【芝居】「テロルとそのほか」工場の出口
2012.12.2 15:00 [CoRich]
風琴工房の詩森ろばが新しく立ち上げたユニット。彼女が切実に考える役者、演劇、思考のプロセスがギュッと圧縮された120分。7日までアトリエ春風舎。
ドキュメンタリー製作のサークルのOBと学生たち、卒業した男は一人、アパートで息を引き取って数ヶ月経ったところを大家によって発見された。偲ぶ会が企画されフードコートで待ち合わせる。テロを考える男、留年が溜まり大学を辞めようとしている男、別れようとしている女、引き留めようとしている男は死んだ男の親友で。
前売りに用意されている「プロセスチケット」は(コマ不足なので)申し込めなかったので、劇場での公演だけを拝見しました。正直に言えば、アタシはこのユニットを立ち上げた目的すらもいまのところはまだ判らない気がします。若い役者たちと芝居を作り上げることが目的だとしても、いわゆる「日本の問題」に対して全員が考え、討議し、表現することが目的だとしても、そのプロセスを全員が体感することが目的だとしてもどれもが頷ける(詩森ろば、という作家の芝居も観ているし、blogも好んで読んでいるから)ような気がします。
当日パンフには作演の、自分に対しても役者たちに対しても厳しい言葉が並びますが、実際のところ、アタシは芝居のそれぞれが実に面白く、滋味溢れる芝居を体感できたのです。
テロということ、それを実行するという熱い想い、しかし実行したものもまた人間で友人がいるということ、あるいは一人で死んでしまった友人に対してなにもできなかったという無力感、あるいは留年しまくっていたとしても、これから自分なら何かが成し遂げられるだろうという万能感、あるいは自分が気になっていることを理解してほしいんじゃなくて、聴いてほしいんだという会話に対する男女のズレた感覚。役者からのテーマで物語を紡ぐという趣旨が前提だとしても、 四人の役者からの四つのテーマ「テロリズム」(浅倉洋介)、「大学生と教育」(有吉宣人)、「遺伝子組換食品」(生井みづき)、「孤独死」(西村壮悟)という見事にバラバラなテーマをきっちり。社会派、と呼ばれる作家の真骨頂がギュッと濃密に圧縮されているのです。
テーマがテーマだけに、爆笑編とはいきません。中でアタシが好きなのは「フードコートの憂鬱」という一本で、フードコートで別れ話をする男女、別れ話を切り出した女は遺伝子組み換え食品を憂い、男は別れたくない一心で同意しているのだということをアピールするのだけれど、そこがすれ違うのだという深い溝に絶望的になります。が、そういうものなのだということを描くことの表現という手法の強さも同時に感じるのです。勝手にアタシが考える、詩森ろばという人のある種の考え方の面倒くささが析出しているようでちょっとおもしろいのです。
孤独死した男について語るモノローグは彼の助かる道を悉くつぶしていくということの絶望が濃縮されています。
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