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2013.01.21

【芝居】「テヘランでロリータを読む」時間堂

2013.1.20 13:00 [CoRich]

全米150万部のベストセラー小説を原作に、オノマ リコの脚本、黒澤世莉の演出で110分。28日までミニシアター1010(シアター1010稽古場)。いまさら知らないとは言いづらいさまざまをまとめた「よくわかる紙」の当日パンフ折り込みがうれしい。

1995年、テヘランの大学で英文学を教えていた女性は、自ら選んだ女子学生7人とともに、密かに自宅で西洋文学を読む読書会を始める。革命後のイラン、生活の隅々、とりわけ女性達には厳しい道徳や規則の圧制が課されている中のささやかな自由の場となっていた読書会だった。

イラン出身で欧米で教育を受けながらも、帰国後教壇に立っていた女性の英文学者の回想録なのだといいます。今よりはずっと厳しく、女性は血縁以外に髪を見せることも化粧も厳しいという中、よりによってナボコフのロリータを読む読書会というシチュエーション、それはタイトルのキャッチーさでもあるのだけれど、その切実なことはよく伝わる題材なのです。

原作どころが、劇中読まれている「ロリータ」すら読んでいないアタシです。幼い少女を時に抑圧的に手中にしようとしながらもそれが叶わない、という倒錯の物語を、この場所で読もうと考えたのはなぜだろうと考えるのです。その部分をすっとばして、それを読んだ女性たちがどう悩み、考え、変わっていく(あるいは変わらない)という切り口で構成されているように感じられます。

抑圧し征服しようという力と、それを断固拒否するそれぞれの女たちの現実の生活を対比するよう。それは兄弟、想われる男、交際相手、配偶者といった男たちとの関係として描かれていて、(当時の)イスラム社会の中で「こうあるべき」と強く強制するものだったり、そこからはずれる女性に対して正面からは向き合えない(言葉は悪いけれど)優男だったり、あるいは厳しいことをいいながらもその中に女性を想う気持ちだったり。

1995年という時間軸の設定がたぶん絶妙なのでしょう。革命前の、自由だった頃を知っている女性たちが厳しい規範の中で、という描かれ方で、それゆえか、女性たちの考え方や立場もそれぞれに違ってもいるのです。セックスも含めてもっと奔放でありたい、少し「進歩的」な夫を持っていても詩が書けないということであったり、敬虔なムスリムとして婚期を逃した女性だったり、まだそういう世代にさしかかる前の若くしかし想いの熱い娘であったり。

正直にいうと、イスラムにおける女性たちを、日本の女性たちが演じるということの本当の意味と効果はピンと来ない感はあるのです。が、それはこの物語の中で語られる、男にはこの規範の厳しさが本当にはわからないのだ、ということは、おそらく今の日本のアタシの立場でもまた、種類は違っても同じことなのでしょう。その気持ちに寄り添いたいとは想っているつもりだけれど、常識だと思いこんでいるジェンダーによって強いられている差が、やはり今の彼女たちにもある、ということを敏感に感じたからこそ、オノマリコはこの原作で舞台を作りたい、と考えたのではないかと思うのです。

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