【芝居】「SHOOTING PAIN」コロブチカ
2013.5.5 13:00 [CoRich]
コロが主宰するコロブチカの三回目公演。連休のなかごった返す横浜みなとみらい地区・横浜美術館のレクチャーホールで90分。6日まで。ぬいぐるみハンターの池亀三太の作演。
精神科の入院患者たち。電車に曳かれたのに頭を三針縫っただけだと言い張る女、時にあばれ時に楽しさめいっぱいな女と寄り添う親友、自分が王思いこむ男とけなげな妻、子供に寄り添うために病院に居る女。あるいは子供を元気づけるために訪れた野球選手。医者やナースたち。
いわゆる精神疾患を扱う芝居、という意味ではアタシは鴻上尚史の「トランス」に強い印象があります(ファントムペイン、という作品もありました。ペイン繋がりで)。あの頃に比べれば笑いも多く、ずいぶんと優しいんじゃないかとおういう疾病に対する理解と知見が進んだとも云えますし、物語を描くという立場では迂闊に扱えない話題になってきていて、鴻上尚史の時代よりは足かせがあるようになってきています。今作では精神病院という場所を舞台にしていて、あきらかにおかしな言動をする人々という描き方で笑いもふんだんに。こういう描き方は今風ではないけれど、そういう場所に居る人々、という舞台を設えるようになっています。
スピード感あふれるという意味では池亀演出が存分に。もっとも舞台はものすごく広い上にほぼ素舞台なわけで、限られた導線を生かすというよりは、舞台から3Dよろしく飛び出したり、あるいは客席後方から走り込んできて舞台にとびあがって駆け抜けたりというのが実に楽しい。
物語の根幹は終盤で明かされます。バラバラに見えた人物たち(のいくつか)が繋がり、人物が溶け合っていくように重なるさまは実に鮮やかです。
正直に云えば、語るべき物語に対して登場人物が多すぎる感じは否めません。日替わりのゲスト(日曜昼は巫女アイドルユニットらしいmicoooooズ)を含めて、もっとぎゅっと濃縮すれば、たとえば「トランス」ばりの物語になりそうな予感があります、といえば誉めすぎか。
主役を務める右手愛美は可愛らしく、しかし入院してる、という風情。その相棒を演じた コロは、時に怒ったり、時に笑ったり、時におかしなこといったり、という相棒たる造型に説得力。 小田急線にはねられたのに四針縫っただけ、という役を演じた工藤さやは序盤のあきらかに頭オカシイ感じから、中盤の説得力、終盤に至って泣かせるような芝居に着地の変化。 母親を演じた浅川薫理は幼さすら感じさせる母親、ファントムな(=居ない)息子を見舞っているという人物の作り方がまた哀しい。 王様気取り、を演じた菊沢将憲も序盤のオカシさから、終盤へのダイナミックレンジが楽しい。 ナースの一人を演じた前園あかり、見慣れた役者ということもありますが、実に可愛らしい。もっとハードに動ける役者なのだけれど、綺麗な女性を演じるということがそれほど多くないので新たな魅力。 野球選手を演じた一色洋平のバットの振り回し具合、それを避けるナースたちという場面は面白いなぁと思うのです。
シンプルなモノクロの当日パンフなのだけれど、コピーじゃなくて印刷している(写真が嬉しいし、ちょっと落書き風に服装を想起させているという付け足しも楽しい)のも気合い十分でいいのだけれど、役名と属性をきちんと書くこと(初めてそういうのを観たのは青年団の東京ノートな気がする)、あるいは公演の日付や場所、タイトルやスタッフを一カ所にまとめて書いておく(つまり公演のクレジット)、というのは小さなことなのだけれど、ステージを作品として成立させる、ということの姿勢として重要なのです。こんな些細なことすら、割と大きな規模の芝居でも出来てない当日パンフ多くなりました。もっとけち臭く、高い木戸銭はらっても当日パンフはさらに有料、というのはひどいもんだと思います、ほんとに。役者を知らしめようという気が無いのかとか、なんとか(笑)。
| 固定リンク
「演劇・芝居」カテゴリの記事
- 【芝居】「ソファー」小松台東(2025.06.10)
- 【芝居】「楽屋〜流れ去るものはやがて懐かしき〜」しがない会社員は週末だけヒロインを夢見る(2025.06.04)
- 【芝居】「パンとバラで退屈を飾って、わたしが明日も生きることを耐える。」趣向(2025.06.04)
- 【芝居】「あるアルル」やみ・あがりシアター(2025.05.30)
- 【芝居】「月曜日の教師たち」チーム徒花 (Cucumber)(2025.05.04)
コメント