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2012.05.27

速報→「Fried Strawberry Shortcake」appleApple

2012.5.26 19:30 [CoRich]

appleAppleの新作。85分。27日まで小劇場「楽園」。

多数決のため狭い部屋に集められた9人の男女。何回目かも居れば、初めてという人も居る。各々は「資料」を手にしている。仕切る男は「この子の自殺に賛成かどうかを決める」という。

ピンク一色、女の子が好きそうなものがあふれる部屋。楽園という劇場の中央にある柱や入り口にある可動扉をうまく使って二部屋という体裁に。

自殺をしようと渋谷をさまよう少女の頭の中、かつて自殺した人々が頭の中に現れ、死ぬべきじゃない、ほっとけばいいんじゃないかなど。議論というよりはそれぞれの過去や立場の表明のぶつけあいとぶつけ合い未満。この劇場で9人は大人数という印象だし、それぞれの動線を確保するだけでも結構大変な気もしますが、(わりと深刻な題材のわりに)ポップな展開は見やすい気がします。

自殺の脳内多数決、ほぼ「反対」で一致かと思うとそこに一人の賛成からというフォーマット。どう思うか、どうするべきか、少女が自殺を考えるに至ったさまざまをすこしずつ提示していくのは巧い感じ。誕生からの場面を挟みながら追うことで美人で可愛くて人気があって、という少女が、ちょっとした傷(「戦争とかテロとか、大変なことはあるけれど、小さい傷でも、私には切実で」というのが彼女にとっての切実さ)で捻れはじめて、14歳に至っての自殺を考えるに至ること。自分の居場所がないように感じる感覚。それでも、彼女自身がどう考えたということではなく、あくまで淡々と描く事実と、彼女の脳内で想像している「人々」というフォーマットなので、最後まで彼女自身が考えたことを示さないというのも、物語の世界自体と同じことを徹底していて潔いのです。

遅い時間に渋谷の街を歩き回る少女、という視点を与えるのが舞台に設定されている「目玉」という別の部屋。密閉された部屋というだけではなくて、外の風景、町に生きていた人ということや、この街に来た理由、渋谷駅と文化村を歩く人々の違いに目を向ける感覚、あるいは中学校の教室で「大人になろうとする」ことの気持ち悪さ、これから先に続くこと、女子の友達のシーソーの怖さ(ごく短いけれど)。濃密にぎゅっとここを作り上げるのです。

どこを目指しているのか、わからないけれどという体裁や、後半になって投下されるもう一つの着火源たる「生まれ変わり」を投下というのも構成として面白いのです。

渋谷の街を描いたといえば「三月の5日間」( 1, 2, 3) を思い浮かべるアタシです。今作もまた、「目玉」を通じてこの街を描きながら、この街になにを求めてくるのか、ということの感覚。この流れなら死に場所ということだろうけれども、ここで希望に救われたくて、という感覚を渋谷でというのは、アタシにとってはちょっと眩しく感じたりもするけれど、嬉しいのです。

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速報→「Dで始まる鳥の名前」トリのマーク(通称)

2012.5.26 16:00 [Corich]

部屋のような広場のようなところを訪れる男。見て回るためには案内人が必要なこの土地で、案内人を呼ぶが、それはかつての知り合いらしい。ここにはほかにも案内人が居たり、ずっとこの土地のことを見ているものもいる。かつてここには鳥がいた、らしい。

終演後に配られることが多かった「おはなし」は、人物イラストが可愛らしい当日パンフと一緒の配布に。絶滅した鳥の中でもっとも有名と思われる「ドードー鳥」のことをもう一段掘り下げたような話。その最終ページにうっすら線で描かれた鳥というのもちょっと洒落ています。

ドードー、その土地を訪れた人々、動物たちが結果としてドードーを滅ぼし、ドードーが滅んだことで影響を受けたものの話、居なくなった後のココを訪れたりずっと守っていたりする人々を断片のように。

物語に関係あるようなないようなさまざまな断片。王らしいものと従者、入り込んだ何かと追い出す人、前人未踏なのにすぐ行けるという案内人との旅、ドードーから発想したさまざまなのでしょう、一本の物語として感じ取るのは難しいところですから、その断片を面白がれるかどうか、という点で観客を選ぶようなところは、昔からの通りです。

正直に云えば、彼らが劇場公演だけに絞って公演の間隔が開きがちな昨今なので、表現する側にとっても観る側にとっても、トリの世界を共有し続けることの難しさを感じます。得意技の「場所から発想する」という方法が、固定された場所ゆえに封じられてしまっているということかもしれません。もちょっと、半年に一回ぐらいが嬉しいんだけどなぁ。

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速報→「翔べ翔べ翔べ!!!!!バナ学シェイクスピア輪姦学校(仮仮仮)」バナナ学園純情乙女組

2012.5.26 13:00 [CoRich]

ロミジュリ、ハムレット、マクベス、オセロー、夏夢、なぜかチェーホフ、ベケット、任天堂まで参戦な。物語を追いづらいかんじですので、exiciteニュースの記事が詳しいです。濡れてもいい服、という触れ込みですが、時折り浴びせかけられる水がうっすら絵の具のにおいがするので、汚れてもいい服と靴(ここ重要)を。

二階堂瞳子、NY帰りの最初の一本。カオスっぽさはそのままなれど 物語を完全に排除した最近の「おはぎライブ」から、少し演劇寄りに。ヲタ芸を薄めにして、洋楽含めたさまざま。中心がなくなった分、いろんなことを試しているというか、迷っているような感じがしないでもありません。たしかに「おはぎライブ」の完成度ならば敵なしですから、そこに留まるだけより、いろいろ試してみるというのは正しい選択。

台詞の断片だったり、男女の出会いだったり、主人公の葛藤だったりをみじん切りにしてマッシュアップ。その断片すらも、ほとんどは舞台のあちこちで、実にこじんまりと演じられることもあって、そこの何かを追いかけようとか捕らえようということはほぼ徒労に終わります。完全なカオスこそが身の上の「おはぎライブ」にくらべると、なまじ物語らしいものがあるために、それがつかめないことのフラストレーションは溜まります。めいっぱいで観たいからと欲張って最前列(アタシだ)というよりは、もうすこし後方の方が全体をぼんやりとも、それぞれのパートの好きな部分を好きなように選んで観られるという点で、いいかもしれません。

最近のバナナの舞台は、水にしてもダンスにしても過剰感だったり、やりすぎる感じこそが身の上という感じだけれど、今作、それだけを期待するとそういう意味では物語をはさんだためか、少し薄味な感もあります。。だからといって、「おはぎライブ」一本でやってほしいとは思わないのです。二階堂瞳子に惚れ込んでしまったアタシとしては、脚本は別にあっても、彼女が描く演劇を観たいという気持ちがますます強くなるのです。 こういう構成だったにしても、当日パンフのあらすじ以外では、アタシには断片としての物語を感じるのが精一杯、せっかく「構成」したものを、もっと五官で感じ取りたいと思うのだけれど、それはアタシの感度の問題という気がしないでもありません。

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2012.05.23

速報→「EXPO」乞局

2012.5.21 19:30 [CoRich]

奇譚集という名の短編集。今作は奇譚というよりは、この劇団には珍しく、アタシの友人の云う「メジャー(表舞台の市井の姿)を描く」90分で、企画公演という趣、これもまたうれしい。いくつかの回に短編の再演が設定されています。23日まで神保町スタジオイワト(神楽坂のiwatoとは別の劇場です)

私の生まれる前の大阪万博のこと、想像して、浮き立つような気持ち。あのときの日本の姿「'70」
海洋博に行きたい妻、食事の時の会話にうんざりとしている夫がつっかかる。沖縄に行きたいのだという妻に勝手にすればいいと言い放つ夫だが、突然チャイムが鳴り、夫の知らない男が入ってくる「'75」
マスコットキャラクターに応募しようとする中学生、同級生の美術部の男が家に訪れる。なんか気になってしょうがない。高校生の兄貴はやけに色っぽい女を連れ込んでいて。「'85」
あちこちに立体映像、東芝と埼玉銀行と東京電力。女連れの男、金ならいくらでもある、コンパニオンたちの頬を札束でひっぱたくようにして 「'88」
お台場の夢のあと。その土地にやってきたヲタクの男たち、そこにも新しい恋があったりするがバカにされたりもして「'96」

「70」は大阪万博の話だけれど、それよりずっと若い一人の女の一人語り、私の知らない高揚する時代の感じ、がんばればがんばるほど、実際のところ空回りにも見えて、あの時代が本当に遠くに行ってしまったのだということを実感させます。アタシだって生まれてことすれ、3歳とかそんなものだから大差がなく、今から見た、あの時代ということの落差という見方をしてしまいます。このあとずっと舞台の中央におかれるレゴで作られた(昭和60年代生まれとしてはダイヤブロックを推したいところですが、こちらが正解でしょう)

「75」(と聞くとGメン、と前につけたくなる)は夫婦の会話、時代の何かというよりは、わりと普遍的な夫婦の姿。途中で現れる謎の男が本当に不気味に描かれているけれど、このラインの中ではびっくりするほど安心のオチ。そのあとの夫婦の姿がむしろ怖いんじゃないか、と思ってみると、まさかの大団円みたいになる、というのはむしろ企画公演っぽくて楽しい。

「80」はマスコットキャラクターに応募する中学生、これも時代(途中で登場する大人の女のこの頃っぽさはすごい)よりは、中学生、性への目覚め、愛情というよりも、性欲よりももっと浅い、御しがたい衝動の頃を描く感じ。そのワンアイディアを無理矢理ではありながら、キャラクターの話に押さえ込む感じが可笑しい。
アタシは高校生の頃でしたから、なんかグループデートっぽい感じで行ったよなぁというのが、遠い日の花火で甘酸っぱくかってに自分の思い出に重なったり。まあ、実はよく覚えてないんですが。

「88」はバブルな時代の背景、うなるほどの金、大企業や銀行、電力会社といったものが圧倒的であって、日本が世界一の経済大国だったころのこと。アタシにとってはこのあたりがもっとも実感はある感じ(恩恵は残渣だけを少しばかり受けてはいますが)。銀行は潰れないし、電気はいつまででも安定して供給されるという罵り合いは、今のアタシたちから見ればもちろん後出しじゃんけんですからフェアではないけれど、いつまでも続くと思っていたものがそうではなくなるのだということをアタシたちは知っているのだということは「人類の進歩と調和」(いいコピーだなぁ)なのだな。と思ったりします。

「96」は都市博の中止をバブルの崩壊に重ね合わせ、戦争ならぬ万博を知らない子供たちの時代。その焼け跡のようなお台場の荒野に芽吹いたヲタ文化、そのコミュニケーションのぎこちなさを笑うけれど、確かにそれもまた芽吹き。そこには恋心や出会いもあるし、その時代を写すような感覚がぎゅっと詰まっていて濃密なのです。絵に描いたヲタク男三人の造形から所作、発声に至るまで強烈なデフォルメだけれどその境界線上をうろついたアタシにはこれもまた切なく。 墨井鯨子は、一人芝居のぎこちない空回り感、96でのオドオドしたコスプレイヤーの猫背な感じが絶妙に楽しい。田中のり子はまさかの中学生、無邪気で少し大人っぽくて、でも性のことそんなに知らないって雰囲気がちょっといい。中島佳子をバブル期な女という役割というのは、少年役ばかりだったかつてを思えば信じられない気もしますが、醸し出すあのころな感じが実に出ていてちょっとすごい。 さいたま博でのコンパニオン、残った二人を演じた岩本えり・田中のり子の罵り合いが圧巻。もちろん、台詞が「後出しじゃんけん」ゆえということはもちろんあるのだけれど、役者のちからが圧巻です。

終演後、いくつかの回に設定された短編再演企画、アタシの見た月曜夜は19:30開演と組み合わされた唯一の回だったこともあって超満員で「」。毎度のことながら観たのにすっかり記憶から抜け落ちてるアタシです。これもまた迫力があるけれど、この、わりとメジャーな現代日本の流れを描く本編に組み合わせるのはどちらにとっても少々もったいない気もします。

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速報→「容疑者χの献身」キャラメルボックス

2012.5.20 14:00 [CoRich]

キャラメルボックス、2009年初演作の再演。主役の★が替わったことで今までとは別の人物造形が楽しい135分。6月3日までまでサンシャイン劇場。そのあと大阪を経て、もういちど東京(シアター1010)公演あり。 初演時にもあった、劇中のインスタントコーヒーが終演後に(有料ながら)飲めるというあたりも(ホスピタリティとして)楽しい。

毎度のことながら、見た芝居をblogにあげたら綺麗さっぱり忘れてしまうアタシです。弁当屋、数学者の対峙、ふたりのギャップということぐらいは覚えていても、流れをすっかり忘れていました。

初演の時もだいぶ泣いた気がしますが、今作での近江谷太朗の造形は初演の西川浩幸とはずいぶん印象が違います。数学を信じて迷いがない、という雰囲気だった初演とは一新していて、むしろ衰えていく自分の現実の姿と、紙・鉛筆や頭の中で続けていけることのギャップを印象づけていきます。たとえば大学勤めとは違って、自分一人で(研究の)旅を続けなければいけない、市井の研究者の埋もれた日常。年老いていくこと、表舞台に出ないのだという決心。想いが美しい世界なのです。

アタシはもちろん自分ひとりで成し遂げられる力がもはやないことは自覚している(大学生の頃や新入社員のころのあの万能感は何だったのだろう)けれども、それができると信じる世界の眩しさの記憶はあるのです。それが薄れて日常に埋没しているところに全く別の(女性という)光が差し込む瞬間のきらめきの嬉しさ。

実際のところ、自分お想いには全く気づかない相手、気づかないふりかとおもうと、おそらくそうではないという説得力。が、自分の幸せを願ってくれたひとの想いに気付いた時、その想いに気付いてしまった男の決壊。

わりと淡々と、しかし緻密に追い込んでいく原作に対して、初演と同様、舞台ではもうすこし笑いの要素が混じります。130分ほどの舞台ですから、観客に対しての緩急というかリズムを作り出すというのは劇作というよりは演出の領分ですが、これが効を奏しています。この妙味のバランスこそがキャラメルボックスの見やすさで、真骨頂だと思うのです。

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速報→「どうしても地味」箱庭円舞曲

2012.5.19 19:30 [CoRich]

箱庭円舞曲の新作。27日まで駅前劇場。そのあと大阪。125分。

花火が名産だが過疎になった町、純国産を旗印に中国との国交断絶を商機に大幅に売り上げを伸ばした線香花火、その二年目。寺に隣接した集会所に「仲間」と呼ぶ寄り合いに集まる人々。花火職人は今年は別の何かを考えている、妻との距離。その妻の弟は東京から嫁を連れて戻ってきたが、奇行が近所の噂になっている。嫁は距離の縮め方がわからない。web担当の若者は夜ごと迫る妻から逃げることを考えてばかりいる。独身の運送担当は花火を続けて本気で考えている。寺には住職のほかに、居候の女が居る。ある日、その集会所に謎の女が訪れて。

箱庭円舞曲のラインナップは「仕事する男たち」ともいうシリーズと「家族の話」を主に据えたシリーズを交互に上演。今作は「家族」のシリーズです。

斜めにしつらえた集会所、六畳間。舞台の奥には玄関があって奥行きを感じさせるいい空間。六畳間には縁側と庭がついているけれど、客席上手側と下手側では、たとえば線香花火の場面でも縁側の外側から眺めるのと内側から(背中をみるように)眺めるという具合に印象が異なりそうです。引き戸・障子をうまくつかって間取りの割には玄関の見え方が場所によって大きく替わらないように工夫しているというのは、しっかりと空間が隅々まで演出が把握し作り込んでいるという印象を受けます。

タバコの違法化、中国との国交断絶という近未来っぽい舞台背景、当日パンフにあるように田舎の過疎地だとしても国が決めたことの影響とは無関係では居られないのです。

今作で物語の軸に据えられるのは、たとえば夫婦で居ること、小さなコミュニティの中で暮らしていくということ、あるいは夫婦の性も含めた生活のこと、その絶望的な溝や追すがろうという気持ち。兄弟の確執や心配する気持ち。

あるいはここで生計を立てるということのギャップ、それでも関係を切ることができないというコミュニティの狭さのさまざま。作家は何かを悟ったのではないかというぐらいに描かれることはほんとうに「地味」なのです。それはその土地のもつ味、しきたりのようなものということも含めた、土地のことを描くという意味にもつながります。

女三人の会話のシーンが好きだというのは、アタシの偏った好み。終盤にあるシーンは静かで他愛もない感じではあるけれど、何かを守るゆえの軋轢、バランス、という三人の会話ということのおもしろさが濃密なシーソーゲームのよう。

正直にいえば、「集会所」と「各家庭」といわれても、新興住宅地にあるような同じ間取りの家、という感じにみえてしまうというのはちょっともったいない感じ。もっとも、これだけ作り込んだセットゆえなわけで、この質感もまた捨てがたくて悩ましいところ。

迫る嫁を演じた神戸アキコはコミカルであんまりといえばあんまりな描かれ方だけれど、そうせずには居られないという気持ちはやがて切なさを感じます。 花火職人を演じた爺隠才蔵はニュートラルかと思わせつつも当日パンフにある「飽きる」ということについてブレずにしっかりと。妻を演じた木下祐子は時にヒール。時にピシャリと凛としてかっこいい。 菊池明明はすらりと美しく、なびいちゃう男の気持ちに説得力。住職を演じた小野哲史は静かで落ち着いていて印象に残りますが、そこかしこに出てくる飛んだ生臭坊主っぽさもまた「らしく」てちょっといいのです。笹野 鈴々音は正体不明な感じがちょっと妖しく、雰囲気を作ります

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速報→「ローザ」時間堂

2012.5.19 15:00 [CoRich]

時間堂の新作はローザ・ルクセンブルクを巡る4人芝居。90分。29日まで王子スタジオ1。7月下旬から静岡、仙台、福岡、大阪、津でのツアー公演を予定。

墓参りに訪れた人々、眠るのはドイツ革命の指導者、ローザ・ルクセンブルクだった。激動の時代、敵対したり盟友だったりという人々が墓前でローザの姿、あのときの自分との関係を思い起こす。

当日パンフの折り込みで、わりとライトな語り口で読みやすいローザを巡る言葉、時代背景を解説が一枚。お恥ずかしながら、ローザ・ルクセンブルクという人物が実在したことも、その時代背景もほとんど知らなかった(世界史と世界地理、ついでに云うと日本の地理も実は苦手です)アタシです。共産主義の革命家をめぐる人物、本人を登場させず、四人がかわるがわるローザ役を演じ、他の人との場面を作り出すことで人物が浮かび上がるのです。現実を背景にとりながらも、劇中では役者でない人々が芝居を演じるという枠組みは違和感が残ります。(ローザの急進的な考え方付いていけない、と思う人だったり、教え子でありながら弾圧する側に回ることになる人だったり。革命と理想と現実、あるいは恋人を巡るさまざまが演じられます。)

ヒザイミズキは長いこと拝見してますが、実力がきっちり現出。直江里美は表情の可愛らしさが印象的。窪田優は現段階では未知数な気がしますが、(こいけけいこ、という前例がありますから)伸び伸びとした雰囲気に期待。黒一点の菅野貴夫が座組にいることで、舞台が締まる印象があります。

正直に云うと、現代の日本でこの題材を、こういう形式で上演することの意味はいまひとつ腑に落ちない感はあります。ドイツ革命という時代は背景なのだ、と考え、魅力的なローザという人物を「間接的」に浮かび上がらせるということが表現として、作演が考える上演の目的なのだ、と考えるとこういうスタイルを取ることの意図はなんとなく理解できる気もします。

小劇場の芝居を全国ツアーに持って行くために、ほぼ素舞台で上演できる4人芝居という作り方はちょっと面白い気がします。たぶんクルマでの移動でしょうから、運転できる人が何人居るかということはちょっと気になりますが、なにとぞご無事で。

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2012.05.15

速報→「恋に生きる人」月刊『根本宗子』

2012.5.13 19:00 [CoRich]

本公演を拝見するのは実は初めてです。16日までゴールデン街劇場。80分は気楽に笑えて、しかも面倒くささも満載な会話が楽しいラブコメ。たった5人、(客が入らないといわれる)日曜の夜だというのにきっちり満員。大したものです。

バイト先の調子のいい先輩に口説かれてつき合うことにした女。なんか腑に落ちないことがたくさんあるけれど、それでも彼のことがものすごく好きになっていて。喧嘩別れした女友達とも仲直りすることにしたけれど、彼が帰ってきたら急に帰ってしまう。部屋にはなぜかほかに住んでる人がいて。

なんかもの凄く狭い世界の人々の会話。それを散らすようにさまざまなスパイスをまぶしつつ、情報を小出しにして、最初は漠然としていたパズルが組み上がっていくような楽しさがあります。バイト先の先輩、つきあう女、謎の男、喧嘩別れした親友、怪しい女が徐々に登場し、そことそこが繋がるか、ということが次々と出てきたりするのは確かによくできすぎているといえばそうなんだけど、それも突き詰めていったのはたいしたもの。

物語は物語として、登場する人物たちだって、デフォルメがすごくて、キャラがものすごくたっているのが、気楽に観られて楽しい感じ。恋愛に関するさまざま、完全に依存症の人だったり、ふらふらと誘われればつきあっちゃう人だったり、浮気癖、元カレとか元カノとか、女友達の友情ってものの儚さと勘違いと、ごった煮にで、ものすごく濃ゆいのです。

この魅力的(知り合いにはなりたくない感もあるけど)それぞれの人物に対して非対称に情報があるということを効果的に使います。写真を見ている女が部屋に居た初対面の女に出会い頭の表情、親友なのに隠していることがあるなんてのがそこかしこに効果的です。

気にしないというかオープンすぎる男を演じた西山宏幸、いいひとだから人が寄ってくるのに彼女に対してそうでもなかったりというのがリアルな感じ(いや、そんな嬉しいシチュエーションなんて経験ありませんが(泣))若い男を演じた宮下雄也、かき回すのをしっかりと。

恋人になった女を演じた大竹沙絵子が本当に可愛らしいのはトープレの公演イベント(をUSTREAMで観たのですが)以来な感じ。ビックリするぐらいに、表情も声もダイナミックレンジが幅広くて楽しい。色っぽい女を演じた梨木智香は見た目にきっちり説得力、捻挫した女を演じた新谷真弓は、この広さの劇場に出る役者としては破格に格が違います。色っぽさ、ふてぶてしさ、可愛らしさのふれ幅も圧倒的です。この三人の女優が会話する三つ目のシーン、パワーゲームというかシーソーゲームな感じで楽しい。全体の枠組みがわかってからという構成も巧いのです。

後半のブートキャンプっぽいあたりはもはやコメディというかコントという体裁もまた楽しくて、しかもなんか恋に生きている人々という説得力。

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2012.05.14

速報→「insalata matta」

2012.5.12 19:00 [CoRich]

土谷朋子・徳元直子・中野架奈の女優三人で立ち上げたユニット、tarassaco(タラッサーコ)の旗揚げ公演。13日まで新生館シアター。75分。

大木の地下で同居している女四人。妻だった女と、愛人だったらしい女たち。一年前にここに集まった女たちはその男が死んでいて、その犯人がここに来ると聞いてきて「うめる」(作・澤唯(サマカト))
子供たちが遊んでいる。じゃんけん列車、は衝突してじゃんけんして負けたら後につく。でも、一人で遊んでいる女の子はルールも名前も知ってるのに、それに正面から向き合わない。ほかの友達は「種類が違うのでつきあうのやめよう」という。予言めいた彼女に興味があって。年齢が進んでも、彼女は一人で、私もなぜかずっと一人で。「ガリバー」(作・ヤベメグミ(ex. カブ))

「うめる」は、現在と一年前の話を織り交ぜながらこの四人が暮らすに至った経緯と、いま新たに起きた「事件」を対比しながらみせていきます。緊張感とも違うし、クラフトっぽいというか生成りというかな不思議な同居生活の今と、一年前のなんかちょっとすごい「OUT」のような事件との落差こそが楽しいのだけれど、正直に云えばもうすこし落差、特に一年前、初対面ゆえの緊迫感がもうすこし欲しいところ。でないと1年前と現在の時間の差が感じづらいかんじがします。

終演直後はなんか難解だったりチェーホフか、と思ってしまったのはなぜだろうとも思うのです。作家がこういう話を書くのはちょっと意外な感じはありますが、女性ばかりの芝居、という制約ゆえという気がしないでもありません。

妻を演じた徳本直子のゆるい感じ、夫が殺されても憎くないのだ、というのはなんかロハスに見えてしまうのだけれど説得力があります。田辺麻美を芝居で拝見するのは実に久しぶりなのだけれど、可愛らしく、勝ち気な感じがそのままで嬉しい。

それにしても一年前は人間を埋めたのに、現在は地面に落ちていた(というか埋めてあった)巨大な魚をということがオチというか、え、これは不条理劇かと思って、腑に落ちるのにしばらくかかるのです。ずっと続けてきた思い出を語る女たちというのはちょっと怖いようでも。

「ガリバー」は、作家がもと主宰していた劇団・カブな風味、つまり童話の中の真実のような味わいが久々に。子供の頃はすべてメスなのに、ペアになれれば片方がオス(ヒゲが生えるらしい)になるという世界の設定(そういう生物が居た気もするけれど)、それがものを考え、先を見通す誰かとの会話ができて、それゆえにペアになれないことが実に。誰かのママでないおばさん、という言葉の無邪気な残酷さ。誰かにハグすることの久しぶりの嬉しさ、でも、アタシはひとりきりでということがむしろアタシの気持ちに近いのです。居場所のない私は戦士になることを選ぶことしかない、というのも近いのです。一人で生き続けている人は未来がないという母親の言葉が、身に沁みるのです。そのあとに再びの予言が、ちょっと怖くてちょっと悲しくて、もしかしたらアタシがそうなりそうな。

冴えた台詞がいくつも。序盤の「不満をお団子にして、親切の振りをして出す」とか「なりたくない大人が居ることの絶望」なんて言葉の切っ先の鋭さが印象に残ります。

「種類の違う」オラクルを演じた土谷朋子、不思議でもあって一人で居ても意に介さないという、私たちとは違うものゆえの神々しさすら、その説得力が。ペアになりたいのに恐らくなれなかったラリーを演じた古川直美も、望んではいない人生だけれど、きちんと向かい合うという力強さに説得力があります。それにしてもエルザを演じた中野架奈が可愛らしい。

当日パンフの演出は、この団体の成り立ちに対して少しばかり厳しい書き方をしているけれど、役者に対しても戯曲にたいしてもきちんと向き合っていることがよくわかります。なるほど、役者や作家たちとのつながりゆえの信頼感。正直に云ってわかりやすくはありませんし心底面白かったのかといわれると少々怪しいところではあるのですが、絵本と雑誌が組み合わさったような不思議な空間なのです。

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速報→「 ま ○ る 」miel(ミエル)

2012.5.12 15:00 [CoRich]

「ま○る」という三文字の平仮名をタイトルにして人気作家の短編を6本+ダンスという構成の85分。14日までザ☆キッチンNAKANO(Studio VAD 6F)

開演前に配られる当日パンフにはどの作家がどの話を書いたかということは書かれていません。どれがどの作家の話かを想像するのも楽しいので、ネタバレに本文を書くことにします。

私は最後の一本以外全部外れてしまいましたが(笑)。オープニングとエンディングをはじめ、何カ所かには○を題材にしたダンスや、パフォーマンスが挟まります。

ネタバレかも

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2012.05.07

速報→「八◯◯中心(ハチマルマルチュウシン)」studio salt

2012.5.5 19:00 [CoRich]

スタジオソルトの新作。前回に引き続き週末だけで4週間の公演。中華街の中、散歩がてらにも嬉しい感じの105分。27日まで八〇〇中心 (1, 2, facebook, )。完売の回もあるようです。開場時刻とされる20分前から芝居は少しずつはじまっています。アタシはどちらかというと奥の方の席が見やすかった気がします。

芸能事務所「ハチマルマル・エンタテインメント」の休憩室。あまり仕事がないような感じだけれど仲が良さそうな人々。7名が集められる。先代の社長が亡くなり引き継いだ息子。この事務所は人気のあった一人が移籍してしまい、収益が悪化している。彼らを神7(かみセブン)ならぬ「ゴミ7」な不良債権だといい、この人々をリストラしようかという勢い。そこに新社長が提示したのは、人気映画監督の新作映画のオーディションにこの事務所から「無名でポテンシャルもなさそうな役者」をたった一人、送り込めるという条件だった。

シニア部門だったり、若くはないモデルあがり、再現ドラマの女王、大道芸、一発だけの人気俳優、子役上がり、養成所から本科にあがれなかった新人。それぞれいちどは役者を志したにもかかわらず、それでは喰っていけていない人々。当日パンフのあいさつよろしく、もうだめだと思われた人々の頑張る姿を丁寧に描きます。成功しているとはいえない人々の腑に落ちる何かがソルトの持ち味だと思うのです。

タレント事務所の話ですから、会社員であるアタシの感覚に決して近いわけではありません。が、若い頃には仕事がうまくいっていたとか、子供の頃にうまくいっていたのを仕事にしたとか、年老いた母親のこととか、自分自身が若くなくなっていくことの恐怖、さいしょから躓いてしまった、もうこれはあきらめて別の収入の道(当日に挟み込まれたチラシはネタかとおもえばリアルなのだそうですが)を考えるなど、人気商売固有に見えて、なかなか普通の会社員にとっても引き寄せられるポイントがあります。それは、ほとんどの問題が「年齢を重ねていくこと、時間が過ぎていくこと」に恐怖する気持ちを物語の根幹に置いているからではないかと思うのです。作家も決して若くはなく、アタシの年齢に近いですから、男女の差はあれど、その感覚は腑に落ちる感じがします。

問題がないわけではありません。それぞれの人生を順番に一人語りするようなフォーマットなので、3人目ぐらいになるとこれが順番に7人続くのか、というように思ってしまうのはあんまり巧くない感じがします。それぞれが会話というよりは一人語りに近いので、どうしても全体に単調になってしまいがちです。背負うネタがアタシの腑に落ちない感じなものも混じるのは7人という人数が少し多いとも言えますが、老若男女とわずさまざまにフックするようなつくりにするために作家が必要と感じた人数、という気もします。

元モデルを演じる環ゆらの色っぽさに靡いてしまいそうなオヤジなアタシです。唯一それなりに稼いでいる女を演じた森由果は美しく、この二人、40歳とか38歳に見えないのが難点といえば難点(夜公演終演後に設定された劇場での呑み会(実費。誰でも参加可能)で聞いてみれば、それほど年齢が違うわけではないというのでまたびっくりしつつ。新社長を演じる東俊樹は、(書かれた)台詞があまりにきついけれど、それに負けない力強さは序盤からヒールを一身に背負う説得力があります。

ネタバレかも

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2012.05.05

速報→「翔べ!原子力ロボむつ」渡辺源四郎商店

2012.5.4 19:00 [CoRich]

青森の今と未来の話。豊かな想像力で描く今の私たちがこうしてしまったものの深刻さ。(40代の人々にはおなじみな)海外SF風味で描きつつ、笑いも多くてきっちりエンタメ。おすすめです。90分。6日昼まで、スズナリ。

コールドスリープから目覚めた男。チョウチョウと呼ばれている。青森のある町長に当選した男、核中間処理施設(というふれこみだった)を誘致した。男は百年先のこの町の行く末を目撃すると云ってコールドスリープをしたのだ。が、目覚めたのは千年後で。

トークショーによれば、東北というひとくくりにされつつも青森市内は被災してないという状況のなかで、作り出された物語だといいます。確かに津波や地震よりも、彼らにとっては30km圏内である六ヶ所村にガラス封入されたあれをどうするのだという話。もっとも語り口はもっと軽やかです。自ら「アトミック人情喜劇」と名乗り、ドタバタだったり家族が出てきたりと実に軽い。70年代風のかわいいロボット姉妹やら、青森がりんご王国(しかも人物の役名がリンゴの品種という小技)として独立していたりとさまざまに気楽に楽しめます。

時にコミカルに、時に哀しさをしっかりと描き、物語の中心に立ち続ける男を演じた山田百次が見事。吹っ飛ぶシーンの迫力はまるでワイヤーアクションのよう、とはいいすぎか。女を演じた工藤由佳子は伏し目がちに陰のある女を演じると実に濃厚な色気で目が離せません。ロボットを演じた三上晴佳・音喜多咲子のユニゾンが見事で、音の点での深み。ラッパ状に広がったスカートが回った時の慣性でねじれる感じも可愛らしい。物販でモノを買うと二人に見事なリエゾンで名前を読んで貰える、という遊び心も楽しい。兄弟を演じた工藤良平、山上由美子や技師や医師を演じた高坂明生や柿崎彩香のコミカルさも実に楽しいのです。

ネタバレかも

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速報→「THE BEE Japanese Version」NODA MAP

2012.5.3 19:00 [CoRich]

2007年日本初演の4人芝居 (1, 2) のキャストを一部入れ替えての再演。東京では20日まで水天宮ピット。このあと大阪、北九州、松本、静岡。80分。

筒井康隆らしい、日常からちょっと踏み出してしまった狂気の非日常とその際限ないエスカレート。物語の救いのなさは、やっぱりデート向きじゃない、というのは初演と同じ。 書かれた時代というのを良くも悪くも感じさせるというのも、初演のときの感想と変わりません。それは古くなったりつまらなくなった、というのではなくて、こんなにも現代の話なのに、書かれた時代背景というのは感じるし、それを敢えて今風のアレンジを加えないと云うことの意味は何だろう、ということをぐるぐると考えてしまうのです。

あくまで男視点、狂気が日常のルーチンになっていくこと、そこに女が従っていくということの。あるいは今の作家だっらやっぱり子供の指を折ったり切断したりということを書いたり、それをあんな日常の小道具一つで淡々とは描けないのではないかと思うのです。というよりは、今の作家がこれを書いたら、どうにもならないズレを感じて、アタシにはとても受け入れられないんじゃないかと思うのです。その距離感が残ることがこの描き方の意味かなと思ったりするのです。

席がよかったこともあって、宮沢りえの至近。とりたてて好きという役者ではないのだけれど、中盤で横たわる肢体から開いた胸元に至るまで、ずっと視界の隅にいれて追いかけてしまう感じ。本当に生々しく艶めかしく、「いきているもの」を感じさせます。物語の怖さは怖さで感じつつも、なんか気持ちの上では7割ぐらい彼女をずっとずっと観てたというのはオヤジだからですかそうですか。

もう一つ強い印象を残したのは、指を切り落とし、送りつけ、送りつけられてくるという日常のルーチンでの野田秀樹。表情と云うよりは、上まぶたが半分閉じかかったような、あるいは三白眼のような温度の低い眼球の怖さったらないのです。そのうち夢に出てきてうなされそうなほど、強烈な印象です。

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速報→「カフカの猿」世田谷パブリックシアター

2012.5.3 14:00 [CoRich]

カフカの短編「ある学会報告」を翻案上演した一人芝居。キャサリン・ハンターの一人芝居として評判の前売り完売ですが、立ち見を含む当日券はでているようです。6日までシアタートラム。55分。英語上演ですが、谷賢一(DULL-COLORED POP)の手による字幕翻訳付き。

ある学会に登壇した男、彼は数年前にアフリカで捕らえられた野生の猿だったが、人間になったのだという。捕らえられ檻に入れられて船底に固定され壁を見つめるうちにここから出るためには猿でなくなればいいのだとおもいはじめ。

人間になった猿という荒唐無稽なワンアイディアをベースにしながらも、そこに透けて見える私たち人間のみっともなさというか皮肉や風刺というか。作家自身は何の解釈も交えてはいないというけれど、そういう風しっぽさは存分に含まれています。

英語での上演ですから当然のことながらすべてが字幕にされているというわけではなく、細かいニュアンスや細々としたコネタがありそう。当日パンフと字幕では訳語が微妙に異なりますが、字幕の方がより口語的でアタシの感覚により近いかんじがします。

もうすこしアタシに英語の力があればなと想いながら、アタシは泣く泣く字幕とパフォーマンスを交互に見ていくわけですがそういう「薄い」見方にもかかわらず、やはりキャサリンハンターという女優のすごさは際だちます。どこに関節があるのかというぐらいに腕・脚・背中から手の甲に至るまで自在に操ります。時に猿そのものに、時に学会発表する老人が胸をはったように、時に客席に入り込み洒落っ気いっぱいで笑いを取り、短い物語ではあるけれど、私でも親しみやすいようなすこし洒落たつくりになっています。

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2012.05.01

速報→「天使たち」リュカ. (Lucas [lyka])

2012.5.2 19:00 [CoRich]

リュカ.の5年半ぶり新作。115分。6日まで王子小劇場。

作家が書いた物語を受け取りにやってくる編集者。作家が会えない娘に読ませたくて書いた小説は、天使たちの話だった。
志を持った人々が住む屋敷。家主は破格の条件で住まわせている。周りには見守り、時に後押しする「天使」たちが居る。志のある者には天使が寄り添うのだ。志破れると天使は消えてしまうし、寄り添う相手「宿主」は一度決めたら変えられないのだ。
屋敷には平日はバイトして週末にはプライベーターとしてバイクレースで踏ん張る男が冷静沈着な天使に寄り添われて、カメラマンのアシスタントをしているが何かが足りないと云われて一歩を踏み出せない女が居る。彼女には天使が付いていないが、宿主を捜し迷っている天使がよく現れている。ある日新しい入居者がやってくる。絵本作家だが今は意に添わないライター仕事もままならない男、ひたむきな天使に寄り添われて。

どちらかというとスタイリッシュ、少し斜に構えた感じが持ち味だった気がする作家だった気がするのですが、公演を休んでいる間にあったさまざまなことが、こんなにもピュアでまっすぐな物語になったことをにおわせる当日パンフの文章。本公演がない間にさまざまな舞台を踏みながらも役者たちが「リュカ.」という劇団の看板を背負いきちんと守ってきたということの結実ということ自体がうれしいのは、まあ、アタシのまったく個人的な事情奈わけですが。

派手な演出も唸るような設定もないし、当日パンフにあるとおり「ベルリン~天使の詩」のような枠組みゆえに物語に大きなサプライズがあるというわけでもありません。「事務員でも何でも志のあるもの」といってるわりにはここに登場するのはクリエータに近い人々だという声があるのもアタシは同感します。それでも、世の中で起きたことゆえか、作家や役者たちが年齢を重ねたゆえか、単にスタイリッシュということではない、ある種泥臭く「生きること」や「迷うこと」がずっとストレートに、ことさらに誇張することなく描かれるのは素直な作家の気持ちなのだろうと思います。

それは、キラキラとした夢が見える若者(カメラマン)と、引退がちらついたり、もう終わったと云われる人々(レーサーや絵本作家)の対比であったり、寄り添うと決めた相手に対する想いのたけの強さだったり、静かに秘めて思い続けるということだったり、若者たちを優しく見守る視線だったりと、群像劇のように提示され、そこにあり続け、居続ける人々に対しての優しい作家の視線。

物語の外側に、作家と編集者という枠をもう一つ。ファンタジー一本ではなく、決して若くないし、かといって何もかも諦観するという年齢でもない世代。娘という過去は過去として大事にしつつも、ここからまた再び前に進めるのだという素敵なスパイスになります。演じた中田顕士郎が開場中に落ち着き無く、時に関西弁が混じりへなへなな感じが実にいいのです。 ネタバレかも

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速報→「へちま」文月堂

2012.4.30 14:00 [CoRich]

二十代、三十代、四十代の三姉妹をめぐる95分。30日までOFF OFFシアター。

藤沢の一戸建て。父親の七回忌に集まった異母姉妹の三人。長女は恋人と長い間つきあっているけれど、婚約した時とはずいぶん状況が変わってしまって、結婚しないままでいる。次女は不倫相手の単身赴任を追って神戸に行こうと思っているがどうにも男運がない。三女はずいぶん年上の婚約者をつれて来るが、言い出せず、つい父親の会社の後輩だという嘘をついてしまう。その応援になるはずの母親もまだ来ていない。隣の家に住む老人は姪が施設に入れようとするが、それを嫌がっている。

歳の離れた三姉妹、好きでたまらなくて結婚したいという気持ち全開な二十代、好きだけれど相手に妻がいる三十代、恋人は居るけれど結婚しないままずるずると四十代というバラエティ。三女の婚約者と母親、それに長女が同じぐらいの世代というのはちょっとおもしろい感じがします。

三女が結婚を告げ、反対する長女とやりあう序盤。四十代後半の大学講師(教授じゃないあたりが絶妙)が長女を説得しようとあの手この手。人間ドックの結果を持ってくるあたり確かにコミカルだけれど、アタシの世代にとってはこれが実にリアルな感じがします。この序盤の熱さが大好きです。あるいは長女と恋人の別れのシーン。結婚できない人々の話が大好きなアタシ(悪趣味だな)ですが、この歳まで恋人で居続けたのに、もう一歩が踏み出せない何か、それは男の側だけではなくて女の側もまた踏み出せなかったわけですが、それでもそこに安住せずに、もう一歩踏みだそうという気持ちの結果が別れというのはちょっと切ないけれど、こちらもアタシの年齢にグッとくる感じ。

祖母に苦労した長女の母親。娘である長女自身もまた、三姉妹の母親代わりのように気を張りつめてきたのでしょう。隙を見せずに生きてきて、恋人と別れてすら涙を見せることすらしないのだけれど、きっと同じように頑張っていた母親に勘違いした痴呆の始まった隣人とのシーン。二世代の女の姿が重なるようで物語が時間方向に広がっていく感じで印象的です。

長女を演じた三谷智子、静かにしかし芯の強い女を好演。アタシが上手側に座ってしまったがために終盤にいたるまでほとんど表情が見えなかったのはちょっと残念。上手側に固定している間は強い人、ということかなと思ったり。三女を演じた辻沢綾香は溌剌としてはちきれんばかりに若いという役を好演、実に可愛らしいのです。その婚約者を演じた白州本樹、真っ直ぐであくまで優しいけれど、社会性に少々欠ける学者バカというか微妙なずれ具合が居そうな感じでちょっとコミカルに楽しい。三女の母親を演じた辻川幸代は決して若くはないけれど、すこしおっちょこちょいで可愛らしく、なるほどこの母親ゆえの娘、ということの説得力。

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速報→「夢!サイケデリック!!」範宙遊泳

2012.4.29 18:00 [CoRich]

女は夢の中で少女になっていた。冷蔵庫と掃除機とウォシュレットが動きだし、卓球の球が話しかけてくる。町をブタムシが襲いかかる。

どんどん若返る女。ついには消滅してしまうと思っている、といううっすらとした骨組み。女の男友達たちの会話は時に現実だったり、時に冷蔵庫などになったり。正直に云うと人の夢の取り留めのない話をあれこれ取り混ぜて、しかも視点が女からだったり登場人物の男友達だったりと落ち着かず、あまり見やすい感じではありません。アタシにとってはもう少し物語がほしい、という感じがします。

終盤になってみえてくるのは、男の横で寝ている女、おそらくは明け方、その女が見た夢と、その家にある冷蔵庫や便器といった、日々接しているものという形の現実のあいだでまどろむひととき、という感じ。自分がここにいる起点としての精子と卵子(これをピンポン球で表現というのは巧い)にたどり着き、それがこの男との自分のこと、という具合に物語が展開することをに勝手に期待するとそれはあっさりとうっちゃられてしまう訳ですが。彼氏らしい男は登場するけれど、女は一人で考えてぐちゃぐちゃになっている感じ。隣に寝ている男とのどうにもならない距離感があるように感じるのはこの時間だけのことなのか、それとも二人はこんな感じなのか、あるいは女は病んでしまったのか、なんてことを考え巡らせるのも楽しいといえば楽しいのだけれど、片鱗がみえづらくて、自分の中に落ち着かせることがしずらいのはもったいないなと思うのです。

大量のピンポン球を使うびっくり感の楽しさ、さまざまに飛び回り、あるいは扮装したりという玩具箱のような華やかさは楽しい。誰がどの役か当日パンフではわからないけれど、アタシが知っている、熊川ふみが変幻自在、時に腹話術だったり、時に少女だったりと鮮やかで楽しい。福原冠は先生だったり、ダジャレだったりという気を抜いた余裕のようなものが楽しい。

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速報→「12匹の由緒ある猫たち」猫の会

2012.4.29 15:00 [CoRich]

猫の会、というと勝手にゆるい空気だと思っていくとびっくりな濃密な会話劇。29日までスペース雑遊で95分。相馬杜宇の作、フライングステージの関根信一の演出。

猫に対して最大の功労をした「グッドキャット」を猫たちが選ぶ選考会の会場。自薦他薦問わず、全会一致が条件。政治家(っぽい)愛玩動物連盟会長、ペットフードのアドバイザー、猫カフェの女王、プロデューサーがそれぞれプレゼンテーションする。最後のひとり、ジャーナリストは(人間の)立ち入り禁止区域から避難してきた野良猫を推すというが、飼い猫ばかりのこの会の中では圧倒的に不利で。

猫の会、という劇団だけれど最近は猫じゃなくて河童が出てきたりと必ずしも猫という話でもありません。その中で飼い猫の存在と人間ということを真面目に真っ直ぐ描いている今作。正直に云えば、アタシは動物を飼うということには及び腰だけれど、猫が好きな人もそうでない人も嫌いな人もちゃんと物語に取り込めそうな気がします。

タイトルで気づくべきだったのだけれど「12人の怒れる男」なフォーマットの前半。最初から評決の対象が絞られている「12人~」に比べると、その論点にたどり着くまでに少々手間取る感はありますが、物語の柱である優れた猫という栄誉を避難区域から避難してきた「野良猫」に与えるべきなのかどうかという議論に収束していくプロセスは見応えがあります。 飼い猫・野良猫と人間たちの関係にまつわるさまざまな問題。地域猫やペットショップ、ペットフード、保健所、猫カフェ。登場するのをほぼ飼い猫だけに絞ることで、野良猫に対する微妙な差別意識を物語に盛り込み、加えて原発など、人間のありさまと無関係で居られないということで脇を支える骨格。

結論を導くことはなく、この会議自体が飼い主の人間の帰宅であっさりと終わってしまうこと、実は司会をしていた猫もまた、まもなく野良猫となる運命の予兆を示すものの、それを「自由」ととらえる前向きな終幕は訊ねてみれば、ミュージカル「キャッツ」の枠組みなのだといいます。なるほど、そういわれてみれば。

政治家っぽい猫1を演じた佐瀬弘幸はほぼ一人で最後までヒールをきっちり背負います。説得力と周囲に屈しない姿は政治家という役に説得力。ペットフードアドバイザーなる猫11を演じた宮本奈津美は軽快さと可愛らしさと鼻っ柱が強い割に時に妙に腰の低い感じの絶妙なバランス。猫カフェの女王の猫12を演じた高園陽子は色っぽさと気位の高さの説得力。世間知らずな血統書付きシャムな猫9を演じた北村耕治は役者で拝見するのはずいぶん久しぶりな気もしますが、気の抜けた軽さがあって楽しい。保健所職員が飼っている猫10を演じた澤唯は珍しく声を張る役だけれど、行政というものの役割に対する説得力と苦悩がしっかり見えて印象に残ります。文学界の大御所なる猫2を演じた浦壁詔一はそのゆるく飄々とした感じがなんか癖になる妙な魅力があります。

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速報→「機甲街」シアターTRIBE

2012.4.28 14:00 [CoRich]

地元で10年近く活動してきたというザ?猿ロマン(未見)解散後のリニューアル旗揚げ。85分。ピカデリーホール。

戦時下、その町にある「扉」に近づいたものは、まばゆい光に包まれて即死してしまう。その扉に隠された秘密を手に入れれば不利な戦局を挽回できると考えた司令官は、扉を開くための暗号を知るという少女を探しとらえるよう、少佐に命じる。同じ頃、農村からの兵士3人組が口の利けないなぞめいた少女に出会う。

元映画館という場所ゆえにでどうしても広すぎになりがちな舞台。張り出して奥行きを作り、戦場や廃墟、広くなった空という感じの「空間」を作り出します。知り尽くし使いこなしている感じですてきです。

人間が制御できないほどの威力を持つ何か、そこに魅せられた科学者、軍人。その鍵を握る少女、守る町の人々、その少女に出会ってしまった貧しい村の生まれの兵士たちの物語。笑いをとる場面はほとんどなくて、ハードめなSFアニメーションという風な設定と物語。 アタシの世代だと「ボトムズ」な雰囲気とでもいえばいいかしらん。もっとも、人類が制御できないほどの大きな力、というとかつてはアニメーション(この点では「イデオン」?)やの専売特許だったけれど、踏み込めない場所、という修飾をつけ、311から一年を経たアタシたちにとってはすぐそこにある現実。もっとも、そこからアタシたちの現実に物語をつないでいくよりは、SFの物語収まりがよくてこの世界観を表現することに重きを置いたという感じがします。

兵士たちが少女を守ろうと思ったり、裏切ろうと思ったりという揺れは物語の奥行きにつながるものの、正直に云うとその発露が見ている側には唐突にすぎる感はあって、その葛藤がいまひとつ見えづらかったり、あるいは実は親子とか実は元夫婦という設定、マッドサイエンティストめいた科学者、町を守る人々というさまざまが盛り込まれているけれど、そういう設定が多い割に生かしきれない感はもったいない気がします。

「どくき」なるもの(毒気、らしい)など、いくつか音を聞いただけでは理解しがたい言葉がけっこうあるのももったいない。物語のハードさゆえという気はするものの、特に「どくき」はその正体は結局のところあかされませんから、ならばなおさらそれがその中にある植物(だとアタシは思った。毒木、ね)なのか、そこから拡散してしまう気体なのか、あるいはまがまがしい生物(「毒奇」と書いてあるtweetを見た気がします)なのかなんてことを思っちゃったり。まあ、そういう固有名詞なのだと思うべきなのでしょうが。

司令官を演じたモノ英雄の冷徹さに説得力、農民傭兵のひとりを演じた草間将樹のとぼけた感じが物語の主軸になっていくのは実に楽しい。少佐を演じた吉川直美の苦悩も併せ持つ冷徹さは序盤から印象的、副官を演じた伊藤利幸のある種の朴訥した感じ、この二人で演じる序盤がアタシは結構好きだったりします。

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