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2012.10.27

【芝居】「Mr.Apple」第6ボタン

2012.10.26 19:30 [CoRich]

十条のお好み焼き屋・「うまいもんや」の二階を舞台に、終演後にドリンク・フードを付けて楽しめるというドラマ×ダイニングという企画の二回目。110分。28日まで。

子供の頃暴力的な父親から母とともに逃れ、突然ヘビと名乗る男の姿が見えるようになった男。母親は医者を頼りに逃れたが母親は亡くなり、その医者が与える生活費を運んでいる男もまたヘビが見えている。
高校に進み、男にだけ見えているヘビは、人の考えていること、その先を教えてくれて何もかも手に入れる男。女教師が恋人となるが、若い男に、女は、これからももっとたくさんの女と出会うようになるのだといって距離を置こうとするのは自ら先のない病気にかかっているからだった。

アダムとイブ、リンゴとヘビといった創世記をモチーフに、実際にはヘビをそそのかしたのは彼のカラダを乗っ取った「神楽」という背景に、望んで地上に降り立ったリンゴを主人公に、恋人とともにあること、自分は誰かの記憶という傷跡に残っているのかということを巡るものがたり。

正直に言うと、わずか80分の中に、物語を詰め込みすぎたり、時間軸の行き来が今ひとつ判りづらかったり、あるいは神楽やヘビの存在が今ひとつ掴みづらかったりという気がしないでもありません。恋人たちのさまざまな形、その会話のバリエーションが甘酸っぱさも別れの切なさもあるいは告白できない気持ちと数多くあるのは好きなのだけれど、それが一つの物語の幹に繋がりづらい気がするのです。 もしかしたら旧約聖書をきちんと読んでいればもっとモチーフとなることがわかって、もっとパズルのピースがはまっていくということなのかもしれませんが。

自分の存在が誰かの記憶に残るといういわば「傷跡」に拘泥する物語の芯に対して直接繋がるシーンは印象に残ります。 屋上、女教師と若い高校生の会話、女はときに子供扱いし、それでも惹かれてしまってどうしようもないという気持ち、会話の微妙な空気感の会話のしっとり。作家の年齢を知りませんが、もう年齢を重ねていくのだという覚悟が現れるような台詞の奥行きだと思っていると、死が間近というもっと大きな覚悟。文字通り「朽ちていく」ということは、あんまりといえばあんまりな気はしますが、永遠というものはない、ということを高校生で知ってしまう残酷。

あるいは、恋人と意識できなかった男女が、徐々に恋心の意識を持つようになり、さらには大人に至って暮らすようになっていたり、さらにはひとときの恋だと思っていたけれど数年後の再会で自分のコトをずっと想い続けていてくれたことで救われる気持ちになる、というあたりも印象に残るのです。

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【芝居】「暗礁に乗り上げろ!」肯定座

2012.10.26 15:00 [CoRich]

奈賀毬子が立ち上げた劇団の旗揚げ公演。太田善也の作演で110分。29日まで明石スタジオ。

目覚めると人々は手錠をかけられ閉じこめられていた。閉じこめられている理由がわからない人々の前に、仮面をつけた暴力的な男は、各々が犯した罪を思い出すように伝える。彼らをつなぐのは、一年前の歌舞伎町、非番の警官が殺された事件。

前半は閉鎖された空間、それぞれの人物の背景を描きながら脱出を目指しながらも疑心暗鬼、謎解きをするサスペンス風味。このターンでの着地点は当日パンフのヒントもあって早々に割れる感じではありますが、そこから思いも寄らぬ方向に物語が文字通りジャンプする感じがちょっと楽しい。そこに居たことを認めるわけはいかないというのは、この物語のフレームの中では十分に説得力があります。

作家の普段の語り口に比べれば笑いは少なく、ある意味、狂った人間を相手にしなければならないという深刻な話。その中で滲み出るのは、それぞれの人間の本当の姿。ひたすらいらつきながら最短経路の解決を図ろうとしたり、その時々の空気にながされたり、いい人だけれど踏み出せなかったり、徹底して優しかったり。そういう人々を描くことで人間の嫌な面も救われる面も描き出します。決して後味のいい感じではないと思うのだけれど。

逃げ場がなく閉じこめられた一般人が、その場を恐怖によって支配する力によって、一歩間違えば殺し合う、というのは普段ならば絵空事なのですが、本当にそんなことをしてしまう事件が世を騒がしている昨今では、むしろ現実の救いのなさに絶望的な気持ちになってしまうのもまた事実。物語や構成としてそう似ているわけではないのが救いと云えば救い。

安東桂吾は無口から始まり、優しかったり格好良かったりと無茶苦茶な振り幅をしっかりと。ちゅうりはタキシード姿の蘊蓄たれで風見鶏という情けないキャラクタの造型が人間くさくて印象に残ります。

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2012.10.26

【芝居】「アンドロイド版『三人姉妹』」青年団

2012.10.21 15:00 [CoRich]

人間・アンドロイド・ロボットで紡ぐ日本翻案の「三人姉妹」。4日まで吉祥寺シアター。フランスでの上演も予定されています。110分。

ロボットが家事をすることが普通になっている時代。海沿い、東京からは離れたところ。 姉妹と弟がすんでいる家。大学でロボットの研究をしていた父親が亡くなって長くなる。教え子だった男が転勤でシンガポールに行くことになり、父親の同僚の教授の夫婦も交えてパーティを開く。家を出ていた次女は久しぶりに戻る。留学が決まっている弟はしかし、大学にはあまり行っていないと心配して大学の友人の女が家にやってくる。三女は引きこもったあと父親の研究していたアンドロイドとなりこの家で暮らしている。

アンドロイド・ロボットが舞台の上に上って人間の役者たちと演じるのは、三人姉妹を下敷きにしながらも、近未来の日本の姿のものがたり。私にとっては、たとえば「南へ」が代表的なのだけれど、ゆるやかに沈んでいく日本の姿を描くオリザ節がめいっぱい。「カガクするココロ」の学者たちのあれこれもまじえつつ、

災害から少し経った現場、経済的にまわらなくなりつつあること、国外に出て行くことが必要とされること、それなのにここに居続けるしかないのだという現実を抱えている多くの人。青年団や平田オリザが描いてきた近未来の日本の姿を描きます。が、たとえば「南へ」を初めて見たときなどの印象とはずいぶん違っていて、「本当に間近な未来」あるいは「片足つっこんでいる未来」だという風に身にしみるのです。それはアタシが歳をとったからなのか、アタシを含めた社会全体がよりそういう諦めた感じになっているように時代が進んだからなのか、より切実で世知辛い感じになっているのです。

「三人姉妹」で奔放な三女をアンドロイドに置き換え、それを単に役者の置き換えではなく、ちゃんとアンドロイドであることに理由を与えての役の作り方。執事をロボットにするなど、物語の中できちんと理由と背景を感じさせるようになっていて、楽しく見られる作りになっています。それぞれの役を日本に翻案しながらも、三人姉妹、それぞれの役の持つ骨格がきっちりつくられます。 沈みゆく国、ここから離れられないまま暮らしている長女、コミュニケーションが好きだけれど決して話がうまくはない次女、奔放なのか深く考えているのか今一つつかめない三女、期待されながらもそれに応えられない弟、父の大学の同僚教授は経済的にきちんと巧く立ち回り、という具合に、閉塞感やそれぞれの思惑などが混じり合い、間違いなくこれは「三人姉妹」なのです。単にアンドロイド、というだけにしない三女の描き方はしっかりと物語として成立させる劇作家のたしかな力。

アンドロイドやロボットが人間らしく振る舞えるのか、それはもちろん感情といったたぐいのことではなくて、「人間のように見えるようにする」にはどうしたらいいのか、ということの研究の一環らしく、研究室からのアンケートが配られます。秒単位で演出をつける、という平田オリザとそれに応える青年団の役者だから楽屋落ちやハプニングに頼らず、しっかりと物語を成立させられるのかという気はします。これがシーケンスで動いているのか、プログラムに沿って自律的に動いているところがあるのか、あるいは人間による遠隔操作をやっているのか、ということは明確にはされてないのですが、じっさいのところ、反応ではなく、「見かけがどうなのか」ということを考えれば、それは大きな問題ではない気もするのです。

時間がとれず、アンケート用紙に書き込めなかったので、ここに書いちゃうことにします↓

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2012.10.24

【芝居】「ステップアップ」シベリア少女鉄道スピリッツ

2012.10.20 18:30 [CoRich]

シベリア少女鉄道の新作。どこがどう「スピリッツ」なのかはわからないけれど、彼ららしい100分。21日までRED/THEATER。

病院の屋上、待っている女、やってくる男、黒手袋をしたセーラー服の女。元刑事の男が追いかけてくる。

開演前から舞台右上に投影されている「ステップアップ」の文字。オープニングのスライドや開演後の舞台で進む物語で、謎っぽいことが台詞に現れたり、意味不明な物が現れたりするたびに低音とともに数字がカウントアップされていきます。伏線は期待を高めるものだけれど、そのインフレがあまりに進むと物語なんて進んでいないも同然という感じで進みます。おそらくそこに企みがあることは早々にわかります。が、ちょっとさすがに長い感じは否めません。

残り30分ほどになり、訳判らないままに物語はいったん終わりを迎えるのだけれど、登場人物たちは、投影された数字が100を越えたままになっていることに唖然とするのです。投影された画面が変化し、それまでの謎をすべてリストアップ。時に調子に乗って謎を蒔きまくったことを反省しながら、どうやって謎を解い(たことにし)て、数字を少しでも減らそうか、というのがシベ少の真骨頂。ToDoリストよろしく、一つづつ減らしていきます。時に無理矢理タイムリープしたり、時に無理矢理トランプゲームを始めてみたりという具合に。それでもなかなか減らない謎にあきらめそうになったときに、現れる「異形のもの」はまるでコンボのように一気に消えたり、それでも減らないリストはいつのまにか仮装大賞のようになってランプを点灯させさえすればいいというやっつけ仕事に落ち着く楽しさ。

当日パンフや序盤の台詞にある「伏線は回収しなければならない」べきだということ、謎ばかり提示して物語をみてもわからないっていう映画やら芝居やらが多いと作家が思ったかどうかは定かではありませんが、そういうものに一矢報いていると感じて喝采を叫びたい気持ちにもなったりします。

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【芝居】「天空への途」菅間馬鈴薯堂

2012.10.20 15:30 [CoRich]

北区とか隅田川という場所が似合う感じがする菅間馬鈴薯堂の新作。90分。22日まで王子小劇場。例によって、劇団サイトでは戯曲テキストが無償で公開されています。

隅田川近くの介護施設から老女六名が突然姿を消す。施設は皆目検討がつかず探偵を雇い探す。老女たちは、近くに建ったスカイツリーにこそ天の岩戸があると信じ、展望室に上り、歌会をはじめ、岩戸を開けようとする。 老女たちの想い、それを支えようとする男たちはどこか社会かあぶれていてという感じ。終盤に至り、天岩戸を開こうという彼女たちの想いの深さがぐっと引き締まり語られるのだけれど、そこまでは断片がとりとめなく。脱走したペンギンが演じる老いた母を背負って売りに行く話だったり、オリンピックの日本人選手が演じる「シダとの交合」だったりあるいは蛍男が演じる昔のウィスキーのCM(夜が来る、って若い観客はどれくらいわかるのやら。アタシは課長の背中編の「遠い日の花火」は今でも使うぐらい印象的だ)だったり、あるいは大騒ぎの歌会(夢の中には歯がある、とか観覧車での想いの句とか絶妙)といったぐあいに、とりとめがなく、玩具箱のよう。

ネタバレかも

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【芝居】「K.ファウスト」まつもと市民芸術館

2012.10.19 19:00 [CoRich]

180分。21日まで。 錬金術師として知られたファウスト、ある日の実験で爆発を起こして姿を消す。それより前の出来事。
老い先の短さ儚さ、まだ知らないことが多すぎること想いふける夜。届いた魔術書から現れた悪魔の一人、メフィストは、あと40年の命とこの世の快楽の全てを体験し、全ての真実を自分のものとする契約を結んでしまう。果たして、ファウストは若返り、二人はヒッチハイクよろしく旅をしながらメフィストの助けで財政が破綻している国を立て直して大公の妻と懇ろになりかけたり、恋をしたおぼこ娘に入れあげるとその娘がみるみる着飾り、人と争うようになったりとさまざまを体験する。
いっぽう、弟子ワーグナーはその間に実直に研究を続けて名声を得て、ファウストが悪魔と契約した夜に雇われた下男カスペルはファウストを追いかけるも叶わず、ある街で新しい暮らしを始めている。
昼夜問わずの20年が経ち、メフィストはこれが契約の40年分だとファウストに迫り、ファウストは元の老人に戻ってしまう。カスペルとすり替わり悪魔の契約から逃れようとする試みも失敗に終わったとき、爆発のあの瞬間となる。

ちゃんと読んだことがなくてwikipediaを事前に読んでの観劇。「K(=串田).ファウスト」と銘打つぐらいに物語はずいぶん変わっているようです。神様だって出てこないし、救いがあるような感じでもなく。老いゆくこと、全てを手に入れてないということの後悔、手に入れたいという果てしない欲望といったことを物語の縦軸とし、体験する夢のような日々あるいは悪夢のような日々をサーカス仕立ての曲芸やジャグリングで祝祭感満載で作り上げるという構成になっています。

去年の「空中キャバレー」が物語と云うよりは小さな出し物をサーカス仕立てにしたのに比べると、おなじサーカスキャストを使いながらも、しっかりと物語を語るという構成。わりと深刻に暗く沈んだものがたりになりそうなところでも、サーカスと、軽やかに人物を造型するキャストたちによって、なぜか祝祭感に溢れる感じすら感じてしまうのは不思議な体験なのです。「自由劇場」はほとんど観ることが叶わなかった遅れてきた観客であるアタシなのだけれど、この祝祭感というのは、自由劇場の文脈に乗せて楽しさアップ、という感じなのもよくわかります。いっぽうで、単に楽しさだけというのでもなく、サーカスの祝祭感と物語の間にけっこうなギャップを感じるという感想をネットで見かけるのも理解出来ますが、これはこの祝祭感に「乗った者勝ち」という感じはします。

ファウスト演じた笹野高史、あとわずかな命に拘泥する老人から、白スーツにリーゼント姿という若返った姿まで時に重厚さ時に軽やかさ。串田和美は序盤の声に不安がないわけではないのだけれど、これもまた軽薄さを併せ持った悪魔・メフィストをきっちり。下男カスペルを演じた小日向文世が軽やかで実に楽しく、終盤での「成長した」カスペルの冷たさとのダイナミックレンジの広さ。弟子ワーグナーを演じた近藤隼はレジデントカンパニーTCアルプの公演の印象もさめやらぬなか、しっかりと。

最前列から3列ほどは「座椅子」を設定し、それより後は普通の客席という指定席のスタイル。調子に乗って最前列を購入したものの、休憩付きとはいえ3時間というのは少々厳しい感じも。初日では、休憩時間で男子トイレの行列すら捌ききれない(大劇場用のトイレを開放していなかった)のも、すこし厳しい感じ。去年の空中キャバレーではあった、「マルシェ」と名付けられた屋台がないのも、祝祭感という意味では少々寂しく。東京公演と合わせたということかもしれないけれど、松本なのだからこそ欲しかったという感じもするのです。

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2012.10.17

【芝居】「傘月(サンゲツ)」乞局

2012.10.14 15:00 [CoRich]

110分。17日まで雑遊。劇団サイトにある、スピンオフ小説もぜひ。 男は思いたって妻を一人の残したまま家を出る「失踪編ーとある夫婦」
外は砂嵐吹きすさぶ。水も食料も乏しいなか地下室に居る姉妹。食料を調達に出ていた男が戻ってくる。男を怖いと思う妹、あくまでこき使う姉「咳が止まらない地下室編」
災害があったらしい場所、時間が経ち世間の関心も薄れ始めている中、ボランティアの男女がやってくる。浮かれてはいけないと思いつつも、ちょっと浮かれたり、あくまでもまっすぐまじめだったり。「ボランティア編」
夫が居なくなってしばらく経つが、弟にメールをして夫を捜してくれと頼む妻。必死で探しても見つからないまま日々はすぎていく「失踪編ーとある姉弟」
ボランティアがやってきた被災地。地元の人々の心の傷は深く、何かをやろうという気力すら殺がれていて「残された地元民編」

災害があったらしいとき。砂嵐が吹き荒れ水も食料もなく孤立している人々だったり、ボランティアに被災地に入ってる人だったり、受け入れる地元民だったり。あるいは夫が居なくなった妻たちだったり。それぞれの人々は物語の後半につれて緩やかにつながり、同じ時間帯を生きている人々なのだと示されます。生きるのもやっとから、生活の再建に悩む人、夫のことを悩む人という、災害があっても場所が違えばグラデーションのようにそれぞれの暮らしが違っているのだ、という事実。極限状態だって普段の延長だって、悩みも性欲もあるし、水も食料もやっぱり必要だというごくあたりまえのこと。

久しぶりだという下西啓正演じる、自転車に乗ったサラリーマンがファンタジーでおもしろい。物語を横糸のようにつなぎつつ、困っている人に助けるための物資を運びながらも、あからさまに自動車購入を勧めるという造型。それは電力会社かもしれないけれど、これもまた企業が生き延びていくために必要なことだともいえるとも思ってしまうアタシは会社員。 あるいは 頼まれて兄を捜している弟を演じた河西裕介、斜に構えたような感じではない役を拝見したのは初めてな気がしますが、ちょっといい。

物語としておもろかったのは、被災地のボランティアたちと地元民たち。少しはしゃぐ気持ちだったり、珍しい状況を写真に納めたいという非日常なボランティアと、気力を完全に殺がれた地元民たち。ボランティアたちに「絡んで説教する」地元民だったり、そうされても意に介さない自分大好きなボランティアだったり。ボランティアで入る側も受ける側も遠慮していて、不満があっても言い出せない、という状況をコンパクトに描いています。

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2012.10.16

【芝居】「遭難、」劇団、本谷有希子

2012.10.13 19:00 [CoRich]

代表作の一本を再演。120分。23日まで東京芸術劇場のオープニング企画の一つ。シアターイースト。そのあと、松本、大阪、福岡。

舞台全体を窓ガラスで埋めた向こう側に、事件が起こって臨時で二年生の担任ばかり集めて体よく隔離した臨時の職員室。それだけがすべてではなくて、事件の責任の在処についてを巧妙に隠しながらも、時に正義を説いたりもしながらも、時に共生するような金魚鉢の雰囲気。

物語の核となるのは、たった一言に拘泥してしまっためにこうなった私。それはよくないというのは判っていても、それが理由なんだから仕方ないのだという論理の女教師。当初予定されていた黒沢あすかの降板を経て、これを引き受けたのは菅原永二。あまりにエキセントリックな役で、ほぼヒールなわけでこれを女優が引き受けるのは負荷が高すぎるのですが、これを男が演じるということで痛々しさが中和され、結果的に成功しています。これを考えると初演の松永玲子はよくぞこれを演じきったな、ということを今更ながら凄いと思うのです。

違和感は感じていても、どうして自分がそうなってしまったのか、という焦燥に「トラウマ」という言葉が与えられることで許されたと感じること。良くも悪くも何かを名付けるということの力の怖さすら感じさせるのです。

学年主任の男を演じた松井周、気持ち悪さよりはむしろ普通の人、という感じに。保護者を演じた片桐はいりの切実な色気感に説得力。回想シーンで演じる「先生」もいいバランスです。担任を演じた美波の可愛らしさ、反感を持つ教師を演じた佐津川愛美のきゃんきゃんとうるさい感じは、主人公のいらつく感じを加速していて説得力を増しています。

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2012.10.15

【芝居】「ヒッキー・ソトニデテミターノ」パルコ・プロデュース

2012.19.13 14:00 [CoRich] 

ハイバイ・岩井秀人の代表作のひとつ( 1, 2)を改訂新作として。14日まで。パルコ劇場進出、それも舞台をきっちり埋める120分。

引きこもっている男。やがてご飯を食べるために降りてきたら暴れるようになり両親は解決のため専門家に相談に行く。その事務所は元引きこもりの男が仕事をしていて、それをコントロールする女性も居たりする。果たして、引きこもりから家をでて、事務所に併設されている寮で暮らすようになる。

ヒキコモリという社会現象自体は決して解決したわけではないのでしょうが、世間の話題としては一昔前のもの、という感じは否めません。それを題材にするハイバイのマスターピースである「ヒッキー・カンクーントルネード」を元にしながらも、物語を大幅増量していて、引きこもっているということが可能なのはそれを支える両親という経済力が国にあってこそ。逆ピラミッドになり、国の力が弱くなっていくとそもそも「ソトニデテ」みなければならないこと、「世界は両親でではない」というような台詞があったりもして深みが増しています。

あるいは社会への適応ができているわけではないのに、ネットで軽々と就職できてしまうこと、若くない人がスロースタートで社会に出て行こうとする困難さ。これも今の時代によりあっている感じです。もっとも後者に近いアタシは、その先の結末にそのほろ苦さを感じるのですが。

あるいは「人と比べること」の無意味さと、どうしても比べてしまうということ。アルバイトできることになって出て行く男の母親に、ネットで軽々と就職してしまった男の母親がはなす「就職できますから」ということの残酷をしてしまうことがひりひりとします。

もちろん、もともとの「ヒッキー」のあれこれもきっちり。たとえばプロレス好き、一緒に遊ぶ妹は、この家の中を支えていたのだなという雰囲気でこのほっこりするシーンが実に好きなのです。

吹越満が実に良くて、冴えない感じのチェックのシャツにデイパック、まるでアタシのよう(泣)。古舘寬治が演じる40男固有な感じの造型の深み。チャン・リーメイ演じる「出張お姉さん」は今までの上演からも引きつづき。この大舞台においても実に魅力的で可愛らしく。小河原康二演じる父親の少しとぼけた味も楽しく。妹を演じた岸井ゆきのの元気いっぱいも印象に残ります。

正直にいえば、有償の当日パンフ以外にはプリントされた紙すらもなくて、配役がわからないというのは、この規模の公演としてはあまりにケチくさい気がしてなりません。決して誰でもご存じ、という役者ばかりではありませんから、役者にとってもひどいことだと思うのです。もうひとつ、あたしの座ったZ列上手側では、人物が一直線にならんで見えづらいシーンがいくつか。それでも、パルコ劇場の広い舞台の上で、こんなにも狭い世界の物語で、きちんと空間を埋められるのは凄いと思うのです。

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2012.10.10

【芝居】「Baggage Claim」年年有魚+海ガメのゴサン+ベイビーズ・ゲリラ

2012.10.8 14:00 [CoRich]

年年有魚の森下雄貴が関わる三つのユニットの合同公演、という企画。90分。9日までRAFT。

彼氏が最近忙しくて最近デートできず、今日も会社の人と野球観戦で会えず、女友達を呼びだしてお茶している。そこにやってきた同じ会社の女はデートの待ち合わせで、偶然野球観戦だというが「恋愛WINNER」
深夜のタクシー、オネエな男と水商売風の女が乗り込む。運転手の名前が沢田研二だといって盛り上がり、しかも運転手も割とノリがいい。男はジュリーのファンでもあって気持ちは盛り上がり、運転手にも心惹かれて。「寺田ノブエの人生劇場 vol.1~TAXI」
扉の中からノックする音に気づいてノックする通りがかりの男、中から水を流す音がしたりするが、出てきた男は何の用かと尋ねる。用はないので帰るという男は折角だからと引き留められ、定規で線を引いて見せられるがそれは見えない。「センビキ」
女四人で源氏物語を演じるのだといっていて懸命に練習しているけれど、作家はホンを書けずに「風のシーン」ばかりを稽古している。光源氏役が居ない演出のはずだったのに煮詰まった作家は男の俳優を呼んできて「劇団F」
テーブルの上にある伝説の銘酒を見つけた女、きっと家族の誰かが隠しもっていたか。帰宅した妹と三本の酒を呑んでいるうち、自分こそは酒の味が判るのだと喧嘩になる。そこに帰宅した上の姉は利き酒が巧いのだといい、注がれていた酒が唄っているという。「利き酒 on the Beat!」 劇場奥に客席を置き、入り口側に客席をしつらえるという体裁。扉や引き戸を使うこともできて、これはこれで奥行きのある感じ。

「恋愛~」は、野球観戦だったり、犬嫌いだったり、お互いの家に行くか彼氏と住んでいるか、身長、誕生日など徐々に共通点が見え隠れする三人。互いが気づいているかは明確には示されませんが、観客にはわりと早い段階でその背景が見えるように作られています。一人はあくまで気づかず最近ご無沙汰な女、一人はデートしている女で表情を見ていると徐々に気づく感じ。一人は同棲している女で表情が見えないけれど、後から思えばわりと早い段階で気づいている感じ。共通の男を巡る三人だけれど、三人の関係というか物語の上のでのバランスがあんまりよくなくて、むしろ二人芝居にしたほうが怖さが際だつ感じはあります。再演なのですが、登場人物を3人に絞り込んで、ずいぶん変えたようです。

「TAXI」は、少しお酒の入った深夜のタクシー、とりとめない会話。当日パンフには前回公演で好評だったキャラクタのスピンオフとあり、岡田昌也はさすがに安定を感じさせるキャラなのだけれど、今作ではそれに想いを寄せる朴訥な運転手を演じたそぎたにそぎ助が圧巻の破壊力をもっていて、この二つのキャラのぶつかり合い、それをつなぐ女を演じた小谷美裕のほどよいバランスもいい。想いを寄せて、夢やぶれて、でも未練たっぷりというまさに人生劇場をぎゅっと15分。四つの丸椅子を使って、車の向きを変えるというのは、カメラワークのようで楽しくて印象的です。

「センビキ」は、少々手強い感もある不条理劇。 呼ばれたのに何の用か訊かれる、引いている線は見えないけれど男は確かに引いているという、という具合に男二人が静かに進める不条理な会話。当日パンフでは「静かな演劇に近いスタイル」とありますが、もっともっと古典を感じさせるよう。かみ合っていなくても、相手と相手の言っていることを心の底から尊重するという会話がどれだけ豊かなことか。もっとも、芝居を見ている間は決しておもしろくて前のめりというわけではなく「後からじわじわ来る」という不思議な味わいではあるのですが。 「あなたに見えないものを説明するのは難しい」という台詞や、二人の間に引いた線が互いの間のちょうど中間で会話で二人の違いが見えてくれば線は二人に見えてくる(それが何かは語られない)という設定など、たくさんの演劇的な企みが緻密に作り込まれて濃密なのです。

「劇団F」は、劇団を巡る人々というかポジションを描きます。 俳優と作演の対立、ノリでのっかてる人、一人自己犠牲のようにつなげ続けることに優先順位がある人、恋人、泣く人、すいすいと先に行ってしまいそうになる人、お菓子とか。細かな女たちのリアリティ。いわゆる演劇のリアルかはアタシにはわからないけれど、どういう場所でもありそうな人々の関係。もうこの場所は破綻しているのに止め時を見つけられなかった人々、きっかけがせっかくあったのにこの場所を「続けていくことに落ち着いてしまう」人々という微妙な空気はある種怖いけれど、リアリティではあるのです。 ちょっと江戸っ子っぽくずれたりキメたりする松下知世がよくて、作家を演じた玉崎詩麻、役者の珠乃の対立の圧巻。

「利き酒」 女三人の兄弟、家庭の中の風景。ささいなきっかけの諍いだったり、嘘なのか自分を信じ切っているのかというほどに、ある意味くだらなくて、ある意味日々の暮らしという会話が楽しい。利き酒というわりに三つの猪口の模様が違っている(のに二人で酒を注ぐ)ことにつっこまなくていいのかとか、いくら姉妹二人だって、四合瓶からラッパ飲みというよりはコップか何か持ってくるんじゃないか、という感じなど、どこかユルユルな感じ。後者はアタシの女性に対する幻想かもしれませんが(笑)。

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2012.10.08

【芝居】「いつも心だけが追いつかない」MU

2012.10.6 14:00 [CoRich]

ハセガワアユムの歪んでしかしコミカルがきっちり楽しい学園もの70分。8日までTheater&Company COREDO。

高校。教師は生徒からの相談を受けるときにカードに互いの署名をして秘密を守ることを明確にする、というルール。女子生徒が美術教師に相談を持ちかける。つきあっているとされるスポーツ特待生の彼は幼なじみでもあって盛り上がっているけれど、どうにも恋人という感じではないし、深入りしたくもないとも思っていて、美術教師の描く絵のモデルになった教師に相談をもちかけている。
校内の相談事は、盗難に関するものが多く、その女子生徒の体育着もなくなり、彼氏は教師まで駆り出して徹底的に校内を探させる。体育着はみつからないが。

静かな会話ではあるけれど、作家自らが言うとおり「壊れた」人々。とはいいながら、普通の人々が片鱗は持っているだろう感覚がきちんとちりばめられているという意味で、破壊力という点では薄いということもできましょうが、地に足がついた人物の造型を感じさせるのです。恋人として盛り上がるスポーツ特待生は「したい」気持ちと意味があるのかないのかわからないハードルをクリアしたらと言い寄る(どこかゲーム的な童貞男子的満載な)気持ち。恋人ということになっているし、いい人だけれど、これは恋人じゃないよなと思う女の気持ち。それなのに彼のことが好きかもしれないというのも、ティーン的な不安定さがみえるよう。 あるいは美術教師で口に糊しているけれど、個展という個人活動にかまけるどころか、妻との距離、ましてや女装癖。

生徒からの相談を受けるときのカードというアイディアが創作によるものなのか現実からのインスパイアかはわからないけれど、劇中のせりふにもあるとおりに、秘密を守ることの証拠でもあるし、ある種生徒たちからの人気を可視化するという側面が出てくるというのは、人数の少ない座組でちゃんと学校という人数の場所を感じさせると同時に、短編でその生徒たちと教師たちの位置がみえるようだったりと、秀逸なアイディア。

ありそうな感じという意味では、 物語はとことんフィクションだし、登場人物は壊れているしと、とことん「つくりもの」感がめいっぱいなのに、カードのシステムにかまけて「上っ面の相談」ということが起こりやすそうだとか、まじめに探してみれば実はいじめや問題が山積していたり、それを隠したいと思ってしまったりと細部がやけにリアルな感じのバランスが気持ちいい。

女子生徒を演じた小園茉奈、魅力的な色っぽさと幼さを感じさせていい雰囲気。美術教師を演じた村上航の生真面目さの奥の焦燥する狂気感も面白い。MU常連になりつつある杉木隆幸、古市海見子が脇を固めて「常識的な」視座を置いてくれるのも見やすい感じ。

すべての観客に対して当日パンフには電子書籍版の戯曲のアドレスとパスワード、期間限定でダウンロードして、ちゃんとフォーマットされたpdfの戯曲が読めるというのはうれしい感じ。(スマホでzipって普通の人見られるのかしら、とは思いつつ。)これが音声コンテンツだったら、個人的には言うことないよなぁと思ったりもしますが、まあ、そこまでやったらやりすぎという気がしないでもありません。

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2012.10.04

【芝居】「エッグ」NODA MAP

2012.10.6 19:00 [CoRich]

東京芸術劇場のリニューアル、プレイハウスのオープニング公演はきっちり重い話だけれど見せつける130分。28日まで。

エッグ、というスポーツ。オリンピックの正式種目にはなっていないけれど、次の東京のオリンピックでは正式種目になろうとしている。東北からやってきた若い男は、それまでの誰よりもこの種目が巧く「エッグの聖人」と呼ばれるようになる。劇場の改装で出てきた昔の戯曲に描かれた「スポーツ」の物語。 東京芸術劇場の改装後というポイントを抑えつつ、芸術監督の愛人と名乗る女、修学旅行の女子学生たちのにぎやかな序盤から、梁から発見された(天井からひらひらと机の上に着地というのが、少なくとも遠目には見事)という寺山修司の自筆原稿に描かれたという未知のスポーツ・エッグを巡る物語。オリンピックに代表されるスポーツのナショナリズムを伴う熱狂と、音楽や映像といったものが人々を煽る力を持っているということを(多少批判的に)描き始める前半は、不穏な感じをそこかしこに漂わせながらも、にぎやかで楽しくてスピード感があって引き込まれる感じ。

たとえば外科医といえば男だろう、といった思いこんでしまう感覚。作家は注意深く観客を「騙して」、そして観客の思考停止や逃げ場を注意深く塞ぎながら、後半で深刻な史実に引き込んでいきます。その史実があったのかなかったのか、規模はどうだったのかということではなくて、それに関わった人々がどう行動し、一人に責任を負わせ逃げおおせた人々への怒り、逃げられなかった人々の事実を冷静に描きます。

裸足で走る「阿部」や、自殺した「粒来(つぶらい)」といった実在のアスリートに似せた人名は、物語で描こうとしていることとは、スポーツやそのナショナリズムな煽動力という以上には関係しませんし、決して楽しい描き方ではありません。が、こういう言葉遊びもまた、野田秀樹を観るということの楽しさではあるのです。

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【芝居】「喫茶室あかねにて。」(A)ホントに、月刊「根本宗子」

2012.9.30 19:00 [CoRich]

A,B両バージョンを上演中。後半にはシャッフル公演も予定されています。10月21日までBAR 夢。35分。

キャストを入れ替えてのAバージョン。細かなところはわかりませんが、ほとんどの台詞はおなじですし、ほぼ同じ。キャストの背骨となる梨木智香が同じなので、全体の枠組みや雰囲気はどちらのバージョンも同じように思います。

キャストの違い、 新人を演じた前園あかり、Bバージョンでのおなじ役を演じた根本宗子の雰囲気をまといながら。意外に少ないこういう可愛いらしい役は、アタシが嬉しくて。根本宗子が演じる感じの悪いウエイトレスは、フラットにA/B両バージョンで雰囲気が変わりません。

二つのバージョンでもっとも違う印象を感じるのは、主宰の彼女にして看板女優を演じた大竹沙絵子なのです。Bバージョンの秋澤弥里は台詞は若者の雰囲気ではあっても、にじみ出る色っぽさだったり、美人な雰囲気だったりと、役に対しては少しお姉さんの印象だったのに比べると、Aバージョンの大竹沙絵子は若いというより幼さすら感じさせる造型。なるほど、これもまた主宰が惚れる若い女優を体現していて、リアルを感じるのです。

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2012.10.03

【芝居】「マイサンシャイン」Utervision Company

2012.9.30 14:20 [CoRich]

Utervision Company、アタシは初見です。70分。30日までまで座・高円寺2。

その町には隣町とを仕切る高い壁があって行き来することはできない。ある日、女が壁にあいた小さな穴を見つけて頭から潜り込むが、壁に体がつかえて、抜けなくなってしまう。足の側で通りかかった男が声をかけ、手助けしようとするが、なかなか抜けない。頭の側(向こう側)にも女が通りかかりるが食べ物をくれたりはするが、ずっとみているだけだ。

高い壁に半身をつっこんで動けない女、足の側で助けようと声をかける男は盲人、頭の側で手をさしのべる向こう側の女は聾、という三人の芝居。男が盲であることを半身の女がしばらく気づかないということ、や、それぞれが不自由さ、そこから動けないということを構成という時点でさまざまに描けそうで、芝居が立ち上がるおもしろさがあります。

基本的には男と、動けない女の二人の会話で物語がすすみ、それぞれの事情だったり想いだったりが交錯していくというつくりかた。互いの顔が見えないというシチュエーションも実に見事な感じがします。いっぽうで、向こう側の女は聾であること、あるいはそこに存在しているということ以上には物語をドライブしない感じなのは少しばかりもったいない気がします。

もう一方の演出がどうなされているかはわからないのだけれど、動く白い壁を自在に配置し、時に寓話のように語られる挿話をアンサンブルが演じるとうことがうまく機能していて、コンパクトで見応えがある仕上がりになっています。

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2012.10.02

【芝居】「中也論 よごれたかなしみ」趣向

2012.9.29 19:30 [CoRich]

中原中也を描く100分。30日までSTスポット。

長男を亡くした中原中也。療養所を出て、友人・小林秀雄のすむ鎌倉にすむようになるが、最近は少し距離を置いている。友人・青山二郎が訪ねてきて、詩人をやめるように言う。

STスポットにシンプルながら、しっかりとセットを作り込み、和の空間での人々の物語。やむにやまれず、詩を紡ぐことでしか生きていけない男。友人たちが、元の恋人が距離を置くようになり、孤独だけれどそうしていくしかない芸術家という人種。妻は寄り添い続けているのに、その気持ちには応えていないということ。不器用さ、といってしまえばそうなのだけれど、荒くれるナイフの切っ先のように、友人たちをも傷つけたり、距離を置かれてしまう結果を生むということに気づけないということ。そんな人々の風景を切りとります。

それは妻から、あるいは元の恋人からといった女たちの語り口。問題だらけなのだけれど、それに惹かれてしまう気持ち。女性だから、ということだけではないだろうけれど、作家が愛情を注いで主役を描いているように思えるのです。

戸谷絵里は幼さを感じさせる書生を演じます。これがけっこうハマル感じ。いくつかの回想の場面で中原中也や小林秀雄を演じるというのはちょっとわかりにくい感じも。 中原中也を演じた小栗剛は、こういう不器用さが似合います。妻を演じた大川翔子は普段見せる軽やかさとは別の一途にフラットな想いの新たな魅力。

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【芝居】「ライ・トゥ・ミー」エビス駅前バープロデュース

2012.9.29 17:00 [CoRich]

この場所を知り尽くした作家と演出のタッグが安定の70分。10月13日までエビス駅前バー。

地方の「大川戎商店街」は近くにイオンのモールが出来てからほとんど客は来なくなっている。年に一度の夏祭りはこの商店街に活気が戻る瞬間で、起死回生を狙って地元出身の手品師を目玉として呼んだものの、姿を現した手品師は昼間から酒を呑み、手はふるえていた。

お洒落なバーの内装だからなんとなくオシャレな酒場での話しかできないと思えば、手慣れた作家はそれを軽々と飛び越えて、町おこしに困り果てる田舎の商店街の夏祭りという枠組みを、その控え室というやりかたで作り出します。

大型モールの影響にあえぐ小さな商店街の町おこし、いちどは売れたけれど落ちぶれて見る影の無い手品師の男が再起をかけ出演する故郷の商店街のイベント。今は売れっ子となった弟子が師匠に引退を迫り、妻でありマネージャーの女はそれでも復帰を切望していて。商店街の人々がこれを応援し、弟子が師匠に引退を迫り、その勝敗を判定する女の気持ちなど、シンプルな構図ではあっても少々無茶な設定を、なぜ彼らがそう行動するかについて、隅々まで気を配って描いています。わりと物語を詰め込んでいる気はするのですが、よどむことなく一気に観てしまうのです。

手品師を演じた岡見文克は、不器用さをしっかりと。支える妻を演じた外山弥生は不幸だったり変わってる雰囲気が多い役者ですがけなげに思い続ける一途さが存外に似合います(失礼)。あくまでヒールを演じる山崎雅志はキザで通す役の造型が功奏。田中千佳子は下町っぽい造型の酒屋、こういうキャラクタが実は似合う気がします。時につっこみ、時にこつこつ小商いという総菜屋を演じた菊池美里の安定したバイプレイヤーぶりに舌を巻きます。

エビス駅前バーという場所は、カウンターで芝居をすると、観客からはどうしても背中が多くなる、それを避けようとするとカウンターの中と外での会話を成立させづらいという弱点があるのですが、客席の中央にもうひとつカウンターを作るというのは、新鮮な発想。今回は必ずしも効果的ではないかもしれませんが、応用が効きそうな気がします。

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【芝居】「喫茶室あかねにて。」(B)ホントに、月刊「根本宗子」

2012.9.29 15:00 [CoRich]

毎月公演企画、といいながら二ヶ月にわたって、10月21日までBAR夢。 40分のアナウンスに対して35分。

喫茶店で待ち合わせる女たち。劇団の女優、先輩、後輩たち。長く劇団に居る先輩は彼氏だった作演の座長を、若い後輩女優に寝取られているが、劇団を辞めてはいない。公演5日前なのにまだホンは書けておらず、彼女となった若い看板女優が宥め賺しても進まない。待ち合わせて、ホンを書かせるとか、座長と恋人が千秋楽で揉めてることにガツンというとか。

圧巻の女優たち、この狭い空間で全体にテンション高めで走りきることを嬉しく眺めるというのが正しい見方なのだと思います。書けない作家と、書いてもらわなければわずかばかりのプライドすらも満たされなくなってしまう女優たちがどう書かせるか、と言う枠組みではあるのですが、ひたすら嘆き、喧嘩し、作家を叱咤激励する女優たちの「生態」を眺めるようでたいした物語があるわけではありません。脇からみると大したことないことについて、関係とか意地の張り合いとかということについてのめんどくささということだったりということを執拗に描き続ける、という方法はさすがに40分弱つづけると物語の力で見せ続けるというわけにはいかず、俳優のコンディションだったり客席の暖まり方だったりということにずいぶん左右されてしまいそうな感じはあります。

それでも、高いテンションではあっても、意味の無い短いコントや会話を延々つなげていくこと、それを少なくとも見た目には全力で演じる女優たちを観るというのは結構好きだったりします。そういえば、女三人のくだらない話、というのはアタシの大好物なフォーマットでもありました。

メニューを眺めてセットが頼める時間がおかしい(たしかにそういう訳わからないルールがある店ってたまにある)とかのほじくり出す感じもまた楽しく。

先輩を演じた梨木智香、これまで続けてきたような、劇団員女子というキャラクタの劇団側を描くというあたりの圧巻の説得力。例えば劇団、本谷有希子の中規模の劇場までの時期を支えたのが吉本菜穂子であったように、このユニットにとっての欠かせない看板になりつつあります。それだけにおなじ系統のキャラクタを続けるのではもったいない、さまざまな面を見てみたい気もします。

入ったばかりの女優を演じた根本宗子は、前回公演のOLだったのかなと思わせる(役名記憶しておらず残念)楽しさ。座長の彼女となった女を演じた秋澤弥里は、この座組の中で圧巻の女子っぽさの説得力。ウエイトレスを演じた下城麻菜は物語としては、この人々にとっての他人、というセミパブリックを一身に背負うわけですが、訳の分からない間違いの楽しさ。

後半、歌を歌うってのはさすがに長すぎる感じはいなめませんが、どうして若い作家がこの曲を選んだかということが知りたくなったりします。

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