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2013.08.30

【芝居】「木」ろりえ

2013.8.25 14:30 [CoRich]

ろりえの新作。130分。9月1日までサンモールスタジオ。

火山の島で暮らしている人々。金髪の少年は両親をすでに亡くしていて、森の奥の大木が好きな場所で、そこで過ごしていることが多い。村長の息子で人気者の同級生は仲良くしてくれるが、ほかの生徒たちとはすこし距離がある。ある日、東京から女子生徒が転校してくる。村長の息子は恋心を抱くが、彼女は金髪の少年のことが好きだった。その板挟みに耐えられなくなり、金髪の少年は島を逃げるようにして出て、東京に向かう。
東京に出た金髪の少年は青年になり、行き倒れ寸前のところを救われ工場で働くようになる。やがて恋をして女と慎ましく暮らしているが、目にしたテレビでは、島が噴火し、親の跡を継いで村長となっていた同級生が避難指示を無視して島にとどまっていることを知る。

そう大きくはないサンモールスタジオ舞台中央に顔を模したような大木がどどんと。タイトルそのままだし、客席に入った瞬間のこけおどしというか驚きというのはワクワクとさせるのです。

物語は大きく二つのパート。火山の島に暮らす高校生や人々。合唱コンクールに向けての練習とか、秘密の場所を親友に教えるとか、転校生への恋心とか、あるいは同級生への恋心とか夏休み前後のちょっとざわつく雰囲気。台風の季節の一夜の出来事によってできた気まずさから逃げるように東京編へ。第二部とクレジットされる後半は、青年となり働く日々だったり、その先の愛する人との生活を静かに描きます。男子のハダカとかのちょっと笑わせるような要素を盛り込みながらも、助けてくれた社長の息子への恩義とか、成長するすがた。あるいは神田川よろしく、つつましく暮らす若い男女の姿。

終幕近くに至り、噴火する火山の中で一人残った親友に出会うために島に向かうというものがたり。男は一人島に向かうけれど、残された女は宿った新たな命に嬉しい気持ちとなっているシーンは美しい。

正直にいえば、NHKのあまちゃん、な枠組みな感じは強いのです。地方と東京編という分け方や、災害を軸にしての再会の物語(とはいえNHKの方もこれからですが)だったり。

金髪の少年を演じた志水衿子は、久しぶりに拝見するけれど、こんなに巧い女優だったかと思うほど、抑えつつも芯の強さを印象づける好演、喋るときの多少の表情の癖が惜しい。そのあとに青年、中年を演じた天野峻、山岸拓生もそれぞれの年代な雰囲気をきっちりと描きます。親友を演じた高木健の格好良さも歳が進んでからの感じも、あるいは転校生を演じた中村梨那のちょっと大人びた陰のあるような魅力も印象に残るのです。安藤理樹の漁師ってのも面白い。制作を兼ねる徳橋みのりの終幕の表情の美しさも印象的。

もうひとつ正直にいえば、物語はおなかいっぱいというほどに濃密に詰め込まれているし決して飽きるということではないのだけれど、実時間の長さが少々損をしている感じは否めません。それぞれいちおうの物語はつけているけれど主となる物語には直接関係ない地元のカップルや妖精、合唱コンクールという小技それぞれもおもしろいのに、物語の柱に寄り添わないので単に使い捨てになっているようになっていて勿体なくて、それゆえに全体を長く感じるんじゃないかと思ったりするのです。90分ぐらいに圧縮したらなぁ、と、ろりえを観るたびに思うのです。

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2013.08.26

【芝居】「三毛猫と退屈」池上さん、他

2013.8.24 20:00 [CoRIch]

男に久しぶりに電話してきた女、8年ごとにあっていたのに、80年も間があいてしまった。あってみることにする。「君の君は僕」(全編公開)
女子小学生三人が好きな男の子の話をしている。いっせーの、で云ってみれば三人とも同じ子が好きだということがわかって、八王子に呼び出して三人で告白しようということになる「10歳の恋模様」
仕事がない夫、友人たちは仕事をもってくるが、じっさいのところ気だてのいい妻のために、ということがあからさまにすぎる。この夫婦、夫婦は気にいらないストレスなことがあると、かんしゃく玉を鳴らす。「かんしゃく玉」(青空文庫)(1, 2)
男の部屋には見知らぬ女が居座ってる。男はバンドマンだが、それをストーカー行為をしているのだ「対岸の人」
夫を亡くしている妻はふさぎ込んでだれとも会わないことにしてる。訪ねてきたのはがさつな大男「熊の吉田さん」()

「君~」はなんか壮大で詩的な感じすらする一本。久しぶりに電話する異性のちょっとどきどきする感じを8年とか80年という周期で描くのがなんかちょっとロマンティック。盛り上がったのに、あっさり女が別れを告げるというのも、そういう俯瞰してる感じで楽しい。輪唱ぽい終幕の演出もちょっとおもしろいけれど、物語というよりはダイアログと雰囲気が好きです。

「10歳の~」は恋に恋する小学生女子三人組のきゃっきゃする感じ。それでも三人一緒に告白しようという感じもなんか幼くて可愛らしい。直接自分を好きか訊くじゃなくて男の子が好きそうな消防車とか昆虫とかマクドナルドを例に挙げて(さらには意味不明なほどサッカーチームやクルマを挙げていく)、それと私どっちが好き、と二分法で質問していく感じも、嫌いな物とまで比較してすら、それがことごとく自爆していくのも、この年代の男子の恋心のなさ加減、恋に醒めたら女子たちが罵倒しまくるのもコミカルで楽しい。こういう軽快な会話劇、しかも小学生とはいえ女子三人(三澤絢香、岩井由紀子、大河原恵)の破壊力が凄い。

「かんしゃく玉」は岸田國士の一編。わりと原作そのままの描き方という印象だけれど、仕事に困る加減とか、夫の友人たちが妻によく思われたくて、しかも妻の方がきっと目があってというあたりが不思議と今に置き換えてもしっくりとはまる感じ。もともとはずっと小さいかんしゃく玉をハンドボールほどの大きさに設定して、爆音を重ねるのは、ちょっとおもしろい演出。もともとはうじうじ思い悩んでる感じを些細にぶつけるもの、という感じのものが、全身の恨み言を投げつけるようになって、印象が変わります。下手端に座ってしまったアタシはかんしゃく玉が破裂するたびに下手奥で何かが起きているのを見られなかったのは少々残念。

「対岸の人」は、ミュージシャンをストーキングし続ける女、忍び込んだところを家主に見つかってからの一場。冷静なようでいて向こう岸にいっちゃってるし、それなのにステージの虚像に憧れてるじゃなくて、肖像権といえるほど売れてないとか、先はどうなるかなんてことを冷静に判っているのに、それなのにストーカー、というのがちょっと凄みもあって怖い。それなのに突然冷めたように距離を取る女を逃がしがたいと思ってしまうミュージシャンのすとんと切り替わるオチが見事。ストーカーを演じた大河原恵はやや地味めに見えるけれど、それゆえに熱い気持ちの間違った方向の凄みが強い印象を残します。ミュージシャンを演じたトクダタクマはどんどん巻き込まれる感がコミカルで楽しい。

「熊の~」は原作からしてぶっ飛んだ話だけれど、熊を演じる吉田壮辰の見た目の熊っぽいインパクト、そこから徐々に可愛らしい感じになっていくのがちょっといい。言葉遣いの古めかしさをそのままにした仕上がりだけれど飽きるという感じではなく、作り物感が前面に出るようでこれはこれで面白いなと思うのです。

素早く書いてささっと芝居に仕上げてしまうという持ち味が若い作演出らしくて気持ちいい。それは作品というだけではなくて、役者をさっと集めてだったり、ほぼ素舞台に脚立とライトぐらいの仕込みで公演を打ってしまうという身軽さが実にいいなと思うのです。なるほど、脚本からワークショップ、仲間内の集まりまでなんでも請け負います、当日パンフのうたい文句そのままだなぁと思うのです。

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【芝居】「音楽と乳房」池上さん、他

2013.8.24 17:30 [CoRich]

池亀三太の新しいユニット。短編集で構成し、二つのバージョンを交互上演。こちらは落語・岸田國士の既存戯曲二つに彼の新作を一本で構成。25日まで参宮橋トランスミッション。65分。

先輩にスタジオに呼び出された後輩たち。いい歳をしてバンドを始めようというが、後輩たちは今更な感じで乗り気にはなれない。現れた先輩は東京に居る後輩がライブハウスのブッキングをしてくれて、一気に東京でデビューできちゃうのだと云う「スタジオの入り口で」
働かない亭主をやっとの想いで仕事に送り出したが、すぐに戻ってきてしまう。財布を拾ったのだといい、仕事にも行かず酒を呑んでしまう。翌朝、目を覚ました亭主に妻は、そんな夢まで見てしまうなんて情けないといい亭主は改心して仕事に精を出す。「シバハマリミックス」(原作・落語「芝浜」)(wikipedia)
飼っている犬が近所の靴をくわえて持ってきたり、近所の鶏をおそったりする。お節介なご近所が近所同士が気持ちよく過ごせるように直接話す場を作ろうと言い出す「犬は鎖につなぐべからず」(原作・岸田國士)(青空文庫) (1)

当日パンフで主宰自らが云うとおり、節操がなさすぎるラインナップだけれど、いわゆる現代口語演劇から落語に至るまでなバリエーションが楽しい。

「スタジオ~」は作家がめいっぱい得意な地方都市(勝手にアタシは北関東だと思ってるけれど、作家自身の故郷・佐賀でもしっくりくる感じ)の若者たちの風景。東京に出て行くことを諦めきれずに、しかしそのために着実な何かを積み上げることもしない感じだったり、東京といってもやや微妙な三鷹のしかもライブハウスのアルバイトだとしてももうめいっぱい東京をカサに着る感じだったり、という東京と地方というある種の格差を地に足がついた感じで説得力を持って描きます。だめなのにいろいろ行き当たりばったりな先輩、しっかりした妹、断りきれないからここに来ちゃったけれどもう我慢ならない感じの後輩たちにとどまらず、東京に行った後輩がほんとに邪悪な感じで描かれてるのがちょっとおもしろい。先輩を演じた遠藤真太郎は心底苦手なタイプだけれどしっかりとした造型。最後に残る男女二人を演じた曽原達裕と寺戸真里奈のシーンが実によくて、だからこんな街も嫌いなんだといって女が大声で泣き出すシーンがじつにいいのです。

「シバハマ~」は有名な落語の演目を、ぎゅぎゅっと圧縮する20分弱。夫を想う妻の勇気ある行動と結果としてそれに応える妻の夫婦愛が描かれることが多いのだけれど、それは序盤に前の「スタジオ~」から受ける場面を置くだけで、ダメ亭主に尽くす妻の想い、つまり夫婦愛をそこで語ってしまって本編でほとんど触れない感じにするのはちょっと新鮮な感じがします。妻を演じた横井恵美、ダメ亭主を演じた田島慶太のかけあいが楽しい。現代的な語り口にしてあるけれど、物語の骨子はほとんどいじらないのも潔いのです。

「犬~」はナイロン版を観てるはずなんだけれど、例によってすっかり記憶になく。飼い犬をどうするのかを相談するくだり、慇懃無礼だったり、あてこすりだったり、この会議を集めた男のお節介と無責任が同居する感じなのも、日本人の会議らしくまとまらない雰囲気が存分に。

どういう意図で主宰がこのラインナップを選んだかはわからないけれど、新作の自分の物語も、名作のリミックスにしても、あるいは名作をほぼそのままやるというやり方にしても、いろいろ試している感じがあって、もしかしたらそれは樽に仕込む前のウイスキーの原酒のような危なっかしさも、あるいは癖の強さも混じっていたとしても、こういうさまざまをやっちゃうし、そういう役者たちを集められる、ということは彼自身の覚悟を見るようで、ちょっとドキッとしてしまうのです。

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【芝居】「癒やし刑」ガラス玉遊戯

2013.8.24 14:00 [CoRich]

アタシは初見のガラス玉遊戯。25日まで王子小劇場。105分。

人間関係などで苛つく感情をプラスの感情に変換したり、過去の嬉しかった体験を繰り返し脳に送り込む研究がすすんだ。薬剤では2時間が限度だが、同じ機能を実現するメンタルペースメーカーという機械を体内に埋め込むことができるようになった。費用はまだ高く大企業が心の病を患った社員に対して福利厚生として提供するような形態が多い。
トンネル事故で助かった妻と助けられなかった娘。両親は娘が見捨てられたと深い傷を負っていて、助けた男すらも逆恨みに近い状態になっている。夫はそのストレスを装置によって解消していて、クリニックの職員になっている。
提供する会社の広報誌のライターがクリニックを訪れる。ストレスから仕事にいけなくなって2年経つ男とその妻、人間関係のストレス、事故の心の痛みから回復できない男などがクリニックに通っている。記憶の改竄に等しい行為に違和感を持つライターは患者たちに個別に話を聞こうと考える。

もしかしたら将来できちゃうかもしれない、ストレスコントロールの技術を描いたSF仕立て。SFが流行らないといわれる昨今だけれど、見応えのある物語を作り出します。

チラシや当日パンフで物語の主軸として据えられているのは事故で娘を失った夫婦と、娘を見捨てたと思われている男の関係。妻だって偶然助けられただけなのに、娘が見捨てられたというのは逆恨みにも近い感じになっていてどうにも同感できる感じにならないのが勿体ない。ずっとその男と妻と娘だけでドライブにでも行っていた、という恨まれるだけの別の理由があるのだと勝手に補完して読みとってたりもしましたが、たぶんアタシの勇み足。

もうひとつの軸となるのは、そのメンタルペースメーカーによって起きる事故などのマイナス面を目の当たりにしてもなお、その機械の裁ち難い誘惑から逃れられない人々のものがたり。 ストレスを受けるということは回避すべき危険があるということなのに、そのストレスを前向きのエネルギーに変えることが、実は危険な側面を持つのだということを背景に持ちながら、しかしそのストレスのない(というよりはあらゆることがポジティブに感じられる)生活をもう捨てることができない人間のある種の弱さを静かに描きます。 実際のところ、こちらの軸のほうが物語に説得力があるように思うのだけれど、チラシなどでは触れられていないというのはちょっと不思議な感じがします。

正直に云うと、物語の世界を支える肝心のメンタルペースメーカーの着想はおもしろいのに、描き方の詰めが少々心許ないのが勿体ない。機能の説明がややぶれる感じもします。昔のポジティブな感情を増幅して一種のドーピングを行う機器という説明と、ネガティブな感情を変換していわば記憶の改竄を行うのだと描かれたりして、どういう機械なのかよくわからない感じになるのです。あれ、もしかしてネガティブな感情のエネルギーで昔のポジティブな感情をドーピングするってことだったか、あれれ、ちょっと私の記憶が曖昧ですが。

ライターを演じるヒザイミズキが静かに燃やし続ける正義感の造型をしっかり。観客の視座に一番近くフラットに。優しくいい人にみえてしっかり経営者という食えない男を演じた林剛央、クリニックの中に居ながらすこし批判的な位置に居る宮崎雄真の造型がちょっといいし、この機械に翻弄される患者たちの中でも気持ちが揺れ動く女を演じた菊池未来に説得力を感じます。

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【芝居】「第三次性徴期」親族代表

2013.8.17 19:00 [CoRich]

何年ぶりか、という親族代表のライブ、初めてのスズナリ。100分。18日まで。

移動を命じられた先はいわゆる追い出し部屋で「AIR...」(作・佐々木充郭)
だるまさんが転んだ、と遊ぶ子供だが実はそのルーツとなった男が居て「だるまさん」(作・川尻恵太)
引っ越し会社、社員の一人は若い女性の下着を必ず盗んできてしまい、それを返却に行くのは課長で「シマムラ 引越センター」(作・ブルー&スカイ)
職質を受ける男、チャンピオンになるのだというが「IWGP」(太一人番外編/作・佐々木充郭)
バーに来る男の悩み、全身では泣いているのに、涙だけが出てこない「泣きながら15分で書きました」(作・前田司郎) 自分の金を使い込んだスナックの女性に怒る客。彼女が云うには新聞を読んで憤ったことがあって、ならば世の中を変えるしかないと選挙の供託金にしたと「小川町二丁目1333番地物語」(作・福原充則)
誘拐した子供に目を離した隙に逃げられてしまう犯人たち。でも母親は身代金を持って待ち合わせ場所に向かってしまっている「竜太」(作・ケラリーノ・サンドロヴィッチ)

どちらかというと小劇場界隈な役者のコントユニットに、豪華な作家陣。あとからみればああ、作家らしさが出てるなとも思ったり。

「AIR..」は会社員として明日は我が身な追い出し部屋、何もすることがない日々の圧迫、というその特性を文字通りに空の企画書で「ごっこ遊び」のようにという逆手の取り方。企画書がややそれっぽい感じの中身を感じさせるのが勿体ない気もして、これがホントに空虚なものなら更におもしろいんじゃないかと思ったりもするけれど、それじゃシティボーイズか。裸の王様と王様の耳はロバの耳、という微妙に似てるような似てないような童話をごっちゃにするのがおもしろい。

「だるまさん」は誰でも知ってる遊びを根っこに。子供の死を戒めるのだといういい話に持って行くかとおもいきやあっさりとどうでもいい話にうっちゃるのがおもしろい。

「シマムラ〜」は単に下着ドロな引越業者にそれを返却するためだけに女性の管理職を置くという発想のぶっとび具合がさすがにブルースカイ。その女性をなぜ雇い続けるのかの疑問は劇中で語りつつも、竹井亮介演じる下着ドロをやめられない完全にダメなオジサンをなぜ雇い続けているのかというあたりをスルーするのに観ている最中はそれを疑問に思わせないのが見事。ややうつむき加減で地味なスーツ姿に造形の課長を演じた峯村リエがやけに色っぽく。

「IWGP」は、40歳が、あきらかに目のないボクシングでリングに立つぐらいのことを心底信じてるというオジサンのダメさというか無謀さの嶋村太一の造形がいい。ポジティブもここまでいけば、というのも笑えるけれど、アタシだって職を失って、もし何かそういう夢を信じてしまえばやりかねないんじゃないかとちょっと怖くなったりもして。

「泣きながら〜」はバーで話す男ふたり、ひとりが気持ちは泣いてるのに涙が出ないという悩みがなんか深刻っぽいのに、涙は尻から、目からは精液っていう病気なのだという無茶な展開。それをオチにしてもいいところから更にヤブ医者だと決めつけてその語源という蛇足感が楽しい。

「小川町〜」いわゆる泡沫候補のワンアイディアから始まって、上り詰めちゃう感じはなんかスーダラ節が聞こえてくるようで楽しい。よく考えたら、それもこれもすべて女のために、という壮大な、しかしこうなると笑えるを通り越して凄みを感じさせそうな話なのに、どこかなよっとした野間口徹(すっかりテレビの人だ)の造形が見事なのか微塵も感じさせないようにするのがちょっといい。

「竜太」は子供もおばちゃんも見事に両方こなしてしまう峯村リエがあってこそ、という話。犯人三人組があからさまに負けてるのがおもしろくてバランスがいいのです。

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2013.08.18

【芝居】「cocoon」マームとジプシー

2013.8.17 15:00 [CoRich]

今日マチ子の代表作と云われるマンガで、沖縄戦のひめゆり学徒隊をモチーフにしながらもフィクションである原作で圧力のある舞台を作り出す130分。15日までの予定が18日までの延長上演。東京芸術劇場シアターイースト。

南の島、中高一貫の女子校、クラスではいつものように授業もあるし、小さなグループで噂話をしたりもしているが、戦争中。爆撃もあるしガマ(防空壕として使われた洞窟)もある。戦況は悪化し、看護隊としてガマに作られた病院に送られる。敗戦は濃厚になり、負傷兵はあふれ、食料も薬品も不足し、爆撃も激しくなってから、この壕を軍隊に明け渡すために看護隊を解散するよう軍から命じられる。海まで走り切ればあるいは助かるかもしれないという気持ちで教師は逃げ切れという。

今日マチ子といえばアタシにとっては週間モーニングの「みかこさん」がなじみ深い漫画家なのだけれど、この絵柄で戦争をモチーフにしたフィクションなのだということにまず驚きます。。まだ原作を開く勇気はないけれど、チラシにあるとおり、確かに「憧れも、初戀も、爆撃も、死も」描かれます。舞台は現代の女子高生たちの日常という雰囲気で始まるし、過去にあった沖縄戦の悲惨を描きつつ、「これはいつの時代の話だろう」と現在のさまざまな危うさへ繋げるような構成。が、作家にはそういうこととは違う何かの意図もあるようで、ほぼ日に連載された作家による稽古場日記では「かわいそうな少女たち」を描くのが目的ではないといいます。悲惨さにあふれる中でも中でも少女たちは楽しいことを見つけて嬉しくなったりおしゃれしたかったり、絵を描いたり描いて貰ってという小さなことを積み重ねたり、あるいはずるかったり、あの子イヤだなと思ったり、仲良くなったり、喧嘩したりという日々。生き続けていたはずの少女たちの日常を描く、のだとアタシは感じたのです。

正直に云えば、たとえば「はだしのゲン」だったり「ふたりのイーダ」だったりと、映画にしても演劇にしても戦中を描くものはことごとくトラウマのように拒否反応のあるアタシです。NHKだったりのドキュメンタリーはきちんと見られるけれど、そこに「物語を乗せ」て心を動かそう、という感じがちょっと苦手だったりするのです。今作もそういう意味では同じようなテンションの低さで望んだアタシです。もっと正直に云えば、(ダンスのように動き続ける)女優たちが疲労していく様だったり、あるいは単なる大音響だったりに見続けてしまったけれど、これはこれで相当に悪趣味な感じではあります。

たぶん絵柄のこの柔らかさゆえに悲惨な物語とのバランスなのでしょう。生身の人間が演じるには、(砂の上を走ったり滑ったりということも含めて)リスクが高い芝居だと思うのですが、きっちり演じきっています。原作では兵隊さんなど男たちは「ぼんやりとした白い人間の形をしたもの」とだけ描かれるようですが、流石に芝居でそうするわけにもいかず、生々しさが先に立つのは痛し痒し。

もうひとつ、奥行きを持たせた舞台で両脇をコの字に囲む客席という構成は三鷹の時と同じだけれど、あのときとまったく同じで正面に対してしか芝居を構成できないということはまったく改善されていません。窓かマンガのコマ割りだったりという木枠の動かしかた、両脇を前後に動く背の高い台車が視界を遮って観客のストレスになるということだったり、ならば横の客席からは別の視点のように舞台が構成できているかというと、アタシにはまったく感じられないのです。たぶん正面ならば物語に没入できるのでしょうから脇の客席をつくるというのをあきらめるべきなのだと思うのです。(指定席なら安くする手もあるでしょうが)

当日パンフは繭の形にかたどられ、うっすら黄色でタイトルが印刷されていたりと、手作り感満載だけれど、きちんと物語の世界に寄り添います。 マユ(繭)を演じた菊池明明は格好良くて瞬く間に女子校の「王子様」になるけれど、少なくとも舞台の上では「彼」だということは明確に語られない感じ。サン(蚕)を演じた青柳いずみはどこまでも少女、相当にストレスのかかる役だけれど。途中で袖のないワンピースになるのが他の少女たちとは少し違う立場に「羽化した」のだということをみせるようで印象的。 語り部を兼ねるサトコを演じた吉田聡子は、マームとジプシーの世界をしっかりと作り、少女の意地悪さみたいなものが見え隠れして楽しい。教師を演じた山崎ルキノはこれも辛い立場の役だけれど、確かに誠実な役をしっかりと造型。

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【芝居】「雨と夢のあとに」キャラメルボックス

2013.8.16 19:00 [CoRich]

7年ぶりの再演(初演)。18日までサンシャイン劇場、そのあと大阪、名古屋。13歳のキャストが居るため限界の21時前には舞台に居なくするようにするために115分見当。

突然の死、それでもこの世に未練や心配事のある人々を描く物語。原作がどうなのかは未読なのだけれど、テレビドラマをうっすらみて、初演をガー泣き(でも物語の記憶は薄れているのがアタシですが)したのを経ての再演。確かにうまく作られていて、死んだことを知らなくても父親の姿が見えるという意味でちゃんと幽霊なのだ、という説得力があるし、別れた子供を想う母親、あるいはライブハウスの夫妻が実の子のようにかわいがり、祖父母だって、隣人だってしっかり見守っているというある種の安心感が物語を支えているのです。

正直に云えば初演ほどのガー泣きには至らなかったアタシです。物語に関心しつつ、どこか、これはもうアタシには関係ない(少なくとも自分が親や祖父の立場ということはなさそうになりつつある)物語ということを感じてしまったという7年の時間の流れということかもしれません。それでも、たとえば想いがあるのに(過去の許せなかったことが壁になって)見えなかった人に幽霊が見えるようになる瞬間やシンプルなパネル一枚で作り出す観覧車の二人きりのシーン、さらには去っていく二人というシーンなど、泣くと云うよりはじんとくるシーンはもちろん健在で見応えがあるのです。アタシには想いでというか少々甘酸っぱいスイートベイジルSTB139の台詞が残ってるのも嬉しい。

少女を演じた吉田里琴は初演の天才子役と謳われた福田麻由子に比べてしまうと少々分が悪いけれど、確かに中学生の瑞々しさや潔癖さは印象的で、また違う少女を紡ぎます。父親を演じた大内厚雄は暖かさ、時に天然っぽくボケたりしつつ真っ直ぐに向き合うという造型をしっかり。初演に続いてライブハウスの妻を演じた楠見薫はこのまえよりはコミカルに振った感じ。夫を演じた岡田達也は初演では父親だったけれど、EXILEかと思うほどの日焼け感というかヤンキー感でボケ倒したりもするのが楽しい。息子を演じた鍛冶本大樹もまた彼だと気づかなかったけれど、なんか凛々しくカッコイイ。なるほど、もう一本(ずっと二人で歩いてきた)のこの役で笑いが起きるのはそういうことか。岡内美喜子の優しさと怖さ振れ幅をしっかり。正直にいえばこの劇場の規模だと解像度がもう少し欲しい感じはあります。

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【芝居】「お酒との正しい付き合い方」月刊「根本宗子」

2013.8.16 16:00 [CoRich]

バー公演が丸一周年、看板女優と主宰による二人芝居40分。18日まで四谷三丁目のバー・夢。

朝から夕方まで連日行われるマンションの外壁工事がうるさくて、夜勤の看護師の姉とキャバクラ嬢の妹の姉妹は眠るために午前中から酒を飲んで午前中なのにべろべろになっている。が、やっぱり工事の音はうるさくて寝られない。姉妹は壁に貼ってある好きなKAT-TUNのポスターをつまみに話をする。

当日パンフによればそれほど酒を呑まないという作家、彼女から見ての酔っぱらいの会話を彼女なりのリアルで描く、という趣向だそう。 意識的かどうか、コントのようにぺらっぺらに薄い酔っぱらいを造型。同じことの繰り返しだったり物忘れだったりとの典型的に描きながら、時に大家に家賃の割引を交渉しようというナイスアイディアが出たりもするけれど会話がおぼつかなかったり、あるいは電話したときだけ工事が止まるというコントっぽいシチュエーションを通して酔っぱらいを描きます。

姉妹はアイドル好きだよねえというあたりからが、作家の本領発揮。コンサートで私に手を振ってくれたと喜ぶ(後からファンになった)姉に、そんなのは誰もが通ってきた道だと説く妹。この距離感の差が巧い。かと思えば、明らかにアイドルの偽物からの迷惑メールを真に受け、アイドルとつきあっているとまで思いこんでる妹、止める姉というのもいいバランスの会話。

かと思えば、妹は終盤に至りアイドル自体が虚構で、それを信じさせるというのがアイドルの力、自分がそう思いこんでいればそれは真実なのだと、突然哲学めいたところに切り込み、写真週刊誌にアイドルの男女関係が載るというリアルに対しては突然醒めてしまうという着地が見事。酔っぱらいという枠組みのおかげで、時に真理を突くような鋭いことを唐突に言い始めてもそんなに違和感がないのがすごい。あるいはネタ的に挿入される「冷静と情熱のあいだ」という言葉が、この後半部分を端的に表しているのも楽しいのは、まあ、「あまちゃん」にずぶずぶハマっているからなんですが(笑)

信じればそれは真実になる、というネタで、工事だってしてないと信じれば、というのは物語全体のオチとして機能しているかどうか怪しいところだけれど、落語のいくつかのサゲがそうであるように、延々続くかもしれない物語(あるいは会話)を止めるためだけの役割、という感じてもあって、この軽い感じはちょっといいなと思うのです。

短い時間で、隙間に詰め込みやすいという意味で、あるいは新宿から高速バスを使うアタシにとってという意味でもいろいろありがたい公演のシリーズです。前日に観た七里ガ浜オールスターズの役者7人、しかも貸し小屋の公演と同じ2800円という木戸銭(で、こちらは関係は不明なれど、根本ビルだ)が妥当かどうか、ちょっと考えちゃうのは事実なんだけど、紡がれる物語の時にみずみずしく鋭い感じが好きで、やっぱり通ってしまうのです。

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【芝居】「オーラスライン」七里ガ浜オールスターズ

2013.8.15 20:00 [CoRich]

一年半ぶりの七里ガ浜オールスターズ。19日まで雑遊。70分という短い時間と平日20時という遅めの開演時間が嬉しい。

大きなミュージカル劇団のオーディションで、いくつかに別れて設定されている控え室。自信満々でポジティブな若い男と、自信なさげな若い女、なぜかミュージカルができるようには思えないおじさん4人が面接の呼び出しを待っている。

それぞれのおじさんたちの背負うもの、自分を変えたいだったり、鬱屈とした職場の空気を打破したいだったり、上司に云われて、だったり、金目当てだったり。これまで別の生活をしてきたのにおよそ似合わないミュージカルの舞台を踏もうというそれぞれの理由。若い男はもちろんミュージカルでやる気満々。対して若い女は少女の可憐さ、というには少々年齢が進んでいるけれど、注目されるうれしさのようなものへのあこがれに対してどうしても自分ができるとは思えない自信のなさ加減。どちらかというとこの若い女の気持ちにアタシは寄り添います。それを見透かすように守りたいと思う気持ちのおじさんたちはぴったり。見た目にはどんなに疲れていたって純な人々。

物語の面白さというよりは役者たち、それも実力十分でペーソスあふれるおじさんたちというキャラクタを見ている、ということが主眼にある芝居だと思います。正直に云えば、その役者の佇まいや雰囲気をどう楽しめるかでずいぶん印象は変わりそうです。 コーラスラインというミュージカルは舞台も映画も見たことはないけれど、コーラスするだけの名前の出ないキャストたちの人生をあぶりだすのだといいます。それがもっと輝く時間が残り少なくなったおじさんたちの「オーラス」感がいいペーソスを生むのです。

何より破壊力があるのは、森田ガンツ演じるジャージ姿の、もう初老に近いおじさん。上司の命令、といいながらあっさりととんでもない職業を口にするということの空間がゆがんだ感じになぜか違和感がないというすごさ。名詞を渡すだったりという、これぞサラリーマン、というリアリティのある芝居が婚前するおもしろさ。 あるいは営業職だという会社員を演じた野口雄介、役者として拝見するのはずいぶん久しぶりだけれど、ムードメーカーっぽい感じにしても、飄々と見えて、前向きに仕事をする感じというのもなんか彼っぽいキャラクタで印象的。スタッフを演じた瀧川英次は、どうして芝居を続けているのか、という長い長い台詞が圧巻。

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【芝居】「ベッキーの憂鬱」ぬいぐるみハンター

2013.8.14 18:30 [CoRich]

ぬいぐるみハンターの新作。千秋楽は駅前劇場をしっかり超満員に、ダブルコール。14日まで。80分。

文化祭にざわつく高校の校内。学級委員はクラスの出し物にお化け屋敷を無事に勝ち取り、熱い想いで準備を始めようとしているが、野球部は当日が練習試合にあたるし、万年補欠も暖めていたお笑いで出ようと考え、イケメンはバンドでも出るし、文化祭委員はクラスどころではなくもちろん忙しい。毎日遅刻してくる男とその女はなんか怖くて近寄りがたい。なにより心配なのは留学生だけれど、学校に出てこなくなってしまったベッキーのことだった。
そのころ学校ではウサギ小屋のウサギが何度も殺される事件が起きている。不良がウサギ小屋に居たという証言もあるが決め手に欠ける。文化祭に向かって徐々に盛り上がってきたが、生徒会長はウサギの殺害が近隣住民に不安を与えるとして文化祭の中止を決める。

駅前劇場の規模で17人構成。しかも走り回る疾走感が作れる劇場ではありません。時にコミカル時にかっこいいダンスを挟みながら、舞台の何カ所かに小さく集まった人々やホームルームといった場面を転換していきながら、学校という場所を作り出します。そういう意味では段ボールで作った張りぼてのような(シンボリックな)黒板や体育館というのも文化祭っぽい雰囲気を盛り上げます。

熱い独りよがりな学級委員といまひとつついていかないクラスメイト、あるいはそれに想いを寄せる女子。あるいは万年補欠で冴えないけれど、文化祭でいっちょ一旗をお笑いで、だったり、かっこいい男の子に文化祭委員ゆえに声かけられて舞い上がる地味な女子だったり、あるいはちょっと恐ろしげな不良だったりと、良くも悪くもいろんな人々がごった煮になってるという高校という雰囲気がよくでています。 すっかり子供の心象風景という今までの持ち味から離れたものも何本か作るようになっていて、わかりやすいボーイミーツガールとも違うもうすこし淡い恋心のようなものが点描されるようにもなっていて、作家が描くことの幅が広がっていることを実感します。

イケメンがバンドやりたくて、締め切り後にステージに入れて欲しいと、普段は地味でおそらくは声をかけたこともないような女ふたりに、文化祭委員だからという理由で声をかける。舞い上がりまくる女子二人も楽しいし、あるいはイケてない野球部補欠な二人がお笑いをしたいから3分ほしいといってもわりと冷たく突き放す、というわりと残酷なスクールカーストの描き方がちょっと好き。もっともあたしはそのどれでもなくてなにもしなかった、というクチなので共感というのとは違うのですが。

そういう意味で作家の描く淡い恋心の女子、というのがじつは結構好きなアタシなのです。熱い学級委員にほのかに恋心を寄せるもう一人の学級委員だったり、イケメンと文化祭委員(とくに保健室なんかとてもいい)にしても。

学級委員を演じた山岸門人は暑苦しさすらある熱い学級委員で引っ張ります。それに寄り添うもう一人の学級委員を演じた神戸アキコは可愛らしさもあるし、突っ込みまくる感じもいい。実はキレキレなダンスも。文化祭委員を演じた浅利ネコのいざ男が迫ってきそう感じる照れと妄想が可愛らしく、楽しい。ほぼ一人でヒールを背負う竹田有希子は色気だったり度胸だったりでしっかり。不良を演じた猪股和磨は怖い感じからそのまま心優しいというのはステロタイプなキャラクタだけれど、なんか木訥だったり微妙なダサい感じとかがそれを裏打ちしていて、とても見応えがあります万年補欠なお笑いな二人を演じた森崎健吾と津和野諒は、二人の絶妙さもいいし、不遇な感じだけれどヘコタレないのがダサかっこよくて、いいなぁと思うのです。

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【芝居】「ずっと二人で歩いてきた」キャラメルボックス

2013.8.14 14:00 [CoRich]

「雨と夢のあとに」(初演)の後日譚という形で描くもう一つのものがたり。当初予定されていなかった大阪での公演が追加されています。110分。17日までサンシャイン劇場。

大学生になる女は東京に引っ越してくる。心配した実家暮らしの友達が一緒に暮らそうと説得するが一人暮らしに選んだアパートの隣には酪農を学ぶ大学院生の男が住んでいた。母代わりの伯母夫婦は苫小牧で男が戻ってくるのを待望しているが修士、博士と帰郷を延ばしている。
男は子供の頃家を出た母親を追って札幌から東京への兄との道中を描いた児童文学が認められている。その兄はすでにこの世には居ないが、男にはその兄の姿が見えていることに、女は気づく。自分も5年前に経験したのと同じことが起きているのだ。

人気作の登場人物の一部と断ち切れない想いゆえに現れる幽霊という枠組みを借りながらも、ぎゅっと濃密に短めな5人構成に。前作では子供だった主人公・雨が自立した大人への一歩を踏み出そうとする瞬間を淡い恋心の瑞々しさとともに描きます。

地の物語に加えて、兄と弟の物語の朗読を挟んでいく構成。母に捨てられたこと、母に会いたいという弟の想いを実現し守り抜こうとする想い。万引きやヒッチハイクに象徴される守るためなら何でもするしやり抜くという行動力とその強さを描いていきます。

愛する人を残したままの死という無念ゆえに現れる幽霊、残された側がそれに囚われ続けると云うこと。物語は物語として、それでももう死んでいるということも幽霊は居ないのだと自覚したとしても、突然の人の死はそれが気持ちの上で近しい人であれば、生活のふとした瞬間に時々ふっと現れるということがあるということもなんか実感として感じる、というのはアタシの個人的な体験ということかもしれませんが。

大学生の女を演じた原田樹里は時にはしゃぎながらも真っ直ぐさを前面においた造型。カーテンコールの明らかにアドレナリン出まくりな舞い上がりっぷりも微笑ましい。それを支える友人の男を演じた筒井俊作はコミカルに造型しながらも、友人を心配する気持ち、優しさが印象的。想いが片想いっぽいのもちょっといいし、終幕で新たなステップを予感させるのもちょっと幸せな気持ちに。隣に住む大学院生を演じた多田直人は繊細な役をしっかり。物語のキャラクタではないけれど、この静かなままにツッコミを入れるというのもいいスパイス。兄を演じた加治将樹は気性が荒くしかし優しさというある種のヤンキー造型はシンボリックにすぎるといえばそうだけれど、私は割と好きな人物だったりします。大学院生の母親を演じる坂口理恵はもう、私は彼女が舞台に居るだけで喜んでしまうので冷静な評価じゃないけれど、コミカルも優しさも厳しさも併せ持つ母親像を好演。

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2013.08.16

【芝居】「なべげんっぽい三人姉妹」渡辺源四郎商店

2013.8.11 14:00 [CoRich]

毎週日曜日の上演を4週間繰り返すという、地元のみでの上演のための企画公演。11日までアトリエグリーンパーク。80分。千秋楽は早々に完売で夕方に追加公演を設定。

3時間を超える上演が多いチェーホフの戯曲の骨子や登場人物もほぼそのままに、ぎゅぎゅっと半分以下に圧縮。芝居の成り立ちのような解説もつけて。どういう魔術かはわからないけれど、ともかく一応の流れをきちんと見せるというのはちょっとすごい。

モスクワから離れて暮らす三人姉妹は「ともかくここではない、ここよりはいいだろうどこか」に憧れ続け、その象徴としてモスクワ、という場所を言い続けます。今回の演出では天井からモスクワっぽいオブジェ(デコレーションケーキを逆さにしたようにも見える)が吊られ、「モスクワ」という台詞のたびに、全員がスポットライトを浴びたそれを見上げます。頭の中に思い浮かんだであろうそれぞれの「モスクワ」という感じ。

長女を演じた工藤由佳子、行き遅れた(失礼、ホントに)引け目感が似合うのが素敵。ゴメンナサイ。次女を演じた三上晴佳は背骨の一端を背負うけれど三人姉妹の普通の解釈である奔放になりきれないのは作家やドラマターグの解釈なのか、あるいは役者のキャラクタなのか判らないけれど次女の見せ方としては珍しい。 三女を演じた夏井澪菜は可愛さを前面に押し出した造型で、安心して観られるイリーナをつくります。 長男の妻を演じた奥崎愛野は序盤の控えめからの立場の変化による豹変のダイナミックレンジがいい。 男性の俳優が少ない座組において、本当は男性の役というのを女優(山上由美子、秋庭里美、西後知春)に振るのは仕方ないこととはいえ、今いとつ効果が見えづらいのが残念。工藤良平は人の良さが前面に出ているし、佐藤宏之は静かに支えるような雰囲気など、男性を女性たちの憬れよりも女性たちの気持ちを支える感じなのはちょっといいのです。

正直にいえば、役者の技量の差が意外なほどについてしまうのも残念ながら現実。普段のオリジナルならば、役者の力量やキャラクタにあわせて、ということも可能でしょうが、要所の台詞(の骨子だけにせよ)を戯曲に縛られる既存戯曲では、役者が言い慣れない台詞もあるわけで、役者の個性に引き寄せるまで至らないと相当に厳しいとも。

青森市を拠点にして、そこで生業を別に持ちながらも高校生を含め役者を育て、東京に持ってきても遜色のない作品を作り続ける彼らです。三人姉妹という物語の中で、地方と東京という構図が見えるように作るのだろうなというアタシの勝手な予想は外れました。トークショーによれば彼らはこの土地で暮らし、生き続け、しかも芝居を作るという道(とはいいながら、まあ、東京での活動をしている人も多いのだけれど)を選んでいるのだといいます。東京をあこがれの場所とするのではなくて、ここでちゃんと暮らしていくという心意気、と思ったけれど、それはきっと心意気でも何でもなくて、ごく当たり前のことなのでしょう。東京に持ってきてよ、とか東京に行きなよ、というのはなんて独善的なことだろうとも思うのです。

おお維新派、福岡のギンギラ太陽'sにしても、あるいは(たぶん東京の施設では作れない)松本の空中キャバレーにしても、東京の芝居の巡演というのとは別に、ここに来なくちゃ見られない、という演目が増えていくのは、本当はとても豊かなことだなと感じる昨今なのです。行き慣れた街、というのが何カ所かあるっていうのはちょっと気に入っています。もっとも観客は確かに大変だし、今のところはなんとかなっても自分の経済が立ちゆかなくなることもあり得るわけで、そうすると会えなくなっちゃうんだよな、ともおもったりするわけですが(笑)。

横浜・東京を離れて信州で暮らすようになって3年がすぎたアタシですが、離れた瞬間から今なお東京とか演劇というものから離れられずに週末ごとの上京を繰り返しています。平日は地方暮らしをそれなりに楽しんでる(まあ呑んだくれてるだけ(笑))つもりですが、それでも観光地としても名高い信州に居てもなお、未練がましい感じだなとも自覚されられたりもしたのです。

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2013.08.13

【芝居】「新体操、さゆり」ズッキュン娘

2013.8.3 19:00 [CoRich]

大学の新体操部を舞台としながら、単なるスポ根とは違う少々癖のある75分に、物語の終盤で登場する路上アーティスト役のミュージシャンのライブ15分とセットで構成。4日まで新生館シアター。来るたびに劇場が徐々に変わっていて、進化が嬉しい。

新体操部のさゆり、本番に弱くて大会の団体戦でミスはしたものの何とか大学は勝ち進んだ。ミスをチームメイトに責められたことをきっかけに、練習を一週間も欠席してしまう。親友が説得して練習に出たが、その穴は大きく、団体戦のメンバーからは外されて補欠となる。個人戦ならば得意だが団体戦が不得意というより人が怖いということは自覚していて、補欠となったことを切っ掛けに自分を革命的に変えてしまおうと考える。 おそらくは暗い、後ろ向きな気持ちにきちんと向き合ったのだ、というおそらくは作家の過去の経験から描き出された物語。どの部分が彼女の経験に立脚してるのか、どの部分が創作かは知る由もないけれど、エンタメだけで押さずに主人公が序盤と終盤で同じように失敗したとしても、彼女自身の感じ方がどう変わったか、ということが今作で描かれる成長なのだと思うのです。そういう意味では作家自身の物語ではあっても、そのほかの人物たちが書き割りのように薄っぺらになってしまう危険性はあるのです。

主役を演じた南美櫻は暗い序盤から打って変わったような明るさ(なのになぜか嘘っぽいw)のダイナミックレンジの広さが尋常じゃないのです。アタシの友人が云うハイブリットハイジ座(未見)の凄さの片鱗を垣間見ます。親友を演じた捺些奈央は親しみやすくて、実はカラダが動く感じ。 食堂のおばちゃんを演じた石倉由紀はおばちゃんキャラではあるんだけれど、優しさが前面にでる役柄をしっかりと。

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2013.08.05

【芝居】「四畳半ベンチプレス」小松台東(ex. デフロスターズ)

2013.8.3 15:00 [CoRich]

デフロスターズから劇団名を小松台東(こまつだいひがし)に変更して初めての公演。なぜかドリルチョコレート丸投げ公演、というタイトルがついていますが。4日までOFF OFFシアター。

部活を引退した高校生。就職か進学かも決め切れておらず、時間を持て余して家にベンチプレスを買って貰って、久しぶりに中学時代の友達を呼んだりして、プロレス話に花を咲かせたりしている。学校の近くということもあって、クラスの同級生やその女友達たちが放課後にたむろしたり、タバコを吸いに来たりしている。

OFF OFFシアターに男子高校生の一室、上手側に別室という設えでベンチプレスの道具。

部活でそれなりの成績だったりもしたけれど、おそらくは部活一筋だった男はいざ部活を辞めてみると、自分はなにになりたいのかどうしたいのかもまったく決まっていない感じ。プロレスは好きだから鍛えてみようと思ったりしつつも、母子家庭の母親は苦しくても大学進学させたいと思ってて、その想いだってわかる。中学校の時の友達と久しぶりに遊んでみたり、それは実に安心だし懐かしい時間だけれど、自分の部屋が学校にちかくて、ろくに話したこともないような、タバコを吸う同級生がたむろするような場所になること。

チラシによれば作家自身の昔の話が下敷きだといいます。キャッキャと遊ぶ(ホモソーシャル的な)中学の同級生との安心できる感じ、あるいはあまり苦手な感じのやや不良っぽい男やその取り巻き、あるいは女の子たち。それまでは部活でマスクされていた友達とかコミュニティの変化といったものを通過する大人への階段。

未見だけれど「桐島、部活辞めるってよ」のようなスクールカーストが存在する残酷さ。それを何かの正義といったようなもので形にせず、ある種放りっぱなしに淡々と描くのです。 別の高校に進んだ中学時代の同級生はあきらかにイジメにあっているし、夢遊病のようにこの家までやってきたという強烈なストレスを受けているにも関わらず、彼についての物語がなにも解決しないどころか、主人公自身が、そのイジメにすら言及しない(気づいていないかもしれない)のは、主役以外がその瞬間に「背景」になってしまう危険性があって、物語としては正直あまり巧いつくりかたではない気はします。しかし、主人公を作家自身が演じることで、もしかしたら作家自身の友達がこうだったかもしれないと思い至ると、気づいているのに見捨てたと読みとれるこの構図は相当に恥ずかしいというより忘れ去りたい過去を誠実に描いているのだと思うのです。もちろん、そうではないのかもしれませんが。

地味な描かれ方ですが、工場に勤めることが決まっている寮に住んでいる同級生(緑川陽介)の描かれ方もちょっといいのです。この不良に取り巻いているけれど、あと半年すればこの狭い世界からは解放されるのだし、もうこれは断ち切りたいのだから、自分がどこの街でどこに就職しようとしているかなんてことに口を割らないという感覚は実によくわかるのです。

アタシにとっては(世間としても学校が荒れていた)中学校の時の不良や怖い先輩の面倒くささ、逃れたい感じといったスクールカーストのあの感じがよみがえったりもします。

中学の同級生を演じた佐藤達は序盤での主人公とのホモソーシャル感が楽しい。そういう意味ではこれは子供の時代の象徴でもあって、見事に演じきります。 母親を演じた異儀田夏葉は、前回に続いて二度目の母親役。やさしくて気遣いもあって、しかし厳しくて息子には期待して、というある種理想の母親像。高校生の息子という年代の役者ではないはずですが、ある種のダサいオバちゃんなファッションも実に楽しいし、それが痛くならないうえにそういう人物に見えてくる、という確かなちから。 同級生の女の子を演じた墨井鯨子もあまり変わらない年齢のはずですが、これはこれで逆張りの妙。自意識と不器用さが絶妙な高校生のオンナノコを体現。対比するように、 その中学の同級生を演じた柴田薫はこの座組では可愛らしさが前面にでますが、もっと早く大人の階段昇ってたりという感じ。

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【芝居】「ドレッサー」シスカンパニー

2013.7.28 13:30 [CoRich]

ロナウド・ハーウッド作、戦時下のイギリス、シェイクスピア劇団のバックステージを描く160分(休憩15分)。28日まで世田谷パブリックシアター。

戦時下のイギリス、毎晩のように空爆が行われるが、その中でシェイクスピア劇を上演する旅回りの一座。若い役者、優秀な役者は兵役にとられ、座組は素人同然だったり問題があったり。座長は寒い日の昼間、マーケットでコートを脱ぎ捨てて病院に収容されたが、病院を抜け出して楽屋に現れる。夫人や舞台監督は舞台の中止を決めようとするが、夫人よりも長く座長にずっと寄り添ってきた付き人の男は、なんとかするからと説得し、果たして、なんとか、座長は舞台を果たす。
三谷幸喜、大泉洋という人気の組み合わせ。コメディとは云えない物語ともいえますが、人生なんて儚いという意味ではペーソス溢れる感じとも云えて気持ちがいいのです。戦時下でもシェイクスピア劇の上演を続けていたという英国。余裕というか豊かさというかなんかというそんな時代を背景にしながらも、序盤はいわゆるショーマストゴーオンな感じでどたばたと笑わせます。公演中止にしたいという座長をなだめすかし、座組の問題を解決しながらともかく前に進むのです。果たして、幕は空くけれども、上手の舞台袖(STAGE LEFTの文字が見える)でのドタバタ。開幕は舞台袖、その手前に楽屋への廊下、その手前に楽屋、という折り重なる舞台装置。位置関係も、あるいは楽屋から舞台への距離感だったり、あるいは観客の気持ちに近い手前側から、少し遠い舞台、という感じでもあってワクワクするのです。

中盤ではどたばたながら最高の舞台を終えて、後半に至って座長はあっさりと死んでしまいます。が、残された遺書がわりの自伝の謝辞に、自分の名前がないことを知る付き人。自分はついぞ一杯もおごって貰えなかったビールを老いた俳優には与えたり、謝辞にはスタッフに至るまで名前があるのに自分がない。悪意というよりは、あまりに自分に一体だったからという好意的な解釈もできましょうが、物語ではそんなことは描かれていなくて、それゆえに人生の苦みが前面に出る感じ。

橋爪功はワガママ放題の座長に見えて、この役者もスタッフも足りないなかの苦悩する姿や舞台にたつ凛々しい姿、そこからあっさりこの世を去ってしまうという格好良さ。 大泉洋はほぼ出突っ張り。ちゃんと笑わせる前半、こんなに16年も尽くしてきたのに後半で自分が謝辞に登場せず、ビールの一杯も奢って貰えなかったまったく認められてなかったという無念というダイナミックレンジの広さが魅力。 平岩紙は実に可愛らしく、少々色っぽくはちょっと珍しい感じ。 銀粉蝶が演じた舞監、ずっとこの劇団へ持ち続けた想いはもちろん座長に対しての愛情だったりもしたのだ、という時間の重みが印象的。

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