2013.6.1 19:00
[CoRich]
プロデュース活動としては、これでしばらく休止というピンズ・ログの短編集は、終わること別れることを据えた4本を100分。同じ作品を青木柳葉魚が演出する前半に続いて、アタシが観られたのは主宰・平林亜季子の演出版。2日までMOMO。
夫婦と店員で営む小さなトラットリア。やっとの思いで開店したものの今一つ客足が伸びないが、移転の費用もままならない。裏にある古い空き家の庭の柿の木の枝を店員が切ってしまったことにクレームを付ける地主がやってくるが、その顔は夫婦の知り合いにうり二つだった。「ナポリの男」
結婚を決めた女。かつての女ともだちたちに婚約者の顔を見せるため家に招く。劇団で一緒だった仲間たちだが、今は劇団は解散していて、結婚していたり、女優を続けたりしている。女にはひとつ企みがある。「花嫁の友」
父の介護のために退職して郷里に帰る男とその上司が最後の日の夕方、休憩室で会う。上司がつき合っている相手が社内の女性ではないかと訊ねる男は、上司にそれがかつての自分の恋人だと伝え、合い鍵を勝手に作るので注意したほうがいい、と云う。「鍵」
もうすぐ閉店することに決めた小さなスナック。常連と部下の女が訪れたり、似つかわしくない若い女がやってきたり、ホステスの一人を捜して女が現れたり。「スナックこいわ」
アタシの友人の言葉を借りれば、「対立と解消が鮮やか」で「そこに居ない人を見事に描」いていて、濃密な四本立て。まったくそのとおり。
「ナポリの男」は、かつて結婚詐欺に遭いで傷ついた女と結婚した男の夫婦の店、そこに現れた男がその結婚詐欺の男にそっくりの他人、という枠組み。もう忘れていたはずなのによみがえる思い出と、それに動揺する夫婦。それでも、酷い目に遭わせた男にそっくりな別人が裏の家にもしかしたら住むかもしれないとしても大丈夫と信じられるようになった夫婦の機微。隣の家がこの店の土地ごと買い取り、もっと条件のいい別の場所に店が構えられるとしても、(物語の流れとしては行きがかり上、とはいえ)それでもこの場所で、この二人で夫婦も商売も続けていくのだという決意表明のようでもあり、それはユニットが休止したとしても、何か表現は続けていくのだという作家の決意表明のようにも感じられて。
夫を演じた増井太郎の不器用さと芯の強さ、妻を演じた大庭智子の繊細さ。物語はごく静かに淡々と流れるのだけれど、二人の過去が明かされることで見えてくるその絆の強さ。
「花嫁の友」は劇団の解散の原因となったとされている女優と劇団主宰の浮気。それが実は誤解だと知っている花嫁がそのときの女たちを仲直りさせ、まとめて結婚式に呼ぼうという企み。それが原因だと思っているけれど、主宰が売れ始め、他の劇団員とのバランスというか「売れ方」の差が明確になってしまったがための解散だったのだ、ということを直視するのが新たな出発。彼女たちが「(主宰が売れて自分たちは)置いていかれたのだ」ということを再確認するこのセリフが実にいいのです。これもまた、この物語の作家が、立ち位置を再確認するということのように感じられる、というのはあまりに考えすぎかしら。
「鍵」、上司の恋人が自分の元恋人で、合い鍵についての注意を促す、というよく考えたらけっこう無茶なシチュエーションではあるのだけれど、その構造をさっさと設えて、その先に、上司はその恋人からきちんと「鍵で失敗したことがある」ときちんと溶け合うように会話ができている、という(ここには現れない)女がきちんと成長しているというのが実に素敵で優しい目線。上司を演じた辻久三も退職する男を演じた石塚義高の気持ちが交わるわけではなくて、一人の女に対する時間軸上の二つの点という描き方がちょっと面白い。送別会にちょっと顔だすとか、SEとして優秀だけれど、ここでやっていたような一次請けではない地方にいくのだ、あるいはコード書けるかはわからいのだ、というのが生活と、本当にやりたいことのせめぎあいのようなサラリーマンの描き方でまた、リアリティを下地につくるのです。
「スナックこいわ」は、大きく三つの軸。部下との関係に悩む中間管理職とその上司、家とは断絶同然の娘と母の突然の入院をきっかけに探して呼びに来る姉、別れ、それから亡くなった夫との間の娘が久々に会いにきたママ。ずいぶんと欲張ったものですが、それがこの小さな店の中で、時にカラオケを挟んだりしながらも、濃密に、きちんと描き出す確かなちから。
中間管理職は部下が働きやすいようにするのが仕事、自分でやるよりもやらせるもの、というのもまたサラリーマンの姿。スナックで人生の先輩からの教訓というのも実に昭和な香り豊かな感じだけれど、部下をあえて女性にするというのはちょっと今風で楽しい。その上司が帰りに近くで鯛焼き買おうとホステスを誘うのもちょっと洒落ていてかっこいい。
頭は良かったはずなのに進学校も中退し、コネで入った会社もすぐにやめてしまって家の面目をつぶして、出入りできなくなったホステス。でも、母親の入院ならば、妹を呼びに行かないわけにはいかないという姉の想い。姉の妹に対する低い評価をきちんとただすママがかっこいいし、行かなければ自分が帰ると言い張る客もまたかっこいい。
若い女とママ、店に残った二人。ずっと無言、店の場所だって娘には知らせていなかったのに、店を閉めると聞いたから店を訪れるという決心も実にいいのです。店は閉めたって、「私を待ってる人がいる」というこれもまた決意表明だとアタシは受け取るのです。
女優陣の多くが「花嫁〜」とだぶっていますが、かたやカジュアルな日常、ナチュラルといった雰囲気の「花嫁〜」に比べて、全体にゴージャス、盛って、色っぽくてという「スナック〜」の対比が鮮やか。前半の青木柳葉魚版の当日パンフも配られていて、それによればこの二作を続けて上演するようになっていたようですが、それは青木柳葉魚では「スナック〜」をオカマバーの設定になるように配役していたからなせる技で、女優のこれだけの変化ならば、どうしても間にもう一作置くしかない、ということが納得の振れ幅なのです。
全体にソリッドな升目状の壁面。トラットリア、家のリビングダイニング、会社の休憩室、小さなカラオケ付きのスナックというまったく違う場所を切り替えるために、壁面のさまざまな場所にテーブルやらダストボックスやらイスやらをさまざまにはめ込んだり隠したりするのはなんか洒落ています。
当日パンフの主宰の主宰の挨拶のとおり、確かに公演の間隔は長めだけれど、ゆっくりとリアリティのある物語を静かに書き続けてきたものを、結局アタシはすべて観てきた(1,
2,
3,
4,
5,
6)
ことになります。例によって記憶力はザルだけれど、その作家に対するアタシの信頼は絶大で、彼女の書いた物語をまたみたい/読みたい、と思うのです。
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