【芝居】「ぬるい毒」本谷有希子
2013.9.22 14:00 [Corich]
「桐島、部活やめるってよ」や「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」の監督として名を知られる吉田大八が脚本・演出で、本谷有希子の小説を舞台化。120分。26日まで紀ノ国屋ホール。
地方で暮らす19歳の女。23歳までで自分の精神は死んでしまうと考えている。ある日、高校の頃に借りた本を返すといって男から電話がかかってくる。会って確かめても覚えはない男だったが、東京の大学に通い、正月だけ戻ってくるというその男は、あきらかにチャラく嘘を平気でつくような男だが、高校の頃は目立たず平凡だった女は雰囲気が変わって美しくなったと認められた気がして、別の男と初めてつきあったりする。
しかし年に一回の男のことがどうしても忘れられず、二人で廃墟めぐりなどするうちに、両方とも恋人が居るにもかかわらず、セックスを繰り返すようになる。やがて男は東京に戻るといい、東京に居る恋人の親がやくざで簡単には別れられないともいう。恋人と別れるという男の誘いに乗り、女は上京を決める。
思わず原作を電子書籍(Reader Store)で買ってしまいました。原作では金を借りるのに、本作では本を借りたことになっていたり、 舞台では23歳までと自分の旬を自覚していることが冒頭で示されるのが、小説ではもう中盤に示されたり、あるいは終幕近くで地元に戻ってきた時の会話が加えられたりという具合に、いくつもの違い。なるほど、映画ってこうやって原作を編集していくのだ、と思うのです。編集というのとも違って、メディアの違いを乗り越える為の作り方、小説を舞台化するのを映画監督がする、ということのクロスオーバーに違和感がないわけではないし、どうしてここを切り取ったのだろうという気持ちはぬぐえません。
芝居を観た後に小説を読んでみれば、なるほど、女性の内面で呟いていることが過剰に溢れる文体。プライドもあるし、自分は綺麗(な時期)だし、コントロールしてやろうという気は満々なのに、それがままならない相手がこの世に居るという焦りや、一進一退の攻防になっていて手に汗握る展開。このテキストの強さならば、なるほど、テキストに飲み込まれまいと、いくつかのテキストは字幕で出しつつ会話のシーンはなるべく表に出てきた会話だけで成立させよう(つまり、内面を語り続けるには少々難しい映画に近い手法だとおもいますが)ということ。小説と舞台、映画の手法という葛藤を感じられるのです。
地方都市の、実はちょっといいとろこのお嬢さん、だからか、男とつきあうこともなく高校を卒業し東京に出してもらえるということもなく地元の短大に通い、父親のコネで運送会社の事務職として地味に働くという人生。23歳までは生きるけれど、そこから先は人生としては死んだも同然だと信じる主人公。 あからさまにチャラい男が声をかけてきて、嘘をついている、騙されているとわかっていても逃れられずにずぶずぶと行く感じ、だけれど終幕近くで、そこから踏ん張り、決別するというのがちょっと圧巻なのだけれど、それが舞台ではわかりずらい感じでもあります。というより、これ、舞台にするのは相当難しい話だ、とも思うのです。 男が言い寄ってきたのは、卒業アルバムから適当に選んで、ちょっと可愛い感じな娘を選んで暇な地元での正月の遊びなのだという男たちに対する描写の容赦無さ、カラダ目当てならともかく、実家の金が目当てか、というプライドがおとしめられる感覚、その一つ一つが気持ち悪く、吐きそうになるようなどろどろとした感じ。全編を通じて、その気持ち悪さが支配する物語。
自意識過剰気味、というのは作家の特性ですがそれがわりと全開な感じ。 原作はわりと主人公自身がどう思ったか、ということを描き続けています。 夏菜が出てくれば、当然に可愛い、美人だと誰もが思うわけですが、 素材はいいけれど、センスが悪かったと語られるけれど、ここまで美人だとねぇ、とも思ってしまうのはご愛敬。
正直にいえば、テキストに縛られているような気がしてなりません。スライドショー的に文字が舞台に映される時間がそう多いわけではないけれど、主人公が心の中で考えることをピンポイントでそのまま映してしまうのは、それがあまりに印象的だったり紡ぐ言葉が強いために、それ以外の会話の場面ひとつひとつがが挿し絵のように感じてしまう気がします。
全体としてほぼ男と女、せいぜい恋人になった男、謝る男という2+0.5+0.5人芝居という物語に対して、10人の座組。でている時間が長いかどうかがすべてではないけれど、たとえば両親に対してのシーンを両親の役者なしで成立させられるのだから、ならばこの座組はどういうことなのだろうとも思うのです。もっとも、小劇場の役者が、こういう機会で紀ノ国屋ホールに立てるということをもちろんアタシは喜んじゃうのですが。 終幕、24歳を「まともになって」迎えられそうな女を祝福するかのような大量の紙吹雪が客席まで舞うのは、なんか嬉しくなります。中盤で一カ所、前回のその残りと思われる紙片が舞台上から一枚だけ降ってきたののもご愛敬。アタシの座った後列付近ではわからないけれど、紙には「24歳になった」と書いてある、なんか祝祭感一杯な感じ。
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