【芝居】「発表~いま、ここ。~」趣向ワカヌ
2013.1.20 19:00 [CoRich]
趣向のオノマリコと、遊戯ヱペチカトランデのモスクワカヌの二人の女性劇作家による短編集。90分。21日までCOREDO。アタシが拝見した日曜日はZキャスト。
女性の作家が二人、カフェで公演の相談をしながら、何のために芝居をするのか、と。「リーディング「いま、ここ。」」
ライターが連載の文章を書いている。津波に襲われた町に暮らす女性がが同居していて今も見つかっていない祖母のことを語ったこと。しかしページの半分を埋めて、そこから先に進めない「いつかあなたはここにいて、わたしはいつもそこへいく」(作演・モスクワカヌ)
キーボードを打つ男女、香水の話から始まって、永遠はあるかどうかについての「ヤギさんと永遠」(作演・オノマ リコ)
ふと思い出す、小さな店で感じたあの一夜の気持ち「三月十一日の夜のはなし」(作演・オノマ リコ)
リーディングは、作家二人、決意表明のような一本。何のために芝居をするか、いつか滅ぶだろう人類のためにできること、したいこと。劇中で語られるとおり、たぶんに口にするには気恥ずかしく。しかしひとりで逡巡するではなく、おそらくは言葉も気持ちもどこかでつながれる二人の、静かに、しかし内面は熱い気持ちがたぎるのです。独身でも同性愛でも許されるような緩くて生きやすい世の中になっているけれど、それは緩やかな滅亡への途なのだという語り口から、一生かけて、滅ぶときに「いい感じ」なのだと思えるようにしたいのだ、という緩いんだか強固なのだかわからないバランスの決意表明が心地よいのです。
「いつか~」、戦争から戻って来なかった祖父を待ち続けていた祖母の小さな暮らしを跡形もなく持ち去った津波という現実と、その地に入り、話を聞き伝えているけれど、気持ちよく泣いたあと何かが変わるのかという言葉の切っ先。「死んだ人は星になると子供の頃いわれたけれど、ここでは死んだ人は『記事』になるんです」という台詞も(もしかしたらどこかで語られていることかもしれないけれど)鋭く、印象に残るのです。祖母の台詞を手話として成立させるのは、この世でない人の語ったこと、という感じか。
「ヤギ~」は、永遠はあるのか、あるいは信じられるのかということにとりとめなく会話をする二人。会社の残業という風情だけれど、女は薬指に指輪ありつつも、二人の関係は明確には語られません。二人の間に過去に何かがあったのか、あるいはこれからそうなっていくのか、ということは何一つ語られないのに、じわっとした何かの気持ちがそこには満ちているような不思議な空気が満ちているのです。
背中合わせの男女という同じ空間に居るのかいないのかわからない役者の配置を冒頭、香水に関するたった一言で同じ空間なのだと作るのは鮮やかでちょっと好きな感じ。
「三月~」は、2012年の、から始まり、しかしそのあと、あの震災の夜のことへの想いという流れの一人芝居。小さな呑み屋という自分の場所で過ごした一晩、あのとき「誰もがいい人で居られた、あの夜はいい夜だった」という語り口は、微妙なバランスの上に成立するものだと思うのだけれど、たとえばあの日、同僚のクルマに4人乗車で東京を目指していたというアタシだって、形はずいぶん違うけれど、どこか同じ気持ちにフックするのです。
全体に静かな物語、「いま、私たちが立っているところ」とい視点で生真面目すぎるほどにまっすぐに語る若い彼女たちが確かに見ている今の姿、だと思うのです。
正直にいえば言葉の音便にすこしばかりの違和感。「人の足場を揺ラがす」とか「咲かシ続けて」とか。まあ、大きな問題ではありませんが、小劇場の芝居でもあまり聞いたことがない感じ。イマドキなのか、あるいは方言のようなものなのか。
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