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2012.11.29

【芝居】「朝にならない」チタキヨ

2012.11.25 16:00 [CoRich]

三人の女優によるユニット。トリコ劇場の米内山陽子の作演で70分。25日まで歌舞伎町のバー、ATTIC。

貸し切りにされたダイニングバー。この店のオーナーの婚約者と名乗る女は、オーナーでありテレビで売れっこになりつつある婚約者ことセンセイと関係のある女たちを集め、センセイに内緒で集めてほしいという女からの依頼。その関係を絶たせたいと考えているのだった。センセイと同じ事務所のタレントがその誘いに応じてやってきて、店の雇われ店長と話しているところに、その婚約者が現れた。

一人の男をめぐる女たち。一人は婚約者と名乗り上から目線、一人は腐れ縁ほどに長いつきあいの雇われ店長、一人は色気が売りだけの(いや衣装がホントに胸元釘付けなアタシですが)しかし売れたい一心の女。罵りあいながら、それぞれの事情や想い、生き様が徐々に浮かび上がります。主婦をニートと呼んでみたり、年齢という賞味期限を強烈に意識させたりと、女性の作家は30過ぎの女たちをサンプリングしながら、おそらくは意識的に(罵りあいだから)女たちを挑発するような言葉をちりばめます。

あるいは、それぞれの一人語りでその背景を語らせながら、年令がある程度進んだ女のかなしさや背負ってるものの切実さをじっくり、じんわりとあぶり出していくのも作家の確かなちから。

60分という尺と、医者という道具立て、キャラクタの造型からなんとなく精神を病んでいるのだというのはわりと早い段階で見えてしまう気はします。が、それがオチというわけではなくて、そこからどこか友達のような不思議な連帯感を持つ人々という着地点は、青春ドラマのような、というとちょっと違いますが、爽快感すら感じてしまうのです。

雇われ店長を演じた田中千佳子は、もう振り向いてくれないのだという諦めもありつつも、よりそう女を好演。たとえば「コーラだよぉ」という腹立たしいほどの挑発など、大人の女の喧嘩の仕方がやけに印象的だったりします。 タレントを演じた高橋恭子は若さだけがウリだった女の苦悩を通して、女の賞味期限というものを印象的に造型します。衣装の凄さも。 婚約者を演じた中村貴子は、ロハスだったり健康志向だったりというこれもまた女っぽさの体現。

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【芝居】「タルフ兄弟」つよしとひでき(trf)

2012.11.25 14:00 [CoRich]

5年ぶりの復活公演、あひるなんちゃらの関村俊介の作演で。60分。26日まで根津・マルヒ。

5年ぶりに実家に戻ってきた弟、母親は姿が見えず、兄はカレーを作って一緒に食べたいとしつこく誘うが弟はつれない。

元々は質屋かなにかの土蔵を客間にした古民家ギャラリー。父親は決して入れなかった土蔵にずっと居る弟と、それに隣接した和室から呼び出し続ける兄。声は聞こえるものの、扉はほぼ閉まったままで相手の姿は見えず、観客もどちらかを選んで座るとその相手はみることができないという相当にストイックな感じ。

カレーを一緒に食べて会話したくてしかたがない兄と、ひたすらに断りながらマンガを読んでいたり、嘘をついたつかないと言い争ったりとひたすらに生産性のない会話の応酬。5年間の不在を埋めたいんだが埋めたくないんだかな兄弟たちの会話。時につっこみ、時に突然キレたりと、台詞はあきらかに関村節めいっぱいなのだけど、ゴドーよろしくほとんど動きがなく、二人のうちの一人だけしか見えないことで、無言の部分がタメのような感じになるのも不思議な効果を生んでいて、なぜかゆったりした感じも。

嘘をついたら指摘してくれ、という弟にたいして、兄が聞いて都合のわるいことはひたすらに嘘だと指摘するのがちょっと楽しい。

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【芝居】「東京アレルギー」野の上

2012.11.24 19:00 [CoRich]

強烈な津軽弁が特徴の野の上の新作。青森のあと、25日までこまばアゴラ劇場。

青森から上京してきた女子、新宿でティッシュ配りしている。殴られたり、お金貰えなかったりしてへこんだりする。帰宅しても一人だけれど、カラダが入る段ボールが好きで入ってしまう。実は同居人(女子、妄想の)があと二人いて。この仕事を辞めたいとおもえば、次はなぜか(眼鏡)キャバクラに行ってみたりする。

終演後のトークによれば、主演の鳴海まりかが東京公演ではマスクをしていて、「東京アレルギー」なのだというのが着想になっているといいます。東京という場所、青森という距離感。東京での会話は津軽弁、青森での会話は標準語という逆転(これもトークショーの情報ですが)という発想自体は他でもありそうな気はしますが、野の上という劇団の強みはその方言を、きちんとしかも圧巻のリズムで演じられる役者が揃っているということだと思うのです。

いまは地方に住んでいるアタシですが、横浜で生まれ育ってきたので、東京に出てきて一人暮らしをする、ということの本当の緊張感やアレルギーになりそうな怖い感じは正直わからない気はするのです。

東京という場所の印象なのかどうか、 ティッシュ配り、キャバクラ、病院(シスターが居たりする)、青森のイタコと、シーンはかなり支離滅裂な感じは否めません。役者が色っぽかったり、今までになかった役で役者が出ていたりという面白さはあります。

三上晴佳はもちろんの安定感、悪魔からキャバ嬢まで自在に。赤刎千久子は今まで観たことないぐらいに(←失礼)可愛らしく。乗田夏子、鳴海まりかたちのキャバクラはあきらかにおもしろく作られていて、お店で女の子と話す客の男、(仕事として)話を聞くロール。という場をきっちり。

正直に言うと(嬉しいけれど)、色欲に過剰なシスター(工藤早希子)は空気を変えるタイミングが難しい役だと思います。あるいは、イタコを有り難いと思ってたのに、ちょっとガッカリな感じは青森の人々の実感かな、というありそうな感じがおもしろい。

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2012.11.27

【芝居】「ぱれえど」浮世企画

2012.11.24 14:30 [CoRich]

アタシは劇団としては初めて拝見します。95分。27日までSPACE雑遊。

ドブの臭いがキツい街。他の土地からの男がやっとの思いで開いたバーに街の人々が日々集う。飲食店を始め手広くやっている「社長」、芸人崩れで働いている男、女の子を口説こうとしている金持ちのサラリーマン、飲み屋のママ。バーの片隅で静かに地味に飲んでいる男も常連だが、この土地で大きな事故を起こし、世間の非難を浴びたた企業を辞めて隠れるように生きている。
バーのマスターは弱みを握られ、隠れて生きている男はその正体を知られ執拗になじられるようになり。

原発というわけではないけれど、社会的に非難される大きな事故、彼一人のせいではないのに、背負った気持ちの男、(その企業ではなく)叩きやすい個人を執拗に叩きのめす正義感。あるいは人の弱みにつけ込んで少しでも這い上がろうとする男。はたまた金はあるから女だって自由になると思うのにそのつまづきが簡単に転落人生に向かってしまったり。人生、どこでけつまずくかわからないし、足を引っ張られるかわからないし、時間切れにだってなっちゃう。これでもかとてんこ盛り。

好意を寄せてくれるバーのママは残りの時間といったものに焦り、若い警官は(過去のトラウマはあるにせよ)万能感すらある、キラキラした将来を信じられる感じの対比は、物語そのものの中心ではないけれど、不思議な対比。

ほぼ全員が何かの闇を抱えていて、表面上は軽く、明るく過ごしているのに些細なきっかけで堰を切ったように暴発する感情。それは時に疾患となり、時に暴力となり、時に犯罪として表出していきます。正直にいえば、その些細なきっかけの豹変が、唐突な印象はあります。なにか鬱屈した物を抱えていると捉えられないわけではないし、人なんてものはそれぐらいだれでも些細なことで豹変するのだといえばそうなのだろうけれど、ここは踏ん張って納得出来る感じを強く印象づけてほしいところ。

地獄人、なる謎めいた役が設定されています。深くどうにもならない罪悪感を抱えたものだけに見えるといい、人々を描けば描くだけ深刻な深みにはまりこんでいく物語の中で、「バカンスに来た」という軽薄な感じが全体を軽やかにします。演じた鈴木アメリは、バイオリンの生演奏だってちゃんとしていて不思議な祝祭感をつくりだします。罪悪感に苛まれる中年の男を演じた鈴木歩巳、こういうクタビレた役をやらせると親近感、しかし苦い味わいがしっかり。マスターを演じた川本裕之もまた、明るく人好きする感じなのに、罪悪感なく悪いことやっちゃう、という感じが気持ち悪くて印象的。

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【芝居】「明るい家族、楽しいプロレス!」デフロスターズ

2012.11.23 18:30 [CoRich]

デフロスターズ名義での公演としては最後だといいます。ちょっとびっくりするぐらいにさわやかさすら感じるホームドラマ。110分。26日まで高円寺ラビネスト。

宮崎、プロレスのことで頭が一杯な小学生の家。祖父から土建業を引き継いだ父親は仕事にかまけて家をあけえ滅多に帰ってこない。その祖父は引退したあと、痴呆で入院している祖母のことを見舞い、毎日のようにこの家に姿を現す。母親は、祖母の病院に毎日通いながら、パートもこなし、プロレスに夢中な小学生の弟と、吹奏楽の部活で毎日忙しい中学生の姉の姉弟を育てている。

昭和な香りを漂わせる地方の家庭。たとえば東京に行きたい、たとえば引っ越してしまう友達と引き裂かれてしまう、たとえばカツアゲされたりするという子供ながらの限界な感じ。せりふで直接語られたりはしないけれど、大人になればもっと思い通りになるから大人になりたいと思ったあのころ。それなのに、大人になってみれば夫婦も親子も想いはあるのに、すれ違う気持ちだったりと、人生とはなんとままならないことが一つ処に並べられている幕の内弁当のような感じが、切なく、しかし面白いなと思うのです。

佐藤達演じる小学六年生は、ことさらに子供っぽいしゃべりというよりは、表情や仕草が絶妙で、体だって十分大きいのにちゃんと小学生。母親を演じた異儀田夏葉は若い役者ですが、なににも動じない、どっしりと皆に目を配るというまさにザ・母親をきっちり。祖父を演じた永山智啓は出落ちっぽく顔に「描いたり」していますが、間合いやとぼけた感じだったりと実にいい味わい。自転車の変速機の段数という一つの尺度だけでひたすらに話を進めたりするちぐはぐさがおもしろい。

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2012.11.26

【芝居】「行方不明」ブラジル

2012.11.23 14:00 [CoRich]

ブラジルの新作、110分。25日までRED/THEATER。

妊娠する妻のため、ブラックな編集プロダクションで理不尽な仕打ちを受けながらも懸命に働く男。しかしその理不尽さにキレて会社を辞めて帰宅すると妻は若い男と浮気の最中で、妻は悪びれるでもなく、離婚を切り出しおなかの中の子供はこの浮気相手の子供なのだという。それまで何回も電話を受けていながらも、遠く離れていて会うこともなかった親友のことを思い出して、会いに行くが、もう何日も前から行方不明なのだと親友の妻が告げる。この街では何人もの人間が姿をくらまし、そして体の一部分だけが発見されているが、警察も何一つ手がかりがつかめない。その親友を捜しているのは、地元で喫茶店を営む男もまた、行方を探していて。

コメディのような始まり方をして、所々に笑いを挟みながらも、徐々に「人間が何人も消えている」というサスペンスのような味わいに。終幕に至り、人ならぬもの、といった具合にホラーの様相を呈しますが、実際のところその物語の驚き、という感じではありません。アタシにはどちらかというと、人と暮らしていくこと、生活を営むと云うこと、あるいは忘れられない人のことを「まっとうに」描いているのだと感じられます 愛してしまったのだから、相手が誰だったとしても、それがどんなに悲しく(少し怖い)ことだったとしても、愛する気持ちを貫かずにおられないということを実にまっすぐと

幸田尚子が、美しい妻、少し妖艶さを漂わせた女の二役。美しさゆえに男が逃れられないということに十分な説得力。若狭勝也は女がなびく優男、というのを新婚最初にくんずほぐれつの役というのも知り尽くされた役者ゆえという気がして楽しくて。櫻井智也は軽口を叩き翻弄されつつも、親友を探しづけるまっすぐさが実は良くて。 編集長を演じた哲人は完全にヒールだけれど、その嫌さ加減が凄い。

正直に言うと、少々登場人物が多く、そのわりには二役を担っていたりもしていて、その役者たちが小劇場的にはオールスターキャストといっていいほど贅沢な布陣だというのは少々もったいない気がしないでもありません。

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2012.11.19

【芝居】「ご無沙汰してます。」(A) ホントに、月刊「根本宗子」

2012.11.18 19:00 [CoRich]

小さな空間で週末のみの公演を毎月続ける企画公演、トレンディドラマをぎゅっと濃縮する40分。 チームAは23日昼まで四谷三丁目・バー夢。23夜からのチームBはキャスト以外に物語も変える予定のようです。チームAは23日まで。そのあと12月2日までチームBの公演を予定。バー・夢。 この場所では初めての対面客席ですが、どちらかというと入り口から遠い側の奥、ベッドやピアノの椅子に座った様子が見えそうなところを狙うべし(前説でも勧めています)。

部屋で寝ている男、目覚ましは鳴るが男は起きず、傍らの女はずっと男を見ている。熊本への転勤初日なのだが、もう飛行機には間に合わない。男は怒り、女はツレなくして果たして二人は喧嘩してしまう。もう次はいつ会えるのかわからないのに。

たった六年前のトレンディドラマをモチーフにしながらも、あれよりはずっと経済的に駄目なことになった日本で、身の丈な感じで、しかもほぼ一部屋の中だけですすみ、物語の大半は朝の数十分の出来事という密度。正直に言えば、アタシはこのドラマは名前だけは知っていても物語の骨組みすらも知らないので、ぴんとはこないのです。(男女七人だとか、まあせめて東京ラブストーリーぐらいならなんとか←古い)。あるいは恋人たちが暮らし、喧嘩するということの経験がないというアタシの経験の薄っぺらさも(泣)

コメディの行き着いた先、というわりには爆笑編にならないのはたぶん元ネタを知らないアタシだからという気はします(作家と同じぐらいの世代の女性は受けてるし)。1クールを圧縮とはいっていますが、実は最終回拡大スペシャル(これまでのこととか、数ヶ月後の終幕など)のような体裁だとも思うのです。たった二人のミニマムな物語の楽しさはこの空間にあっていると思うのです。

先月までの公演では劇団員ネタで圧巻の印象だった梨木智香は今作にいたり、ドラマのヒロイン。お姉さんな恋人も、可愛らしさも、笑わせることも、切なさもぎゅっとぎゅっと濃縮して体現していて、さまざまな引き出しを印象に残すのです。キャスト交代で男を演じた飯田征寛は若く、ちょっとちゃらいけれど一途な男を好演しています。

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【芝居】「よわくてやわらかくてつよい生き物」うさぎ庵

2012.11.18 16:00 [CoRich]

年齢を重ねた30代以上にこそ観てほしい手触りで切なさが迫る90分。25日までアトリエ春風舎。

医者を訪れる男。医者に自分が妊娠したのだと告げる。学生の頃の漫才サークルで出会い、就職し、子供を苦手だと思って作らないまま過ごしてきたのだという。医者はもちろん信じられないが、男は妊娠したのだといってきかないので診察することにする。

現実には漫才師にはならなかった二人の時間と時代の歩みをきっちり丁寧にすりあわせるように進みます。東北新幹線の盛岡開通からバブルの塔と揶揄される都庁、携帯電話など時代の流れを丁寧に描きます。正直にいえば、初日時点ではその膨大な断片の羅列という作り方ゆえに役者が手こずっている感が残るのは残念ですが、まあ、漫才のゆるい場面だから実は大きな問題ではない気もします。

仲が悪いわけではないけれど、何かをやり残してしまったような気持ち、申し訳ないと思うような気持ち。その切実さは傍目には時に唐突でおかしなものだけれど、(夫婦というステージにすら到達してない)アタシにはその切なさの本当のところは判らないのかもしれません。が、世代が近く描かれていることもあって、切なさは感じることができる気がするのです。

年齢を重ねた女性の作家ゆえに行き届いている感じがあって、たとえば育児休暇、アグネス論争など、女性の生き方に影響を与えたことの取り上げ方の丁寧さ、あるいは隣人である母親と赤ん坊をみて女性が感じる何とも言えない気持ちのもやもやの描き方も(作家自身がどう感じているかは別にして)そう感じそうだ、と思わせる説得力があるのです。 あるいは性同一性障害かの判定テストの質問項目のおかしさにも鋭くつっこむあたり(音楽や英語が好きならば女性に近いというような)も信用できるよなぁと思うのです。

夫を演じた大塚洋は生真面目に見える風貌ゆえに、この突拍子もない話が嘘や冗談ではないということに説得力を与えます。妻を演じた坪井志展は医師の生真面目さとの行き来の自在さが物語の構造を支えます。

ネタバレかも

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【芝居】「地響き立てて嘘をつく」ガレキの太鼓

2012.11.17 19:30 [CoRich]

ガレキの太鼓の劇場本公演。一人の女の成長と、人類の歴史を対比させて描く歴史エンタメ95分。21日まで、こまばアゴラ劇場。

子供が産まれた。そのあと、女の子が産まれる。小さい頃は男も女も関係なくて、無邪気に奔放に遊んでいるけれど、女の子は急に大人びて、男を意識したりし始める、それが平安時代。カッコいいちょっとワルい男に惚れてみたり、失恋を重ねたり、女の子は成長し、人類も成長し。

女の子の二十歳ぐらいまでの人生を、主に恋愛とか性といったものを主軸に、人類の縄文時代から現代への流れに重ね合わせるというワンアイディア。1歳=1世紀という早送りで対比でみせる大胆な省略だから、人類のどの部分を切り出して描くかが一定しなかったり、やや無理矢理感がなくはないのだけれど、95分と比較的短いこと、キャストを固定せず、バラエティにとんだ役者が、舞台上で着替えながら、時にコミカルに作り上げていくというある種のイキオイも手伝って、見続けさせてしまう仕上がりに。

さあちゃん、と呼ばれる女の子、ムサシと呼ばれる男の子の幼なじみ。物心つくまでは家族だけ関係が幼なじみに広がる4歳ぐらいから、歴史に沿うように進むものがたり。無邪気な「いちゃいちゃ」で実は男も女もない子供の頃から、8歳ぐらいになって急に「女の子」になって「恥ずかしさ」が出てきて、顔すらみせてくれなくなる時代を平安の貴族の歌の交換になぞってみたり、ちょっとワルそうでカッコよく夢を語る男に惚れる16歳の高校生ぐらいを、戦国時代の強さが価値基準だったことにしたり、17歳の自由な感じ、18歳の芸術に憧れる感じ、19歳で風俗で働くことになるのが文明開化だったりと、人々と色恋の歩みを見せる感じにするのは確かに一つの切り取り方でちょっと面白い。

正直に言えば、ワンアイディアで乗り切るには、少々無理を感じなくはないのですが、それでも着眼点のおもしろさは印象に残ります。あるいは男をずっと一途なもの、女を奔放であちこちにいってしまうものという描き方をしているのもどこか作家らしい感じがしてアタシは結構好きだったりします。

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【芝居】「世界を終えるための、アイ」タカハ劇団

2012.11.17 18:00 {CoRich]

板倉チヒロの一人芝居。1月に予定されている本公演との連作企画。35分。19日までエビス駅前バー。

膨大な知識をもとに何が美しいかを判定し、人々を導く機械。人々は端末でこの機械からの提案を受けて行動を決めている。何の不安もないままに日常はすぎている。ある日、端末への一斉アップデートが実行される。

デザインされたスーツ姿で現れた板倉チヒロは、「美しいものを判定するコンピュータ」と「その端末を使って行動し、結婚当日を迎えた男」の二人を演じ分けます。中央のマザーコンピュータで行動原理を決め、スマホのような端末で人々が行動する、という少々ダークめいたSF風味。テーブルの上に置かれたオセロゲームはまるでデジタルの0と1を表すかのように、象徴的に使われます。

笑いにつながる部分はほとんど使わず、コンピュータの部分はひたすらクールに、男の部分はもう少し軽いけれど一途さで。人間が完全に端末に頼り切っているというのは、確かにダークな感じ(一斉のアップデートを無邪気に受け入れると翌日からは新しい行動原理にすりかわる、というあたりは特に)ではあるのだけれど、作家はそのダークさを根底に描きながらも、ひたすら一途に美しさを追い求め続けたコンピュータの姿とその退場の姿を丁寧に描くのです。それでも「残ったタスク」として美しい音の追求を続ける姿は自閉しているとも言えるけれど、気高さすら感じさせるのです。

この語り口に入り口の時点で入り込めるかどうかで印象はずいぶん違ってしまう気はします。がっつりSFのような語り口は今までの作家の雰囲気とはずいぶん異なります。脚本で参加しているアニメにどこか雰囲気が似ている気もします。

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【芝居】「Picnic(ピクニック)」のむらんぷ

2012.11.17 14:00 [CoRich]

当日パンフによれば再演のようですが、アタシは劇団を拝見するの自体が初めてです。20日までTheater&Company COREDO。1ドリンク付き。

バスの待合らしい場所、スリとその師匠、カモを狙っていたりする。すっかり寝入っている若い男に目を付けたスリはまんまとお目当てを手に入れた瞬間、赤ん坊の泣き声が響きわたる。親は居ないようだ「ターミナル」
卒業式直後、陸上部は着替えて最後に走る伝統。ジャージ姿の女が誰も居ない部室で着替えられた詰め襟を探っている。後からやってきたセーラー服の女は堂々と抜き取っている「ボタン」
三年の結婚生活に終わりを告げて出て行く男。朝食ぐらい食べていけば、と声をかける妻。そこにばたばたと降りてきたのは卒業式を迎えた娘「ベルリン」

「ターミナル」は若い男のほんの少しの勇気の後押しをするのが、世間からは褒められたものではない仕事をしている二人という一点突破。スリの男と師匠の軽妙な語り口を重ねつつ。一途に優しく、ファンタジーともいえるような一編。

「ボタン」は不器用で陸上一筋、片思いから進めないままの女と、少しばかり「進んで」いて、卒業生の第二ボタンを集めて売ろうと考える卒業生女子二人の会話。それぞれが秘めた一途な気持ちを持っているけれど、その現れ方は対照的で、一人はひたすら秘め続けていて、一人は他の「ノイズ」のように重ねた多くの言葉の奥にある秘めたもの。おそらくは一人の男に対する二人の女の恋心、互いに好きだということはわかっていないけれど、男はその片方に恋心だけれどその男の想いを知っているのは思われていない女、という構図なのかなと思う終盤、追いかけきれなかったあたしは残念。「かけるなら命じゃなくてお金にしてよ」という台詞がちょっといい。

「ベルリン」は連れ添った夫婦の別れ話というだけならよくある感じではあるのだけれど、そこに高校生の娘という三極めを入れることで広がる会話。本当にいやになった結果なんかではなくて、別れたくない気持ちいっぱいなのに、ここに家族でいることが才能の限界のいいわけにしてほしくない、という妻、不本意ながら従う夫、口ではいろいろキツいこともいいながらも、思春期の3年を過ごしたことの想いは深い娘。大きな話題が起こるわけではなくて、離婚や卒業式という節目ではあっても、語られることは、その想いの一点突破で、物語としてうねりを生まないことを物足りなく感じる向きもありましょうが、その雰囲気を楽しむのだよなぁと思ったりもするのです。

夫を演じた澤唯、妻を演じた土谷朋子が圧巻の安定感、彼らを多く観ているということもあるかもしれないけれどこういう夫婦が本当に居そう、という雰囲気がじつによくて。

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2012.11.17

【芝居】「こんばんは、父さん」二兎社

2012.11.12 19:00 [CoRich]

埼玉、愛知、滋賀、東京、愛知を経て13日までまつもと市民芸術館・実験劇場。そのあと神奈川、茨城、新潟、岩手、大阪、三重、福岡。105分。

廃工場に忍び込む老人。つけてきた男はヤミ金融の取り立てだった。もう利子だけでもずいぶんになっていて、返すアテはない。取り立ては気立て優しく、ギリギリまで待っていたが、このまま手ぶらで帰るわけにはいかない。成績が思わしくないと厳しい研修に送り込まれてしまうのだ。老人は、会社員で出世している息子は10年も会っていないが、きっと返してくれるだろうと漏らす。取り立ての男は電話をするが。

書く女」からですから、ずいぶん拝見していませんでした。松本での公演も重ねてきたようですが、アタシは松本で拝見するのは初めて。月曜夜だというのに満員の客席。終演後のトークショーにも大勢残っています。

右肩上がりだった頃、ここで暮らしていた親子が再会した廃工場。工場を持って職人として一流だった父親と、その親会社に就職して早くに出世に乗ったはずだった息子。盛況だったころには、家族はバラバラで母親は強い孤独を感じていたけれど誰も問題だと思っていなくて。果たしてバブルははじけ、失われた10年はとうに過ぎ、定職は失い、短期の派遣労働で食いつなぐようになっている二人なのだという背景は物語がずいぶん進んでから判ります。戦後の日本が右肩上がりに成長し、子供たちは不自由なく育てたいという考える親心が積み重ねてきたもの、そこに置き去りにされたもの、あるいは成長を享受した世代なのに転落しているということ。あるいはバブルの後に生まれ、経済的に立ちゆかなくなりつつある日本しか知らない若者。たった三人で演じられる物語の中に、私たちが歩んできた戦後の日本の暮らしも経済も人の想いも無理なく、しかもぎゅっと濃い密度で詰め込んでしまう作家の圧巻の力量。

物語の背景は深刻だけれど、その一本調子にならないというのは圧倒的に見やすいのです。ときにロードムービー風に共通の敵に立ち向かおうとしてみたり、かつての繁栄したころの姿を少々コミカルに混ぜてみたりと、飽きないシーンも本当に多いのです。

いまは亡き母親(妻)は役としては出てこないのだけれど、工場の活気の中、あるいは一人家でテレビを観る寂しさなど、経済成長のころ(「エキスポ」にも似てる気がする) の家庭とか妻のありかたのようなものを通して、母親が見えるよう。

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【芝居】「傷は浅いぞ」柿喰う客

2012.11.17:00 [CoRich]

リバイバルプロジェクトとして、5年ぶり再演(初演 )。85分。11日まで東京タワー・フットタウン1F特設ステージのあと岡山での公演が予定されています。

メインの深谷由梨香以外の3人のキャストを若手に差し替えての再演。 初演とほぼおなじ体裁、斜めに切り落とされた大きな円柱の切り口が舞台。斜度がきつい八百屋舞台で、終演後に設定されたトークショーによれば人の生き様をスポットライトのように切り取るという意味の円形なのだそう。確かにいわれてみれば、芸能界を舞台にした生き様という「舞台」に上がる人々を描いているわけで、効果的な感じがします。更に東京タワーのお膝元、まあ芸能界に近い場所だというのもいいなと思うのです。

正直にいえば、天井が決して低くはないこの開場では出入りが少々ぎこちなくなるところは残念な感じがしないでもないのですが、それでも物語の強いテンションと、イキオイのようなもので一気に観せてしまう力は健在。今でもその片鱗はありますが、早口でまくし立てる強いテンションの芝居という意味で「つか芝居」っぽいという意味ではおそらく彼らのレパートリーの中でも随一。台詞ひとつひとつの重さではなくて、薄っぺらい台詞を大量に重ねて3Dプリンターのように厚みを作り出したり、現実とは乖離したフィクションとしての登場人物の切実さが核になるなど、つか芝居との違いもたくさんあります。

若い役者にはこういう芝居、実にプラスに働くのだよなぁと思ったりもします。この規模の舞台となるとそれなりに費用もかかりましょうが、芝居そのものの本質は、何もない素舞台でも堪能出来そうで、4人構成というミニマムということとあわせて、あちこちに持ち運び、ほんとに若い人々に観て欲しいなぁ。古い人にはつか芝居っぽい手触りと思えても、若い人だとまた違う印象かも知れない、と思ったりもするのです。(と、松本に来てくれないかとぼんやり思ったり思わなかったり(笑))

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【芝居】「エキスポ」ハイリンド

2012.11.11 14:00 [CoRich]

中島淳彦の描く人情喜劇を役者集団、ハイリンドの上演で。11日までd-倉庫。115分。アタシの観た千秋楽は満員の大盛況でした。アタシはこの戯曲は初見。

九州・宮崎の田舎町。昼は食堂、夜は連れ込み旅館で働くしっかり者だった母親を亡くした通夜。近所の人も見慣れない顔も集まっている。母親は働きづめで一家を支えていたが、そのせいか夫も息子も怠け癖がついていて頼りない。上の娘は出戻りだし、下の娘はどうにも愛想がないしこの土地の田舎臭さを嫌っている。結局息子の嫁が葬儀の手配も財布も仕切っている。
妻を寝取られた男が金を無心に訪れたり、元夫が出戻ってきている女のことを訪ねてきたり、どこの誰かわからない人が紛れ込んだりしている。親しい旅行代理店の男が、亡くなった母親が5人分の大阪万博のツアーを申し込んでいたのだと云いにくる。

大阪万博の年、まだ地域のしがらみが色濃くて東京という場所が今よりもずっとずっと遠い頃の宮崎の田舎町。そんな田舎の様子が嫌だという東京への憧れだったり、あるいはこの土地を離れたくない(あるいは離れられない)という強い想いだったり、嫁として居ることの取り仕切りだったり。そういう社会との関わりという意味では、その骨格を作るのは女性の登場人物たちに割り当てられているのが特徴的。男たちはどちらかというと、もっと脳天気なキャラクタで、よだきんぼ(めんどくさがりや)の、しかし愛すべき人々として描かれます。それを支えていたのは昼も夜も働きづめで、しかも誰も好かれていてという母親の姿。彼女自身が物語に登場することはありませんが、葬儀にどれだけの人が訪れるかが生前の生き様なのだということが描かれています。

終幕、全体を覆う鯨幕が一瞬にしてスクリーンになって万博の様子が写されます。亡くなった母親が代理店に申し込んでいた万博に、この家族が行き、インタビューを受けた父親の胸に妻の骨が、という終幕のシーン、舞台全体を覆う画像に埋もれるように見える家族たち、万博の会場に行った様子がありありと浮かぶようで、強い強い印象を残すのです。

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【芝居】「震災タクシー」渡辺源四郎商店

2012.11.10 19:30 [CoRich]

くらもちひろゆき、畑澤聖悟、工藤千夏という三人の作家によって物語を作り出すという試みの合同公演。11日までアゴラ。75分。

盛岡から仙台を経ていわきに向かう列車に乗っている作家。突然起きた大きな地震で列車は復旧のめどが立たない。家族の無事は携帯で確認できて、それほど大事になるとは思わず、仕事先に向かうことにする。駅前でタクシーを捕まえ、乗り合わせる人を募って、いわきに向かう。

作家三人による共同執筆の形をとる合同公演。トークショーによれば、公演自体は震災前から企画されていたものだそうで、震災を経て作家のひとり、くらもちひろゆきが体験した震災当日の出来事を元にしながらも、ほぼ片道のロードムービー風に大部分をあて、帰宅してからの家族との姿などを描いて三人の作家が肉付け・書き直しをしながらつくりあげたとのこと。

トークショーでも語られたけれど、東北とひとくくりにされ、確かに被災県ではあるけれど、被災者とはいえない人々の話。深刻な事態(福島第一原発のことなどは実体験ではなくて、近くを通ったな、ということを元にした創作のようですが)を交えながらも、直接の被災じゃないこと、あるいは深刻な事態がまだ起きていることに気づいていないことから、日常を歩んでいたのだということをを淡々と描きます。劇中でも「不謹慎かもしれないけれど」と断りながら、そのちょっとした非日常が楽しかったと振り返るさまは、実際のところ、作家の実感だろうとも思うのです。

アタシ自身も、あの日に同僚の車に乗せてもらって4人乗りで東京に向かう長距離移動を経験しています。地割れやフクイチこそ目撃はしてないし、ラジオやテレビやネットを見ながらの移動でしたからそれほど何も知らないというわけじゃないけれど、それでもあの日はまだ、ここまで後を引く深刻な事態というのはまだ感じていなかった、という点では同じように感じていたと思うのです。 たとえば街が停電で真っ暗になっていたり、たいへんな渋滞になっていたりというアタシの体験に本作は重なって感じられるのです。あのときをどう過ごしていたかによって、受け取る感じはずいぶん違う気がしますが、少なくともアタシにはどこかリーチする人々の姿なのです。

唐突に物語にわりこむ「走る人の姿」としてのメロス、東北だしね、ということのようだし、畑澤聖悟 のはじけっぷり(冒頭の駅員も絶品)は少々卑怯な気はするものの楽しさいっぱい。ただ、確かに唐突な感じではあります。

タクシードライバーを演じた加藤隆が仕事をきっちりこなすプロドライバーの姿をいい味わいで。三上晴佳はいままでどうしても極端に若い役など飛び道具的な役が多かったのだけれど、結婚したい男に言い寄られて普通に困り、普通にいなす、大人の女性の役をきっちり。舞台でこういう大人の役を拝見したのは初めてな気がしますが、下世話な云い方をすれば、実にいいオンナになったなぁと勝手に感慨だったりもするのです。 それに代わって、というわけではないとは思いますが、正体不明な子供を演じた音喜多咲子も大学生なんだけれど、小学生でも中学生でも高校生でもなんとかなっちゃうという役をきっちりと。

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【芝居】「おじクロ」ラッパ屋

2012.11.10 14:00 [CoRich]

ずいぶん久しぶりに拝見する気がします。120分。18日まで紀伊國屋ホール。

町工場、親友だった二人は社長と副社長になっている。副社長の家はもともと広くて、会社の社員寮にしている。副社長の娘は独り暮らしていたが戻ってきているが、デザインの仕事で一度叱られてから会社に行っていなくて、取引先の男が見舞いに訪れたりしている。
近所の工場も会社を辞めていたりする。この工場にも景気の荒波は否応なく押し寄せてきている。

ずいぶん久しぶりに拝見したので、最近の様子はわからないのだけれど、アタシにとってラッパ屋といえばバブルの余韻がのこるような、つまり90年代後半からの雰囲気を存分に、という印象の劇団。役者だって年齢を重ねていて、この国だってずいぶんと厳しくなりつづけていて、ということを背景にしているのは珍しい感じがします。それでも、格好良くはないオジサンががんばってみたり、遠い日の花火じゃなく、中年の恋心とかがブレンドされているのはやっぱり彼ららしいなと思ったりもするのです。

アタシにとってのももクロは、サブカルチャーに近い人々がそれはそれは熱狂的に押していて、という傍観者に感じているもので、その熱狂する当事者としての意識はありません。 本作、実際のところももクロというコンテンツゆえに成立しているということはあって、それが「どういう捉えられかたをすべきなのか」ということを懇切丁寧に描くのは、どちらかというと門外漢のアタシには嬉しい配慮。丁寧な説明は、たとえば友達が呑み屋で熱狂的に好きな何かについて語ってくれる話を聞いているような楽しさがあります。

反面、物語の骨組みとなるべき登場人物を描く部分が相対的に少なくなってしまってる感があるのは痛し痒し。もっともっと味わい深い人々に思えるだけにもったいない気もします。ここまで世間のなにかに依存した物語というのはどうなんだろう、と思ったりもしますし、家族を描くことが多くて時代そのものに載ったような感じではない作品が多い印象があるラッパ屋の中では珍しい気もします。それゆえに、たしかにこの旬でしか作れないもので、それに今の私たちの暮らしの中で感じることがしっかりと組み込まれていると思うのです。

俵木藤汰が演じた町工場のオヤジの二代目は、風情が実にそれらしく、奥深くてずっと観ていたいような味わいがあります。その親友を演じたおかやまはじめも、どこまでも優しく、どこまでも可愛らしく、おおらかな人物の造型がきっちり。一人暮らしをするために一度家を出たけれど会社に行けなくなって出戻ってきた娘を演じた三鴨絵里子。もちろん物語をきっちり支えているのだけれど、露出が多い訳ではないのに、ボディラインに今更ながらちょっと釘付け。見切れとして案内された席がかなり前方だったのもあって、ちょっとすごい。もうね(以下略)。

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2012.11.09

【芝居】「オーラルメソッド2」シンクロ少女

2012.11.4 19:00 [CoRich]

ごくごく小さいギャラリースペースで、10人弱という規模のミニマムな公演。 90分。東中野レンタルスペース。

もう5年も会っていなかった3人の兄弟たち。長男の提案でインドに移住した母親を探しに列車に乗る「ダージリン急行
3人の女たち、鍋をつつき盛り上がる。一人は最近恋人ができたばかり。一人は長くつきあっている恋人が居るが、ときめきはおろかなかなか彼がかまってくれなくて「おなかが空いて」仕方がない。一人はまったく恋人ができないといっているが、最近好きになった人が居るのに、他の二人に話すことができない「オーラルメソッド2」

「ダージリン〜」は男三人のロードムービーをもとに翻案。アタシは映画未見ですが、YouTubeにある予告編の雰囲気はまさにこのギャラリーで観たものなのです。インドを放浪して戻ってこなくなってしまう人が多いし、帰ってきてもずいぶん影響されてくるというのはよく訊く話(インドじゃないけれど青年団「冒険王」がまさにそんな雰囲気)で、そういう「スピリチュアル」な場所を旅して変化していくということなのか、不思議な雰囲気をもった映画のように思います。(なんせ予告編でも「スピリチュアル・ジャーニー」だ)。

前半のばかばかしいことで喧嘩している感じはある種の中二っぽい感じがでちょっと面白い。なんかスピリチュアルなものを大まじめにやってるのか小馬鹿にしてるような感じなのかの微妙なバランスにちょっと居心地悪いような、面白いような。

正直に云って、作家がなぜこれを芝居にしたいとおもったかは判らないし、芝居に向いている題材ともあまり思えませんが、その挑戦する心意気、買いたいのです。

「オーラルメソッド2」は この座組の役者名そのまま、この狭い座組の中で誰と誰がつきあってて、浮気してというごくごく狭い(おそらくは創作)世界の人々で回っている赤裸々っぽい物語。まさに「オーラル」でのシーン、 ゆで卵を食べること、殻をむき、相手の口に押し当てるということが文字通りに「エロ」くて、実に印象的。

だけれども、たとえば会ってカラダをふれ合わさずには居られない気持ちだったり、好きな人が居るのに他人には云えなくて、当の本人に会ってすらも、急速には先に進めない乙女な感じだったり、あるいは浮気されているのがわかっているのに、それでもその人にここに居て欲しいという気持ち。愛というよりは、愛にまつわる「自分の気持ち」を実は冷静に見つめて描き出していて、それゆえにきゅんとする気持ちが濃厚にアタシに伝わってくるのです。

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2012.11.07

【芝居】「完全版・人間失格」DULL-COLORED POP

2012.11.4 14:00 {CoRich]

よく考えてみれば、アタシ「人間失格」ちゃんと読んだことないままでした。7日まで青山円形劇場。120分。

恥ずかしい話ですが、実はアタシ、人間失格を読まずに人生ここまで来てしまいました。予習もせずに臨んでみれば、面白さにあふれる枠組みだとおもってわくわくと観たのだけれど、青空文庫で流し読んでみれば、たとえば作家が訊いて回ったのだということなど枠組みの面白さ自体も原作にあるのだとういうことに驚きます。

青山円形劇場という場所では数多くの芝居を見てきたけれど、おそらくどこから観ても対等な感じで見られるというものはそう多くはありません。完全円形を前提に作られたMOTHERのジャンキースクエアやプラシーボデパートや、長年かけて熟成してきたア・ラ・カルトは別格ですが、はじめての演出で、円形という場所を熟知しているかのように使いこなす演出に唸ります。セットを作り込まず、舞台上から落とすもの、持ち込む物をばらに舞台の上に「散らかす」ことも巧く働いている気がします。

それにしても、女にモテるという葉蔵のキャラクタ故か、女優たちがそれぞれの女たちを演じるシーンの眼福といったらないのです。このシーンの音楽がことごとくバブルな時代の雰囲気の音楽だというのも面白い。商売女を演じた堀川炎の匂い立ちからみつくような色気、あるいは川村沙也のワンピース姿に見える無垢な感じをはじめとして女優たちのそれぞれのシーンは脳味噌が喜んでいるのを感じます。とりわけ、丸の内の女(つまりはOL風のシャツと黒いタイトスカート)を演じた堀奈津美はYシャツ姿といい、スカート姿といい、圧巻の破壊力、ましや肘をたてて寝ころぶなど、(アタシにとっては)致死量に至ります。

アタシが観た女性版は葉蔵をフリーになったコロと塚越健一が演じています。コロという役者の男っぽく見える格好良さ(序盤で父親が買ってこようとするおみやげがサッカーにまつわるものというのも気が利いています)もさることながら、笑い顔がどこかぎこちなく仮面のような笑顔というある種の堅さの説得力が凄いのです(本当の彼女がどうなのかは知る由もありませんが)

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【芝居】「否定されたくてする質問」箱庭円舞曲

2012.11.19:00 [CoRich]

仕事をする人々を描かせたら、アタシはもっとも信用する作家の一人です。初めての再演とか。 11日まで駅前劇場。120分。

マンションを仕事場にシェアしている漫画家たち。週刊誌に連載してる美容師対決ものは原作と作画の二人担当だが、完全に分業していて互いの仕事には口を出さないことになっている。エロマンガの月刊誌にアラサー女子の日常という四コマを連載している作家は担当が変わってからエロもオチもない作品についての締め付けが厳しく悩んでいる。アシスタントもシェアすることになっているが、忙しい週刊連載の方は優秀なアシスタントがほぼ専業になっていて、使い物にならない上に仕事にも熱心でない男はなぜか四コマの漫画家に好意を寄せていてそちらにばかりかまけている
週刊の方はもう数週間も対決の結末を引き延ばしていて、いよいよ話を進めなくてはいけなくなった原作担当だが、妹が夫から逃れてこのマンションに転がり込んできた。四コマの担当編集はこのままでは数週間で打ち切りだと宣告する。

再演とはいいながら初演(アタシは未見)とはほぼ書き換えているとのこと、訊いてみれば初演は(劇中で語られている)別れて出て行った女との話だったと云います。つまり、再演は続編のようにつくってあるようです。どちらにしても、物語の骨子として描かれていることはたぶん変わらない気がします。

作り出せる人が(自分のものとはいえ)アイディアを安易に再利用すること、あるいはそれを見つけるべき編集者が見つけられないことというクリエータとその周辺に対して相当に厳しいことを云う矜持がカッコイイ、あるいはパクリじゃない物語なんてものはそうそう存在しないというもう一つの説得力のある考え方も提示されたりして頭のなかでかき混ぜる感じなのが楽しい。

それにしても、箱庭に寄せるアタシの全幅の信頼はどうなんだろうと思わなくはないのです。芝居に限らずさまざまなクリエーターたちの現場を描く芝居はたくさんあるけれど、その対立軸(今作でいえば編集者)の側の事情ではなくて、双方の矜持(拘る点、と言い換えてもいいかもしれない)をきっちり描くのが実に爽快なのです。これはある種のファンタジーだし、編集と作家のこういう関係がリアルかどうかはアタシには知る由もありませんから、観る人によって印象は変わる気がします。会話劇に見えて、音楽も含めた全体としては実は地味だけれどめいっぱいエンタメなんじゃないか、と思うのです。

正直に言えば、物語全体の枠組みに対して、妹の物語を「フクシマ」に絡めるのは唐突な感じがしないといえば嘘になります。が、作家が福島に生まれ育ったゆえに、忘れられそうになっている今だからこそ描かずにはおれないという切実さを感じてならないのです。。

アラサー女子を演じた片桐はづきのはじけた感じの可愛らしさがすてき。白石廿日はちゃんと認識したのははじめてだけれど、可愛らしい新人かと思えば、(ゆとり、と揶揄されがちな)バランス感覚の欠如っぷりをきっちり紡ぐ強みを感じます。原作者を演じた小野哲史はその向こう側に(この芝居の)作家の姿が見えるようで格好良くて、それを叱る編集を演じた爺隠才蔵もまた、この二人で応酬する会話の凄みなのです。

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2012.11.06

【芝居】「愛のゆくえ(仮)」(A)アンファンテリブル

2012.11.3 17:00 [CoRich]

トライアルを数度重ねての、男女の濃密な二人芝居、キャスト・演出を変えた3バージョンでの上演(予告)。アタシはAだけでした。70分。4日まで上野ストアハウス。同タイトルの映画も上演されます。 アパートにすむ男のところに別れた妻が尋ねてくる。男の弟である今の夫の行方がわからず、ここに来ていないかと探しに来のだ。弟はいないと告げる男だったが、女は帰らない。ビールを空け、昔のこと、悪い結婚ではなかったと話をはじめる。

アパートの一室、本棚は倒れ、段ボールは積んである暑苦しさ満載の雰囲気。夏の暑苦しい夕方(に見える)、尋ねてくる女(前川麻子)。男(瀧川英次)は握っていた包丁を冷蔵庫に隠し、元の妻を向かい入れる。女は夫を捜しに来というけれど、別れたはずの前夫のほうがむしろ良かった、という雰囲気に。むんと立ちこめるような女の色気の凄さ。前川麻子(wikipedia-うわ、同い年だ)という女優については実はよく知らないし、ちゃんと見続けているわけではないのだけれど、実に可愛らしくもあり、色気もあって、とても印象に残るのです(上手端に座ってしまってあまり観られないのが残念すぎる)

駆け引きというのとも騙しあいというのとも違って、通じ合う気持ち、通じ合わない気持ちが交差するだけの場所、しかし別れがたい感じの、複雑に匂い立つこの感じは何なのだろう。おなじ歳だけれど、作家が過ごしてきた時間と、アタシの間にはもう、本当にまったく違った時間が流れていたのだろうなと痛切に感じる、濃密な男女の物語なのです。

弟をバラバラに切り刻んだか、と思わせる物語の骨格なのだけれど、終幕では押し入れから物音が。この先に残忍な悲劇が待つのかもしれない、道具を買うといって出て行った女は帰ってこないかもしれない、といろんなものが入り交じった余韻が印象的です。

映画では「平田信の」という予告が流れていたりするけれど、少なくとも芝居はそういう感じではありません。それに縛られて見てしまったのはアタシの不覚。

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【芝居】「タカラレ六郎の仇討ち」青年座

2012.11.3 14:00 [CoRich]

中島淳彦が青年座に書き下ろし。125分。4日まで紀伊國屋ホール。

シナリオ作家の六郎が自殺した。悲しむ役者、スタッフたちだが、すでに映画は斜陽産業の兆しの時代、六郎の居た映画会社・東シネの役者やスタッフたちも仕事にあぶれている者がおおく、会社はスタジオを大手・東活に売る話もでている。東活は会社の存続を賭けて不動産事業やポルノ路線を明確に打ち出していて、その会社に六郎がこっそり持ち込んだシナリオは採用されなかったが、継ぎ接ぎにして盗用された映画が公開されていた。六郎の仇を討ちたいと考える。六郎を息子のように可愛がっていたアパートの大家もその仇討ちを手助けしたいと申し出る。スタジオの跡地に東活がたてようとしている東洋一のボウリング場と国道の間にある、アパートの土地がのどから手が出るほど欲しい東活を手玉に取ろうというのだ。

青年座の紀ノ国屋ならば客席の年齢は高め。三丁目の夕日のあの時代だけれど、もっと切実に映画という産業がまわらなくなった時代を背景に、日活を思わせるポルノや松竹を思わせる不動産部門、回らなくなった中小の映画会社といったものをちりばめながら物語は進みます。 もっとも決して若くないあたしにとってだって、映画の斜陽とかボウリング場の隆盛というのはもう少し上の世代のものだし、現場がどうだったかは知るよしもありませんが、 年齢を重ねた人々のノスタルジーにまみれた話と考える向きも、あるいは若い人々にとっての想像上の夢物語という感じにとらえる向きもありましょう。終幕近くの老女に見えている世界のように、これをファンタジーだと割り切ってもエンタメなのだけれど、それよりもう一つ前の時代があったのだ、ということを構造にしたのが新鮮な感じで面白いと感じるのです。

全体にヒールに描かれている、大手の不動産部長という「ボンボン」ですらも、(才能はないけれど)映画が撮りたくてしょうがない、ということが貫かれています。あるいはこの物語の黒幕となる老女にしても運転手をしている男にしても、それぞれの立場、時代によって思うところは違ってはいても、映画というものに対する格段の愛情にあふれています。それはノスタルジーに過ぎないのかも知れません。 産業構造の転換点に巻き込まれる人々の熱い物語は、たとえば日本の家電のありかた、なんていうアタシに身近なものでも同様の感じ。その懐かしさを嬉しいと感じてしまうというのは、きっとアタシも歳を取ったということなのでしょう。

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2012.11.02

【芝居】「トコトコトコロニカス」Godsound†Studioend

2012.10.28 17:00 [CoRich]

三島由紀夫の「サド公爵夫人」三幕の第一幕を、人形と役者が一体化するように演じる印象的な演出の65分。28日までD's。

女性たちが貞淑、道徳、肉欲、無邪気といったさまざまを女たちが演じる物語が持つ圧倒的なちからはあるのだけれど、それを度外視しても、印象の強い芝居なのです。顔とベールのような薄い布に棒を付けただけの人形と、それを持った黒衣の役者。足も手も役者のもので、動き、喋りながら演じるというのが圧巻の印象を残すのです。演劇祭のブログに写真(あ、一番最初の「炊き男くん」は出てきません(笑))があるのだけれど、こんなに明るくない場所の、雰囲気たっぷりの陰影のある舞台は凄みすら出てくるのです。

おそらく戯曲通りの台詞をきっちりと語る力がこの雰囲気と世界を支えています。決してアタシが得意なタイプの芝居ではありませんが、見続けてしまう魅力があるのです。今まで見たことある芝居だと、ク・ナウカの感じに近い印象なのです。

正直に云うと、前の芝居から2時間の時間をもてあましてしまって、メイン会場横の屋台で少々呑みすぎてしまったアタシは、途中が夢うつつだったりするのですが(すみません)、それは台詞の持つリズムの心地よさということもあるのではないか、と思うのです(と言い訳)。

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【芝居】「箱庭迷宮」幻想劇場◎経帷子

2012.10.28 14:00 [CoRich]

まつもと演劇祭皆勤、演劇実験室を名乗っていた劇団が昨年改名。60分。28日まで四柱神社。

  確かにここで彼と暮らしていた。両親と会おうと誘う女に男はつれない。女が一人で家の中に居ると、どこから入ってきたのか、音楽隊やイタコ、果ては浪人まで現れて煩くてかなわない。

テラヤマっぽさがふんだんに。それでも、祝祭感やギャグだったり、あるいは現在の私たちに身近な登場人物(まったくキャラクタ勝負みたいな役もあるのですが。)がいることで、圧倒的にみやすくなっています。テラヤマに根元があっても、時代の流れというのはあって、いくらでも芝居の観客が居るという東京とは違う規模の街で観客に向かい合うという覚悟。テラヤマに拘泥するばかりの芝居が数ある中、そのエッセンスを残しながらも、それを知らない若い観客に対しても見やすく、コントのようではあっても、丁寧に作り込んでいるのはきちんとリーチするのです。

結婚を望む女、それから逃げ続ける男。他人の幸せを見て不安になる女の心のなかを写すように、騒がしく楽しい感じになりたかったり、神にもすがりたい気持ちだったり、あるいはこの気持ちを解決してくれるヒーローが居てはくれないかという風に感じ取りました。こういう風だったらいいのにな、ということを箱庭としてつくること、そこに閉塞していく気持ち、私の安らぎの場所、という使い方が効果的です。

終幕、男と女の風景。開幕の時とおなじような会話だけれど、男は両親と会ってくれる、という。女の望むような結末にみえるけれども、これは決してハッピーエンドではないと感じさせるのです。最後のシーンで、女のニヤリとした表情がぞっとするほど。これは現実ではなく、もっともっと閉塞してしまった彼女の中のできごとだと感じられてならないのです。

女を演じた、きむらまさみの豊かな表情が印象的。ある意味賑やかしポジションだけれど、音楽隊を演じた廣田謙一(作演を兼ねる)、新谷聡は絶妙のテンションと間合いが楽しい。

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【芝居】「シックス・ストーリーズx2 ~ルームメイト募集中(B)」4LDK

2012.10.28 12:00 [CoRich]

2バージョンを交互上演、Butバージョンと名付けられたB公演。55分。28日まで信濃ギャラリー。

箱を膝に持ったまま、ずっと考え込む女、右脳と左脳が悩み始める。食うべきか食わざるべきか「カロリーメイト」(作・曽根原史乃)
あの猫型ロボットが突然動かなくなってからずっとのび太は動かそうと勉強をし続けている。あと少しなのだ、と呟く彼の頭は白髪になっていて「バイバイ!!ドラ○もん」(作・三井淳志)
娘が結婚式を迎える朝、早く出て行って、家には父と母が二人。母親は娘になぜ結婚したのかと訊かれた、と話し始める「真珠」(作・竹内淑子)
漫画家の仕事場に原稿を取りにやってきた編集部の男。机に向かっている女性と先週、合コンで会って以来の「再会」(作・椿宏尚)
高校生のサッカー、地区大会の決勝、ロッカールームで早朝、居られずに着てしまった選手ふたり。「ラストゲーム」(作・三井淳志)
昼下がり、車いすにのる老人、昼ご飯を食べたことも危うい。娘が北海道に行くか、と独り言のように相談を始めて「家族」(作・椿宏尚)

どちらも端に座ったアタシです。テーブルで対面という芝居が多いAに比べると、正面を向いている芝居の多いこちらの方が見やすい感じがします。

「カロリーメイト」は真ん中に一人座っている女が居るので、厳密な意味では三人芝居です。食欲についての脳内会議、カロリーとかメイトとか言葉について意味なく考えたり、ここで食べたら明日以降どうするとか、果てはカロリーメイトたちの物語を作ってしまったりと、抑えられない食欲ということが他人事ではないアタシには身につまされる感じもまた楽しく。

「バイバイ〜」は、のび太と猫型ロボットをめぐる最終回的な創作。誰もが知っている物語を前提に置きながら、ダメだったはずののび太が30年間努力し続けてきたということ、つまり彼の成長をきちんと描くいい話なのです。悲しい別れだけれど、再会できるんじゃないか、という余韻が優しい。曽根原史乃は出落ち感のあるキャラクタではあるけど、きっちり泣かせます。椿宏尚ものび太感が一杯なのです。もっとも、自分の人生を生きたら再会できる(=ちゃんとした人生を送れる)というこの着地点、原作に対比するとそれは違うだろう、というのは云わないのが吉なのです。

「真珠」は娘を送り出す夫婦の朝の会話。そこから始まる、どうして二人は結婚したのか、という思い出のこと、更に結婚記念日だから真珠を送るという着地点のまとまりが素敵なのです。どちらかというとこの両親たちの年齢の方が近くなってしまったけれど、こういう人が居ることもなく(泣)、アタシにとってはこれはファンタジーの世界なのですが、たぶん多くの人にリーチ出来る物語なのだろうと思います。

「再会」は合コンでの多少の見栄っ張りで別れてからの再会、いいなと互いに思っているけれど、この前の嘘が後ろめたいという感じ、それはある種の駆け引きで、どちらが先に本当のことを云うかというチキンゲームでもあるのです。全てがバレて幕切れというのもいい感じです。

「ラストゲーム」はアタシには縁遠いさわやかな高校スポーツの世界。勝負のことばかりじゃなくて、女の子にモテること至上というのも高校生らしいし、緩急がつくのもいいのです。地区大会の決勝だから、今日で終わり、とおもっていたけれどここで勝てばまだこの幸せが続くのだというのは素敵なのです。

「家族」は痴呆の進んだ老人と介護士の会話。介護士が始めた相談ではその意識がはっきりとするのです。娘のことが心から好きで気になっているとはいっても、さすがにこれほどまでにコントラストをつけるとファンタジーの領域。はっきりとは語られないけれど、介護士が娘なのだということも面白い感じがします。

それにしてもバラエティ溢れる12の物語、たった4人の役者の振れ幅の大きさに支えられて、どれもあたし好みに楽しめるのです。たとえばカフェ公演でも、あるいはバンドのライブのゲスト(というか、まあ、余興というか)でも成立しそうなポータブルな小さな芝居を数多く持っていると云うこと、たとえば松本以外の場所でやって新しい観客に出会うということもリスク少なく実現出来るのは彼らの強みだと思うのです。

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【芝居】「ヒコクMen!」シアターTRIBE

2012.10.27 20:00 [CoRich]

60分。28日まで四柱神社。

もう一回大きな地震があって、日本という国はあっさり、ずたずたになって壊れてしまう。水すら手に入れるのが難しく。居ても立ってもいられず先のことはあまり考えずに移動している男は、休憩するために入った公園で女子高生らしい女に出会う。男を陥れてまで水を手に入れようとする女の罠からやっとの思いで逃げた男は、自由のために新しい国を作るのだという男たちに連れられて「大日本第三帝国」に行くことにする。自由気ままな生活ができるというが、地主と名乗る女からは税金を巻き上げられたりしながらも、この国の人間となる。そこで高貴な女として祭り上げられていたのは、さっき公園で水を巻き上げた女子高生だった。

震災や近隣諸国との関係など、私たちが直面する現実の世界に着想を得ながらも、時にミリタリーっぽい格好良さだったり、時に中二っぽいというかなんというか愛おしい馬鹿馬鹿しさと不思議な手触りを持つ仕上がり。たとえば男と女子高生風のかみ合わない会話とか、国が無くなったらこれまでの税金ナシってことになるだろなとか、一つの物語にしながら、作家が感じたもしくは考えた何かの断片をぼやき漫才よろしく(いや、芝居の体裁はまったくそういうわけじゃないのだけど)紡いでいくように見えるのが、気楽に楽しめる仕上がりになっているという気もします。

襲われる叫んだり泣いたりとあの手この手で欲しい物を手に入れようとする女子高生風の若い故のワガママさと言いたい放題、それに巻き込まれ怪しまれるオジサン(とはいえ、彼だって十分若い)という感じの巻き込まれ型の会話。そういう目に遭ったわけでは無いけれど、女子高生目線に見えるオジサンってのはこうなんだろうなということが身につまされる感じが軽やかな序盤。巻き込まれる男を演じた山田和政の巻き込まれっぷりも、憎たらしいほど傍若無人なのに可愛らしさでしっかりとバランスする内河静夏の序盤の軽さが結構好きだったりします。

「大日本第三帝国」なる、あたらしい国で暮らす男たちは愛らしいほどにバカっぽくホモソーシャル感もしくは中二感の楽しさ。マドンナを囲んで盛り上がってしまう感じというか、隣国との争いにしたって銃をぶっ放してだったり、モテ期だったりさまざま。そうそう、こんな深刻な状態のはずなのに、男の子ってこういう感じ。若くはない、というよりは多分ほぼアタシの世代なのにこういうキャッキャした感じの楽しさもまた、作家の視線な感じ。

終幕は実にあっさりと、ホントに国が無くなってしまう感じ。これを物語の着地点としてとらえると、救われない感じではあるけれど、国というものを自覚するということの描き方なのかな、という気がします。

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【芝居】「編集室の亡霊(Aキャスト)」信州大学劇団山脈

2012.10.27 17:30 [CoRich]

信州大学の劇団、山脈(やまなみ)の公演。50分。28日まで上土ふれあいホール。予告されていなかったけれど、男女を入れ替えてのA/Bキャストでの公演。アタシが拝見したのはAキャストでした。

小さな編集プロダクションらしい編集室。作家や編集者が出入りしている。大出版社の新雑誌から特集企画で、ここに出入りしている作家を使いたいといい、盛り上がるが、〆切直前、作家の一人が行方不明になる。

しっかりだったりうっかりだったりな個性の編集者たちと、奔放な作家たち。優しく見守る編集長と、それをからかうような謎の女性。作家の失踪は編集者や作家たちが少し騒ぐけれど、編集長は悩み、見守り続けています。そう、失踪した作家が戻ってくるのは、たまたま出会った老人が自分の読者であったことを知り、「自分の作品を待っている人が居る」ということを初めて自覚して、ということなのです。そういう意味では自己完結しているだけともいえますし、周囲もそれを責めるでもなく、受け入れるといった具合で、ひたすらに優しい気持ちで包まれている物語なのです。

逃げ出したくなること、そこから逃げ出してしまうこと、自分(の作品)を受け入れてくれる人が居ると云うことが、コミュニティに復帰するということ。若い彼らが感じる挫折と復活は、物語にしてみると些細なさざ波にすぎないものになっているかもしれないけれど、身の丈にあった感覚で紡いでいるということだとも思うのです。

作家を力づける老女は客席の中から登場し、失踪中の作家に声をかけます。作家に対してこの老女が読者であるように、この舞台に向かい合う客席にいる私たちもまた、この舞台に対しての作家なのだということを明確に意識させて、ちょっとしゃれた感じもします。

正直に云えば、編集長を軽口でからかったりする「亡霊」がどういう存在なのか、ということが今ひとつぴんとこない感じはします。編集長のかつての本好きの仲間たちも挟まれるのだけれどこのあたりを幹となる物語にもっと寄り添わせることができたらな、と思ったりもするのです。

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【芝居】「ぱっとみて鯖」演劇裁縫室 ミシン

2012.10.27 16:00 {CoRich]

岡谷の劇団で、公演は松本で5年ほど打っているようですが、アタシは初めて拝見します。28日まで ピカデリーホール。60分。

スーパーの青果部で働く三十代の女。廃棄の野菜や時には魚までこっそり持ち帰える日々。恋人なんかいないけれど、頭の中でいつでも現れる彼との会話と、SFが大好き。そんな不思議でちょっと危ない彼女に同じスーパーで働くロックミュージシャン志望のカップルの男が惚れてしまう。家に上がり込んできたカップルの前に、スーパーから持ち帰ったサバが、恋人だと名乗って現れる。生でかじったサバに含まれていた生命体が女の身体に入り込んでいるのを中和するためにやってきたのだという。

あらすじだけでも無茶苦茶さに、映画や音楽、SFといった30歳代以上の男子には大好物なテイストてんこもりのナンセンスコメディ。中盤でカットバックされる(私でもわかる)E.T.やらバック・トゥ・ザ・フューチャーだけではなくて、スターウォーズ(逆さに持ったライトセーバーで足を痛っとやるのが絶妙)やらから、名前を聞いてもよくわからないSF作家に至るまで目一杯。コントよろしくこれでもかと詰め込んだ爆笑シーンの連続でともかく面白い、という感じ。今のような重厚路線が強く出るようになる前の軽薄な(褒め言葉)ナイロン100℃や、後藤ひろひと時代の遊気舎のような軽やかさとイキオイで実に見やすくて、観たらともかく誰かに勧めたくなる感じという伝播力があります。

もちろん単なるコント集ではありません。妄想で一人話し、静かに暮らす女、かき回すように現れるロック野郎カップル、サバで「感染」する宇宙人と、突飛に見える材料を爆笑を混ぜながらするするときっちり物語にまとめ上げてみせるのは実に凄みすら。妄想の一人語りにみえている女がそうなってしまい、読めずに置いてある「最後の一冊」の本のいい話、と盛りだくさん。これはちょっと凄い。

オープニングでは役者の動きに合わせたプロジェションマッピングで役者クレジットも見せちゃうというのもまた格好良く、凄い。東京駅の復原完成披露で有名になったこれもナイロン100℃などに先例があるといえばあるのだけれど、きっと予算規模だってずいぶん違うのに、これをともかくやってしまうのも凄い。終盤で飛び込んでくる大量のサバというのも、広げまくった大風呂敷をさっさと収束させるということに実に上手く機能しています。あるいは浴びせると服だけになってしまう怪光線が次に浴びせると服だけが無くなるなんてのも単純なんだけど面白い。作演を兼ねる岩崎佳弘が文字通りカラダを張って、というもまあ、オイシイといえばそうだけど。

アタシの観た土曜昼の回は、すぐ隣で行われている工事の音が客席内にも聞こえていて、決していいコンディションではありませんでしたが、そんなことはたいした問題ではないぐらいに、圧倒的な印象を残すのです。

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【芝居】「浮游するへや」れんげでごはん

2012.10.27 14:30 [CoRich]

6月末から7月にかけての松本公演を皮切りに県内4カ所のツアー公演を経ての凱旋公演。27日まで上土ふれあいホール。60分。

研究者と呼び出された先輩の二人のキャストは(ツアーを通して)共通で、高校生の時の思い出の中の友達が男性から女性になったことで、恋人っぽいカップルという関係からラジオドラマに憧れ、連れ添うように放送部に入部した女子ふたりという関係に変化しています。 それでも、あの時に刺さったままの気持ちを持ち続けたまま、友人も居なくて地味に暮らす女と、(彼女を呼び出した理由はやはりよくわからないのだけれど)人にはあまり興味が無い優秀な女の再会というちぐはぐな会話だったり、そこから見えてくる過去のはなしだったりという物語の骨格は7月と変わりません。

呼び出された先輩を演じた馬渡リコは、7月の時に印象的だった猫の仕草が圧巻(フリップで気持ちを書くのはおなじだったか、今回初めて目にしたか記憶が曖昧ですが)なのは変わらないのですが、時にたどたどしく、しかしきっちり突っ込んだり、あるいは絶妙の間合いで外してボケて見せるということが、なんていうんだろう、余裕のようなものさえ感じられるようになって、実に安心して観ていられるのです。隠れるところがなくて人形(手足を伸ばしてペコちゃん風。どっかのパンフにこの写真があったのだけど、ネットにはないか、残念)というあたりもなんか妙に破壊力。

呼び出した後輩を演じた小澤鮎美は、良く考えればマイペース自分中心の暴走研究者だけれど、それを落ち着き払って、しかも時折正々堂々とボケるというよく考えれば無茶苦茶な役をしっかりと。

じっさいのところ、客席の雰囲気にずいぶん左右されてしまいそうな繊細さがあるのだけれど、コミカルで可愛らしくてポータブルで、いとおしい芝居なのです。

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【芝居】「さよなら、またね」ぴかてんのこえ

2012.10.27 13:00 [CoRich]

演劇祭の母体であるまつもと演劇連合会が毎年続ける「ぴかぴか芝居塾」の10期生(なので、「ぴか・10」)の公演。60分。28日までピカデリーホール。

幽霊を探す部活。顧問も含めて盛り上がり、使われていない旧校舎の探索に乗り出すが、いつの間にか増えて居る一人が混じっている。幼い頃にいじめっ子から助けてくれた女の子を守りたいと心に誓う謎の少年だった。その女の子はこの部の部長となっている。果たして、そこにはやはりホンモノの幽霊が居て、守護霊のついている霊感の強い少女や、霊能者の助手などを取り込んでしまう。部長がいよいよ取り込まれそうになったとき、助けに現れたのは。

週1回2時間弱、全7回の初心者向けワークショップ、芝居塾の卒業生有志による公演。晴れた土曜日の昼公演ということもあって、大きな劇場なのにきっちりうまる客席。14名のキャストという大所帯を前提にしてわずか60分の物語を作り、それなりに全員の見せ場を作るというのは並大抵の苦労ではないだろうと想像します。芝居で食っていくということが出来る地域ではありませんから、そんな中でも作演は昨年の卒業生たちの、というあたりもちゃんと機能しているというのが奥行きを感じます。

正直にいえば、もう少しタイトに登場人物もエピソードも絞り込めればということも云えなくはないのですが、まあ、それを云うのは野暮というもの。 元気で明るい女の子、個性的な部員たち、コミカルな顧問や、謎めいた存在だったり霊能者なる突き抜けた登場人物たちのにぎやかな物語は全体に明るくて前向きで、終わってみればちゃんとハッピーエンドに着地するというのも、なんていうんだろう、観ているこちらが(演劇祭とか、芝居塾という文脈は込みとはいえ)ハッピーな心持ちになるというのも、悪いことではないよな、と殊勝な気持ちになったりもするのです。

きっちり芯となる部長を演じた西森彬は物語をきちんと背負います。「癒やし系」な女子高生を演じた北澤幸理や、女の子が大好きで空回りする米山亘は、キャラクタ勝負ではあるのだけれど、それもまた強みではあって印象に残ります。

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【芝居】「シックス・ストーリーズx2 ~ルームメイト募集中(A)」4LDK

2012.10.27 12:00 [CoRich]

一昨年、まつもと演劇祭で立ち上げられた4人ユニットが二年ぶりに。5分から10分程度の二人芝居を6本を1セットとして、And/Butと名付けられた2バージョンのうちAバージョン。50分。28日まで信濃ギャラリー。

夕方の出勤前、ファストフード店の片隅での若い女二人。客のこと、店のほかの女のこと、ゴハンどこで食べようか「U-20」(作・曽根原史乃)
独身最後の夜、一人で過ごす男を尋ねる男。彼から奪った恋人が明日結婚する妻なのだ「前夜祭」(作・椿宏尚)
結婚相談所で相性抜群と紹介された相手は、離婚した相手だった「結婚しませんか?」(作・三井淳志)
女占い師の元に毎日通い続ける男は新しい出会いがあるのだと信じ切っている「ピタリ当てます」(作・曽根原史乃)
自動車教習所の教習車に乗り込んだ生徒は★「あこたん」(作・三井淳志)
夕方の公園で声をかけてきた彼女は、自分を生む前の若い母親だった(作・竹内淑子)

4人の役者が脚本も持ち寄るというスタイルで、ワンアイディアをちからわざで押し切るもんから、ちょっと素敵な話までごった煮のバラエティ豊かな構成で気軽に楽しめます。どこにでももっていけるポータブルな芝居で、気負わず飲食店などで頻繁にやってほしいなと思うのです。バンドのライブなどの合間というあたりでも出来そうな感じがします。

「U-20」はギャルメイクでキャバクラかどこかで働く未成年を決して若くはないだろう(失礼)女優二人(曽根原史乃・竹内淑子)でという出落ち感はあるのですが(またそれが突き抜けてててちょっといい)、人の悪口とおいしいもの食べさせてくれるオジサンと彼氏や同年代のイケてる男の子と、今晩なにして遊ぼうか、過ごそうかという高校の延長な感じがまさに夕刻のファストフード感たっぷりで楽しい。なにかの物語と云うよりは、キャラクタを切り取って見せたという感じ。

「前夜祭」は男から彼女を奪って結婚する男のもとに、奪われた男が5年ぶりに突然訪れる、という話。修羅場になるでもなく、それもまた静かに祝福されるのだといういい話が徹底しています。殴るのかと思えば、写真を一枚という感じもしゃれています。転換のなかでその写真を大伸ばしにしたものを見せるというのも上手い作り方。

「結婚〜」は離婚したあとに結婚相談所でまたおなじ相手が紹介されるという、あっても不思議じゃないといえば不思議じゃないワンアイディアの勝負。離婚はしたのだけれど失敗じゃなかったという二人の想いが、じゃあメシでも、とはならないというのが大人な感じ。次の一本と合わせて、優しさが前面に出る三井淳志が似合います。

「ピタリ〜」は出会いを求める男が毎日占い師のもとに通う、というので早々に着地点は見えて、その通りに物語が進むという点で意外性はないのだけれど、メトロノーム使う占いというのが、終盤で心の乱れをうまく表現するのに効いていて面白いのです。テーブルで向かい合う二人なのだけれど、上手端に座ってしまったあたしは、場内が大受けした女占い師の表情が見えなくて残念な感じも。

「あこたん」は過剰に大騒ぎ、自分の可愛さアピール、しかも少々頭悪そうという破壊力抜群なキャラクタを造型(曽根原史乃)。痛々しくなりそうなこのキャラクタなのだけれど、教官(椿宏尚)が否応なく巻き込まれていくということでがっつり爆笑編に仕上げます。

「母が〜」は最後を締める、いい話。妊娠していて不安な母親(竹内淑子)が時空を超えて成長した息子(椿宏尚)に会いに来て、自分がどうなのかを訊ねるというフォーマット。息子と母親の年齢が近くなり、息子も母親の考えていること、たとえば怒られるということが振り返ってみて素直に理解出来る感じになるという枠組みか素敵。

全体にテーブルを挟んだ二人というのが多いのだけれど、狭い劇場の割に表情が見えない席があるのは残念。必ずしも対面する二人を横から見せるということにしなくてもいいんじゃないかと思ったりも。します。

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