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2013.01.13

【芝居】「ゴリラと最終バス」ぬいぐるみハンター

2013.1.12 19:30 [CoRich]

ぬいぐるみハンターの新作。115分。14日まで駅前劇場。

地方都市の中心部からバスで1時間ほどの郊外の町。 子供二人はバス停の前の公園で「ゴリラ」を拾ってきたが、母親は飼うことを許さず捨ててくるように命じる。父親は社長直々の特命を受けるが、家族にはまだ言い出せずにいる。 ゴリラを捨ててくるように云われた兄妹だったが、兄は突然思い出してバス停に走る。残された妹は家がわからずゴリラと共に家を目指すことにするが、案の定迷子になる。兄はやたらに小競り合いを仕掛けてくる隣家の息子とともに、この街を離れるクラスメイトを見送りにいこうと考える。

舞台を囲む壁にひと工夫それは芝居の間ずっと効果的に使われますが、初っぱな、一瞬の暗転で役者達全員が舞台に現れるというだけで、驚き、ウキウキしてしまうアタシです。この舞台の構造ゆえか、 いままでずっと疾走感が持ち味だったぬいハンは、今作では走ってはいても疾走感ではなくて、「走っている体(てい)」に変化しています。それは確かに本当に走るのに比べるとずっと見やすくなっています。それをツクリモノへの堕落とみることもできるけれど、「型」への昇華と感じるアタシなのです。あの疾走感も捨てがたい魅力はあるのだけれど。

母親と子供たち、父親の仕事と家族が物語の骨格。どこまでも子供たちと家庭を守り、飼いたいという動物を許さず、だだをこねる子供を叱りという母親の姿が物語をしっかりと支えます。演じた片桐はづきはほぼ唯一「ふつう」の視座で、ほぼ動物園のようなキャラクタたちを相手に細い身体の一人で支えきるのです。父親が辞令に悩む姿は、現実で云えば単身赴任するかどうか、というような話で、アタシの周りではたくさん存在するリアルな感じなのです。

動物を飼うことを許されず捨てにいく子供たち、というのもあるいは家庭と仕事ということも、どこか昭和の家族の姿という匂いがあります。子供が一人で淋しげに夕暮れ時に歩くというような、どこかモノ悲しげなモチーフが多い、というよりは、そういうことを描き続けているぬいハンは、今作においてもその雰囲気が印象的なのです。ゴリラと女の子が二人で迷子になり家に戻れない、というシーンが切なく、かわいらしく印象に残ります。対比するようにこの街を去るはずの女の子が母親に決別を宣言するというのもまた、家族というものを描き出すのです。

あるいは去っていくクラスメートを止めたいとは思っても、自分だって子供だから止めることはできないと半ばあきらめつつも、しかし、バス停に走るしかないのだということの切ない感じもまた、子供の心象風景としておそらく誰にでもフックしそうな風景でちょっと涙してしまうのです。

押入なんかにとどまらないぞ、というラップ(のライム風)は、サイタマノラッパーを三本(DVDだけど)観たアタシには、実に楽しい。その部分はヘナヘナだけれど、途中で挟まるフリースタイルバトル風の神戸アキコは実にかっこいいというのもそういう感じ。浅見紘至も頑張るけれど、途中で流れちゃう感じなのが惜しい。

国松と小結という前作からのキャラクタを継いだ工藤史子と橋口克哉はなんか実に楽しい。街を訪れたジャージ姿のな二人もちょっとすごみがあります。男を演じた村上誠基は今までになかったヤンキー風味の気勢と弱気の同居が楽しく、その恋人と娘を演じた黒木絵美花は方言(意図的にツクリモノにしてる感じがする)丸出しで田舎を嫌う感じの女も、静かに力強い娘もしっかりと演じるのです。

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