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2013.07.30

【芝居】「遠くに行くことは許されない」セロリの会

2013.7.27 19:00 [CoRich]

作家ヒロセエリの10年前の作品をキャストを変えて再演。115分。28日まで「劇」小劇場。

兄妹たちが暮らしている家。4歳で川の近くで行方不明になった末っ子の捜索を22年間続けている。行方がわからなくなったときに一緒に居た近所の幼なじみたちも一緒になって続けている。見つかるまでは自分たちの幸せは後回し、見つけることが最優先なのだと信じて暮らしてきた。
ある日、次男が近所で同じ名前で年齢もぴったりな女を半ば拉致する形でつれてくる。長男は違うのではないかと思いながらも、長女や幼なじみは見つかったと大喜びする。最初は怯えていた連れてこられた女も、記憶のない子供の頃のことで、今の家族の中でも自分だけがすこし違うと感じていたこともあって、ここで暮らすことにする。

子供の頃にいなくなって、22年も捜索してきた家族、というところまでは信じられても、幼なじみも巻き込みつづけている、というあたりや、あるいは連れてこられた女を容易に信じ込んでしまう、という物語が構造として説得力を序盤で持たせられない、というのはちょっともったいない。あるいは、知り合いでも親戚でもない人が戸籍謄本を取る、ということは普通はできないわけで、ここの説得力の薄さも惜しい。

とはいえ、 あとからゆっくりと噛みしめてみれば、おそらくは、連れてこられた女が居なくなった末っ子だということを心の底から信じてはいないということは感じられるし、嘘でもいいから信じて、これをきっかけにして、ずっと同じだった時間の流れから逃れたい、新しい生活に移りたい、ということが彼らの気持ちだということもわかるのです。むしろその焦る人々を描くことこそが、この物語のポイントなのだろうと思うのです。

次男とその恋人が自分たちふたりの突破口となるべく頑張ったというかでっち上げる努力をしたのかはよくわからないけれど、それでも「そういう感じにの女」を連れてきて、それで逃げ切ろうとしたのでしょう。まさかその後に、その女がもしかしたら自分でそれを受け入れることになる、ということまでは想像しなかったと思うのです。 30前後まで封印してきた恋心というか行き遅れそうな焦りというのがみえてくるころ。作家がこのころにどういう状態でいくつぐらいだったのかは知る由もないけれど、そういう僻み混じりの焦りの感情こそが彼女の芸風の一つだと思っているのです。それが大好きだというアタシは相当に趣味が悪いことを自覚しつつ、説得力の薄さも認めつつも、でも、そういうことにすがりたい、という人物の気持ちに、アタシは寄り添ってしまうのです。

近所の幼なじみを演じた菊池美里(しかしこの週末、キクチ姓の女優の芝居を3本続けてみるとはw)、時にひがみっぽく、時にいたずらっぽい表情が印象に残ります。とアタシの観た土曜夜のトークショーで、懐いてるように見える平田裕香にちょっと無茶ブリするような瞬発力もいい。末っ子を演じた、その平田裕香は本当に顔が小さくて可愛らしく、こういう風に育ったらいいなという説得力。アタシは知らなかったけれど、ファンが沢山客席を埋めています。 もう独りの幼なじみを演じた小林さやか、幸せになりたくて、幸せをつかなという造型が好き。もともと好きな役者ですが、こういう行き遅れそうな焦りという役はあまりない気がします。 長男に恋心を抱く同僚を演じた遠藤友美賀は、この無茶な舞台設定のなかで、突っ込んだりしながら、観客の視座とを繋ぐ重要なポジション。主に笑いを使いながら、なんとかこの舞台設定に説得力を与えます。長男を演じた尾方宜久、誠実、まじめ、責任感という造型が実にあっています。

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【芝居】「彼らの敵」ミナモザ

2013.7. 27 14:00 [CoRich]

長い時間をかけて取材し練り上げた物語は見応えがあります。8月3日までアゴラ劇場。120分。

週刊誌カメラマンの男、かつて大学生の頃に海外で誘拐され、それを曲解した週刊誌報道で世間からバッシングを受けた。それでも別の会社とはいえ、週刊誌カメラマンの道を歩んでいるのは、写真ならば少しは真実を伝えるから、とはいいながら。

ミナモザの舞台写真を撮影しているカメラマン・服部貴康が早大生のころにパキスタンのインダス川の川下りで強盗団に誘拐されたという経験をもとに、当事者とマスコミと世間の関わりを描き出すものがたり。骨格としては大学生の「無謀な冒険」をろくな取材の裏付けもないままに報じ、たとえそれが嘘だったとしても誤りもしない週刊誌などマスコミ、それを鵜呑みにする世間、それなのに、週刊誌カメラマンになる男、という感じ。

元ライターだった作家・瀬戸山美咲自身にだって降りかかってくるはずのマスコミ批判的な中盤まで。普通ならばこれで押し切りそうなところを、更に先に押し進めて、それでも報じる(=追いかける)側にまわって、それを続けていくのかという自問自答の後半は、作家自身の思索も混じるようで楽しい。ひとつひとつはもしかしたら紋切り型だったり、優等生的だったりはしながらも、おそらくは、カメラマンか作家のどちらかがきっと考えたであろうこと。アタシはもちろん追う側であったことはないし、幸い追いかけられる側であったこともないけれど、それでも報じる、ということに対して真摯に向き合う誠実な感じがいいのです。

ライターとは会っていないし、川下りに許可証など必要ないし、周りが制止したりはしてないけれど日本で発行された週刊誌が世間に信じられてしまった、という怖さ。ネットのない時代ですから、それはマスコミだけが持っていた特権的な力の怖さだったけれど、現在に引きつけて考えれば、それはもしかしたら私たち一般のネットユーザーだって自覚なく引き起こしかねないのだということ。この物語を観て、マスゴミと揶揄するのは簡単だけれど、自分たちだって、と自覚する力を試されているようにも思うのです。

読者(や視聴者)が知りたいと思うことを伝える、というのがマスコミの錦の美旗なのだけど、それは自分たちの枠組みの意向にそったもの、という大前提。伝える側を突き動かすのは(時には正義だったりはするのだろうけれど)伝えることが自分の快感を呼ぶのだからだ、という台詞には説得力があります。賞賛されることかもしれないし、世間を動かしたという実感かもしれない、あるいは単に承認欲求ということかもしれないけれど、マスコミに限らず、たとえばアタシが芝居の感想をブログに書き続けるということだって、この快感が欲しくて仕方ないからだ、ということは実に腑に落ちるのです。

その結節点となる喫茶店のシーンが圧巻。純粋に自身の良心に従ってこの場を作った大使館職員だけれど、判定する役割は引き受けられないわけで、結果、停滞するだけのシーン。認める気がない週刊誌側とここに希望を持って来た大学生。それが成立してきたのが週刊誌というメディアだし、それは一定の機能を果たしてきたけれど、その力がひとを傷つけるということの自覚のなさ、あるいは自覚しながらも人に寄り添う気などさらさらない、というふてぶてしさ。

土曜昼のトークショーによれば女性記者の潜入取材というのは作家自身の体験を交えているのだといいます。カメラマンと同じ週刊誌に在籍したことはあるようですが、同じ時期ではないので、このあたりはしっかりとフィクション。それでも、少々軽い感じのライターというのは、作家自身の姿に重なって見えるのです。それはある種、女を売りにしても、だったり、正論を吐く感じだったりにしても。演じた菊池佳南、インタビュー記事に添える写真の(ある種の)ねつ造のシーンは美しく、可愛らしく、セクシーで(というのも、トークショーに現れた作家のワンピース、ミニスカートに重ねてしまうオヤジなアタシです)ほんとうに目が離せないけれど、手紙の女の匿名で怖い一般人だったり、事実と違うことを(否定もしないけれど)認めもしないライターのふてくされ具合などの振れ幅がちょっとすごいことになっています。

外国人の兵士、大使館の職員を演じた中田顕史郎の安心感を与える大人の造型が好き。ほぼ出突っ張り の西尾友樹はきちんと走りきります。

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【芝居】「カルデッド」JACROW

2013.7.26 15:00 [CoRich]

自殺をめぐる4つの短編集。31日までOFF OFFシアター。120分。

半年ぶりに戻ってきた妻と娘。新築だった家の中は荒れていて、ここで夫は自殺した。「甘えない蟻 onother ver.」
駅のホームで電車にひかれてなくなった娘。両親はいじめによる自殺だと考えて学校に調査を求めるが、どうにも信用できない。両親はノートにあった名前の生徒に娘が強い恨みを持っていて、これがいじめの証拠だと詰め寄る「スーサイドキャット」
不動産会社営業の朝の報告会議。若い二人はそこそこの成果をあげているのに、転属したばかりの中年の男の成績がどうにもあがらないことを責め立てる課長。彼には朝から無言電話がかかりつづけていて苛ついている。今までの努力が足りず、更に頑張ることを誓約書に書かされた男を課長は応援するが。「リグラー2013」

樹海をあてなく歩く男。後をつける男が声をかける。自殺を思いとどまらせようとするが、会社を潰して妻を逃し自分も先がないと考えた男はほっておいて欲しいというが「鳥なき里に飛べ」

OFF OFFシアターを対面座席で構成。わりと立派な木材でつくられた部品を積み木のように組み替えながら、荒れた家の中、学校の応接室、会議室、富士の樹海といった場所を作り出します。普段のOFFOFFの客席(劇場入って左のブロック)が見やすい感じがします。

全体にネタバレの感じなので

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2013.07.26

【芝居】「シンポジウム SYMPOSIUM」東京デスロック

2013.7.21 14:00 [CoRich]

STスポットで130分。このあと富士見。

シンポジウムのパネラーたちは壁際にいすで座り、観客たちは思い思いの場所に座って聞く。住んでいる場所、そこに住む理由離れない理由の話から、選挙にからめて支持政党を気軽には表明できないのはなぜだろうという話をしたり。休憩をはさんでSNSの使い方に巡って観客たちがはなしたり、愛についてはなしたり。

パネラーたちれぞれの生まれやホームタウンという話題から入り、住む理由をすこしずつ突っ込んで聞いていき、さらに支持政党のことと、もうすこし聞きづらいことに突っ込んでいきます。休憩ではお茶菓子をきっかけにして、パネラーたちも観客と同じ高さに座り、それぞれに会話を。その後のSNSについてにしても、ほとんどのパネラーはそのまま観客と同じ高さ、観客たちに議論を促しても、それをまとめたり拾い上げたりということはいっさいしません。さらに愛については何人かのパネラーに喋らせても、韓国人のパネラーが長く喋ったことを短く日本語で「隣人と話すこと」とまとめてみせます。これで終わったかと思いきや、なぜ言語化するのだ、ということを問いかけて、しかしこれについてはパネラーも観客にも議論をさせることもせず、長い長い沈黙のあと、時間で区切って終演。

議論とか話し合いということをテーマにいくつかを見せている感じ。ワークショップというよりは良くも悪くも学校の道徳の時間という感じではあって、そこに乗り切れないと違和感のまま終わってしまいます。 住んでいる場所という話しやすいことから始めつつも、その場所に住むことは記憶を重ねていくこと、そこを離れて別の場所に行くということの気持ちの障壁の高さを描き、そこからさらに離れるしかなくなった福島の風景を重ねてみせるのです。

選挙については、もう少し踏み込んで、「しゃべりづらいことを喋ったり聞く」ということ。支持政党の表明というのは、誰が好きかをいうのと同じぐらいにプライベートで思想の表明なのだというたとえはちょっと好き。

休憩時間にはさらにパネラーたちを観客と同じ目の高さに。SNSという話題はおそらく実はどうでもいいことで、ねらいは議論は誰かがしていることを眺めるのじゃなくて、当事者として議論に参加していくことを促す感じ、というのは後から気づいたのでアタシ実はこのあたりからノりきれずにいました。議論のテーマも進め方も時間配分もなにも提示されない会議ほど不安なものは無いわけで、その不安にアタシがとらわれてしまった、という感じ。もっとも、国同士の現実の対話だって、どうなるかの道しるべはどこにもないわけで、その不安を抑えて冷静に話していけるのかということが対話の根本なのだということなのか、とも思うのです。

愛について、という話題は東京デスロックの「演劇LOVE」という文脈に照らして考えないといけない感じ。実は愛について語りたいわけでも議論をしたいわけでもなくて、普遍的にきっと大事な何か、について語るかたちをつくりたいのだと思うのです。デスロックにとっての「愛」は、もう前提として「最高なもの」ぐらいの抽象さのある言葉で、それについて言葉を尽くして語ることの大切さ。照れて、あるいは思考停止であまり踏み込めない感じから、韓国語での怒濤のしゃべり。 なるほど、韓国人を一人交え、それぞれの母語ではたくさんの想いがあったとしても、言語の壁を翻訳というフィルタを通すことでいくつも情報が欠損してしまうということを端的に見せるのです。 ここに至り、ここまでの議論の最中でも、その韓国人の俳優の横顔をうっすらとスクリーン上に写します。これは対話の相手を意識させることなのかもしれないし、あるいはこの翻訳の欠損を意識させるということなのかもしれません。

さらにだめだしの終演直前、演出家が現れて、「なぜ言語化が必要なのか」という問いを観客全体に投げかけ、しかし意見を聞くでもあるいは自分の意見を言うでもなく、延々の沈黙で観客に思索を強いるのです。なるほど、外国語で欠損があるにしても、言語化して対話を進めることを強く強く意識させるのです。

作家が実際のところ、なにを意識してこれを作ったのかはわかりませんが、アタシにはこういう外国、とりわけ隣国との対話の困難とその大切さを描いたというよりは観客に「意識させた」ということが目的なのだろうと思うのです。

もっとも、これを芝居としてみたいかといわれると、そういう意味ではあきらかにアタシには苦手というか嫌悪感が先立つ感じではあるのです。そういう意味で学校の道徳の時間というような、「一歩上からの目線で考えさせるきっかけ」というような作りが、それによって考えたという利点は確かにあるのだけれど、やはり違和感が勝るなぁと思ってしまうのです。

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2013.07.24

【芝居】「ライクアプラスチック」あひるなんちゃら

2013.7.20 19:00 [CoRich]

あひるなんちゃら、初のスズナリ。75分。前回に続いて観劇回のMP3データの販売サービスはマイクなどの機材が充実して実にクリアで嬉しい。20日まで。

漫画家のテヅカはアシスタントたちに先生と呼ばれないのに少々悩んでいる。ドラマ化の話が舞い込んでいるが、まだ不相応だと思って断ってしまうが、アシスタントや担当編集は残念に思う。テヅカの友人の漫画家と締め切り明けにドライブに行くが、それは少々遠かった。テヅカの別の友人とその恋人が遊びにきて映画でも見に行こうという。

スズナリ初進出。期間は短くなってしまったけれどそれでもわりと入っている感じ。舞台全体ではなく、あえて余白を残すように舞台中央をこじんまりと使うこと、役者の地力もあってすかすかにもならず、OFF OFFや駅前といった規模の濃縮感がそのまま舞台に乗っている感じなのは、当たり前に見えて実は結構すごいことだと思うのです。変わったのは客席に座る観客の数で、はまれば笑い声がグルーヴのような圧力を生んで、いままでとはちょっと違う印象になります。もっとも、これは回によって、観客によってずいぶん変わる気もします。

テヅカと名が付く漫画家が居たとしても先生とは呼びづらい感じとか、テヅカといえばベレー帽をややぽっちゃり女子がかぶればジャイ子という感じがおもしろい。演じる篠本美帆はほぼ出突っ張りできっちり主役を担います。あるいは担当編集二人。伊達香苗が演じる後輩編集者は自覚無くにこにこと次々と失礼だったり暴言だったりを吐きまくるのに対して、それを窘めるのが松木美路子演じる先輩編集者は静かに「殺すぞ」的なことを繰り返し。あまりに繰り返されすぎて、もうそういう罵詈雑言が出てこないのも楽しい。宮本奈津美が演じる友人の漫画家、クタクタに疲れて戻ってからのテヅカとのやりとりのリズムが好き。

物語としてなにも残らない、えげつない笑いではない、日々の会話がずれていくこと、それを気づかなかったり修正しようとしたり、という普通の人がおもしろいのだ、という感覚。あひるなんちゃらはそれをデフォルメして見せてはいるけれど、そういうずれる感覚をおもしろい、と思う感覚こそが、主人公・テヅカが云う身の回りの人々を描いてきたいと思う感覚。珍しく作家のポリシーが回まみえる感じがして、印象的なのです。

前回に引きつづきMP3の販売。USBメモリも用意しているというのは親切。前回に比べると格段に聞きやすくて、帰り道で聴きたいばかりに、ICレコーダーにUSBで繋いでもらってコピーして帰路が実に楽しいのです。

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【芝居】「Still on a roll」FUKAIPRODUCE羽衣

2013.7.20 15:00 [CoRich]

FUKAIPRODUCE羽衣の新作。21日までこまばアゴラ劇場。110分。

夜の街角にたたずむ男は、恋人の若いホステスの仕事終わりを待っている。男が想いを馳せた田舎の村を訪れた孤児の兄妹は盗んでくればいいのに働いて食べている大人たちをバカだと思っていたが、そんな兄妹を優しく家族のように受け入れる牧師一家。受け入れられるかに見えたが、妹は病に倒れてしまい、兄は小さな舟で川下の大きな街に行き医者に見せようと考える。
深夜、バイトに出かける女には二人の息子が居て、育てるためならばどんなにつらいことだって頑張れる。
場末のスナックでは騒がしい客に混じってホステスを口説く客が居るが、妊娠を告げると消えてしまう。
深夜のラーメン屋、母は働いていて、ホステスと恋人が、兄妹がカウンターに座っている。

ミュージカルの仕立て。恋心だのもっと下世話な色気だのが割と前面立つ彼らの持ち味で、そういう感じの部分も多いけれど、中心に据えられている孤児の兄妹の物語はそういうことはなくて、子供が育つこと、みたいな感じでの描かれ方で、今までにはあまり観たことがないような感じ。そういう意味では王道のミュージカルっぽいともいえますが、彼らのいう「妙ジカル」とはちょっと違う感じ。

孤児の兄妹、若いホステスと恋人のおっさん、それに子供を育てるために深夜のラーメン屋でバイトする母親、という三軸が、深夜のラーメン屋で交わる瞬間という夜の都会の片隅の刹那の雰囲気こそが、描きたかったことなんだろうと思うのです。

正直にいえば、村で働く人々の話は兄妹のバックグランドを描くように使われているけれど、この部分の物語は、「人々はそれでも暮らしている」ということは描いていても、全体の物語の構造にはあまり寄与しないようにも感じて少々バランスが悪い感じは残ります。 ホステスたちの切なさ、恋人との会話といったあたりはわりと好きなのです。もう一つ正直にいえば、客席に囲まれる舞台だけれど、じっさいのところ、演出席がここにあったんだろうな、というのが見えてしまうぐらいに囲む客席に対する配慮は意外なほど少ない、というのはちょっと残念。

兄を演じた森下亮がきっちり格好良くて。母を演じた伊藤昌子はたっぱもあるし、意外に割烹着が似合うのもちょっといい。おっさんを演じた日高啓介もいい味わい。

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【芝居】「空中キャバレー2013」まつもと市民芸術館

2013.7.19 19:00 [CoRich]

2011年に初演されて東京からの観客も来るほど大好評を博したボードヴィル仕立ての170分(休憩20分込み)。平日を含む約2週末の公演が嬉しく28日までまつもと市民芸術館。
開場時間や休憩中にはマルシェと名付けられた市場風で、鳴り物やグッズ、飲食物の販売を。今回は買った飲食物を飲み食いしながら見ることができるようになりました。週末は前売り完売のようですが、実は座席ではない床に座り込んで観られるので、それなりに当日券は出るのだろうと思います。

サーカスの空中ブランコ乗りの少女に恋をした軍人の男、その気持ち、彼女と同じ高みに昇りたいと思って。あるいは流しで思い出を売るサクソホン吹きの男、戦争の直後で混乱した町、孤児の花売り娘だったり、自分を不幸と呪う女だったり、遠く郷里に残してきた恋人を思う軍人だったり、ルンペンだったり、地元の顔役の親分だったり。ある者は灰色の壁に向かって人々は会ってない人への想い、ある者は今日を楽しみ。

客席は用意されていますが、平らなところをあちこち誘導されながら座り込んで観るのが実に楽しい。客席側が一応正面ではあるので、初めてならばそちらをねらいたいところですが、裏側にあたる方から観たって、結局見上げてる場面も多いので、実はたいした問題ではありません。

ふたつの幹となる物語を二幕に、その中にサーカスという体裁の大道芸のプロフェッショナルたち。タップダンスやフラフープ、ディアボロといったジャグリング風味から、空中ブランコや空中からのリボンをするすると昇るようなマッスルミュージカルとかサーカス風味までそれだけでも見応えなさまざまな出し物。開場中や休憩時間のマルシェだけではなくて、その市場の中でボードヴィル風の出し物をあちこちで見せるというのも気が利いています。

ブランコ乗りと兵士の物語、男が独白のように少女への想いを綴る詩といった体裁。物語としてどうというわけじゃないのだけれど、想いとブランコが揺れるリズムがずっと同じテンポで続く感じで楽しく。

休憩時間、入り口近く(劇場正面を使わず、搬入口を入り口としています)での小さな軽演劇。月に抱かれた王女のコンパクトな物語は、賑やかで、ちょっと色っぽくて、ばかばかしくて楽しい。小さな舞台でどたばたと入れ替わる風なのもいいのです。

サクソフォン吹きと街の人々の話。時に哀しく時に自由な人々、会えない人への想い、雑踏らしいばしょに行き交う人々に起こる奇跡。たしかにヴォードビルな感じだし、素敵な感じ。

片岡正二郎はまつもと市民芸術館の出し物に本当に欠かせない俳優になりつつあって、軽演劇のような軽さとペーソスが隠れてそうな雰囲気が実によくて、しかも観客をどうにでもできそうな確かなちから。内田紳一郎との道化っぽい役割も実に楽しい。秋本奈緒美演じる場末の女もいい感じ、石丸幹二という役者をナマで拝見するのは初めてだけど、ミュージカルの歌の力強さ、若いサクソフォン吹きというのもよくあっているのです。串田和美は楽しげににこにこと、しかし場所をきちんと作るちから。近藤隼はTCアルプ(劇場のレジデントカンパニー)の中では筆頭の役者で、出ているだけでも安心感。佐藤友の花売り娘、可愛らしく、おしゃまな感じも楽しい。サーカスアーティストではサーカス部分の監修を兼ねるジュロのフラフープ・ラ、12mの高さで演じるフラフープ、圧巻で凄い。

初日の直前の日曜日、三連休の中日となった11日には松本駅から松本城に至る市街地のあちこちで大道芸を見せるという「まつもと街なか大道芸」という催しも。出演者だけではなくて、踊りや歌、といったさまざまな人々の大道芸を同時多発で見られるという楽しくのんびりしたいちにち。公演につながることだけでこういう催しができるというのは観光都市でコンパクトな松本市の特性にあっていて、東京から何人もこれを目当てに訪れたりしていて、サイトウキネンフェスティバルともクラフトフェア、あるいはヒルクライムレースとも違う新たな観光の萌芽になりつつあるな、と感じさせるのがちょっと嬉しいと思ったりするのです。その週末、東京に行くかが悩ましいところですが。

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2013.07.16

【芝居】「ここまでがユートピア」劇団山脈

2013.7.14 19:00 [CoRich]

2010年に「あおきりみかん」が初演し、2010年の劇作家協会新人戯曲賞を取った鹿目由紀の作品を信州大学の学内劇団のスタジオで140分。15日まで。

初めて伺った信州大学の松本キャンパス。広々として、休日だから運動部が沢山活動していて、アタシの経験しなかった(笑)キャンパスライフ。プレハブっぽいつくり、信州の夜は涼しいとはいえ、観客があれだけ集まってるとさすがに気温は上昇します。団扇を配るのと扇風機が嬉しい。

半径75cmというパーソナルスペースを突き詰めていって、独立国とするというルールで人々が生き方を見つける、という枠組み。その島に新たに加わった35歳と25歳。 10人という「独立国」に対して、役者のバランス。おそらくは若(くて未熟)な役者の台詞を少なめに、できる役者を前面にという作戦なのだと思います。

大学生たちの学内劇団という枠組みですから、役者の実年齢の幅がそうあるわけではありません 鹿目由紀が描く、三十前後の女性の想うことについて大学生の女性(演出も含めて)たちがそうそう簡単にはねじ伏せられるような物語ではないと思うのです。物語の流れとしては、明らかに男に期待しない(強い女として-つまり、ジャージの彼女の役だ)、とか、一定の距離を保って二人で居たい(弱みは見せない、けれど一人では寂しい。岬で叫ぶのを日課とする彼女の役)という、明らかに面倒な女子の物語。アタシは(オジサンなので)女性たちの感覚というのは想像だけですが。

作家、鹿目由紀のあの時の頭の中をぐるぐると描いている物語なのだけれど、彼女の当時の年齢は、今作の役者たちや演出に対してはずいぶんと大人なわけで、ならば、この面倒くさい女とか、女が面倒くさいと思うことをカンパニーが理解するのを期待するわけにはいかないわけで。

明らかに舞台で見栄えがするのは、エコな独立国の元首を演じた伊藤利幸。役の造型も含めて面白い。オジサンとしては女優は欠かせません。表裏が激しい女を演じた高山智世や叫ぶ女を演じた伊藤江美、あるいは船に乗っていた職員を演じた山口菜々の色っぽさが印象的。俳優は逃げている男を演じた 川居高志の深み、あるいは若い男を演じた向裕輝、豹変する男を演じた高坂拓史もきっちりと演じるのです。

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2013.07.15

【芝居】「甘い坂」演劇裁縫室ミシン

2013.7.14 14:00 [CoRich]

松本の小劇場好きに訊くとこぞって勧めてくる、松本・諏訪で活動する9年目の劇団。新作はミステリーホラー仕立ての90分。14日までピカデリーホール。

坂の上には大学教授とその妹と家政婦が住む屋敷がある。異母兄妹だった妹が初めてこの屋敷を訪れた時に坂でひどく気分が悪くなった。それ以来、妹はこの屋敷の坂を下ることができなくなっている。
教授の専門は噂・デマの広がり方についてだった。屋敷を訪ねてくる女子大生に課せられたレポートも新たな都市伝説を考えるというものだが、まだイマイチだ。彼女に想いを寄せる大学院生は気持ち悪いほど追いかけてきているが、彼女が想いを寄せているのは教授の弟子だった。
近所の男の子が勝手に入り込んで遊んでいたりする屋敷だが、出入りの酒屋は金に困り、仕事がろくにできない男(か男の子)に屋敷の物を何か盗んできて自分で稼げという。頼まれた彼は屋敷の大木の根元にある大きな石碑のようなものを盗み出してしまう。時を前後して、妹が姿を消す。

タッパのあるピカデリーホールに二階建ての屋敷(の一部)と大木、屋敷に続く坂道や庭をコンパクトに作り込みます。この劇場の空間を埋めるのに苦労する劇団が多い中、軽々と空間をきっちりと埋める装置。この舞台にきっちりプロジェクションマッピングでオープニングや物語の要所を締めていて、完成度が本当に高いのです。ミステリーにフォークロア、そこにナンセンス風味というのは東京や大阪でやっていた芝居なら(4A.M.ぐらいの頃の)ナイロン100℃や、あるいは後藤ひろひとの時代(人間風車やカビ人間といった頃の)遊気舎の雰囲気。雰囲気こそ似ていますが、きちんとオリジナルの物語をオリジナルの演出で多彩な役者が作り上げていますから、フォロワーというわけではありません。アタシが面白いと感じるのは、最近あまり見なくなった気がする、私たちの日常の地続きのように見えてもきっちりかけ離れた、そういう意味では気合いの入ったきちんとした物語を作り出すのです。

一人の人間の悪意が無邪気なもう一人を介して起こした小さな出来事が、この屋敷にも、この屋敷から見える街の人々にも大きな影響を与えるという構造が実によくて、寓話的でもあるし、怪奇的でもあるのです。牛女(wikipedia)に端を発する噂やデマの拡散という骨格が物語に強度と深みを多角的に与えています。そこから大学生のレポートという体裁で、原宿で踊り狂う若者たちのシーンというツチノコ族や女性を追い回すのに姿がみえづらいスモーカーが(現実の竹の子族やストーカーに対して)ちょっと惜しい、というコミカルな作り込みも無駄に(←褒め言葉)しっかりしていて凄いのです。

噂に対して、あえて1977年というネットのない時代を設定とする絶妙さ。噂の拡散する速度が速すぎると大学教授が疑問を持てるという説得力。坂の上の屋敷から見える範囲の街の中だけで高速に拡散する噂、それが可能なのは身体から分離した何かになっている妹(しかもこの屋敷から出られないという設定が効いています)というのが鳥肌が立つほどに物語の凄みを感じさせるのです。

初参加という篠原鈴香はそれでも物語を背負うヒロイン。色気(序盤の坂に寝転ぶ処での胸元ったら。オヤジの感想ですが)も儚さもあわせもっていて、プロジェクションマッピングと現実を行き来する感じに説得力があります。教授を演じた星野光秀、落ち着いて喋る優しい教授という造型、屋敷に住んでいる、という説得力。音響デザインを兼ね、飛び道具のような「たくちゃん」を演じる大久保学は出てくるだけで客席を緩ませかっさらうのが凄いのです。

10月末の週末には、まつもと演劇祭への参加も決まっているこの劇団、楽しみで仕方が無いのです。

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2013.07.14

【芝居】「ジャングル・ジャンクション」キャラメルボックス

2013.7.13 18:00 [CoRich]

一部の好事家たちには伝説の、と呼ばれるほどに印象が強かったらしい1993年公演の再演。アタシは初見です。キャラメルボックス初期の作品を上演する企画公演の第二弾として、エンタメ路線まっしぐらな100分。15日までシアター1010。

自転車に乗ったOLが町で男にぶつかってしまってから始まるラブストーリー、脱走囚を追う刑事たちのアクション、世界征服をたくらむブルーナイトに立ち向かう改造人間バイオニックキョウコのSF。三つの物語の登場人物たちがひとつの物語のなかで鉢合わせしてしまう。それぞれの主人公は自分が主役だといって譲らないが、この混乱はもしかしたら3つの物語を平行して読んでいる読者の頭の中の出来事で、このまま混乱したままでは、物語読み進めるのを放り出してしまうかもしれないと思い至って、このまま3つの物語を組み合わせてちゃんと終わらせようということになる。

3つの物語の登場人物たちが、それぞれの背景を持ちながらも協力して一つの物語に収斂させていく、というメタ的な構造を持ちながら、オーバーアクションやコネタを数多く挟み、テンションで乗り切るように作る話。キャラメルボックスっぽくない、と彼らはいうけれど、短期間でつくりあげられるこういうレパートリーがある、というのは確かに劇団の歴史ゆえの奥深さを感じさせます。

キョウコを演じた原田樹里は、線の細さ故にどうなるんだろうと少々不安な感じは否めないのだけれど、物語の構造からして中心に据えられても、きっちり演じきって新たな魅力。そのキョウコを初演で演じたらしい坂口理恵は今作ではその敵役、ブルーナイトを。オバサンだ、と自虐しつつも、軽薄な造型で出てきてすら、客席を一気にわしづかみにする魅力。もう、本当に惚れるほどに好きなアタシなのです。刑事を演じた菜月チョビはなかなか観られないスーツ姿もびしっと決まるのがちょっといい。ラブストーリーのヒロインを演じた林貴子は、パステルな感じの衣装だけれど実は汗だくな感じも今作の感じにはあっててほほえましい。脱獄囚を演じた渡邊安理は、ホットパンツ(死語?)というダイナマイトな色気一杯のの出で立ちに、ほんとに心奪われてしまうオヤジなアタシなのです。

正直にいえば、シアター1010の規模ではこの感じのばかばかしい物語で観客をしっかり引っ張るには役者に相当な技量が必要でそういう意味ではコメディの難しさを感じさせてしまうのもまた事実。もちろん、キャラメルや鹿殺しになじんでいる観客が、こんなことを、とお祭り的に楽しめるのは(アタシだってそうだ)事実なんですが。

そういう意味では(観る予定はないけれど)男性の俳優を中心に据えたもう一つのバージョンの方がパワフルさ、コメディに突っ走るばかばかしさのようなものが前面にでて気楽に楽しめそうな予感もします。

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【芝居】「タイトル未定のミュージカル~例えばLINER SIDE STORY~」LINER ACTORS SCHOOL

2013.7.13 15:00 [CoRich]

菊川朝子の演出による、ミュージシャンとのコラボ企画公演。ウエストサイドストーリーをがっつり60分に。13日に2ステージ。新高円寺 CLUB LINER。

実はちゃんと見たことがないのだけれど、ジェット団・シャーク団の二つのグループの対立、その中で芽生える許されぬ恋の物語と悲劇、若者たちの骨子の部分を抜き出して濃縮しているよう。wikipediaによれば、たとえばドレスの胸元をあとどれだけ下げるかとか細かなところをあえて落とさなかったようで、こういう編集のおもしろさ。

ミュージシャンではあっても役者ではない男性陣に台詞もダンスもそれなりの量。正直いえば、ある種グダグダだったり、やや半笑いで観るようなところはあるのだけれど、専門の役者とは違う一種の味わいがあるのはこういう企画の魅力だとも思うのです。

ジェット団のリーダー・リフを演じた南波政人は、ミュージシャン組の中では歌も台詞もダンスもわりとぴしっと決まって気持ちよくて印象に残ります。ヒロインを演じた畔上千春、わりとオーバーアクションで笑いを取るコント仕立てな造型が多い役者なのだけれど、笑いを取りに行こうとする感じは残りつつも、なかなかどうして、きっちりヒロインを演じきり新鮮な印象を残します。終幕近く、二人の女の台詞をアカペラで歌い切る安田奈加、すてきで美しくて。

菊川朝子祭りと題して、さまざまな公演に出たり仕掛けたりした3月からの4ヶ月、その最後となる公演。結局5本観てしまいました。鳥取と東京の「遠距離演劇」ゆえに稽古期間の制約から素人をどう使うかとか、あるいは客をどういじるかのようなイベント的な公演が多くなりがちです。そろそろがっつり作り込んだのを観たいなとも思いますがこればかりはなかなか。

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【芝居】「根本宗子お祭り公演~バー公演がバーを飛び出した!~」月刊「根本宗子」

2013.7.8 15:00/18:00 [CoRich]

バー公演で作り続けてきた作品から5本を選んでお祭り的公演に。9日まで浅草・木馬亭。一本あたり40分で幕見も設けられています。

■昼の部■
開演直前の鏡前、急な役者降板でナーバスな俳優や、臭いのする食べ物で周囲に顰蹙を買ってる女優など、開演時間は刻々と迫る「ひかる君ママの復讐」(チームA)(1)
お遊戯会の演目を決めるために早く集まった保母たち、一人が遅刻してその見え透いた嘘の言い訳を暴くと「保母、処女」(チームB)(1)
高校の修学旅行で関西から着た女子高生たち、3人がハブられていることを知った仲居はそれを直そうと「はなちゃん」(チームE/新作)

■夜の部■
書けない作家に書かせる相談に集まった女優たち。今の恋人の看板女優と元恋人の中堅女優と、新人女優と。「喫茶室あかねにて。」(チームC)(1, 2)
OLと昼休みに待ち合わせた劇団員の女。好きなアイドルのCDのイベント券が気になって一緒に開けようということになったのだ。「改正、頑張ってるところ、涙もろいところ、あと全部。2013年初夏」(チームD)(1, 2)
「はなちゃん」(昼公演と同じ演目とのこと。これを観ないで退出しました。)

一本あたりは40分弱の上演時間に対して、幕見も用意する関係か各演目野間を50分程度あけているため、休憩がわりと長めなのは痛し痒し。でも休憩時間が中入りっぽく、ビールおつまみが買えるってのはちょっとうれしい。おかげで各演目ごとに缶ビール一本ずつ開けるはめに(飲み過ぎです)

バー公演は40分弱でくだらなさ前面押しのシリーズ。あのバーという場所ゆえのぐだぐだ感と濃密さというのが持ち味。木馬亭という寄席(浪曲の定席)の舞台に乗せることで、場所の空気感が一変。それは必ずしもプラスばかりではなくて、客席と向き合い分離された中で描かれることに耐えうるかどうかというのが演目によってはっきり分かれる仕上がりになっています。 そもそも、この演目、どちらかというと見た目にはコントに近いわけですが。

「ひかる君〜」は、それぞれの俳優たちの素のように見せる鏡前という場所のぐだぐだな会話劇。狭さゆえに小劇場の狭小な楽屋という持ち味の物語。それを広い舞台に乗せると少々厳しい感じは否めません。なんか間があいてしまって、ニオイが嫌なら離れればいいじゃん、て感じになってしまうのが惜しい。大竹沙絵子演じる、喉の弱い、周りに気を遣いまくりという女優の造形がけっこう好き。根本宗子を、中途半端な美人と言い放つ台詞(自分で書いてるわけですが)もちょっといい。墨井鯨子のあまりに軽い感じも、梨木智香の仕切りっぷりも実に気持ちいい。

「保母〜」も動きの少ない会話劇ゆえに、この場所ではちょっともったいない感じになってしまいます。それでも三人のバランスがくるくると変わる様はこのホンの魅力で、冷静にしかし拗らせた女を演じた根本宗子、すぐわかる嘘を平気でついてしまう女を演じたはしいくみのふてぶてしさもいいバランス。なにより、付和雷同から豹変する女を演じたあやかの振り幅、表情の豊かさが印象に残ります。

「はなちゃん」は新作なのでこの劇場用に。バー公演というよりはどちらかというとゴールデン街劇場での公演(1)のスタイルに近くて、頑張って鍛錬の日々、という体裁で時間の経過を描くのも同じ。もっとも描いてることは本公演よりはちょっと軽くて、それゆえ馬鹿馬鹿しさで押し、微妙に(おそらくは女子的な)中二的な下ネタ感をまぶしつつ、その中二が考える大人の女性たちの描き方のバランスもいい。そういう意味では、ハブられからそれを克服するかもしれない日々という微妙なこじらせ感もよくて、もしかしたら作家はそういう拗らせ方をしてるのかな、と想像するのも楽しい。パンツを下げてるとか、あの色気過剰女優とか、あるいはオッパイの形ひとつでハブられるのだというあたり。 女子高生の三人のジャージスカートというダサくて素朴な感じがいい。演じたあやかのセルフレームにほくろという造形にしても、下城麻菜の田舎の女子高生風情感もいいけれど、なにより三つ編みでしかも自分が可愛いという自覚の上に拗らせる、というオヤジ殺しな造形の安川まりにヤラれてしまうアタシです。仲居を演じた大竹沙絵子のパワフルなコメディエンヌが本当に格好いい。

夜の部の再演二本は、梨木智香のあたり役、テンションの高い貧乏劇団員かつ主宰の元カノ「榎本美津恵」をフィーチャー。短い芝居ゆえに強いキャラクタがいることで、コントっぽさが出てくるのが効奏して、舞台に負けないグルーブを作ることに成功しています。

「喫茶室〜」は新たなキャストでしょうかね。安川まりの、美人な看板女優という説得力。反面、泣いてばかりというキャラクタはどちらかというと大竹沙絵子版の方がすんなり感じる気はしますが、甘粕版とも違う新たな魅力。

「頑張ってる〜」はこのシリーズのキラーチューンとでもいうべき強力な物語。実はこのシリーズにはほとんど登場しない、おしゃれOLという役がまた女優の魅力を改めて根本宗子で。それにしても、梨木智香の当たり役ともいうべきこれは本当に好きなのです。強気と弱気が入れ替わり立ち替わりの振り幅もその速度も何度でも楽しんでしまうのです。もっとも、彼女の役がこれだけになっちゃうのは明らかに間違いですが。こんな舞台になっても、というよりはコントとして普通に持って行けそうな仕上がりで、精度がどんどんあがっているのが楽しい。

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2013.07.13

【芝居】「ミニスカーツ」犬と串

2013.7.7 19:00 [CoRich]

短編集で構成された休憩10分を含む120分。9日まで武蔵野芸能劇場。

選手入場っぽくクレジット。下ネタなど禁じ手にすると宣言。
殺人事件を追う刑事たち。容疑者に浮かび上がったのはラーメン屋の店員だった「新宿〜SHINJUKU〜」
出場辞退に追い込まれそうな野球部、サボっている部員に声をかける教師「野球部」
日本の女たちは骨が弱くて、可愛い服が好きで、漫画みたいな恋もしたくて、黒船もやってきて「GIRLY GIRLY」
父親、女子高生の娘。ザッケローニ、といわれて、延々一人語り。「超ノリツッコミ」
グズグズな芝居、ホンは遅く、役者はバイトで疲れていて。ぐだぐだ。「OCEAN〜失われし七つの秘宝」
(休憩)
子供の頃の、チャーハン、気がついたら大人で会社員で。そのあいだに何があったか何一つ覚えていない。「キヲク」
ビフォーアフターでリフォームされた家。でも、壁、屋根もない、「匠の技」
老人たちの恋愛バラエティー「老いのり」

芝居と云うよりはコントに近い構成、物語よりもワンアイディア、それを高いテンションの役者が演じ続けるというのが持ち味。

「新宿〜」ラーメン屋の店員たちやガソリンスタンドの男の役は、まともな台詞ではなくて店員の口調で注文取ったりというまったく違う台詞なんだけど、口調や動きだけで、ちゃんと何云ってるか想像がついてしまう、というワンアイディア。それを高いテンションで持続することでねじ伏せるように成立させるという力業。同じ言葉が繰り返されるけれど、それが別に繋がってるわけではないというのは惜しい。正直にいえば、そのワンアイディアとテンションだけで持たせているという割には少々長い感じも。ホステスを演じた渡邉とかげは新宿と云うより銀座なテンションだけど、微妙にホステスに見えない感じがおかしい。ラーメン屋店員を演じた中田麦平のこういうテンション芝居はなかなか観られないけれど、どうしてどうして、きっちり何の問題もなく。

ショートな一本「野球部」は客席に向かって会話している教師と生徒。台詞としてはごくありふれた青春物語な静かな会話なのだけれど、その男が舞台奥を向くと背中が半裸というワンアイディア。台詞の普通さ加減と見た目の可笑しさのバランスがよくて、短いこともあって楽しい一本。

「GIRLY〜」は見目麗しい女優たち。骨が弱いとか、可愛いとか、男の子を観て格好良かったね(で観てる相手が黒船のペリー提督だったりする)だったい、縄跳びで飛び跳ねるさまだったり、デートしたいだったり。女の子っぽくさまざまに詰め込み、脈略なく並べられた断片たち。それぞれの断片に意味があるというよりは、女の子ってこういうもの、を並べたような感じ。

「超ノリツッコミ」は、ザッケローニか、という娘の一言で始まりながら、 あとはそれに延々と乗っかった長い長い台詞を独りで喋り続け、最後にすとんと「誰がザッケローニやねん」と落とすワンアイディア。この長い台詞を、淀むことなく、少々の笑いも取りながらきっちり演じきる塚越健一がちょっと凄い。

「OCEAN〜」は準備不足な上に疲労困憊、あるいはやる気ゼロという最悪なコンディションで芝居をさせるということの作り込みは病的なほどに完成度は高く、そのワンアイディアは成功しています。滑舌の悪さを作り込むというのもちょっとおもしろい。

「キヲク」も、子供の頃の食べ物の記憶、というキーとなるひとつを延々繋げるという仕掛けをやりきります。

「匠の技」はリフォームしたと思ったら、大黒柱はあるけれど壁も屋根もありませんでした、というのが見えてくるのが醍醐味。アタシの友人が云うとおり、コントとして成立させるためには、最初でリフォームした家ということをきっちり共有しないと面白くならないのだけど。

「老いのり」は、「あいのり」を年寄りたちにやらせるというつくり。これもワンアイディアで押し切ります。ギャルサーを演じた塚越健一、車いすの女を演じた鈴木アメリ、おしめをしてる男を演じた中田麦平の造形の解像度の高さ。

ワンアイディアの発想のおもしろさと、それを無駄なほど作り込む気力、延々繰り返すことを恐れないという勇気はたいしたものです。コントのつくりではありますが、最初に提示したワンアイディアを繰り返しただけで終わってしまうのは、コントとしての破壊力にも欠けると思うのです。面白がりポイントがわかりにくくなってきたのか、アタシ。歳とりましたね。

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【芝居】「月刊小玉久仁子 7月号」ホチキス

2013.7.7 14:00 [CoRich]

小玉久仁子をフィーチャーする企画公演。月刊と銘打った創刊号。一人芝居3本で構成。75分。サニーサイドシアター。

私はなぜここに居るのかわからない、みんな何のために集まってるの?
司会が急に倒れ急遽代役で現れた女はなぜかウエディングドレス姿でしかもどうも知り合いらしくて「ウエディングドレスの女」
警察の取調室。連続放火事件に巻き込まれた人を救助した男が犯人を目撃したとして婦人警官が似顔絵描くために聞き取りをしている「似顔絵描き」
私、久仁子といいます「彼女の長い略歴」
東京が温泉怪獣に襲われる。出撃を養成されたが、今日お義母さんは来るし、夫は帰ってこないし、息子は落ち着きがないし「スーパー母さん」

小玉久仁子という役者の一人芝居といえば、圧巻で印象に残っているのは2010年の空想組曲の短編集での日替わりですが、それと同じような、少し違うような。

「ウエディング〜」は空回りしながらもそれを力業で押し倒すようなテンションと、元カレへの未練たらたらな乙女心のないまぜ、そういう意味でもっとも勝ちパターンなつくり。明かりが当たればウエディングドレス、という多少の出落ち感からスタートしつつも、着ているのが司会、しかも元カノという何段にもひっくり返す序盤のワンアイディアと、ウエディングドレスに日本刀というキル・ビル風味の見た目のギャップが命綱な一本。強引さで押し切るというよりは、想い出語りの繊細さゆえに回によってそうとう見え方が違ってしまうではないかと思います。

「似顔絵〜」は犯人の目撃者からの聞き取りという体裁。似顔絵ってものの力を絵で見せる序盤のコミカル、わりとそのどれもが巧いのも楽しい。割と早々にそれが目撃者ではなくて容疑者なのだというのが割れてしまうのだけれど、手練れの作家、そこでは終わらずもう一歩踏み込むのが楽しいのです。そこから見えてくる彼女の本性。それはもう明らかに狂気の領域だけれど、それゆえに想いの厚みを感じさせて見応えがあるのです。

「スーパー母さん」は、割烹着のまさにかあさんが地球を守るけれど、夫もお義母さんも、子供の面倒も見なきゃいけない。それは別にスーパー母さんだからじゃなくて、働いてるお母さんだって、いや主婦だっててんてこ舞いなのでだということを背骨に。終盤に至りキレてしまった彼女が沈黙のまま、静かに(スペシウム的な)光線で街全体を破壊する、というややシュールがちょっと好きだったりします。

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【芝居】「変則短篇集 組曲『空想』」空想組曲

2013.7.6 18:00 [CoRich]

2010年初演の短編集をベースに。シアター風姿花伝のプロミシングカンパニーとしての1ヶ月のロングランの初日。120分。28日まで。

ギャルソンは店の準備をする「組曲『空想』〜独奏」
若いカップルがデートに訪れる。男は行きつけだというが、緊張していて「静かな晩餐」
秘書がすぐに辞めてしまうぶっきらぼうで厳しい女社長。新たに秘書となった若い女は構わずに会話してきて「天使が通る」
強盗に押し入ったが成功しなかった。巻き込まれ人質となった男は、犯人に対して自分を殺すべきではない、と説得しようとするが「彼に似合う職業」
デートに訪れたカップル、大事な話があると女を誘ったらしいが、その大事な話はいつまでたっても切り出される気配がなく「賑やかな晩餐」
生徒らしい男が、教師らしい年上の女とカードをめくりゲームをしている。何かをするか質問かを選ばせて、いわれたことは答えなければいけないというゲーム。男は人妻でもある女に恋心を抱いているようだ「アクション、ヴェリテ」
その店にくると、客と店員はあっという間に恋に落ちてしまうという「ファミレス・ランデブー」
年老いた父親と娘。かつては医者につれていってくれなかったり、水泳に厳しかった父親だったが、年をとって弱気になっている。母親は一年前に亡くなっていて、どうも殺されたらしい「毒殺アリス」(日替わりプログラム/A)
夫婦が店を訪れる。妻はネットに書いた記事を出版しないかと持ちかけられていて、夫は快諾するが、その数年後「時をかける晩餐」
ゴミをためこんだ女の部屋を、夜、男が訪れる。男はそのゴミは自分が出したものだという「サンクチュアリ」
普段から通っている店だったが、たまたま普段とは違うランチタイムに訪れると、その店員が襲ってくる「ファミレス・リベンジ」
演奏をするが、一人だけ音が大きくはずれている「ロマンチック主義者のためのささやかな演奏」
閉店後らしい店、話をしている男女、「しりうすぴかぺら」
別れ話をしにきているらしい夫婦。少しの未練がないわけではない。ウエイターはこの二人がずっとこの店に通ってきていることを知っていて「静かすぎる晩餐」
ウエイター、新しいことを始めないか、と語りかける女。「組曲『空想』〜連弾」

初演の時も感じたけれど、レストランを巡る短編の名作「ア・ラ・カルト」をアタシとしてはどうしても意識してしまいます。あれよりはもうちょっと音楽が少な目で、爆笑編も含むバラエティに富んでいるというのが持ち味。

核となるのは、一組の男女とギャルソンによる「〜晩餐」の四本。恋人、プロポーズ、心変わり、別れという流れはレストランを舞台にした物語らしく、ちょっと洒落ていていい雰囲気なのです。バラエティに富んでいて、時間の流れも感じさせて。

社長と秘書の物語もちょっといい。年上が寡黙を通り越して頑固、理由はわからないけれど年下がどんどん距離を詰めていって関係が変わっていく流れ。レストランが格安ファミレス、という振り幅も楽しい。

プロポーズを期待する女を演じた葛木英、ほかではあまり観られないほどの可愛らしく乙女なコメディエンヌをオーバーアクト気味で、好きな方にはたまらないほどに保存版な一本に。ちょい役含めて大部分の女優がメイド服のシーン有りというのもまた眼福。松本紀保をこの距離でというのも贅沢ならば、このメイド服に生足、それも美しいのに見惚れてしまうのです。社長の強気な感じ、マンションの会社員の陰の有る感じのコントラストも鮮やかで。

堀越涼演じる強盗にしても夫にしても、強気と弱気のダイナミックレンジの幅広さとその振れ方の周波数の高さ(早さ)、アタシが信頼できる役者という気持ちを新たに。こいけけいこは、本当にうまくなりつづけていて、格好良さもちょっとバカっぽく見える感じもきちんと。ことに、夫婦の会話の繊細さが印象に残ります。川田希はかなりのパートを引き受けるという負荷の高さ、ことに初演とは異なりアクションをほぼ一人で引き受けるざるを得ない二人芝居はロングラン故に少々心配な気もします。

ロングランの公演、役者もさまざまにバラエティ。 小劇場の役者たちは、アタシが見慣れているからか、まあこなれた感じなのだけれど、座組としてはバランスをまだ測りながらという感じは残ります。それでも、ここから千秋楽に向かって変化していくような予感はあって、それが試せるというのもロングランという場が持つ一つのちから。小劇場ではなかなか難しいことで、それをさらにバラエティに富んだ役者たちが続けていくということの楽しさ。

日替わりの「毒殺アリス」、新作かしら。アタシは初めて拝見した気がします。母を誰が殺したかという父娘の息詰まる会話のバランスオブパワーが次々と変わっていく息詰まる感じが実にいいのです。短編だからできる緊迫感。

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【芝居】「ことほぎ」文月堂

2013.7.6 14:00 [CoRich]

文月堂の第10回公演。7日まで「劇」小劇場。120分。

元は下宿だった六畳一間ずつの古いアパート。芸人、役者、フリーライター、資格試験、漫画などそれぞれにまだ掴めない夢を抱いている。大家は寿司屋を営んでいるが、その娘が管理人をしている。管理人の兄は寿司屋を継ぐのが嫌で家を出たきり戻らない。
役者志望は自主制作映画への出演が決まったようで落ち着かない。バイトを辞め事務所のレッスンにもいかなくなった男を、彼女は心配しているが男はつれない。ライターは元商社マンだがアマゾンに生息する魚をつり上げる夢を持っている。漫画家志望のところには女優になりたいといって妹が転がり込む。
ある日、管理人の兄がいつの間にか結婚していた妻を連れて現れる。韓国人の妻の父親の容態が悪いので、焼肉店を次ぐために韓国に渡るのだという。

安アパートに住む夢を抱く人々、兄と妹のわだかまる気持ち、年老いた親のこと、あるいは離婚した妻や子供への想いや、鬱屈する恋人への断ち切れない想いをめいっぱい詰め込んださまざまな物語をアソート。人々の進む方向も速度もそれぞれ違うけれど、前に進む人々は、文月堂らしい作家の行き届いた優しい目線。

物語としては、夢を追う人、家族とのわだかまりやこだわり、あるいは恋心といったさまざまな小さな物語を並べている感じにはなっていて、語りとしては漫画家だったり、家族の話の比重もわりと大ききかったりと、群像という以上には全体としてどういう話なのか、今一つ感じづらいところがあるのは少々食い足りない感じがしないでもありません。

方言や外国語を交えるというのも、人々の違いを鮮明に見せるのに効果的。兄の、韓国人である妻を演じた中島美紀が喋る韓国語の台詞の量は圧巻で、それを字幕や翻訳なしに、イントネーションや語感だけで気持ちを伝えるというのはちょっとすごい。あるいは別れた妻を演じた三谷智子の大阪のオバちゃんキャラもまためいっぱいの力量。霧島ロックとの二人、分かれた夫婦が子供や再婚を巡っての会話のシーン、物語の中では少々色が異なる感はあるのだけれど、繊細で大人でちょっと好きなシーン。

言葉で違和感を作りつつも、食わず嫌いじゃなくてもう一歩進んでみよう、というのもまた、物語の前向きさ。象徴的に扱われている、「トマトの砂糖がけ」というのは、まあ昨今の糖度の高いやつじゃなくて酸っぱい奴で、と想像して意外にいけるじゃん、と感じるのが吉。物干し台のマドンナこと、下宿管理人を演じた鉄炮塚雅よは、少し気が強そうな造型で印象に残ります。

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2013.07.03

【芝居】「わが闇」NYLON 100℃

2013.6.30 13:30 [CoRich]

ケラリーノサンドロヴィッチの晩年第一作を自称する人気作を劇団40周年記念の一本として再演 (1)。休憩15分込みの205分。7月15日まで本多劇場、そのあと大阪、横浜、北九州、名古屋をツアー。

小説家の父は母と三人の姉妹を連れ、田舎の一軒家で暮らすことにする。母は神経質で気を病み、やがて自殺してしまう。後家はおおらかで明るい性格だったが、姉妹たちとはなじめないまま、それでも十数年は暮らして、ある日突然居なくなってしまう。長女は小説家としてデビューし人気を博すが、やがてそれはやや下火になり、家族の中で起きたことを題材にした小説やエッセイばかり書くようになり、時折若い編集者が原稿を取りに来ている。男は気があるようだが、告白はできない。次女は結婚し一児を設けるが、その姿はなく今は粗暴な夫とこの家で暮らしている。三女は東京で事務所に入って売れないながらも芸能界で仕事をしているが、突然姿を消して、この家に戻ってきている。
小説家の父親は寝たきりになってしまうが、その姿をドキュメンタリー映画にしようと、監督と助手が定期的にこの家を訪れるようになった。

例によって、初演の記憶はすっかり抜け落ちているアタシです。初演と同じキャスト、と云われてもそいう意味では全く感慨はないのだけれど、5年前にこのキャスト、しかも今となっては日本アカデミーの脚本家までキャストに居るという凄さに改めて驚くのです。

どうしてこの人々がこういう想いを抱くに至ったか、今彼らはどういう生活をしていて、子供の頃の名残りを残しつつも大人になって生きていて。自分が年齢を重ねれば親だって歳を取るわけで、そうなれば死ぬことだってあるし、そうなればずっと訊きたかったけれど訊けなくなることだってあるわけで。物語は多岐にわたって幾重にも重ねあわされているのだれど、物語の芯となるのは、ごくごくシンプルな、やはり、これは長女と父親の物語。あるいは子と親の物語。

そういう意味で公式動画で松永玲子が語っているとおり、序盤の30分、静かではあるけれど、これだけの時間をかけて子供の頃に起きていたこと、この家のこと、がすっかりカラダになじむのが気持ちいいのです。その後のタイトルもまたよくて。例によって何カ所かで使われるプロジェクションマッピング(初演の時はそんな言葉も知らなかった)ですが、もう、それぞれが格好良くて、あるいは慈愛すら感じさせる不思議な空気を作り出すのです。

みのすけはどこまでもゲスで居続けるヒールをしっかり背負います。長女を演じた犬山犬子の繊細な表情も台詞のそれぞれが愛おしくなってしまうのです。次女を演じた峯村リエを舞台で拝見するのはずいぶん久しぶりな気もしますが内に秘めた気持ち耐え、立ち続ける女の内側からの圧力の強さが圧巻。三女を演じた坂井真紀はチャーミングで、格好良く、しかも眼福(シーンとしてはかなり非道いけれど)までの盛りだくさん。三宅弘城が演じる書生のような人が年齢を重ねるのもまた哀しさ。女の子にうつつを抜かし続ける男を演じた大倉孝二のこういう軽さはあんまり見ない気がしてちょっと嬉しい。

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2013.07.02

【芝居】「ブスサーカス」タカハ劇団

2013.6.29 19:00 [CoRich]

去年初演の人気作を再演。大阪・東京のツアーに拡大しています。30日までルデコ。

キャストこそ一人入れ替わっていますが、びっくりするほど印象は変わりません。だめんずよろしく、あきらかに脈がない男に、乞われるがまま、もしかしたら自分に振り向いてくれるかもしれないという一縷の望みを託して強盗殺人を犯し、山奥らしい家に匿われるというか幽閉同然の状態におかれる女たちの悲劇。

男にもてない、という点の劣等感ゆえに、あるいはこの男がもしかしたら私のたった一人の相手かもしれないという拗らせた気持ちの不細工さは再演となって磨きがかかった感。けれど、なんだろ、女優たちがみんな綺麗になっちゃったり、どこか自信があるように見えてしまうのはツアーを成功させたということをアタシが加味して感じ取っててしまったのか。もちろん初演だって見た目の点で決して不細工というわけではなくて、(化粧っ気の無さやジャージ姿といった格好のダサさで強調はしていますが)きっちりチャーミングな女優たちです。

初演よりもコミカルさが増量されているのかどうか、ずいぶんとみやすくすっきりと入ってくる感じ。どこがどう変わったかは、というのは例によって記憶力がザルなのでわからないのですが。前回に続いて最前列だったアタシですが、初演の時の見えないで不満というシーンがほとんどないということに驚きます。注意深く改善を加えたのだろうと想像します。

好きすぎて狂い、独り占めされてしまうことを恐れて仲間たちを殺していくという中盤が群を抜いて圧巻。その中心に居る女を演じた内山奈々は、地味な中に秘め拗らせた狂気を存分に。二宮未来演じた若い女の綾瀬はるか・小夏ネタも健在でちょっと嬉しい。若い故にちょっと一歩引く感じと、でも若いってのもモテ要素だから有利だという絶妙なバランス。 高野ゆらこの、どちらかというかいじめっ子側というキャラクタ、時々見せる意地悪な笑顔がちょっとすごい。終盤でそれが効いてきます。初めてのキャストとなった石澤美和だけれど、違和感なく、この世界に間違いなく居る女を好演。異儀田夏葉はダサジャージ姿に近所のコンビニ店員だったという地味さ加減、実はさまざま愛されて、それ故の終幕の鬼の形相が印象深い。その廻りで踊る血まみれメイド姿のダンスという演出がそのまま、これも印象的なシーンがそのまま残っていて嬉しい。

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2013.07.01

【芝居】「私と彼氏とその彼女」キャッチ.コム

2013.6.29 16:00 [CoRich]

四つの劇団からの四人で作られたユニットの旗揚げ公演。80分。30日までゴールデン街劇場。

高校三年生。仲良しな女子高生3人、一人は彼氏が居て一人はずっと恋をしたい。私はといえば、テストが近いけれど引っ越しをする。

高校生の女三人×男三人。どうしても女同士、男同士の友達というのが彼らにとっての「社会」の基本になっている頃。もちろん恋をしたり、恋に恋したりしたりしてるのだけれど、それでも大事なのは同性の友人たち。もう少し年齢が進めばまた違う意味も出てくるけれど、高校で気があってずっと一緒にいる同性の友達は確かに濃密な時間を過ごす、というのを懐かしく思い出したりもするのです。

物語の骨格になるのは、タイトルの通りに私と彼氏とその彼女、という三角関係になる人々。それが物語で明かされるのは終盤に。 高校三年生の日常を描いていく序盤、一組の恋人、それぞれの同性の友人たち、教師たちという日常。遅刻したり居眠りしたりして怒られたり、昼休みを空き教室で過ごす男子たち(この絶妙に主流じゃない感じの設定もいいし、役者たちもどうにも説得力があっていい)なんてのも楽しい。単に女子とすこし話をしただけなのに、モテキだと勘違いしてしまう感じもあたしの気持ちを懐かしくさせるのです。

ここから物語は、一年生の入学式の日に戻って、女子三人の過ごしてきた時間を描きます。丁寧に些細な積み重ねの日々が作り上げた(高校生にとっては)長い時間を描くという物語の意図はよくかります。出会って、盛り上がって、恋いしたい気持ちを白状して、修学旅行で夜な夜な話をしたりと、積み重ねてきたものなのだけれど、ここの構成がどうにも惜しい。この流れが平板に感じてしまうのがもったいない。このあとにこの関係が崩れる、ということのダイナミックレンジを広げて見せようと時間をかけて丁寧に何気ない日常の積み重ねを描いた結果だという意図はよくわかります。が、ここはもっと摘んで(編集して)見せるとか、あるいは順番というか構成で工夫する手が使えそうな気はします。物語そのものは、誰にだって気持ちが腑に落ちるような強度があるだから。

とはいえ、物語の骨子はわりと好きだったりするのです。本筋ではないけれど、男子三人のいわゆるホモソーシャル(性的な意味ではなくて、きゃっきゃきゃっきゃ喜ぶ感じ)な感じが楽しい。昼休みにしても夜な夜なケータイで電話しても(あたしの時代はこれがなくて、まあ、アマチュア無線つかったりしてましたがw)、もう恋しているかもしれない、というよりは恋に恋してるという幼さがあったりするのが実にいいのです。

終幕近く、こういう恋の物語が女の子一人の気持ちの物語に収束していく、というのは少々面食らいます。一番大切なもの(公園をモチーフにして語ります)が無くなるということがどうにも耐えられないから二番手でいいと思っていたのだという(中盤で、もっと上を目指せるのに志望校を他人に合わせるというのもちょっと符合する)気持ちの繊細さは、ちょっといい感じなのだけれど、物語の配分のバランスひとつで、もっともっとよくなりそうな予感がするのです。

恋人の女を演じた長井短はここでも印象を残します。体育の創作ダンスのどうにも踊れなさそうな感じ、あるいは体温が低い感じがちょっといい。主役となる女を演じた石澤希代子は地味に見えて、終盤でキラキラするのが素敵。正直に云えば、この二人の演技が互いに異質で違和感が残ります。違う、というだけでどちらがいい悪いではないのだけれど。 ゲイよばわりされる男子を演じた小林光の、モテそうもないのに中二的に妄想めいっぱいなモテ期が楽しい、とういか他人とは思えない(笑)

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