« 2013年4月 | トップページ | 2013年6月 »

2013.05.30

【芝居】「彼の背中の小さな翼」キャラメルボックス

2013.5.26 19:00 [CoRich]

真柴あずきの単独脚本・演出としては初めて。久しぶりに銘打たれた「アコースティックシアター」が嬉しい105分。本公演中の「ナミヤ雑貨店の奇蹟」の休演コマを使用して31日までサンシャイン劇場。

フリーのイラストレーターとして働く30代の女の元に父親の訃報が届く。子供の頃に出て行ったきり、いちども会っていないし、どこに住んでいるかも知らなかったが、漁港で知り合った漁師の世話で住むようになっていたという。遺品整理求める漁師の申し出を断ろうと思ったが、姪は一度も会ったことのない祖父に興味があるというので一緒に行くことにする。
漁港の見えるアトリエ付きの家に、父は5年ほど住んで絵を描いていたが、1年ほど前から、ひょっこり現れた若い男を同居させるようになっていた。この若い男も過去のことを語りたがらない。手ほどきをうけるうち、絵の才能に気づくが、焦ることなく、書いてみろといっていたらしい。
遺品整理をするうち、訪ねてきたのは、その同居していた男の兄と名乗る男だった。

一人二役の部分はあるにせよ、キャラメルボックスでは珍しい五人芝居。家族を放り出して絵描きとして放浪した父親がどうしても許せない娘と、母親からは捨てられた若い男とその兄との秘密の関係を軸に。人が人を想う気持ちを繊細に描くアコースティックシアターだけれども、どちらかというと、拒絶する気持ちが溶けていくことを豊かな質感で。

もう一つの軸は 何かを表現せずにはいられない気持ち、それを生業にしたいという気持ち、そこにある才能のあるなしというある種の残酷さ。表現を仕事としている人にはなじむ感覚なのでしょう。アタシは才能のあるなしよりも、覚悟して続けて行くこと、という作家のさらなる決意表明のようでまた嬉しく。

正直に云うと、物語の二つの軸に加えて、たとえば子供だけで育つということだったり、生きていくということだったりと、他にもいくつかの軸があって、追いかけるのに少々戸惑う感じが残ります。

アコースティックシアターと云えば、の坂口理恵はコミカルから拘泥までしっかり。物語の主軸を担います。 姪を演じた清水由紀は、小説をということを一応背負っているけれど、実際のところ物語を大きく背負っているわけではありません。が、全体に内向きな屈折が全体の雰囲気となるこの芝居の中で、若い彼女が好奇心いっぱいで質問をすること、若い正義感を存分にぶつけることで物語に力強い推進力を与えるわけで、課せられた重大な役割をきっちり。 父親を演じた大家仁志(を、松本の人なんだ。なんか嬉しい)は35歳の娘の父親としては、あまりに若すぎないかという気がしないでもないけれど、静かな落ち着きがゆったりと。 兄を演じた岡田達也は陰を全面的に背負います。あきらかに「薄っぺらに嘘をつく」というシーンの完成度が高すぎて、あからまさに嘘というより、何を喋ってるんだこの人、とすら感じてしまうのはこのバランスでいいのかは観ていて迷う感じはありますが、それがきっちり演じられるという確かなちから。 弟を演じた上鶴徹は、アタシは不勉強にして初見です。イケメンでこの座組の中だって対等にやりきってしまうのはたいしたもの。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013.05.27

【芝居】「全長50メートルガール」踊れ場

2013.5.26 13:30 [CoRich]

ぬいぐるみハンター・池亀三太の書いた二本め (1)の会話劇なのだといいます。爆笑編でありながら濃密な65分はファンタジーめいてもいて楽しい。終演後に10分弱の二人芝居のおまけがついています。26日までRAFT。

田舎町のファミレスに夜な夜な集う20代の女たちは高校の同級生。東京に出てから戻り専門学校に通っていたり、地元で結婚していたり、工場勤務だったり、なにをしているかわからないけれど、一番イケてると思いっていたり。出会いは少なく、合コンをまたやろうと話し合っている。一番遅れてきた女も中学までは同級生だったが、高校には進まなかった。どうも、彼女は合コンには誘われないらしい。 女たち、田舎町の東京からの距離感は明確には語られないけれど、他の都市に出てくという話が出てこないところをみると、関東甲信越あたり、アタシの印象は北関東のどこか、という感じ。地元で生まれ、ここで暮らして死んでいくんだな、という諦めな感じ。東京だって行けない距離じゃないけれどなにか出て行く積極的な理由がみつからないというか。

遅れてやってくる女はファミレスにマイマヨネーズやらマイケチャップやら、あるいは水筒やら持ち込んだりして自由にすぎる感じ。話をしてもいまひとつ噛み合わない感じでどんどん話が横滑り、みていてイライラする感じがちょっと凄い。この空気読めなさ加減で合コンに誘われないのかと思っていると、明確には語られないけれど、どうもこの女は恋をするととてもまずいことが起きるらしい、ということが徐々に明かされていく過程が実にスリリングでわくわくします。

振り返ってみれば、日常感たっぷりな田舎町だけれど、微妙に歪んでるというかファンタジー要素というか。本当に河童が居て町を歩いているけれど、生臭かったりしてなんかちょっと嫌だとおもってる(ナベゲンのあれが思い浮かぶ)ぐらいの日常感で、でも保護すべきということになっていたり。 あるいは年に一人ドラゴンに選ばれてここから消えてしまって、その家族には300万円が支払われるらしいのだけれど、ファミレスで健気にバイトして声優を目指しているウエイトレスは今年選ばれて消えてしまうことをみんなが知っているとか。 ひと一人消えて300万円というのは安すぎるというのがアタシの感覚なのだけれどけれど、それを安いと言い切れない、リーズナブルとすら思ってしまうのは世代の感覚なのか、田舎の感覚なのか、ちょっと興味深い感じ。

あるいは、恋をしたいけれどしちゃいけない女は悲しくて大声で泣き続けていて子供のよう。それを諭す同級生たちは時に怒り、時に抱きしめ、時に言い含め。それぞれのダイアログが泣いてる子供に向き合う母親の姿を見るようでどこか暖かい気持ちになってしまうのです。

恋をしてはいけない女を演じた、あやかは感情の起伏のムラまでくっきりと、というよりは消耗しそうなほど60分ほとんど騒ぎ通しという圧巻の印象。全体の中でもコミカルを強烈に印象づける背能じゅんもちょっと凄い感じ。

本編終了後に設定された短編は、怪人を倒すために出動しなければいけない男なのだけれど、ヒーローの証のスカーフが恥ずかしいと云って出て行くなという妻との会話というワンアイディアで突破します。日常に放り込まれたヒーローのホームドラマという体裁で、妻とこの小さな家に暮らしているのだということで描く物語なのです。10分どころか7分ほどの小品だけれど多くの組み合わせのキャストで見せるという楽しさ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【芝居】「プルーフ/証明」DULL-COLORED POP

2013.5.25 19:00 [CoRich]

DULL-COLORED POPの番外公演は、ダルカラのマスターピースのひとつ、谷賢一翻訳版のプルーフ(1, 2, 3)。 役者と演出を変えての二週間。前半となる谷賢一演出版は27日までシアター風姿花伝。休憩10分を含み150分。劇場の10周年記念プロジェクトとして、「プロミシング・カンパニー」の一つに選ばれています。

客席手前側に家があり、舞台が庭先のベンチとテーブルという配置の演出は変わらず。キャンピングセットのようなテーブルとイスというポータブルな感じだけれど、劇場ゆえの不穏な作りは、舞台奥に設えられた奈落に向かう大きな穴なのです。機能的には場面ごとの小道具を放り込んで片づけたり、キャサリンがずっと神経症のように切り刻んでいる紙屑を掃いて捨てる場所ということなのだけれど、場面場面がジニーエフェクトよろしく吸い込まれていくようで面白いのです。

感情が先に立ちどこに飛んでいくかわからなかった印象の清水那保のキャサリンとは違って、もっと緻密に、不安をためこんだような造型の百花亜希はまた新しいキャサリン像を。父親を演じた中田顕史郎は実はあまり変わらない印象だけれど、これだけ座組ががらりと変わっても確実にそういうポジションに居続けるという圧巻の安定がすごい。姉を演じた境宏子は、序盤の少々甲高い感じで入ってきたときのなんか場違いな感じに少々不安になるけれど、妹を守るために男に対峙する場面の姉っぷりの見事さ。男を演じた東谷英人はは誠実さが先に立つ印象でこれも新しい造型。

続きを読む "【芝居】「プルーフ/証明」DULL-COLORED POP"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【芝居】「湖畔の探偵 全六話 」トリのマーク

2013.5.25 17:00 [CoRich]

年一回の劇場公演となってしまっている最近のトリのマークだけれど、昔のそれこそ月イチ公演の頃のキラーコンテンツ「ギロンと探偵」の最新作。全六話といいながらいつものようにそれすら怪しい70分。26日まで、ザ・ズスナリ。

探偵と助手のギロンはその駅に着いて降りてみると駅前には食堂も土産物屋もなくて、歩き回ってみるとずいぶん古びたボートハウスがあるだけ。新人を連れて調査を行っている男は宿敵のモリ君に似ているけれど、関係ないというし、探偵を追っているらしい人もいるし、別の探偵を名乗る人もいる。

犬(らしい、ぬいぐるみ)を持った絵に描いたような探偵の冒険ものがたり、というシリーズ。宿敵モリ(アーティー)君も、ブラックギロンも登場して、昔からのトリ好きにはたまらない仕上がり。 可愛らしさだったり、クスリとするようなボケとつっこみな会話に目くらまされるけれど、意味不明に断片がつながっていくような、そうとうにハードな不条理というか、不思議なここではないどこか感めいっぱいの雰囲気は変わらず。ギロンと探偵の頃とはずいぶん役者が入れ替わっていて、あの人は元気かしらと思いを馳せたりもするけれど、それでもこの雰囲気に浸っているのは嬉しいのです。

開演前の挨拶(藤田早織)がちょっと秀逸。物語で出てくるセリフ「駅に着くわけですよ、着いたら降りるわけですよ」と話し、舞台奥にあるらしい駅の壁に貼ってあるポスターを読むテイで、「携帯電話の電源はお切りください」といい、手前の床を読むようにすこし前屈みになって「お願いします」。つまり、「お願いします」がお辞儀しているように見えて、しかし物語の世界にそのまま導入してしまうというのがちょっと面白い。

探偵を演じた柳澤明子はもう圧巻の安定感、何年経っても変わらないというのがまた怖いぐらいだけれど。モリ君(じゃない人)を演じた山中正哉はつっこみが少な目、作業着姿というのがちょっと珍しい。劇団公演の出演はずいぶん久し振りな気がする原田優理子は、美人で背も高いのに、格好だけみるとガーリーなカールおじさん(ヒゲはない)風味な感じで、我関せずとボケ倒すすごさ。藤田早織が、なんかとてもキュートで、胸の奥がわさわさする感じ。別になにをするわけでもなくて、やはり作業着で何かをしている、というだけなのだけれど、なんだろ。もはや娘といってもいい年代なんですけれど、きっと。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【芝居】「泥沼ちゃん」散歩道楽

2013.5.25 14:00 [CoRich]

15年目にして初めての劇団員だけの公演という115分。26日までOFF OFFシアター。

気がつけば女は「こんなこと」になっていた。
ハーフでもないのにドロシーと名付けられた少女は当然のようにいじめられ、かばってくれた女の子と親友になるが、クラスメイトを癖があってほかに友達の居ない彼女からは中学高校と距離を置いていった。モデルになったけれどぱっとせず、なし崩しに同棲をしていた男と別れて引っ越してきたアパートに、突然、高校の卒業以来会っていなかった彼女が大きなバッグを抱えて尋ねてきた。

名前でいじめられて、親友となったけれど、少々変わっていて、成長してみて自分に他の友人と微妙な旧友との関係を軸に。久しぶりに再会した彼女は知り合いじゃなかったら絶対に関わり合わないような人になっているけれど、昔の恩ゆえに断りきれないのだという序盤。やっぱり断っておけばよかったと思うぐらいに、パンク野郎やらチンピラやらが上がり込むばかりか、さらには暴力沙汰にだってエスカレート。その「断れなさ」があれよあれよと泥沼になっていくというのが(ひとごととして観る分には)楽しいのです。

泥沼にはまるだけはまりこんで、泥沼のドロシーの本当のピンチに至り、どうにかしようと思い出す終盤。泥沼にはまるきっかけだって親友だったという気持ちだし、泥沼から逃がしてくれたのも、あるいは全部自分で抱え込むことに決めるのだって、親友じゃないかという気持ち。こんなむちゃくちゃなシチュエーションだって人情劇になるのだ、という作家の確かな力と年輪を感じるのです。じっさいのところ、かなり

主役で拝見するのは珍しい気がするヒルタ街は、こうしてみると大柄ではあっても普通の(巻き込まれる)お姉さんの体温がぴったりな感も。巻き込む女を演じた川原万季は、いわゆる「変わった人」からホームレス、終盤のかっこよさに至るまで振り幅にさすがの力を感じるのです。パンク野郎を演じた椎名葦ノ介の頭の悪さ感の役作り、小説家を演じた郷志郎の冷静で面白がりな傍観者(どうも骨折してらっしゃったらしい。ずっと同じ場所にいるのが傍観してる感じを後押しします)の感じ、チンピラを演じたゴールド☆ユスリッチは表情ひとつ変えずに酷いことも、モテる感じの説得力。

長いこと拝見していて嬉しいのは、最近見かけなくなってたなと思っていた、いしいせつこの声の出演と、当日パンフで主宰が語る彼女との歴史や彼女の近況(おめでとう!。知り合いでも何でもないけれど)だったりして、劇団員だけの公演ゆえにこういうことを書こうと思ったのかという主宰の気持ちに思いを馳せたりするのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013.05.24

【芝居】「くりかえし無限遠点」feblabo P

2013.5.20 18:00 [CoRich]

シアターミラクルの支配人となった池田智哉のプロデュースユニット、feblaboの新作。80分。20日までシアターミラクル。

オンラインゲーム制作会社が改良のために若い男女5人を集めて心理実験を行う。毎日の生活を送り、助け合ったりしてさまざまなゲームでゲーム内通貨を稼いで装備を増やしたりしていくというゲームだが、目的は特にない。その場所に暮らし続けることが目的になっている。ゲーム上からプレイヤーが消えるという「死」の概念を持ち込むのが今回の改良の目的だった。

ゲーム会社の開発のために集め缶詰にしての実験。ラウンジとダイニングと寝る部屋、そのラウンジだけで物語は進みます。資料と称して間取り図や実験の目的、タイムテーブルなども配られますがそこはあまり芝居の上では活用されない感じ。二泊三日の缶詰と風呂敷を広げたものの、初日は人物たちの描写で、実験はじっさいのところ、二日目午前のひとつだけしか行われません。

ネタバレかも

続きを読む "【芝居】「くりかえし無限遠点」feblabo P"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【芝居】「バブルのヒデキ」あなざーわーくす

2013.5.19 18:00 [CoRich]

狭い劇場が早々にいっぱいになってしまったようでの追加公演。初日にけがをしてしまった榎本純子に代わり演出・わたなべなおこが代役。65分。19日までラ・グロット。

田舎に住む男たちの村にはもう若い女は居ない。嫁を欲しくて合コンをするも失敗して、映画で村おこしをすることを考える。劇団のベテラン女優のスキャンダルを隠すために協力する若い研究生、という映画にいたく感動した男たちは、いくつかのシーンを演じてみたりする。

物語というよりは体感型アトラクション。膝の下から見上げるように観客の前に現れ、時にさわり、時に鼓舞してまわしていきます。いわゆる客いじりが全編にわたって続きます。

村人たちから合コンまではわかったとしても、そこから映画撮って村おこし、しかもすでにビデオがでている「Wの悲劇」というのは少々強引ではあります。なるほど音が「バブルのヒデキ」と「ダブリュのヒゲキ」ですから確かに似ているというのはあらかじめの確信犯か。役者が下から見上げるように(これは客に迫りつつも不快にさせないというある種の発明だと思うけれど、まあ女優だから怒る人はいない、と。)。

映画「Wの悲劇」は原作の小説を劇中の劇団が上演する舞台作品に押し込めて、その外側にもう一つの相似形の物語を作るという斬新さが印象的な一本でした。それをさらに舞台に持ち込んで、さらに映画を撮っているという体裁はさすがに多重がすぎる感じ。

とはいいながらも、じっさいのところかなり楽しんだアタシです。ネタになっている映画の印象がすごいし、有名ないくつかのシーンを(客を巻き込みつつ)なぞる、ベタな面白おかしさでも笑ってしまうのだけれど。

前半、合コンのシーンで持ち出される「カンピュータ」は赤い糸を客に握らせて引っ張ってみるときれいに蜘蛛の巣のように舞台の中心に広がります。参加型のインスタレーションのようで美しくて気持ちいい。誰にどのひもを持たせるかをちゃんとやらないと広がらないわけで、そこをちゃんとやっているのもなるほどアート。そこからレーザーセンサーに見立てたスパイごっこという遊びも面白いのに、それをひきずらずにあっさりうっちゃる感じも潔ぎよいのです。

あるいはボクササイズ風の体操を客全員にやらせて、それがヒデキのヤングマンになる、というのも楽しい。ヒデキでこの振りなんだから早々に気づくべきなんだけれど(笑)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013.05.23

【芝居】「ナミヤ雑貨店の奇蹟」キャラメルボックス

2013.5.19 14:00 [CoRich]

6月2日までサンシャイン劇場。キャラメルボックスとしては長めの135分。

人から金を奪って逃げてきた三人組、潰れた雑貨屋で朝まで隠れることにする。閉まったままのシャッターの向こう側の郵便口に入ってくる手紙。ミュージシャンになりたいけれど病に倒れた父親の後を継ぐべきかどうか悩みを書いた手紙がくる。この店はかつての店主が始めた「悩み相談」で有名な店だった。シャッターの郵便口に入った悩み相談の手紙に店主は大まじめに返事を書いて翌日にまでには牛乳箱に返事を返している。

1980年頃と2013の間を行き来して進める物語。舞台の上にはシャッターの開かない雑貨店のセット。 小さな箱が真ん中にあって、それを回転させながら店の表と裏側を切り替えるのです。 タイムスリップというよりは時間を超えた不思議な特異点で繋がるたった一日の物語。

序盤では2013年の「コソ泥」の三人組と、1980の店の様子を描いていきます。物語が多岐にわたり、バラバラのピースを放り出します。じっさいのところ、序盤は決して見やすい物語ではない気がします。それでも終幕近くにするすると纏めあがっていく、というのは観ていて楽しい。

悩み相談をする、ということは自分の中ではあるていど整理がついて、どうしようかと決めていることで、相談を受ける人はそれの後押しだというのは確かにそのとおり。

養護施設、ミュージシャン、親のあとを継ぐこと、夢が潰えること。不倫に悩むOL。 或いは先の長くない親のこと、最後に望んだことを実現した、という瞬間に起こる奇跡というファンタジーなのです。

後半にさしかかり、若い別のOLのあたりから物語は俄然盛り上がります。昼はOL夜はホステスで働く彼女は、OLを続けるか、もっと稼げてしまうホステスを続けるかということを相談します。どうしたらいいか、ということを授けるあたりで、あれよあれよ、という感じが実に楽しい。時代背景ゆえの荒技だしいわゆるSFの原則としちゃ、少々掟破りでありますが、この上り調子の感じがじつによくて。 その中に施設の子供たちの話が静かに寄り添って、人々の背景が見えてくるのです。

キャピキャピなOLからキャリアウーマンまでの鮮やかなグラデーションをつくる岡田さつきが圧巻で物語を面白くします。前田綾がどちらかというと影のある役というのは珍しい感じ。 若者を演じた多田直人、渡邊安理、筒井俊作の三人の軽い感じも好き。 二つの別の時間が繋がる、というたった一夜の物語、そうさせたのはこの店の店主の誠実さゆえ。演じた西川浩幸の圧巻の説得力。

続きを読む "【芝居】「ナミヤ雑貨店の奇蹟」キャラメルボックス"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013.05.20

【芝居】「磁界」浮世企画

2013.5.18 19:00 [CoRich]

75分。22日まで新宿眼下画廊地下。幅の広い劇場を横長遣いなので、座る場所によって印象が異なる機がします。アタシは入り口に近いところの角に座ったけれど、もすこし奥のほうが見やすい気がします。客席の入り口も芝居の空間の一部なので、遅刻厳禁。

岡田という男が居なくなった。毎日のように通い店員と顔なじみになってるコンビニも、バイト先のレストランにももう姿を見せなくなって何週間も経つ。女が探してまわっているが、同級生で成功していて見下してくるような男にすら借金をしているらしい。

当日パンフにクレジットされた、しかし登場しない岡田という男をめぐるさまざまな人々の物語。彼を捜している町工場勤めの女だったり、彼と同級生で成功している男の華やかな修羅場だったり、バイト先のレストランだったり。点描されるシーンを居ない男の話でゆるやかに繋いでいるけれども、じっさいのところ、その男が物語の幹というよりは、それぞれの場の人々の物語を主軸にして描いています。タイトルの「磁界」は見えないけれども、居ること(あるいは居ないこと)によって周りに影響を及ぼしているということかしらん。磁力じゃなくて磁界、なるほど。それでも、それぞれは別の話に見えるけれど、背骨を(登場しない)岡田という男がバインダーのように繋いでるので、パッケージにちゃんとなっているのです。

アタシにも実感を伴ってしまうような点描のさまざま。 たとえばコンビニのレジに並ぶ二人の店員の男たち。バイト歴の長い大学生と入ったばかりの初老に近そうな。唐揚げを揚げすぎて怒られるというかバカにされる初老の男の立場こそ、アタシが近頃感じる感覚に近いのです。

あるいは、 チェーン店らしい飲食店バイトの調理場の男とバイトの女二人、店長という若い男のバランスオブパワー。先輩の女は調理場の男に惚れ、調理場の男は後輩バイトに惚れ、店長に厳しくあたり、厳しく当たられた店長の優位に立てるとほくそ笑んだ先輩バイト、あるいは元気づけて「しまう」後輩バイト、実はバクウンが強い店長を振り返る先輩バイト。虚勢の張り方だったり、口説こうという気持ちだったりと、女性の作家なのに実際のところ男目線が印象に残るというのは珍しい気がします。めまぐるしく、恋心が支配する場、という印象。

男の部屋で床を拭く休日恋人の女、バイトの現場ではあれだけスターなのにこの扱い、売れない女優がCMディレクタの彼ということをバイト先で自慢をしたと聞くと男は女に厳しくあたる、という妙なバランスが面白い。某掃除機をネタにする、というのは面白いし、実は彼女が可愛らしく見えて( ということは、かなり差別的な感覚を自分の中に発見することになってこれはこれでヘビーなのだけれど)アタシは好きなシーン。

町工場、先代の頃から働いている女、今の社長の危機感のなさ、頑張る気持ちのなさに腹立たしくもあるけれど、工作機械の勉強したいと思う気持ち。訪ねてくる男はコンビニの初老に近い男。探している男のことを伝えにくる。初老の男の前職のひっくり返しも面白くて、ここにくる理由というオチも鮮やか。

CMの会社、大勢で雑談のように遊んでるような会議。なるほどCM会社っぽい。10人のキャストのうち8人を動員して賑やかす、というのが巧い。岡田という男が小説で一定の成功を収めて映画になるという時間軸の流れ、そこからの終幕のオチがまったくもって、ダメなオトナで実にいいのです。

全体にはほぼ素舞台。木の折りたたみ机を組み合わせてコンビニ、レストラン、工場の一室、CM会社の会議室、あるいは男の部屋をきっちり。コンビニはレジこそ用意するものの、店頭の商品を天井からちょっと吊っておくだけというあっさりとして、十分なアイディアも巧い。

どちらかというとKAKUTAではか弱い印象があるヨウラマキのなかなかに力強い女子、という雰囲気を演じるのを初めて観る気がします。岩田裕耳の絵に描いたような業界人の造型が楽しい。前回に続いての鈴木アメリ、バイト先輩女子が店長に勝てるとほくそ笑む表情が絶妙。村上航のオジサンなペーソス感、なんか深みすらあってしっかりと締めます。小劇場女優、というのが出てくるのは少々安易な気はしつつも、山脇唯が床掃除というシーンがなんか健気に可愛らしく。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013.05.19

【芝居】「ぬけ男、恥さらし」MCR

2013.5.18 15:00 [CoRich]

笑いの中にペーソスが溢れる90分。19日まで駅前劇場。

その子供は、小学生の頃から愛というものがわからなかった、という小説を書く作家。

下手に作家の部屋、上手は小学生の家や高校の場面という舞台のつくり。愛というものがわからない、欠落しているという小学生の息子に泣く母親から、高校に進んで、という流れの上手と、畳の部屋で妻をぞんざいに扱いながら5年ぶりに書けるようになった作家の物語という下手の物語を並行して(交互に)進めていきます。

作家の語り口から、小学生の子供、愛というものが判らないという息子に対してかけがえがない何かとか、自分より大切な何かとさまざまに理解させようと四苦八苦する両親の序盤が面白い。そこから、生きていくためには、愛を知っている、という風に振る舞うのだと教える父親の説得力。

あるいは、高校に進んでから割り切って男はセックスはしても、相手は愛には至っていないというそぶりの女、さらには面倒くさく愛をかたりからめ取ろうとする女。これだけモテモテなのはファンタジーだというのは脇において(泣)、そぶりを見せないにしても、ガツガツと愛を欲しようとしても、さらには終盤あれだけいっていたのに、現実の厳しさ(高校生にとっての親の転勤、ぐらいのバランスが実にイイ)であっさりと翻すあたり。愛は大切なものだといていても、すぐに移ろってしまうものなのだという諦観ともいえる世界の見え方の根深さもまた、作家の持ち味なのです。

小野ゆたかが演じる息子、 幅広く実はニュートラルでありつづける説得力、パラドックス定数の早口で説得力という印象が、ここでもきっちり。 諌山幸治が演じる作家、あたしの座った席が二列目だったので、表情が見えないのは惜しいけれど、外には出さない愛情という雰囲気。 伊達早苗の母親っぽさ、ぽっちゃりというか肉感というか、ジタバタ暴れたりするというのもおかしくて。 津留崎夏子の今までみたことのないような表情の七変化が実にすごい。恋人の家に遊びに行って両親と話して居るときのバカにしたような表情から、なにかに心酔(か心酔か)しているという表情。 さらにはあっさり、というダイナミックレンジが実に凄いのです。
ザンヨウコをこれだけフラットに使うというのは珍しいけれども、子供を愛に目覚めさせる微妙なおばさん感と、愛され続けてるという妻の静かなありかたがじつにいいなと思うのです。

ネタバレかも。

続きを読む "【芝居】「ぬけ男、恥さらし」MCR"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013.05.16

【芝居】「奥村さんのお茄子」こねじ(菅野×佐々木)

2013.5.12 17:00 [CoRich]

3バージョンのうち、2バージョンめ。(1)。 記憶力がザルなアタシですが、何回か繰り返してみるうちにさすがに物語がアタシの中にも貯まっていくよう。

物語そのものの印象、全体の場所の使い方などはほぼ同じようです。となれば、役者の造型や印象によって違いが生まれる感じ。 「奥村さん」を演じた菅野貴夫は安定が勝る印象。驚き慌ててはいるけれど、正体不明の女のことを驚きこそすれ、受け止め、受け入れているといいましょうか。 それは、訪れる女を演じた佐々木なふみの造型とも関連していて、どちらかというと可愛がられる幼さや未熟さを残した後輩、という雰囲気で、それゆえに終盤で茄子をもう一度一緒に食べようとする策略とのギャップが生まれて怖さを持つという感じなのです。

もともとの物語の世界の雰囲気に近いのはむしろこちらだろう、という気はします。こうなるともう一バージョン(内山奈々×寺部智英)も観ておいてもよかったなと思わなくはないのですが、短期公演で複数バージョンの公演は少々つらいのも事実。(じっさい、まるごと観ない、としてしまうことも多いのです。実際には。今週はたまたまコマが何とかなったので拝見することにしましたが)

続きを読む "【芝居】「奥村さんのお茄子」こねじ(菅野×佐々木)"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013.05.15

【芝居】「もうひとつある世界の森に巣喰う深海魚たちの凱歌」あなピグモ捕獲団

2013.5.12 14:00 [CoRich]

東京での活動から福岡に戻り、初めての公演。 本編90分(開演は15分押しでした)。12日まで。

携帯をなくしたと男は焦るが、ほどなくして見つかったが、待ち受けは森になり、電話帳は消されてしまっている。そこに電話がかかってくるが「麒麟Q」という、知らない男からの電話だった。

携帯がなくて探しても他人はとことん冷たいという序盤から、男は突然森の中に放り出されたり、オフィスで一人怒られた後に同僚の女たちとの会話だったり、エレベータの中だったり、恋人との車の中だったりとさまざまな場所に突然とばされる感じでシーンが描かれます。 物語が進むというよりは、一人の男の心のなかがどうしてこうなったのかを細かに点描していく描き方だったのだ、というのは終演後に考えながら歩いていて気づくていたらくなアタシです。

仕事を辞め、恋人とも別れ、でも金は必要だし、このどうにも納得できない閉塞した上京から抜け出して、こうではない自分の姿になりたい、と焦る気持ちを描きます。芥川よろしく、天空から垂らされた赤い糸にすがる男のすがた。そろそろ諦める世代なアタシにとっては少しばかり眩しい感じ。

少しばかりわかりにくい鴻上尚史、とアタシはおもっている作家(そういえば、ごあいさつ、の文章がノートの罫線が残ったコピーというのもその気持ちを裏打ちします)なのだけれど、それは多くの女優をつかって、たった一人の女性を描こうというような描き方にも近い感じを抱くのです。

アタシが観ているこの劇団の公演としては格段に見やすいと感じるのは主役を演じた大竹謙作の力量という気がします。開幕の仕草も面白いし、あれこれ翻弄される感じも面白い。常連、石井亜矢やますだようこは安心してこの世界を見ていられる空気を作ります。古賀今日子(ex.ギンギラ太陽's)はこんなに間近で拝見したことはなくて、実に美しくて見惚れてしまうのです。この芝居のなかで唯一違う空気を醸す関村俊介はしかし自分の劇団とは違うキャラクタになっていて楽しい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013.05.13

【芝居】「奥村さんのお茄子」こねじ(浜野×両角)

2013.5.11 19:30 [CoRich]

高野文子のマンガを原作しにて45分。6人の役者で3バージョンを交互上演。12日まで大吉カフェ。 (1)

唐突に訪れた女は、遠いところからやってきたと名乗り、15年前の1996年の6月6日の昼食を思い出してほしいというこれまた唐突な質問で始まるSF風味な物語。大吉カフェという昭和な日本家屋、縁側や畳敷きという部屋がぴったりくるような原作。初演とは少し物語を変えているようです(といっても、例によって記憶がザルなアタシ)。原作にはないらしい「子供が生まれる」ということも、どうして男が助かったのかということに対しての、佐々木なふみの補助線、ということなのかもしれません。

漫画原作についてのあちこちで言及されているように、「楽しくてうれしくて、ごはんなんかいらないよって時も、楽しくてせつなくてなんにも食べたくないよって時も、どっちも6月6日の続きなんですものね」という、何事もない日常の積み重ねて(ゴハンを食べて)生きているんだ、ということがこの物語の中心なのでしょう。

「奥村さん」を演じた浜野隆之は、ちょっと情けない巻き込まれ型の造型。押せ押せのテンションな女に対して断りきれなくて押されちゃう感じがいい。訪れる女を演じた両角葉は、何かをしたいという気持ちが前のめりに時に空回りするような独特の造型に。安定よりも舞台ごとの瞬発力という少しばかりバランスの危うさを魅力にするような組み合わせは結果的に成功してるように思います。

普段の使い方とは逆に台所側を舞台に、普段は座布団で作る座席も立派なカウンターにでも使えそうな木材で大部分をベンチ席で構成するというのもホスピタリティとしていい感じ。

続きを読む "【芝居】「奥村さんのお茄子」こねじ(浜野×両角)"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【芝居】「雨の街」二騎の会

2013.5.11 15:00 [CoRich]

多田淳之介と宮森さつきのユニット。110分。19日までこまばアゴラ劇場。雨の日のは割り引くという企画も行っています。

雨の街、玄関の前に倒れていたという男を介抱し部屋に招き入れた女。何日かが経ち男は目覚めるが、自分についての記憶がなく、持ち物の運転免許に書かれた名前も自分のものとは思えない。女によればそれまですんでいた世界の、ゆがみのこちらがわにきてしまった、戻り方は判らないのだという。 雨が降り続きやむことのない街で、必要なものがあれば商人と名乗る男が持ってきてくれる、金も要らなければ電気もなくて、なにも時間をつぶすことがないままの毎日を暮らしている。女は窓の雨をみつめている。

なにもない街、そぼ降る雨を見つめ、お茶を飲むばかりの毎日。女は一緒に住んでいた大事な男が「透明になった」がいつも近くに居て寄り添ってくれるのだといってその人の分のお茶を用意する。いつかは人間「透明になる」のだから、そうなってから悲しむのではなくて、それを受け入れられるように準備をすべきなのだ、という感覚は、私もわりとイイ歳なわけで実感をもって感じられたりはするのです。

正直にいえば、このゆがんだ世界でゆるやかに死を迎えるための、驚くほど毎日同じような毎日を過ごしているということを淡々と描かれているのが、アタシには少々しんどい。それは男が感じている、女がなにを考えているかわからないということを描きたいのかもしれません。物語がほんとうにおなじところを延々ぐるぐると廻っているような感じで進まない感じなのは、そういう意味では成功しているのでしょう。まだ大切な誰かを一緒に暮らすということ、あるいは看取るということを経験していないから、気持ちの本当のところに寄り添える感じがしないから、という気がしないでもないのですが。

佐山和泉が優しく穏やかで居続ける、というのはちょっと珍しい感じで最初は驚くけれど、その穏やかさがやがていい雰囲気に。山内健司、永井秀樹、大竹直というそうそうたるキャスティングも凄くて、この不思議な世界の住人、という説得力は十分に。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【芝居】「ビーチバレー」桃と虎と、イギーとザッキー

2013.5.6 19:00 [CoRich]

畔上千春と八尾ポップの二人によるコント公演。アタシは初見です。お菓子食べ放題、というなんかほほえましい感じも楽しい70分。6日のみ、大吉カフェ。

ダンスで名をなしたいと思っては居ても昼は工場夜はバーで踊る女を見初めたのは工場の社長だった「アレックスとニック」(作・桃と虎)
二つの家の間に共用の子供部屋で小さい頃から一緒に育った双子と女の子、武道館に女の子を連れて行くと言ったけれど「ノーって言ってみろよ」(作・桃と虎)
二股がバレて男に選べと迫る女ふたり。男がひとこと「ブス」と云ってしまったために「Bの話」(作・向田邦彦)
作家からの手紙。ごめんなさい、書けませんでした。離婚して今は会えない娘が客席にきているというのに「振り返れば愛」(作・安西規康)
姉はマネージャ、妹は歌手で付け狙われている。ボディガードを雇ったが「ボディガードしてよ」(作・桃と虎)
将来のこと、もう夢は潰えてる。「モラトリアム同盟 青春 de コント」(作・菊川朝子)

「アレックス〜」はもう フラッシュダンスをパロディにしたような。じっさいのところ、頭から水をかぶるってのをコントのネタにするワンアイディアは当時山のようにあったわけでそこには新鮮さはないのだけれど、あの劇場前の路地で水をかぶってくるという心意気とナマだってことの強みはあって。

「ノー〜」はおそらくは「 タッチ」風、 だけれど、野球をバンドやボクシングに置き換えてという仕立て。必ずしもその置き換えが新たな何かを生んでいるかんじではないのだけれど。おかしなキャラクタたちになにかさせる、という感じの仕上がり。

「B〜」はかの名作「ブスサーカス」がある(しかも異儀田夏葉も出ている)ので、それと比べてみたいな感じにしちゃうけれど、ごく短いコントですから、もちろん何の関係もありません。ブスの一言でキレる女というのがポイントかしらん。最初にバケツの水かぶってるのに、こちらはコップの水、という妙に地味なものをもってくるところがなんかおかしい。

「振り返れば愛」は作家がかけなくてお詫びの手紙、という体裁で、客席に仕込んだ娘への愛情一杯の、という感動巨編、というかまあサライがどうとかいうアタリであの長時間テレビの薄っぺらな感じになるのはまあキライじゃないといえばない。

「ボディガード〜」は歌手とマネージャという姉妹の洋物ドラマ風に仕立てというか、まあこれも調べてみれば元ネタがあるようで、登場人物の名前とかがそのまま。知ってたらもうちょっと違う感想だったかもという気も。

「モラトリアム〜」は将来の夢とかもうなにもない感じというのが途中役者たち自身にだぶるように見せて、でも今の自分意味なんか無い、やっちゃえばいいじゃん、と空虚に前向きに落とす感じ。

コントというにもかなり緩くて、しかも強くデフォルメを加えたキャラクタたち。顔芸にも近いようなつくり。大爆笑かというとじっさいのところよくわからなくて、キャラクタで見せるという感じをいくつも。映画の元ネタがあるというのは、たとえばかつての「ひょうきん族」がそうだったように、一つのコントのつくりかただけれど、そのおもしろオカシイ一部分だけをデフォルメして見せるというところからもう一歩欲しい気がしないでもありません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【芝居】「愛についてのシンクロ・レポート(オーラルメソッド3)」シンクロ少女

2013.5.6 17:00 [CoRich]

今回の公演の中では唯一の新作。60分。6日までアルシェ。

なかちゃんの恋人だという男二人。不倫だけれど触りさえしない男と、若いけれどニートで経済的に支えられない男の二股をかけている。二人を呼びだし、バイセクシャルの男も立ち会わせて、愛というものについて話してほしいとなかちゃんは言う。 男三人があれこれ考えたり仲良くなったりしながらの珍道中、という後半は、どこかロードムービー風。母親を追う兄弟たちという「ダージリン急行」に対して、理解しがたい女を振り払えない男たちという感じだけれど、フォーマットが繋がっている感じがするのが、ちょっと面白くて、これが作りたくてダージリン急行をやることにしたのか、と思ったり思わなかったり。

一方で「極私的エロス」( 1, 2) が作家自身の実話の切り売り(という体裁)で、この人は寂しさとか愛情とか男ということをこうとらえるのだということをベースにして、ダージリン急行の軽妙な男たちというフォーマットに乗せ、もうすこしライトな話題で作り出したという印象。実名らしき人々がガンガン出てくる「極私的〜」に対して、役者の名前が役名になってはいても、客演を一人入れていることでそういう付き合い方はしていないだろうから、そういう意味でちゃんとフィクションになっているのです。

愛というものががわからないのだという名嘉友美という作家というレッテルというかブランドというか(劇中でも「芝居で言い訳をしている」というような台詞があったりします)、自分を切り売りするかのように、愛情とか恋人について、一般的なモラルで思考停止せずに自分の頭で考え抜いて向き合おうというする姿勢は時にコミカルにすら映ります。やたらにメモを取ったりとキャラクタライズされているのも巧く働いていて、この作家自身の名前を名乗りながらも、そいういう「キャラクタ」に相対化していて、フィクションという体裁に昇華して、「極私的〜」からの新たな一歩をちゃんと踏み出したのだなと思うのです。もちろん知り合いではないし、ろくにお話ししたことすらないのだけれど、彼女の恋いとか愛とかを見守っている、っていう感じ。ほんとはそこに参加していたいと思っちゃうオヤジ気質だって(まだ)あるんだけれど(笑)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013.05.11

【芝居】「極私的エロスAチーム/性的人間(オーラルメソッド3)」シンクロ少女

2013.5.6 15:00 [CoRich]

これも再演 (1, 2) の二本。70分。6日までアルシェ。

「極私的〜」はリーディングだった前回からはかなり芝居の感じになっていたりします。作家の体験、という体裁だけれど、これがホントかどうかはもちろんわかりません。ああ、この女はアタシになびいてくれるかもしれない、とか思っちゃうのは芝居のマジックでもちろんそんなことはありません(というか、誘ってもいませんが)。

愛情とは別に、性愛というか、人の肌に触れたくなっちゃうという感覚はきっと誰にでもあるんじゃないかと思うのだけれど、女性の作家でここまであからさまに書くという作家は殆ど居ないというのは、今作の成り立ちの特徴だと思うのです。

祝われる名嘉友美を演じた菊川朝子は可愛らしい彼女のA面の雰囲気をきっちりと。終幕の眼福にね、もう。祝われないどころか怒られる名嘉友美(離婚しても名前を戻さないのは、まあそうか、こっちの名前の方が圧倒的に作家らしくみえる)を演じた本人はホンネということなのだろうと思うのです。 「性的〜」、初演ではサラリーマンの風景という体裁を再演で小説家の家に変化させました。今作は再演からのフォーマット。歳を取った男にとっての脅威という若い男を後藤剛範が好演。弟子な感じと、強い男の感じと、爆笑編にするゆるさのバランスがとてもいいのです。妻を演じた宮本奈津美は、あたしの友人が過去最高に綺麗、と絶賛するのもよくわかるのです。しかもちゃんと色っぽい。(この芝居では重要な要素です)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013.05.09

【芝居】「ダージリン急行」シンクロ少女(オーラルメソッド3)

2013.5.6 13:00 [CoRich]

映画を原作にとった去年初演(1)の再演。すこし長く、舞台も広くなって一本で60分。6日まで阿佐ヶ谷・アルシェ。

シンクロ少女の中では異質な一本。三人の所属役者と、客演の女優二人というフォーマットはそのまま。馬鹿な兄弟たちの珍道中、しかもその理由が母親に会いに行くため、というそれだけの理由。予告編(YouTube)はまさにその感じなのだけれど、もしかしたら、この予告編だけで作ってるんじゃないかと思うぐらいに、この雰囲気。

正直に云えば、シンクロ少女の中でこの一本は格別に異質なのです。色っぽさも幸せを追い求めるということもなく、淡々としたロードムービー。もう死語になりつつある、と個人的に思ってるスピリチュアル、な旅というのに主宰がハマったのかなぁとも思うのです。なるほど、母親たる主宰から見た、三人の息子たる俳優たちの雰囲気という感じもするのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【芝居】「SHOOTING PAIN」コロブチカ

2013.5.5 13:00 [CoRich]

コロが主宰するコロブチカの三回目公演。連休のなかごった返す横浜みなとみらい地区・横浜美術館のレクチャーホールで90分。6日まで。ぬいぐるみハンターの池亀三太の作演。

精神科の入院患者たち。電車に曳かれたのに頭を三針縫っただけだと言い張る女、時にあばれ時に楽しさめいっぱいな女と寄り添う親友、自分が王思いこむ男とけなげな妻、子供に寄り添うために病院に居る女。あるいは子供を元気づけるために訪れた野球選手。医者やナースたち。

いわゆる精神疾患を扱う芝居、という意味ではアタシは鴻上尚史の「トランス」に強い印象があります(ファントムペイン、という作品もありました。ペイン繋がりで)。あの頃に比べれば笑いも多く、ずいぶんと優しいんじゃないかとおういう疾病に対する理解と知見が進んだとも云えますし、物語を描くという立場では迂闊に扱えない話題になってきていて、鴻上尚史の時代よりは足かせがあるようになってきています。今作では精神病院という場所を舞台にしていて、あきらかにおかしな言動をする人々という描き方で笑いもふんだんに。こういう描き方は今風ではないけれど、そういう場所に居る人々、という舞台を設えるようになっています。

スピード感あふれるという意味では池亀演出が存分に。もっとも舞台はものすごく広い上にほぼ素舞台なわけで、限られた導線を生かすというよりは、舞台から3Dよろしく飛び出したり、あるいは客席後方から走り込んできて舞台にとびあがって駆け抜けたりというのが実に楽しい。

物語の根幹は終盤で明かされます。バラバラに見えた人物たち(のいくつか)が繋がり、人物が溶け合っていくように重なるさまは実に鮮やかです。

正直に云えば、語るべき物語に対して登場人物が多すぎる感じは否めません。日替わりのゲスト(日曜昼は巫女アイドルユニットらしいmicoooooズ)を含めて、もっとぎゅっと濃縮すれば、たとえば「トランス」ばりの物語になりそうな予感があります、といえば誉めすぎか。

主役を務める右手愛美は可愛らしく、しかし入院してる、という風情。その相棒を演じた コロは、時に怒ったり、時に笑ったり、時におかしなこといったり、という相棒たる造型に説得力。 小田急線にはねられたのに四針縫っただけ、という役を演じた工藤さやは序盤のあきらかに頭オカシイ感じから、中盤の説得力、終盤に至って泣かせるような芝居に着地の変化。 母親を演じた浅川薫理は幼さすら感じさせる母親、ファントムな(=居ない)息子を見舞っているという人物の作り方がまた哀しい。 王様気取り、を演じた菊沢将憲も序盤のオカシさから、終盤へのダイナミックレンジが楽しい。 ナースの一人を演じた前園あかり、見慣れた役者ということもありますが、実に可愛らしい。もっとハードに動ける役者なのだけれど、綺麗な女性を演じるということがそれほど多くないので新たな魅力。 野球選手を演じた一色洋平のバットの振り回し具合、それを避けるナースたちという場面は面白いなぁと思うのです。

シンプルなモノクロの当日パンフなのだけれど、コピーじゃなくて印刷している(写真が嬉しいし、ちょっと落書き風に服装を想起させているという付け足しも楽しい)のも気合い十分でいいのだけれど、役名と属性をきちんと書くこと(初めてそういうのを観たのは青年団の東京ノートな気がする)、あるいは公演の日付や場所、タイトルやスタッフを一カ所にまとめて書いておく(つまり公演のクレジット)、というのは小さなことなのだけれど、ステージを作品として成立させる、ということの姿勢として重要なのです。こんな些細なことすら、割と大きな規模の芝居でも出来てない当日パンフ多くなりました。もっとけち臭く、高い木戸銭はらっても当日パンフはさらに有料、というのはひどいもんだと思います、ほんとに。役者を知らしめようという気が無いのかとか、なんとか(笑)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013.05.07

【芝居】「おるがん選集 3」風琴工房

2013.5.4 19:00 [CoRich]

劇作家・詩森ろばが好きな短編小説を選び芝居として書き直して上演する企画の三回目。 (1, 2) 80分。6日まで、高円寺・ひらや。立派なキッチンもあるようで、回限定で、カフェごはん付き公演も設定されています。

雛型という人間の形をしたものを拾ってきた女。恋人が居るのに、男の形をした雛型との同居をやめることはできない。そのうち、雛型は外にでて稼いだりと逞しくなってきて。「物語が、始まる」(原作・川上弘美)
父親が亡くなり久し振りに戻ってきた息子。父親は妻を亡くしたあと、何人もの御あと暮らしているが、隣町の床屋で働く若い女と同居するようになり、しばらく暮らしていた。男はこの家を出て東京に行ったが、女はこの家でずっと暮らしていた。父親の悪い癖が再発して、女は少しずつ壊れていって「痩せた背中」

「物語、〜」は、もう存分に川上弘美節。不思議な何かと女の情念とが不思議な混じり合いの手触りの物語に素直に入っていけるかどうかがおもしろいと思えるかどうかのポイントだと思います。読み手が速度を決め、行きつ戻りつして味わえる小説に比べると芝居というやりかたはどうしても不利になってしまいそうな物語、という気がします。川上弘美を芝居で観ることが大好きなアタシなので、なんの違和感もなく、もうワクワクと楽しいわけですが、それが誰でも同じというわけでもない気はします。

恋人が居るのに、浮気心というのとも違ってふらふらと拾ってしまった「雛型」。それが成長し、男となり、恋心のようなものまで生まれてしまう女。それに嫌な予感を感じながらも許してしまった恋人の影はどんどん薄くなっていくのです。雛型をペットのように幼いものがどんどん成長し自分を追い越して、そして先に居なくなってしまう、という設定が絶妙で、それを経た女は男を育て介護し看取ったという、ある種の人生を一度経験したのに、まだ彼女自身は若いままということ。「拾って」しまうほどのある種幼かった女がひとまわりして、おそらく年上の男に追い付いたという感じが、新たな「物語の始まり」を想像させるのです。

田中沙織の物静かでいて、しかし内に秘めたる「女」の色っぽさ、人妻(1)だというのににやられる友人多数、もちろん私も例外ではありません。透き通る声がまた実に素敵なのです。 雛型を演じた佐野功は、どこか無機質を感じさせる顔のつくりと、すらりとスマートで人ではない何かを説得力。

「痩せた〜」は初演を観てるにもかかわらず、例によって記憶力がザルのアタシです。 正直に言うと、初演の時よりも私には物語がぴんとこないというか難しいというか。行きつ戻りつする時間軸はともかく、狂っていく女と、男と東京での恋人など描かれていることが実感に近づかないというか。まあ、私が他人の暮らしたことがない(泣)、という欠損ゆえかとも思うのですが、初演のときはもうちょっと身近に感じてたような、感想書いてるし。感想読み直して思い出す、そうだ、これ、西原理恵子だ(多分間違った解釈ともおもうけれど)。

帰ってくる男を演じた酒巻誉洋は、派手なことはなくてそこに居た子供が戻ってきた、という時間軸もしっかりとした説得力。後妻を演じた李千鶴は可愛らしく、情の厚さが滲むよう。恋人を演じた宍戸香那恵は男を信じ続けて、東京で待っている女、という役なのだけれど、そのひたむきな感じが実にいいのです。両方に出演の根津茂尚は限られた舞台のなかで欠けてしまいがちな、「この場所」の外側に広がる社会を感じさせるのです。もちろん私たち(=普通の)の視座をしっかりと作った説得力。

劇場でない上演場所を見つけるのも、この主宰の確かな眼力で、どこに行っても新鮮で入ったことのない場所、というロケハン力の凄さ。この狭い家の中で二カ所を舞台にする、というのも相当に無茶だけれど、間の休憩を挟んでみんなで頑張るというほほえましい感じも実にいい空間なのです。

続きを読む "【芝居】「おるがん選集 3」風琴工房"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013.05.04

【芝居】「河童~はたらく女の人編」渡辺源四郎商店

2013.5.4 15:00 [CoRich]

 5日まで。

青森の商事会社営業部。ある日、OLの一人が朝起きたら河童になっていたが、それでも出社してきた。しゃべることも考え方も前のままだが、生臭かったり手に水掻きがあったりぬるぬるしていたり。部長はそれでも受け入れよういい、もり立てようとする。素直に従う者もいるが、受け入れがたい者もいる。 元々は高校生向けに書き下ろされ、いじめと差別の構造を描いた一本。ほぼそのまま会社の中の物語として描かれています。人種だったりという固定化された中での差別というよりは、感染るかもしれないという病気だったり、さらには、ほぼ同質な人々の中で些細な違いがイジメとなり、それはなにがきっかけで自分にふりかかるかわからないし、差別する側に居た人が突然差別される側になるかもしれない、ということを淡々と描くのです。

実際、描かれていることはシンプルだけれど深刻なこと。作家はそれを淡々と「ありそうなこと」「起こっていること」として描くばかりで、何かの教訓だとか、こうあるべきだという示唆だとか、あるいは幸せな解決策を描くということをしません。正直、エンタテインメントとしての芝居という意味ではあまり巧い感じではないのだけれと、安易に解決とかカタルシスとか教訓に一足跳びに着地しないのは、現役の高校教師でもある作家が、万能な解決策をいまだ見いだすことができないのに物語のなかだけで解決するわけにはいかない、という誠実さで、それは彼自身の切実な気持ちだろうとも思うのです。そういう意味で、この戯曲を演じた別の高校に対して、どこかの高校演劇の講評でみかけた「何かの解決や希望を見せないのは評価できない」というのはお題目としては正しいかもしれないけれど、誠実ではないか、あるいはファンタジーにすぎるのではないかと思ったりもするのです。もちろん、本当の現場を知らない私ですし、ちゃんと解決できる現場だってあるのかもしれないのだけれど。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【芝居】「したごころ、」エビス駅前バーP

2013.5.4 13:00 [CoRich]

2011年初演を、エビス駅前バープロデュースのReboot企画の一本で。15日まで。

初演を観ているはずなのだけれど、例によってすっかり記憶力がザルのあたしです。しょっぱい恋愛模様のあれこれ、という体裁なのだけれど、正直に言えば、自分の体験に照らしてヒットはないわけで、それがほんとうに遠くになってしまっているという自分を発見したりもするのです。

バーテンと料理研究家の卵、チンピラ風情とつきまとわれてる風な女、上品な女とホスト、二股三股当たり前な女と、ハネムーンの相談をする男、というような枠組み。小さな物語を少しずつリンクさせながら1時間強をつないでいく、というのは確かにエビス駅前バープロデュースのフォーマットという意味でスタンダードな感じで、そういう意味ではリブート企画の一本という意味があるのです。

わりと見栄えのするバラエティに富んだキャラクタは、いろんなタイプの役者を取りそろえられるプロデュース公演のメリットを存分に。

修行中な雇われバーテンダーの女を演じた川西佑佳は人の恋愛にぼーっとする感じから突っ張るところまで豊かな表情の変化が印象的。勝ち気が勝るように思えた初演の蒻崎今日子とはまた別の魅力。 最後に現れる女を演じた、そういう意味ではこれも初演の鈴木麻美との対比。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【芝居】「ひろさきのあゆみ~一人芝居版」渡辺源四郎商店

2013.5.3 19:00 [CoRich]

高校演劇として畑澤聖悟が関わった作品を、更に渡辺源四郎商店の大人の役者たちが真剣に向き合う、という企画公演「大人の高校演劇祭」のいっぽん。 3人 (1)・ 8~10人 (1) の二つのバージョンがある原作を高校演劇用「高校生が演じている」という体裁に改訂したものを、 さらに一人芝居にしたという「孫潤色」。 東京では看板の工藤由佳子版のみで6日まで、他演目と交互上演。アナウンスでは75分のところ、東京の初日は70分。

赤ん坊の「初めの一歩」から、あゆみは歩き始める。幼稚園に行き、小学校に入り、高校に通い、恋をして、働いて、出会って、結婚して、娘が生まれ。

三人の女優が一人の女性を演じるという構造を、スクロール(ともかく横一直線に歩き続ける)という発明を前提にしてつくりあげる、というのが「あゆみ」の根幹(残念ながらフルバージョンは未見。どこかの映像で目にしたかも知れない)なのだけれど、8人版ではそれが平面の広がりになって、すこし意味合いが変わっていたりします。これを更に一人芝居にすると、当然もう「スクロール」の手法の面白さに頼ることは出来ません。当日の終演後のトークショーの中でも、芝幸夫自身が「何事も起こらない平凡な人生を描いているだけ」という戯曲のナマの部分があらわになって、ある種の暴挙だと語ったりします。

確かにアタシも同感で、その平凡なものを「劇的なもの」にできるかどうか、というあたりの難しさがあるように思います。アタシ個人に関していえば、工藤由佳子という女優あって、という前提で70分を集中できる感じ。たとえば、初めの赤ん坊のときのキラッキラとした笑顔だったり、OLになった時の年下の男との会話だったりというさまざまな表情や仕草をそれこそシャブリ尽くすように楽しむのです。

何人かの役者が繋げて一人を紡ぐということができない制約ゆえに、連綿とすべてが繋がっていく、ということを表現するのに少々手こずる感じがあります。が、それゆえに「母と娘」という二つの世代が重なり、併走するという一瞬にこの芝居の「劇的なこと」がぎゅっと濃縮されます。 もっとも、何もない、といったって「ふつうの人生(=誰かと一緒に暮らしたり子供ができたりする)」だけで、十分、ちゃんと何かがある、ということだと思うのだけれど(泣)、それはまた別の話。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【芝居】「修学旅行~TJ REMIX Ver.」渡辺源四郎商店

2013.5.3 15:00 [CoRich]

高校演劇をオトナが真剣に演じるという企画公演。高校野球には感動したりするのに、高校演劇の真摯さには賞賛がないという店主の売り文句。果たしてスズナリがほぼ満員。 他劇団でも上演される「修学旅行」(1, 2) TJこと多田淳之介の演出による90分。6日までスズナリ(他演目と交互上演)。

卒業式、思い出に浮き上がってくる、沖縄の修学旅行の夜。班長はこのグループを纏めていこうと思っているけれどうまくまわらない。告白しようと思っている男も居るし、好きだと言い出せずにいる女たちもいる。この班を盛り上げようと班長が考えたのは好きな男の子のことを喋ろう、ということだったが、それは火種となり。

青森から羽田を経由して沖縄に修学旅行。もちろん(教師にとっての想いという)意味はあるけれど、当の高校生たちにとっては楽しい旅行の一幕という幕開け。 作家自身がトークショーで語るように、高校演劇で戦争と言えば太平洋戦争になるし、修学旅行を平和教育というかたちにするというのもその一環。(この戯曲が描かれ上演された)2005年を生きる高校生たち自身の物語として上演したということが、実にみずみずしかったのだろうと思います。

狭い一室から出られず必ずしも仲がいいわけではないクラスメイトとの一夜の些細な諍いを、地球という場所から逃げていくことができない国々の間でなぜ争いが起きるのかということに二重写しにするわかりやすい構造は実に秀逸。もちろんその「国々」ということがもし、わからなかったとしても「なぜ人は喧嘩してしまうのか、というだけのことだって、高校生たち自身が演ずる意味は十分にある戯曲なのです。

ギスギスしてしまっている班をなんとかしようと、班長が考えたのは、女子だから「好きなひとのこと」を云えばうまく廻るんじゃないかと考えるのだけれど、結果として全員が一致して一人が好きだと書いた(単に面白い顔だから、から、好きでたまらなくて蝶のように誘っても靡かないまでさまざまな理由だけれど)というあたりから部屋の中に不穏な空気が漂うのです。なにか一つのもの(や人)を取り合うことが戦争のきっかけになるのだということの秀逸。それは些細かもしれないけれど、失いたくないものを誰かに(盗|取)られるかもしれない、という恐れる気持ちが、戦争を作り出してしまうのだ、ということ。

それを更に大人の俳優たちが演じることで、そう感じるであろう瑞々しさよりも精度が勝るようになった仕上がり。 強大なちから(=アメリカ=生徒会長のノミヤ)が世論を強引につくることだったり、自分が寝ているすぐ横で(試合目前という理由があるにせよ)ブンブンと金属バットを素振りするということが隣国の大量破壊兵器の存在なのだ、というアイディアは今観てもちょっと凄いと思うのです。

正直に云えば、元々の物語の外側に卒業式の体裁でくるんだ、ということの意味は今ひとつ明確には示されません。もう911やブッシュというあたりの時代の次に私たちは進んでいる(=卒業した)とした「過去のこと」として描こうとしているということなのか、あるいは役者たちの実年齢を最初に云ってしまうことで何か相対化してみせる、ということなのか、いろいろ考えてみたりはするけれど、本編の「自分たちの現実の」をそうして相対化してしまうことが果たして良かったことなのかなと思ったりもするのです。(そもそも、この解釈自体があっているかどうかすらわからないし)

なんてことを細々思っていたとしても、全体に大爆笑編でもあって、深刻な話題をこう気楽に観られるというのは確かなちからなのだな、と思うのです。

工藤由佳子が大人っぽくて、強大な国の位置づけをしっかりと。色っぽく蝶のように羽ばたいてみせるシーンのコミカルは少々痛い感じにわざとするのも楽しい。緊張の瞬間を緩和する工藤良平のポイントポイントの出演も楽しく。柿崎彩香のぶんぶんと振り回すバットがかっこいい。 三上晴佳がかぶり物ってのもありそうでなかなかない感じ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013.05.03

【芝居】「猪突タッチアップ」ズッキュン娘

2013.4.29 13:00 [CoRich]

二回目公演は池上三太の脚本で。4月29日まで新生館シアター。80分。

種子島の女子高校生のソフトボール。県大会二位まで来たけれど引退する三年生、それを継いだ二年生、天才的な一年生のピッチャー。練習試合の人数に足りず、部員も辞めていってしまう。

スッキュン娘 種子島の高校、女子ソフトボール部。県大会の二位までにはなったが、三年生が引退し、試合に出られる人数すら確保できなくなってしまった。新しいキャプテンはウザガレるほどに新部員の確保に奔走するが、顧問もマネージャーも頼りにならない。このチームの要となっているのは一年生の天才的ピッチャー。だが、その姉はソフトボールは大好きだが、チームの戦力にはなりきれていない。練習試合も申し込まれるが、三年生が抜けたあとの人数は埋まらないどころか、マネージャーまでが抜けるといいだす。

わずか80分ほどの物語、細かな物語の断片でそれぞれのシーンはほとんど2、3人で構成されています。出捌けの導線の妙で、ともかく淀むことなく物語が進みます。作家だけの参加のはずなのだけれど、池上三太のぬいぐるみハンターでみられるようなスピーディーさが実に巧く機能しています。

全体にはコントのような感じではあるのだけれど、スポ根的やる気のギャップや、スポーツの実力という歴然とした差と姉妹のあれこれ、あるいは煙草などの不祥事や家庭の事情、あるいは初恋の事情やら、デートにいそしむ気持ちやらのセイシュンのあれこれをぎゅぎゅっと濃密に、しかも時にコミカルにときにシリアスを混ぜながらつくりあげる物語の力。

正直に言えば、それぞれが背負う物語それぞれは決して独創的でもないし、観たことがないという驚きがあるわけでもありません。が、それをぎゅっと濃密に詰め込んでパッケージして、それをスピード感溢れるようにつくることで、ちゃんと物語を紡ぐのです。

熱くウザいキャプテンを演じた長瀬みなみ、圧倒的なコミカルで突っ走る背野じゅんは、物語を背負うというわけではないのだけれど、それぞれの物語をトッピングできる強度のあるソフトボール部という背骨を構成。この強度の上に、たとえば姉妹の葛藤や他の人物たちの恋心や進学のこととか、様々な物語が作り上げられる安心感。姉を演じた山崎未来を役者としてきちんとみたのは初めてかもしれません。なんかとても雰囲気がいいのです。 ダンスシーンもいくつか。パシっとしかも女優らしく可愛らしくキメるのがかっこよく。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013.05.02

【芝居】「ひかる君ママの復讐」月刊「根本宗子」

2013.4.29 21:00 [CoRich]

面倒くさい女たちを描くのだという「投稿演劇」という新しいシリーズの展開。ネモシューこと根本宗子のホームともいえる四谷・荒木町の「バー・夢」に戻っての40分。カレンダー通りの休日だけの上演で6日まで。21時開演という遅い時間から気楽に観られるというのも嬉しい。

客入れは始まっていて鏡前に並ぶ役者たち。香水や食べ物が臭かったり喉が弱かったりという役者だったり、降板する役者が居たり、ブスだったり、セリフの返しがうるさかったりのストレスがそれぞれの役者に溜まってきている。出ないと言い出す役者まで居て、主宰以下なだめすかしてやっとの思いで開演を迎える。

前売り1800円(さらに500円引きの各回5枚限定の女性割引きあり)。というわりとイイ値段の割にあっさり40分で終わるという気っ風のよさだかなんだかが気持ちいい感じすらするバー公演なのです。

ネタバレかも

続きを読む "【芝居】「ひかる君ママの復讐」月刊「根本宗子」"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【芝居】「cut out list」PLAT-formance

2013.4.28 17:30 [CoRich] [ダイジェスト映像]

30日まで王子小劇場。75分。

人のためになりたい、と願うものはすべて天使になれるはずなのだが、形式的な試験を何百回と落ち続けている男と、その友人ですでに天使になっているらしい男。受からせようと、試験をする側もさまざまに工夫を凝らしてすら、受からない男にいよいよ最後のチャンスを与えることにする。「人を幸せに」することができれば、天使にしようということになる。

恋人を諦められない男を助けようと、「卒業」よろしく乗り込む男を後押ししても新婦は男が誰だか判ってくれない、あるいは、犯罪を犯して大金を手にした男を助けてどうにかしようという二つのエピソードがありますが、ここ自体には物語としてはあまり大きな意味がある感じではありません。そこよりは男二人が行きつ戻りつというか、トライアンドエラーというか、目的とされている「天使になること」すら実際の処あまり柱にならなくて、だらだらと話す男ふたり、ということが実に楽しいのです。若い二人だろうに、オヤジのあたしでもフックする瞬間があったりするのもマル。

(追記 2013/05/02 23:26) 紛争地帯の、という物語は単なる楽しいコントではない着地点を探る感じ。何か苦しいこと、ということ。それは911かもしれないし、311かもしれないし、(私は実感できない)紛争地帯で暮らす人々のこと、コントの体裁をとっているのに、こういう話題で 進めるというのもまた彼ららしい。

USTREAMで毎週木曜深夜に彼らがやっている「他力本願寺」をナマでやるという趣向も取り込んでいます。確かにTwitterでネタを募集してそこにあった問題に対してその場で答えているようではあるのだけれど、演劇(あるいはコント)の流れのなか唐突に押し込まれている感があって、70分という全体の尺の中で、こういう「箸休め」をそれなりの時間をつかってやるというのは結果としては全体の流れをいったん止めてしまうようで勿体ない感じもします。このコーナーが大爆笑ならばまた違う印象なのだろうけれど、選んだネタと、その場の役者の瞬発力だけに頼っているとすると、クオリティを担保できないわけで、大当たりとふつう(この二人の役者の力ならば、悪いことにはならないとは思う)の振れ幅ができてしまう気もするのです。そういう「外乱」を入れようというのはおもしろいのだけれどなぁ。もっとも、あとから初日のあとに収録されたUSTREAM(2013.4.25)を観ると、楽しい、ってことはよくわかるのです。

正直に云うと、PLAT-formanceに対しては、もっとスタイリッシュと可笑しさの両立、ということのハードルがものすごく高いのです。その期待値に対しては平均点、という感じがしないでもありません。が、安藤理樹、吉田能という二人の役者の間合いの凄さ、あるいはオカヨウヘイの脚本のゆるい緻密(意味不明)さが、たとえばシティボーイズ(今年は観られなかった...)に繋がる予感がしてならないのです。

天使の後半でのセリフ、「特別すぎて、手探り」は実感が伴う感じ。なにかの枠組みの中でずっと続けてきたことに、拒絶できない新たな問題が発生しても、ショーマストゴーオンに前に進めていかなければならない、というのが、地に足をついている風に思えるのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【芝居】「横濱短篇ホテル」青年座

2013.4.28 14:00 [CoRich]

横浜の老舗ホテルを舞台に5年ずつゆるやかに繋がる物語を7編で構成する160分(休憩15分)。28日まで紀ノ国屋ホール。

1970年、ホテルの一室、映画の主演女優が決まらずに煮詰まる監督とプロデューサー。そこに突然現れた若い女は怖い男に追われているので匿ってほしいという。部屋の主が映画関係者だと知り、高校の演劇部だという女を門前払いにしようとするが、あまりに熱心に頼むので、演技を見ることにする。 「ヤクザに追われて」
1975年、ホテルのラウンジ、恋人と待ち合わせたのに3時間近くも待ちぼうけを食らっている男。隣のテーブルでも待ち人がなかなかこない女に声をかけるがあっさりと振られる。女の待ち人は人気の映画監督で、シナリオを読んで貰うが、まだまだだと一蹴され、ラウンジの他の客を観察してみろという。「人間観察」
1980年、ホテルの一室、野球選手がコーチを部屋に呼び出す。成績が振るわず、やっと戻った一軍だが、ファーム入りを告げられるた選手は、コーチが若い女と不倫関係をばらすといってゆする。
1985年、ホテルのラウンジ。夫と別れた人気女優は誕生日を若い恋人と過ごそうと考えるが当日になって振られてしまう。声をかけてきたのは、中学の同級生で今は農業高校の教師をしている冴えない男だった。「初恋の人」
1990年、ホテルの一室。散らかり放題になっている部屋に居る女。女は実家の工務店を継いで馬車馬のように働いているが、年末の数日だけは籠もってシナリオを書くことにしている。誰に読まれるアテはないが、この時間だけが自分が生きてい時間だと感じている。クリスマスイブ、別れた夫が三年ぶりに訪ねてきて、よりを戻したいと云うが。「離婚記念日」
1995年、ホテルのロビー。農業高校の教師が10年前に再会した女優と待ち合わせている。そこに現れた若い男女は、待ち合わせの相手の息子とその恋人だといい、少し遅れるのでそれまで相手をするように言いつけられたという。遅れてきた女は、喪服姿だった。「プロポーズ」
ホテルの一室。売れっ子の脚本家となった女とよりを戻したらしい夫。女は高校の演劇部で一緒だった親友である女優の三回目の結婚式に出席しようとしている。あの日監督のことが先に好きだったのに、怖じ気付いた女は、演劇部の女友達が先に部屋に乗り込んで、監督に見いだされてしまったのだ。あの女優の人生は私のものだったのだ、というが。「ネックレス」

MOTHER・フユヒコ・赤シャツといえば、マキノノゾミ×青年座の評判の組み合わせ(赤シャツだけ、拝見したことがあります。ゴー泣きの凄さ)。そのタッグの新作。 マキノノゾミの12年ぶりの書き下ろし新作、という触れ込みなのだけど、これは「青年座への」書き下ろしが12年ぶり、ということがチラシではわかりにくいのは少々誠実さにかける感じ。(たとえば3年前に短編の他劇団への書き下ろしを観ています。) 5年おきに25年+αの7編。ラウンジと客室という二つのセットを切り替えながらというのは凄い。 ゆるやかに繋がり、しかも確かに前に進んで時を重ねている人々。高校生が人に出会い、仕事を決め、焦ったり、恋をしたり、別れたり、安心したり、憬れたり。再会したり、時を経て告白できたり、でも、いい歳を重ねてきたということを優しく描くマキノ節。

「ヤクザ〜」は正直に云えば、早々に入ってきた女(ハルコ)が企みを持っていることはわかってしまうのだけれど、それは大きな問題ではありません。この芝居全体を貫く物語の序章が後で効いてきます。女を演じた香椎凜は女子高生と(彼女が演じる)大人の女というダイナミックレンジの凄さ。

「人間〜」もまた、終幕で効いてくるもう一つの柱の序章だということは見終わって初めてわかりますが、序盤ゆえに圧倒的な爆笑が多いというのも巧い。軽い男にナンパされても軽くいなす女(フミヨ)という序盤、人間観察をしろといわれてさっき話した男の知りうる情報でズルをするというのも楽しいけれど、終盤、競輪の予想をしている老人のバックボーンをチャップリンの街の灯(大好きなのだ)よろしく花売り娘と再会したという圧巻のハッピーエンドで客席が沸き返る千秋楽なのです。

「脅迫」はこの7編の中では唯一ハルコ・フミヨが登場しないこともあって、少し浮いた感じで違和感がなくはないのです。生きていくために脅迫めいたことをするというのも、第三者には叶わなくなったことが明白な希望をきちんと本人に伝えるというのも、伝えられた本人はそれを感動すらして、いい人だと思う、というのがちょっと大人な感じ。

「初恋の人」は、人気女優と久しぶりに会った中学生の同級生。田舎から出てきていて木訥な男と、華やかな女。同級生が声をかけてくれたということも嬉しいし、なにより、女優になった私ではなく中学校の頃の私を覚えて居てくれた、となれば恋に落ちても不思議ではないという説得力。

休憩を挟んで「離婚記念日」 成長したハルコが初登場。作家が成功に繋がって、だから元夫が訊ねてくるというのがいい雰囲気で、終盤でやり直す雰囲気なのが実にいいのです。

「プロポーズ」は中学の同級生が再び再会。喪服で現れる女は大切にしてきた人を亡くし、男はこれで入院するということを告げずに去るつもりだったのに、つい云ってしまう。そこから二人が急速に近づくということが嬉しく、哀しいのです。息子とその恋人が来て、ちょっとお小遣いの話をして金銭感覚の違いがある、けれども、息子がまっすぐに育っているっていうことが嬉しいのです。

「ネックレス」は、ここに至って二人の女の18(つまり、「ヤクザ〜」と「人間〜」)からの人生、時々付いて離れて、もう何十年も経って、 それでもお互いの人生を今でも楽しんでいる、もちろん亡くなっている人も居るし自分だって老いていても、それでも楽しいということ、自分の気持ちに寄り添ってくれるのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2013年4月 | トップページ | 2013年6月 »