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2012.08.15

速報→「三谷文楽 「其礼成心中」」パルコプロデュース

2012.8.12 19:00 [CoRich]

助成金削減なんて話題が聞こえる文楽を、三谷幸喜が現代版としてアレンジ上演する企画、三谷文楽。かの市長が言い出したから、というわけではなくて数年来の企画のようです。ともかく爆笑編な120分。22日までパルコ劇場。

曽根崎心中が大当たりした直後、舞台となった露天神社は心中の名所となり、後追いで心中を試みる男女が後を絶たなくなる。その横で饅頭屋を営む店主は、ただでさえ少ない客足が心中が続くことでいっそう減ってしまったため、夜回りをして心中する男女を止める毎夜となった。
今日もある男女が心中しようとするところをすんでのところで止めるが、すぐ近くでまた心中しようとするので仕方なく、自分の饅頭屋に連れてきて話を聞くことにする。油屋の店員と、店主の娘が引き合うが、親の縁談で引き裂かれそうだという。店主はあまり巧く相談に乗れたとはいえなかったが、店主の妻の、今は親の言いつけを守り生きなさい、いつかは一緒になれる日が来るかもしれないのだから、という言葉に二人は諭されて戻っていく。
それを見て店主はひらめく。相談にのって心中を思いとどまらせて、饅頭買わせればいいじゃないか。果たしてその目論見は当たり、大繁盛となる。が、近くに天ぷら屋が店を出して競合し、近松の新作が別の場所での心中物だったために、再び店は傾いてしまう。近松のもとへ、再び曽根崎を舞台にした心中物を書いてほしいと懇願にいくが、「それなりにおもしろい心中の事件が起きたら書いてもいい」と袖にされる。
もう打つ手はない、饅頭屋店主夫妻はこのまま心中して娘に店を任せればま娘だけは生きていけると考え淀川に身を投げるが死にきれない。そこを通りかかる娘と天ぷらやの息子。

三谷幸喜ゆえのシチュエーションコメディっぽく、現代的で見やすい。いわゆる世話物ですから、それを今風にアレンジしながら、 いわばメディアの流行に乗せられて人の迷惑顧みず突き進んでしまう人々やら、あるいは売れるとわかれば創作をせっつき、なんとしても書いて貰おうという浅ましさ。おそらくは作家の個人的な視点から見えている「今」の人々なのだけれど、それは時代が変わってもあまり変わらないのだろうな、というのも腑に落ちる感じで楽しいのです。曽根崎心中を下敷きにするからこそ、文楽という表現を使うことに意味があるというのも巧い選び方だなと思います。

文楽自体が初体験ですから、他と比べることができないのですが、人形を生き生きと動かす技術には確かに目を見張ります。見ている最中に思っていたのは、たとえばこういうものを見慣れた私たちだから、人型のロボット、鉄腕アトムからアシモに至る未来を夢見てこれたのだろう、ということの一翼を担ってきたのだろうと思うのです。それはずいぶんとローテクだけれど、それを支える技術は途絶えたらそれきりだろうな、ということは思うのです。新しい物語ということはあっても、それを支える技術は丁寧に、しかし地味に受け継がれてきたものであって、その上澄みを使っているということは、たとえばコクーン歌舞伎などでも同じことが云えると思うのです。

とはいえ世知辛い昨今ですから湯水のようにカネをつぎ込むというわけにはいかなくなってきてるとは思うのです。もっともそれを訳の分からない一刀両断という件の市長の物言いは我慢なりませんが、流れとしてはそう間違ったことを言ってるわけではない気もしていて。

実際のところ、この技術には目を見張りますし、2,3回ぐらいならば行ってみたい気もします。そういえば昔つきあった人が好きだったのに連れてってはくれなかったなと今更思ったりする甘酸っぱい話はべつにしても、アタシが通うようになるかといわれれれば、いまはまだ、他に観たいモノがたくさんあるわけで、そこまでは至らないというのもまた事実で、そこに税金を今まで通りにつぎ込んでいいかといわれれば、またアタシは迷ってしまうわけですが。

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