速報→「アルジャーノンに花束を」キャラメルボックス
2012.8.12 14:00 [CoRich]
ダニエル・キイスによるSFの名作を舞台化。12日までサンシャイン劇場、そのあと新神戸オリエンタル劇場。125分。
精神の遅れの障害を持つチャーリーは、パン工場で働きながら公共の学習施設に通っている。他人を疑わず笑顔で暮らしている毎日だが、もっと賢くなればみんなから愛されるようになるのだと信じている。
ハツカネズミ「アルジャーノン」を手術によって迷路実験で飛躍的な結果が見えてきた研究者は、人間もまた手術によって知能を上げられると考え、チャーリーを最初の被験者として選ぶ。
手術は成功、知能指数は上昇し、天才となったが、同時にチャーリーは自分の周りの人々が自分をバカにしていたことに気づいてしまい、自分の振りかざす正義から孤立していく。アルジャーノンの異変をきっかけにして自分を手術した研究者たちの手術に欠陥があったとことを突き止めてしまう。この手術による知能の発達は一時的なもので、やがて退行していくことが明白になって。
人間の知能をコントロールする、という技術をめぐるSF王道な一本。知能の飛躍的な向上と感情や社会性のアンバランスと、その知能の向上自体も「太く短く」いもので退行してしまうのだという悲劇。原作がかかれた1960年代に比べると、いわゆる知恵遅れの社会でのとらえられ方も描き方だって変化していて一歩間違えば思慮無いものになりかねないところを、絶妙のバランスで描きます。難しい題材に対して単に古典だからということに逃げず、医科学監修をつけたり、現場で学ぶということをしてみたりと、現在の視点でできる努力を最大限似払っていることが当日パンフからも読み取れるのです。その作品と社会と観客に対する敬意の細やかさこそがキャラメルの魅力でもあるし、ここしばらく続く外部作家の物語を上演できることに繋がっていると思うのです。
当日パンフといえば、知能と身体能力という翻案はあれど彼らの名作「ヒトミ」(1)の元ネタなのだといいます。当パンには知能の向上を身体のそれに置き換えた翻案をしたのは悩みなどが綴られています。もちろん知能の遅れを舞台で役者に演じさせるということがエンタテインメントとして成立させられるのかという問題はあるにせよ、そこに通底するもの、つまり人間の技術がいったんは人々を幸福に導くかに見えて、隠れた副作用ゆえにまだ人間には御しきれない技術があるのだ、ということ。それが2012年の日本に住むアタシには別の響きをもってすら感じられるのです。
うまく説明できないのだけれど、 記憶や知性といったものに対する劣等感、アタシも感じるのですといって今作の中で語られているものとはもちろん意味もレベルもぜんぜん違うのだけど、なんていうんだろう、いわゆるも「ものを知ってること」とか「ものを覚えること」がダメだなと感じることの多い昨今。今作での退行の扱いはいわば老化を加速的にとらえたものだとも感じ取られて、ピークを過ぎるということに対する漠然とした恐怖という風にアタシは感じているのかもしれません。
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