【芝居】「修学旅行~TJ REMIX Ver.」渡辺源四郎商店
2013.5.3 15:00 [CoRich]
高校演劇をオトナが真剣に演じるという企画公演。高校野球には感動したりするのに、高校演劇の真摯さには賞賛がないという店主の売り文句。果たしてスズナリがほぼ満員。 他劇団でも上演される「修学旅行」(1, 2) TJこと多田淳之介の演出による90分。6日までスズナリ(他演目と交互上演)。
卒業式、思い出に浮き上がってくる、沖縄の修学旅行の夜。班長はこのグループを纏めていこうと思っているけれどうまくまわらない。告白しようと思っている男も居るし、好きだと言い出せずにいる女たちもいる。この班を盛り上げようと班長が考えたのは好きな男の子のことを喋ろう、ということだったが、それは火種となり。
青森から羽田を経由して沖縄に修学旅行。もちろん(教師にとっての想いという)意味はあるけれど、当の高校生たちにとっては楽しい旅行の一幕という幕開け。 作家自身がトークショーで語るように、高校演劇で戦争と言えば太平洋戦争になるし、修学旅行を平和教育というかたちにするというのもその一環。(この戯曲が描かれ上演された)2005年を生きる高校生たち自身の物語として上演したということが、実にみずみずしかったのだろうと思います。
狭い一室から出られず必ずしも仲がいいわけではないクラスメイトとの一夜の些細な諍いを、地球という場所から逃げていくことができない国々の間でなぜ争いが起きるのかということに二重写しにするわかりやすい構造は実に秀逸。もちろんその「国々」ということがもし、わからなかったとしても「なぜ人は喧嘩してしまうのか、というだけのことだって、高校生たち自身が演ずる意味は十分にある戯曲なのです。
ギスギスしてしまっている班をなんとかしようと、班長が考えたのは、女子だから「好きなひとのこと」を云えばうまく廻るんじゃないかと考えるのだけれど、結果として全員が一致して一人が好きだと書いた(単に面白い顔だから、から、好きでたまらなくて蝶のように誘っても靡かないまでさまざまな理由だけれど)というあたりから部屋の中に不穏な空気が漂うのです。なにか一つのもの(や人)を取り合うことが戦争のきっかけになるのだということの秀逸。それは些細かもしれないけれど、失いたくないものを誰かに(盗|取)られるかもしれない、という恐れる気持ちが、戦争を作り出してしまうのだ、ということ。
それを更に大人の俳優たちが演じることで、そう感じるであろう瑞々しさよりも精度が勝るようになった仕上がり。 強大なちから(=アメリカ=生徒会長のノミヤ)が世論を強引につくることだったり、自分が寝ているすぐ横で(試合目前という理由があるにせよ)ブンブンと金属バットを素振りするということが隣国の大量破壊兵器の存在なのだ、というアイディアは今観てもちょっと凄いと思うのです。
正直に云えば、元々の物語の外側に卒業式の体裁でくるんだ、ということの意味は今ひとつ明確には示されません。もう911やブッシュというあたりの時代の次に私たちは進んでいる(=卒業した)とした「過去のこと」として描こうとしているということなのか、あるいは役者たちの実年齢を最初に云ってしまうことで何か相対化してみせる、ということなのか、いろいろ考えてみたりはするけれど、本編の「自分たちの現実の」をそうして相対化してしまうことが果たして良かったことなのかなと思ったりもするのです。(そもそも、この解釈自体があっているかどうかすらわからないし)
なんてことを細々思っていたとしても、全体に大爆笑編でもあって、深刻な話題をこう気楽に観られるというのは確かなちからなのだな、と思うのです。
工藤由佳子が大人っぽくて、強大な国の位置づけをしっかりと。色っぽく蝶のように羽ばたいてみせるシーンのコミカルは少々痛い感じにわざとするのも楽しい。緊張の瞬間を緩和する工藤良平のポイントポイントの出演も楽しく。柿崎彩香のぶんぶんと振り回すバットがかっこいい。 三上晴佳がかぶり物ってのもありそうでなかなかない感じ。
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