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2013.09.27

【芝居】「ケンジ先生」キャラメルボックス

2013.9.22 18:00 [CoRich]だんらく 劇団結成11年目の1996年初演(公式)、1998年再演(公式)のキャラメルボックスで子供向けとして上演されたものを、三演めにして大人向けに作り直した、という90分。キャストを完全ダブルキャストで一新、両方のキャストを混ぜて上演するミックスキャストステージも設定。25日までサンシャイン劇場。

例によって記憶がザルなあたしは初演、再演からどれほど変わったかは今一つぴんときません。わりと賑やかに歌うシーン多かったものが減ったような気もするし、物語の上では歌手が失った親友の話など身近な死をめぐるエピソードを強めた気もしますが、確かではありません。とはいえ、初演の公式ページにある物語の運びは細かいところに手を入れているものの殆ど一緒、大人のために、とはいっても子供でもちゃんと楽しめる物語なのは変わらず、安心のパッケージ。

当日パンフで作家が言うとおり、教師の理想像なんてものはそもそもあるのだろうかという問いかけであったり、あるいは忙しすぎる日常から、時には仕事から逃げてもいいのだということだったり、云いたいことを云うことだったり、合理主義の行き着く先のある種の怖さだったりをシンボリックに描くのは、子供向けといわれる初演からあるエッセンスなのだけれど、改めてみてみれば、大人にこそ、という内容でもあって、そういう意味では物語の奥深さのようなものがきっちり。

もともとZABADAKの楽曲の多い芝居ですが、小峰公子の新録による「不思議な先生」はまったく別の印象に。軽やかで広がりのある印象は、どこか岩手山のふもとに広がる景色を思い起こさせます。

よく言われることだけれど、おばあちゃんがが名乗る旧姓、カキモトクリコは劇団の名作「広くてすてきな宇宙じゃないか」に繋がる名前。日曜夜のどんぐりキャストでおばあちゃんを演じた石川寛美の当たり役でもあって、その両方を、というのもまた感慨深い。普段の公演に出る機会が減っているベテランをこういう形で拝見できるのも短い公演の魅力。そういう意味では、古道具屋の店主を演じた西川浩幸にしても、母親を演じた大森美紀子にしても圧巻の安定感で脇を固めています。ケンジ先生を演じた左東広之、娘を演じた林貴子はどちらかというと賑やかさの印象があるけれど、もう一つはどうだったのだろう。プロダクション社長を演じた岡内美喜子、用心棒を演じた畑中智行はもちろん物語を支えるけれど、店のアンドロイドなどのコミカルパートを支えるのもまた「カーニバル」っぽいお祭り感があって嬉しいのです。

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【芝居】「ぬるい毒」本谷有希子

2013.9.22 14:00 [Corich]

「桐島、部活やめるってよ」や「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」の監督として名を知られる吉田大八が脚本・演出で、本谷有希子の小説を舞台化。120分。26日まで紀ノ国屋ホール。

地方で暮らす19歳の女。23歳までで自分の精神は死んでしまうと考えている。ある日、高校の頃に借りた本を返すといって男から電話がかかってくる。会って確かめても覚えはない男だったが、東京の大学に通い、正月だけ戻ってくるというその男は、あきらかにチャラく嘘を平気でつくような男だが、高校の頃は目立たず平凡だった女は雰囲気が変わって美しくなったと認められた気がして、別の男と初めてつきあったりする。
しかし年に一回の男のことがどうしても忘れられず、二人で廃墟めぐりなどするうちに、両方とも恋人が居るにもかかわらず、セックスを繰り返すようになる。やがて男は東京に戻るといい、東京に居る恋人の親がやくざで簡単には別れられないともいう。恋人と別れるという男の誘いに乗り、女は上京を決める。

思わず原作を電子書籍(Reader Store)で買ってしまいました。原作では金を借りるのに、本作では本を借りたことになっていたり、 舞台では23歳までと自分の旬を自覚していることが冒頭で示されるのが、小説ではもう中盤に示されたり、あるいは終幕近くで地元に戻ってきた時の会話が加えられたりという具合に、いくつもの違い。なるほど、映画ってこうやって原作を編集していくのだ、と思うのです。編集というのとも違って、メディアの違いを乗り越える為の作り方、小説を舞台化するのを映画監督がする、ということのクロスオーバーに違和感がないわけではないし、どうしてここを切り取ったのだろうという気持ちはぬぐえません。

芝居を観た後に小説を読んでみれば、なるほど、女性の内面で呟いていることが過剰に溢れる文体。プライドもあるし、自分は綺麗(な時期)だし、コントロールしてやろうという気は満々なのに、それがままならない相手がこの世に居るという焦りや、一進一退の攻防になっていて手に汗握る展開。このテキストの強さならば、なるほど、テキストに飲み込まれまいと、いくつかのテキストは字幕で出しつつ会話のシーンはなるべく表に出てきた会話だけで成立させよう(つまり、内面を語り続けるには少々難しい映画に近い手法だとおもいますが)ということ。小説と舞台、映画の手法という葛藤を感じられるのです。

地方都市の、実はちょっといいとろこのお嬢さん、だからか、男とつきあうこともなく高校を卒業し東京に出してもらえるということもなく地元の短大に通い、父親のコネで運送会社の事務職として地味に働くという人生。23歳までは生きるけれど、そこから先は人生としては死んだも同然だと信じる主人公。 あからさまにチャラい男が声をかけてきて、嘘をついている、騙されているとわかっていても逃れられずにずぶずぶと行く感じ、だけれど終幕近くで、そこから踏ん張り、決別するというのがちょっと圧巻なのだけれど、それが舞台ではわかりずらい感じでもあります。というより、これ、舞台にするのは相当難しい話だ、とも思うのです。 男が言い寄ってきたのは、卒業アルバムから適当に選んで、ちょっと可愛い感じな娘を選んで暇な地元での正月の遊びなのだという男たちに対する描写の容赦無さ、カラダ目当てならともかく、実家の金が目当てか、というプライドがおとしめられる感覚、その一つ一つが気持ち悪く、吐きそうになるようなどろどろとした感じ。全編を通じて、その気持ち悪さが支配する物語。

自意識過剰気味、というのは作家の特性ですがそれがわりと全開な感じ。 原作はわりと主人公自身がどう思ったか、ということを描き続けています。 夏菜が出てくれば、当然に可愛い、美人だと誰もが思うわけですが、 素材はいいけれど、センスが悪かったと語られるけれど、ここまで美人だとねぇ、とも思ってしまうのはご愛敬。

正直にいえば、テキストに縛られているような気がしてなりません。スライドショー的に文字が舞台に映される時間がそう多いわけではないけれど、主人公が心の中で考えることをピンポイントでそのまま映してしまうのは、それがあまりに印象的だったり紡ぐ言葉が強いために、それ以外の会話の場面ひとつひとつがが挿し絵のように感じてしまう気がします。

全体としてほぼ男と女、せいぜい恋人になった男、謝る男という2+0.5+0.5人芝居という物語に対して、10人の座組。でている時間が長いかどうかがすべてではないけれど、たとえば両親に対してのシーンを両親の役者なしで成立させられるのだから、ならばこの座組はどういうことなのだろうとも思うのです。もっとも、小劇場の役者が、こういう機会で紀ノ国屋ホールに立てるということをもちろんアタシは喜んじゃうのですが。 終幕、24歳を「まともになって」迎えられそうな女を祝福するかのような大量の紙吹雪が客席まで舞うのは、なんか嬉しくなります。中盤で一カ所、前回のその残りと思われる紙片が舞台上から一枚だけ降ってきたののもご愛敬。アタシの座った後列付近ではわからないけれど、紙には「24歳になった」と書いてある、なんか祝祭感一杯な感じ。

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2013.09.25

【芝居】「SUMMER PARADE」AnK

2013.9.21 19:30 [CoRich]

70分。22日までサブテレニアン。

小さな部屋で寝ている男女3人。女は修学旅行のグループの部屋に居られずここに居て中一人起きている。一人の男は女に気付き、ずっとあこがれていた文集委員の彼女に友達になろうと話しかける。女は秘密の道具を取り出して、これで自分が頭のなかに紡いだ物語をホログラムで見てほしい、という。
女が紡ぐ物語は、グループの部屋に居られなくなった理由、やさしいおじさんが月の石を見せてくれた話、地味だけれどキャプテンにも生意気な後輩にも告白されるサッカー部のマネージャー、居なくなった王を探す旅にでる星の王子、朝帰りしたり男にフられる母親との口論などさまざまだったが、どれも終わりのない話だった。

コの字型に囲む客席、床に三枚の布団らしいもの。客席から見下ろすような場所に舞台。

序盤、地味でいじめられがちで、しかも時々反撃したりする心の強さのある女生徒が閉じこもる殻。男に対しては極端に拒否反応示しつつも、相手がアンドロイドならば緊張しないし、頭で紡ぐ物語をホログラムで見せる(Panasonic製という設定で、ホログラム側の三人の役者の首ヨコにPanasonicと書いてあるのがちょっといい)のおかげもあって、饒舌に語り始める自分の物語。バラバラな物語に見えて、父親が家を出て、再婚を目論む母親との二人暮らしという状況、自分だって恋人が欲しいけれど地味だし怖いし両親を見ているトラウマもあるという気持ちにすべての物語がつながっていきます。地味だし友達も少ないけれど、内に秘めた想いが堰を切ったように溢れだすのは実にわくわくとするのです。

あるいは一方的に語られる「女子の話」を男子が聴くときの心得はよく云われることだけれど、判りやすくて楽しい。いわく、一人の言い分だけではわからないなどと正論は厳禁、すべては共感(したふりでも)が大切なのだと。これを高校生のアタシがわかっていれば、という遠い目にもなろうというもの(笑)。

いくつか語られる物語のなかでも、父親である王を捜しに行く王子の物語は(劇中でも、一番面白い、という台詞があるほどに)、祝祭感に溢れていて、実に楽しい感じが素敵。単に捜しに行く、というだけの序盤だけれど、真ん中で一人ずっと寝ている男を囲むように星を置いて、ステップを踏むようにぐるりと一歩ずつ一回り、さらに途中でもう一人を伴に連れ、二人でダンスをするようにもう一回り、というシーンが実に美しく、そして胸躍るようで楽しいのです。

語られる物語で一カ所にやけに繰り返し出てくる「壁ドン」を芝居で言葉として使ってるのは初めて観た気がしますが、その瞬間に客席の(おそらくは若い)女子が沸くのもちょっと楽しい。

正直にいえば、囲み舞台でしかも客席が高いという状況では動きが少なくて座っていることの多い役者が見切れてしまうことが多々あるのは惜しい感じ。物語に対しては大した問題ではないのですが、どの人のどの表情を切り取って観るかというのが観客に任される芝居というメディアだからこそ気になること。

文集委員の女子を演じた関亜弓は伏し目がちな女子っぽさがちょっと惚れる感じ。彼女を観るなら舞台向かって左側手前のあたりを。アンドロイドを演じた村上玲は気の弱さからちゃんとハッピーエンドに物語を運ぶ力強さ。真ん中で寝ている男を演じた上野友之を役者で観たのはもうずいぶん久し振りだけれどやけにくたびれたオヤジっぽさ(だけど大学生のバイト、という役だ)の、彼が作る芝居とのギャップもまた楽しさ。ホログラムというロールでさまざまを演じた富永瑞木、矢沢★(さんずいに光)平、前原瑞樹は瞬間で切り替えるさまざまが楽しく魅力的。

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2013.09.22

【芝居】「マチワビ」キリンバズウカ

2013.9.21 14:00 [CoRich]

キリンバズウカ、2年ぶりの新作。25日まで東京芸術劇場シアターイーストで25日まで。105分。

東京から2時間ほどの地方都市。三人の姉妹が住んでいる。父親がオンナを作り家を出て母親が亡くなったあと、長女は親代わりとなり、次女は予知夢を操る美少女としてタレントとして人気を博していた。三女はそんな姉を見てテレビに出ることをずっとあこがれている。数年が経ち、世間から飽きられてきた次女は実家に戻るが、地元ではやはり有名人で、ほとんど家に引きこもっている。
そんな次女にずっと想いを寄せている幼なじみの男はずっと告白できなかったが、パン屋での修行もすすみ、ある程度稼げるようになったため、いよいよ告白しようと姉妹の家を訪れる。ほどなくして次女が帰宅するが、近所の潰れた遊園地で出会い、財布を無くしたという若い男を連れていた。前後して、次女が久しぶりに見た、バイパス沿いに大金が落ちているという予知夢どおりの場所で一千万円の現金が発見される。

中央に回る舞台で一部屋と風景、上手奥に別の一室という具合に舞台を小分けにしていくつかの場所を作って舞台を構成。

三人姉妹の次女を軸にして、長女の三人を想う気持ち、次女がタレントとして上京し出戻った感じ、三女の東京や芸能界にあこがれる気持ち。長女を想う人、次女を想う人。三女がこじらせるほどに募らせる想いだけれど。東京からやってきた男は目的が不明なまま、しかし次女はずっとここに引き留めようとするあたりは物語としてちょっとワクワクします。 ネタバレかも。

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【芝居】「ピノチオのひげ」ハムプロジェクト

2013.9.16 18:00 [CoRich]

札幌のハムプロジェクトが東京の役者たちとワゴンで巡業する企画公演( 1, 2)、9ヶ月ぶりの松本。90分。松本は17日まで。

50メートルの防護壁で囲まれるようになった日本。中学生女子はある日、このままではロクな大人にならないと気づいて世界を見て回るために旅立つことを決める。幼なじみのいじめられっ子は影ながら応援する。時空を超えて空から落ちてきた古びたカバンと、それを追ってきた未来からの男も加わって。

中学生の元気のいい女の子の冒険しようという気持ち、男子は情けなかったり喧嘩ばかりだったりとまだ幼い感じだけれど、女の子はこのままでは「ロクな大人にならない」という、一歩先に大人になっていきつつある感じ。でもお金をそう持っているわけでもなく、体力だって知れているわけで、せいぜい歩いていける隣町までの冒険が精一杯。気持ちに体や実力が追いつかないという中学生の「伸びしろ」な時期の感じが、ほんの少し切なく、しかし瑞々しい。

正直に云えば、信濃ギャラリーでは全体にがちゃがちゃしていて、物語がシンプル(というよりは三畳から上演可能というポータブルな芝居だからそうするざるを得ない、ということだと思いますが)落ち着かない感じではあります。それでも時に祝祭に溢れ、時に手に汗握る(というほどではないけれど)チェイス、時に人形劇とさまざまにしながらきっちり物語を紡ぐのです。

終演後に会場内で設定された交流会。訊けば上演したところで、次の公演の地の候補を地元の人に訊いたりするということで繋いでいるといいます。笑っていいとものテレホンショッキングがその場で決めていると信じられた頃のようなわくわくする感じ。そもそも、バン一台に装置も何もかも詰め込んで旅をするというのは、たいていの男子は憬れることじゃないか、ということで芝居に対してちょっと上乗せして楽しい気持ちになっちゃう、というのも事実なのです。

ちょんまげの男を演じた白石直也は濃密な芝居で物語を牽引します。 中学生女子を演じた渡辺友加里もまた、瑞々しくきちんと大人の一歩を踏み出したという女子の心意気を感じさせる造型。設定されたご当地ゲストの熊谷千尋、昼の回では一回合わせただけで舞台にあがったといいます。夜の回でも怪しいところはありますが、きちんと。

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2013.09.21

【芝居】「冒した者」葛河思潮社

2013.9.16 14:00 [CoRich] 三好十郎の戯曲(青空文庫)を長塚圭史の演出で。休憩15分を挟み200分。横浜のあと、松本は16日まで。吉祥寺シアター、仙台、新潟と巡ります。

有料パンフでしか役名が確認できないのはケチ臭いといえばそうだけど、サイトに載ってました(笑) 戦争のあと、古い大きな屋敷に身を寄せ合い9人がほどよい距離感で平和に暮らしている。3階に住む劇作家は妻を亡くしたあと戯曲を書くことができなくなって、誘われてここに住むようになった。 2階には株屋の父と進駐軍で働く娘と医者の夫と敬虔なクリスチャンである妻と大学生の弟、この家の元の主人が芸者に生ませた子の三味線の名手の女、1階にはこの家の管理人と広島で原爆に遭い目がみえなくなった遠縁の少女が住んでいる。この屋敷の未亡人は広島で寝たきりになっていて権利関係は膠着状態だが、住んでいる人々の何人かは何らかの関係がある。
ある日、3階の劇作家のもとを久しぶりに青年が尋ねてくる。演劇を志していたが、もうやっていないようで、恋人も亡くしたという。新聞の片隅の記事に彼のことが載っているのを株屋の男が気づく。

わりとフラットなまま進む物語は見慣れないと退屈する観客も多い気がします。商業演劇的な豪華キャストのギャップは否めません。年齢を重ねたからか、自分や大切な人のことを思い悩むことや、平穏な日常に突如現れるエイリアン的な外乱でそれまで見えていた風景と全く違う内面が露呈してくるという、少々露悪的なことに面白さを感じるようになっているアタシです。こういう物語をみて「わくわくするように面白い」と感じるのが健全なのかは迷いどころですが。

そう、平穏な生活にみえる毎日が、ごく表面的に踏み込まないことでバランスしていたこと、その奥には家屋敷の権利を手に入れようという思惑だったり、生きることや社会のことに思い悩んでいたり、金儲けや生活のことに賢明だったり。悪く云えばどす黒く奥底で渦巻く物がちょっとしたきっかけで「決壊する」ということが実に鮮やかに。その中でひとり、目が見えないからか凛として同じ姿で立ち続ける若い女が神々しく、美しいのです。

戦争に加わっていたもの、戦争にもしかしたら荷担したもの、あるいは巻き込まれていたものたちが敗戦を経てくるりと社会も状況も変わってしまって、まさに生きるか死ぬかの数年を生き抜いてきた人々だからそれがぎゅっと濃縮してきた、という背景があるからこそ、この過剰に濃密な物語に説得力があるようにおもうのです。

正直に云えば、長塚圭史の演出はワタシにはある瞬間にとても取っつきにくくなって、それ以来わりと苦手意識が先立ちます。が、最近徐々に面白く感じるようになってきたのは、演出が変わったのか、あるいはアタシが歳をとったのかわからないのでが、確かに気持ちに寄り添う感じになってきてるのです。

主役を演じる田中哲司は実直さ、思い悩む感じの存在感。外乱を演じた松田龍平はテレビ「あまちゃん」に出ている俳優をほぼ同時期に舞台で観て目を奪われるという久しぶりの体験。「姉さん」を演じた松雪泰子は気っぷの良さ、背中の美しさもじつに眼福。演出を兼ねて医者を演じた長塚圭史は冷たさを前面に感じさせる造型。医者の妻を演じた桑原裕子、敬虔なクリスチャンというのはわりと観たことない新しい役。初舞台を観ているあたしからすると、こういう役を演じる歳になったのか、というのは感慨深いのです。 株屋を演じた中村まこと 長い芝居の中盤をだれることなく引っ張り続けるちから。

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2013.09.19

【芝居】「犬、だれる」HOBO

2013.9.15 18:30 [CoRich]

ラッパ屋、おかやまはじめが作演の劇団。16日までサンモールスタジオ。100分。

南の離島。観光資源に乏しく訪れる人もそう多くはない。ある者は志してある者は流れるようにして移住してきている人々も居る。民宿を営む男から紹介されて一軒家に住んでいる男女。ダメ男ばかりにあたって来た女がはじめて真っ当な男に出会ったのだが、男がやっとの想いで育ててきた畑は台風で駄目になってしまい、落ち込んでいる。女はスナックで働いていてそれが収入の全てになっている。スナックのママと恋仲の男はツアコンをしているが少々怪しい。島の観光をもり立てようと役場の男はやっとの想いでご当地ゆるキャラの着ぐるみを作り、この家の男に中に入って欲しいと頼む。
島中でひんぱんに見つかる不発弾がまた見つかった頃、この家の女の妹が訪れる。駆け落ち同然でここに移り住んだ姉を見つけたのだ。

良くも悪くもオジサン、おばさんたちの大人になりきれない馬鹿騒ぎ。そこをペーソスに逃げるのではなくて、くっついてみたり、離れてみたり、恋心だったり、想う気持ちだったり。そういう意味でやや似ている ラッパ屋がわりと生活に余裕がある人々が暮らす中の恋心とか親のことという童話な感じ。HOBOはそれとは違ってもう少し生活に余裕がない人々の話という感じです。それはおそらく年代だったり、作家がどうやって暮らしてきたかということが反映される感じがします。

不発弾が沢山みつかる島、ならばそこに手榴弾があっても不思議はありません。今作でこの手榴弾を「かんしゃく玉」(青空文庫)な感じでため込んだことを放出するというのも女たちの物語の一つなのです。

市場に出回らない魚のネタはちょっとおいしい。脂がたっぷりで消化されないので、そのまま尻からオイルが自覚症状のないまま垂れる、という設定は絶妙ですが、それ食べた男たちがみんな紙おむつを穿いてうろうろする、というのはそういう場面が面白いんじゃないかという遊び心。とはいえ、面白いシーンが数多くあるけれど、それが物語に還元または収束していくものがあまりない、というのは惜しい感じ。

松本紀保はだめんず、という造型だけれど、まっすぐ信じているという説得力。冒頭のステレオの前で居眠りしているシーンがやけに美しい。 小林さやかは割と珍しい肉食女子の造型でがっつり、こうやって言い寄られるがわになりたいものだと、いうのはアタシの勝手な気持ち(笑)。 有川マコトは静かでちゃんとしているのに、台風で畑がやられたことによって凹むというちょっと気持ちが弱い感じ。そういう意味では本間剛も勇気が出ないという造型。なるほど、女子は元気で男子は元気がない、という昨今の感じ。 高橋由美子はママだったり少女だったりな感じに見えるのが不思議。 林和義は人のいい、という感じだけれど、要所要所で目が笑ってない怪しさ。怪しいという意味では犯罪を犯して逃げてきた、という古川悦史の役もまた陰影を作っています。

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2013.09.16

【芝居】「God save the Queen」東京芸術劇場(芸劇eyes)

2013.9.14 19:00 [CoRich]

次世代の劇団を支援するシリーズ「芸劇eyes」の番外編(1)第二弾は、女性の作演による5団体。 16日まで東京芸術劇場シアターイースト。140分。

地下鉄の車内でいつも見かけていた彼はもう乗っていない。車内には鉄道博物館のジオラマを見に出かけているカップルが居るが地下鉄が止まってしまってちょっと迷っている。教習所に出かけるために乗っていた地下鉄で時々みかけた彼女は昔好きだった兄の恋人に似ていて「メトロ」(うさぎストライプ/大池容子)
巨大掲示板に書き込まれたメッセージは自殺予告をした若い男「クイズ君、最後の2日間」(タカハ劇団/高羽彩)
双眼鏡で向かいの部屋を覗いている女、一人暮らしらしい男が自慰行為を繰り返しているのをずっと覗いている。この部屋で同居している女は鶏もも肉を買ってきてソファーで食べている。向こうの部屋の男の自慰行為はニワトリに向かう「蒸発」(鳥公園/西尾佳織)
どっちが罪だと思う?と問いかけながらエロ漫画を交換する二人。新聞紙の包みを抱えたタヌキが寄ってきて。宝石貰うと嬉しいし、お金沢山あっても嬉しいし、ケーキ全部食べられちゃったら腹立つし「どこ立ってる」(ワワフラミンゴ/鳥山フキ)
寿司チェーンシスローで働いている女。同僚のエイコちゃんはエイと人間のハーフで、無口で客商売には向いてない。もうひとりの同僚で肌が白いイカちゃんはちょっとなまっていてどこからか拾われてきた。でも、どうもイカと人間のハーフで、しかも腹違いの妹らしくて「しーすーQ」(Q/市原佐都子)

女性の、とはいいながら「子宮で考える」とか「過剰な自意識」といういわゆる旧来の「女性らしい」作演とは異なるベクトルを持つ、というのが売りの企画。果たしてちょっとポエティックだったり、心動かされた何かを描こうとしていたり、少しばかり赤裸々な感じがあったり、どこか少女漫画的だったり乙女だったりと女性が描いているな、ということは感じさせます。 もっとも、わりと女性の作演を好んで観るワタシにとっては、もうこれはカッティングエッジというよりは小劇場では主流なんだとも思うのです(だから芸劇に数を揃えてショーケースができるってことだ)

うさぎストライプは、学校で使われるような椅子を並べかえながら地下鉄の車内での2つの出来事を3つの物語で描く趣向。互いに毎朝のように見かけたけれど知り合いじゃない男女のそれぞれの背景、好きだと想う気持ちを抱える女と、その女の外見にかつての恋心を思い出す男。二人の会話はなくて、確かに同じ時空に居るのに互いの思いはまったく別の時間軸を流れているというのが面白くて、ちょっと切ない。カップルのほうの会話は子供の存在はにおわせつつなぜか二人で鉄道ジオラマを見に行ってる途中の風景、好きな人への思いを募らせる感じが甘く、凛々しい。この物語に対してダンスを付けたり椅子を動かしてのムービングという動作を重ね合わせるのだけれど、正直にいえば、ダンスに興味が薄いアタシには、それに意味が見いだしづらいうえに、方向や動きによってセリフが聞き取りづらいというデメリットの方が強く感じられます。

タカハ劇団は2chで書き込まれ、おそらくは実際に自殺した男の最後の2日間(YouTube)の書き込みをモチーフに紡ぎます。タカハが描くものとしてはちょっと珍しい感じもありますが、意味があるかわからない運動部部活の風景や、芽が出るかわからない漫才コンビの練習を模した大量の言葉のスピードに押しつぶされそうになる応酬、クレーム受付のカスタマセンターの様子などをさまざまにコラージュ。大きな意思を入れると云うよりは意図を持ちつつコラージュを並べて見せることで自殺に至る何かを浮かび上がらせよう、という感じ。こちらは大量のブロックをテトリスよろしく積み上げ組み替えながらの芝居。最終的には天に昇る階段を思わせる大階段を出現させ、大量の青いチップ状のものを一度に降らせることで落ち、潰れて粉々となったようにみせて自殺が行われたことを示唆して一瞬で幕切れにするのは効果的です。もっともショーケースとしては迷惑千万な演出だとは思いますが。こちらも積み上げ組み替えだったり、テニスのラリーよろしく言葉を打ち合う風景など、身体を動かし疲労させてみせるという演出がされていますが、これが果たして必要なことかどうかは今ひとつぴんとこないのです。

鳥公園は二人の女の会話と、双眼鏡の向こうの自慰に耽る男のを覗いてのあれこれ。男の自慰行為や性欲は明確に語られることも多いけれど、女性が半笑いで双眼鏡を覗き、腰を振る仕草に女性自身の欲望も溶かし込んでいて、そういう意味での「男女が同じように感じること」を女性の側から描いているようでちょっと面白い。バイトの風景の抑圧された感じもどこかリアルさがあるし、覗いている女の「中二的童貞感(処女、ではなく)」な描き方もコミカルである種「肉食」な感じもあって印象的です。もっともその性欲の先にあるはずの命が一足飛びに食料になっているということ、その「産肉」という文字面の違和感(命を奪った結果の肉ではなくて、肉を作る、という感じの)を描いているのはちょっと面白い。同居している二人の女という描き方だけれど、一人の女性が頭の中でつらつらと考え続けていること(=引きこもっている女)と、外で稼ぎ社会的生活を営んでいる こと(=出て行く女)の両面を営んでいるという風に読み解いても面白いなと思うのです。

ワワフラミンゴはいつものような、とりとめなく物語が希薄に。彼女たちには珍しい広い舞台だけれど、走り回ったり金をサーキュレーターで舞わせたりと広さを生かすようなことと、小さく固まったしばいをそこかしこでやって、残りを余白のまま残しておくというのも、会話の妙な間合いとあいまって、コミカルを増幅する感じ。 タヌキはあからさまにで落ちだけれど、劇場の扉から出ている片腕を引っ張って表に出そうと四苦八苦したあと、それが居なくなってしまって、どこかからか連れてきた事情を知らない他人に同じ事をさせたがる(けれど思い通りにならない)という一コマがやけにおかしい。なんだろ、これ凄いな。歩くのとそれを追いかけて(足を滑らせながら)走る二人のぐるぐるで、「足が遅い」と一刀両断なのもやけに面白い。これができるのはこの広さゆえか。 一方で宝石を「貰ったら」嬉しいというガーリーな感じも、紙幣を風に舞わせて金だーっ、と叫ぶものなんか爽快感。

Qは、これもまた性と生命、という感じに物語を紡ぎます。会ったことのない妹に少々少女漫画っぽさはあるけれど、紡ぐ、何かがつながるということを繰り返し描いていきます。海産物が嫌い、という隣のオンナノコの造型がちょっと面白い。タコとまぐわう女などの春画をそのまま大写し、何か混じる感じは理解しづらいけれど、作家の頭に浮かぶ何かがそこには確かにあるのです。

すべてではないにせよ、繰り返しのモチーフや疲労する役者の身体と、それとは一見関係ない台詞で言動分離を一人の役者でやっているような芝居が目立ちました。スタイリッシュではあるし、若い役者が動いているというのはそれはそれは眩しい出来事なのだけれど、わたしにとっては実験というにはあまりに多く行われすぎていて、さりとてそれが流行っているということ以上にはうまく成功していると感じられたことがあまりないだけに、この流行がいつまで続くのかな、というのは少々暗澹たる気持ちにもなるのです。

各団体20分ほどの上演枠に対して、セットチェンジに5分以上。ショーケースなのでそれぞれを独立に味わうという意図かも知れないし、片付けに手間取る演出があるからということも理解できますが、正直に云うと、これくらいの長さならワンパッケージで売っている以上、他の芝居の余韻もショーケースの味として、集中力を持ったまま一挙に(あるいは休憩一回ぐらいで)観てしまいたいところ。20分づつぶつ切りにされてしまうよりはそういう意味ではMrs.fictionsの15minutes madeの方が見せ方に対して一日の長があるわけで、もうちょっとなんとかなるんじゃないかと、思うのです。

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【芝居】「hedge」風琴工房

2012.9.14 14:00 [CoRich]

金融と企業を舞台に男性の俳優ばかりの130分。18日までザ・スズナリ。

コンサルティング会社出身のメンバーが立ち上げた投資ファンド会社は買収した企業の業績を好転させた後に転売することで利益を得る日本初のバイアウトファンドだった。第一号ファンド案件として選んだのは製品は優れているのに海外事業や新規の自動倉庫事業が足を引っ張って業績が低迷するクレーン製造の会社だった。

ファンドと企業を巡る物語。企業再生で利益を得るファンドと、その再生案件となった企業の熱い人々を描きます。前半は、ファンド会社、買収される会社それぞれの人々と背景を描きつつも、頻繁に物語を止め、とっつきにくい金融にまつわる用語を時に丁寧に時に端折りながら説明を加えて、物語に引き込んでいきます。実際のところ、人間たちの物語が主軸なわけで、救いが必要な会社と、会社を金融で支えようというサムライたちの物語だ、ということなのでここの理解が付いていけなくても、その濃いドラマは楽しめるのですが、なんせ台詞にそういう言葉が出てくるのをひかかからずに楽しめるのは(しかもそれを、役とは離れた、役者自身もあまり知らない、という体裁で、教えてあげるという体裁を取らないのも敷居が低いし、解説用語集は倉ばれているけれど、それに頼らなくても物語をちゃんと楽しめるのは実にスマートな解決策。

投資の価値はちゃんとあるけれど経営がうまく行かない会社に手を携えるバイアウトというのは、きっとある種の教科書のような理想型で、うまくまとまりすぎているというきらいが無くはないのですが、特に前半で物語と(軽い語り口の)解説がたたみかけるような流れに乗ったアタシには120分を越える上演時間だってきっちりと楽しめるのです。 たとえばTBSのドラマ「半沢直樹」もまた、銀行の融資と企業という金融という背景で人間の想いを描くという意味で実はちょっと似た雰囲気があります。もっとも連続テレビドラマは見所満載の勧善懲悪として描くことで成功しているのだけれど、本作は全員が一つの目標に向かうという意味でヒールが存在せず、物語の運びというよりは、そういう意味ではプロジェクトX的にややドキュメンタリー風味の味付けで、ぎゅっと濃縮した熱い想いを生で見ることの楽しさ、だと思うのです。金融工学の現場でこれがリアルなことなのかはよく分かりません。それでも後半に待ち受ける人と人のぶつかり合いの物語、男の仕事の現場、をコンパクトに熱く語る物語に引き込まれるのです。

キャットウォーク風の2F部分を作り、舞台全体は扉で埋め尽くされています。役者が出入りする無数の扉それぞれがきちんと重厚な音を立てて閉まる、というのが、物語に厚みを与えるかのよう。舞台装置でこれをやるのはまっすぐコストに跳ね返るはずなのだけれど、それでもこれをやることが巧く効いています。

外資銀行出身のカリスマを演じた佐藤誓、重厚な年輪が舞台に説得力をああ得ます。コンサルティング会社からファンドを立ち上げたひとりを演じた井上裕朗は切れ者の印象で実に格好良く。もうひとりを演じた根津茂尚は丁寧さの先の優秀さということの説得力。血が通ってなさそうな男を演じた佐野功は優秀さその先にかいま見える気持ちのダイナミックレンジがいい。 邦銀出身の男を演じた酒巻誉洋は日本型のという立場がいい。若くて優秀な 金丸慎太郎 わかくて優秀な男なのにどこか軽いというのがいい。会社社長を演じた多根周作は確かににおぼっちゃんだけれどきちんと見据える気持ちがあるという説得力。優秀な営業職を演じた金成均 あ会社への熱い想いは時に怒り時に笑う感じが素敵なのです。エンジニアを演じた三原一太は前半の軽さからそのあと物を作るということに実直な造型。藤尾姦太郎も軽さと素直さが同居するバランスの良さ。万年赤字の新規事業の責任者を演じた杉木隆幸は年齢を重ね、しかし成功ではなかった人生が見え隠れするような味わいが実にいいのです。

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2013.09.11

【芝居】「失禁リア王」柿喰う客

2013.9.8 14:00 [CoRich]

リア王の物語をぎゅっと圧縮して女優ばかりで演じ切る100分。17日まで吉祥寺シアター。キャストシャッフルの乱痴気公演や、ホンチキ・ランチキ両バージョンで全編放映のUSTREAM配信も予定されています。

円柱の外周を階段状に削ったような体裁の舞台。ダンディなスーツやタイトなスーツスカートでキメた女優たち。トークショーによれば、「ゴッドファーザーとビッグダディ」という味付けの演出だそう。なるほど前者はアルカポネだったり葉巻だったり、ビリヤードのキューだったりという小物の雰囲気。後者はぴんとはこないけれど、ある種のヤンキー的な人情と損得のあれこれをトッピング、という感じにとれないこともありません。物語はずっと昔の欧州、体裁はアルカポネなのに、今の日本に引き寄せちゃってもちゃんと造型できるというのはちょっと面白い。

まさかのミュージカル仕立て、道化としてクレジットされる新良エツ子を中心としたオリジナルナンバーの数々(全13曲の歌詞は終演後にロビーで配られています)。一曲がわりと短めなのがよくて、それなのに濃密に歌詞を詰め込んでいるので、ミュージカルにありがちでアタシがどうにも違和感がある「物語が止まる」感じがまったくないのが、実に見やすいのです。もっとも歌が中心の女優ばかりの芝居となると宝塚という強敵が居るわけで、それを相手に回すとどうしても歌唱を中心のキャストとはいかないこの体制では全体のバランスとしては難しいところ。

根幹となる歌をほとんど支える新良エツ子は安心の歌唱、物語を運ぶというよりは不安を予兆させたり、俯瞰してみせたりという道化に設定したのがうまく効いています実によくて。リア王を演じた深谷由梨香は、ミュージカルという体裁の中ではこれに比べると正直、少々分が悪いのは否めません。が、傲慢な年寄りから、自業自得とはいえ弱り切った老人そのものに至るまで振り幅のすごさはさすがに看板を背負います。トークショーではそれがずっと素の感じに可愛らしくギャップにちょっと惚れてしまうのです。(や、それは芝居じゃないんだけど)。エドガーを演じた七味まゆ味はヒールっぽかったりひたすらにかっこいいという感じとは違う雰囲気で、弱さと実直を併せ持つような、実はちょっと珍しい感じの仕上がり。オズワルドを演じた葛木英はやけに殴られるキャラもコメディエンヌとして支え、終幕で一瞬現れる「はじめてのおつかい」がやけに可愛い。オンナと欲深を前面に押し出した造型の姉妹・ゴネリル・リーガンを演じた内田亜希子・杉ありさは常に対で見えちゃうのは痛し痒しだけど、シカゴよろしく格好いい。オルバニー公をぬいぐるみ抱えた気弱に造型した中林舞もまた素敵。グロスター伯を演じた伊東沙保もまた、もう一つの悲劇をきちんと背負うのです。

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【芝居】「花子フルメタルジャケッ娘」ハリケーンディスコ

2013.9.7 19:30 [CoRich]

8日までトランスミッション。100分。

福岡・中州のしけたスナックのホステスや店長、用心棒。若い女は華やかな芸能界の夢を抱き東京に出て行ったが、悪い男に騙され金を取られた挙げ句友人とともにストリップ小屋に売られそうになる。すんでのところで妹は逃げだし、福岡に戻るが、友人はストリップ小屋に連れ戻されてしまう。
取られた金を取り戻し、友達を救い出さないと、とホステスたちは東京に向かう。ストリップ小屋の用心棒はダイナマイトを操り容赦のない男だった。

食い物にされた若い女、それに復讐しようと東京に乗り込む大人たち、大人の哀しさ事情は匂わせつつも、物語はごくシンプルに、日活だとか大映風味な昭和な香り濃密な痛快娯楽を、この小さな劇場でやってしまうというのが身の上。

上半身ハダカで刀を片手に凄んでる男、それに寄り添う少し抜けた風情の女、あるいは気の弱いストリップ小屋の男に、それをむしろ食い物にする容赦ない用心棒、昔の因縁ありつつも完全には縁を切れない気丈な片目のストリッパー、あるいは中州の人情厚く商売は下手そうな経営者や、凄みはありそうなのにあんまり役に立たない用心棒、爆弾娘のようなホステス、目がうつろだけどそれに寄り添い続けるもう一人、東京で何かあったらしいオカマなお姉さん、あるいはストリップから逃げのびた幼い女と、ストリップを続けることになってある種あきらめ、人情にからめとられる友達。どの部分を切り取っても、脂っこくてカロリーが高くて胸焼けしそうなキャラクタたち。人情をだったり想いだったりという昭和のフォーマットをきっちりなぞりながら、でも実際のところは人物をそれほど深く掘り下げるよりは「そういう借景」を迫力もって見せるところが真骨頂。

ストリップ小屋に売られ、人生諦めた感じになった若い女がつぶやく、そこで世話になり生活をしていってそれを裏切れないというのはいい味わい。

なにより後半の漫画のような展開がすごい。金を取り返したホステスとその腐れ縁の二人がバイクで一路南下し福岡に向かうのを、ダイナマイト片手に爆破テロよろしく日本のそこら中で爆破事件を起こしながら追いかけてくるのは(実はそれほど丁寧に描いているわけじゃないけれど)、ほとんど漫画のコマ割りが目に浮かぶよう。それを支えるのはバイクにまたがるふたり、というシーンで、扇風機で風を起こし、ライトを客席に浴びせるというところまでは思いついても、そこから急角度でカーブし、タイヤを軋ませながら止まる、というのを、あんなにも時間をかけて(で、その表現としては正直スピードは欠けたとしても)大がかりに見せる、という壮大に無駄な感じにしても、体がとばされるほどの威力の拳銃、という設定を生かすために、体を吹っ飛ばすためだけに、インパクトドライバーでボードをたててみせるだの、物語に対しては明確にノイズやマイナスになりかねないあれこれが実に楽しい体験を生むのです。

牛水里美が演じる爆弾娘なヒロインがかっこよくて、低い声の魅力とあいまって啖呵を切る姿にしびれます。その相棒を演じた津波恵は静かでミステリアスな雰囲気の魅力。渡辺裕也が演じる中州のスナックのオヤジ、というのが、たとえばカンニング竹山のような人情に厚く、すこし弱気を含みながらも虚勢を張る福岡のオジサン、という風情でペーソスすら。オヤジと云えば用心棒で強面風なのに弱気という造型の竹岡真悟も実にいい味わい。チンピラのオンナを演じた徳元直子はこの座組の中ではほわんとした「スケ」っぷりでなんか見惚れてしまう。ストリッパーの姉さんを演じた土谷朋子は(背中越しとはいえ)スケスケなトップレス姿にどきどきしつつ、姉御っぽさがちょっと似合う感じ。そのストリップに売られた女を演じた藻田留理子は諦観しつつも心の強さが前にでる感じ、その秘めた感じがいい。ストリップ小屋の用心棒を演じた澤唯は斜に構えた感じの格好良さをまとい、まさに絵に描いたような悪役がキマります。なんか惚れてしまうのです。作演どころか音響に至るまで背負う江崎穣はまさかのオカマキャラでちょっとオイしい。

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【芝居】「大画質」げんこつ団

2013.9.7 14:00 [CoRich]

げんこつ団の新作。8日まで駅前劇場。120分。

母親から臍の緒が切れない人々や、消えた中間管理職の野生化、霊能力に頼った操作や強引なノー残業デー、マイナス思考禁止法案など、ちょっぴり毒を含んだようなオフィスや街角の風景の描写。時に底意地悪く、時に批評的に作家がえがく世界は相変わらずのげんこつ団節。毒はひところに比べればずいぶんおとなしくなった感じはするのだけれど。

病院で受診しようとすると、就職の面接風に志望動機を聴かれたりして、入社ならぬ入院したいと訴えると、働かされちゃうっていうのが今っぽい感じがしてちょっといい。エレベータのボタンを押してあたりがでると希望したフロアにもう1フロアおまけ、というコネタも結構スキ。

あるいはノー残業デーで帰れと促されるどころか脅される始末だけど、明日までに仕上げなきゃいけない仕事は確実にあるしそれを仕上げないと自分のクビが危ない、というのまあよくある会社員の風景のデフォルメとして面白い。

パロディ風味のネタは冴えていて、オフィスに新人で現れたのがどうみてもガラスの仮面・月影先生で、まわりが勝手に紅天女を心配して、自分がそれに出たいとまで浮き足立つというネタだったり、著作権ゴロのネズミがモザイク付きで登場してブラック企業だと訴えたりなんてネタもきちんと切れ味。

キャスト、団長も久しぶりに出演が嬉しい。植木早苗の圧倒的な安定とバリエーション、春原久子の実直な感じ、大場靖子(社長とは知らなかった)のコミカルを様々に演じ分ける多彩さ、川端さくらの(見た目に)女子力、久保田琴乃の若い男の子感。ずいぶん久しぶりにここに(緊急で)出演の菊川朝子はギャップを感じさせない溶け込み、きちんと。

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2013.09.08

【芝居】「僕にしてみれば正義」箱庭円舞曲

2013.9.1 18:00 [CoRich]

福島出身の作家・古川貴義が描く原発と戦争の物語130分。劇団としての20回目の公演でもあり、初めてのスズナリ。1日まで。看板俳優の須貝英がこの公演をもって引退するのも話題な千秋楽。

大地震による原発の放射線漏れは収まらない。避難区域の境界にある家だが、もうこのあたりの住民はほぼ居なくなっている。日本は中国と戦争をしていて、召集令状で兵役を課せられることになっているが、それから逃れようとする男女が、公安の目も届かないと考えてこの地区の空き家となった家で殺したくない死にたくないという理想を掲げて共同生活をしていて、兵役に行った息子の帰りを待つ母親や責任を感じて奔走する役所の人間など、わずかに残っている人々も彼らをサポートしている。
ある日この家の家主が兵役から戻ってくる。不法占拠状態の男女を前に戸惑うが、放射線が降り注ぐこの地で水を官邸に送りつけたり、あるいはここで子供をつくり育てて放射線の影響なんかないのだということを証明しようという彼らの活動に乗ることにして。

原発と避難区域、徴兵、慰安婦、少子化、格差、あるいはモラトリアムいうさまざまな話題を一つにぎゅっと圧縮してみせる物語。作家が持つ問題意識というよりは、怒りに近い感情をストレートに並べ、吐露して見せる感じがあります。働く男たちや家族を描く印象の強い作家だけれど、そのどちらとも違う語り口。原発と住処を追われる人々という強い怒りをベースにしながらも、「人が入るのに躊躇する地域」という避難区域という特異点で交錯する人々を描きます。物語の構造や会話のエンタメ的な面白さというよりは、そういう特異点ゆえに、少しおかしくなってしまった人々描く感じ。その造型ゆえに笑いが生まれたりはするけれど、その状況の哀しさがあとからじわりじわりと来るし、結論ではなくて提示してみせことや、「その先に描いているものは何なのだ」と繰り返し問いかける台詞には作家の逡巡がにじむようです。

開幕直後、まるで起振車のように地震で揺れる部屋そのものを芝居で見せたのは震災後初めてという気がします。舞台裏では人力で大変なようですが、その効果迫力は存分に。この作家がこれを描くというのは、小さなことに見えて、並々ならない覚悟を感じるのです。

徴兵から逃れたいと思う若者が人が容易に立ち入らない場所をモラトリアムの地として選び、そこに集う人々。想いは容易にひとつにはならず、単に人についてくる人だったり。場所ゆえに若い男女でも子供を作ることには慎重になるけれど、放射線は本当に悪いものなのかわからないじゃないか、それを体を張って証明しようという少々無茶な愛社精神というか正義感が暴走を始めたり、それに乗っかってどんどん混乱させていく後半にかけてのアナーキーさは、もしかしたらもうどうにもならないんじゃないかという諦観という気すらしてしまうのです。

徴兵されるだろう、なら逃げるだろうという当事者な感じに加えて、その周囲に描かれた人々、こんなにも漫画的なキャラクタなのに厚みや味わいが出るのは配役の妙でもあります。戦争に行った息子を待ち続ける母親を演じたザンヨウコは岸壁の母な感情を下敷きにしながらも、いわゆる女ではなくなりつつある更年期に設定し、エキセントリックで情緒不安定な(「情緒?不安定だよ」という台詞は、それを自覚しているのだといことを大爆笑とともに示す秀逸な台詞)女ではなくなったとしても母親ではあり待ち続けるのだという絶妙さ。あわせて、この役者ゆえに重くなりすぎず、さりとて軽薄だけでもないというバランスのすごさに舌を巻くのです。

あるいは近所の「金だけはある」優しいおじさん。どうせ徴兵とはいっても平等ではないだろう、結局は金次第なんだということを端的に描くキャラクタだけれど、演じる久保貫太郎は、それを絶妙に優しく、どこまでも人がいいという造型で。時折見せる絶妙なとぼけ方やダジャレはもはやペーソスの領域ですらあって、この造型を裏打ちするのです。

荒井志郎のセックスが好きでグダグダで、であからさまにダメ人間ぽい感じは、なかなか本拠地の青組では観られない新鮮な感じだけれど、確かにこの見目の良さにやけに説得力のある声ならば、そういう人生だってあるんじゃないかと思わせる説得力。緑色のテープレコーダーをずっと抱えている女を演じた片桐はづきは、おそらくはこうなる前の楽しかった頃の記憶をずっとずっと反芻していて、それが終幕にいたりもう一つの覚悟に。動かないテープレコーダーのことは多くは語られないけれど記憶の反芻と止まってしまった時間のアイコンなのだ、とアタシは受け取りました。 これが劇団所属での最後の公演となる須貝英はある種の潔癖な童貞感というか、純粋な感じはやはりこの役者の右にでるものはなかなかなくて、この物語の中でも重要な位置をしっかりと背負います。 スキンヘッドの男、うじすけは人が良さそうで、しかし目が笑ってないという怖さのようなものは確かにあって、これもこの場所の少し不穏な雰囲気をよく描いています。

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2013.09.07

【芝居】「OUR TOWN」フライングステージ

2013.9.1 14:00 [CoRich]

新宿二丁目の一角を、ワイルダーの「わが町」のフォーマットで描く80分。8日までOFF OFFシアター。そのあと、レインボーマーチに会わせての札幌公演。

1987年の新宿二丁目の朝から夕方、ゲイバーでアルバイトを始めたダイチ。この町で暮らす一家の大学生の息子、ケンイチ。二人はこの町の小さな予備校で知り合ったが、バイト帰りのダイチを偶然みかけたケンイチが声をかけて久しぶりに再会する。
2000年、二丁目のゲイバーなどと、地元の町内会による共催でレインボー祭りが開催される。そのボランティアスタッフとして参加した二人は久々に再会するが、二人には微妙に距離感ができている。
2013年、町内にある寺の大宗寺境内の墓場に集まる、この町ゆかりの人々、町を見守っている。

数百メートル四方の小さな町。内藤新宿に端を発した飯盛旅籠、色町、赤線として続いてきた町が、赤線の廃止によってあいた店舗のあとにゲイバーなどが増えてきたという背景。フォーマットを借り、wikipedia的にこの町の成り立ちを描きながらも、この町をおそらくは見続けてきたであろう作家が足したディテールが面白い。詳しくはないアタシだけれど、サンモールスタジオやタイニイアリス通いの中で目にした店名、あるいはなくなってしまった公園、店名の変わったスーパーやローカルコンビニに至るまでさまざまのディテールは街と共に歩んできた作家ゆえ。

この町で生まれふつうに暮らす家族に生まれたノンケな大学生と、ゲイバーで働くためにこの町に足を踏み入れたゲイの男、この町の初心者という体裁この小さな町にあるたくさんの店や、神社などを巡るガイドツアー。ごく普通の住宅街といういわば昼の顔と、色街からゲイバーに変遷してきた夜の顔という二つが交錯する瞬間。このシーンで描かれている、若い後輩を連れて店をめぐるというのもちょっといい。自分も先輩にそうして貰ってきたし、後輩にそうしてあげることがうれしいのは年齢を重ね経験を積んだからこそ云えるようになるわけで、それは街の厚みということでもあるのです。

ノンケとゲイ、友人ではあるけれどゲイから好意を示せば警戒されてしまうということ、それが現実なのだろうけれど、切ない。それでも、町内会と店舗、つまり昼の顔と夜の顔が共同で祭りを開くようになり、それを見守っている過去の人々というのは、この町への愛着と繋がった希望といった作家自身の優しい視線だとも思うのです。

この町の長い時間、さまざまな人々をたった7人で。母親を始め女性役を演じさせれば安定な石関準、誇張したおネエキャラの奥に厚みを感じさせる岸本啓孝をはじめとした常連で安心な役者陣たちが静かに紡ぐ物語は、それゆえに街への愛情に溢れているのです。

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2013.09.04

【芝居】「花の散りぎわ」年年有魚

2013.8.31 19:30 [CoRich]

年年有魚の新作。110分。9月1日まで駅前劇場。

交通事故で幼い息子を亡くした女は、三人姉妹の三女で、事故の直後に義母から責められ、退院してからも夫の元には戻らず静岡で長女夫婦が暮らす実家に居続ける。次女は東京で小さな会社に勤めるがその経営者と不倫している。四女の夫は高校生の頃の三女とつきあっていたが、大学生になった四女と再会して結婚した。四女は懐妊し、実家で出産をしたいと知人の助産師を依頼する。

ひし形の舞台中央は一部屋、その外側に回廊状にぐるりとひとかこみ、その外側は奥の側だけにもう一段の舞台。部屋の中のこと、別の場所の出来事を空間的には交錯するように描くのは暗転をなるべく減らすいい工夫。

物語の核となるのは、自らの不注意から招いた交通事故で幼い娘を失った三女と、彼女を許せない義母、三女の元の恋人を夫にした四女が三女も居るその実家で出産するできごと。四人姉妹という設定はこれを取り囲むように作られていて、長女夫婦はまるで姉妹たちの両親のように妹たちを見守り続け、しかし自らの娘もきちんと育て上げ。次女は不倫にはまりつつも、幸せのきっかけをつかんで。

事故を巡る三女夫婦と義母の話、正直に言えば三女が責めを負うということは匂わされているけれど、単なる不注意なのかどうかを読みとれずに、どこまで同情すべきレベルなのかを計りかねたアタシです。友人によれば、終盤、観客が固唾を呑んで見守るシーンのたった一言なのだといいます。時間がかかったとしても夫はなんとかこの妻をつなぎ止めたいとやっと迎えに来るに至る終幕での作家の視線は実に優しい。

あるいは、離婚を迫った義母を訪ねる長女の娘というすごく突飛な組み合わせの直前のシーンもいい。これからの未来は自分で切り開くことばかりなのだという視座の19歳と、もうあとは人に委ね、期待するだけの「残りの」人生だという義母のコントラストは後戻りできない人生の時間の流れを残酷に見せるけれど、亡くなった息子に変わって自分が孫のようにする、というこの無茶な物語の展開が実に面白くて、その突飛さが凝り固まった義母の心を優しく溶かすというのも実にいいシーンなのです。

あるいは、四女のことも三女のことも優しく包む実家とそれを守る長女夫妻の存在もいい。ふつうここには両親を持ってくるのだろうけれど、年齢のそう変わらない役者たちで成立させる一工夫。

物語の本筋とはいえないけれど、ちょっとした諍いをした会社経営者に酒屋の息子がコンビニ開業の資金を借りにいく、というシーンもちょっといい。事業計画もなしに単に(おそらくは無利子で)借りようとする甘っちょろい了見を粉々に砕く経営者はややヒールに描かれるけれど、云ってることは正しくて、暮らしていく人々、仕事をするということを地に足がついた感じで描く説得力があります。それゆえに次女が心離れ、という展開も実に優しい。

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【芝居】「『MOJITO』『想像』」BARHOPPER × MU

2013.8.31 14:00 [CoRich]

カメラマン・石澤知絵子のユニットBARHOPPERによる米内山陽子再演(私は初見)作と、MU・ハセガワアユムによる初の朗読劇は男女二人構成の役者を日替わりで。50分+休憩10分+40分。2日まで。秋にクローズが決定した乃木坂・COREDO。

女が男に手紙を書く。ずいぶん前に互いに恋人が居るのにたった一回、江ノ島でデートした男女、女は惹かれていたのに、連絡を絶っていた男。メールも届かないから、ちょっと弱っているせいか、男に手紙を書いた。果たして男からメールの返信が来る。女は道ならない恋ばかりの末に引っ越すしかなくなっている。その男はバリバリの営業職で結婚を考えている恋人も居る。男は昔のことが引っかかってもいて、心配して会って話そうと云うが、女は心惹かれているのに、頑として聞き入れない。「MOJITO」(脚本・米内山陽子 出演・古屋敷悠、宮田智香)
双子の姉弟。実家で暮らす弟に電話をかける姉。結婚相手がエロ漫画家だというので父親から勘当されている姉だが、父親が怪我をしたと聞いて心配で電話した。離れていても双子、心がどこかつながっている気持ちはある。二人には秘密があって、墓まで持って行く約束をしている。「想像」(脚本・ハセガワアユム 出演・小沢道成、渡辺まの)

指定席ならMOJITOが付いていたりするのも洒落ています。

「MOJITO」は 昔こころ惹かれたのに成就しなかった男女が久しぶりに心を通わせる物語。スキだけでは押し切れるほどに若いわけでもなく、女は弱っていてそれゆえに自分が一番輝いていたあのときの彼にむけて、もしかしたら届くかもしれないという一縷の望みの手紙。アテにはしていなかったかれど、果たして久し振りにメールのやりとりをするようになって。男は仕事に燃え恋人も居るから、心惹かれてもあと一歩を踏み出さない女という関係は膠着状態に陥るけれど、しかし連絡を絶つわけではなく。そうこうするうちにパワーバランスが変化する終盤。高校生じゃあるまいしな、駆け引きのようなそうでもないようなメールの応酬の、静かに燃え上がるような感じが少し眩しく、懐かしくてとろんと溶けるように甘酸っぱい。これほどに甘い物語を書くとは思わない作家だから、ちょっとびっくりする新しい魅力。

メールの応酬が単に往復するばかりじゃなくて、返事がなくて一方的に送り続ける瞬間があったり、再会に向けてどんどん短文に短いスパンだったりと、メールの行き来にリズムがあって、盛り上がる気持ちだったり、冷静に抑えなきゃという気持ちだったりを描き出します。

「想像」は 姉弟の秘密だったり、あるいはエロ漫画家の夫など、ガチにハセガワアユム節がめいっぱい。勘当された姉の八王子と実家の西葛西という、会うにはかなり億劫な距離感もいい。姉の旦那が描くエロ漫画に姉がそうしてるかも、という恥ずかしさというかいやな感じという序盤の台詞が、終盤に至り、ふつうの意味ではなくて、それが弟には想像できてしまうのだ、と隠し味のように効いてきます。 夫が義父を心配して勘当されているのに見舞いに訪れるシーンは弟の台詞だけで語られるけれど、その滑稽な必死さは目に浮かぶようで、どこかペーソスを感じさせてちょっといい。

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