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2012.12.31

【芝居】「祈りと怪物~ウィルヴィルの三姉妹~【KERAバージョン】」Bunkamura

2012.12.29 18:30 [CoRich]

ケラリーノサンドロヴィッチの作を、彼自身の演出と蜷川幸雄の演出という二バージョンで上演する企画シリーズ。10分の休憩を2回はさみほぼ480分。30日までシアターコクーン。

港街・ウィルヴィルはドン・ガラスが牛耳っている。長女と別れた司祭の居る唯一の教会に人は寄りつかず、警察も市長も言いなりになっていて、三人の娘たち含めて、人を殺すことすら何とも思っていない。ドンの母を救った流れ者は次女と恋仲になるが、背中の焼印はこの街で蔑まれる人々の印そのものだった。生活が苦しい若者たちも夜は窃盗を働きなんとか生活しているが、三女の気まぐれで招かれた屋敷で主人に気に入られ、働くことになる。屋敷の使用人夫妻は子供を亡くしているが、街をかつて訪れた道化が息子のことを覚えていて嬉しく思っている。
ミサに訪れる市民の居なくなった教会の司祭は、旅回りの錬金術師にそそのかされて、神の奇跡を市民たちに目の当たりにさせ、すっかり信じた市民たちに願いのかなうクスリを分け与える。単なるライ麦の粉だったが市民たちの望みが微妙に叶うのは道化のまじないの威力だった。が、道化が徐々に弱ると、そのクスリを飲んだ市民たちは謎の病気にかかり、死んでいくようになる。市民の大半が病いに冒されるようになり、街そのものが維持できなくなっていく。

父親を殺すために動き続ける男というシェイクスピア風だったり、三人姉妹的な不安を感じつつも何とかなるという無邪気さの向こう側に迫る滝のような救いの無さ、差別されることを強いられる人々、地下に潜る抵抗、街が沈みゆけば牛耳ってる側だって無傷では居られないのだというごく当たり前のこと。 沈みゆく、というとどうしてもアタシたちの国のことを重ね合わせずにはいられません。それでもなんとかなると信じて疑わない(というよりはそうせざるを得ない)金持ちだちだったり、夢に逃げ込んでしまう夫婦だったり、やけに強い上昇志向だったりというあたりは、そういうイマのアタシの気持ちにしっくりきます。あるいは気楽に生きてきて考えない方な極楽とんぼなアタシですら三人姉妹という物語がどんどん現実に感じられるようになるというか。 確かに上演時間は相当に長くて、本館地下駐車場も物販も終演時間に対応出来ないとか、終演を待たずして帰らねばならない観客が見受けられるとかの歪みがあるのは、コクーンクラスの劇場としてはどうなのだ、という気がしないでもありません。それでもアタシは登場人物たちに寄り添いたくなり、状況の酷さに憤りながら食い入るように物語を見つめてあっという間に時間がすぎてしまうという希有な体験だと感じられるのです。基本的には芝居はスパッと短くて面白いのが最高だとは思うのだけれど、社会とか人々、あるいは(ここでは街だけれど)国を奥行きを持って描き出すということ、絵の具を重ねるように丁寧に丁寧に積み重ねていくと圧巻なのだ、ということを全身で浴びることのうれしさ。

仕立て屋を演じた三上市朗の静かに生きていること、同居する娘への思いの強さを併せて強く印象に残ります。ドンを演じた生瀬勝久、そうなるとわかっているのに逃げられないということの悲劇を背負います。大倉孝二演じる白痴というのは、物語の転換点というか特異点を一人で背負うのだけれど、それを軽々と演じるちから。緒川たまき演じる次女に満ち満ちる色気と気品、安部なつみ演じる三女の快活と恋心。久世星佳演じる長女は司祭を演じる西岡徳馬との再婚を人目を忍んで、という歳を重ねて折り返す恋心が嬉しい。仕立て屋の娘を演じた夏帆はどこまでも美しくまばゆい。

プロジェクションマッピングを初めて見たのは確かナイロンでした。その単語すら知らなくて、どの芝居で見たかも思い出せませんが。更に大きな舞台で精度が高く、しかも美しく、輪郭をなぞる光、というモノトーンがむしろ印象に残るのが不思議なのです。

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【芝居】「チェインソング」文月堂

2012.12.29 14:00 [CoRich]

文化系部活動の熱血学園ものというスタイルの110分。30日まで駅前劇場。

四年前他校との不良生徒同士の抗争がきっかけとなりイメージを一新した高校。希望に燃えた新入生が選んだ部活は文芸部だったが、その実は四年前の抗争の残党、最後の一人となり留年を続けている部長とその配下の二人だった。顧問も新任で事情を知らないまま引き受けてしまうが、一年生の文芸をやりたいのに諦めた気持ちに火を付けられ、戦うように奮起を促す。
二年で転入してきた女子生徒は、お嬢様だったが前の高校でなにかあったらしく、不登校になっていた。母親は校長と古い知り合いだったこの学校に娘を転入させることにする。
文化祭の季節、文芸部も連歌をパフォーマンスとして上演することになり、不良生徒も巻き込み、一丸となって練習をする。文化部を一段低くみるラグビー部、文化祭常連のコーラス部と小競り合いがありながらも文化祭の当日、四年前の亡霊のように抗争していた他校の生徒が殴り込んでくる。無抵抗を通したが、その中心にいたとして、文芸部部長が退学処分になる。

スクールウォーズよろしく、ある種熱い熱血学園部活モノ、を文化部中心で描く趣向。当日パンフによれば、作家はずっと演劇部、学校での位置の微妙さを原資に書いたのではないかと想像します。 にぎやかな学園を作るべく、役者が21人という大所帯。おかげで、学校のあちらこちらで起きているという雰囲気を作り出します。運動部なりの次世代が育っていない感じの悩み、花形のコーラス部もまた演目から人間関係の悩み。教師は教師で鞘当て、頑張りもめいっぱい。文化部を一段低く見るような運動部の雰囲気だったり、まっすぐすぎる部長についていけない部員たちだったり、というのも高校の頃なら誰もが経験する感じがあります。

松尾芭蕉の「歌仙は三十六歩なり、一歩も後に帰る心なし」を体現するように、前を向いて、前に進むことこそが必要、重要ということ。失敗したって、それを受け入れて、前に一歩すすむのだという心意気をベースに、どこかで失敗した人、それを許すことができる、ある種のゆるさ。その思いを連歌(チェインソング)に託し、そして高校生たちも前に進むのです。

正直にいえば、確かに友人が指摘するとおり、物語に対して不要な役が多すぎる感じはあります。が、そのおかげで学園でいろいろ起きているという、大きめのコミュニティということを描き出せているということも同時に思うのです。

文芸部部長を演じた牧野耕治のどこか可愛らしい感じ、副部長を演じた霧島ロックの圧巻の迫力。編入生を演じた辻沢綾香は引きこもりの弱さと、終盤で人々の先頭に立つ力強さのコントラストが鮮やかで印象に残ります。コーラス部部長を演じた前有佳のキンキンする感じがありそうに。部員、山下真琴の可愛らしさ、新任教師を演じた竹原千恵の覚悟した力強さもまた、印象的。

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【芝居】「明日に殺される」コマツきかく

2012.12.28 19:30 [CoRich]

劇団としては一人ユニットに衣替え、ニューヨーク滞在を経ての初公演は、一人芝居。60分。29日までザ・スズナリ。 夜中、帰宅してきた男を待っていたのは久しぶりの女。男は家に入れるのを拒み近所の公園で話しを始める。ナイフを手に、人を殺す仕事をしているが、もう辞めるのだという。もう未練は無い、最後に話をしにきたのだという。

一人芝居としては広めのスズナリの舞台。ソファ、と衝立、椅子ぐらいのシンプルさ。男に会いに来たとはいいながらも、どちらかというと女の半生語りを中心に据え。それが真実なのか、全てが女の中の妄想なのか、今ひとつ判然としないままに語られている気がします。

田舎のしがらみの中でもう女として終わってしまうという気持ち、 15歳の若い男にのめり込むことが見えてしまう自分、 はしゃぐ男に冷める自分、ピクニックに出かけて眺める幸せそうな家族、駄目男の部屋の二人、不倫中年のイタさ。ときおり自意識や痛さの笑いを挟みながらも、若くはない女の生々しい気持ちを少々荒っぽく、アンニュイっぽさと熱さが同居する不思議な雰囲気で描いていきます。

人、というよりは男との想いを「殺して」いくこと、あるいは女自身が殺される姿の妄想はもうこういう生き方をやめようと思ったのか、女のとめどない気持ちが整理されないまま。正直にいえば、一つの物語としては見やすい構成ではないし、むしろ個々の過去の男たちとのそれぞれを自意識語りで繋げていく部分が一番面白かったりするわけで、おそらくは本人が描きたい「女の半生」っぽさと、語り口の間のバランスに荒削りさが目立つ気はします。それでも、慣れた笑いやイタさではなく、語っていこうという心意気の行方は見ていきたいなと思うのです。

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2012.12.26

【芝居】「虫」Q

2012.12.24 18:00 [CoRich]

元々は卒業制作として作られた初演を2年ぶりの改訂再演。アタシは初見です。105分。24日までアトリエ春風舎。

ある夜、女が寝ていると窓から虫が入ってきて、うつ伏せだった自分の中に入ってきて、射精してしまう。虫は毎夜のように女の部屋を訪れるようになる。女は不味い弁当屋でバイトをしている。ケラケラと笑いスイミングスクールに誘ってくる女子大生と、廃棄の弁当を毎夜持って帰る若くない地味な女。不味いといいながら毎日同じ唐揚げ弁当を買って、毎日文句をつけている。廃棄の弁当を持って帰る女は産婦人科で出会った女に持って帰った弁当を渡していて。

弁当屋に集うアルバイトたちと客、もうひとつは女が育ってきた子供の頃からセーラー服頃の友達との会話を挟む物語の構成。舞台を囲むようにずらりと並べられた電子レンジ、弁当というのが物語の雰囲気を作ります。

夜毎訪ねてくる虫と同衾する女、それは押さえ込まれ犯されて、から始まります。バイト先で喋りすぎ笑いすぎで少々うざったいぐらいの(真っ赤なドレスは象徴的だ)女子大生だったり、地味で地味で地味な若くない女の描写だの、芽のでないままずるずると無駄な時間を過ごしている先輩(パイセン)のことだの、関わり会話する、それなりに近い関係の女同士の関係の考えていることと喋っていることの乖離度合いといい、わりと容赦がなくて、鋭い切っ先が持ち味だと思うのです。

廃棄弁当を毎晩持ち帰る地味すぎる女もまた、後半、無理矢理犯されるように処女を失い、それまでは周囲と関わることなく生きてきた女が、あからさまにバカにされながらも関ジャニのチケットの取り方を聴いてみたり、友達になりたいと関わるようになる、という、表向き前向きに変わる女という表現。じっさいのところ、この描き方でいいのか、これ男が描いたということだとボコボコにされるぞ、女性が描けば当事者意識ゆえだからいいのか、という感じがしないでもないのですが、確かにこの一連の流れは女が強く繭から出て行くという力強さを感じさせる瞬間ではあるのです。

女性の作演、女性ばかり、わりと生々しい話、といえばわりとアタシの好物なはずなのです。正直にいえば、発声だったりダンスっぽかったりが誇張だということは理解できても、どうにも乗り切れません。F/Tのような、というとアタシにはどちらかというと苦手な雰囲気を持つ芝居を指すのですが、食べ物をぶちまけてみたり、コンテンポラリーダンス風な振り付けがあったりと、まあ、アタシにとってのF/T風味だことこの上なくて、言葉や視線の鋭さには惹かれるところがあっても、こういう表現のカタチはどうにも苦手が勝ってしまうアタシです。テキスト(音声)、それもフラットな発声だけで味わってみたいな、という気はするのです。

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【芝居】「サンタクロースに逢いたくて…2012」LINER ACTORS SCHOOL

2012.12.23 20:00 [CoRich]

Hola-Hooperの菊川朝子の企画公演。 小さなライブハウス、演劇畑ではないミュージシャンと、小劇場の役者で構成。あえて演奏はさせず、役者も歌った踊ったりというクロスオーバーを「LINERS ACTORS SCHOOL」と銘打った企画。12月23日、昼夜2回公演。新高円寺・CLUB LINER。

中二のケントはみなしごでクリスマスにプレゼントを貰ったことがない。友達は気になる娘が居たり、デートを決めてるのが居たりと差が付いている。女の子たちもクリスマスのデートやプレゼントでちょっと騒がしい。足を怪我してしまっている娘だってクリスマスが楽しみだ。女手ひとつで育てる母親にその余裕はないけれど。ある夜、ケントは本物のサンタクロースに会う。

ミュージシャンと役者で作るミュージカル風味のミニマムだけれど、しっかりクリスマスらしいエンタテインメント。おそらくは短い稽古期間、訓練された役者ばかりではないということ、起こりそうなハプニングだって折り込み済み。どこまで演出がそれを意識して作り込んでいるかはわからないけれど、たとえば笑福亭鶴瓶が素人を番組に取り込む圧巻の巧さに似たような、異なる人々との境界を埋める演出のちからを改めて感じるのです。あるいはDJブースのマイクで一人二役に心の声を喋りつつ、動きだけは役者がやっているというのも、この制約の中で作り上げる手法として巧く機能しています。

ミュージカルらしく、歌い、踊るナンバーがめいっぱい。耳なじみなあの曲だって、ダンスがつけばまた特別な仕上がりになるのです。 童話よりはすこし大人な、しかし決して大人たちの物語ではない、ジュブナイルな中二世代たちのものがたりは、幼い恋心が甘酸っぱかったり、ほっこり暖かかったりなサンタの正体だったりと、けっこうな密度なのです。

恋する女の子を演じた畔上千春、過剰に女子っぽさを出す楽しさが健在で嬉しく。沖田愛が演じた「ピック売りの少女」も女の子もまた楽しさがいっぱい。娘を演じる澤田由起子との身長差を巧妙に隠す、足を怪我したという設定、てっきり足でも痛めた故の演出家と思えば、カーテンコールであっさり歩いちゃったりする遊び心も楽しくて。 こういう境界領域で、アドリブっぽくしかも要所要所はきっちり作り込むということを作演に振り付けまで一人でこなすことのすごさを改めて感じるのです。

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【芝居】「頑張ってるところ、涙もろいところ、あと全部。」ホントに、月刊根本宗子(見逃したものたちへ) 

2012.12.23 [CoRich]

週替わり再演企画シリーズの2週目。8月公演のキャストを変えて。35分。24日まで、バー夢。

(自称)社会の底辺という劇団員(梨木智香)と麻布十番に勤めるOL(甘粕阿紗子)の格差問題を描くかと思えば、単なるどうでもいい欲望を巡る物語に着地するめちゃくちゃさが楽しいのは変わらず。基本的には梨木智香の圧倒的なパワーに翻弄される甘粕阿紗子というコミカルさを楽しむのです。

しかし、ほぼ毎月公演をよくこなしたものです。一本あたりの時間は短くコストパフォーマンスが決していいとはいえないけれど、それでも見続けようと思う何かが、このシリーズには確かにあるのです。このシリーズにおいて梨木智香という女優の存在はとても大きいと思うのです。この柱があるからこそ、新しいキャストにしたものを総集編で週替わりにするという無茶をこなせるということだと思うのです。

もしかしたら二人の女優の役を入れ替えてくる意外性で攻めてくるかと思ったけれど、さすがにそういう冒険には至らず。OLを演じた甘粕阿紗子は、初演と同じ方向なれどさらにデフォルメする造型でしっかり作り込みます。ブリブリな可愛らしさは確かに麻布十番のOLっぽいけれど、それよりめんどくさくて投げ出す感じが妙におかしい。

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2012.12.24

【芝居】「肉のラブレター」MCR

2012.12.23 15:00 [CoRich]

23日まで駅前劇場。90分。

難病で死を宣告された男。恋人に負担をかけたくなくて、別れを告げることにする。ずっと近くに居る別の女。

当日パンフによれば、作家の父親が病気になったのをキッカケにした物語だといいます。深刻な現実が迫った本人と周囲のあり方のギャップをベースにして描きます。本人、家族、本当に好きな人、それぞれの想いあれど、それぞれに悲しさもその中にも笑いが起こる瞬間もちゃんとあること、つまりは人が生きていくということだと思うのです。感情や想いが一色で塗りつぶされることはなくて、まだらになる、ということがリアルに感じられるのです。

その中心にあるのは、想う気持ち、それは一方通行だとしても相思相愛だと感じていたとしても、それぞれの中にある確かに信じたいこと。男と恋人の距離と、男と(いわゆる)幼なじみの近い女の距離、ある種の三角関係とも云えるけれど、自覚しているのにそうならないというものすごく歪んだ三角形が奥深さに。

「好きが嫌いだで生きていけるということが魅力」というのはすごくいい台詞なのです。好きなんだからもっとがんじがらめにしてほしいし、好きだから一緒に居たいということも、血のつながりではない二人での日々ということ。

実際のところ、生きていくこと、寄り添う誰かがいるかもしれないということの物語。軽く見せる演出でどこまで深さがあるかどうかというガイドがないというか、(作家の)思索が迷い込んだように感じられたりもするのはダイナミックレンジの広さ。正直に云うと、ところどころ置き去りにされる感じは否めません。

金沢涼恵の演じた幼なじみは、可愛らしく、魅力があるのに、恋人ではなく、しかも相手の想いを自覚していてもそういう関係になったことすらない、それでもずっと一緒に居たいのだという、あまりに捻れすぎていて造型するのはきっと難しいと思うのです。が、時に奔放に見えてもしっかりとブレない気持ちが見えるよう。
百花亜希は、好きとか嫌いとかで生きている人という設定はこの中ではヒールになりがちだけれど、「好きとか嫌いだけで決められる」という台詞、強く生きる感じが逞しく印象に残ります。 堀康明は、いわゆるキレキャラ、つっこみキャラなのに、実際のところ気持ちやら問題点やらの説明を背負っていて、観客の視座にもっとも近いところに寄り添います。恋になりそうになったのに、そうでもなかった、というのは深入りするとあまりに切ないけれど、そこを描いたりしないさっぱりとした造型もまた気持ちよく。

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【ライブ】「だから、1周年なんだってばぁぁぁぁ!!!!汗」38mmなぐりーず

2012.12.22 20:00 [CoRich]

去年12月にファーストライブを行った小劇場アイドルユニット、38mmなぐりーず(サンパチなぐりーず)の1周年記念ライブ。新曲4曲の2ndミニアルバムを引っ提げて、25日まで王子小劇場。95分。新加入の三谷奈津子を加え、安川まりの引退というタイミングになっています。昨今、この手のアイドルユニットでの新陳代謝は(秋元康が発明した、と思ってますが)重要な機能で、それはうまく機能しています。

セットリスト順に。リンク先の映像は一年前のファーストライブのものです。

KANGEKI☆おじさん
彼女たちのキラーチューンという一本。詞(谷賢一)と曲ががっちりマッチしていて振り付け(二階堂瞳子)がそれを確かに支えているのだということを改めて感じます。面白さも、耳にした時に歌詞がちゃんと聞き取れるというのも美点なのです。

◆打ち上げI miss you
酒巻誉洋と若林えりによる、打ち上げ帰りのふたり、離れ難い男女の小さな芝居を挟んで、その甘酸っぱさがこの季節っぽくもあって観ていて嬉しい感じ。

マフラー
CDに付いてる歌詞(上野友之)はわりと切なさがあったりするのに、ビートの強い曲調が、最初に効いたときから違和感がどうにも拭えません。これ、バラード調とかで聴いてみたいなと、勝手に思うのですが。

◆親FU-KOOOOO!!
新曲の中では一番好きかもしれません。まあ、エンゲキという枠ではなくて、いわゆる普通のレールに乗れなかった(乗らなかった)人の迷いが見える感じ(詞・大塩哲史)が、勝手にシンパシーを感じたりします。

◆脚立の上の牛若丸
どこにでも恋には落ちてしまうのだ、という描かれそうでなかなか描かれないエンゲキの現場の恋(詞・成島秀和)。 これに続いての芝居、脚立と照明(照明機材がライバルの女子に見えてしまうというアイディアが秀逸)という題材をブリッジしています。

◆恋するミニPAR36N
専門用語が多くてわかりにくいけれど、照明機材の呼び名のようです(PAR36N=Parabolic Alminized Refrector, 36=電球寸法(4インチ), N=Narrow))あるいはそれをコントロールするDMXに「縛られる」、C口、SS(=Stage Side)などさまざま。こういう符丁ってのは知るとちょっと嬉しくなってしまうのです。検索して小一時間楽しんでしまうアタシです。敷居は低くは無いけれど、小劇場アイドル、というのならこういうのだってもちろんアリなのです。

外郎売
未だにまったく聞き取れないのはご愛敬。 前半が口パクっぽいなぁと思っていたら、氏家綾乃が舞台を降りて客の真ん中で歌うという荒技。さすがです。
これだけ機材があるなら、曲と歌詞をシンクロした映像作っておけば、ソロパートでのカミそうになる表情が生きるような気がするのだけれどなあ。カラオケっぽく文字の色が変われば、何だったらDAMにでも登録できそうな。(曲はJASRAC経由で小銭稼ぎましょう)...と思っていたら、YouTubeにはちゃんとそうなってるので、その字幕部分をライブ会場で流すだけ、ということですが。

私を劇場に連れてって
次のデートはどこにいく、という男女の会話の芝居を挟んで。ライブ中盤でPVを挟んでいて、実に綺麗な仕上がりなのだけれど、YouTubeなどで芝居を見慣れない観客を本気で取り込むつもりがあるのなら、むしろこのデートをどうするかという会話のシーンこそが必要なのではないかと思うのです。(もちろんタグには地名、劇場名をしっかり刻み込んで)。KANGEKI〜には破壊力で一歩譲るけれど、綺麗なメロディ、地名と劇場名を織り込むという地図のような役割(詞・ハセガワアユム)を持たせていて、一般にアピールするちから。シングル出すならこっちがA面だよなぁと。

日替わりで何かをレクチャーするという企画、この回はシャンソンを三軒茶屋ミワ(江古田のガールズ)が。宣伝の場としては機能しているけれど、ライブのゲストという位置づけならば、彼女たちに腹筋だけ、というのはちょっともったいない気もします。まあ、シャンソンの心意気はきっちり伝わるし、その先の歌唱が誰にでもすぐ出来るものかはわかりませんが。日替わりのDJ(DJ mailboy)も盛り上げるのに貢献

しかし、8曲、イベントをはさみつつも2時間弱のライブが成立させられるぐらいに充実してきたのだな、と思うのです。アイドルのライブということにハマったことのないアタシなのですが、これをたとえば高校生とか大学生の時に経験していればまた違う人生が以下略。

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【芝居】「mug couple2」東京ネジ

2012.12.22 16:00 [CoRich]

2010年上演のmugcoupleの続編としての新作ですが、全体として大きなつながりはないので、まっさらで観ても大丈夫な60分。23日まで十条・FIND。

カフェを訪れる人々。長いことつきあっていてどうしたら結婚できるか相談する女は荒療治を授かる。そのアドバイスをした女は離婚したばかりだったが、この店で昔の男と再会してしまう。イケメンな客に心ときめかせる店員。/P>

クリスマスらしく、恋人たちとか、結婚とか愛とか恋とかをめぐって、ちょっとキュンとしつつも、切実さもあわせもつ深みがあります。正直に云えば、男3人・女3人の構成。ごく狭い範囲でエラく濃くつながっている人々とは云えるのですが、そう大きな問題ではありません。若かった恋人との捨ててきた恋は再燃というわけには行かないし、もう少し大人な関係だった男との再会で話を聞いてほしいという気持ちに再び灯る心。あるいは7年もつきあったカップルに処方された「荒療治」とそこからのある種バカップルぶりな気持ちの盛り上がり。 年齢を重ねた女ゆえの実感溢れる感じ。昔の恋、結婚をめぐるさまざまに夢見る恋心と浮かれてばかりは居られない生活をトッピング。個々の話題はまあ、よくあるといえばよくあることなのだけれど、登場人物たちの関係が徐々に徐々に見えてくる構成の巧みさが印象に残ります。

佐々木なふみは「過去の恋」をめぐる少しばかり切ない役をしっかり。佐々木香与子は「現在進行形の恋」に悩む、しかし仕事はしっかりするというカッコいい女。佐々木富貴子演じる店員は夢見ちゃう感じで時に暴走し時に引っ込み思案な恋心はコミカルで物語を見やすく牽引しますが、定時キッカリに帰る生活の理由もまた、リアルに生きる女の姿、そこで深刻になりすぎないという造型が実にあっています。

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2012.12.21

【芝居】『ご無沙汰してます。~梨木と異儀田編~』(見逃した者たちへ-Bチーム)ホントに月刊「根本宗子」

2012.12.16 17:30 [CoRich] (1, 2) 29日まで、週替わりで二本ずつ。バー夢。

続けてきた短編を一挙に週替わりで再演する「見逃し」企画ですが、キャストや演出も変わっているようです。もう全部はつきあい切れませんが、ぼちぼちと。女芸人二人、という全く違う関係に作り直した「ご無沙汰してます」( 1, 2) は35分で16日まで。この企画は週替わりで29日まで続きます。

女芸人ふたり、しばしの別れの朝。天才的なボケに追いつこうとつっこみの鍛錬のうち、R1で優勝して、賞品としてのピンでの熊本の番組レギュラーが決まったのだ。が、そんな日の朝に限って遅刻して、喧嘩してしまう。

20代の恋人、高校生の恋人に続いて、女二人というシチュエーション。枠組みだって台詞の多くだってそのままなのに、まったく違う関係の二人を描きます。物語のパターンてのはそう多くないのだということは判っているつもりなのだけれど、これだけ鮮やかに3本作り出してしまえば、それを目の当たりにして、なるほど、と思うのです。

所々、ちょっとムリクリな感じがなくはないのだけれど、なんせ芸達者な二人が圧巻なのです。梨木智香は、もはやどっしりというほどの安定感、ブレもなく。ちゃんと可愛いし、ちゃんとかわいそうだったりの振り幅が素敵。異儀田夏葉はカッコよく、素敵。思えば彼女が出ている公演はすでに5本( 1, 2, 3, 4, 5) 拝見していますが、役柄の幅広さにまたしても唸るのです。

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2012.12.17

【芝居】「すべての夜は朝へと向かう」競泳水着

2012.12.16 14:30 [CoRich]

競泳水着の新作は前回公演とはまた別の一夜のものがたり、という105分。24日までサンモールスタジオ。

生徒をつきあったけれど別れを一方的に告げられ、予備校を辞めてバーで働くようになった男。予備校の同僚達とはまだつきあいがあって、そのうちの一人といい雰囲気になっている。ある夜、彼らの飲み会の二次会で、辞めた男の家に夜中行こうということになる。その仲間、別れたけれど言い出せない二人や、若い彼氏のことが気になって仕方がない。その彼氏は気になってる人がいる。
すれ違いの増えた夫婦、妻は別の男と呑み友達になっている。男に温泉に行こうと誘われる。

最近ちょっと少な目だった恋愛ガッツリな物語、濃密なのです。11人の登場人物はいずれもちゃんと物語があって、いわゆる端役がないのに、コンパクトで、さまざまな観客にフックする力があるということはもちろん折り紙付きな作家ですが、今までの作品を軽々と飛び越える伸びをこの期に及んで作り出すのです。

たとえば女と別れてから次の恋が始まりそうな時にはなぜか何人か気になって脈がありそうなという人が現れたり。あるいは年齢が進んでしまって、もうこのまま一人かもしれないという覚悟が決まりつつある女、脈がありそうだと思っていたとしても踏み出せないとか。別れた二人がまだ恋人だと思われていて喧嘩していたり。あるいは夫婦の間に秋風が立ちつつあるところへの若い男。さまざまな恋の姿をきっちり、濃密に。

全体の中ではほぼ一夜の物語がほとんどです。この凝縮感が嬉しい。 たとえば映画でも(下手な演出ではそうとう安っぽくなる危険もあるけれど)成立しそうな感じがします。これをドラマにするとまあ、男女七人、なんでしょうがが、2時間弱ぐらいの濃密さがぴったりあっている気がします。 たとえば妻の呑み友達と夫の関係が後半になってあかされる(この二人の人物の奥行きがぐんと深まるいいシーンです)中で夫婦のこれまでを描き込むのカットバックのような感じ、あるいは偶然二人のままでずっと一夜を過ごすことになる男女の時間の流れが平行する感じ。

それにしても、この登場人物たち、それぞれに物語をきちんと描き込むということのすごさには舌を巻きます。それに応える役者のちからも盤石です。予備校教師だった男を演じた武子太郎は正直いままでは軽さが印象的だったのですが、ある種の優柔不断さがありつつも奥行きを。村上誠基もまた軽さやコミカルが勝る印象だった役者ですが、腹立たしさ、喧嘩の凄みと優しさが見え隠れするいい仕上がり。川村紗也は少し大人の雰囲気になりましたが、それでも全力で男と喧嘩するという可愛らしさが印象的。ザンヨウコはどうしてもお母さんだったり、女優だったりという感じの印象が強い役者ですが、きちんと恋愛する可愛らしい女性の姿もまた新しい魅力です。倉田大輔は意を決しての繊細な想いがしっかり。 別れを告げられた女の「どこでも恋は始まってしまう」は実にいい台詞で、演じた大川翔子の裏表と、自ら持つ恐怖な気持の振り幅。妻を演じた細野今日子もコミカルを封印して、しっとりとした大人の雰囲気が実にいいのです。

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【芝居】「『ア・ラ・カルト2』―役者と音楽家のいるレストラン」青山円形劇場P

2012.12.15 17:00 [CoRich]

存続に揺れる青山円形劇場の人気企画。休憩15分を挟み25日まで。アタシの観た15日夜はゲストが池田鉄洋。

女が一人レストランを訪れる。待ち合わせの相手が来なかったのだという。一杯だけ飲んで帰るはずが「シャンパン・ピックミーアップ」
職場の人々との宴会、先に着いているタカハシと後輩、準備も交渉も終わって待っているばかりなのだけれど「フランス料とワインを嗜む会~暮れのみんなのまさかの事情」
マダムジュジュとゲストの会話「おしゃべりなレストラン」(次の芝居はここで渡した台詞を、という趣向になっています)
もんじゃ焼きから数えて3回目のデート、ちょっと張り込んだレストラン。若くはない二人なのでもう一歩踏み出せない「フランス料理恋のレシピ小辞典~恋と料理は好きじゃなかったら誘うわきゃない」
■休憩を挟んで(ワインの有料サービスがあります)■
ショータイム。♪El Tango de Roxanne ♪Them There Eyes ♪(ゲスト) ♪Maigrir ♪Alley Cat Song ♪On a Clear Day
老人ふたり、レストランで食事のあとのデザート。元気がない男を女が誘ったのだ「残された恋には~My Last Song」
レストランで食事を楽しんだ女、そろそろ閉店の時刻だけれど、飛び込んでくる男「エックス・ワイ・ジー~これ以上はない最高のクリスマス」

毎年毎年偉大なるマンネリを繰り返していくということの決意が見えるように、ほぼフォーマットが決まってきた感のある、新世代のアラカルト。家族の話をほぼそぎ落として、恋と男女だけに絞ったのが徐々に効果を生んでいる気がします。 「~ワインを嗜む会」は(前のアラカルトから引き続き)の唯一のキャラクタ、タカハシの会社での話。焦りまくり、それでも頑張り、それでもだめな七転八倒の姿。
「~恋のレシピ~」と「残されし恋」は年齢を重ねても、まだ、もしかしたら始まるかもしれない恋ということが実に素敵に。年齢を重ねてい たらもうなくなるかもしれないと考えていても、でもときめくのは重要だよね。とウインクしてもらえる感じが心地よく。

ショータイムは、ジャズに勝手に訳詞をつけてという高泉淳子のお家芸。Them There Eyesを「ぜーん、ぜーん、ない」とか。休憩直後の一本はデキャンタージュして、赤ワインが「開く」のに時間がかかるという手間を逆手に取って、スポンサーのメルシャンの商品をCMのように入れるというのもちょっと面白い。

ア・ラ・カルトだって、KAKUTA( 1, 2)だって、MOTHERだって、完全円形という珍しさを持つ青山円形劇場はアタシにとっても重要な劇場の一つです。それでも、存続を巡っての署名はしていないアタシです。児童の遊戯を開発するという使命を帯びたこどもの城と、青山円形だけならばともかく青山劇場はシアターオーブがオープンするに至って正直にいってアタシには必要のない劇場になりつつあります。それを税金を投入して続ける覚悟が都民にも(東京に住んでいる)役者や観客たちにもあるのか、という点で疑問は残るのです。ならば、東京芸術劇場に円形を作れば良かったのではないかとも想いますし、小ホールをうまく使えばそういう芝居だってできそうなわけで。日本の経済は縮小していくことが決定的だと感じているアタシにとって、税金をここにも投入すべきということにはどうしても思えないのです。もっとも、長野県民のアタシには税金納めてすらいないのですが。

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【芝居】「15みうっちMade」Mrs.fictions

2012.12.15 14:00 [CoRich]

短編集の対バンという人気企画15MinutesMadeの構成をそのままに、主催団体Mrs.fictionsの作演だけの「みうち」企画120分。(終演後にトークと面会を目的として別時間で「おわりの会」が設定されています)。16日までシアターグリーンBASE THEATER。

引っ越しをして出て行く男とその引っ越しを手伝いに来た男たち。30歳過ぎてもまだジャンプを読んでるなんて思わなかったけれど。「とりあえず先は見えない」
男たちは毎年同じ日に誰と云うこともなく、この家に集まっている。なにをするでもないのだが、3年前に突然姿が消えた女を待っているのだ「秋にまたない」
人をナイフで刺そうとする男は妻の手によってナイフがゴム製の玩具にすり替えられて。心中しようとする女子高生と教師が怪しい外国人から買ったクスリはラムネ菓子で。七輪抱えて車で死のうとした男たちの炭は湿気ていてまったく火がつかず。首を吊ろうとした女は見事に失敗して「だらしない人生は確かに続く」
男は好きな娘に告白したいのだが、女の家は大変なことになっているというから告白できなくて、そうしたら分裂してしまって「うちの屋根がでかい鳥に持ってかれた。」
甲子園まで後少しという地方大会の試合前。ロッカールームに居る女子マネージャーが目隠しされている。この高校の伝統では、女性はベンチにも入れない禁を破ってロッカールームに居るところを見つかったのだ。選手の半分がカミングアウトしている。
『人と人は出会わなくてはならない』を標榜する劇団の公演の開場直前。その本当の姿は「ミセスフィクションズのメリークリスマス(仮)」

「~先は見えない」の物語本編は、年令を重ねても先が見えないままの失われた20年を生きてきた30歳台の人々の、積み重なるような、先が想像できないような、というちょっと散文詩のような感じ。が、この芝居は同じ芝居を「暗闇の中全裸で」繰り返すというところで演出の面白さをねらいます。台詞の端々が「全裸」にひっかかってたり、何気なく叩いた音が「ペチペチ」としてみたり、あるいはフラッシュ撮影の一瞬の面白さなどさまざまをちりばめています。ある種「シベリア少女鉄道」のような仕掛けで見せる構造なのだけど、正直にいえば、そのワンアイディアでは15分はクスクスとした笑いにしかならず、もっともっと大爆笑にもっていく破壊力がほしいところ。

「秋にまたない」は15MinutesMadeの第2回公演からの再演ですが、すっかり忘れていたアタシです。 一人の女でつながっていた男たち、女が突然消えていてもその「手紙」を信じて同じ日にゆるやかにつながり続けている姿。男たちそれぞれの女との関係が先輩だったり、ちょっといたずら心の風景があったりと関係を微妙にずらしています。

「だらしない~」は(ある種の)自殺すら人生はままならない、という人々を描きます。4つの場所で、そのうち3つまでは互いに関係がなく、同じ時刻というわけでもなく、どこかにある、ままならない人々の話を並べて見せているのだけれど、正直に言うと、物語としてなにを運んでいるのかが、いまひとつわからないのです。

「うちの屋根が~」、想っている娘に告白しようとしたら相手はもっと(突飛で)大変な事態なので言い出せない、というシチュエーションから、もしかしたら、ということを並べて見せていきます。3人の失敗の後に、再び巡ってきた男が選んだのは、(オチが無かったり、話の行き先がわからなかったりしても)彼女が話す話を聞く、ということだ、というのはたとえばMU(こちらN公園管理人事務所爆発前)にも通底するのだけれど、それでもいいのだ、自分はそれでも彼女のことが好きなのだという感覚。そこにつっこみまくるMUは爆笑編でしたが、この物語の要が見えてからはむしろ作家の優しさが見えてきます。

「男達だけで~」は今回の中でもっとも完成度が高くて、きっちり面白い一本。ある種のヤンキーコミュニティ(Mrs.fictionsが描くヤンキー( 1, 2, 3) は時々すごく面白いことがあります)、そこから逃げ出せない呪縛と、でも女子マネにはつらくあたっていても男達は彼女に一縷の光という物語の着地点もものすごくよくて。なにをしてもこの街の呪縛からは逃げられなくなっているのだということを半ば諦めていて、地方大会のここが人生のピークなのだということの諦観だけれど、その先にもう一歩あるかもしれないという希望を描く物語が実に素敵なのです。

「ミセスフィクションズの~」はMrs.fictionsだけの企画だから成立するセルフパロディーの一本。おそらくは働いていること、厳しいこともあるだろう彼らを、ブルジョアなドレスの女たちが「世間のことはわからない」けれど「(遊びではなく)芝居をすることに真剣」だという捻れまくった投影をしているワンアイディアが秀逸。時々(話はまったく関係ないけれど見た目に)三人姉妹っぽい感じが混じるのがちょっと楽しいのです。こんなに短いスパンで前川麻子を観ることになるとは思わず、しかしドレスがやけに似合うのです。石井舞も北川未来も若い役者ですが、きちんと対等に作られているのは作家が書いたホンゆえなのか、稽古の中で培われたものなのか。女性三人が毛布にくるまるというシーンのギュッと集まる感じはクリスマスっぽいって思うのはアタシだけかしらん。

正直に云うと、脚本の面白さで中嶋康太の二本が他に比べて圧巻なほどに差を付けてしまいます。「男達~」ではカミングアウトという薄皮の外側にこの街の姿をきっちり描いて、さらにその外側に想いというもう一皮を作る面白さ。「ミセス~」はセルフパロディーを、単に面白がらせるだけじゃなくて、次回公演の「春までおやすみ」という台詞を入れるのも面白くて。

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2012.12.14

【芝居】「ボクのおばさん」自転キン演劇部

2012.12.9 17:00 [CoRich]

自転車キンクリートカンパニーの役者たちが、鈴木裕美も飯島早苗とも関係なく芝居を立ち上げるというユニットの第一回公演は、サスペンディッズの早船聡の作演によるコタツと和室一間の物語を95分。9日まで雑遊。

親から町工場を長男が継いだものの、業績はじり貧になっている。妹はコールセンターのクレーム担当の契約社員をしているが、化粧っ気もなく、男ができる気配は微塵もない。ある日長男が機械で手を怪我してしまい仕事が受けられなくなりいよいよ会社は厳しくなる。次男も駆けつけるが、前任者が犯罪で殺され後任として政情不安の地への海外赴任を控えている。その中学の同級生が通りかかるが、それは妹が中学生の頃からあこがれている男で、その再会に心ときめかせる。さらに叔母も心配して駆けつけるが、次男だけは、何時まで居座るつもりなのだと、つらく当たる。

親と子供の緊張感ある関係、その背景、それぞれの事情をないまぜにして、物語を紡ぎます。兄弟が叱ったり叱られたり、喧嘩したりみたいな家族の場所。「ボクのおばさん」というワンアイディアを核にしながらも、家業のこと、結婚のこと、恋心のことをさまざまに。

親のことを許せない男の物語、という点で 昼に観たキャラメルボックスと少し似たところがあります。こんさくだってもちろんきっちり作りこまれている感じはありますが、正直にいえば、昼の芝居の完成度、奥行きに比べてしまうと、少々物足りない感じは否めません。それでもたとえばアタシの隣に座ったおじさんが後半にかけて号泣モードになっているのを見ると、きちんと紡がれる物語を、実力のある俳優たちが作り上げた芝居は届くのだなと思うのです。

歌川椎子はお気楽にガハハと笑うようなオバサンキャラから、タイトな背景を背負う役をきっちりと作り上げます。この振り幅を深刻になりすぎずきちんと造型するちから。アタシは観てないけれどじてキンの旗揚げの頃は「躍進するお嬢様芸」というキャッチフレーズだったのだけれど、それがオバサンを演じるようになるとは感慨深いものがあります。 瀧川英次は少し影のある雰囲気は、まさに物語にコミットしています。自転車キンクリートの役者の層の厚さすら感じます。松坂早苗は、いわゆる「可愛くない妹」どころか「女じゃなくなってる」ところからトキめくのが可愛らしく。春日井静奈は家族というものを信じることができなくなっている婚約者のことがわからず苦悩する姿なのに実に美しく。

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2012.12.12

【芝居】「キャロリング」キャラメルボックス

2012.12.9 14:00 [CoRich]

作家・有川浩が舞台化を前提に、出演者一人一人と話をしながら役者に当てて物語を紡ぐという膨大な手間をかけて作り上げられた(別冊文藝春秋に二回連載)120分は家族や恋人をめぐり丁寧で見応えがあって、クリスマスツアーらしい素敵な物語に仕上がっています。大阪のあと25日までサンシャイン劇場。

小さな会社の同僚の女とつきあいはしたけれど、自分が子供の頃に暴力を振るい離婚したのに復縁している両親が許せない男は、結婚式の相談がうまくいかず、結果、破局してしまう。しかし二人は子供服と学童保育の小さな会社の中で働き続けている。2年たち、会社もいよいよたちゆかなくなり、年末で会社を畳むことが決まる。
学童保育で預かっている男の子の母親は優秀なキャリアウーマンで、海外への転勤が決まっているが、その夫は優秀すぎる妻とうまくいかず、別居が続いており、男の子は父親に会わせてもらえない。父親が謝れば二人が再びあえるようになると信じた男の子は、社員の一人に一計を案じてもらい、密かに父親に会いに行くことを決める。横浜の接骨院で働き始めた父親は、借金で経営の苦しくなっている接骨院の院長の女に淡い恋心を抱きひとり盛り上がっている。消費者金融の取り立ては今まで以上に厳しくなるが、彼らの事情は暴走を生み事件となり。

父親が両親が許せない男、それによって別れ、傷ついた女という二人の思いを下敷きに、父親に会いたい一心の子供をこの二人が助け、想いが醸されていくという過程を実に丁寧に描きます。

ヒロインを演じることの多い岡内美喜子と、脇を固めてコミカルな印象が強い前田綾という通常のポジションが逆転しているのが新たな魅力。ヒロインを演じた前田綾はコミカルさをほぼ封印し、可憐で物静かな、しかし内なる熱い思いを持つヒロインを好演。変わってコメディエンヌの位置を岡内美喜子、学歴はあるけれど男運がつくづく悪いという僻みキャラで新たな魅力。菅野良一はもはやデブな癒し系ポジションとでもいう位置というのもまた楽しく。 情けなくて格好悪い父親を演じた大内厚雄のぬけ具合だったり勝手な恋心の盛り上がりだったりを印象的に作ります。原田樹里は無愛想な消費者金融のお茶くみをキャラメルボックスにはなかなかないスタイリッシュさで造型し、消費者金融チームの物語の要を支えます。少年を演じた林貴子は今までのベストアクトと云って差し支えないほどに、物語をかき回し、想いを舞台一杯に伝えるのです。

自分の家族を持ったことのないアタシですが、たとえば別居中の夫が助けたいと思う人のために時に暴走し、時にカラダを張るという、それは痛々しくある種のドンキホーテな振る舞いに、アタシの感覚は近いのです。それは女性を手に入れたいということというよりは、失った家族をもう一度作りたいという感覚がそこに流れている気がしてならないのです。

正直に云えば、会社を畳み、皆が失業するということが決定していても社長どころか社員全員が前向きな気持ちをずっと維持できるということは少しばかりファンタジーな気がしないでもありません。手に職を持つデザイナーや転職ができそうな若い社員だけでで構成されているとはいえ。

男たちはだめだめでも格好悪くても、あくまでも女を守るために戦ってほしい、女は優秀で優しくて包容力だってあるけれど、やはりどこかではか弱さがあって、一人で気を吐いて生き続けていたとしても不安な気持ち。男と女と家族が居て、というクリスマスらしい、しかし大人のほろ苦さが存分に効いていて、マスターピースになりそうな実に厚みのある一本に仕上がっているのです。

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2012.12.10

【芝居】「コーポ ニッポニア」ボタタナエラー

2012.12.8 19:00 [CoRich]

ボタタナエラーの新作。マンションの一室をめぐる、3つの時代の物語。95分。9日まで「劇」小劇場。

マンションのフロアを借りている広告代理店の営業部、その休憩室兼会議室。会社の業績は思わしくない。ある日、支店長が通勤時に痴漢で捕まったとの連絡が来る。営業部員全員を集めた会議で、高めの目標を設定することが伝えられたりする。若い事務員や大家の娘のことが気になったりもしていて。
それから二年後、業務規模は縮小され、この部屋からは撤退することになる。事務員の女もこれでおしまいという日、階下の不動産屋の男に抱いていた淡い恋心を伝える。
しばらく空いていた部屋に女が引っ越してくる。離婚して一人で暮らすのだ。久しぶりの友人たちが再会のために集まってくるが、肝心の引っ越し屋はなかなか現れない。

マンションの一室を舞台に、この部屋の大家の娘と、一階に入居している不動産屋の担当者の二人で3つのシーンを貫き、ゆるやかに何人かを共有しながらも、リーマンショックに影響される広告代理店をめぐる話と、その後に入居してくる女とその友人たちの話は基本的に独立しています。この部屋(と大家の娘と不動産屋)はこの時間の流れを見つめているとは云えますが、そこに大きな仕掛けがあるという感じでもありません。

一幕目は、 リーマンショック後に業績が悪化し、しかしまだのんびりした感じが残っていたりするサラリーマンたちの日常という感じ。支店長が痴漢容疑で捕まるというスパイスはあるし、イキナリ殴り合ったり誰が苦手だとか熱い感じもありますが、描きたいのは、その支店長と同期だという男が、その支店長やその妻について、出世と結婚には差が付いてしまったけれど、しかし同期だというある種の青臭さなのかなと思ったりもします。嫌だとか僻むだとかとは違う、なんかもやもやした説明しがたい感じがちょっと作家らしさを感じたりします。

二幕目は、 会社を去ることになったパートの女、想いを伝えられるか成就するのかという恋心を核に、この二年間静かに堆積していった想いと、女性にとっての年齢を重ね同級生たちの生活の変化から取り残される感じのないまぜな感情を描きます。この二年間何をしてきたんだろう、世間の流れについていけなくなってるという感覚はなんか時々思うようになったアタシの感覚にも寄り添う感じ。そういう意味では若い女性の感覚としては違和感がなくはないのだけれど。振られることを制止するように「彼女が居るとかつまらないことをいわないでね」という終盤の台詞がなんかとてもカッコイイ。三幕目の中に紛れ込ませてある不動産屋と大家の娘の告白→振られるの過程と合わせて、ながい三角関係を描いているという感じでもあります。

三幕目は、 離婚して一人暮らしを始めることにした女とその友人たち。仕事に打ち込んだり結婚していたりそれぞれの久しぶりの再会という場。愛すべき友人だったりばりばり働くキャリア志向だったり、恵まれた結婚生活だったりと、年月がそれぞれの生活の立ち位置を変えた、という大学の友人たち。昔の男の話で盛り上がったりもするし、もちろん仲はいいのだけれど、もうみんなはそれぞれに生活に戻っていくのだ、しかし離婚した私には、今日からの生活はあるのだろうかという感覚。作家はこれを台詞としては正面切って書き出したりはしないのだけれど、そう感じてしまうのです。 泥酔したので泊めた引っ越し屋の女との朝の二人、知り合ったばかりなのに「テレビを観においでよ」と誘う家主。古い友人たちよりも、新しい生活に向かって新たな友人とスタート地点に立ったという感覚。

あるいは震災を引き合いに出しながらも、かつての友人が震災とは関係なく亡くなったことを引き、震災はもちろん大きいことだったけれど、人が亡くなるということは「ひとりひとり」のことなのだ、ということも、(離婚して)一人になった女とあわせて「ひとり」を強く意識させるのです。

少々癖があって、印象に残るキャラクタもいくつか。 大家の娘は3浪したり、就職説明会もどこか危機感がなくて、生活の裕福さというか格差を意識させますが、その仲でも彼女が感じる孤独が描かれます。裕福さの象徴というわけでは内のだろうけれど、、それぞれのシーンでカジュアルな受験生、短大生、(結婚式帰りの)ドレスアップという具合に可愛らしさ、眼福が存分に。

女の引越屋。古着屋でたまたま買った原発反対Tシャツを揶揄されてイキナリ切れてみたり、呑みに引き留められたら泥酔して結局泊まっていくことになってみたりと、自由すぎる感じはあるけれど、なんか微妙に世間からズレていて、生きにくい人なのだと感じさせるのです。オリンピックの感動秘話なんかよりも競技がみたいと共感する、離婚した女もまた、その生きにくい感じ。その違和感、なじめない感じということが物語全体を薄く広く覆っている感じがちょっと面白いと思うのです。

女の引越屋を演じた松下知世が、その自由さと不器用さを存分に。新しい入居者を演じた古川直美は静かで派手な台詞は少ないけれど、奥に秘めたる気持ち、あるいは違和感を内包している感じが静けさの中の人物の強さを造型します。大家の娘を演じた泊ヶ山まりなはその眼福、しかしその容姿だけではなく、3つの年代の雰囲気をしっかりと。

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【芝居】「宇宙みそ汁」「無秩序な小さな水のコメディー」燐光群

2012.12.8 14:00 [CoRich]

今年の夏に国内5カ所での上演を行ったアトリエ公演を再演。 20周年を迎える劇団アトリエの記念公演でもあります。9日まで梅ヶ丘BOX。 成層圏からパラシュートで降下したパイロットのように、エプロン巻き付け降り立ったのは土色の澱みと上澄みに別れたみそ汁のように「宇宙みそ汁」
クジラは導かれて入り江で息絶える。「入り海のクジラ」
バーを訪れた女、マスターが水のことなら何でもわかると聞いてバッグから取り出した水が、大丈夫か、と訊く「利き水」
そのクジラはとても大きかった。クジラ漁をする村に迷い込んだが、その大きさ故に神だと思われ、海に戻れるほど。ある時、村を再び訪れると、戦争になっていて村人たちは軟禁され、海岸にはコブを埋める作業をしていて「じらいくじら」

「宇宙みそ汁」は、 三田文学新人賞の2011奨励賞を受けた詩を核に、清中愛子のさまざまなテキストを坂手洋二が構成・演出を行った一編。全体は詩のテキストの印象で、「味噌汁の具以外には変化が起きない」毎日、子供と自分のすがた、ゴキブリだったり洗濯物だったりという台所や部屋のなかで起きることだったり、アパートの隣人たち、時々やってくる宣教師、あるいは造船所のタンクの中を清掃する仕事に至るまで、作家の暮らす日常をさまざまに切り取って見せていきます。京浜工業地帯という舞台が、なんか私の横浜生活圏に近い感じで、それが結構ツボだったりします。子安の造船所、沖縄生まれの隣人たちなんていう言葉が嬉しい。

詩のテキストを動きを付けながらリーディングという感じの進め方で、それぞれのテキストの強さということをむしろ感じさせます。もちろんこういう形で舞台に載らなければアタシは目にすることがなかったのだろうけれど、一回限りで流れてしまうというよりは、繰り返し読んで沁みていう楽しみ方をしてみたいなと思わせる感じなのです。

「無秩序な小さな水のコメディー」は、 フランスのフェスティバルに出た時につけられたキャッチフレーズで、水にまつわる3つの短編。 「入り海のクジラ」は、息絶えていくクジラ、地震のあとに「陸が海を汚した」とか「二本足のおろか」というようなことばで、311を感じさせる物語になります。クジラの目を通して、今私たちに迫っていることを表現しているという感じ。

「利き水」はバーテンと客の女の会話。何気ないところから、バーテンが水に詳しく、水を飲んで、これが大丈夫なのかを教えてほしいのだという女の切実な願いの物語に。つまりは原発をめぐる水や食べ物、その地域で暮らす人々や、それにより別れて暮らすざるをえなくなった新婚の二人の絶望的な状況と、しかし切実な気持ちをぎゅっと濃縮。動きもほとんどないし、実際の処着地点はわりと早く見えてしまう気もするけれど、切実さが強い印象を残すのです。

「じらいくじら」は、くじらと共存する原住民たちと、戦争によってその共存が絶たれ、地雷を埋め込まれてしまった大クジラ、静かに誰にも会わないように深く沈んでいくというものがたり。どこか寓話風でもあるのだけれど、これもまた、作家が描く私たち(こっちはもう少し広く、人類にとって)が向かっている地雷の無差別な悲劇の存在を描きます。

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2012.12.08

【芝居】「パレパーレ星の新しい生き物」ハムプロジェクト (東京の人と旅公演)

2012.12.4 20:00 [CoRich] 70分。

札幌ハムプロジェクトが企画する旅公演はワンボックス(松本公演は役者の人数も多めで別に乗用車も使っているとのこと)で地域を巡って芝居をするというノウハウがたっぷり。70分。12月2日(日)までの池袋から、その後に三島・松本・新潟・長岡・高岡・福井・岐阜・浜松・名古屋で、札幌に凱旋。

一人の子供が老人と病院で出会う。老人はすぐ忘れちゃうから一緒に絵本をつくるが、急がないと、あまり時間がないもうすぐどっかに行くのだという。

分裂したかのように安定しない子供と、先のそう長くない老人。絵本を仲立ちにしながら、その子供の置かれた両親との切ない関係を描きながら、成長を描きます。冒頭の祝祭感は、まさに見世物のツアーという感じで、「知らない観客」と出会うその敷居の低さが楽しい。描いているのは切ない背骨を持つファンタジーなのだけれど、

5人の登場人物、子供、老人、母親、父親、先生という「役グループ」を設定、それぞれに数役を与えるという二段階層。たとえば子供はニュートラルな状態だったり、かんしゃく持ちだったり、いい子だったりします。先生は時に神様、時に医者、時に浮浪者というぐあい。役者たちはその役グループの役は全て出来るようになっていて、これによって5名から20名の役者で舞台を柔軟に成立させることが出来るのだと云います。旅公演、全てを同じ役者じゃなくても柔軟に運用出来るようにするなかなかのアイディア。

作演を兼ねる、すがの公はとぼけたジジイの語り口であっというまに客席を味方ににつける圧巻の「何か」があります。杉木隆幸が老人ってのもちょっと面白い感じ。

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2012.12.07

【芝居】「週末たち」MU

2012.12.2 19:00 [CoRich]

三本続けてCOREDOで公演を続けたMUは、外部の作家をとりまぜての企画公演。4日まで。100分。

工場が災害に遭い生活費を捻出するために友達と「フリマ」。
テレビ番組の企画でデビューし人気だったアカペラグループの男三人と事務所の人気グループのバーターな対バンライブ。音楽性のようなことでいつものように揉めている楽屋にライバルだった、しかしアイドルな女が訪ねてくる。台風の中観客は集まっているのに、対バンの相手は誰一人到着できていない「ジャンクション」
喫茶店で待ち合わせるOL、2時間も遅れてきた若い男へ、女は「暗い日曜日」
タイプの違う肉食女子二人が会社の同僚の草食女子の部屋に忍び込む。女子会なんだから恋バナから始めようというが、部屋の主はいっこうに乗ってこない「まめまめしい女」
日頃日勤だが初めて夜勤を手伝いに来た管理人はこの公園の潔癖を守ると堅く誓っている。が、夜は公園がまったく別の様相を呈している。将棋を指すミドルな男女も、「話がつまらない」というだけの理由で可愛いのに別れを切り出される女とその男の別れ話「こちらN公園管理人事務所爆発前」

オープニングの「フリマ」は女ふたり、切迫している一人と、そうでもないもう一人。外側で何か起きそう、という予感をつくりだします。

「ジャンクション」は 38mmなぐりーずのコント「境界線」の改訂版。(こういうことをちゃんと当日パンフに書いてあるのが嬉しい。) 38mmなぐりーずのコントでは女性のグループ同士だったものを、男子のグループと、楽屋を訪ねてきたかつてのライバルの女という構図へ転換。男たちの(すくなくとも表面上は)くだらない拘泥するポイントのバラバラさだったり、消えていない恋心だったりと、さまざまな味わいが加わっているように思います。ちょっとした手をかけて印象がずいぶんかわった印象がまた楽しく。メンバーの一人を演じた島田雅之はなかなかこういう「恋心」という役を演じたところを目にすることが少なくて、ちょっと珍しい感じ。

「暗い日曜日」は なんでも屋に殺人を依頼してあっさり受け付けられ、という骨格。証券会社のOLだから言葉とか時間とかの「常識」に厳しいけれど、依頼される男にとってのルールは全く別なのだということの会話が面白い。

「豆豆しい女」は、 女子会というよりは、秘密を(暴いてでも)共有して仲間となろうという女子っぽさが面白いと思うのです。そこで暴かれる会社の同僚に対する中傷ツイート、という感じも今の雰囲気をよく表している気がします。当日パンフで云われる、部屋主の「かわダサジャージ」がまったくもってそう見えないというのはご愛敬。

「こちらN〜」は mielの公演「 ま ○ る 」の中の一本・「まげる」が駅の物語だったもの(大量のマネキンを動かす人々で語るというアイディアが圧巻で秀逸だった)を、公園に集まるさまざまな人々の様子をのぞき見る感じにしていて、構造はずいぶん変わった気がします。海賊版、という言葉が頭に浮かんだりするけれど、そういう意味じゃmielの演出のほうがずーっとブートレグな感じではあります。それでも、ミドルの男女、別れ話の男女、公園の職員それぞれの事情をみせつつミクスチャしていく感じがお祭り感すら持っているのです。

芝居の出来もさることながら、COREDOでの公園というミニマムな感じに、たとえば当日パンフを通してのセルフライナーノーツ、あるいは(当日パンフにあるパスワードで)電子書籍ダウンロードで戯曲を公開するという、ハセガワアユムのパッケージが実に心地いいなと思うのです。

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【芝居】「テロルとそのほか」工場の出口

2012.12.2 15:00 [CoRich]

風琴工房の詩森ろばが新しく立ち上げたユニット。彼女が切実に考える役者、演劇、思考のプロセスがギュッと圧縮された120分。7日までアトリエ春風舎。

ドキュメンタリー製作のサークルのOBと学生たち、卒業した男は一人、アパートで息を引き取って数ヶ月経ったところを大家によって発見された。偲ぶ会が企画されフードコートで待ち合わせる。テロを考える男、留年が溜まり大学を辞めようとしている男、別れようとしている女、引き留めようとしている男は死んだ男の親友で。

前売りに用意されている「プロセスチケット」は(コマ不足なので)申し込めなかったので、劇場での公演だけを拝見しました。正直に言えば、アタシはこのユニットを立ち上げた目的すらもいまのところはまだ判らない気がします。若い役者たちと芝居を作り上げることが目的だとしても、いわゆる「日本の問題」に対して全員が考え、討議し、表現することが目的だとしても、そのプロセスを全員が体感することが目的だとしてもどれもが頷ける(詩森ろば、という作家の芝居も観ているし、blogも好んで読んでいるから)ような気がします。

当日パンフには作演の、自分に対しても役者たちに対しても厳しい言葉が並びますが、実際のところ、アタシは芝居のそれぞれが実に面白く、滋味溢れる芝居を体感できたのです。

テロということ、それを実行するという熱い想い、しかし実行したものもまた人間で友人がいるということ、あるいは一人で死んでしまった友人に対してなにもできなかったという無力感、あるいは留年しまくっていたとしても、これから自分なら何かが成し遂げられるだろうという万能感、あるいは自分が気になっていることを理解してほしいんじゃなくて、聴いてほしいんだという会話に対する男女のズレた感覚。役者からのテーマで物語を紡ぐという趣旨が前提だとしても、 四人の役者からの四つのテーマ「テロリズム」(浅倉洋介)、「大学生と教育」(有吉宣人)、「遺伝子組換食品」(生井みづき)、「孤独死」(西村壮悟)という見事にバラバラなテーマをきっちり。社会派、と呼ばれる作家の真骨頂がギュッと濃密に圧縮されているのです。

テーマがテーマだけに、爆笑編とはいきません。中でアタシが好きなのは「フードコートの憂鬱」という一本で、フードコートで別れ話をする男女、別れ話を切り出した女は遺伝子組み換え食品を憂い、男は別れたくない一心で同意しているのだということをアピールするのだけれど、そこがすれ違うのだという深い溝に絶望的になります。が、そういうものなのだということを描くことの表現という手法の強さも同時に感じるのです。勝手にアタシが考える、詩森ろばという人のある種の考え方の面倒くささが析出しているようでちょっとおもしろいのです。

孤独死した男について語るモノローグは彼の助かる道を悉くつぶしていくということの絶望が濃縮されています。

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2012.12.06

【芝居】「Rのお出かけ」鳥山フキ個人企画

2012.12.1 19:00 [CoRich]

ワワフラミンゴの作家・鳥山フキの個人企画ユニット。なかなかの曲者です。70分。3日まで新宿眼科画廊地下。

女二人で男の話をしているかと思えば、「仕事」を依頼しようと同じ建物の人々を呼んでみれば、何の警戒感もなく毒にやられてしまったり。

ワワフラミンゴもそうなのだけれど、物語を追いかけようとか読みとろうとすると悉く裏切られ徒労に終わります。無意味(に思えて)着地点のない女子たちの会話をイライラするものと捕らえるのか、それとも小鳥のさえずりのように(というとちょっと違うし、音色の問題では断じてない)意味が分からなくても心地いいものとして捕らえられるのか、あるいは会話の断片に共感する何かがあるかというように、フックする部分があるかどうかで、今作の印象は全く異なるものと感じられる気がします。どこが面白いのか言葉で説明できないのに、脳味噌の隅っこが喜んでいるような感覚は、たとえば甘味を甘みというよりは脳味噌が直接喜んでいるという風に捉えられるか、というような。(←意味ありげだけれど、何にも意味がない気もする)

飴を渡して直後に奪い返そうとする(やけに繰り返し挿入される)とか、デートした男が水草の栽培で稼ごうとすることに反対してみたり、電子マネーを引き落とすぴっという音(個人的には、シャリーン、とやってほしいけれど)でクラクラする感覚というか、こういうコネタのオンパレードがいちいち心地いい、ということには個人差があります(笑)。

ワワフラ(ミンゴ)常連の北村恵・菅谷和美の安定感。初登場の黒木絵美花、ワワフラが持つコットンな可愛らしさとはちょっと違う美しさのベクトル。松木美路子、ここの常連だと思い込んでいたけれど、初参加とのこと(ごめんなさい。指摘いただきました)。なじむ感じ。口をへの字に曲げたまま(ほかにもう一役)という役を演じた渡邉とかげは、奈良美智の絵の中の子供のようで印象に残ります。

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【芝居】「D51-651」パラドックス定数

2012.12.1 15:00 [CoRich]

戦後迷宮入りした事件、下山事件(wikipedia)とがっつり四つに組み、貨物列車に乗務していた機関士・機関助士・車掌と、警察、役人、弁護士という六人の男たちの物語はやがてその時代を映し出す120分。2日まで上野ストアハウス。

1949年7月6日綾瀬駅にほど近い線路上で常磐線最終電車によって発見された轢死体は行方不明になっていた国鉄総裁・下川定則のものだった。直前に通過した貨物列車によって轢かれたのだった。行政機関職員定員法の施行により、職員の6分の1にあたる10万人を整理する対象者の発表があったその日のことだった。他殺か自殺かさえも、捜査は早々に行き詰まる。そんな中、乗員の一人の車掌が整理対象者に挙げられる。

当日パンフによれば、作家の父親が「怪人21面相」の頃にこれも芝居にしてくれないか、と持ちかけた題材だといいます。戦後の混乱期にいくつか起きた迷宮入りの怪事件のうちの一つで(アタシは小学生の頃に学研から出ていた「ジュニアチャンピオンコース」で繰り返し繰り返し読んだたくさんの事故・事件のうちのひとつです)今なお謎に包まれている題材。

事件そのものの謎を解いたり、犯人たちを仮定したりするわけではなく、それにかかわった人々を描きながら、その当時の世相と人々の想いを炙り出す、という方法を作家はとることにしたようです。人そのものを描くよりは、もっとふわっとした「社会」を描くことになるわけで、実際のところ、すこしばかり作家の気持ちよい切っ先が鈍る感がないわけではないのですが、それでも、かっこ良かったりかっこわるかったりする男たちの生き様を描く骨太な物語は安心して観られるのです。

10万人規模の人員整理を争議もなしに一方的に進められるという法律が作られるという異常事態。整理された名簿が発表された直後の事件は謎だらけで、しかも捜査は事実上打ち切られてしまうという時代の事実が持つ凄み、をどう物語に反映するかは生半可ではないと思うのです。が、そこにきっちりと爪を立て物語にするということから逃げない作家と役者たちの心意気に痺れるのです。

パイプでイントレを組んだ三分割は時に機関車の乗務員室、ときに機関車の傍らになります。すかすかな空間なのに、たたけばちゃんと音がするわけで、鉄の塊をシンプル、効果的に紡ぎ出すのです。

6人の男たちはもちろんどの役もどの役者も魅力的です。そのなかでも、 今作において圧倒的に目を引くのは、陰を持つ職人たる機関士を演じた生津徹なのです。無骨さ、不器用さを貫く一本の気持ちの造型が物語の骨格を強固なものにします。時代に翻弄され、赤狩りの対象となってしまう車掌を演じた西原誠吾の少しばかりゆるい、しかし実直で誠実な感じも印象に残ります。小野ゆたかが演じる、「人権派」の弁護士は彼らのマスターピース、東京裁判で同じ役者が演じたのと同じ人物、という隠れたキャラクタつながりも楽しい感じ

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2012.12.01

【芝居】「ご無沙汰してます。」(B)ホントに、月刊「根本宗子」

2012.11.25 19:00 [CoRich]

12月は総集編が待っているネモシューの40分。12月2日までバー・夢。

熊本の高校生の恋人たち。男は東京の大学に進学して上京するので最後の夜は学校に忍び込んで二人で朝を迎えたが、男は寝坊してしまい、せっかくの出発の日が喧嘩になってしまう。

基本的な構造はAバージョンと同じで、好きあっているのに離ればなれに数年間暮らすことになる男女の朝をめぐる物語。ほぼ全編を熊本弁にしてみたり、トレンディドラマのフォーマットというよりはアニメ風味をまぶしてみたりと手を加えていますが、基本的な骨子は変わりません。物語の流れの骨子と、見せ方を分離してバリエーションが作り出せるのだということ、当たり前なのだけれど、こういう風に明確に作り分けることの面白さがあります。

コメディ、とは銘打ちながらも必ずしも全編爆笑編という感じにならなくて、うっかりいい話になってしまうのも楽しいのです。

大人の男女なAバージョンに対して、かわいらしい高校生(男も女も)というBバージョン、少々卑怯な気がしないでもないのですが、高校生が朝一緒に起きる場所として高校の校舎の中、というのもちょっと甘酸っぱく、ありそうなシチュエーションが巧い。

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