速報→「山高帽の深すぎるかぶり方」オックスフォードパイレーツ
2012.8.25 15:00 [CoRich]
オックスフォード・パイレーツとしての二回目の公演、50分。26日まで中野RAFT。
すべての始まりというこの場所を訪れた流れの者が、あちこちで聞いてきた物語を語る。
「悪魔」は魂を喰らい、その人は死んでしまう。端で老夫婦が若者ばかり死んでしまうのを嘆く。始まりの場所、人間の神は生まれたが、草の名前を付ける試練は果たせなかった。遠くにいく人がそれぞれ、この草に名前をつけていくのだ「王冠草のはなし」
ヤアと現れた酔った男、女を恋しく想って聞いてほしい話。ずっと同性で双子だった神様に、ある日男と女の組み合わせが現れた。二人は触りたい、と思って奇跡が起きて、そして離ればなれに散って「双子の神のはなし」
もう読めなくなってる母に向けての手紙、ごめんなさいそれでも私は帰らない。...空と陸と海の神様の時代、海の神だけが生き物を育んで、他の神は羨んで、そこから出て行く生き物も居たりして、しかしここが帰る場所で「全ての母親のはなし」
あなたなくしては、この世界は成り立たない。感謝する、最後まで一言一句漏らさずに読んでください、と。悪魔の化身と云われても、私はいつまでも、どこまでも歩き続ける「黒衣の少年のはなし」
今回は原田優理子が書いた(芝居を意識しない)原作をもとに小川拓也が脚色、共同で演出というスタイルのようです。童話のような神話のようなスタイルだけれど、四つの物語は、流れ者が聞いてきた話を語っている体裁なので、神話だという以外につながりがあるわけではないのが、少々見やすさに欠ける感じ。アタシの友人が云う、笑わせたいのか感じ入りさせたいのか、どこに落ち着かせたいのかが観客からは見えづらい、というのも同感なのです。
スミカに通じる作家なりの世界の見え方というものは感じられたりするので、たとえば、もとにかかれた四つの物語をごく短い感じでもいいから書いたものがあってくれると嬉しいなと思ったりもするのです。(トリのマーク終演後に配ったりする「~のお話」という感じのあれ)
死者への想いに溢れる「王冠草」、双子から発想して恋しい男女たちに着地する「双子」、母なるもの・帰る場所についての「母親」、生まれた子供への想いに感じられる「少年」。確かにそれぞれに脈略はいし、見やすいつくりでもありません。たとえば作家の中にある整理しきれない想いのようなもの、という発想に面白く感じられるかどうか、ということだと思うのです。
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