【芝居】「漂着種子(2013)」猫の会
2013.2.16 15:00 [CoRich]
先週観た1984版と対をなす2013版。17日まで。
2013年、八丈島から八丈小島を望むゲストハウス。母親の生まれ故郷を訪れた女が一人で泊まっている。かつては旅館だったこの場所の母屋は集会所になっていて、民話を元にした劇を上演するために毎晩稽古をしている。女は仕事も恋人もすべてを捨てて訪れているが、そんな女を追って、かつての同僚もやってくる。
東京での生活になにもかも疲れて離島を訪れた女。彼女にとっては母親の生まれ故郷だけれど、家出のように絶交状態となっていたこの場所のことは母親が話したがらなかった出生の秘密がある場所。1984版で謎めいた後半部分は「父親が殺されたこと」だけは明確に語られますが、それ以外の謎解き編、というわけではありません。生活の場から逃げてここを訪れた女を中心に据えた物語。
1984版の三女の娘をメインに据え、1984版で生まれた次女の息子が成長してと重なってはいるものの、同じ人物は役としては登場しなくなっています。具象だった舞台装置は舞台全体の四隅を鎖で吊るような抽象舞台になって、全体がブランコのように揺れ、回るよう。今のアタシたちとそう遠くない足元が不安定に揺れる世界を描く感じ。
八丈という場所だけれど、方言はほとんどなくなり、ダメんずはあくまでダメんずで、携帯だってもちろん、というわけで1984にくらべると生活の感じはどんどん東京にもありそうな感じに。ここに至って、仕事がある場所という意味で追ってきた女の立ち位置としての東京はもちろんそうなんですが、東京が必ずしも一方的に憬れる場所ではなくなってる(劇団の、というのも行きたいとはいいながら実はそうでもない)のは、今の時代の感じではあります。正直に云えば、どうしてもこの物語に「劇団」を持ち出してしまうのは、作家の身の回りの距離感で描いているような感じがあって、物語の必然が薄くて少々勿体ない気はします。
東京から来た女を演じたサキヒナタは、恋や仕事を捨て去ってきたけれど多少の未練のある奥行きをしっかり。追ってきた女を演じた森南波は序盤は不思議なケバさなのだけれど、化粧を落としてからが実に可愛らしく、しかも仕事で生きていくという芯の強さが説得力。ふつうに物語を組み立てるならこの中心のブレなさを主役に据えそうなところを、あえて「だめならだめでいいじゃん」と言い切ってしまう(サキヒナタが演じた)女を中心に語るあたりが作家らしいなぁと思うのです。ダメ男を演じた澤唯は、しかし憎めなさの人としての魅力。その妻を演じた川崎桜の不幸に見える感じにもまして、アニメ業界の担当パートの説明の難しさににっこり笑って理解を止めてしまうという微妙な笑顔がなんか、そういう男にひっかかりそうな雰囲気の説得力。
「蛍光ペンで自分の台詞をなぞっておく」というのはきっと演劇人としてはダメ(少なくとも今風ではない)で、芝居でもダメ男という風情にしたかったのだろうと想像しますが、ほんとはどうなんだろう。聞きそびれてしまいましたが。 1984版と同じ場所、30年を経てゆるやかにつながる物語。とはいえ、この手の企画でよくいわれるように「片方だけでもちゃんとおもしろくて、両方観たら面白さ倍増」ではありますが、二つあわせて3時間ならば、タイトに2時間の一本、の方がコマ不足なアタシは嬉しいわけですが。
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