速報→「メルセデス・アイス」TCアルプ
2012.8.30 19:00 [CoRich]
劇場レジテントカンパニーが今年3月から「TCアルプ」に名前を変えての二回目公演。アタシはカンパニーを初めて拝見します。フィリップ・リドリー1989年の児童文学「メルセデス・アイス」を白井晃演出で、ほろ苦さも楽しさも詰め込んだ110分。9月2日まで、まつもと市民芸術館・小ホール。
その街には35階建て高層アパートの建設が始まった。背の高さゆえに影ができ、いつしかシャドウポイントと呼ばれるようになる。建設が始まった年に生まれた女の子、隣で同じ頃に生まれた男の子、高くなっていくタワーを見上げながら育ち、そのタワーの最上階に住みたいと憧れを持つようになる。二人は恋をして、結婚をする。真新しい最上階の家はキラキラしている。
が、二人で暮らし始めればそれは日常となり、建物も色あせたりする。二人は太り、かっこよくはなくなっていく。その夫婦に男の子が生まれるが、それを見届けぬまま、夫は死んでしまう。夫が欲しかったメルセデスと子供を名付け、母となって、息子に望むものを何もかも与え、薄汚れてはいるがこのタワーという城の王子にするののだと決心し、その通りに育てる。何もかも持っている男の子に、近所の女の子は憧れて、好きになる。
ある日、雪が降って世界が白と黒だけで覆い尽くされると、色が欲しいとわがままを言ってベッドに入ったまま出てこない。近所の女の子は好きになって欲しい一心で、飼っている鳥の羽根を渡す。
ほぼ平らな舞台、そこに役者たちが小さな家を持って現れ、街が徐々にできあがって開演します。舞台奥に徐々に高くなっていくタワー。そこから差してくる影の長さ。人々が働き、日常を暮らしていく街の姿の序盤。なるほど、どちらかというとイーストエンドを感じさせるイギリスの作家。タワーが建っていく高揚感なのです。そこから始まる物語は生まれた女の子、そこに住むことに憧れ、多少の打算とともに恋をして、結婚して、ちょっと色あせた日常だけれど子供を産んで、その愛情故にわがままに育ち、それに従順な女の子、という三世代にわたる物語。
恋する気持ち、あこがれる気持ち、子を持つ母の気持ちという児童文学の枠組みを持ちつつも、歳をとれば色あせていくこと、些細な理由で仲違いすること、持っている者と持っていない者、あるいは友達との関係のめんどくささなど、さまざまな要因がぎゅっと詰め込まれています。
実際のところ、これは女と女の子たちの物語。メルセデスと名付けられた男の子の傍若無人な理不尽さには一ミリも共感できませんが、それでも好きだという気持ちの女の子の気持ちは切なくて、けなげなのです。女の子が自分の好きな蜘蛛の糸で作ったマントを羽織って男の子に会いに行くと、(それを持ってない)男の子が不機嫌になる、それで女の子が「そうか、彼は自分が一番でないと嫌なのだ」と気づく流れの鋭さが、実に凄くて。
或いは終盤のどんでん返しもまた楽しく、終幕のある種の爽快感も確かに女たちのものがたりなのだと思うのです。
たとえば女性を演じる男性の俳優(内藤栄一・担いで運ぶのが楽しい)、たとえばワガママで引きこもりがちで巧くコミュニケーションできない男の子(佐藤卓・ヒール過ぎて気の毒な役ではありますが)、そこかしこに白井晃の演じた役が懐かしく思い出されたりもしますが、たとえば恋する女の子、たとえば色あせた日々。遊◎機械全自動シアターの頃のような、ちょっとしたほろ苦さもきちんと編み込まれているのが見応えなのです。
娘から母になる女を演じた直原薫、可愛らしい女の子、少女、女性と成長していく前半の美しさに見惚れ、一転後半の母は強し、なコミカル(発声も変わってるのが芸が細かい)をきちんと通して支えます。序盤でちょっと怪しい近所の母親を演じた佐藤友は前半のコミカルを一手に引き受けるようで楽しく。 後半での主役、理不尽な責めにけなげに振る舞う少女を演じた竹井学美が実に可愛らしくて。終幕に至るまで目が離せないのです。
初めて入った小ホール。松本の民間劇場、ピカデリーホールと信濃ギャラリーの間を埋めるような規模と使い勝手。アタシが好きな感じよりは少し広いけれどさまざまに使えそうないい劇場でした。平日、木曜初日というのも嬉しい(月-木の夜だといいよなあ)。なによりこれが2000円。税金納めてるんだから観なきゃねと。
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