】「森の別の場所」時間堂
2013.11.3 13:00 [CoRich]
休憩込みの175分。11日までシアター風姿花伝、そのあと大阪。「よくわかる紙」と名付けられたネタ解説シートが楽しい。
1880年、アラバマ州の家。南北戦争のあと、大金持ちになった一家。父親はまだ絶対的に強く、母親は黒人に教育を施したいという想いがあるが、気持ちを病んでいる。長男は父の会社で働き育ちつつあり、次男は頼りないが、黒人狩りの集会に出たり、売春婦と恋仲になったりしている。娘は父親に溺愛されていて何でも手に入る。恋仲になっている相手は、没落したかつての名門の家の男でシカゴで一緒に暮らしたいと思っているが、男は戦場こそが自分の居場所だと考えていて、ブラジルに行くのだという。父親の莫大な資産を背景に、息子・娘たちは自分のやりたいことをその金で実現しようと考えている。
父親の財産は、南北戦争当時に、塩を高値で売りつけることによってつくられたものだった。南北戦争の末期に北軍の進行の手引きをしたと疑われたが、そのとき遠くにいたことが証明されて、疑いは晴れているもの近所の人々からの評判はあまりよくない。 父親は音楽家を招いて自作の曲をパーティで演奏させたりしているが、それは「成金」ゆえのコンプレックスを埋めようとしているよう。あるパーティ、没落した名門の娘が金を借りにくるが、軍人の弟が父親の機嫌をそこねてしまい、すべての計画が白紙に戻るかと思われたとき、妻はいつも持っている聖書の中に秘密を抱えていることを打ち明ける。
緑色のカーペット地、点在するテーブルと椅子はあるものの、全体としては素舞台。立派になった「成金」の家の家族、苦労して励み、危ない橋を渡ってまでして財をなし、文化的な高さも手に入れようとする父親と、それを無邪気に享受するどころか、どうやって自分の思い通りに事を運ぶことができるかを画策する子供たち、何かを秘め結果的に追いつめられた母親。チェーホフな風味はありつつも、もっと直接的であからさまな物語の語り口は良くも悪くもアメリカっぽい。 正直にいえば、物語の上での必然が薄い人物が何人か居るように見受けられるのはもったいない(原作が戯曲なので翻訳や演出の理由ではないと思いますが)感じがします。
ハバード家の人々に対して、イマドキの口語として訳出した台詞を与え、そのわりにわりと服だけはかっちりしてるように見せることで違和感を作り出すのは「成金」らしくていい。ものすごく薄っぺらな造型で身体としてなじんでない感じがあって、それが意図的なものなのか、役者の力量の不足によるものなのかはよくわからないけれど、アタシにはその違和感がずっとひっかかってしまったのは少々残念な感じも。
長男を演じた菅野貴夫は誠実に見える風貌の奥の冷酷。目を奪われたのは、使用人の女を演じた中谷弥生で、ステロタイプな中年のおばさんな造型だけれど、声が印象的。物語の上での必然が薄いのは少々もったいない。父親を演じた鈴木浩司はもっと威厳が欲しいとは思わなくはないけれど、成金っぽいといえばそうで、「威厳を演じる」感じなのはうまく働いています。母親を演じたヒザイミズキ、名家の娘を演じた阿波屋鮎美は演出の意図だとは思うものの、ステロタイプな造型の違和感。売春婦を演じた長瀬みなみは、この物語の中では「王様は裸だ」と叫ぶように枠組みを信じる人々にづかづかと踏み込むパワーと勢いが楽しいし最前列に座ったアタシには、盛ってあるらしい胸元の眼福。
「よくわかる紙」は単に知識をwikipediaから引き写すのじゃなくて、作家のくだけた言葉で語られているのがいいのです。黒澤世莉がその単語(や背景)をどういうバイアスで捕らえて翻訳し、演出したかがみえるのが好きです。あるいはたとえば「ポーチ」にグラフィックを添えてほぼ素舞台の場所がどういう場所かを観客に想起させたり、原作者の写真で物語の雰囲気を盛り上げたりという効果があります。(恥ずかしながらポートワインって意味知らなかった....いまさら)。当日パンフの登場人物相関図も「成金」「没落」という枠組みをはっきり云ってしまうのは興ざめという見方もできましょうが、全体の構造を先に示してしまうというやりかたがあってもいい、とワタシは思うのです。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
最近のコメント