« 2013年5月 | トップページ | 2013年7月 »

2013.06.28

【芝居】「スペインの母A」肯定座

2013.6.23 20:00 [CoRich]

散歩道楽の太田善也による女四人の短編40分。アタシはサンポジウムでの上演(1) を拝見していて懐かしい。24日までCHINEMA BOKAN。

合コン帰りらしい女4人。そのうちの1人のものらしい店。1人は若いが、他は三十代。どうも、今日の釣果は薄かったよう。

物語と云うよりは、女優四人のさまざま、若くて綺麗だったり、縁遠そうだったり、あばれたりというそれぞれのキャラクタで作られた人物をのぞき見る感じが楽しい一本。今日の男たちはダメだったね、という反省会のような感じだけれど、そのなかで実は云えないこと、あるいはこの四人の中だって、ちょっとやだよね、と思うようなたわいもない、しかしきっとずっと仲がいいのだろうなと思うような感じの空気感。

一人だけ若くてキレイ、というのが効いてるよなぁと思うのです。若いけれど他の三人と遊びに行ったり、気にしないで楽しく会話できるような関係。だけれど、合コンともなれば、あからさまに格差がついてしまうようなある種の残酷さ。もちろん、それだけであからさまにダメにならないぐらいには中がいいけれど、その格差は、この男はウザいと思って切り捨てられるような男だって大切で、いいなと思うのもまた乙女心という具合に埋まらないのが、またいいのです。

店主を演じた奈賀毬子は落ち着き、場をコントロールするというキャラクタが良く会います。四人の女優が服をたくし上げて乳自慢をする、というシーンがあるのだけれど、もうね、どーんと。 頑張ってる女を演じた菊池美里、そう見えないのに可憐さが見え隠れしてしまうところがほんとうに可愛らしい。 毒づく女を演じた久行しのぶ、明らかに場を荒らしテンションを高く保つという役をしっかり。 ひとり若い女を演じた福原舞弓はこの中においても物怖じしない、ああ、若い美人ってこうだよなぁという造型が堂々としていて惚れてしまうのです。

当日パンフというか、役名と役者名が書かれたモノがないのは残念な感じもあるのですが、開場中に繰り返し流れている動画には役者の名前がクレジットされているのは、うまい工夫だな、と思うのです、こういう仲良したちが、鎌倉の海に遊びにいったんだな、というこの人々の繋がり具合が準備されるのが見やすいと思うのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013.06.27

【芝居】「きれいなお空を眺めていたのに」こゆび侍

2013.6.23 14:00 [CoRich]

こゆび侍の新作。劇団史上もっとも長いという115分は濃密です。30日まで王子小劇場。

美容室を営む母と、一目惚れで結婚した教師の父。息子は引きこもってはいるが、両親と妹と叔母が部屋にやってきて毎日食事を一緒にしているが、ネット上でリアルでは会ったことのない恋人と逢うのに没頭している。叔母は主張もないのにいろんなデモに参加している。妹の同級生たちはは緑を守るためのクーポンを集める委員会活動に熱心で、毎日店を喪服姿で訪れる近所のおばさんは毎日知り合いの葬式に行っているのだという。母の親友はカリスマ美容師になっていて忙しい日々を過ごしている。
ある日、父と母は、もうすぐ世界が終わるんじゃないかという想いに囚われる。まるで蚊が人間の手につぶされるように、天から手のひらが降ってきて、つぶされるんじゃないかと考えるようになる。世間でももうすぐ世界が終わるということが噂になっている。

世界が終わるかもしれないとき。立ち止まって努力を辞めてしまう人、その中でも前向きに歩みを止めずに進んでいく人、そもそも終わらないように変えようとする人。物語の中で語られるように、この世が終わってしまうというばかりではありません。たとえば恋人だと思っていた人に手ひどく裏切られたり、これまでの生活を続けるのを辞めたいと思ったりと、それぞれにとっての世界の終わりは、どんな些細な日常にだってあるのです。そういう時にどういう生き方をするのか、というのをショーケースよろしくいろいろなバリエーションで見せていく群像劇として語られていきます。

実際のところ、この群像劇な描き方は、「沢山の人がそれぞれの考えでそれぞれに生きていく」ということをごく丁寧に、しかも優しい目線で描いているという気がするのです。もしかしたら世界が終わるかも知れない、というときにどう生きていくかということを描いて、その終わるかも知れない「世界」を描くのです。

がそれは「終わらなかったらどうする?」の一言だったり、あるいは人からの想いだったり、あるいは出てこいよという煽りだったりのさまざまで止まりかけていた人々の歩みが再び動き出すのです。ああ、なるほど、私たちは何があっても、きっと前に進んでいくんだな、という気持ちはポジティブさ一杯で、いままでの作風とちょっと違う感じがするのは作家になにか思うところがあるのかなと思ったり思わなかったり。

その中において、まったくぶれることなく毎日を暮らしていく、という人も居て。それは主役の夫婦だったり、あるいは毎日葬式に出かけているという近所のおばさんだったり。世の中が混乱したって変わらない人、あるいは変わらない気持ちがある、ということ。

オープニング、蚊がつぶされるように、一瞬にして世界が消えるというあたりが強烈な印象を残します。このシーンの強さが物語の世界を一瞬で作り上げることに、ワクワクとするし、見終わったあとにじわじわくるのです。

ネタバレかも

続きを読む "【芝居】「きれいなお空を眺めていたのに」こゆび侍"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013.06.26

【芝居】「マリオン」青組

2013.6.22 18:00 [CoRich]

現実に存在したゾウガメ・マリオンの物語を骨格にしつつ、「独りで生き続ける」ことを女性視点で描く90分。23日までアゴラ劇場。

リアカーで一夜を伴にする男女。今は独りの女は自分の家族たちの昔話を始める。リアカーで移動する一座。父・兄・姉・妹・犬。生きている客は少なくなってるけれど、その一座の人気演目は、ゾウガメの話。島、バアバに育てられたお嬢ちゃん亀は幸せにごゆるりと暮らしている。船乗りたちにとって貴重な蛋白質で乱獲にあっていたゾウガメだが、ペットとして、軍のマスコットとして長い年月を生き続けている。

舞台下手奥には内側から光りケーブルが張られた塔、その下はウッドデッキと砂浜を思わせる砂。中央にリアカー。上手手前には小さな塔。リアカーに旅回りの一座といえば「寿歌」ですし、そうなると塔は原発かと思ってしまうのです。もっとも、物語としてはほとんど関係がなくて、「独りで生き続ける」ということの作家の見え方という物語。

そろそろ若くはない、という年齢にさしかかる作家(そうか青山円形劇場の「転校生」から20年も経つか)、彼女がこの物語を描くに至った何かがあったのかどうかは知る由もないのですが、いままでは恋だったり、誰かと夜を伴にすることだったりを描いてきた印象の強い作家が、「独りでいることになるかもしれないという恐怖」を描いてきたのは新鮮な驚きなのです。

物語の骨格となるのは、時代が移り変わっても生き続け、「さいごの独り」になってしまった実在したゾウガメ・マリオンの物語。大西玲子が、一座の家族のなかで、あるいは地球の人間の最後の一人となってしまったという女性を演じることで、人間とカメとが重なり合うように描かれるのです。お嬢ちゃんから大人、年寄りに至るまできっちり。荒井志郎は一夜を伴にする男からどもりがちの兄かと思えば後家という役があったりとダイナミックレンジの広さが魅力。姉や老いたカメを演じた福寿奈央は可愛らしく、しっかりとした眼差しが印象に残ります。父を演じた藤川修二は意外に珍しい気もするがさつが先に立つ父親の造型。急なキャスト変更で犬、を演じた松本ゆい、従順さ、というのが似合うような可愛らしさにほわんと嬉しくなるのです。

当初の予定では劇団員だけのミニマルな公演だったのだけれど、急病によるキャスト交代によってそれは叶わなくなってしまいました。小さくてどこにでも持って行けるような物語を劇団員だけで、というのは、再び上演する機会がありそうな気がします。ワゴンにでも乗って、旅公演、なんてのが目に浮かぶような浮かばないような。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013.06.25

【芝居】「崩れゆくセールスマン」青年座

2013.6.22 14:00 [CoRich]

パラドックス定数・野木萌葱(のぎ・もえぎ)の書き下ろし。 青年座の年齢層の厚みが加わった120分。23日まで青年座劇場。

団地に住む老人たちをターゲットに現物の金は無いのに金地金を購入させて証券を渡すだけの現物まがい商法で業績を伸ばした会社。犯罪は自覚している営業マンたちは金が必要で、あるいは金を貰いたくて売り続ける。トップセールスの男が新たに契約した老女は30万円分を購入したもののそれ以上は買わない。半期のトップセールスの女は儲かったといって、更に買い増しさせることに成功する。
これだけ老人たちから金を吸い上げても会社に現金はない。クレームしてくる客も増えてきていて、そろそろ潮時だと誰もが感じている。

パラドックス定数の作演、野木萌葱は三億円事件など現実の事件を背景に敷きつつも、その史実の隙間に虚構を滑り込ませて作る物語が持ち味。今作が描くのは、1985年、会長が刺殺されるシーンがテレビで放映される幕切れを迎えた事件(とはいっても当時受験生のアタシ、実はあまり実感がないのだけれど)。あの派手な刺殺のシーンではなくて、騙し騙されのアングルの中で、もしかしたらあったかもしれない人々という虚構をきっちり描きます。

外部向けに書き下ろされたのを拝見するのは初めてなのだけれど、彼女が描く王道の語り口の物語を、青年座ゆえの役者(と観客)の幅の広さは、青年座らしいある種の見やすさもあいまって、深い深い奥行きを与えるのです。パラ定でこれを上演するなら、騙す側の会社を描くのが精一杯になるところを、騙される老人たちを現実に目の前に出せる、という強み。

騙す騙される。悪いことは悪いこととして、しかし単に騙す側を糾弾するでも、騙される側を憐れむでもなく、それぞれの人間がそういう風に生きてしまっている、という意味で人々を描くドラマなのです。騙す側のセールスマンたちにだって葛藤はあるし、稼がなければいけない事情や欲望もある。あるいは騙される側にだって欲をかくという心の隙も、あるいは自覚しつつも騙されるという(少々複雑な)心持ちがあるというもう一歩先をも描くことで、単に一方的な被害者というわけではない深みを与えるのです。

トップセールスを演じた石母田史朗は優しげな表情と、時に冷徹な造型にぴったり。今は駄目なセールスマンを演じる嶋田翔平や、金を至上とするセールスレディを演じた野々村のん(バブル真っ盛りなスーツも髪型も実にいい)、それぞれのバランスが実に良くて。その上司を演じた矢崎文也は犯罪をおかしていながらの正義感、社長を演じた小豆畑雅一はコミカルを載せつつも激情で、という相反する造型がわりと殺伐しがちな物語の中で妙に人間くさく見えて楽しい。騙される老人を演じた名取幸政の好々爺から豹変する金の亡者っぷりも凄いけれど、何より凄いのは、ずっと可愛らしいおばあちゃんで有り続けた老女を演じた山本与志恵、判ってて騙されるというまあ屈折しまくった人物なのにちゃんとリアルで居続けるということの凄さなのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【芝居】「月と太陽と泥棒と」まつもと市民芸術館・TCアルプ

2013.6.20 19:00 [CoRich]

まつもと市民芸術館の、児童文学発掘シリーズ (1, 2)の最終章。串田和美の処女戯曲を100分。23日まで、まつもと市民芸術館小ホール。

その街は探偵を父に持つ娘が住んでいた。月を探偵してくれという依頼がたくさん舞い込むようになる。月祭りが近づき町長は町外れの牢屋に閉じこめられている泥棒に会いに行く。
列車で泥棒の二人組が訪れた町、太陽がずっと出ない町の人々に、なぜか大歓迎されて。

串田和美の処女戯曲を加藤直が台本化・演出。時に音楽、ときにコミカルな感じなのだけれど、児童文学シリーズとはいいながらも、今までの物とはずいぶん印象が異なります

月と泥棒、太陽と泥棒の大きく分けて二つの物語。月について表面的に興味ありそうなそぶりの町の人々と、自分は普通とは違うのだという男の子の話、その仲良しの泥棒とそれを頼る町の人々という前半。世の中の大多数に対する違和感のような、自分は特別な存在だという感じか。 男の子を演じた佐藤友の少年っぽさ、その違和感と成長の狭間という感じが印象的。 あるいは無声映画のように一人二役で演じるシーンもちょっと好き。演じたのは丸山港都さんだったか(記憶が曖昧....簡単でもいいから配役表がほしい)

後半はそれとは全く別の、泥棒が町を訪れ一仕事、でもなぜか歓待されてしまって、太陽のない町にキャベツで作った太陽で喜ばれるという後半。どちらかというとコミカルなシーンが多くできるのは泥棒を二人組にしてロードムービー風に仕立てているからで、つっこみ、ずっこけというその楽しさ。

アタシが少々ハードだった今週会社帰りだからか物語をのそこかしこを見落としてしまったという恐れは否めません。アタシには二つの物語の間のつながりが見えず、物語をは断片としてしか感じられないのが残念。月・太陽・泥棒という単語からの連想というアリバイこそあるし、騒々しさのあるにぎやかな「劇」ではあるのですが。あるいは、この物語のままでもおそらくは歌も楽器も、あるいは演技にしても圧倒的な役者の力があれば乗り切ることはできるとは思うのです。が、それはこの座組では少々厳しいのも事実。でもそれはレジデントカンパニーを(もちろん成長も織り込んで)アリモノとして使う前提なのだから、原案との間に物語や演出というすりあわせが欲しいな、とも思うのです。

バイオリン弾きだったり、道化っぽかったりと、 片岡正二郎はこの座組の中では圧巻。ほんとに何気なさ、ちょっと客をいじるだけにしても、節回ししてみるにしても、存在するだけで、というすごさ。が、あくまで物語は背負わない道化としてのロールだけれど、それだけだって客席を沸かせるちからなのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013.06.19

【芝居】「れんげでごはんのおばんざい」れんげでごはん

2013.6.15 20:00 [CoRich]

松本の市街地、蔵をリフォームした30人で満員の信濃ギャラリー、4回公演とはいえ早々に前売り完売。90分で7本立てという劇団初のオムニバス。16日まで。付近の飲食店とのコラボで、その店舗名と劇団ロゴのダブルネームなチロルチョコを配る、というお楽しみがまた楽しい。

先輩にサークル合宿と云われて連れて行かれたのは、宗教のような研修施設だった。不満を書いた日記を落として拾ったのは同じ建物にいる見知らぬ誰かだった。この教団を信じ切ってはいるけれど、気持ちはよく理解してくれる誰かと交換日記のようになっていく「真緑の音」
殺人事件が起きて探偵は警部に関係者を集めるように云われる。動機もトリックも見破ったと言い切る探偵だったが、それは覆され、困難に陥った探偵は再び関係者を集めて「茜色の推理」
恋人の居る男たちへのアドバイス。彼女ががっかりすること、別れ際、長電話の切り方、彼女のドタキャンへの対処。彼女がキュンとすること、寒い日、ドライブデートのこと「ラヴァーズ・トーク」
魚臭くない?「カタクチイワシのブルー」

ドジっ子な店員で人気のカフェ。仕事の不満をため込んだ二人の会社員がやってくる。大まじめにやっているのにやることなすこと間違いだらけの店員に癒されるというか、癒されないというか。「ドジっ子カフェは空色ストレンジャー」
資料を作るために早く出社した男、なぜか同じぐらいの時間でやってきた後輩は、朝活だとかなんとか云ってるけれど、送ったはずの見積もりは送られてなかったし、引き出しの中はお菓子で一杯だけど。「イエローサブ社員」
小さな郵便局、もうすぐ窓口を閉める時間。カードをなくした男が訪れたりはするがのんびりしている。そろそろ閉めるかという時間、仮面をつけた女二人が金を出せと押し入るが、その正体がわかってしまう。遠くにはサイレンの音が「とある郵便局の夕焼け」

ほぼ素舞台のわりに照明はけっこう吊りこんでたり、舞台奥の扉を演目によってきちんとふさいだり、と実はけっこう手間をかけています。ワンアイディア一発勝負だったり、短いながら積み重ねる物語だったり、まさに小皿がたくさんでてくるようなバラエティがうれしい。狭い小屋故だけれど、場所を知り尽くしているからできるとも思うのです。

「真緑〜」は、教団に幽閉される女と、その交換日記の相手の距離感がだんだん縮まりながらも、最後での脱出に至らない、ままならなさ。コミカルなシーンを挟んだりもしていますが、そのままならなさこそが作家の持ち味の一つ。ホリゾントを立てて設置し、壁全体も含めて緑色一色にするのが効果的。

「茜色〜」はまあ本格ミステリーではないだろうな、と思いながらも、謎解きがどんどんグダグダになっていく感じがおもしろい。探偵小説では古典的な氷を使って犯罪発生時刻を誤認させるというのを得意気に披露する探偵、死亡推定時刻から窓が割られた時間、しかもそれを自動的にという何にでもその氷で押し続けて解決しようとする無理押しがおもしろいし集められたのに関係者がみんなスッポかすというのもちょっといい。

「ラヴァーズ〜」は芝居というよりは、スチル写真をスライドショーのように流しつつ、音声を重ねるというビデオ上映。音楽もないし、YouTubeにもあげられる感じ(まあ、印象としちゃボラギノールのCMのアレですが)。彼女をがっかりさせないためには、というある種の面倒くささの前半も、彼女がキュンとする、というほんのちょっとの過剰感の後半も好きなのです。 ドライブデートで、事故りそうな瞬間に彼が片手で私をかばってくれた、とか、コンビニに買い物に行く彼が、車に一人残った私のためにリモコンでキーロックしてくれた、とか、東京の小劇場ではまずおめにかからないシチュエーションも地元な感じで実にいいのです。

「カタクチイワシ〜」アイキャッチな感じで何回か挟まります。頭に魚のかぶり物、魚臭いというのが、ポイントだったりするけれど、最後に片手にスプレー(消臭剤か)をもってうれしそうというのがちょっとメルヘンでちょっといい。

「ドジっ子〜」まあ、あからさまに女性がカフェ店員なパターンならどこかにありそうな営業形態、メイドカフェの派生な感じの物語の枠組みなのだけれど、それを少々むさ苦しい、若くもない男がやる、という男女逆転というワンアイディアの勝負がうまく働いています。客の女二人を派遣社員と設定して、不満と夢を語らせるというのも、一昔前なら男の役割ですから、ここもちゃんと逆転していて美しい。

「イエロー〜」 自由気ままでやりたい放題の後輩と巻き込まれる先輩、という感じ。正直に云えば、後輩がなぜそこまで自由を許されるのかというのが「茜色の推理」と同じ構造で、しかも役者も同じなのはもったいない気も。腹を立てた先輩が、激高するとぜんぜん別のところに腹を立てていくというズレが造型がおもしろい。

「とある郵便局〜」 銀行強盗なんだけれど、舞踏会かという仮面をつけた女ふたり、という場違い感も、金をつめさせるバックを投げるとブランド物だから持ち主が怒ったりという、ふざけてるんだか本気なんだかわからない感じの序盤。正体がわかって、なんか素敵な友情物語という終幕がちょっと可愛らしく、優しい視線。

短い時間の芝居なので、それぞれの役者がそれぞれわりと強い印象のキャラクタで作るという感じになります。結果として役者の顔見世にもなっています。少々キャラクタが似てしまうものが出てきたりもするけれど、それもご愛敬。 加藤吉は愛らしさ、抜けてる感じの造型がさすがに巧い。 制作チーフでもある遠藤優はいやいや、相当に間も会話もきっちり。馬渡理子と小澤鮎美は去年の本公演 (1, 2)の二人、ペアで喋っている時の実に安定した感じが醸されているなぁと思うのです。どこか抜けてるかんじ、どこかきちっとしてる感じがどちらにもあって。 市川しをりはなんせスライドの表情が実に素敵で可愛らしい。 小口翔はアイドルヲタの造型が、まあ、体格もあるけれど、そのこだわりっぷりが現実の物に見えてしまう説得力。 宣伝美術を兼ねる渡辺千晴はマダムから魚まで、どうかと思うふれ幅なれど、豊かな表情が持ち味。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【芝居】「プツリ」第6ボタン

2013.6.15 13:30 [CoRich]

おなじみの十条の飲食店で続ける公演。リーディング、と銘打ち、ごく少ない4人のミニマルな構成の55分。16日まで。チケット代にはワンドリンク・ワンフード(昼ご飯になるぐらいにはもりだくさん)込みで2000円。

せっかくのデート、ちょっと頑張っておしゃれしてきたのに、恋人は30分遅刻してきても謝りもしない。優しいしちゃんとしてるし、仕事頑張ってるのはわかるけれど、そこが許せない女。
職場の飲み会の徹夜明けで大急ぎで寝癖を直してやってきたのに恋人はなぜか機嫌が悪い、どうしたらいいんだと考える男。
女にかかってきた電話は元の恋人からだった。元々嫌いになったわけじゃないけれど別れた恋人と話をすれば、どこまでも優しくて美術館へデートに誘ってくれたり、完璧だ。
男は職場の飲み会で終電を逃したあとにタクシー乗り場で偶然居合わせた居酒屋バイトの女子大生をおくることになる。気楽な感じ相談を聞いてあげるだけで明るく、喜んでくれる。

リーディング、と銘打ちながらもそれにはさまざまな形態があります。今作は手にしたノートを読むのは内面の吐露、それ以外の会話は普通に行うというルールがうまく機能しています。

恋人たち二人を物語の核に、つきあってそこそこ時間は経っているけれど、満たされない承認願望だったり、束縛を面倒と思うことだったりの男女。すれ違うことはごくわずかなことで大筋ではきっといいカップルなのだろうな、きっとこの二人は結婚に至るのだろうなという雰囲気なのだけれど、場面場面で切り取れば怒りたくなったり泣きたくなったりというさまざま。それはもちろん結婚したって続くだろう日々のこと。そこに魔が差したというか、きっかけというか。元彼だったり若い女だったり。浮気しようとおもえばできるかもしえない、そういう気持ちの揺れを物語の核に据えます。じっさいのところ、会って話をするとか、長電話するとか、それぐらいのことだけれど。

惹かれる気持ちがあっても、たとえば元彼とのデートはドタキャンされて、ああ恋人ではなかったんだと我に返ったりするという距離感の伸び縮みの細やかさが印象的。終盤で、恋人は再び職場の飲み会で朝までばたばたしていて、二日酔いだけれど、頑張って会いに来るのが恋人なのだ、ということとのコントラストがいいのです。演出では、電話がかかってくる相手を、フェイクに入れ替えたりするような見せ方もクスリとする感じでアタシは好きなのです。

派手さはないけれど、日常の何かをきちんと描き出す解像度の高さ。細やかな気持ちを小さい劇場だから伝わる繊細さで描くこと。短い時間だけれど、ぎゅっと濃縮されて、しかも登場人物がちゃんと成長しているというのが物語になっていて、いい一本なのです。

今カレを演じた日置達哉の面倒くささをあからさまにする軽口と、それでも想っているのだという造型。彼女を演じた青木裕美子は、不満をあからさまにする表情と癒され安堵する表情と、あるいは少しの諦めと、未来へ向かう表情が実にいいなあと思うのです。女子大生を演じた我妻教子のよく喋る感じ、頼ってくる年下女子の造型がまた(今のアタシにとっては)ファンタジーのよう。元カレを演じた小保方こうたは、真面目さ、優しさを徹底した雰囲気が印象に残るのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013.06.16

【芝居】「劇作家女子会!」劇作家女子会×時間堂

2013.6.14 19:30 [CoRich]

時間堂との共催で女性劇作家が短編戯曲を持ち寄る「女子会」イベント。120分。16日まで王子小劇場。

美容院の客は大学を卒業したばかりの若い女で、もうすぐ結婚をするのだという。30過ぎの美容師は結婚はしていないが、年下の恋人が居る。ふとしたことで、二人の恋人が同一人物だとわかってしまう「彼女たち」(作 黒川陽子)
女と公園のベンチで待ち合わせをしている男に、街娼の女が声をかけてくる。断る男だが、女は自分が気に入ったのだから、千円で自分を買わないかというが、名前を訊ねると一万円という「Compassion」(作 オノマリコ)
夫の誕生日にケーキを作る妻。しかし夫には別の女の影が「ハッピーバースデイ」(作 モスクワカヌ)
恋が流行している小学3年生のクラス。恋が成就すると評判のメール代書のサービスをみんなが利用しているが、その文章を書いているのは、図書館に籠もり友達も少ないクラスメイトの女子だった「親指姫」(作 坂本鈴)

チラシも当日も、件の女性作家たちはパーティっぽさめいっぱいなビジュアルでやってるのに新人以上中堅未満と名乗る彼女たちが紡ぐ物語は少々ハードなものも混じって切っ先鋭く。それに戸惑いつつも。

「彼女たち」は二部構成で最初と最後に上演。第一部は、結婚が決まったという若い女と未婚の30過ぎ女の微妙な対立の中から、二人の恋人がどちらも同じ男だったという決定的な対立へ。偶然、というのが少々物語の作りとしては弱い感じがしないでもありませんが、男を包み込むように支えているのだという30女と、長くつき合ってきてしかも今日デートするのはワタシなのだという若い女との静かな戦いが面白く。30女を演じた佐々木なふみは人生経験の豊かさを感じさせる厚み、若い女を演じた長瀬みなみははちきれんばかりの若さ、というコントラスト。

第二部は二人の対立のエスカレート、男はセックス依存なのだとか、高円寺に別の女が居るとか、車を買ってあげたとか、つきあうきっかけは車にはねられたことだとか、おそらくは嘘が徐々に混じり、エスカレートし、その嘘のやりとりが二人面白くなって笑い合っちゃう、という展開。お話を作るのが劇作家の性ならば、こんな修羅場だって、ねつ造で乗り切るのだという感覚はちょっと面白い。二人が笑いあってるけれど、どちらかが別れる風でもなく、そのまま続いていくんじゃないかという不思議な感覚。相手のバッグを漁り、写真を服に隠した若い女、そのあと写真が見つからず服の中を探しまわったあげくに、スカートがばっとたくしあげて、というのはそれまでの造型とは違いすぎて、おそらくハプニングだろうと想像しますがちょっとほほえましい。

「Compassion」は、当日のトークイベント(ゲスト、高野しのぶ)によればエドワードオールビーの「動物園物語」に着想した物語。女を待っている男を誘惑する街娼、体はたった1000円なのに、名前など彼女の正体を知ろうとするとふっかけてくる、というなぞめいた造型。相手が気に入って体は安売りしても、心はそう簡単じゃない、知りたいと思う相手が居るならそれは市場原理よろしく値上がりするのだという感じがちょっと面白い。男にとってはある種の不条理な災難(いや、彼女が1000円なら毎日だって自分が通う、という声はアタシ含め多数聞こえるけれど)なのだけれど、そもそも男が待っている女とは誰なのか、そもそも本当にその相手はいるのかが怪しくなってくる感じなのもまた不条理な感じ。 女を演じた阿波屋鮎美はしなやかに色っぽく眼福だけれど「たちんぼ」というには少々上品が残っちゃうのは痛し痒し。アタシの友人は抱かれたいというイキオイだけれど、生業ではない、というのだけれど、どうなんだろ。男を演じた菅野貴夫は巻き込まれちゃう感じを好演。

「バースデイ」は、妻と浮気相手の二人の女、まったく別の空間。妻は家でケーキを焼くけれど、失敗が少ないとバターの替わりにサラダ油を使うというちょっとした引け目というか微妙な感情の持ちようとか、夫を思いくしゃくしゃになる感情で攪拌し続けるクリームが分離してしまうとかと云った具合に、ケーキを作る過程で感情を描く感じの細やかさが新鮮。もっとも、それならば最後のケーキにもうひとパンチ欲しい気がしないでもないのですが。妻を演じた直江里美はほぼ一人芝居のように静かに感情をぶつけ続ける役をしっかり。浮気相手を演じた長瀬みなみはワイシャツを羽織り素足なまさに「らしい感じ」だけれど、同じテーブルで直角に座るためにワタシの座った下手端からだと背中だけなのがちょっと惜しい。いや、背中ゆえにワイシャツに透ける下着の色っぽさったらないのだけれど。

この中では唯一コメディ仕立ての「親指姫」。恋心を代筆するというのはシラノドベルジュラックよろしく、なのだろうけれど、まるで少年ジャンプかというほどに活劇口調の語り口で、全体にどろどろな感じが先にたつ他のものとのコントラストが鮮やかで印象に残ります。 代書で手に入れた恋心、それは相手もまた代書を使っていて、自分の想いが言葉になるんじゃなくて、美しく紡がれた言葉に自分が踊らされがんじがらめになっていく、という感じは、手紙じゃなくてメールだからこそのスピード感とあいまっておもしろい感じなのです。 親指一本のケータイメールで代筆を請け負うという「親指姫」というタイトルも秀逸ながら、そのライバルの代筆屋の名前が来週同劇場で公演の劇団「こゆび侍」というのも、ちょっとニヤリとする感じで洒落ています。 地味だけどおきゃんなヒロインを演じた河南由良、ライバルを演じた木内コギトの造型はきっちりジャンプ風味。三色の女たちと独りの男を演じた時間堂の4人がまた楽しい。

ロビーではカフェ風の飲み物や缶ビール(終演後ぷしゅっとしてトークイベントを楽しめるのがいい)、おつまみ(紙コップに結構入って50円だったかは安いけれど、この季節ポテチがシナシナなのはご愛敬)を売ってたり、それぞれの作家の戯曲などを売っているのはフリマ風で楽しい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【芝居】「バイト」カスガイ

2013.6.14 15:00 [CoRich]

ガスガイとしては4年ぶり(1)。115分。23日までテアトルBONBON。

製紙工場のアルバイトたちはほぼ前科がある。就業時間後、滅多に入れない会議室に集められる。現れた社長は、寮で死体で発見された女を、殺した犯人をこの中からでっち上げて自殺する一人を選べ、と命じる。

物語の前半2/3を占めるのは、前科者がほとんどのバイトの人々と、死んだ女を巡る人々の想い。フォーマットとしての原型は一人を選び出すという点で「召命」や「俺の屍を越えて行け (1, 2, 3)」、 「月並みな話 (1, 2」 を思い起こさせますが、どうにも座りがわるい感じは残ります。そもそも人間扱いしてないのだから、どんな方法でもいいから一人を選べというのは社長の側のロジックとしてはそうなんだろうけれど、自分から進んで名乗りださせるためのロジックというかインセンティブというか(死んでしまうのだから金というわけにもいかないので、難しいというのは理解できるものの)が不足していて、一人を選び出す(観客と物語として共有できる)軸が明示されないからなのですが。これだとほぼくじ引きと変わらなくなってしまうので、物語の推進力として弱い感じになってしまうのです。

社長がどうしてここまで前科者たちとはいえ、従業員というかバイトたちを貶めるほどの独裁者になってしまったのかが今ひとつわからないのです。

ネタバレかも。

続きを読む "【芝居】「バイト」カスガイ"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【芝居】「フェアリーノーツ」smokers

2013.6.9 15:00 [CoRich]

smokersとしては珍しいらしいコメディ。120分。9日までMOMO。

旧本社の一室で特別企画室と名付けられた一室で仕事をしている社員たち。会長直轄ではあるけれど、実体は問題のある社員たちを集めた部署で、総務から仕事を下請けている。ひとり真面目に働く男は40歳で室長となった上司を追いかけてこの部署に転属している。
ある日、この部屋に入社三年目の女性が転属してくる。前の部署でいろいろと問題を起こしている。40男はそれまで真面目一筋だったが、恋をして、彼女のことを書く「フェアリーノート」を作る。

同じ作家によるDART's(1 2, 3, 4 )はかなり追い込んできっちり作る印象なのに比べて、もう少し柔らかな印象のsmokers(1)、とはいえ、単独の公演は初めて拝見します。 コピー機とプリンタこそないけれど、ネットも使えて上司だって優しいいわゆる「押し込み部屋」というのは相当にファンタジー(もっとも、物語の上ではリストラ部屋とは違って会長の庇護の元、ということになっているのは説得力があるんだかないのだかわからないけれど、一定の説明になっています)。

淀んだ空気のこの部屋に吹く春風に気持ちが乱れ惚れてしまう真面目一筋四十男。彼女のことをもっと知りたい、と思ってもろくに話ができるわけでもなく机の上とか引き出しとか。かと思えば、あっという間に会話して、彼女自身の口からいろいろ聞き出せてしまう男も居たり。気が付けばこの部屋の男ども全員が彼女に首っ丈で、さまざまに調べ尽くしてみたり、守ろうと躍起になったりというのは中二的といえば可愛らしいけれど、知恵も技術もあるむさ苦しい男たちが調べればどうにでもなるという間違った万能感(しかも本人たちは、危害を加える気も恋仲になろうという気もなく、自覚がまったくない)は、正直、かなり怖くはあります。

が、その向こう側を用意するのがちょっといい。彼女が実は好きな人に別れを告げられていることを知った男たちが、彼女のために何でもしようと団結していく(特攻野郎Aチーム、あるいはルパン三世のあのチームよろしく)のもまた、男の子的なのです。

畳みかけるように、物語でコメディを成立させるというのは三谷幸喜やラッパ屋の世代にはたくさんあったけれど、今、特にいいオトナたちのコメディ、ことに会社を舞台にしたものは若い世代の芝居ではほとんど見られなくなっている気がします。その中でこの作家がこういうある意味ベタなコメディを描くということがちょっとうれしかったりもするのです。

転属してくる女を演じた根本沙織は、みんなが惚れるのを可愛らしさというアイコンで体現する説得力。 事務の女性を演じる岸本鮎佳は時にニヤリとする表情、声色のおもしろさが実にいいのです。出勤時には机の前で髪をぱさぁっとしたり、退勤時にはロッカーの前でポーズを決めるというのが可愛らしく、かっこいい。 室長を演じた木戸雅美は優しさ、厳しさ、あわせもつ、まさにおっかさん、という造型できちんと支えます。 ノートをつける四十男を演じた吉田一義は大まじめに大汗をかいて、照れたり頑張ったりという主役をきっちり。 軽口を叩いて女の子とすぐ仲良くなっちゃう同僚を演じた熊坂貢児も、その軽さの対比、杖をついて小難しいことを云う同僚を演じた島田雅之もまた、この部屋のちょっと淀んだオジサン感がめいっぱい。そういう意味では古き良き昭和、なノスタルジーといえないこともないけれど、芝居の中ぐらいはね、こういうのがあっても。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013.06.13

【芝居】「キャンベラに哭く」桃尻犬

2013.6.8 19:30 [CoRich]

9日まで王子小劇場。

アタシは初見の桃尻犬の本公演。9日まで王子小劇場。125分。

その高校に通う生徒たちで、問題がある同級生ばかりが集められた。 かつてはきれいだった沼は今は汚れていて危険なほど。 妹には引きこもりの兄が居て、父親は鶏を食肉に加工する機械を買って商売している。 不登校の女友達の母親と叔母は、娘が通う高校の担任が、かつて自分たちの姉を殺した奴だと知っている。

高校のわさわさした感じを中心に据え、それぞれの家庭や過去を練り込んで物語を構成します。が、正直に云えば物語らしい断片はあっても主軸が薄い感じは残ります。さまざまな要素を詰め込めるだけ詰め込んで2時間ほどの物語を持続させますが、点描だったり、印象だったり。

主人公の兄は引きこもり、妹のものでしか勃起できなくなっています。母を失い、母の替わりになろうとした結果、というのはマンガのようですが、兄を演じた森崎健吾の見かけの朴訥さに助けられて説得力。 不登校がちな同級生の家の母とその妹、という別の一家は娘の心配しつつも、あれこれ。

この二つの家族の接点がある沼で、しかしその場所に対する想いが正反対、という構図はちょっと面白くて、同じ場所がなくなればいいと感じたり、残したいと感じたりというそれぞれの想いが交錯する小さな街、という感じが楽しい。

後半に至り、主人公は兄とのセックスということや鶏、家族たちのことの夢を見ている主人公、という感じになります。結果、チラシにあるような鶏の格好で、卵を次々と産み落とすという見た目には相当印象的な場面ですが、正直に云えば、少々惜しい感じが残ります。いわゆる夢落ちではありませんが、何かをモチーフにしたというか、物語を結論づけずに、印象、で終わらせた感じがしてしまうのです。

主人公(妹)を演じた長井短、はくっきりとした顔立ち、すらりとした手足が時に投げ飛ばされたり、時に激情にかられたりとダイナミックレンジの広さに確かなちから。 同級生を演じた力徳朋は可愛らしい見た目に陰を造型、日高ボブ美はまた全く別のキャラクタで、この三人の女子高生や、同級生の男子高校生たちそれぞれのコントラスト鮮やかで実にみやすいのです。 同級生の母を演じた菊川朝子は女子高生風からコミカルで楽しい。叔母を演じた堂本佳世、アタシの友人たちは他の芝居での染み出す色気を評判にするけれどアタシはあまり印象がありません。が、それを封印することで、物語の主軸になる兄と妹の物語に集中させるのは巧く機能しています。

当日パンフでは何人かの役に「暗い」「でかい」「うるさい」「まじめ」「やんちゃ」とキャラクタを明記してあります。いろいろご意見はありましょうが、アタシはこういうわかりやすさが嬉しい、と感じるのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【芝居】「帰還」燐光群

2013.6.8 14:00 [CoRich]

二年前に民藝向けに書き下ろされたダムに沈む村を巡る物語を、自劇団で上演する130分。9日までスズナリ。そのあと名古屋と伊丹。

療養施設に入居している父親を訪ねる息子。自身も先が短いことを知り、久々に訪れた。若い女性を紹介し、絵を教えて欲しいという。父親は絵描きで、家族を放り出してあちこちを転々としていた。
そのときテレビに映ったダムに沈む村で立ち退きに応じない最後の一軒となった家の女性を見た父親は、突然その村を訪れると言い出す。かつてこの村に住んでいたことがあるのだ。

川辺川ダムを思わせる設え、ダムの問題という物語で大枠を作りつつも、(いわゆる)戦後の地方で農業を教え、自立を促し自覚させるといういわゆる共産党的な活動といった時代を背骨に、その潜伏において一緒に暮らしていた男女を幹として描きます。正直にいえば、一緒に暮らしている男女の描き方にしても革命とか理想社会という言葉が踊る過去の描き方にしても、リアルに時代とともに走った作家ゆえか、それより若い世代たとえば45歳のアタシから見ても少々センチメンタルに過ぎるというか、時代を感じぜずには居られない物語だとおもうのです。(それは当日パンフで作家の挨拶として、転位21時代の仲間の共演、という言葉にも感じるのですが)

未見の初演では大滝秀次が主人公となる絵描きを演じたので、役者の年齢や圧倒的な説得力がこのセンチメンタルを地に足のついたものにしていたのだろうと思います。今作の藤井びんはまた別の飄々とした造型が印象的ではあるのだけれど、この時代を背負う説得力という点では年齢も含め少々心許ない感じは否めません。いくらダムの問題を扱い、(少々唐突に)ヘリコプターを飛ばして現在のわたしたちの問題にリンクさせようとも、それをリアルとして感じられないワタシには少々物足りなく思うのです。

おそらくは燐光群で初めてのヒロインを演じた松岡洋子は(若くはなくても)美しくて力強い、というヒロイン像に説得力があります。雨戸の裏に彫られた母親と、その前に同じポーズで座る娘というシーンが実に美しくて。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013.06.05

【芝居】「のぞき見公演#4〜おくりびと編」ガレキの太鼓

2013.6.2 19:40 [CoRich]

ガレキの太鼓ののぞき見公演。代々木上原から徒歩、どちらかというと上原寄りの集合住宅の広めの部屋を使って、家族の物語、55分、4日まで。

急逝した父親、葬儀社の営業と長男、長女、長女の夫、次女。急なことの心の整理よりも、明日明後日の葬儀をどうするか、そもそも何人呼ぶか、どんな形式にするか、なかなか決められない。

広いリビング、次女夫婦が暮らす部屋、壁にピンナップが貼ってあったったり、入る途中には夫婦の寝室っぽい部屋のドアが開いていて、生活の感じがあったり、奥の和室にも何か置いてあるよう。これが芝居のためにしつらえられたものなのか、あるいは全て作り込んだのかはわからないけれど、他の二本も含め確かにリアリティ。

そもそも当初は品川駅近く(前回と同じ場所と想像)の予定が、その物件が使えなくなって、急遽代替といとした物件。それでも、もし作り込んだとすると三世帯分のほぼ引っ越しの荷物ってことだから現実的ではないし、誰かが住んでいるここを借りて、というのも、貸し手はどうしてるんだろう、とどちらにしても魔法のような空間なのです。

実際のところ、物語というにはあまりに進展がなくて、死んだ父親に想いを馳せてみたり、現実にかかる費用にくらくらしたり。長い闘病生活の末というわけではなくて、元気だったのに突然、という感じ故に心の準備もなにもできないままに、そういう状態に放り込まれてしまった、ということ。アタシは幸いなことにまだ両親は健在ですから、こういう状態のリアリティはほんとうには解らない気がしますが、それでも、ありそうなことが盛りだくさんで、なんか気持ちの片隅に、アタシが未来経験することの片鱗が残るという気がします。

部屋が広いだけに、座る場所によってずいぶん印象が変わる気がします。あたしが座ったのは一番奥、キッチンのカウンター側の隅。ここからだと、和室の様子はまったくわからないし、テーブルも遠い上にわりと役者の背中や横顔だけしか見えないシーンも多くて、あまり巧くない感じ。ベストは和室が正面に見えるあたりじゃないかと思います。そのシーンが見えなくても問題が無い、というのは作家を含めて見た人のセリフであって、「出来事」が見えないことの観客のストレスが結構あるのだ、というのはアタシの師匠の名言。

長男を演じた佐藤滋は典型的に優柔不断ないいお兄ちゃんの造型。見た目にもそういう木訥さがあるのがプラスになっています。次女を演じた舘そらみは、めんどくささが先に立っちゃうという造型がちょっと面白い。次女を演じたししどともこは父親が本当に好きなんだな、を一貫してるのが可愛らしい。長女の夫を演じた海老根理は「風営法違反編」とゆるやかに繋がりつつ、この三兄妹とは血が繋がってないのだ、という対比が面白い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013.06.03

【芝居】「のぞき見公演#4〜あやういカップル編」ガレキの太鼓

2013.6.2 18:30 [CoRich]

今回の「のぞき見」の中では唯一の再演( 1) 。狭いベッドの上で男女二人の濃密な55分。4日まで。ベッドを横からみるポジションがベストな気がします。ダブルキャストですが、女優が一人降板して、両方のバージョンに同じ女優が出演しています。

酒に酔った勢いとはいえ、親友の彼女と一晩を伴にした男の部屋。その罪悪感、と忘れて封印しようと同意するものの、そのセックスがあまりに素晴らしくてどこか離れがたい気持ちと、理性では繰り返してはいけないと押さえ込もうとする気持ち。少なくともアタシの観た「笠木さんち」版では、男は未練たらたらで、あわよくばもう一回という欲望が親友の彼女という理性より勝るのは、まあ、彼女はいないように描かれていますから、そりゃそうなんだけれど。女は理性を勝たせようと必死だけれど、でも自分の中に残る昨晩の火照りはまだ完全に消えていないのだという色っぽさ。セリフこそわりと直接的だし、キスしたりもするけれど、肌の露出がそう多いわけではないけれど、あきらかに色っぽく、実にエッチな濃密さなのです。すぐに帰らないけれど、それを打開するために「メシでも食べにいくか」という提案の収まりとバランスの良さが実にいいのです。

キスするシーンはあるけれど、そこまで過激なシーンがあるわけでなく、それなのにこの色っぽさったらどうだろう、という駆け引きが面白い一本は、さまざまなキャストによって描かれるといいよなぁと思うのです。

男を演じた本折最強さとしは、可愛らしさが前に立つ雰囲気。 女を演じた千田美智子はショートでさっぱりした感じだけれどそこからところどころの色っぽさが実にいのです。 正直に云えば、アタシの座った一番奥から二番目の席では女の顔が見えるシーンがかなり少なくて、ちょっと残念。この部屋の広さですからね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【芝居】「のぞき見公演#4〜風営法違反編」ガレキの太鼓

2013.6.2 17:20 [CoRich]

マンションなどの一室を使っての短編の演劇シリーズの四回目 (1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 8, 9)。 当初予定していた品川駅近くではなく、代々木上原駅徒歩15分ぐらいの場所に。4日まで。55分。小さな風呂イスみたいなものに腰掛けるので、動きやすい軽装で。引き戸を正面にした長辺側がおすすめなのだけれど、入った順に奥に案内されるので、真ん中よりすこし前ぐらいの順番で。チラシとは役者が変更になっているようです。

マンションの一室を使った風俗の店。待機部屋らしいところと、隣にはプレイする部屋。売れっ子の一人と、なかなか客が付かない二人。次の客は、ちょっと面倒くさい。

今までは暮らしている場所、という感じだったけれど、一転、仕事場での一幕。これがアリなら、個人事務所でも何でもいいじゃないかという気がしないでもないけれど、なんせ若い女性が肌見せたり、営業用スマイルだったり、果ては風俗のプレイもどきの雰囲気があったりと、眼福てんこ盛り。物語というよりは、性を売り物にすることのリスク、いつまでもは続けられないということの生活のことだったりを描きます。何より面白いのは仕事場でのチームプレイ、というような雰囲気。プレイのテクニックがうまく行かないことを実地に先輩がレクチャーしてみたり、いわば敵となる面倒な客を目当ての女の子から距離を置かせ、なだめすかし、なんとか押さえ込んだりと、実にいいチームワークが、なんかスポーツを観るようで楽しい、と、スポーツを観る脳みそが無いあたしが云っても説得力がありませんが。

売れっ子を演じた飯塚ゆかりの可愛らしい顔立ちで客への顔と裏での顔のギャップ。レクチャーもなだめすかすのもきっちりサポートするホステスを演じた工藤さやの男気あふれるようなかっこよさ。金に困ってるのに客がつかないホステスを演じた加藤なぎさを評した劇中のセリフ「雑なんじゃない?」というのはあんまりとはいえあんまりだけれど、そういう感じに見えてしまう、というのは演出の妙か、はたまた女優のすごさか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【芝居】「短編集2013」ピンズ・ログ

2013.6.1 19:00 [CoRich]

プロデュース活動としては、これでしばらく休止というピンズ・ログの短編集は、終わること別れることを据えた4本を100分。同じ作品を青木柳葉魚が演出する前半に続いて、アタシが観られたのは主宰・平林亜季子の演出版。2日までMOMO。

夫婦と店員で営む小さなトラットリア。やっとの思いで開店したものの今一つ客足が伸びないが、移転の費用もままならない。裏にある古い空き家の庭の柿の木の枝を店員が切ってしまったことにクレームを付ける地主がやってくるが、その顔は夫婦の知り合いにうり二つだった。「ナポリの男」
結婚を決めた女。かつての女ともだちたちに婚約者の顔を見せるため家に招く。劇団で一緒だった仲間たちだが、今は劇団は解散していて、結婚していたり、女優を続けたりしている。女にはひとつ企みがある。「花嫁の友」
父の介護のために退職して郷里に帰る男とその上司が最後の日の夕方、休憩室で会う。上司がつき合っている相手が社内の女性ではないかと訊ねる男は、上司にそれがかつての自分の恋人だと伝え、合い鍵を勝手に作るので注意したほうがいい、と云う。「鍵」
もうすぐ閉店することに決めた小さなスナック。常連と部下の女が訪れたり、似つかわしくない若い女がやってきたり、ホステスの一人を捜して女が現れたり。「スナックこいわ」

アタシの友人の言葉を借りれば、「対立と解消が鮮やか」で「そこに居ない人を見事に描」いていて、濃密な四本立て。まったくそのとおり。

「ナポリの男」は、かつて結婚詐欺に遭いで傷ついた女と結婚した男の夫婦の店、そこに現れた男がその結婚詐欺の男にそっくりの他人、という枠組み。もう忘れていたはずなのによみがえる思い出と、それに動揺する夫婦。それでも、酷い目に遭わせた男にそっくりな別人が裏の家にもしかしたら住むかもしれないとしても大丈夫と信じられるようになった夫婦の機微。隣の家がこの店の土地ごと買い取り、もっと条件のいい別の場所に店が構えられるとしても、(物語の流れとしては行きがかり上、とはいえ)それでもこの場所で、この二人で夫婦も商売も続けていくのだという決意表明のようでもあり、それはユニットが休止したとしても、何か表現は続けていくのだという作家の決意表明のようにも感じられて。

夫を演じた増井太郎の不器用さと芯の強さ、妻を演じた大庭智子の繊細さ。物語はごく静かに淡々と流れるのだけれど、二人の過去が明かされることで見えてくるその絆の強さ。

「花嫁の友」は劇団の解散の原因となったとされている女優と劇団主宰の浮気。それが実は誤解だと知っている花嫁がそのときの女たちを仲直りさせ、まとめて結婚式に呼ぼうという企み。それが原因だと思っているけれど、主宰が売れ始め、他の劇団員とのバランスというか「売れ方」の差が明確になってしまったがための解散だったのだ、ということを直視するのが新たな出発。彼女たちが「(主宰が売れて自分たちは)置いていかれたのだ」ということを再確認するこのセリフが実にいいのです。これもまた、この物語の作家が、立ち位置を再確認するということのように感じられる、というのはあまりに考えすぎかしら。

「鍵」、上司の恋人が自分の元恋人で、合い鍵についての注意を促す、というよく考えたらけっこう無茶なシチュエーションではあるのだけれど、その構造をさっさと設えて、その先に、上司はその恋人からきちんと「鍵で失敗したことがある」ときちんと溶け合うように会話ができている、という(ここには現れない)女がきちんと成長しているというのが実に素敵で優しい目線。上司を演じた辻久三も退職する男を演じた石塚義高の気持ちが交わるわけではなくて、一人の女に対する時間軸上の二つの点という描き方がちょっと面白い。送別会にちょっと顔だすとか、SEとして優秀だけれど、ここでやっていたような一次請けではない地方にいくのだ、あるいはコード書けるかはわからいのだ、というのが生活と、本当にやりたいことのせめぎあいのようなサラリーマンの描き方でまた、リアリティを下地につくるのです。

「スナックこいわ」は、大きく三つの軸。部下との関係に悩む中間管理職とその上司、家とは断絶同然の娘と母の突然の入院をきっかけに探して呼びに来る姉、別れ、それから亡くなった夫との間の娘が久々に会いにきたママ。ずいぶんと欲張ったものですが、それがこの小さな店の中で、時にカラオケを挟んだりしながらも、濃密に、きちんと描き出す確かなちから。

中間管理職は部下が働きやすいようにするのが仕事、自分でやるよりもやらせるもの、というのもまたサラリーマンの姿。スナックで人生の先輩からの教訓というのも実に昭和な香り豊かな感じだけれど、部下をあえて女性にするというのはちょっと今風で楽しい。その上司が帰りに近くで鯛焼き買おうとホステスを誘うのもちょっと洒落ていてかっこいい。

頭は良かったはずなのに進学校も中退し、コネで入った会社もすぐにやめてしまって家の面目をつぶして、出入りできなくなったホステス。でも、母親の入院ならば、妹を呼びに行かないわけにはいかないという姉の想い。姉の妹に対する低い評価をきちんとただすママがかっこいいし、行かなければ自分が帰ると言い張る客もまたかっこいい。

若い女とママ、店に残った二人。ずっと無言、店の場所だって娘には知らせていなかったのに、店を閉めると聞いたから店を訪れるという決心も実にいいのです。店は閉めたって、「私を待ってる人がいる」というこれもまた決意表明だとアタシは受け取るのです。

女優陣の多くが「花嫁〜」とだぶっていますが、かたやカジュアルな日常、ナチュラルといった雰囲気の「花嫁〜」に比べて、全体にゴージャス、盛って、色っぽくてという「スナック〜」の対比が鮮やか。前半の青木柳葉魚版の当日パンフも配られていて、それによればこの二作を続けて上演するようになっていたようですが、それは青木柳葉魚では「スナック〜」をオカマバーの設定になるように配役していたからなせる技で、女優のこれだけの変化ならば、どうしても間にもう一作置くしかない、ということが納得の振れ幅なのです。

全体にソリッドな升目状の壁面。トラットリア、家のリビングダイニング、会社の休憩室、小さなカラオケ付きのスナックというまったく違う場所を切り替えるために、壁面のさまざまな場所にテーブルやらダストボックスやらイスやらをさまざまにはめ込んだり隠したりするのはなんか洒落ています。

当日パンフの主宰の主宰の挨拶のとおり、確かに公演の間隔は長めだけれど、ゆっくりとリアリティのある物語を静かに書き続けてきたものを、結局アタシはすべて観てきた(1, 2, 3, 4, 5, 6) ことになります。例によって記憶力はザルだけれど、その作家に対するアタシの信頼は絶大で、彼女の書いた物語をまたみたい/読みたい、と思うのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【芝居】「ミーツ」ロロ

2013.6.1 14:00 [CoRich]

ロロの新作。2日まで、こまばアゴラ劇場。このあと京都へのツアー。115分。映画の回も設定があります。

二人きりの友達しかいない男の子、緑の毛で覆われた怪物を拾う。そのまま帰ろうとするが、ついてきてしまう。飼おうと思うが、母親にみつからないように自分の部屋に連れ込もうとする。そんな様子をずっとみている女の子。父親は生まれる前に居なくなっている。別れ際に母に託した缶コーヒーの空き缶を父親だとおもっている母親は、息子のことは何でも知っていて。

ボーイミーツガールを描き続け居ているという印象の彼らだけれど、今作はむしろ別れとか出会えないことを中心に描いている印象。前半は 子供が思い巡らせて自分のことを慕ってくれる「怪物」(=動物か、あるいは夢想する何かか)と会話するという楽しいこととか、涙を流し続ける母親とかのある種マンガのような描き方が楽しい。中盤に至り、敵に立ち向かったはずの父親の追っ手は実はいなくて、でもあれだけキメた手前戻れずにいて、その男になにか想いを寄せる女がいて、と展開。後半ではその父親と母親の時間の流れ。(夫が言い残した缶に想いを寄せながらも、生身の彼のことを少しずつ忘れていくということの悲しさ、それなのにすれ違っても気づかない二人の間に流れた時間の長さを思わせるのです。積み上げた缶は時間の流れ、その一番上で妻が手にしたたった一つが夫へ、今の彼女が持っている思い出のほんのひとかけら。

あるいは、幼いときからずっと一緒で、自分のことを好きでいてくれる女の子と、それに気づかない自分。こどもらしくて、女の子が早くオトナになっていて、男の子はほんとに子供のままで。

正直に云えば、印象的なシーンをいくつも作り込んではいるし、物語らしいものは確かにあるのだけれど、そのそれぞれがうまくはまらない違和感のようなものがアタシには残ります。

シルバニアファミリーを背負う女の子と男の二人のダンスシーンは本当に美しい。ちょっと魔法の粉をふりかけたようにきらきらと夢のよう。女の子を演じた水越朋が空気をかっさらっていく感じ。母を演じた伊東沙保は漫画的からシリアスなものまでダイナミックレンジも解像度も高い感じでさすがのちから。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2013年5月 | トップページ | 2013年7月 »