【芝居】「僕にしてみれば正義」箱庭円舞曲
2013.9.1 18:00 [CoRich]
福島出身の作家・古川貴義が描く原発と戦争の物語130分。劇団としての20回目の公演でもあり、初めてのスズナリ。1日まで。看板俳優の須貝英がこの公演をもって引退するのも話題な千秋楽。
大地震による原発の放射線漏れは収まらない。避難区域の境界にある家だが、もうこのあたりの住民はほぼ居なくなっている。日本は中国と戦争をしていて、召集令状で兵役を課せられることになっているが、それから逃れようとする男女が、公安の目も届かないと考えてこの地区の空き家となった家で殺したくない死にたくないという理想を掲げて共同生活をしていて、兵役に行った息子の帰りを待つ母親や責任を感じて奔走する役所の人間など、わずかに残っている人々も彼らをサポートしている。
ある日この家の家主が兵役から戻ってくる。不法占拠状態の男女を前に戸惑うが、放射線が降り注ぐこの地で水を官邸に送りつけたり、あるいはここで子供をつくり育てて放射線の影響なんかないのだということを証明しようという彼らの活動に乗ることにして。
原発と避難区域、徴兵、慰安婦、少子化、格差、あるいはモラトリアムいうさまざまな話題を一つにぎゅっと圧縮してみせる物語。作家が持つ問題意識というよりは、怒りに近い感情をストレートに並べ、吐露して見せる感じがあります。働く男たちや家族を描く印象の強い作家だけれど、そのどちらとも違う語り口。原発と住処を追われる人々という強い怒りをベースにしながらも、「人が入るのに躊躇する地域」という避難区域という特異点で交錯する人々を描きます。物語の構造や会話のエンタメ的な面白さというよりは、そういう特異点ゆえに、少しおかしくなってしまった人々描く感じ。その造型ゆえに笑いが生まれたりはするけれど、その状況の哀しさがあとからじわりじわりと来るし、結論ではなくて提示してみせことや、「その先に描いているものは何なのだ」と繰り返し問いかける台詞には作家の逡巡がにじむようです。
開幕直後、まるで起振車のように地震で揺れる部屋そのものを芝居で見せたのは震災後初めてという気がします。舞台裏では人力で大変なようですが、その効果迫力は存分に。この作家がこれを描くというのは、小さなことに見えて、並々ならない覚悟を感じるのです。
徴兵から逃れたいと思う若者が人が容易に立ち入らない場所をモラトリアムの地として選び、そこに集う人々。想いは容易にひとつにはならず、単に人についてくる人だったり。場所ゆえに若い男女でも子供を作ることには慎重になるけれど、放射線は本当に悪いものなのかわからないじゃないか、それを体を張って証明しようという少々無茶な愛社精神というか正義感が暴走を始めたり、それに乗っかってどんどん混乱させていく後半にかけてのアナーキーさは、もしかしたらもうどうにもならないんじゃないかという諦観という気すらしてしまうのです。
徴兵されるだろう、なら逃げるだろうという当事者な感じに加えて、その周囲に描かれた人々、こんなにも漫画的なキャラクタなのに厚みや味わいが出るのは配役の妙でもあります。戦争に行った息子を待ち続ける母親を演じたザンヨウコは岸壁の母な感情を下敷きにしながらも、いわゆる女ではなくなりつつある更年期に設定し、エキセントリックで情緒不安定な(「情緒?不安定だよ」という台詞は、それを自覚しているのだといことを大爆笑とともに示す秀逸な台詞)女ではなくなったとしても母親ではあり待ち続けるのだという絶妙さ。あわせて、この役者ゆえに重くなりすぎず、さりとて軽薄だけでもないというバランスのすごさに舌を巻くのです。
あるいは近所の「金だけはある」優しいおじさん。どうせ徴兵とはいっても平等ではないだろう、結局は金次第なんだということを端的に描くキャラクタだけれど、演じる久保貫太郎は、それを絶妙に優しく、どこまでも人がいいという造型で。時折見せる絶妙なとぼけ方やダジャレはもはやペーソスの領域ですらあって、この造型を裏打ちするのです。
荒井志郎のセックスが好きでグダグダで、であからさまにダメ人間ぽい感じは、なかなか本拠地の青組では観られない新鮮な感じだけれど、確かにこの見目の良さにやけに説得力のある声ならば、そういう人生だってあるんじゃないかと思わせる説得力。緑色のテープレコーダーをずっと抱えている女を演じた片桐はづきは、おそらくはこうなる前の楽しかった頃の記憶をずっとずっと反芻していて、それが終幕にいたりもう一つの覚悟に。動かないテープレコーダーのことは多くは語られないけれど記憶の反芻と止まってしまった時間のアイコンなのだ、とアタシは受け取りました。 これが劇団所属での最後の公演となる須貝英はある種の潔癖な童貞感というか、純粋な感じはやはりこの役者の右にでるものはなかなかなくて、この物語の中でも重要な位置をしっかりと背負います。 スキンヘッドの男、うじすけは人が良さそうで、しかし目が笑ってないという怖さのようなものは確かにあって、これもこの場所の少し不穏な雰囲気をよく描いています。
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