【芝居】「Mr.Apple」第6ボタン
2012.10.26 19:30 [CoRich]
十条のお好み焼き屋・「うまいもんや」の二階を舞台に、終演後にドリンク・フードを付けて楽しめるというドラマ×ダイニングという企画の二回目。110分。28日まで。
子供の頃暴力的な父親から母とともに逃れ、突然ヘビと名乗る男の姿が見えるようになった男。母親は医者を頼りに逃れたが母親は亡くなり、その医者が与える生活費を運んでいる男もまたヘビが見えている。
高校に進み、男にだけ見えているヘビは、人の考えていること、その先を教えてくれて何もかも手に入れる男。女教師が恋人となるが、若い男に、女は、これからももっとたくさんの女と出会うようになるのだといって距離を置こうとするのは自ら先のない病気にかかっているからだった。
アダムとイブ、リンゴとヘビといった創世記をモチーフに、実際にはヘビをそそのかしたのは彼のカラダを乗っ取った「神楽」という背景に、望んで地上に降り立ったリンゴを主人公に、恋人とともにあること、自分は誰かの記憶という傷跡に残っているのかということを巡るものがたり。
正直に言うと、わずか80分の中に、物語を詰め込みすぎたり、時間軸の行き来が今ひとつ判りづらかったり、あるいは神楽やヘビの存在が今ひとつ掴みづらかったりという気がしないでもありません。恋人たちのさまざまな形、その会話のバリエーションが甘酸っぱさも別れの切なさもあるいは告白できない気持ちと数多くあるのは好きなのだけれど、それが一つの物語の幹に繋がりづらい気がするのです。 もしかしたら旧約聖書をきちんと読んでいればもっとモチーフとなることがわかって、もっとパズルのピースがはまっていくということなのかもしれませんが。
自分の存在が誰かの記憶に残るといういわば「傷跡」に拘泥する物語の芯に対して直接繋がるシーンは印象に残ります。 屋上、女教師と若い高校生の会話、女はときに子供扱いし、それでも惹かれてしまってどうしようもないという気持ち、会話の微妙な空気感の会話のしっとり。作家の年齢を知りませんが、もう年齢を重ねていくのだという覚悟が現れるような台詞の奥行きだと思っていると、死が間近というもっと大きな覚悟。文字通り「朽ちていく」ということは、あんまりといえばあんまりな気はしますが、永遠というものはない、ということを高校生で知ってしまう残酷。
あるいは、恋人と意識できなかった男女が、徐々に恋心の意識を持つようになり、さらには大人に至って暮らすようになっていたり、さらにはひとときの恋だと思っていたけれど数年後の再会で自分のコトをずっと想い続けていてくれたことで救われる気持ちになる、というあたりも印象に残るのです。
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