【芝居】「タカラレ六郎の仇討ち」青年座
2012.11.3 14:00 [CoRich]
中島淳彦が青年座に書き下ろし。125分。4日まで紀伊國屋ホール。
シナリオ作家の六郎が自殺した。悲しむ役者、スタッフたちだが、すでに映画は斜陽産業の兆しの時代、六郎の居た映画会社・東シネの役者やスタッフたちも仕事にあぶれている者がおおく、会社はスタジオを大手・東活に売る話もでている。東活は会社の存続を賭けて不動産事業やポルノ路線を明確に打ち出していて、その会社に六郎がこっそり持ち込んだシナリオは採用されなかったが、継ぎ接ぎにして盗用された映画が公開されていた。六郎の仇を討ちたいと考える。六郎を息子のように可愛がっていたアパートの大家もその仇討ちを手助けしたいと申し出る。スタジオの跡地に東活がたてようとしている東洋一のボウリング場と国道の間にある、アパートの土地がのどから手が出るほど欲しい東活を手玉に取ろうというのだ。
青年座の紀ノ国屋ならば客席の年齢は高め。三丁目の夕日のあの時代だけれど、もっと切実に映画という産業がまわらなくなった時代を背景に、日活を思わせるポルノや松竹を思わせる不動産部門、回らなくなった中小の映画会社といったものをちりばめながら物語は進みます。 もっとも決して若くないあたしにとってだって、映画の斜陽とかボウリング場の隆盛というのはもう少し上の世代のものだし、現場がどうだったかは知るよしもありませんが、 年齢を重ねた人々のノスタルジーにまみれた話と考える向きも、あるいは若い人々にとっての想像上の夢物語という感じにとらえる向きもありましょう。終幕近くの老女に見えている世界のように、これをファンタジーだと割り切ってもエンタメなのだけれど、それよりもう一つ前の時代があったのだ、ということを構造にしたのが新鮮な感じで面白いと感じるのです。
全体にヒールに描かれている、大手の不動産部長という「ボンボン」ですらも、(才能はないけれど)映画が撮りたくてしょうがない、ということが貫かれています。あるいはこの物語の黒幕となる老女にしても運転手をしている男にしても、それぞれの立場、時代によって思うところは違ってはいても、映画というものに対する格段の愛情にあふれています。それはノスタルジーに過ぎないのかも知れません。 産業構造の転換点に巻き込まれる人々の熱い物語は、たとえば日本の家電のありかた、なんていうアタシに身近なものでも同様の感じ。その懐かしさを嬉しいと感じてしまうというのは、きっとアタシも歳を取ったということなのでしょう。
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