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2013.07.26

【芝居】「シンポジウム SYMPOSIUM」東京デスロック

2013.7.21 14:00 [CoRich]

STスポットで130分。このあと富士見。

シンポジウムのパネラーたちは壁際にいすで座り、観客たちは思い思いの場所に座って聞く。住んでいる場所、そこに住む理由離れない理由の話から、選挙にからめて支持政党を気軽には表明できないのはなぜだろうという話をしたり。休憩をはさんでSNSの使い方に巡って観客たちがはなしたり、愛についてはなしたり。

パネラーたちれぞれの生まれやホームタウンという話題から入り、住む理由をすこしずつ突っ込んで聞いていき、さらに支持政党のことと、もうすこし聞きづらいことに突っ込んでいきます。休憩ではお茶菓子をきっかけにして、パネラーたちも観客と同じ高さに座り、それぞれに会話を。その後のSNSについてにしても、ほとんどのパネラーはそのまま観客と同じ高さ、観客たちに議論を促しても、それをまとめたり拾い上げたりということはいっさいしません。さらに愛については何人かのパネラーに喋らせても、韓国人のパネラーが長く喋ったことを短く日本語で「隣人と話すこと」とまとめてみせます。これで終わったかと思いきや、なぜ言語化するのだ、ということを問いかけて、しかしこれについてはパネラーも観客にも議論をさせることもせず、長い長い沈黙のあと、時間で区切って終演。

議論とか話し合いということをテーマにいくつかを見せている感じ。ワークショップというよりは良くも悪くも学校の道徳の時間という感じではあって、そこに乗り切れないと違和感のまま終わってしまいます。 住んでいる場所という話しやすいことから始めつつも、その場所に住むことは記憶を重ねていくこと、そこを離れて別の場所に行くということの気持ちの障壁の高さを描き、そこからさらに離れるしかなくなった福島の風景を重ねてみせるのです。

選挙については、もう少し踏み込んで、「しゃべりづらいことを喋ったり聞く」ということ。支持政党の表明というのは、誰が好きかをいうのと同じぐらいにプライベートで思想の表明なのだというたとえはちょっと好き。

休憩時間にはさらにパネラーたちを観客と同じ目の高さに。SNSという話題はおそらく実はどうでもいいことで、ねらいは議論は誰かがしていることを眺めるのじゃなくて、当事者として議論に参加していくことを促す感じ、というのは後から気づいたのでアタシ実はこのあたりからノりきれずにいました。議論のテーマも進め方も時間配分もなにも提示されない会議ほど不安なものは無いわけで、その不安にアタシがとらわれてしまった、という感じ。もっとも、国同士の現実の対話だって、どうなるかの道しるべはどこにもないわけで、その不安を抑えて冷静に話していけるのかということが対話の根本なのだということなのか、とも思うのです。

愛について、という話題は東京デスロックの「演劇LOVE」という文脈に照らして考えないといけない感じ。実は愛について語りたいわけでも議論をしたいわけでもなくて、普遍的にきっと大事な何か、について語るかたちをつくりたいのだと思うのです。デスロックにとっての「愛」は、もう前提として「最高なもの」ぐらいの抽象さのある言葉で、それについて言葉を尽くして語ることの大切さ。照れて、あるいは思考停止であまり踏み込めない感じから、韓国語での怒濤のしゃべり。 なるほど、韓国人を一人交え、それぞれの母語ではたくさんの想いがあったとしても、言語の壁を翻訳というフィルタを通すことでいくつも情報が欠損してしまうということを端的に見せるのです。 ここに至り、ここまでの議論の最中でも、その韓国人の俳優の横顔をうっすらとスクリーン上に写します。これは対話の相手を意識させることなのかもしれないし、あるいはこの翻訳の欠損を意識させるということなのかもしれません。

さらにだめだしの終演直前、演出家が現れて、「なぜ言語化が必要なのか」という問いを観客全体に投げかけ、しかし意見を聞くでもあるいは自分の意見を言うでもなく、延々の沈黙で観客に思索を強いるのです。なるほど、外国語で欠損があるにしても、言語化して対話を進めることを強く強く意識させるのです。

作家が実際のところ、なにを意識してこれを作ったのかはわかりませんが、アタシにはこういう外国、とりわけ隣国との対話の困難とその大切さを描いたというよりは観客に「意識させた」ということが目的なのだろうと思うのです。

もっとも、これを芝居としてみたいかといわれると、そういう意味ではあきらかにアタシには苦手というか嫌悪感が先立つ感じではあるのです。そういう意味で学校の道徳の時間というような、「一歩上からの目線で考えさせるきっかけ」というような作りが、それによって考えたという利点は確かにあるのだけれど、やはり違和感が勝るなぁと思ってしまうのです。

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