« 2012年5月 | トップページ | 2012年7月 »

2012.06.26

速報→「ネジ工場」タカハ劇団

2012.6.14 18:00 [CoRich]

タカハ劇団の新作、千秋楽のカーテンコールのダブルコールに慣れない出演陣もちょっとほほえましく嬉しい105分。24日まで駅前劇場。

下町のネジ工場、うだつのあがらない三兄弟が暮らしている。人々は謎の病気で突然死んでしまうようになってきていて、余裕がある人々は生き延びるために海外移住する動きが増えている。発注先の会社から強度や重量や構造などが無理な注文が舞い込んでいるが、そのネジが何に使われているものかは、彼らにはわからない。
ある日、突然、父親の隠し子で妹なのだという美人が恋人に付き添われて現れ、この工場を欲しいと言い出す。

昭和の香りめいっぱいな美術、個人経営の町工場らしい感じ(A3のプリンターがあるってのが図面用っぽくてリアリティ)、うだつのあがらない太ってたり髪が薄かったりという三兄弟たち、そこにやってくる謎の美女という枠組みだけなら新喜劇かというほどのベタベタな人情喜劇もできそうな布陣ですが、作家・高羽彩は一筋縄では行きません。近未来、人々が謎の死をとげるような時代、あるいは無茶なネジの注文によって創られているものがいったい何なのか、ということは明かされないけれど、ある種のディストピアをこの舞台の外側の「世間」として作り込みます。

マグネシウムのキリコ(切り粉)が発火し、水をかけると爆発するという挿話が理系男子というよりは、マグネシウム加工の現場こそみてなくても、それを肌で感じているアタシとしては、ちょっと楽しいし、花火に見立てるのもいい雰囲気。ならばその加工機械を投資すれば仕事ができるという発想、高度経済成長のようなかつての時代を懐かしむ彼らの心情は、(カセットテープとかフィルムとかいう言葉も含めて)ああいう家で育ったわけではないけれど、雰囲気としてよく理解できるオヤジのアタシなのです。

恋人たち、出入りの業者という世代は若い観客に近い世代に描かれます。配送業者が寝ていて次男が怒り、「妹」が責め立てるシーン、なるほど、親や教育(も社会も)が機能していない(と、子供も居ないアタシが云う資格はないのですが)彼らが怒られるということの化学反応。三兄弟にとっても「妹」(この場面で作業着に着替える流れにするというのも巧い)という刺激があらたなことを思い描き、実行し失敗しということのダイナミックな動きは確かに人情喜劇っぽく楽しいのです。

生きるために仕事をすること、家族として暮らしていくという、少し前まではごく当たり前だとみんなが感じていた筈なのに、望んでも手に入らなくなってしまうこと、汗水たらして作っているものは世の中を良くすることに資しているとみんなが信じられた時代が土台から揺らいでしまっている今、そこに希望があったり絶望があったりということがないまぜにして描く作家の視線が鋭いのです。

あかりを演じた水谷妃里は鼻持ちならなくて、美人でだけれど、心が揺れる瞬間が美しい。次男を演じた夏目慎也の家族を支えている感じに説得力、兄二人が喧嘩していることを笑わせようと、一緒に暮らそうと考える三男を演じた山口森広もまた説得力があります。長男を演じた有川マコトは悩み抜いた挙げ句に心を病んでいるというおかしくなりそうな役をしっかりと。板倉チヒロが演じる出入りの配送業者という会話できるんだか出来ないんだかという絶妙なバランスが楽しい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

速報→「ドコカ遠クノ、ソレヨリ向コウ 或いは、泡ニナル、風景」マームとジプシー

2012.6.24 13:00 [CoRich]

4年ぶりの再演、アタシは初見です。24日までPRUNUS HALL。105分。

いつもの朝の筈だった。同棲している彼が珍しく優しく見送ってくれた女、兄に送られて出かける妹、結婚式に行く三人の女、徹夜で呑んで電車を何本も見送った男、それぞれが乗った朝の駅の風景、乗った電車は事故にあい。

終演後のトークショーでは初演ではもう少し電車の車内という装置を作り込んでいたものをフラットなフロアを区切っただけにしたり、走るシーンを新たに作り込んだりしているようです。

前半はその朝の風景、それぞれの人々の過ごした風景を淡々と、というよりは繰り返しを多用し、行きつ戻りつしながら描きます。事故までの車内の様子までも。 後半は、事故から絶命するまでの間に彼らが思ったことをある種の走馬燈の記憶だったり、反射的な行動だったりを描きます。

同棲しているカップルの朝の風景の底にあるものが描かれる前の日の晩の会話だったり(これは彼氏の視点か)、幼なじみの三人の女の中学生や幼い頃の他愛ない喧嘩、あるいは惚けてしまって姿を消すことになった飼い猫の話だったりと、繰り返しを使わず、丁寧に描き出します。繰り返しというのがどうにも苦手なアタシでも、本作は食い入るように見続けてしまうけれど、まあ苦手には変わりなくて、繰り返しのない、きちんと会話になっている後半ののいくつかのシーンこそがおもしろいよな、と思うのです。

とくに幼ない三人の他愛ない喧嘩、お腹空いてゴハン食べたいという友達に向かって帰りたくない一心で投げつける容赦ない言葉からの大泣き、というあたりの流れが、コミカルだし、なんか心に残るシーンで、なぜかあったし、ちょっと涙したりもするのです。

繰り返しのリズムの中で、観客の想像力に期待しているとか、自分たちの演劇ってものがこうなのだとうのは確かにMC(Master of Ceremony)ですが、観客対しての親切というよりは、自己主張っぽさが前面に出る感。若い作家の4年も前の作ならば、こういうガツガツした感じもまた彼ららしさがでています。もっとも、4年前もこの台詞だったのかどうかは知る由もありませんが。

わりとハードに走ったり、まるでエアロビクスかと思うほどの運動量(そういう意味では消耗する肉体、という意味での東京デスロック的な気もします)。ダンスというよりは、走ることを表現しようとしているようだけれど、わりとシンプルなステップで、ワークショップというかどこかのフィットネススタジオでやってるなら毎週でも通ってしまいそう。

終演後に設定されたトークショーは作演の藤田貴大と同学年で、初演にも出ていた3名の女優という構成。召田実子、成田亜佑美、伊野香織。あのころの印象だったりどうしようとしていたか、というどちらかというと同窓会的回顧な和気藹々。まあ、グダグタといえばそうなんですが、人となりが垣間見えた感じではあって、嬉しいのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

速報→「シレンとラギ」新感線

2012.6.23 18:00 [CoRich]

大阪のあと、青山劇場で7月2日まで。200分(休憩20分込み)。

北の王国と南の王国、北の王国が隆盛を極めるきっかけとなったのは、20年前に南の国王・ゴダイ(高橋克美)を秘密裏に毒殺したシレン(永作博美)の働きによるものだった。北の国王の暗殺を企てる者が後を絶たず、守っているのはサムライと呼ばれる男たち。なかでも凄腕のキョウゴク(古田新太)だった。が、20年経った今になって、ゴダイが復活しているという。再び送り込まれることになったのはシレンと、キョウゴクの息子・ラギ(藤原竜也)だった。

親殺し、近親相姦というわりとドロドロした物語を骨組みに。しかし、新感線らしく、劇団の役者たちにそれぞれきっちり見せ場を用意したり、コミカルなシーンもきちんと織り込みつつの長丁場をきっちり見せます。なるほど、いのうえ「歌舞伎」と銘打つだけのクオリティ(と長さも)が健在。まあ、客席飲食禁止で歌舞伎と云われてもね、と思ってしまうのだけど、まあ仕方ないところ。

広い意味で愛情という欲望に忠実であることや、それに臆病であること、不器用だったりということを描きます。実際のところ、物語は地味だという気もします。 が、いのうえひでのりという作家の描く世界、現実や既存の物語の世界をなぞるということではなくて、作家が創った「こういう世界で起きていること」という世界に引き込む力は相変わらず強力です。よく考えれば構図としてはスカスカなのだけれど、そういう人々が居る世界ということの説得力は役者による力ということも大きいのでしょう。

永作博美の実年齢ははわからないけれど、母親というにはあまりに若く見えてしまうけれど、それゆえに生まれた物語という意味で物語の柱。後半にある、悪夢のようなシーンは圧巻。ラギという若者を演じた藤原竜也もまた、どうしても子供に見えてしまうというのもキャスティングの妙。教祖でもあり国王でもあるゴダイを演じた高橋克実が実に格好良くしかも迫力。頭の弱そうな北の国王を演じた三宅弘城が後半で見せるアクション、忠実なる部下を演じる北村有起哉の実直さへの説得力。
久しぶりに見ても古田新太の格好良さはもちろん健在、橋本じゅん演じる昔の仲間というのは、ほぼ唯一、物語の骨格といわゆる賑やかしの橋渡しをする役で、分離しかねない二つの世界をつなぎ留めます。

新感線といえば派手な演出、大音響でありながら、隅々まで気を配った演出という印象です。たとえばこの規模になると省略されがちな配役表の折り込みなどもしっかり続けています。
が、たまたま下手端前方に座ってしまったアタシの違和感は、音の悪さというか、台詞の聞こえなさ加減。もちろんマイクにスピーカーですから、役者のせいではありません。スピーカーとか音響のセッティングということだろうと想像するのですが、開幕して一ヶ月近く経った公演で、台詞として言葉として聞き取りづらいということが、よもやこの規模のこの価格の劇場で起こるとは思いませんから戸惑うのです。(個人的に老いただけ、かもしれませんが(泣))

| | コメント (0) | トラックバック (0)

速報→「Goodnight」競泳水着

2012.6.23 14:30 [CoRich]

王子小劇場の、佐藤左吉演劇祭2012のオープニング企画。キャッシュバックマラソンはすべての演目の有料観劇が条件ですが、まずはこれを観ることから始まる100分。7月2日まで。

個人経営のレストラン。開店直後こそ繁盛したものの、5年が経って客足は遠のいており、銀行からの借金の返済も厳しい状態になっている。開店当時はオーナーシェフの弟がホールを取り仕切っていたことも人気の原因だったが、店の方針の意見が食い違い、弟は店を辞めて別の店のオーナーになっている。
ある日、アルバイト店員の一人が勤め先の転勤で北海道に行くことになった。送別会を貸し切りで開くことになり、店のスタッフのほか、彼女の友人たち、店に寄りつかなかった弟や久しぶりの妹も集まることになる。そろそろスタートの時間だが...

瀧川英次の出演ゆえか、どことなく、P.E.C.T後半の名作「最初の晩餐」の風味。口数少ないが、店に想いのあるオーナー、喧嘩の絶えない兄弟、元の恋人、スタッフたちのそれぞれを交えて群像劇っぽい仕上がり。セットは美しく、今風のお洒落なレストランなのに、調理も食事も酒を飲むシーンすらない、という作り方はちょっとおもしろい。閉店後というよくあるシチュエーションではなくて、レストランに集まってるのに飲み食いしないというシチュエーションを少々強引にでも作り出すのもまた楽しい。

同じ系統の仕事である飲食業を選んだ兄弟、それゆえに喧嘩もするし、別の道を歩むことになる二人、久しぶりの再会のぎこちなさ、しかし心配する気持ち、口を出したくなる気持ちの絶妙の距離感。あるいは元カレ元カノだったり想いを寄せた男女たち。あのとき、こうしてくれていたら/こうしていたらまた違うようになっていたかもしれないのに、ということの取り返しのつかない感じの終幕の余韻が実にいいのです。

正直に云えば、コメディなのかドラマなのかという点で語り口が定まらない感じは残ります。 全体の物語はひたすらに優しくて、食い足りなさを感じる向きもあるかもしれません。作家が病気を経験した、ということと関係するかはわかりませんが、兄弟だって、スタッフだって、場違いな友人たちだって、空気を読めないということはあっても、悪意は微塵もありません。けれど、各々が自分の生き様をどうしていくか考えること、その真摯で真剣に向き合う気持ちが、この店の中を満たすのです。

無口な兄を演じた竹井亮介、商売ができる弟を演じた瀧川英次、妹を演じた岡田あがさ、という豪華なキャストが安心感。シェフを演じた黒木絵美花は美しく凛として目が離せません。あるいは去っていくスタッフを演じた川村紗也が実に可愛らしくしかし芯の強さも印象的です。
いっぽうで、物語に直接絡むというよりは、コメディパートという感のある役も楽しく。たとえば距離感の妙な友人を演じた阿久澤菜々、銀行員を演じた大川翔子(足の細さにビックリする)、あるいは博士と呼ばれる男を演じる菅野貴夫も広い意味ではそうなのだけれど、少々やりすぎなぐらいにデフォルメしても物語が壊れないという意味で、見かけや雰囲気に反して物語はなかなかの強度があるのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.06.17

速報→「宮本武蔵」五反田団

2012.6.16 19:00 [CoRich]

再びヒットが続く五反田団の新作は、着物着たりしつつ時代劇の体裁なのに妙に今っぽい110分。17日まで三鷹市芸術文化センター星のホール。

宮本武蔵と名乗る男、街道で行きずりの男と剣を交えそうになるが、結局同じ宿の同じ部屋に泊まることになる。武蔵はこの宿にかつて約束を交わした女に会うためにやってきたのだが、女は既にしている。夫は母親である宿の女将に云われた侍の子だ、ということを信じて、いつか侍になれるのだと思っている。小さな宿には佐々木小次郎と名乗る男、湯治に来ている兄妹も居て。

宮本武蔵、丁髷なしとはいえ、着物(まあほぼ半分は浴衣だし、着方として正しいかどうかの知識もないわけですが)と刀を腰にもつ男たちの一見グダグタな会話。

人を殺すということとか、敵討ちということなど、時代の枠組みの違いは雰囲気として盛り込みつつも、上手に生きられない男たちの、幼さも内包した不器用な関係をきちんと描きます。 有名なオレを知っててくれて嬉しいし、むしろ知らない奴をdisるとか、友達だと思っていたけど(劇中の台詞にあるとおり)、はしゃぎ方がわからなくて、やりすぎてしまって、雰囲気を悪くしてしまうとか、謝り方がわからなかったりとか、謝られても水には流せない感じとか。生きてはいってるけれど、生きづらい不器用な感じが前面に出ています。

一時期小難しい方向に行っていた五反田団、友人に教えられて久しぶりに見始めたここ数作は、ちゃんとヒットが続きます。シンプルな舞台に、現代のアタシたちが(もしかしたらノスタルジーとしての)中二っぽさと感じることが強い、ということかもしれません。

宮本武蔵のニセモノがどうとか、ということに言及するという点では、新年工場見学会と銘打って続ける公演の雰囲気もちょっとあって、あの五反田にある小さなアトリエと、わりとタッパがあってスカスカになりがちな三鷹市芸術文化センターを同じ雰囲気にできるということのスケーラビリティにはちょっとビックリします。劇場も、昔に比べたら格段にちゃんと見やすく傾斜のある客席をつくるようになっている改善が効いています。いくらかかっているかわかりませんが、大改修という感じではないのはむしろ好感が持てます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

速報「うっちゃり」ユニットニット

2012.6.16 14:00 [CoRich]

松本の女性三人の劇団、3回目にして最終公演と銘打つ100分。平日遅めや、土曜21時開演という配慮が嬉しい。17日まで信濃ギャラリー。

大晦日の深夜、ネットカフェ。ライブで気持ちよく年越しするはずだった女はライブ後、店長に呼び出されてシフトに入っている。店で偶然に出会ったライブの客たち。一人は小説家とは名乗るものの本職とは思えないのに、本人は至って自信満々。もう一人は挙動不審な女だった。いつしか小説家の書いた話を無理矢理読まされることになる
おじいさんとおばあさんと地蔵の話、仕事がみつからないネズミとパートなネズミと、育てられた子猫の話、若い男が次々と亡くなる怪現象が起こり、中央に集められたあと、残された妻と、妊娠した浮気相手と、実姉が出会う話と。


ヲタ芸的なライブの客たちで一気に芝居へ。
一番外側にいい歳した現実の女たち。主婦だけれども万引き癖が抜けず夫にばれて逃げてきた女、素人の書いた話つまらない話なのに親が金持ちで周りが褒めそやし本人もやたらに自信満々な女、実は小説は書いたことがあって佳作までは行ってるけれどどうにも自信がもてない女。
その内側に小説家の書いた話を三つ、という構造になっています。昔話風はなんか話らしいもの、ぐらいのジャブ、二つ目の猫と鼠の話はミュージカル風に見せかけて、生活していくって大変ということと、生まれもってしまった業ということをシンプルに。三つ目の残された女たちの話は、どこかケラ風(2001年/すべての犬は天国へ行く)で、女であること、男に振り回されても、居なくなってしまうとそれはたいそう寂しく。原因は謎のまま男たちが死に、あるいは連れ去られという寂寥感のなかでも、愛した男にまつわって喧嘩していくという感じ。もういちど外側の物語に戻るというのは構造として綺麗にまとめます。芝居の中にもう一層の物語を内包するといえば後藤ひろひとも思い出します。

解散公演ゆえか、100分という時間にさまざまをぎゅうぎゅうに押し込んでいるという感はあります。最後の一本と外側の構造だけでも成立させられそうではありますが、この盛りだくさん感もまた楽しかったりするのです。

幸せになれない女三人の話、という芝居が大好きなアタシですが、彼女たちは、自分の幸せということに対して貪欲でもないし、あからさまに不幸せということを嘆くでもありません。 東京で見慣れた芝居の感覚からすると、深夜のネットカフェでライブ帰りの女たちが再会し、というシチュエーションは少々無理がある感じはありますが、前回★の代行というのと同様に、この街でこういうシチュエーションがあり得る場所、という意味ではこれ以外にはない(ほかは、なぜかそこら中にあるTSUTAYAぐらいだ)ぐらいに、ここで生活している彼女たちが描いた地に足がついた描き方が説得力を生みます。

松本での芝居の公演は市民芸術館という公共の劇場(まつもと歌舞伎や、サイトウキネンでも上演がある)と、ピカデリーホール+信濃ギャラリーという民間の劇場が二つの核になっています。市民芸術館の充実と広々としたロビーも嬉しいけれど、民間の劇場での小劇場が好きなアタシとしては、ピカデリーと信濃ギャラリーの中間のキャパの劇場があればな、と思うのです。彼女たちにとっては、ピカデリーは大きすぎるし、信濃は小さすぎる、もっとも、公演の予定が詰まっていないのでtwitterで見ていると、セットなどほとんどないのに、劇場(こや)入りが一週間弱前というのは恵まれています。いっそ、ピカデリーホールのロビーという広さがちょうどいい気もするけれど、こういう広さでそこそこにタッパがある場所って無いし、なぁ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

速報→「THE BEE Japanese Version」NODA MAP (松本公演)

2012.6.15 19:00 [CoRich]

NODA MAPが松本に、というだけで嬉しいジャパンツアー。17日まで、まつもと市民芸術館、実験劇場。110分。

最前列の下手で観た東京では視界のほとんどを宮沢りえの胸元ということに費やしてしまった至福の時間を過ごしてしまったわけですが、松本では少し後ろ側、中央というあたり。金曜夜、ここの経済感覚からすればかなり高価なチケットだし、筒井康隆という決して大笑いして楽しいというわけではない話にも関わらず、老若男女で、きっちり満員。なんだ、観客は居るじゃないか、と思います。

友人によれば、東京とは野田秀樹の芝居が少し変わっているところがある、と云います。芝居をきっちり覚えられないアタシですから、そこの記憶は曖昧なのだけれど、座った席の違いゆえに、今度は箱庭のように狭い空間で起きたことを悉に観られることで、男がいかに矮小な世界で生きていくことのルーチンに行ってしまうのか、あるいは女がなぜ受け入れてしまうのか、ということが見えてくるように思います。(いや、暮らしたことないわけですが、アタシは(泣))

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.06.12

速報→「乙女ごころ三人姉妹」直子あんりタイタイ

2012.6.10 19:00 [CoRich]

2012.6.10 19:00

三人の人気女優によるユニット、成瀬巳喜男の同名の古い映画を再構成して70分。10日までCCAAアートプラザランプ坂ギャラリー3

1935年、東京浅草。三味線で門付けをしている次女、レビューの踊り子をしている三女が健気に働いている。三女に男ができたのではと母親が気をもむのは、長女は悪い仲間と交わったあと、真面目なピアノ弾きと駆け落ちをして家を出ているからなのだ。二人のもとに、肺を患った駆け落ち相手の旅費の工面のため、浅草の街に戻ってきた。

そういう女たちが居る時代、何か気になること、激動の人生を歩む女が居ること、という体裁の描き方。映画はもっといろいろ盛り込まれているのでしょうが、枝葉を落とし、骨格となる部分を抽出。広い劇場でもしっかりと芝居を支えられる役者たち。物語はじっさいのところわり他愛もない、姉妹たち親子の女たちの物語で、むしろ役者が持つこの小さい空間から溢れるばかりの声量とふざけっぷりとキメるシーンの格好良さなど、役者をこの空間で見ることこそが今作の魅力に思えます。

不良仲間に声をかけるというシーンは軽い客いじり、いじってもらって嬉しいアタシです。それもこれもやっぱり役者の魅力で見せる芝居ということなのでしょう。

三女を演じた深谷由梨香は、役に取り込まれているかのような芝居が多く心配になるのだけれど、今作で垣間見せる素な感じに勝手に安堵します。自在に軽々と走り回り、可愛らしさもめいっぱい。次女を演じた渡邊安理は実際のところ、三人の真ん中を取り持つというのはこのユニットの首謀者(終演後のトークショーによれば)だからか、しとやかさも見えてきて色っぽい。長女を演じた村上直子は二役、小道具で鮮やかに変化していくさまが楽しい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.06.11

速報→「鬼畜ビューティー」ロ字ック

2012.6.10 17:00 [CoRich]

劇団名は気になっていた(そのわりに間違って覚えてた:-)けれど初見です。千秋楽は超満員、95分(開演10分強押しなので実質80分ほど)10日までサンモールスタジオ

中学校では女子生徒たちが、男子生徒に女子トイレを覗かれたといって抗議しているが、その男子生徒の母親もまた、モンスターペアレンツ張りに猛烈に抗議してきている。その教師のなかの一人の女教師はしっかりしていると思われているが、浮いた噂ひとつもなく、男とつき合うこともなく、この歳になってしまった。同僚の教師に不倫な気持ちを抱くものの、言い出せない。同居している妹は売れないグラビアアイドルで、枕営業よろしくさまざまな男たちを家に連れ込んでいる。姉は処女であることをコンプレックスに思っていたが、ある日、妹との喧嘩で云われた一言をきっかけに、化粧も洋服もすっぱりと変え、風俗で働くようになり、まったく変わってしまった。また親が抗議に訪れているなかで、そう変わってしまった女教師のことが暴露されて。

いい歳なのに処女であることをコンプレックスに持つ教師を柱にして、女そのものを商品にしているグラビアアイドル、商品ではないけれど女を武器にしている後輩教師、その予備軍としての姦しい女生徒たちという布陣で、オンナたちの話を描きます。「童貞をこじらす」というのはもはや市民権のある言葉になった気もしますが、そのコンプレックスとスイッチが入った瞬間の豹変を表現する感じは今作の主人公にも当てはまります。

前半の妹と姉のシーン、じっさいのところほぼ二人の置かれた相対的な立場を説明するための機能だけれど、たった二人でテンポよく。姉妹の部屋で進む物語がじっさいのところはとても重要で、たとえば女を売りにすることのリスクだったり、その嫌な面だったりも中盤の妹のシーンが描かれるのもここです。

それに対しての教室のシーンは、教師たちの男を含めた社会のこと、女生徒たちで描くのは女たちだけのいわゆる下世話な意味でのガールズトークだけれど、これもまた女の居る社会の姿だと思うのです。性病からパンツの売り方まで、中途半端な知識での会話というのもまた、ある年齢における社会。女である私を中心にして、自分の思うこと、関わる社会を多重に描き出す力なのです。

正直に言えば、全体に絶叫調の芝居をするシーンが多くて、そのわりに役者がめいっぱいな感じがあるのでそこが平板に見えてしまうという感はあります。それほど大きな小屋ではありませんから、そこまで絶叫しなくたってちゃんと物語は伝わるという気がしますから、実はもったいない。

処女の女性教師を演じた松浦智美のクールと弾け具合が楽しいけれど、どちらかというと真面目が前にでる感じゆえにキレた時の厭世感に説得力。グラビアアイドルの妹を演じた堂本佳世はきついことをズバリと切り込みつつも親へのコンプレックスが表に出てくる後半もしっかり。後輩の女教師を演じた山田麻子は、おもねて可愛らしく媚びる感じのキャラクタへの説得力。モンスターペアレントを演じた作演・山田佳奈、超満員で迎えた千秋楽には目に光るもの。こういう瞬間に立ち会うのは、(初見だけど)嬉しい気持ちになります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

速報→「15 Minutes Made Volume11」 Mrs.fictions

2012.6.10 14:00 [CoRich]

約一年ぶりの15mm、隅々まで洗練が進んだ感のある枠組みに休憩10分込みの130分。11日までシアターグリーンBox in Box シアター。

失恋のあまり落ち込んでいる女子中学生のため、親友はその元彼を忘れさせるために別の良さげな同級生のことを好きになるように猛特訓することにする。最初は気乗りしなかったが、やがて告白しようという気になって「工藤、笑って」(月刊根本宗子)
昔々からの女たち、飲み込んだ種は次代に受け継がれていく「lovvvvvvvv∞vvvvvvvve」(宗教劇団ピャー!!)
バブルの頃につきあい結婚した父と母。父親はバブルの時代の記憶と現在の記憶が混ざってしまって、今夜も母を六本木の知り合いの店のディナーに誘う。その店はとうに潰れてしまったのに「お父さんは健忘症」(Mrs.fictions)
ゾンビに噛まれてしまい、ゾンビになるのは時間の問題の女は43歳。若い彼氏が居て、十分やさしくて。が、感謝を伝えるうち、女のテンションは妙になり、ゾンビ云々以前にもう女として見てくれてないじゃないか、と言い出す。「散々無理して女だった、女だったのに」(MCR)
ヤンキーあがりの姉の話を語る男。その夫はある日、火事で子供と妻を残し亡くなってしまう。弟である俺は、それを見守っている「八坂七月 諏訪さん九月」(あやめ十八番)
サッカー部、女子マネージャーと共に勝ち進もうとそのとき、札付きの他校サッカー部との試合の乱闘で、キャプテンは脚を痛めてしまう。それを託された後輩は「キック・オフ!!」(梅棒)
一年の空き時間を経てのゆえかどうか、全体に洗練された印象があります。たとえば、下手側が巻き上がった一枚の紙のようなしつらえの舞台。たとえば舞台上の6枚のパネルがあって、プロジェクション・マッピング風に使ってタイトルなどに使う構成。たとえばちょっといい紙を使いながらもコンパクトに情報をちゃんとまとめた当日パンフ(劇団の由来から作品、出演者と今後の予定がちゃんと。この手のオムニバス形式のお手本といってもいいと思います。)。さまざまが機能的で無駄がなくて、しかも美しい。手作り感あふれる初期の感じも悪くはないのだけれど、ここに至り全体がそういう設えになっている、というだけで気持ちいいつくりになっているというだけで素敵に思えるのです。

「根本宗子」は、フられた女友達と元気づけようと奮闘する女友達、しかし女同士の友情とか親友ってものの深さと薄っぺらさ(終幕の工藤の表情が超絶にすばらしい)を15分に濃縮。フられたことを忘れるために新しい同級生に恋をすることにする、という少々無茶なところを、乗り越えるブートキャンプ風に見せるのは前回公演に音楽も含め似たシーンがあった気もしますが、ショーケース企画なんだから劇団の強みになる過去シーンを使うというのはむしろ正しい貪欲な姿勢だと思います。フられた女を演じた梨木智香のメガネギャップ、ブートキャンプする女を演じた根本宗子はその無茶を有無を言わさず乗り越えさせる強さ。フった男(小西耕一)にパンを片手に喋らせるだの、優しくてイケメンだけど適当な同級生(加藤岳史)というキャラクタの設定も何か、らしくて面白い。

「ピャー」は初見です。まあ、芝居なんかよりも遙かに強力な現実の宗教団体のニュースにあふれた今週というタイミングは、客席がひくというよりはインパクトの差という点で不利に働くのは、劇団名として名乗る以上は仕方のないところ。女優、その母と祖母というワンアイディア、それが本当ならば、それをちゃんと舞台に乗せられるまでに何とかした、という点は認めるものの、彼女たちの血のつながり以上に、物語が何か提示できていたのかという点で今一つピンと来ないのです。舞台後方でずっとキスしたり抱きしめたりし続けている恋人たち「本当の恋人たちの」というアナウンスを信じるならば、彼らには敬意を払うけれど、それを単なる背景に使うということの意味が見えづらいのです。最後のラッピングする感じは期待を持たせるものの、これも巧く機能したとは思えないのです。

いままで頑なにトリだった (トリでなかったものも数本あるようです。ご指摘感謝)「Mrs.fictions」が中入り前、というのは新鮮。それに留まらず、若年性の健忘症、記憶の混濁、バブルの時代というわりと手垢にまみれたアイコンを巧みに組み合わせて作り出す物語が新鮮で豊かです。バブルの頃の記憶に生き、妻となった女を六本木の交差点で口説いたという一点を核にしながらも、そのあとの結婚、出産を経て居る娘(ツッコミ役として重要)のことだってちゃんと忘れていないというのは混濁をうまく使います。そんな夫を受け入れるように、近所の買い物に出かけるのにドレスに着替えるという妻、ワタシたちはそれを観て笑うけれど、受け入れると云うことの重さを軽やかに描く確かな力。父を演じた岡野康弘の胡散臭さと真剣さ、母を演じた小見美幸の変貌のギャップ(驚きって芝居には重要)、娘を演じた長谷美希、つっこむということだけでなく、私の知らない父母の話を聞くことのメンドクサいけれどちゃんと聴いてるという感じが嬉しい。

中入り後は、セットのない芝居ばかりということか、筋肉質な締まった芝居をコンパクトに。

「MCR」は過去、小椋あずき主演の「女がつらいよ」をの本編と終演後のパフォーマンスをモチーフにしたかのような構成はショーケース企画に対してこれも正しい姿勢。ゾンビという設定もそのときの企画公演だったか。動かぬ柱となるのは揺れ動きながらも支えよう、という気持ちはある若い恋人(佐賀野雅和)で、彼に対してどう対峙していくか、ゾンビになりかける年上の女の揺れ動き、迷って気になっていたことをぶつける、というあたりが圧巻です。小椋あずきこそがむしろアタシに近い年齢、つきあってくれてありがとね、という気持ちに寄り添いたい(けれど何もないアタシ(泣))。櫻井智也の年上好きっぽい感じもちょっと楽しい。女がシてくれないことに不満ということを芝居として仕上げるのは実はかなり困難な気がしますが、役者たちも脚本の間合いも含めてきちんと物語になっていて、これを作った作家の確かな力を感じるのです。

花組芝居の堀越涼が立ち上げた個人ユニットのお披露目「あやめ十八番」は一人芝居。スーツ姿で落語のように上下を切る芝居をしつつつ、照明を使って他の人(三谷幸喜の「なにわバタフライ」がそうだ)の巧み。笑いもろくにない芝居なのに、きっちり見続けさせてしまいます。これが彼自身の話なのかとうことは聞いてみたい気もするのですが、自分と兄弟たちのことを語っている弟キャラは後から考えれば語り部という意味で巧みな距離感のポジションが巧い。もちろん役者には圧巻の信頼を置くアタシです。

ダンスユニット「梅棒」は初見です。言葉を一言も発せず、ダンスだけできっちり見せるだけの迫力と力があります。正直に云えばあたしは台詞のないダンスは苦手な部類なのですが、シンプルでわかりやすい物語に乗せて、パワフルにキマる男たちのダンスってものの気持ちよさ。女子マネージャーですら男(野田裕貴)ですが、ジャンプもキレも対等に渡り合うために男で、ということにはプロダクションとしての説得力があります。

次回はたまりに溜まったmrs.fictionsの15分芝居を期待しちゃう「15みうっち(身内)めいど」とか。割と楽しみなのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

速報→「三谷版 『桜の園』」パルコ・プロデュース

2012.6.9 19:00 [CoRich]

2012.6.9 19:00

7月8日までパルコ劇場。そのあと大阪、神奈川。135分。開演前に青木さやかによる前説タイムがあります。

開演前アナウンスで「喜劇」としての上演であることを強調。有償の当日パンフ(1500円しますが、200ページ超えでインタビューや背景説明満載で読み応えがあります)掲載の演出ノートでは戯曲にもともと「四幕の喜劇」と書いてあるのだという記載もそれを支えます。一般的な上演形態での桜の園が悲劇として上演されることが多いらしい、のですが、アタシはあまりちゃんと観たことがないのでわかりません。

喜劇として大爆笑編をねらうあまりの構造改変も、今の私たちの状況に無理に明確な投影を行うというようなこともせず、キャラクタや台詞の組立てを現代の私たちの感覚に受け入れやすく手直しを行った、という印象があります。結果、ちゃんとスタンダードな桜の園が、ずっと見やすくなったもの、という仕上がりだと感じます。もちろん詳しい人が見ればいろいろな差異はあるのでしょうが。

金がないと云いながら大切な「桜の園」を守るための貸し出しを拒み、何も対策を打たないままに競売にかけられ、土地も生活も失ってしまう地主階級を、世間離れしたほわんとした雰囲気に描き、その対立項として経済面で勃興してきた実業家や、新しい時代の知識人たる学生という変化のうねりを置くというのは、なるほど没落していく者たちという悲劇という構造自体は大きくは改変されませんが、その会話の端々のおかしみというものだけでも、物語のテンポも緩急も実に見やすく仕上がるのです。

没落していく地主たちを浅丘ルリ子、藤木孝というどこか世離れした役者にするというのは巧いキャスティング。対立する実業家を演じた市川しんぺーは圧巻の存在感を見せ、印象に残ります。新しい知識階層たる学生を演じた藤井隆は今作でのかかれ方そのものがコミカルなのですが、それをしっかりと演じます。初舞台だという青木さやかは前説の盛り上げも、そこかしこに入るコミカルなシーンもしっかりと。養女を演じた神野三鈴は支えなければならない立場、現実との接点がもっとも強く悩みの深さも観客である私たちに比較的理解しやすい立場だからこその、悲劇的なシチュエーションでのおかしさが強く印象に残ります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

速報→「42分堕ちたら地球の裏側です。」実体験オムニバス公演プロデュースユニット モロモロ

2012.6.9 14:00 [CoRich]

60分、とのアナウンスですが交通機関の遅れに対応して開演20分遅れの15:25終演。10日まで東中野レンタルスペース。信頼する友人にアタシは好きそうだ、と云われて(笑)

21歳、はじめてバイトを始めた女。仕事も意志疎通もいまひとつ、それななのに仕事がどんどん降ってくる「疫病神」(体験者/島口綾)
せっかく理学療法士、芝居の学校の卒業公演のために辞めることにしたけれど、フリーターになることを母親に報告しづらくて「事後報告」(体験者/吉田みずほ)
大学生の女友達4人で集まってあるDVDをみる会、他愛もない話の会なんだけど、ちょっと不穏な空気が流れるけれど「FLOWER & SNAKE」(体験者/安達可奈)
女の友情なんて薄っぺらくて嫌いだという主宰に、私の女友達を侮辱するようで許せない「がーるずとーく」(体験者/長菜々美)

主宰の野崎百合香を演出とし、それ以外の役者たちそれぞれのちょっとした体験をスケッチ。それぞれは他愛もない日常だし、突飛なことが起きたりもしないし、ある種類型的かもしれないけれど、彼女たち自身の感じる違和感というかひっかかりを感じたこと、きっと年齢や立場や世間が変わってしまえば、綺麗に忘れてしまいそうなほどに些細なことを描き出すのは瑞々しいというのとはちょっと違う気もするけれど、等身大を描いた今作は、まあ、アタシの好みなのです。

登場する役者たちは、正直、とりわけ美人というわけでも突出した強いキャラクタという感じでもなく、良くも悪くもごく普通の(もしかしたら冴えない、失礼..)女の子たちなのです。彼女たち自身の物語はそれぞれのキャラクタをバックに持つものだけれど、彼女たち自身の不器用さも含め愛おしいと思う気持ちにあふれた描き方、それが作によるのか、演出の力かはよくわからないんだけど、それこそが彼女たちの持ち味という気がします。

「疫病神」、不器用そうでほわんとした雰囲気の島口綾のバイトの風景、その不器用さゆえに面倒を呼び込んでしまいそうだということ、同僚も半ばあきれながらも合わせるけれど、やっぱどこか腹立たしく思ってたり。これを本当に彼女自身が書いたのだとすると恐るべき客観視なんだけど、彼女のいる空間は、まるで磁場かのように、こういう感じになってしまう想像されちゃうので、みんなで作り上げた感じなのかな、と勝手に想像。

「事後報告」、フリーターしている役者は数あれど、わりときっちりした技術職なのに、それを「(良くも悪くも)踏み外す」瞬間を描くという芝居はあまりみない気がします。芝居とはいっているけれど、仕事を辞めるということ、それを親に話すこと、親がそれを受け入れること。もちろん当人にとっては大きなことだけれど、それを芝居として成立させるのはなかなか大変なところ、単にいい話にしなくて、冷静につっこむ親の最後の一言が、いいバランスです。

残りの二本はいわゆるガールズトークっぽい風景の切り口。
「FLOWER & SNAKE」はその中で、一触即発になりそうな不穏な空気感が立ちこめるのに、それを意識的か無意識的かくるりと避けてスルーすることにする瞬間が不思議だと感じた「体験者」と、それを際だたせて描き出すのは巧い。この現象自体は実際のところそんなに珍しくないだけに、衝突の回避そのものの不思議よりも、それに違和感を感じたという感情を取り出してを描き出すことで、体験者自体のあまり器用ではない、女子力の弱そうなキャラクタが逆に浮かび上がるという巧さに唸ります。いや、ほんとうの彼女がどういう人かはわからないのだけれど。

「がーるずとーく」は、主宰自体は信じていない女の友情と、いや自分にはちゃんと女友達が居るんだ、普通なんだという体験者の対立の構図。体験者だって本当は気付いているはずの友情の薄っぺらさと、彼女のズレた真面目さみたいなものがどんどん露呈していくステップっは、彼女を丸裸にするようでこれを舞台に乗せるのは勇気あるよなぁと思うのです。もっとも、その外側にみえてくる彼女たち自身がちゃんと女友達になってるじゃないか、という描き方もちょっと巧い。
友達のはずだと信じて送る公演の案内メールはなしのつぶて、それをスルーしたまま入籍メールが届くなんてのは、まあ芝居の話に限らずよくある話だけれど、ちょっと面白い。

ほわんとした不器用さが際だつ島口綾、それとは全く違う雰囲気なのにこっちも実に不器用な真面目さが徐々に見えてくる長菜々美の二人が役者のキャラクタとしては印象的。理学療法士だったという吉田みずほ、鍋パーティを開催していた部屋主だった安達可奈は、一見ごく普通の女の子なのに、その内面に見え隠れする不器用さや違和感がうまく描き出されています。演出、となっている野崎百合香はその彼女たちから何かを引き出している、という感じが「がーるずとーく」を通して透け見えます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.06.04

速報→「ベンチャースクール」(smoker's SIDE) エビス駅前バープロデュース

2012.6.3 16:00 [CoRich]

砂場、遊びを巡る二本立て公演のもう一本。85分。4日までLEFKADA。

砂場に集まった人々。急成長したおもちゃ会社の社長が姿を消して一年が経ち、会社を守る兄弟たちはうまく回せずに存亡の危機を迎えている。粗暴で暴力的な兄だったが会社経営のセンスは優れていた社長を探し出すことが急務で、やっとの思いでみつけたのだ。しかし、その社長は子供に返ってしまったようで、砂場で遊びたいのだといいだす。

同じ砂場を使いながら、同じ作家とは思えないぐらいに、こちらはもっと緩くて、コミカルさを強めた作り。「子供返り」を物語の核にしながらも、喧嘩ばかりの兄弟たち、その家族や部下たちを含めた「人々の話」を描くことに重点を置いています。

子供に帰ってしまった兄貴について戻ってほしいような戻ってほしくないような、という設定は粗暴だけれど圧倒的に優秀、という「針の穴に糸を通すような」ピンポイントで辻褄。兄弟たちの思い、というようなことを描きたいのだろうと思うのだけれど、それだけで90分近くを持たせるのは少々苦しい感もあります。

だめ社員だった女を演じる佐々木富貴子は、ちょこまかと動き回りながらのオッチョコチョイ感が楽しいけれど、最後列では見えないところも多くて寂しい。終幕での物語での位置づけは、正直とってつけた感(ないよりはずっといいけれど)はあるのですが、それでも「こける」シーンからの泣きという一歩間違えばえらく陳腐になるシーンを、実に説得力のあるシーンに作り上げる確かな力。
クールビューティーに見えてSキャラなコメディエンヌが炸裂する岸本鮎佳は、実際のところ物語を背負うというよりは、キャラクタの勝負だけれど印象に残ります。

キャンセル待ちの大盛況の回。最後列に座ってしまったこともあって、正直、砂場の上で行われることはほぼ見えない状態。もっとも、たまたまもう一本は最前列に座れたから感じなかっただけだろうとは思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

速報→「ベンチャースクール」(DART'S SIDE) エビス駅前バープロデュース

2012.6.3 13:00 [CoRich]

エビス駅前バーの常連、広瀬格の率いる2団体のVS形式。DART's側は砂場で繰り広げられる膨大な物語の80分。4日まで新宿LEFKADA。

オフィス街にある公園、昼休みになるとスーツ姿のサラリーマンたちが集まり、昼休みの時間めいっぱい遊ぶ。砂場に集まった人々は、この広い砂場で100年にわたる王国の物語を紡ぐ、という遊びを始める。グランドマスターと呼ばれる「遊びの天才」は、時間いっぱい、真剣に遊ぶことを求める。プロフェッサーと呼ばれる男を楽しませることができないと、大きな問題が起こるのだ。

地下の劇場に膨大な砂を運び込み、砂場に。いわゆる砂場遊びよろしく、海をつくり、山をつくり、型押しで建物を造り、空き缶空き瓶を駆使して、物語を紡いでいくという構成。中世風ファンタジーは、実際のところアタシ自身にとって入り込みづらいジャンルなのだけれど、イキオイに押されて物語に取り込まれます。過剰な物語の物量もさることながら実はそれだけでは飽きてしまうところを、中盤で一瞬現実やその背景にリンクさせるという緩急のリズムが巧いのです。

作家の得意な手法ではあるけれど、「遊んでいること自体が密接に現実にリンク」するわけではないのは、構造としては惜しい感じがあります。もっとも、サラリーマンの昼休みという日常に入り込んだエアポケットのような「事件」が、昼休みが終われば日常に戻る(犯罪のことも忘れて)ということの諸行無常感(ちょっと違うか..うーん、なんというか)がファンタジーの物語の流れと同じ、という大枠のリンクがあるのは美しいのです。

劇中のごっこ遊びで、もっとも重要なルールとして説明される「真剣に楽しむこと」は、もうすこしブレークダウンすると(これは明確には説明されない)「人が語った物語は(文句は言えても)取り消せず、さらにそこから物語を重ねていくことしかできない」というルールで、これが徹底されているのが、物語をひたすら前に前に、濃密に進めるということにプラスに働いています。

プロフェッサーを演じた島田雅之は邪悪であるという立場で君臨し続ける格好良さ。グランドマスターを演じた國重直也は真摯で前向きなキャラクタを好演。鈴木麻美はスカートで砂場という無茶な役だけれどさすがに劇研育ち、彼女に限らず、怪我のないことを願うばかり。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

速報→「憧れと衝動」デフロスターズ

2012.6.2 19:30 [CoRich]

アタシは劇団本公演初見です。3日まで高田馬場ラビネスト。

宮崎に戻っていた女が東京に戻ってきた。同郷の女友達二人が出迎える。恋人と住んでいる女、テレビ局で働いている女。それぞれいったんは逃げて再び、という30歳たち。

わりとアタシが好きな、30歳前後の女三人芝居、という体裁。 芝居を再び始めるために上京した女、が、とりあえず暮らすために始めたアルバイト、店員との関係など、なるほど「流されてしまう」女を描いたり、あるいは テレビ局の女、キャリアの中断ということの悔しさ、引き上げてくれる(理由はすごくわかりやすい)若い上司、厳しいことをいう上司の中での奮闘を描いたり。 あるいは、恋人と住んでいる女、息が詰まりそうな部屋、でも結婚したいという強い気持ちという女を描いたり。結婚と仕事と流される日常と、三者三様のお年頃な話題を骨格にし、それぞれの物語として描きつつ、彼女たちが集まるのはその報告会のような体裁。悩んでいる壁は違っていて、言い争いになったりもするけれど、人生が変わってしまっていても今までもこれからも、ずっと友達だという感覚、作家は男なのに女性っぽい視点がアタシには楽しい。

再び上京してきた女を演じた大川翔子は、可愛らしく、不器用さ、流される感じの説得力。テレビ局で働く女を演じた板倉美智子は頑張るけれど報われない女、背が小さいということもこの役に対してはプラスに働きます。同棲している女を演じた異儀田夏葉は、幸せになりたい感を前面に出しつつも、友達を守る、親を守るという脚本の台詞が、実にかっこよく決まるのです。こういう女三人の会話を違和感なく描ける男の作家の視点というのもまた楽しい。

同棲している男を演じた佐藤達、神経質という役はあまりはまらないと思いつつも、時にコミカルに、ときに怖くきっちりと。ディレクターを演じた、とまちべゆうこは恐らく初めて拝見しましたが、優しさと手のひら返しのギャップのダイナミックレンジ(落差)がすごい。飲み屋の店長を演じた根津茂尚、あごひげが決まるかっこよさ、プロデューサーを演じた犬塚征男の格好いいちょっと怖い先輩というのはステロタイプと云えばそうだけれど、実によくこの物語にハマります。 格好良さ。

そうなんです、全体に誰もがかっこよく描かれるのです。女性たちにしてっも男たちにしても、それが恋愛に繋がらない場面なのに、じつにみんながそれぞれにカッコいい(が、スタイリッシュではない。つまり昭和な感じすら漂うかっこよさ)が、アタシの気持ちにも沁みるのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

速報→「キツネの嫁入り」青☆組

2012.6.2 15:00 [CoRich]

作家・吉田小夏のテイスト溢れる110分。3日までアゴラ劇場。

過疎に悩む村。さらに女性がどんどん減って、ついに村長の妻が紅一点となる。妻の一周忌を迎えた男のもとに、縁談が持ち込まれる。山に住む狐を嫁として迎えないかというのだ。狐の嫁は尽くすのだといわれている。やってきたのは母にも妻にも雰囲気の似ている「椿」という狐だった。

昔話、という始まりだけれど、よく聞くと「むかしの、みらいの話」と台詞に混ぜてあるという序盤。 狐が嫁入り、という舞台を選んだがための、化けてみたりとちょっとしたSF仕立て、SFをそう読む世代じゃないと思うのだけれど、女性の作家がこういう物語を書き続けているのは嬉しいのです。 単にその設定に留まらず、作演は細部のリアリティと誇張を巧くつかった演出で物語に深みを与えます。近所に住む女たちの会話、想い、恨み、喧嘩の絶妙の距離感。あるいは恨んだ瞬間に化け物になるかという勢いや、色香に男が惑わされる感じ、彼女の真剣もしっかり。魔物に取り込まれないということは男の生き様なのだというある種の教訓も、昔話のテイストといえて、一貫しています。

ネタバレかも

続きを読む "速報→「キツネの嫁入り」青☆組"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2012年5月 | トップページ | 2012年7月 »