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2012.08.08

速報→「国民の生活」ミナモザ

2012.8.5 13:00 [CoRich]

社会派といえば社会派なのだけれど、論旨の正確さよりも、作家自身が地に足つけて、彼女自身の感覚としてどう感じているのか、ということにこそ価値を感じる90分。二人芝居4本建て。6日までSPACE雑遊。

テーブルに飲み物を置いて男が二人。広告代理店に勤める男、そろそろヤバいんじゃないかと思って、FXに申し込むかどうか迷っている。FXの口座開設を勧める男、どういう仕組みなのかを説明して、練習用のバーチャルトレードの画面を見せて「おばけの市」
ベッドを後にする女に男は金を渡そうとする。そういう場所で出会ったのに、女は金は要らないのだという「わたしの値段」
男はバイトに行かなかったのだという。代わりに私のために詩を書いてくれて読んでくれて嬉しい。でも、どう考えても私を養ってくれるとは思えなくて「この世にうたがあるかぎり」
暑いさなか、開始を待っている女ふたりは知り合いではない。一人はもう慣れていて、遠くから来ていて、自前でグッズまで作ったりしている。もう一人はこのまえこれを目にして、じゃあ来てみようかなと一人でやってきた。そうこれが一歩なのだ「崖から飛び降りる」

真ん中に広々とした舞台。その向こう側には作家自身の部屋から引っ越し屋に頼んで冷蔵庫からベッドから本棚机に至るまで運び込んだという家財道具の数々。これらが芝居で使われる訳ではないのですが、作家の部屋で作家自身が思索した物語、ということが感じられるのです。

「おばけの市」は、越後屋を題材に金融業の成り立ちっぽい話の序盤(これはこれでちょっと読みたい感じでおもしろかった)から、二つの為替の差益で稼ぐのだというFX、さらに射倖心を煽るためとしか思えないレバレッジ(これを「おばけの市」と名付けるのはおもしろい。たしかにそうだ。)への流れをコンパクトに説明しつつ、それに巻き込まれちゃう感じを客観的に描くのです。作家自身にとってはたとえば射的とか、あるいはコンプガチャと同じように巻き込まれてしまむ人々を描いているという感じなのでしょう。描き方に少し「男の子」への大人の女の目線のようなものを感じます。題材はFXだけれども、ある種のバブルともいえるわけで、過去に起きたことに対する違和感のようなものを描いているようにも思えるのです。

「わたしの値段」は、いわゆる出会い系なのに金を払わないという一言がもたらす混乱のワンアイディア。病気でもないし性癖の問題でもないと逃げ道をふさぎつつ進める物語は理詰めにいくかと思いきや、じっさいのところ物語の語り口に混乱というか考えのまとまらなさがとっちらかった感じで、正直云えば物語自体の完成度はあまり高くない気はします。それでも登場人物の女が混乱しながらも一生懸命に何かを考えているのだということにリアルを感じてしまうのです。それを作家に重ねて読んでしまうというのは、もちろんアタシの勝手な妄想なのですが。
議論が成立する根幹というかきっかけとして必須な、二人の対立が少々無茶な感じは残るのです。金を払わなくていいといわれた男が単にラッキーとは思わず、愚直なほどにそれではいけないのだ、と云うのは、いくらなんでもファンタジーに過ぎる気はします(もしかして、アタシがダメ人間ってだけですかそうですか)。話をまじめに聞いてくれる人がいる、ということの嬉しさをこの物語のレバレッジにするのは少々弱い気もしますが、そう感じるのだ、ということは腑に落ちてしまうのです。
女を演じた志水衿子が実に可愛らしい。もうこれだったらアタシだったら(←ダメ人間)

生活、という意味ではもっとも切実な感じがする「この世~」は、まあ、ひらたくいえば「ダメんず」の話。(金にならない自称)クリエータをきっぱりと切って落とすのは地に足がついた感じ。月々の収入と支出がまったくバランスしてないということを聞き取りながらメモしていくというのがちょっとおもしろい。油断すると明日は我が身になりかねない、という少々の切実をアタシは勝手に感じたりもして。 いわゆる現金を稼ぐというだけじゃなくて、もし無人島に二人で流されて、魚を捕ったりしてくれるか、という女の問いかけの絶妙、それに当然と答えながらも、でも第一に詩だな、ということの溝の深さ。それでも女が逃げな理由は明確に台詞で表したりはしないけれど、「殴られると思った」と云う女の台詞で腑に落ちるのです。それに対比するように、男が女の言葉に傷ついたというのだけれど、その切実さに欠けた、薄っぺらい感じが面白いなと思うのです。
いままでアタシが見てきたのは薄倖な感じばかりだった外山弥生が(まあ、これも全面的に幸福かというと微妙なんだけど)、なんだろう生活者というかしっかり生きているのだという感じで心なしか顔色だって明るくて。頑張って「生きている人」を演じたときの素敵さが漲ります。

ミナモザでデモといえば「日曜日の戦争」(客席を囲んでぐるぐる回る演出が秀逸でした)ですが、あのときはたぶん作家にとっては絵空事だったデモの現場が、ずっと身近で切実になってきたのだと感じさせる一本。山梨で電気を使わない生活をしているという女、実際のところ電車で来てるだろうしアルミの鍋だって電気だよね、とつっこみどころは満載ですが、たぶん作家は電気を使わない生活をことさらに強調したいのだとは思えないのです。なんだろう、もしかしたら身の丈にあった生活、したいこと、できることをして生活していくということの憧れのようなものを感じる語り口だなと思うです。そういう生活に一足跳びに行けるとは思わないけれど、たとえばデモだって、たとえば生活の仕方を変えるということだって、一歩を踏み出すことが勇気で、それは床に映された窓から飛び降りるように一歩を踏み出すのだ、というのは彼女自身の決意なのか、あるいはアジテーションなのか。
「ホットパーティクル」での作家自身が混乱していたように感じたことから比べると、もっともっと地に足が着いた彼女自身の生活の感覚から紡がれた物語なのだと勝手に深読みしてしまうのです。

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