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2013.10.31

【芝居】「森の別の場所」時間堂

2013.11.3 13:00 [CoRich]

休憩込みの175分。11日までシアター風姿花伝、そのあと大阪。「よくわかる紙」と名付けられたネタ解説シートが楽しい。

1880年、アラバマ州の家。南北戦争のあと、大金持ちになった一家。父親はまだ絶対的に強く、母親は黒人に教育を施したいという想いがあるが、気持ちを病んでいる。長男は父の会社で働き育ちつつあり、次男は頼りないが、黒人狩りの集会に出たり、売春婦と恋仲になったりしている。娘は父親に溺愛されていて何でも手に入る。恋仲になっている相手は、没落したかつての名門の家の男でシカゴで一緒に暮らしたいと思っているが、男は戦場こそが自分の居場所だと考えていて、ブラジルに行くのだという。父親の莫大な資産を背景に、息子・娘たちは自分のやりたいことをその金で実現しようと考えている。
父親の財産は、南北戦争当時に、塩を高値で売りつけることによってつくられたものだった。南北戦争の末期に北軍の進行の手引きをしたと疑われたが、そのとき遠くにいたことが証明されて、疑いは晴れているもの近所の人々からの評判はあまりよくない。 父親は音楽家を招いて自作の曲をパーティで演奏させたりしているが、それは「成金」ゆえのコンプレックスを埋めようとしているよう。あるパーティ、没落した名門の娘が金を借りにくるが、軍人の弟が父親の機嫌をそこねてしまい、すべての計画が白紙に戻るかと思われたとき、妻はいつも持っている聖書の中に秘密を抱えていることを打ち明ける。

緑色のカーペット地、点在するテーブルと椅子はあるものの、全体としては素舞台。立派になった「成金」の家の家族、苦労して励み、危ない橋を渡ってまでして財をなし、文化的な高さも手に入れようとする父親と、それを無邪気に享受するどころか、どうやって自分の思い通りに事を運ぶことができるかを画策する子供たち、何かを秘め結果的に追いつめられた母親。チェーホフな風味はありつつも、もっと直接的であからさまな物語の語り口は良くも悪くもアメリカっぽい。 正直にいえば、物語の上での必然が薄い人物が何人か居るように見受けられるのはもったいない(原作が戯曲なので翻訳や演出の理由ではないと思いますが)感じがします。

ハバード家の人々に対して、イマドキの口語として訳出した台詞を与え、そのわりにわりと服だけはかっちりしてるように見せることで違和感を作り出すのは「成金」らしくていい。ものすごく薄っぺらな造型で身体としてなじんでない感じがあって、それが意図的なものなのか、役者の力量の不足によるものなのかはよくわからないけれど、アタシにはその違和感がずっとひっかかってしまったのは少々残念な感じも。

長男を演じた菅野貴夫は誠実に見える風貌の奥の冷酷。目を奪われたのは、使用人の女を演じた中谷弥生で、ステロタイプな中年のおばさんな造型だけれど、声が印象的。物語の上での必然が薄いのは少々もったいない。父親を演じた鈴木浩司はもっと威厳が欲しいとは思わなくはないけれど、成金っぽいといえばそうで、「威厳を演じる」感じなのはうまく働いています。母親を演じたヒザイミズキ、名家の娘を演じた阿波屋鮎美は演出の意図だとは思うものの、ステロタイプな造型の違和感。売春婦を演じた長瀬みなみは、この物語の中では「王様は裸だ」と叫ぶように枠組みを信じる人々にづかづかと踏み込むパワーと勢いが楽しいし最前列に座ったアタシには、盛ってあるらしい胸元の眼福。

「よくわかる紙」は単に知識をwikipediaから引き写すのじゃなくて、作家のくだけた言葉で語られているのがいいのです。黒澤世莉がその単語(や背景)をどういうバイアスで捕らえて翻訳し、演出したかがみえるのが好きです。あるいはたとえば「ポーチ」にグラフィックを添えてほぼ素舞台の場所がどういう場所かを観客に想起させたり、原作者の写真で物語の雰囲気を盛り上げたりという効果があります。(恥ずかしながらポートワインって意味知らなかった....いまさら)。当日パンフの登場人物相関図も「成金」「没落」という枠組みをはっきり云ってしまうのは興ざめという見方もできましょうが、全体の構造を先に示してしまうというやりかたがあってもいい、とワタシは思うのです。

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【芝居】「MIWA」NODA MAP

2013.11.2 19:00  [CoRIch] [感想文リンク]

美輪明宏の生涯の話しを聞くだけ聞いて、まったくもって出鱈目の、と銘打つ新作。 24日まで東京芸術劇場プレイハウスのあと、大阪、北九州。135分。

生まれ落ちるとき、化け物と一緒に降り立った。赤ん坊の頃から、ずっと自分の中には化け物がいる。遊郭に生まれ、原爆を目にして、初恋からずっと男子が好きで。母親は何人も代わり。上京して、シャンソン喫茶で人気者となり、恋人を失い。歌を歌い続ける。

男でも女でもある、男でも女でもない、という 隠れキリシタンの町、踏み絵、恋した相手は男、正直にいっても祝福されないどころか迫害を。そういう目でみれば、原爆だって、ヨイトマケも、遊郭も、さまざまに迫害されたり隠れていたりする人々。 一見関係ないようにみえて、隅から隅までこの迫害を象徴するものばかり。

ピカドンのシーンが圧巻。そこには生活があったのに、それを一瞬にして奪うこと、大きな布を倒れた人々の上にかけることで死者たちが土に還るよう 全体にショーな感じが強くつくられていて、友人たちには遊眠社時代を見ているよう、という感想も聞いたりします。遊眠社は結局観られなかったアタシにはよくわからないけれど、ここしばらく続いていた強い主張はやや控えめにしつつ、コミカルもふんだんなのがそういう感じなのかなと思ったりします。 心の中の化け物、心の中の中性的なものの同居。二人の役者のコントラストで笑わせ、没入させる感じがいいバランス。

正直にいえば、美輪明宏というキャラクタ、同性愛を貫くことにしても、同時代に生きるアタシにはその現実の彼の姿の強烈な印象。どうしてもそれが透け見えてしまうわけで、出鱈目とはいっても、その現実を借景しているだけに見えてしまうのがやや食い足りない。何よりヨイトマケもメケメケといった歌声の凄みを現実の美輪明宏の歌声にしてしまうのは、こうするしかないとも思うものの、口パクを見せられるような、物語世界に入り込めない印象を残すのです。

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【芝居】「この世の楽園」鵺的

2013.11.2 15:00 [CoRich]

3日まで雑遊。

波が聞こえるホテルのロビー。 妻が男を作って出て行った夫が、友人夫婦に仲裁を依頼した。その夫婦の中は冷め切っているけれど離婚はしていない。同じロビーには若い男が恋人らしい女に暴力を振るっていたりもした。
翌日。女たちの前に現れた男、自分があなたたちを幸せにするために夫や恋人を殺そう、と持ちかける。すでに男たちはこの男の部屋に監禁されている。若い女は依頼するところだった。
犯人はいなくなり、ほどなくして、男たちは解放される。若い女は男の元に戻り、東京から呼ばれてきた友人夫婦は不仲のまま、しかし離婚もしない。

デッキのような体裁、三つのテーブルといくつかの椅子。ホテルらしい場所。一方的な想いの男と醒めた女、互いに醒めているけれど別れるわけにいかない男女、怖い男と別れられない女。三組の溝のある男女。女たちはみなどこかで別れたいという気持ちがあって、それにつけ込んでくる見知らぬ男が持ちかける殺人。これは正義だとばかりに自信いっぱいの高揚感で語り、説得するけれど、どう考えても頭おかしい側の、踏み込めない感じ。女たちは気持ちが揺らぎつつも、すんでのところで踏みとどまり、あるいはこの場から離れることで、殺すところまでは拒否する。男たちはこんなめに遭って、警察に通報してくれなかったことを寂しいとおもっても、女たちがこんなに心が揺らいでいたということはおそらく露ほどにもおもっていない。そういうおめでたい感じの落差がまた溝なのです。

チラシの裏にある北嶋孝によるレビュー、「『理解』という手続きをとろうとすることによって、夫婦の関係自体がターゲット」になる、というのを芝居を見てからちゃんと読んで目から鱗。ああ、なるほど、個人を狙うんじゃない感じの気持ち悪さ。

犯人が何かの気持ちのたかぶりによって監禁に走ったところまでは物語のフレームワークとして理解するとしても、どうして犯人は去り、結果として男たちは助けられたのかということの説明がないのは少々物足りなく感じる気はします。もっとも、ときおり台詞として出てくる地震、ということば(初演は2005年、震災の前という意味は大きい)は、たとえば今年ならば台風に置き換えられそうだけれど、突然理由もなくここに来て、私たちに理解できる理由もなく去っていけば台風一過のような青空、という天変地異のような出来事、なのだということかな、と思うのです。結果として人間は動き、あるいは動かなかったということが描かれるのがいいなぁと思うのです。

他人と暮らしたことがないアタシには毎日生活を共にすること、恋とか愛とかなんてものが微塵もなくてもそれを続けることの諦める感じというのは正直にいえば、よくわかりませんが、ずれたことを自覚しながらも、ともに進まなければいけないというのは、たとえば仕事だったり友人たちという感じでもあることかなとも思います。

暴力を振るう男の救いようのない自覚のなさ、別れたいと思っていて、自分のスマホを地面に叩きつけて一瞬反抗するのかとおもわせつつも、結局この男と居続ける女、その自覚のなさを笑うのは簡単だけれど、もしかしたら自分がそうかもしれないなんてことは、他人とふたりきりで暮らしたことがないだけに、恐怖だったりします。

アタシが見慣れた、しかも芸達者な役者たちの濃密な舞台は物語抜きでも(や、そんなことはないけれど)舞台に彼らがいて、何かを演じているということだけで嬉しくなっちゃう座組。
佐々木なふみはずっとフラットに理性的で居続けるという役は珍しい。表情がない役というのはアタシ的には痛し痒しだけれどちゃんと服が変わっていくのは女子っぽくて楽しい。奔放な女を演じた渡辺詩子はこれっぽっちも愛情がないという女優には厳しいある意味ヒールをしっかり。実直な男を演じた成川知也のいい歳なのに童貞感(というか、女を一人しか知らない)の造型がいい。中田顕史郎の軽口叩きながらというのは得意なキャラクタだと思いますが、ここまでパートナーに一片の興味もないという造型は珍しい。座った場所のせいかでずっと彼の表情をみているのもまた味わい深い。青年を演じた酒巻誉洋はあからさまにキチガイなテンションと一瞬理知的に見える瞬間の細かないくつものダイナミックレンジを重ねていくという説得のシーンが実にいいのです。

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【芝居】「ノスタルジア」幻想劇場◎経帷子

2013.10.27 16:30 [CoRich]

まつもと演劇祭、アタシが最後に観たは演劇祭常連の一本。27日まで D's。60分。

結婚の約束をしている男女、夜の公園での待ち合わせや教会の下見。結婚して子供が生まれて夫婦げんかをしたり。なぜ初めて行ったはずの教会を夫は詳しく知っていたのだろう。疑いの気持ち、隣で起きた火事は隣の奥さんの浮気が原因で。夫ではないか。問い詰めると夫は叫ぶ「おまえの中の俺を殺せ」

そう高くはない天井、舞台を中心に二列にぐるりと取り囲みます。二列目はかなり高くあげていて、どこから観ても見やすい感じの客席。不思議な雰囲気の空間を作り出します。

寺山修司作品の系統の作品が得意な劇団。 女と男、幸せだった時間、幸せになるはずだった時間。想いは女の中で繰り返される。夫はもう事故でいない。子供は(たぶん)最初から居ない。もしかしたら眠り続けている女の外側には医者も居て、まだ目を覚まさないという、記憶と時間の中に閉じ込められた女を巡る物語。かみしめる気持ち、期待していたきもちゆえにこうなってしまった、ということか。

良くも悪くも寺山風味ですから、若い人にとってはちょっととっつきにくい気はしますが、合間合間に入れる軽いシーンがアタシちょっと好きです。ギャバンネタ(ズバット百瀬、という名前なのに)だったり、山の上から眺める二つの街を繋ぐ道路沿いの明かりとか、名古屋弁の医者だったり。

女を演じたきむらまさみ、可愛らしさと囚われてる感じの絶妙。男をえんじたズバット百瀬は実直、素敵な人、というある種の幻影をしっかり。医者を演じた家田典和は笑いを取りつつも、 バイオタイドなんて言葉の説得力。看護婦を演じた、はりけんは出落ち感まんさいなれど、それが軽さをつくっていていいのです。

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【芝居】「ファイア・クラッカ」演劇裁縫室 ミシン

2013.10.27 15:00 [CoRich]

去年の演劇祭ではじめて拝見して強い印象を残した岡谷の劇団の新作。いまや演劇祭の目玉といってもいい劇団。27日までピカデリーホール。60分。当日パンフをリバーシブルに裏返すと豆粒のような字でびっしりと戯曲が印刷されている(写真)というセンスも実にいい。

かつてはテレビに出ていたけれどいまはすっかり干されてしまった兄弟の漫才師。ツッコむと客席に爆竹のような爆発音が鳴り響き客がすっかり冷めてしまうからだった。無名時代から兄とつきあっていた女が居たが、売れ始めて天狗になった兄に手痛くフラれ、その傷心を地球外生命体につけ込まれて、兄のカラダにもとりついてしまったのだ。その地球外生命体は海底に居る。門番たちを次々と倒したが最後の的は巨大化してしまった。

パネルを立てて、やや狭くアクティングエリアを設定。オープニングのタイトルは、パネルを動かしながらのプロジェクションマッピングに現実の役者の動きを重ねたりしてカッコイイ。この劇団の大きな特徴になりつつあります。

ワタシは未見ですが、映画「パシフィックリム」な風味(きっと地球外生物があれこれ、というあたりか)が満載の活劇風味。戦い方が、突っ込みで爆発させる、というような兄弟が力をあわせて、みたいな感じ。物語に淀みというのがなくて、ともかく隙間なく濃密にコメディを作り込んでいます。地球外生物が生の鯖を食べると感染していくというのもちょっといい。

正直に云えば、笑いそのものを題材にして物語に組み込むのは相当に難しいと思うのです。舞台の上でやってる「おもしろいテイ」のことをどこまで本気で観客に面白く感じさせるかがポイント。一つ一つのネタはきっちり面白かったりもするけれど、なかなか破壊力のある大爆笑にはならないと、こういうイキオイで突っ走るものは厳しくなりがちです。それでも、今作きっちり走りきっているし、面白いものを観た、という満腹感目一杯なのです。

プロレス芸人が叫び声だけで机相手に格闘するというネタだったり、漫才師が演じるイマイチな給食をフランス料理風にブラッシュアップするネタ、あるいはiPhoneの音声認識(Siri)でやや無茶ぶりふうなことを軽々こなしたりというこまかに作り込まれていると感じさせるのがいい。作家の引き出しの多さ、それをやや頭おかしい(褒め言葉)感じで一ひねりもふたひねりも。気楽に楽しめるように見えて、奥が深くて濃密で、こういう芝居こそが、結果的には敷居が低くて、実は地方だからこそ、芝居を見慣れない人々にアウトリーチする力があるのだと思うのです。

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【芝居】「ルームシェア」ごったに

2013.10.27 13:00 [CoRich]

まつもと演劇祭では恒例となった まつもと演劇連合会の演劇塾卒業生を核とするユニット。Godsound+Studioendとタヌキ王国を講師とするコースだったようで、劇団所属のベテラン勢を加えての60分。27日までピカデリーホール。

富士山の噴火によって大きな被害が出て避難所での生活をしている人々。一人の少女が逃げ込んでくる。避難所ではそこに残された「タイタス・アンドロニカス」の戯曲を見つける。不安な中、その一節を演じてみることにする。生活は徐々に改善されてくるが、最初の緊張感も解け、食事や当番への不満や、あるいは欲望が見え隠れするようになる。

ほぼ素舞台。同じ劇場を交互に使用する演劇裁縫室・ミシンのおかげか、ムービングライトで、舞台への照明の切り替えによって、避難所に集う人々の場面と、シェークスピア劇の場面という演出がスピード感があって、物語をスムーズに運びます。

シェイクスピア劇のなかでとりわけ残虐性の強く悲惨さが前面に出る「タイタス・アンドロニカス」と、避難所の中に渦巻く不満や悲しさのようなどちらかというとマイナスな感情の空間を混ぜ合わせたような空間。構成演出の方のblogによれば、既存戯曲の構成劇、そこに震災や避難所の物語を織り込んだよう。正直な話、避難所でこの物語を上演するということの現実味はほぼゼロですし、親子の愛情とか他人との軋轢といった共通点はあっても、それ以上に何が重なったり作用することを意図しての構成かは今ひとつわからないアタシです。それはけっしてつまらなかった、ということではありません。口当たりのいい芝居ではないと思いますが、何か気持ちがぐるぐるする感じ。

避難所で配られた弁当と、ボランティアたちの持ち込んだ食料・あるいは畑を持っている人が野菜を独占してるなんか嫌な感じだったり、被災していても仕事には出かけて酒を呑んで帰ってくるということだったり、避難所の当番や老人に対する世話だったり。普段だったら見えない「他人との生活」の嫌な感じが「(望まない)ルームシェア」によってあからさまになる感じ。反面、終盤で居なくなった子供のことが見え続けている母親を遠巻きに見守る人々、見えない子供を受け入れる優しさみたいなものもあって、人が一緒に暮らすことの光明のようなものも見えたりして。

シェイクスピア劇のシーンは、物語の大枠はあって、その中で役者をきっちり演じさせるという意味で、 俳優コースの卒業お披露目的な意味合いをしっかり。低い重心で腰を安定させたり、発声などという役者の訓練という点で一年ぐらいの役者がやっていてもあまり違和感がないというのはたいしたもの。どちらかというと山の手事情者やク・ナウカのような訓練された役者の方向性(ってことは、鈴木メソッドか)を感じます。個人的には突き詰めるとあまり得意じゃないジャンルの芝居だけれど、適度なユルサがありつつも、訓練された役者たちによって演じられる舞台が持つ力は間違いなくあって、舞台を観た、という満腹感。こういう訓練を受けた役者は強いと思うので、俳優の養成という点でうまく機能していると思うのです。

この座組の中ではどうしてもベテラン勢に目が行ってしまうワタシです。とりわけ、齋藤綾乃の何者か判らない感はちょっと凄い。林清美のアンニュイ感、ついこの前まで公演だった曽根原史乃の野菜をかじるおばちゃんもちょっと凄みがあります。

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【芝居】「G.G.G.」シアターTRIBE

2013.10.27 11:30 [CoRich]

まつもと演劇祭の常連、シアターTRIBE。27日までMウィング2F展示ギャラリー。

「世界をめっさ正す会」に集う男たち4人。些細な日常に正義のイチゲキとかなんとかいいながら、枢機卿とか司祭とかのランク付けして盛り上がりつつ楽しんでいて、公民館で隣の部屋を使っているおばちゃんに怒られたりしている。このサークルにフリーペーパーの記者が取材に訪れる。 今はこんなサークル活動しかやってない男たちだが、かつて道路工事の下請け会社の社員で工事の不正を告発したがために人生を狂わせてしまった人々だった。ふざけているように見えて頭の中に「人民放送局」からの叫びが聞こえるのだという。

松本市の中央公民館の展示スペースを使っての上演を逆手にとって、公民館に集うサークル活動の人々という体裁に物語を。熱かった男たちが人生に挫折し、静かに互いにふざけながら過ごす日々。だけれど、その心の奥底にあるはずの内なる熱い思い。心の奥底の声を「人民放送局」として具現化して見せて、日常に埋没しがちだけれど、心にある正義諦めてはいけないのだということを愚直なほどに真っ直ぐ描きます。

不正の告発で告発者の安全が保証されないこと、報道されるべき事が報道されないことへの怒り、(別世界として描かれている)知る権利が保障されていない世界の恐怖、一人では戦えなくても世界中の同士が繋がれば戦えるかも知れないこと、そのためには「G(GOLD=金銭、GOD=宗教、GUN=武力)に支配されない」で自由で居なくてはいけないという矜恃。直接世の中の何かを描いているわけではないのだけれど、秘密保護法(そういえばこれを描いた芝居をまだ観てない気がする。)だったり、美しかったり取り戻したかったりという甘言でどんどんきな臭くおかしくなっていくということへの作家の強い怒りが溢れる舞台なのです。そういえばトンネル工事の、という話題は、交通手段としては中央道に大きく依存する松本市民の肌感覚でもあって地に足がついたところに立脚しているのも安心なのです。

あるいは終幕、仮面を付けた男たちはまさに「アノニマス」な人々の存在で、表向きぬるま湯サークルの顔でも、その内側で互いを知らずに繋がっていくようなネットワークでの私たちという感じでかっこいい。

正直に云えば、前半、男子四人のホモソーシャル感一杯なぬるま湯サークルで出てくるネタ、もちろんユルいネタでなければならないのは承知の上で、観客のあるある的な共感をうんでほしい。あるいは人民放送局、その力は「(内なる)声」なわけで、そこに音としての圧倒的な説得力が欲しいところ。

ガンダムオタクな男を演じた伊藤利幸は一度観たら忘れられないルックス、決して巧い役者ではないけれど、存在感がすごい。フリーペーパー記者を演じた、ちんてんめいもニュートラルな造型で説得力があります。

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【芝居】「ウナギとウメボシが人間を天国へ近づける日」空想≠カニバル

2013.10.27 10:00 [CoRich]

まつもと演劇祭の中の一本。信州大学の劇団出身者が作演をつとめる2013年春結成のユニットの初公演。27日まで四柱神社。55分。

殺し屋から足を洗って飲食店を始めた男。が、店につどうのはかつての仲間、殺し屋ばかりで、この店に送られてくる依頼を待っている。ある日、送られてきた依頼に書かれていたターゲットは、殺し屋界隈では知らぬ者は居ない最強の殺し屋だった。ターゲット自らこの店にやってくるのだという。

殺し屋たちが勝てそうもない相手に立ち向かうしかなくなって、これが最後の日とばかりに、それぞれの自分語りをする、という構成。無言のマイムで語る田舎の病院に入院している想い人だったり、男遍歴を重ねた末に未婚の母となり生計を立てるために殺し屋となったという話だったり、子供の頃好きだった女子にプリントを届けるパワーマイムのような冒険活劇だったり、ハードボイルド寄りに作られた「時そば」だったり。実はこの部分のボリュームが多くて、ショーケース的な作りになっています。いちおうそれぞれの人物に薄くつなげているとはいえ、それが外側の物語のそれぞれの人物造型につながらない感じなのはもったいない。

開演前に主宰が説明、キャストの一人が現れないので、演劇祭本部との相談の上キャストと構成を手直しして送るとのこと。他の回を観た友人の話と比較してみると、確かに一人減らした上演のようで、不在のキャストが演じていたこの店の店主の役を4人居た殺し屋からひとりシフトしたようです。ショーケース的な作りが功を奏したのか、ところどころ不安な点は抱えつつも、なんとか走りきりました。 猫好きを演じた佐藤賢一は演劇歴もさすがに長いようで、圧倒的な安定感。「時そば」をハードボイルド的な味付けで爆笑編に作り上げるのはたいしたもの。店主を演じた那花優将は当日パンフの役が違うのは上記のような理由で役をシフトしたようですが、それでも観ていて安定感があるのはたいしたものです。

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2013.10.27

【芝居】「濡れた花弁と道徳の時間」肯定座

2013.10.26 19:30 [CoRich]

肯定座、6月の1.5回目公演を経ての2回目公演。ラブホテルを舞台に奥行きも濃密さも併せ持つ115分。27日まで明石スタジオ。

ラブホテル、三つの部屋。
女子高生と援交する男。男は自分のやってることを棚に上げて説教おやじよろしくよく喋るが、女はそっけない。そこにヤクザが乱入してくる。(405)
中年の男と若い女がいちゃついている。二人は結婚しているが同居する姑が気になり、子づくりのためにラブホテルにやってきている。女がバスルームに入ると閃光と大きな音とともに、初老の男が現れ、自分は息子だと名乗る。 (304)
若く鍛え上げられた肉体の男と、訳あり風の女がやってくる。息子のサッカーのコーチとラブホテル通いを重ねているが、それに気づいた夫は飲み屋で知り合った外国人のヤクザ風の男と乱入して現場を取り押さえる。妻は息子にサッカーを教えてもらうためといいつつも、夫では満足できないセックスに満たされていると告白する。 (305)

構成としては405→304→305→304→405という流れ。304は他とは独立していて、時間の経過のために二つに分割したという感じ。405と305は間違った乱入に端を発してつながり、305で出てきた事実が後半の405で複合して物語に新しい地平が広がってわくわくするのです。

405の物語は援交する男女、こんなことしてるのを棚にあげてのオヤジの説教という序盤から、セックスが別に格段に好きな訳ではなくて、生きていくことなのだ、混乱があるけれどそれまで表情のなかった女に笑顔が現れ可愛らしくなるというのがいい。それなのに、他の物語を挟んで戻ってきた405は、男の整形と、不細工であることのコンプレックスと、それにまつわる犯罪の吐露という新たな地平へ。幕切れはあまりにあっけなく、後味のよいものではないけれど、乾いたギャング映画のようでもあって、いたずらにウエットにしないという意味ではうまく機能しています。

ナマりまくる女子高生(!)を演じた奈賀毬子は心を閉ざした感じの中に一瞬みせる笑顔の前半がいい。買った男を演じる久我真希人はオヤジ感前回な前半はコミカルな造型が後半ではコンプレックスの固まりという整形前の別人格が透け見えるようなダイナミックレンジがいい。

304の物語は、まさかのSF仕立て。バックトゥザ・フューチャーを匂わせて(あるいはドラえもんか)、そういう体裁でやつれた50男が出てくるのは出落ち感満載でおもしろいけれど、もちろんこの作家、それだけでは終わらせません。前半では自分の人生も、この家族の人生も悪くなったのは自分のせいだと責める気持ちが(自殺ではなく)原因となる両親のセックスを止めにくるというある意味メンドクサい息子という他人を置くけれど、後半では(夫が寝ている間に)妻は息子とちゃんと話しをして受け入れて、息子の望み通りに子作りは延期してコンドームをしてセックスしようと決めれば息子は徐々に薄くなり、コンドームに水を入れて風船よろしく(中学校で流行ったw)割ってしまって(生まれてもいないけれど)子供を守らない親なんていない、という後半は全く別の、愛情の物語に着地するのです。他の物語と交わらないことで、家族の物語ということが強調される感もあって、実にいい話なのです。にちょっと鼻の奥がぐずぐずしてしまうのです。44歳の夫を演じた安東桂吾、セックスに楽しく前向きな感じがややルパン三世なかんじの造型になっていて楽しい。妻を演じた福原舞弓に、あんな単語を云わせる演出がオヤジ的には実にいいけれど、彼女も楽しそうなのがいいし、息子を呼んで抱きしめるのはまさに美しい母親の姿であって神々しくも。息子を演じたちゅうりは、出落ち感満載だけれど、疲れたオヤジのリアリティがいい。

ルームメンテナンスをするパートの女たち3人、息子の友達がセフレとかAVみたいなネタを織り込みつつ、後半につながる種をまきつつ。独身女を演じた菊池美里は静かに暮らすやや気の弱い女からのギャップがいい。声や表情でことさらに表現しないのがよくて、フラットに造型していることが効奏しています。息子の友達とセックスしているパートを演じた大石洋子もフラットな表情のままなんか自分のやばいことをぽろぽろ喋り、新人なのに仕事を選ぶなんて具合の自由さの造型。リーダー的なパートを演じた久行しのぶはこの三人のまったく関係ないものがたりをつなぐ役割を好演。

その同じ部屋、305の物語は主婦と(息子の)コーチとの浮気というメロドラマかと思わせる枠組みだけれど、そこで語られるのは夫婦のあり方の物語。ぎゅんと奥行きがあって味わい深い。 序盤若いスポーツマンと主婦の浮気、女が恥ずかしがりながらも野球拳をして、あるいは男の言いなりになっているのはある種のプレイな感じでぞくぞく。(もっとも、これが度を超せばDVにつながるわけだけれど、他人という距離感がそれを観客に想起させないのは巧い)。乱入してきたヤクザと夫、制圧できると知れば夫は殺せと命じても、外国人がそれを頑として受け入れないというのがちょっといい描き方。妻を演じた平田暁子は脱いだら凄くてしばらくぼおっとしてしまうオヤジなアタシです。恥ずかしさの表情も、セックスに満足できないと夫に告げる力強さもじつにいいのです。夫を演じた富士たくやはやや鼻持ちならない敬虔な造型。浮気相手を演じた椎名茸ノ介は鍛え上げられた筋肉もバクテンもサッカーコーチという説得力。

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【芝居】「ニッポンヲトリモロス」チャリT企画

2013.10.26 15:00 [CoRich]

30日まで王子小劇場。65分。

2020年の東京オリンピックを三日後に控えたホテル・ザ・ニッポン。ロビー天井の水漏れは何度も水道屋を呼んで修理するのに、いっこうに直る気配がないどころか、どんどんひどくなっていく。今晩の宿泊客はオリンピック目当ての中国からの観光客ばかりだが、島をめぐる問題で突然中国のオリンピックのボイコットを発表する。客室の2号室は高温になり、開かずの間のはずの4号室に入る人影を目撃したとか化け物が棒状のものを集めていると従業員が騒ぐ。開会式は目の前なのに、噴火や津波の影響で工事は遅れに遅れていて競技場すら完成していない。

安倍晋三を揶揄する芝居、というのは既定路線、「ニッポンを取り戻す」というフレーズの発声が「トリモロス」になってることをおちょくる感じのタイトル。(もっとも、最近はこれも含めて発声をずいぶん矯正しているようだ、というのはラジオで久米宏がしゃべってたけれど)。オリンピック、原発事故とそれをコントロールしていると言い切る神経、にもかかわらずおそらくは原発内部なりタンクなりでは汚染水漏れがつづいているのに対処できない東電と政府(舞台装置では、ホテルのロビーを模したセットの上方を、あの吹っ飛んだ建屋のフレームにしているのが巧い)という状況を「天井からの水道漏れ」と「いつまでたっても直せない水道屋」という風に、飽きるほど繰り返して見せていきます。そうそれは永遠とも思えるほど終わらない繰り返し。謎の4号室・イルスカンダル様にYAMATO宅急便(だけど、それは魔女の宅急便そのものの格好で)によって届けられたはずのコスモクリーナーも結局発動することはなくて、この混乱は延々につづくのです。

爆発という最悪の事態を、ドリフ8時だよ全員集合のセットチェンジのテーマにのせてわちゃわちゃと大騒ぎに落とし込んでしまいます。解決できそうもない現実だということを象徴しているようでもなく、正直、物語としては、アイテムを並べるだけ並べた挙げ句に「大騒ぎ」と、これで日本おしまいだ、という諦観なポーズで放り出してしまった、という感じがしてなりません。社会で起きていることを読み解いて、きっちり笑い飛ばす芝居に出来る彼らだからこそ、 事実に対する比喩を広げるだけではなくて、強引でも何でも物語にしてほしかったなと正直に思うのです。 この芝居、揶揄したいという気持ちは見えるけれど、起こっていることに対する怒りとか危惧という作家の感情の片鱗が見えないことじゃないかと思うのです。

ヤマト、キキ、宅急便にコスモクリーナーというコネタは複合技で追い込んだ感じがしてちょっと好き。宅急便を演じた小杉美香はなかなかどうして可愛らしく。水道屋を演じた島越勇作の興味が定まらない感じもちょっといい。

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【芝居】「カラマーゾフの父」シアタープロジェクト・サザンクロス

2013.10.25 21:00 [CoRich]

一人芝居のユニット。サザンクロスの椿媛が初めてゲストを迎えて行う企画公演。この続編を12月に公演予定。 「カラマーゾフの兄弟」(青空文庫)の物語前半、父親を中心に描く60分。21時開演が嬉しい。27日まで信濃ギャラリー。

長男は婚約相手からの借金のために別の女へ心変わりしているのに婚約破棄ができずにいる。心変わりしている相手の女は男を捨てていない父親ととりあってる。次男は長男の心が離れた女を密かに愛している。借金を返そうと父親が隠していた大金を盗もうと忍び込んだ長男は、使用人に大けがをさせて逃げるが同じ晩、父親が殺され、その疑いが向けられる。

例によって不勉強で原作を読んでいないアタシですが、名作文学をポップにぎゅっと濃縮。父親が殺されるまでの背景を丁寧に濃密に描き、12月の続編へのつなぎます。

いい歳をして男を諦めないまま、息子と女を取り合う父親、男性としての魅力だけではなくて、金がものをいうのだということの、あからさまにわかりやすい下世話さ。執着することの醜悪を鮮やかに、しかしポップに描き、金に裏打ちされたプライドを失うことの恐怖が更に醜悪さを強調するのです。

ポップな音楽とキメキメな演出、少人数の役に絞った構成で骨太に物語を紡ぎ、それ以外の小さな役を少々コミカルに二役三役でつくることで、濃密さと気楽さが混じり合い両立していて、古典文学ゆえの堅苦しさ重苦しさを感じさせずに気楽に楽しめる一本。

演出を兼ね、長男ドミートリイを演じる椿媛は怖い物知らずの若者という造型が 圧巻で、キメるところをきっちり決めて印象的。次男イワンを演じた宮川健太郎は実直さの中に秘める想いと企みな造型しっかり、父親。 フョードルを演じたクサママサキは執着ゆえの醜悪、殺される終幕への説得力。 妖艶なる女・グルーシェニカを演じた雑草は、ややアニメ声と低音の振り幅で鮮やかなコントラスト。 想い続ける女を演じた神戸カナは、実直な男に想われ続ける清楚さを前面に。

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【芝居】「SOY」信州大学 劇団山脈

2013.10.25 19:30 [CoRich]

60分×7劇団を5カ所で行う、まつもと演劇祭のオープニングを飾る、信州大学の劇団。27日まで四柱神社。

地方の家のリビング。教師の父親は書道部の合宿で久し振りに家に戻る。引きこもっている息子に墨を擦る仕事をさせている。娘は近所のコンビニの息子の子供を妊娠しているがまだ父親には知らせていない。妻とともに夕食をとろうとするが、冷や奴にかける醤油がない。コンビニはやや遠く、誰が行くかで揉める中ふとしたきっかけで、娘の妊娠を父親が知る。コンビニの息子は自分の教え子だが、強硬に結婚に反対する父親も、結婚を受け入れる母親もそれぞれに秘密を抱えていて。

広いリビングにテーブル、椅子だけ。どこか寒々しい感じすら。引きこもり、未婚の妊娠とそれぞれに問題をかかえる子供たち、仲よさげに見える父と母。静かな演劇よろしく、低い体温のままさして盛り上がりのないまま続く会話。合間に、「スミナメ」なる変質者や近所の主婦たちの噂話しを挟みつつ、基本的には「とっかかり」のないまま進む物語。

どこに着地するんだろうとやや不安になりかけた45分過ぎあたりから、物語が動きます。父親が嫌っているコンビニの息子こそが、この家の娘のお腹の子供の父親であり、娘と相手は父親の浮気による兄弟だと物語を立ち上げ、つづいて母親のもう一つの浮気によって近親相姦ではないのだと物語を転がすスピード感。コメディとしては少々強引な気はしますが、前半の静かな芝居との落差をきちんとつくることで、客席に笑い。

物語はここには安住しません。平和な家庭に見えた一家に訪れた危機ゆえに父親は目の前に今ある「今晩の食卓」を守ろうとするあまり混乱を極めます。日常から逸脱することへの恐怖からの狂気は、この破綻のきっかけとなった「醤油のない冷や奴」に向かい、解決の糸口が見えない醤油のかわりに「(おそらくは)毒入りの墨汁」をかけてでも、この食卓を守ろう、とするのです。日常を守るために陥る狂気ということ自体は斬新な発想というわけではないのだけれど、自分たちの身の丈の会話劇ではなくて、オリジナルな切っ掛けを探しているということがなんかいいな、と思うのです。

平和な日常の綻びのきっかけになった豆腐屋のラッパの音が終盤から徐々に舞台の向こう側あちこちから響き、平和な日常そのもののはずのあの音が、破綻を象徴するかかのように終演後も鳴り響くのは舞台の濃密さをつくります。

正直にいえば、中盤、醤油のくだりの家族の間の逡巡、特に父親がここに拘泥する理由がわからずに、時間が長く感じてしまいますし、結果的には伏線として回収できているものの、墨汁を豆腐にかけるということのやや強引な感じも惜しいところ。もっとも、豆腐の白と墨汁の黒のコントラストのおもしろさはあるはずだなとも思うけれど、それが絵面にはなりにくいところが勿体ない気もするのです。

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【芝居】「スカパン」まつもと市民芸術館

2013.10.23 19:00 [CoRich]

アタシは初見です。 115分。27日まで、まつもと市民芸術館。

父親たちの留守の間に恋人を見つけ密かに結婚したり、ジプシーの女とつきあうようになる、二人の息子たち。当初の予定よりもずいぶん早く父親たちが戻ってくることを知った二人は、召使いで頭の働くスカパンにどうやって乗り切ったらいいか、あるいは金を工面するにはどうしたらいいかを相談する。スカパンは父親たちから金をかすめ取ろうと提案して、奔走して、成功する。スカパンは日頃の恨みを、ちょっとだけ晴らしたりもする。
が、父親たちはスカパンがかすめ取った金が恋人たちと暮らすために息子いに渡されたのだと知り、港町の労働者に金を渡してスカパンを叩きのめすように依頼する。実は息子たちが選んだ恋人たちは、実は父親たちが結婚させたいと思っていた相手だということがわかり、めでたく結婚を披露する。その場所に、息が絶えそうなスカパンが現れる。

実は元々の物語も、いままでの串田スカパンも知りません。物語はごくシンプルで、引き裂かれそうな恋人たち二組、頼まれてそれを助けるけれど普段は蔑まれがちな召使い、恋人たちのために危ない橋だってわたるけれど、実は恋人たちは何も心配することないハッピーエンド、という枠組み。当日パンフにあるとおりに、演出家の読み解いた結果か、あるいは原作がもともと持っているのかはわからないけれど、金を持っている父親、何不自由ない息子たちだけれど、父親の金で雇われている召使いを自分のものかのように、たいした考えもなく使う。対して、自分の頭で考え、自分の身体を動かしたスカパンの末路はまったく報われないのです。当日パンフに載っている「現代のこどもたち」というくくり方はあまりに乱暴な気はしますが。

とはいっても、若さ溢れる恋人たちは本当に眩しい。初老に造形されたスカパンとのコントラスト。軽妙に、しかし泥臭い魅力的な人物の奥行きに引き込まれるのです。

ジプシーの娘を演じる太田緑ロランス、決して恵まれた境遇じゃないけれど、奔放に笑い、話しちゃいけないことだとわかっていても止まらないというのがちょっといい造形。若い男、オクターヴを演じた内藤栄一は優男の造形がいい。レアンドルの父を演じた内田紳一郎は優しい、けれど召使いに厳しいという復讐される流れをしっかり。港町の労働者を演じた金子岳憲はどこか影のある印象をしっかり。 TCアルプの近藤 隼は厳格さカタブツという造形、内田紳一郎は愛すべきドケチな造形が印象的。

何より、劇場オープニングに引き続いて主演の串田和美、残念ながら二日間の公演キャンセルはあったものの、水曜日は新たな「初日」とでもいう日。そのカーテンコール、串田和美の涙につられるワタシです。

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2013.10.22

今週末は第18回「まつもと演劇祭」です。

10月のさいごの週末は、長野県松本市の小劇場劇団による「まつもと演劇祭」で、今年2013年は10月25日(金)から27日(日)の三日間。松本城にほど近いピカデリーホールを核とした5劇場で7団体が上演を予定しています。[公式サイト]

2演目以上ならあとはパスポートで同一料金だったり、土曜日なら朝10時から21時まで一日で全7演目が制覇できたりします。東京でも一日7演目というのはなかなかないんじゃないかと思います。

大学の劇団がひとつ、残りの劇団は全て社会人で別に仕事を持ちながら演劇を続けている人々で、そういう意味では東京のように演劇(とバイト)だけで暮らしているという人々ではありません。まあ、東京が異常だとも云えるわけですが。それでも、東京でも時々目にする「アマチュア社会人劇団」とはどこか気合いが違う感はあったり、独自の進化を遂げているようが劇団があったりとなかなか侮れないところはあるのです。東京にあまたある劇団に比べてどうか、というのは正直なかなか難しいところですが、観光がてら泊まりにで遊びに来るというのもなかなかいいのではないかと思います。(上野発の深夜便高速バスを利用すると、金曜24時上野発→26日一日で見て→土曜24時松本発という弾丸ツアーも可能です)

演劇祭ではありませんが、同じ時期にまつもと市民芸術館ではあの自由劇場の串田和美の手による「スカパン」が上演されています(急病による公演中止がありましたが、23日以上は上演予定) そもそもが観光地ですしから松本城、なわて通りや中町通りという観光商店街、劇場前には屋台もでたりとお祭り感めいっぱいでおなかいっぱいになること、請け合いです。

ワタシ、松本に引っ越してきてから毎年楽しみにしています。同じ劇団名で参加している劇団が多い訳ではないので、必ずしも参考にはならないかもしれませんが、雰囲気は楽しんでいただけるかと思います。

  • 【2010年】( 1, 2, 3, 4, 5, )
  • 【2011年】( 1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, )
  • 【2012年】( 1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 8, 9 )

今年はといえば、東京もかなり見たい芝居がやまもりで、コマ配分に苦慮するアタシです。金曜に二本、土曜に東京で二本はさんで、日曜日に五本の予定で、なんとか今年も全演目を走りきる所存です。いらっしゃるかたがいれば、是非(のみましょー)。

ちなみに、かわひらは以下の予定です。
25(金) 19:30山脈@四柱神社→21:00サザンクロス@信濃ギャラリー→(土曜は東京で)→27(日)10:00 カニバル@四柱神社→11:30 TRIBE@Mウィング→13:00 ごったに@ピカデリー→15:00ミシン@ピカデリー→16:30経帷子

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【芝居】「SEX,LOVE&DEATH~ケラリーノ・サンドロヴィッチ短編三作によるオムニバス~」日本劇団協議会(ナイロン100℃)

2013.10.20 14:00

若い役者たちで上演する企画公演・ラフカット向けにケラリーノサンドロヴィッチが1996年、2000年に提供した短編二つに、今回書き下ろしの一編を加えて行うナイロン100℃の若手+客演の若い役者たちを加えた公演。休憩15分を挟み135分。22日までザ・スズナリ。

風俗店の待合室。指名していないのにまだ出勤していない女を待っている男、命より大事なベースを抱えバンド男が帰ろうとすると、マジックミラーの向こう側に見覚えのある女が居る。 初めてらしい客の男が訪れる。プレイ中に生理を迎えた女で大騒ぎになり、出勤していない女は向かいの店の引き抜きにあっていると電話がある。いったんは店を出たバンド男がつれてきたのは、同じバンドのドラマーの女で、風俗嬢の一人が姉なのだという「13000/2」(1996')
3年前に受けた検査の結果が気になって病院に向かうと検査を受けた時点では余命2年だったのだという。 妻は心を病んで仕事を休んでいるが心ない言葉で非難する電話に悩んでいるが、2年前から浮気相手の男を同居させているのに、夫はそれを疑問にも思っていない。 ボトルを半分しか空けなかったからと気遣ってくれたバー店員の一言、行きつけの床屋の店主が笑わせてくれる一言が嬉しい。 妻は自殺してしまった、もう死んだ命なのだからもういいか。「死んでみた」(2013')
南国のホテルのロビー。ラブワゴンの番組一行が泊まっているが、週に一度の船を待ち足止めを食らっている。たばこは法律で強く禁止されているが、道を間違えていると非難される運転手がロビーの片隅にあう鉢植えの植物に火をつけて吸えばいいという。 撮影機材は壊れれてしまっていて、カメラマンが修理するというが、様子がおかしい。成立したカップルの男は他人には見えない妻の姿におびえ始める。「スモーク」(2000')

たぶん拝見してるはずなのだけれど、見事に記憶がないアタシです。それでも、若い役者たちをで短編群像劇というフォーマットが、ラフカットらしいなぁと思うのです。少しのデフォルメとそれぞれの役にきっちり見せ場があるというのも、ラフカットの趣旨を見事に具現する仕事の再演。

「13000/2」は眼福な薄着の女優たち。仕事を抜け出して来ているらしいスーツ姿、ベース抱えたバンドマン、あるいは劇団員とかといったさまざまな客たちと、引き抜きに会いそうな贔屓だったり、秘密にしているここでの仕事がばれるということだったり。それぞれの物語がわりと個別にあって、物語の幹になっていかないという意味では少々食い足りない感じはあるのだけれど、なんせこの時間にこの人数、役者たちを楽しむというのが吉なのだなと思うのです。

バンドメンバーの姉が風俗嬢、というのに見えてもうひと味加える幕切れの向こうのハーフミラーの部屋での混乱もなんかわちゃわちゃして楽しい。バンドマンの知り合いの風俗嬢を演じた水野小論は見るだけでいろっぽさがむんむんと。そのバンドマンが贔屓にしてる風俗嬢を演じた菊池明明はさっぱりした造形がまた素敵。会社をさぼって風俗店に出入りする男を演じた森田甘路は巻き込まれ感が実にいい味。バンドマンを演じた須貝英はどこか突き抜け切れないアマチュアミュージシャンっぽさが印象的。

新作「死んでみた」は不思議な仕上がり。一人のメガネな男・村田を複数人で演じてみたりしつつ、自殺した男をめぐり、バーだったり床屋だったりでの日常を生きている姿と、心を病み浮気の挙げ句に自殺した妻との物語を交錯して描きつつ、3年前の検査の結果でもう余命は過ぎていると聞いて「死んでみた」フラットな感覚。観てる最中は実はよくわからんなぁと思いながら観ていたのだけれど、あとからじわじわときます。男の心情の起伏を、しかしあくまで静かに描き出すというのは、新作らしい感じ。

男が気に入って通っているバーでは店員は陰で客が経るからいやだとおもっていたり、おもしろい世間話が気に入っている床屋の理髪師は実は何が受けているかさっぱり判らないというあたりのギャップがおもしろい。浮気相手が同居したまま2年も経っているのに、知らない人が同居しているのが不思議だと思うだけだったりの、すこしばかりのボケかたもそうなのだけれど、自分のみたいものだけが見えているという、誰にでも多かれ少なかれあるような感覚が具現化されて描かれているのも印象に残ります。

「スモーク」もまた群像劇。時代を感じさせる「あいのり」のラブワゴン一行とスタッフたち。恋愛のリアリティ・ショー自体のリアリティ枠組みはそのまま受け入れた上で、その裏側の悲喜こもごも抱えたうえで、機材は故障し、離島で移動の長い待ち時間という、エアポケットのようにすっぽりあいた空虚な時間。そこに持ち込まれる煙。タバコを異常に禁止するというシチュエーションも巧くて、明らかにヤバいものだけれど、南国ならばやっちゃいそうだし、楽しくなっちゃう人々、脱出する人が居そうになってもそれすらラリっててわちゃわちゃと終わる物語もまた楽しいけれど、群像劇らしく、そういう中にも自殺を企てる人が居たりというそれぞれの人生が描かれているよう。

物語の幹、というのは弱めで、沢山の人が居ることを見せるという感じではあるのが今作も少々食い足りなくも感じるという点ではこれもそうなのですが、それぞれの役者の個性が見えるようで楽しい。なにより、ホテルの現地人従業員を演じた森本華が舞台の上で何をしていても気になっちゃうぐらいに印象的でなにより可愛らしい造型。色気過剰で押すレポーターを演じた水野小論、水着が眼福な木乃江祐希、恋に破れて泣くぽっちゃり女子を着ぐるみで演じる菊池明明みて、切なくなっちゃうのです。

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2013.10.20

【芝居】「6畳間ソーキュート社会」快快

2013.10.19 15:00 [CoRich]

新体制となった快快(faifai)の新作。役者二人+一人の構成でインスタレーション的な感じも強い65分。トーキョーワンダーサイト渋谷。20日まで。

iPhoneひとつで何でもできちゃう生活。ひとたび忘れれば待ち合わせの場所もわからなければ連絡も取れなくなっちゃうぐらいに生活に食い込んでいて。男と女は恋人で、家を行き来している。一人の時は婚活サイト眺めていたりする女だし、男だって神経質に部屋中の線量を計っていたりする。ある日、女は自分の妊娠を告げる。21世紀は思ったようにならなかったかもしれないけれど、未来に向けて確実に時間は流れていて、産まれてくる子供はその時間を生きていくことになって。

キャンセルが出てると聞いてのこのこ出かけていきました。ずいぶん久しぶりに、と思ったけどこのまえが以前からの快快の最終公演で、これが新生快快の一回目。間にはいくつか公演があったようですが、それは見ていません。客席は果たしてほぼ満員。空堀のように舞台が一番低くて、六畳間にベッドと机と椅子。客席はその外側に囲んで見下ろすように二列。開場中はベッドにiPhoneの画面が移されていて、役者が操作するテイで腕を動かすと画面が反応したりして。

開演もその連続になっていて、iPhoneを私たちが持つようになって生活から切り離せなくなってる、とか、5sはセンサーが強化されたので男女を見分ける(向けてボタンを押すと、男ならチン、女ならマン、と声がする、という下世話が楽しい)アプリがあるとか、忘れて出てしまうと場所がわからないどころか(電話番号なんて覚えてないから)連絡も取れない)とか。それぞれの部屋に住んでいる男女、iPhone使ってサイト検索したりSiri(音声認識エージェント)で会話したり、あるいは神経質に線量を測ったりと、それぞれの生活。

女が妊娠を告げてからは二人は同じ空間、21世紀になったけれど、iPhone以外の(クルマが空を飛んでたり、キノコ型のビルがあったりという)未来はそうでもなくて。だけれど、二人の間に育まれつつある命は自分たちよりも先の未来を(その子孫はさらなる未来を)生きるのだ、という気持ちがあふれ出す瞬間。物語というか「想い」を具現化して見せるのです。終盤は女の腹にマジックで笑顔、男は尻を出してぐるぐると踊っていて、二人で空間に浮かんでいるよう。終幕はその男女が客席の高さに上がってきて、あなた、わたし、わたしたち、と気持ちに定着させるかのような着地点。シャイな観客に対して歩み寄ろう、という気持ちかな、と思います。

やけに身近な六畳間あるいは自分たちが生きてきたここまでからの進化は、ブーブークッションが息を吹き込まなくても内蔵されたスポンジが勝手に膨らませる(なるほど!)というほどの僅かな進化だけれど、子供にある未来はもっと先まで行きそうだ、と想像して楽しくなる感じがこの人々の楽しさを感じるのです。 未来のさまざまを絶望ではなく描く若い劇団はこのご時世、そう多くはありません。皮肉でも裏返しでもなく、未来の可能性を信じる(あるいは信じたいと願う)というパフォーマンスをみるとちょっとウキウキしてしまう気持ち、アタシにだってあるのだな、というのが新しい発見。

わら半紙風に挟み込まれた「faifai ZINE」は老眼にはそろそろキツイ小さい字でびっしりの、スタッフキャストへのインタビュー集。見知った人々はずいぶん去ってしまったあとの新しい体制はどうか、というアタシの気持ちに寄り添います。こういう文章をちゃんと書けて構成できる方法を持っているというのはずいぶん凄いことだと思うのです。

faifai ZINEではずいぶんネガティブに喋っている山崎皓司は、馬鹿馬鹿しい日常の若者、子供ができて素直に嬉しい「まっすぐ系男子」をきっちりと。大技は使わないけれど、積み重ねた気持ちがきちんと。女を演じた野上絹代は三歳児の母親でもあって、妊娠とか、未来が見えそうな気持ちという説得力。ものすごく可愛らしく見える瞬間がいくつもあって、再発見するのです(ずいぶん失礼な物言いだけれど)ギーク風を演じた加藤和也は、そういう造型で開場時間をしっかりと繋いでいます。

2013.10.19

【芝居】「伯爵のおるすばん」Mrs.fictions

2013.10.14 17:00 [CoRich]

14日までサンモールスタジオ。130分。

中世フランス、貴族の家。夫とは別れて暮らす女主人の家。奴隷の一人として買われてきた男は橋のたもとに誰も知らないぐらい昔から住んでいたのだというが、言葉も何も知らなかった。貴族にもかかわらず、奴隷に文化や教養を身につけさせたいと考えた女主人は丁寧にすべてを教えるが、ある日別れて暮らしていたこの家の主である夫が戻ってくるので、奴隷や召使いたちは家を出され、パリの町で喜劇の大道芸をするようになる。奴隷がこの家に戻って来たときには、夫を亡くした女主人は老いていて、家の外には革命を求める市民たちが押し寄せてきていた。
1995年の日本、高校の保険教諭となっていたのはあの奴隷だった。あのときとは変わりなく、中世貴族の格好ゆえか「伯爵」というあだ名で呼ばれていた。入学式早々に保健室にやってきた女子生徒は身体が弱く、保健室登校も多い日々を暮らしていた。女子生徒はその教諭を好きだというが、生徒と教師の関係だけでなく、忘れられない人が居るといって告白には応えられなかった。卒業式の日に、女子生徒は療養のために田舎の病院で待っているので気持ちの整理がついたら迎えに来てと告げるが、ついに迎えに行くことなく、女は死んでしまっていた。
2023年の新宿、抗争に明け暮れているやくざの事務所。当たり屋で伝説となっていた男も、あの「伯爵」だった。同棲しているのは抗争相手の大手暴力団の若手で、鉄砲玉として仕事を任され喜ぶが、そのターゲットは「伯爵」で、追い込まれて二人は監禁されてしまう。
それからずっと時が過ぎて、一人固くなって横たわっていた「伯爵」を発見したのは宇宙からやってきた家族連れだった。この星の上にほかに生命はなくなっていた。この家族の説得にもかかわらず、伯爵はこの星に残るという。男を発見した家族の娘が、伯爵と一緒にこの星に残るのだという。何千年かは生きているはずだし、伯爵の頭に白髪をみつけて老いていないわけではないのだ、といって。
白いドレスの女と地球最後の日を迎える伯爵。ワインを片手に、いい天気のうららかな日、二人でテーブルを囲む。

2時間越え、実に56億年もの悠久の時を描きます。大河にもほどがある長い長いものがたり。 なぞめいてふらりと登場し、最初は子供のように洋服の着方すら何も知らない男。相手となるマダムが奴隷にも教育熱心というのはコミカルでおもしろいけれど、最初に接触する異性たる母親を具現。 場面の締めを革命の一場面とするのはその時代で描く必然のようなものがちゃんとあって巧い。父親たる存在が現れないままというのも子供の感覚としてちょっとおもしろい。 続く高校保健室の保険教諭というのは出来すぎな少年マンガのようだけれど、なるほど少年~青年期の恋心を描くよう。3年間を早回しで見せて、それが病弱な美少女というのも「そういう感じ」でおもしろい。 ここで物語を順当に進めずに、近未来のヤクザ(レーザーガンを懐にというのもおもしろい)に、さらに恋人は美少年というBL的要素にひっくり返しまくるのは作家の確かなちから。なんか20歳ごろのいきがってる感じ。 さらにひっくり返して宇宙人との恋心という四つ目。相手の家族が出てきたりするのは結婚を意識するような年頃な感じもしますが、一人で生きていく覚悟のところに彼女が戻ってくる、という王道ラブストーリー。 最後のシーンはうってかわって、幸せなふたりきりの結婚の姿。物語の流れとしては少々唐突だし、彼女はいったい何者なのだということは語られずに、30歳ぐらいの、普通の寿命らしい女と結婚に至る互いの気持ちは何かということはついぞ語られません。前のシーンのおわりに「伯爵に白髪がある」という台詞があって、なるほど数億年ずっと生きているから不老不死かと思えば、ごくゆっくり老いていく、ということはごくゆっくり死んだのだな、とあたしは解釈しますが、ここは評価が別れるところかもしれません。死んだ男が、あるいは死にゆく男が夢見た(夢に見た、ではなく)普通の結婚の姿。きっちりファンタジーであたしだって想像するしかないけれど(泣)、きっちり描ききるのです。

不老不死といえばあたしにとっては「火の鳥」(実は全部は読んでないけれど)だけれど、不老不死を気持ちの絶望として幕切れさせるのではなく、(不老不死の前提をあえて崩して)ファンタジーに着地させるのは、作家の優しい目線、だと思うのです。

伯爵を演じた岡野康弘はイノセントから若く実直、老成にいたるまでのダイナミックレンジをもちつつ、まっすぐに生きている男を好演。序盤をしっかり物語る王妃を演じた小見美幸、女子高生のまさに「透明感」が印象的な相楽樹、同棲する男という説得力を持つ野口オリジナルはしっかりと安定感。
宇宙人を演じた志水衿子は不器用なややツンデレっぽさ。セリフの発声に癖のある役者ですが不思議とそれが気にならない造型になっていて新たな魅力。 白い服の女を演じた浅利ねこもまたあまり見られない穏やかな女性の造型で魅力的です。

登場人物の名前がお菓子のメーカーというのは薄々気づくけれど、ぐぐってみれば思ったより多くて、伯爵やパパママなど一般名詞以外の全員がそうなっていてその徹底した遊び心が楽しい。ユーハイム、ロイズ、ブルボン、モロゾフ、UHA味覚糖あたりまでは知ってても、まさかリスカとかカクダイまで製菓会社とはつゆ知らず。ついつい検索してしまうアタシです。
あるいは、「エロいメイドの時代が来る」と言い切る中世のメイド、なんて遊び心も楽しい。

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2013.10.18

【芝居】「中野の処女がイクッ」月刊根本宗子

2013.10.14 14:30 [CoRich]

18日までゴールデン街劇場。100分。 四人の女性がメイドとして働くメイド喫茶のスタッフルーム。オーナーは一番年上のメイド長が延長客を取れていないと叱咤するが、彼女自身は後輩たちの面倒をみたりするのにも忙しくなかなか思うに任せない。一番年下は自由な物言いにイラっとすることもあるしまだ目がはなせない。中堅の一人はストーカーに追いかけられているし、オーナーの恋人でもあって、元カノであるメイド長との関係は互いにやりにくい。
ある日、社員として大人の女が雇われて来た日、もう一人の中堅の財布がなくなった。

風俗未満だけれど、女子をウリにするメイド喫茶。オーナーをのぞけば全員が女で、表面的には普通の会話をしているのに、好きとか嫌いとか企むこととかが充満していてむせかえるよう。 オーナーの元カノと、現在の恋人、無邪気というよりは無神経にちかい最年少、ごく普通にみえるけれど、財布に拘泥する人。

目の上のこぶのように相手が居ることが目障りで追い出したい気持ち、そういう気持ちで見られていることは十分わかっているけれどこの店を作ったという自負もあって辞められない気持ち。物語の上でちゃんと逃げ場を封じてあって、その上で陰口によって味方を増やしていって辞めさせようという構図の前半の構成がちょっと怖い。端的に見せていて女子だしな、と言われがちな構図だけれど、いわゆる仲間外れだって何だって、わりと誰にでも多かれ少なかれありそうな感じではあると思うのです。

好き嫌いという個人の好みに依存してのパワーゲームを見せる前半に対して後半は、「常識」をめぐるパワーゲームとでもいう様相。人の痛みが判らなくて、財布をとるのも悪いと思ってないどころか見咎められても開き直るというよりは何がわるいか判らないという理解不能な新人類(←言葉が古い)が物語の着火点。財布の金を盗るけれど着服するわけでもなく燃やしてしまい、駄目にしてしまったのは父親からの大事な財布だったといわれても謝る気持ちにはなれないヒールっぷり。それが、地震によって連絡がつかなくなった実家によって一転、泣きじゃくるだけのか弱い存在に。それだけでなく、それまで責め立てていたまわりも一転同情に回ってしまい、「財布をとられた私」はまだ責め立てたいのに逆にたしなめられる、というくるりと反転する感じわくわくするほど面白いし、それがなんともラブストーリーな結末に着地するというのは鮮やか。

正直にいえば、財布に対して誰もが同情にまわる事象として(現実として生々しすぎる)震災である必要はあるのか、とかそれでも責め立てたい女の真の気持ちは処女のイッちゃうほどの一方的な想いというのは説得力という点で少々心許ない感じはあって、ここのそれぞれの事件と想いバランスは少々もったいないなとは思うのです。

メイド長を演じた大竹沙絵子は結果的にはもっとも常識人で観客の視座に近いところに。ダイエットに苦心惨憺にしても、中間管理職の悲哀という時に滑稽ですらある味わいまで感じさせます。対抗心を燃やす女を演じた根本宗子は恋に生きるあまりにじゃまを排除したい感じがちょっといい。 財布をとられた女を演じた石澤希代子は、ひたすらにまっすぐな想い。それは財布、父親、恋する気持ちとかわっているけれど、そのまっすぐさが時に空回りというよりは暴走する造形がいい。 財布をとった女を演じた尾崎桃子は舌足らずで可愛らしいのに、内面は悪いというよりは空っぽというか理解不能な感じが時に昆虫のよう(誉め言葉です)に見える凄みが圧巻。地震までの空虚なヒールさがじつにいいのです。 社員の女を演じた梨木智香は出番としてはちょっと抑えめだし語られるエピソードもややとってつけた感があるけれど、テンションじゃなくて、普通の女性という魅力を改めて。「味方に付けてもしかたない」という台詞が実にいい。オーナーを演じた浅見紘至は人情を前面に、客を演じた市川大貴はまさかの結末にひっくり返るのです。

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2013.10.17

【芝居】「ファニー・ガール」シンクロ少女

2013.10.13 19:30 [CoRich]

14日まで三鷹市芸術文化センター星のホール。休憩無しの150分。

男子高校生、複雑な家庭で、母親死別し、引き取った姉は処女で性欲がなく、オカマと結婚している。その家には友達や、近所に住む10歳になる幼い娘をつれた父親がやってきて大勢で晩ご飯を食べることがしばしばだ。高校の親友は裕福な家の生まれで同級生の恋人がいるが、その彼女とも時々映画をみたりしている。 幼い娘の母親も娘を捨てて出て行って父親と二人で仲良く暮らしてきた。父親は難病で余命がなく、別れた妻に知らせる。妻は再婚相手とその連れ子と一緒にやってきて、娘を引き取っていく。
それから何十年かが過ぎた。 裕福だった高校生は恋人と結婚したが事故で盲目となっていて、自分の若い頃にそっくりな息子が自分の子供なのか怪しんでいて冷たく扱う。妻は時々もう一人の同級生と逢瀬を重ねている。幼い娘だった女は結局また母親に捨てられたが、誠実な男と結婚して、妹と三人でこの町に戻ってきて住んでいる。

わりと恋愛至上主義という感じのする作家だけれど、今作は三角関係をベースに置きつつも、産みの親と育ての親、血が繋がっていなくても幸せな家族、血が繋がっていても疑心暗鬼な家族、あるいは死にゆく父親と娘のようにさまざまな親子を含む家族の物語を描きます。

物語が様々な形で描かれるのも面白い。ベタベタに死ぬ父親が娘を抱きしめるという物語かと思えば、「In my life」を歌いあげ、盲目の男が陰鬱に家族に疑いの目を向けているような話のあとには「Somebody to love」をミュージカルかと思うほどに仕立てるなど、普段の彼らの劇場に比べれば格段に広い舞台(これでもこの劇場の普段よりはずいぶん狭く作っていて、それも成功しています)を存分に使いながらさまざまな演出を試しているようでもあって、盛りだくさんの楽しさなのです。正直にいえば、遠距離観劇なアタシですし駅から離れている劇場ですから、2時間という枠の方が嬉しいのは事実なのですが。

ダージリン急行」以来、この劇団はある種のアメリカ映画の雰囲気を纏うようになってきています。 沢山の音楽がそれを作っているのも事実だし、どこか突き放したような俯瞰で描いているのもそういう雰囲気を作ります。唐突なミュージカルはインド映画っぽいとおもったけれど、これはたぶん「ダージリン〜」のせい。映画と云えば、タイトルと同名の映画(未見)は幸せな結婚をしたはずなのに夫婦の間にある重い空気感というのは盲目の夫のことだよな、という答え合わせも楽しい。

血のつながり(つながらなさも)や一緒に暮らすことのような家族のことを沢山描いているように思います。 性欲のない母親とオカマの父親に育てられた血の繋がらない息子の家庭が親子にも夫婦にも愛情に溢れているのに、血のつながりがあるといって強引に娘を引き取った母親の駄目な感じ、あるいは結婚していて愛情だってお互いにちゃんとあるのに、夫が義妹と浮気してしまう感じやそれを知っていても一緒に暮らす妻だったり。群像劇ならぬ群家族劇で、さまざまな家族を並べてみせるのです。

高校生の時の、親友の彼女なのに一緒に映画を見て楽しい関係、というのは凄く腑に落ちる感じ。恋ってこういうことから始まるんだよな、と遠い日の花火に思いを馳せるアタシですが(泣)、確かになにかの体験や物語を共有できるパートナーということの嬉しさ。初めてを演出する、という台詞もちょっといい。

主役の娘→女性を演じた浅野千鶴は子供の無責任な軽さと親への想いの重さ、結婚してからのしっかりした感じというダイナミックレンジが実にいい。その父親を演じた用松亮は軽さゆえに、一幕目終盤の本当にベタな親子愛との落差を作ります。夫を演じた中田麦平は誠実さの造型が説得力。別々の二人の子供を演じた満間昴平は拗ねたような感じがちょっといい。盲目になった父親を演じた泉政宏はある種のめんどくささに説得力。子供を産んだものの育てなかった母親を演じた墨井鯨子は物語の中で唯一のヒールを引き受ける力強さ。

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【芝居】「2番目の女たち。」崖っぷちウォリアーズ

2013.10.13 14:00 [CoRich]

アタシは初見です。90分。14日までHOPE。

気のいいマスターが客を呼ぶバー。美人なのにいつも二番目なのだ、と嘆く女たちが集まっている。常連の一人の誕生日を祝おうと女子会の様相。表面的には仲良しだが、本人が居なくなれば、陰口でもまた盛り上がったりしている。カウンターにはイケメンの男と、その友人のイケてない男。女子たちだってイケメンが気になってるし、イケてない男は女たちが気になって仕方がない。
表と裏がありすぎる会話、駆け引きが渦巻く中、店員の男は時折ぼおっとしている。突然、ナイフを手に4人の女たちから殺す一人を選べという。

ソファ席とカウンターの小さな店。見目麗しい女性たち、仲良さそうにみえて裏にドロドロを抱えていて微妙なバランスで均衡を保っている。なぜかその中に一人の地味な女、彼女のための誕生日パーティだと集まりますが、本人に伝えてない、ということが序盤の盛り上がりです。

中盤以降の、別人格の登場は急展開。アタシの友人は、なぜ一人を選ぶという理不尽があるのか、と云います。アタシはそれはゲームの枠組みなんだから、と思いますし、若い作家や役者たちにとってみれば、理不尽というのは降り注いでくるものだ、という前提で物語を組み立てている気もします。

新たに現れた人格に寄り添うようにする地味な女性を大見遙がきっちり造型。何かを知っていそうなのに、それは明かされないのですが、物語の着地点ではその人格が憑依する(ようにみえる)ということは、そうか、須加尾由二が演じた店員という心通じ合う人との間でシンクロしたりするんだろうなあと思います。

見目麗しい女優陣、アパレルの女を演じた松田千壽は気が合わない相手にいらいらする感じ、その敵になった最年少を演じた里璃は意に介さない自由さでキャラクタを造型。この二人の関係が騙しあいような感じになる後半はちょっと怖い。けれども、タイトルにある「二番目の女たち」には到底見えない、というぐらいの麗しい女優陣、というのはご愛敬。

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2013.10.15

【芝居】「待つわ」チタキヨ

2013.10.12 14:00 [CoRich]

チタキヨの第二回公演。90分。13日まで西新宿スタジオHAYURU。

見晴らしのいいマンションの一室。奥の部屋では老人が寝たきりになっている。元は愛人のマンションだったが、愛人の姿はなく、妻や三人の息子たちも近寄らない。老人の長男の妻が通ってきていて介護し、医者である次男の妻も様子をみるために時々訪れている。
三男の妻は長い間姿を見せなかったが、義姉二人からの誘いを断りきれず、訪れる。傍若無人に振る舞う義父のことを殺してしまおうと冗談めかす義姉二人だが。

キッチンを備え付けた多目的スタジオ。マチネ公演では秋の日差しが差し込んできて、うららかで幸せなリビングダイニング、といった空間。

久々に訪れた三男の妻はアーティストだからぶっ飛んでるはずなのに、介護に疲れた長男の妻、支えながらも、自分にそれが降りかからないように巧みに支える次男の妻たちが冗談めかして「義父を殺してしまいたい」という言葉が冗談にならない深刻さ。 実の息子や妻は何もせず、「嫁」たちに舅の介護が押しつけられていというのがベースだけれど、介護疲れ、それを避けようとする気持ち、さらには物語が進むにつれて、レイプだったりセクハラだったりと、コミカルな語り口とは裏腹に相当に深刻な事態。「殺したいとまで思っているのに、自分が支えなければいけないとまで思いこんでしまう」という(強いられていないのに)洗脳まがいな状態になることなど、現実社会で起きていることをきっちり描き込んでいくのも、作家・米内山陽子の確かなちから。

コミカルな描き方だけれど、この描かれている世界の深く暗い深刻さに暗澹たる気持ちになるのです。それでも健気なのかタフなのか、きっちり生きていく女たちという雰囲気ではあって、暗い描き方ではありません。アタシはまだ介護する側もされる側も未経験だけれど、この怖さ。正直にいえば、沸き立つ客席に反してアタシはあまり笑えないのだけれど、それでも目が離せなくて、一気に見てしまうのです。

中央に置かれたモニタに内心を語らせるというのは見やさわかりやすさに寄与する反面、正直にいえばこの座組の作家・役者ならばこういうある種の飛び道具を使わなくてもしっかり語れそうなのに勿体ない感じがしないでもありません。

長男の妻を演じた高橋恭子は美しいのにあきらかに介護に疲れた造型ゆえに狂気の迫力と説得力。 次男の妻を演じた田中千佳子は専門職という立場と、支えるということはしながらも、矢面には立たない立ち回りという頭の良さをきっちり造型。三男の妻を演じた中村貴子はアーティストという華やかさと体現。アーティストの孤高を描く芝居は数あれど、自分が普通だというのを認める怖さを押し出すことで、上の二人の狂気を際立たせて印象的。

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2013.10.12

【芝居】「保健体育」20歳の国

2013.10.6 15:00 [CoRich]

8日まで王子小劇場。110分。

高校三年生の4人の女子生徒。それぞれに恋人ができた。やっとの想いで告白してきた内気がちな同級生とだったり、ノリのいい運動部の同級生とあるい感じでつきあうことになってたり、東京の大学生が彼女と別れて告白してきたり、教育実習が終わった大学生に自分からつきあいたいといったり。4人は学校からほど近い「メトロポリス」という飲食を兼ねるカラオケ店に出入りしている。つきあってるけれど、それぞれに別の男とも枕を伴にしていて。

ずっと4人でつるんでいて、ちょっと奔放な女子高生(JK)の恋愛模様と、女教師とその夫と恋人を巡る物語。正直にいえば、4人の物語と女教師は緩やかに場面としては繋がっているけれど、物語としては実は繋がっていないのは残念な感じ。アタシの友人に云わせれば、4人の女子高生たちもそれぞれにバラバラに存在しているというだけ。そういう、バラバラに生きる人々の生態の「観察演劇」のような体裁とも云えるのです。

王子小劇場の奥に客席を作る逆さまの舞台配置。ガラス張りの音響ブースをカラオケルームに見立てるのは巧い。カラオケの画面の奥からカラオケする人々を除くようで楽しい。カラオケに限らずJ-POPを数多くつかっていて、時に楽しさ、時にエロチックさを盛り上げます。

全体に想いとセックスに明け暮れるだけの人々。元々恋仲だったけれど純粋に待ち続けていることに疲れてしまった結果だったり、寝ることはあっても恋人じゃなかった男に抱いてきた恋心だったり、ちょっと興味がある、というだけで大人と寝てしまうけれど恋とも愛情とも違う快楽だったり、地味だけど経験豊富で同級生の幼い男が少しもの足りなかったり、しゃべれないもどかしさだったり。 好きだと想う感情なのか、大人の男へのちょっとした興味なのか、あるいは快楽の求める気持ちのハードルの低さなのかがあいまいなままに奔放な女子高生たち。学校の近所にあるらしい飲食店というかバーというかカラオケというかな店。高校生もバイトも集うならば何が起きてもおかしくない感じなのが眩しい。

もうひとつのクラスタの物語。妻と夫、誘う同僚。こちらは恥ずかしさもある大人なのが、オヤジのワタシには安心感すら。 こちらのアバンチュールな感じは判った上で大人が甘えてしまう感情としての。物語としては女子高生を巡る物語とは完全に切れているけれど、浮気ってもののある種のステロタイプをベンチマーク的に置くことで、女子高生たちの奔放さが浮き上がるというか際だつのは面白い感覚なのです。

ゆるゆるとした恋愛模様かと物語を観ていくと、中盤に至ってルーレットが回転を始めます。恋人はいるけれど、他の男とそれぞれに寝てしまう。友達の彼氏だったり、教師だったり、ずっと好きだった店長だったり。それが起きても壊れずに、女たちがそれぞれに成長していくという意味ではしっかりと成長譚になってると思うのです。

女教師を演じた異儀田夏葉が、こんなにも女を感じさせる大人を色っぽくしかも笑わせない普通の女性として描くのは意外に少ないけれど、しっかりと説得力があるし、フラフラという気持ちになるオヤジなアタシです。長身の女子高生を演じた長井短は誰も信用していないという体温低そうな感じの説得力、演劇部の女子高生を演じた川田智美は実直な同級生(池上三太が臆病な感じでいい)のことがちゃんと好き、という(アタシにとっての高校生の恋愛というステロタイプが実にいい造型。店長が好きな女子高生を演じた湯口光穂はノリが良くて同級生と、という序盤の感じが好き。教師と恋仲の女子高生を演じた田村優依はキモい教師(竜史)に思われる説得力。その恋仲な教師を演じた高木健は実直に見えて隠し通す大人、という造型がいい。

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2013.10.10

【芝居】「短編30分×3」小松台東

2013.10.5 19:00 [CoRich]

小松台東の企画公演、三人の作家の短編を30分ずつで構成。金土日は四本目の短編がついていました。6日までAPOCシアター。

一年前のある出来事で知り合うようになった三人の男女。あれから生き方がかわってしまったかもしれない。三人で箱根に出かけることにするが、これはもしかしたら、あの出来事から半年の時に行った箱根旅行かもしれない「大空」(作・長谷基弘 演出・松本哲也)
その町にはキャバクラが一軒しかない。たまたま訪れた男についたホステスはこの店のたった一人のホステスで、しかも町にひとつしかない中学校の同級生だった。「町でいちばんの」(作・演出 上野友之)
病室で寝たきりになっている男。看病しているのはすこし派手な服装の女。古くからの友人もよく顔を見せる。東京の大学に行ってる息子も久しぶりに病室に居る。病室を尋ねてきた和服の女は礼をいうが、これまで看病してきた女には二度とこの部屋に来ないようにいう。「ノリオの病室」
(作・演出 松本哲也)
男が出待ちしていたのはプロレスラーの男だった。握手をもとめるとメンドクサそうに応えるが、男はそれが気に入らなくて「10年ぶりの出待ち」(5日のみ、作・演出 松本哲也)

「大空」は 人の飛び降り自殺の現場に居合わせてしまった三人、その事件の衝撃から立ち直るためにカウンセラーが提案した箱根旅行。半年を隔てたふたつの旅行の記憶が混濁し、今この時点がどちらの旅行なのかわからなくなる感覚。この三人の関係や出来事がまばらにパズルのように示されていくのが面白い。うち二人が過去恋人だったというのを残りの一人がずいぶん経ってから知ったとか、三人の出会いは偶然じゃなくて必然だったとか、記憶の順番が前後したり、くるくると回る感覚。

屋上と大空と三人というミニマルさや記憶や視点をかき回されるような感覚がどこか鴻上尚史の「トランス」を思い出すアタシです。話は全く違うし男女比だって違うけれど。

内山ちひろはこの出来事をむしろ大切なものとっている女を演じていて、人なつっこさな役者のキャラクタによくあっています。メガネをかけた女を演じた河南由良はクールさが勝った造型でかっこいい。男を演じた櫻井拓也は、若いのに何をしているか正体不明だという高等遊民をしっかりと。

「町で〜」は小さな町のキャバクラのキャバ穣と男、恋心を言い出せないまわりくどい男。人生の補欠な感じ、という主人公。到底かなわない「強くて悪い男」を前にして惚れた女を奪われてしまうけれど、そこから女を勝ち取るんじゃなくてたまたま強い男が去ったから自分がその後釜にというハッピーエンドも含めて「自分で切り開かない感じ」が他人とは思えず実にいい話だなと思ってしまうアタシです。

唯一積極的に動いた旅にしても、「自分捜しが向いている人と向いてない人がいて、後者」とばっさり。とはいえ、みんなが前向きポジティブでなければならない、なんてことはないはずで、そういう生き方だって許されているようで、このハッピーエンドに想うのです。

キャバ嬢を演じたレベッカが人なつっこく可愛らしい造型。勝てない年上の男を演じた松本哲也が不器用そうな、しかし芯の強いオトコをしっかり。

「ノリオ〜」はもう先は長くなくてしゃべることすらできなくなって寝たきりになっている男を巡るはなし。物語の核となるのは入院以来献身的に看病してきた愛人と、ほとんど近寄ることもなかった妻や娘の話。金で愛人になってたはずなのに、その金がなくなってもまだ看病し続けたいという気持ちも、でもやはり看取るのは家族だという気持ちもそれぞれの立場で交錯する、ちょっとほろ苦いしかし、ある意味とても(男にとっての)ファンタジーだったりもします。

古くからの友人の男を演じた澤唯がまたいい味わいのオジサン感。蹴られたりしない伊達香苗は珍しい、というのもずいぶんなイメージなアタシですが、和装もちょっといいし、「ごくふつうの」女性を丁寧に。愛人を演じた河南由良にしても、息子を演じた櫻井拓也にしても一本目との印象の違い、しかも丁寧な造型で印象に残ります。

瓜生和成をゲストに迎えた「〜出待ち」は、作家らしくプロレス愛溢れる一本。握手してくれるのは嬉しいけれど、そこは拒否する「らしさ」で応じて欲しいし、事実10年前にヒールとして名を馳せた時にはそうだったわけで、そうあってほしい、という気持ちはプロレスファンのある種の面倒くささをきっちりと描くのです。10年ぶりの巡業で訪れた地、という距離感がよくて、間近でみる機会がほとんどない地方だからこそ、10年の時を経てそのプロレスラー自身とその立ち位置の変化をないまぜにぎゅっとこの瞬間に圧縮してみせる構成が効いています。

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【芝居】「冬の支度」菅間馬鈴薯堂

2013.10.5 15:30 [CoRich]

売れない演歌歌手の物語を描く看板シリーズの最新作。90分。7日まで上野ストアハウス。 毎度の事ですが、台本劇団ページで無料公開されている心意気は変わらず健在なのが嬉しい。

札幌・ススキノに唯一残るキャバレー「モンテカルロ」を尋ねる売れない演歌歌手・ザザ。ここで歌っている知り合いを尋ねて歌いに来たが、その友人はすでに引退していて、新しい専属歌手が居るし、歌も歌うホステスたち沢山居てその隙はないかに思われたが、専属歌手と支配人が歌を気に入ってしばらくここで歌うことになる。
かつては日劇の舞台を踏んだ専属芸人が仕切るショーも飽きられていてキャバレーの時代は遠くになり、景気が悪くてこの店がいつまで持つかもわからない。オーナーは松江の知り合いの店にこの店の従業員を行かせ、従業員たちの生き残りを模索している。その松江の店に行った従業員の行方がわからなくなり、ザザと専属歌手、黒服と留守番の男は捜しに特急列車に乗り込む。

かつてはマネージャーが付いてた気もするけれど、 すでにマネージャーも付かなくなっての一人旅まわりな味わい。流れ流れてほかに行くアテのない女たちが溜まる場所。景気は悪くてこの店だってどうなるかわからない、カツカツな感じだけれど、身を寄せ合い生きてる人々。

華やかな専属歌手だって、客に触られたりするけれどそれでも笑っていなくてはいけない客商売。 あるいはホステスたちだってステージに立ちたくての仕事。手作りの衣装だけれど生地を慎重に選んで衣装を作ることに胸ときめかせる気持ち、一方でそんなことより芸を磨けと云われたりするシーンがなんかいい感じ。あるいは古参の芸人のアイディアに頼ったステージ、それなのにもう芸が古いと悩む気持ち。「身銭を切って」入ってくる客に向かい合う真摯さはきちんと持つ気概を持つ良き古さ、がカッコイイ。

歌手の二人の競演の格好良さとある種の場末感の絶妙のバランス。ホステスたちの賑やかなステージもそれを感じさせます。古ぼけた楽屋をベースにしたセット(実に味があっていい)に 銀色のシートを敷き詰めるだけで舞台に早変わり、というワンアイディアは簡単なのに実に効果的。

正体の分からない不安を抱える歌手、謎めいた黒服の男が実は大船渡の貨物船の船員だったのに津波にのまれた後にどうしてここにたどり着いたかはわからないというシーンをはさみ、物語は急展開。謎の失踪を遂げた三人とそれを探しに行く人々というのはどこかサスペンス風味だったりもするけれど、銀河鉄道も交えて、きっちりファンタジーを描いちゃうダイナミックレンジが凄い。その合間、大雨の列車の中、若くはない二人の不器用な恋模様を交えるのも密度が濃くて嬉しい。

なかなか歌を聴く機会のない椿真由美が専属歌手、しかもドレスの裾をひらりと、に不覚にも(ある意味失礼ですが)ときめいてしまったあたしです。負けじとというわけではないのでしょうが、このシリーズの主役、六十代の歌手を演じた稲川美代子は時にコミカル、時に真っ直ぐで気っ風のいい人物をしっかりと。専属司会者を演じた蛍雪次郎の浅草を思わせる軽演劇の軽やかさがいい味わい。

蛍雪次朗は舞台に出た瞬間に昭和(のキャバレー)の香りを劇場に満たすちから。小高仁の不器用さもすてき。坂口候一は人情に厚い造型が実によくて。

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2013.10.06

【芝居】「おおいなる不完全」アートひかり

2013.9.29 17:00 [CoRich]

東京や横浜・急な坂スタジオで活動の後、長野県に移住した演出家・仲田恭子の松本初公演は。29日まで信濃ギャラリー。

一人の男と一人の従者。従者は首に縄をつけられている。従者を市場に売りにいくのだという。男の名前はポッツォ、従者の名前はラッキー「我々は何かを待っている」
男は女を笑える場所に行こうと誘って連れてきたのは工事部場のそば、テロで爆破された建物の給仕が「出る」のだというが、彼女はよくわからない「大笑い」
女はPCに向かっている。男と会話している。二人の話は、たとえば上昇していきたいだったり、結婚を夢見る女の話だったり。「相寄る魂」

フランスの劇作家ギィ・フォワシィの2本と、ゴドーを待ちながら、の脇役な二人の物語の3編。 「何かを待っている」は、ゴドーに出てくる二人。「朝日〜」は別にして、きちんとしたゴド待ちの舞台を観たことがないアタシにはこの二人がどういう人物かはよく知りませんでした。ロープを巻き付けた男を市場に売りに行くのだ、という男。従者だからいいなりに踊っていたりするけれど、主人が基本的に俗世の事をを云ってるのに対して、従者が突然哲学を語るような演説をしたりして、見た目と内面の違い、どちらが高尚かを、ひっくり返してみせるのはちょっと面白い物語。

その物語を女優二人で演じます。小さな蔵である信濃ギャラリーの外側に広がる駐車場から大声を上げて入ってくるのは日常からこの芝居の世界に繋がるようで楽しく。姿は水着のようなパンツだったりして、なんかもやもやしちゃう、オヤジなアタシです。主人を演じたわかばやしめぐみのふんぞりかえる感じが逆にコミカル、従者を演じた平井光子の伏し目がちで従う感じだけれど、その内なる何かを秘めていそうな感じ。

「大笑い」は、ちょっとデート風の男女の会話。日常の会話の面白がりポイントのずれまくり。でも、一緒に居てなんだったら一夜を伴にしたいと男も女も思っていて、でもそれを直接的にはなかなか言い出せずに、ひたすら面白いと思うことを一方的に語っていて。でも、その面白がりポイントをぼんやり見ていると、実は爆破テロとかそこで死にかけた給仕をどうもなぶったらしいとか、どんどん笑えない話になっているはずなのに、男はそれを「楽しかった話」として話し続けているズレとか。男を演じた杉山雅紀は一方的にズレ続けていて、なんか男の哀しい性のようなものを感じたりもして。女を演じた加藤久美子は魅力的なのに、そのずれまくる男にそれでも(おもに欲望なのだろうけれど)寄り添い、ついていこうく、というのがもうアタシにはファンタジーだけど(泣)、なんか説得力。

「相寄る魂」は女と男が公園のベンチでとなりあってしばし話す時間という原作をもとにして、女優ひとりと、PCの向こう側のチャットだか、合成音声の何者かだかという会話の体裁に。おそらくは演出の意図でしょうが、男の台詞は音量はあっても何を喋っているのかはわかりにくい合成音声風になっています。二人の会話という体裁ならば会話は成立してるようにみえるかもしれないけれど、会話の相手ではあっても自分のことだけを語り続けていて相手のことを聴いていないという感じに見えて、女の内面側で起こっていること、という体裁になるのは面白いなぁと思うのです。演じた曽根原史乃、一人で喋り続け時に夢見がちだけど妙齢をしっかりと造型。

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2013.10.04

【イベント・芝居】「カタクラッシュ」

2013.9.29 15:00

松本市市街地のショッピングモール・カタクラモールとカフラスの再開発を巡るイベントの一環。(直接は関係ないけれど、このイベントに寄せられた一文が凄い)堅苦しい学習会ではなく、気軽に若い人々に集まって貰うという趣旨で冒頭に20分の芝居を上演。28・29日、Give me little more.(公式) 休憩込みで全体は3時間。予想外に休憩が長かったので次の予定のために演劇の後の休憩で退出してしまいました。

商店街の一つの店の店員が店の前に転がる死体を見つける。まわりの店の人々も集まってくる。ここに死体がある、ならばそれで客を呼ぼうと話し合う。見つけた店のものなのか、商店街全体のものなのか。話し合いはまとまらない。居なくなったあと、残された死体は、黒服の男が持ち去ってしまう。

店の前の死体を見世物というか商売の目玉にしよう、という発想からしてわりと不条理っぽい感じ。おそらくは本当に何もない商店街なのだという説得力。そこに現れた(死体とはいえ)目玉になりそうな一つ。それを巡って、どの店のものかとか、商店街全体のためのものだとかの喧喧諤諤。なるほど、松本の市街地、広大な土地に建つ商業施設の再開発。これをタネにして観光の目玉にしようとか、商業的に成功できる機能的な施設にしようとか、自分が見て気持ちいい場所に変えて行こうとか再開発をめぐる人々の思惑が渦巻く感じによく似ています。

観客は芝居を見慣れた人ばかりでは無いというのもこういうイベントの面白さと危うさ。アタシが拝見した日曜昼はそれが(芝居に関しては)マイナスに働いたという気持ちが否めません。タブレット端末とコカコーラの2リットルペットボトルを抱えて座り、芝居の最中に豪快に音を立ててコーラをコップについでみたり、飽きてタブレットの画面を眺めてみたり、果てはシャッター音を消せないだろうその端末で写真を撮るに至るのは、芝居を見慣れてないというのとは別次元に、人の危うさを感じます。おそらくは店の常連なのでしょう。新たな試みゆえにコントロールが行き届かないということはあるかもしれないけれど、その場を壊していることに自身が気づかないし、アタシも含めた他の人々が注意できない(じつは勇気を振り絞って注意した観客が居たのだけれど、まったく意に介さなかった)という状態で、そんな人に支えられるシンポジウム自体に意味があるのか、ということさえ感じてしまうのです。かき混ぜる面白さはあるけれど、それも程度問題かな、と思ったりします。

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2013.10.02

【芝居】「五反田の朝焼け」五反田団

2013.9.28 15:00 [CoRich]

五反団の団員のみ上演する団員公演の二回目、で90分。29日までアトリエヘリコプター。

被災地に千羽鶴を折って送り続けるサークル・絆の会。主催する女テンション高く、近づく祭りでのバザーにも気合いが入っているが、メンバーたちは理不尽に責められたり少々飽きが来てる感もある。その女の近所に住む女が主催するおもてなしの会は、オリンピックも決まりイキオイを増していて、あの手この手で絆の会のメンバーを切り崩し、寝返らせて勢力を増している。埼玉から戻ってきて姉と暮らし始めた男は遠距離恋愛を続けてきた恋人の女との同棲を申し込むがあっさりフラれてしまう。

ほぼ素舞台に、タンスと畳一畳。サークル活動する公民館だったり、それぞれの家だったり、あるいは公園だったりとさまざまに変化。二つのサークルの血で血を洗う攻防だったり、ふられた弟のためにパスポートを盗んでまで元恋人を旅行に行かせない姉だったり、あるいは同棲でじゃれ合う男女だったりをほぼ全編爆笑編で紡ぎます。

震災と五輪という組み合わせは絶妙な感じがあって、忘れちゃいけないことだけれど飽き始めているという感覚だったり、あれだけ不要だとdisっていたはずなのに、それが流れだと知るや否や次々と乗っかる人々という感覚だったり。批評的な気持ちが作家にあってこういう話なのかは知る由もないけれど、 結果的には批評的なことを、しかしことさらに批評めいた描き方を丁寧に避けて爆笑編にしてしまう、というのは、作家の力でもあるし、それに応える役者たちの凄さでもあると思うのです。

あるいは長い間の長距離恋愛、おそらくは男の側がストイックに過ぎた結果で女にフラれてしまうということなんだろうけれど、そこに至る男の想いの深さが幾重にも空回りするのが可笑しいし、哀しいし、なんか自分の過去の一ページを振り返るようなほろ苦さもちょっとあったり(泣)。

なにより、全体を貫く高いテンションでの爆笑編がじつにいい。 楽しい感じ、軽い感じとも云えるけれど、頭おかしい感じのテンションの高さを前提にして、それで笑いを取りつつも、なんか懸命に生きてる人々が浮かび上がってくる、(でもペーソスという枯れた感じまではまだ行かないバランスがいい)のです。

序盤と終盤で出てくる人形・山田。人形浄瑠璃だったり糸繰り人形(マリオネット)な雰囲気まで出てきて、新たな地平が見えたよう。同居する女を演じた西田麻耶は今回の芝居の全編のテンションを高く維持した功労者。(人形相手に)甘くばかりはないけれどじゃれたりもする同棲生活を一人(と一体)で演じきる序盤が圧巻。あるいは敵・おもてなしの会への敵意だったり、裏切り者たちへのあれこれだったり。ここまでくるともう漫画のキャラクタだけれど、それをきっちり9ステージも演じきったということは凄いのです。その敵を演じた望月志津子はもう何回も拝見していて大人しめな上品さが身の上だと思うのだけれど、それに上塗りするように毒吐きという新たな一枚を重ねて、よく分からないぐらいに重厚さが増して新たな役者の魅力に。フラれる男を演じた前田司郎はいい歳してストイックを貫いた結果の不幸(ハッピーエンドが嬉しい)の説得力。その姉を演じた後藤飛鳥はしっかりとした想い、あるいは延々とした会話でも負けない感じの底力を再発見。大山雄史はパワフルな女性に囲まれる若い男子感がいい。中川幸子のパシリ感というか子分な感じがちょっと素敵。フる女を演じた宮部純子は惚れさせ続けるということの説得力。

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【ライブ】「東京に氷河期が来るって本当ですか?」ツリメラ

2013.9.27 19:30 [CoRich]

小林タクシープロデュース、小劇場の三人の女優で構成される「女王系偶像崇拝ユニット」の2ndライブ。 六本木・morph-tokyo。120分。

いっちさんのサイトのセットリストを拝借。
■ゲスト・ザゴーズ
1.サマーキラーチュンチュン
2.キャッチャーインザ闇
3.春よ行くな
4.生活
■ツリメラ:
1. ZOKKY Premier -ROCK VERSION-
2. 東京ハカイツリー
3. (映像)Ice age is coming
4. 女王陛下のシークレット・サーヴィス
5. ZOKKY Premier -TSURIMELA MIX-
6. 豚に新宿
7.(映像)ツリメ女子
8. ツリメラプロジェクト中間報告会
9. セックスと嘘とビデオテープ
10. エロスの解剖
11. TATTOO
12. アイズ・ワイド・シャット
13. アンコール:女王陛下のシークレット・サーヴィス

ザゴーズ、 悪い芝居自体でもライブを中心にした公演を打っていたりしてかなり本腰をいれてるよう。何せサイトは音楽雑誌な雰囲気満載のインタビュー記事があったり、ライブ映像に歌詞・セットリストが満載。その中の一つ、ザゴーズもまた、 芝居に使われた曲も交えつつ、時にパンク風だったり、時にフォーク調だったりと多彩に楽しく盛り上げるし、対バンとしての厚み。音楽をきちんと語る言葉も知識も持ち合わせていないけれど、歌詞をもうちょっときっちり聴きたい感じもしますが、ライブだけでは無理な相談かとも。

ツリメラ、 おおもとになっているM1に乗って登場、それぞれのキャラクタを目一杯で場を温めます。カタコト外人キャラなGASAGASA(岡田あがさ)、色気過剰に走るKIRAKIRA(葛木英)、お仕置きしなきゃね、と言い放つMUKUMUKU(赤澤ムック)のMCが楽しい。「悪い芝居」の岡田太郎作曲、小林タクシー作詞による新曲のM2、正直聴き慣れないのでまだノリにくい。はよCD(かMP3)を。ザゴーズとのコラボの二曲を経て早々に20分の「お色直し休憩」を宣言(DJ Niwashi a.k.a. DOREI (箱庭円舞曲))
M3の映像は氷河期を思わせる映像とともに。MCで氷河期のことを言ったりするのも楽しい。キラーチューンのM4は実にいい曲なのだけれど、3人のダンサーを従えてのダンスもきっちり、迫力。金属感目一杯な衣装がクールでカッコイイ。物販のMCを挟みつつ、M5はM1とは別mixだけれど、今となってはマキシシングルに入ってるこちらの方が耳馴染みに。M6はなやましい声のナマっぽさ。M7は曲としては「アイズ・ワイド・シャット」ですが、女王様キャラではない、デートっぽさな映像でツリメ女子を応援します、という仕立て、PVを準備中とのクレジット。M8というかトークショー(司会・仗桐安)。パジャマ姿で具合悪さ目一杯で登場したプロデューサー・小林タクシーは点滴姿で4月に余命一年と宣言して悪魔に魂を売ったというこのユニットの枠組みの虚構感をきっちり支えます。ナース姿の清水那保も真っ赤な唇が強烈な印象。ZOKKY時代のリミックスであるM9はラップ調がまた楽しく。メンバー紹介のMCでもういちどキャラクタを補強しつつ、ギリシャ神話を新たにキャラクタに加えて、次回12/28のライブ告知。GASAGASAのMCが実にいい。カバーのM11はちょっと古めの曲なのがまた乗れる感じ。ダンスがいい。キラーチューンM12は曲の軽快さが聞けば聞くほど味わい深い。アンコールM13。

正直にいえば、いわゆる小劇場の役者や観客が中心となるオーディエンス側の緊張感の無いかけ声というか気楽さが、ラグジュアリーさを前面に押したいツリメラのコンセプトに対して、場所をこれだけ奢ったにもかかわらず決してプラスに働いていない感じがあります。もちろん目一杯乗ってる観客を観るのはアタシだって楽しいし、自分だってノリノリなわけで説得力ゼロですが。一歩間違えれば内輪感めいっぱいで、新たな観客に対してのリーチという点で少々不安が残らないでもありません。

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