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2012.05.27

速報→「Fried Strawberry Shortcake」appleApple

2012.5.26 19:30 [CoRich]

appleAppleの新作。85分。27日まで小劇場「楽園」。

多数決のため狭い部屋に集められた9人の男女。何回目かも居れば、初めてという人も居る。各々は「資料」を手にしている。仕切る男は「この子の自殺に賛成かどうかを決める」という。

ピンク一色、女の子が好きそうなものがあふれる部屋。楽園という劇場の中央にある柱や入り口にある可動扉をうまく使って二部屋という体裁に。

自殺をしようと渋谷をさまよう少女の頭の中、かつて自殺した人々が頭の中に現れ、死ぬべきじゃない、ほっとけばいいんじゃないかなど。議論というよりはそれぞれの過去や立場の表明のぶつけあいとぶつけ合い未満。この劇場で9人は大人数という印象だし、それぞれの動線を確保するだけでも結構大変な気もしますが、(わりと深刻な題材のわりに)ポップな展開は見やすい気がします。

自殺の脳内多数決、ほぼ「反対」で一致かと思うとそこに一人の賛成からというフォーマット。どう思うか、どうするべきか、少女が自殺を考えるに至ったさまざまをすこしずつ提示していくのは巧い感じ。誕生からの場面を挟みながら追うことで美人で可愛くて人気があって、という少女が、ちょっとした傷(「戦争とかテロとか、大変なことはあるけれど、小さい傷でも、私には切実で」というのが彼女にとっての切実さ)で捻れはじめて、14歳に至っての自殺を考えるに至ること。自分の居場所がないように感じる感覚。それでも、彼女自身がどう考えたということではなく、あくまで淡々と描く事実と、彼女の脳内で想像している「人々」というフォーマットなので、最後まで彼女自身が考えたことを示さないというのも、物語の世界自体と同じことを徹底していて潔いのです。

遅い時間に渋谷の街を歩き回る少女、という視点を与えるのが舞台に設定されている「目玉」という別の部屋。密閉された部屋というだけではなくて、外の風景、町に生きていた人ということや、この街に来た理由、渋谷駅と文化村を歩く人々の違いに目を向ける感覚、あるいは中学校の教室で「大人になろうとする」ことの気持ち悪さ、これから先に続くこと、女子の友達のシーソーの怖さ(ごく短いけれど)。濃密にぎゅっとここを作り上げるのです。

どこを目指しているのか、わからないけれどという体裁や、後半になって投下されるもう一つの着火源たる「生まれ変わり」を投下というのも構成として面白いのです。

渋谷の街を描いたといえば「三月の5日間」( 1, 2, 3) を思い浮かべるアタシです。今作もまた、「目玉」を通じてこの街を描きながら、この街になにを求めてくるのか、ということの感覚。この流れなら死に場所ということだろうけれども、ここで希望に救われたくて、という感覚を渋谷でというのは、アタシにとってはちょっと眩しく感じたりもするけれど、嬉しいのです。

なるほど、その渋谷の街で声をかけてくれるかもしれないという期待、同じ人じゃないかもしれないけれど、渋谷の街で声をかけようか、という終幕は希望をつなぐのです。

恩田和恵演じた女、ちょっとしたいたずらの心の気持ちからの物語だけれど、それを感じさせずに終始淡々ということをきっちり。 先生を演じた千野裕子は、厳しさと可愛らしさ、まあいわゆるツンデレっぷり、そのギャップをきっちりと体現。父親を演じた吉岡祐介は前半のコミカル、後半の切実な気持ちの両面を。 チャラ男を演じた蒔田陽一が渋谷の街を覗くシーンは彼にとっての渋谷というばしょの切実さ。 スーツ姿の女を演じた金子麻里也は前半のサキを一身に背負う可愛らしさ、目の力の強さも印象に残ります。15歳の少女を演じた瀬尾涼子は後半のサキを切実さ支えます。髪の色の変化を変わり目に使う演出も巧い。 青木幸穂は中盤の女ふたりのシーン、それを語る声がしっかり。 可愛らしい男を演じた石田拓郎、恋人となる場面の説得力。 意見のないニュートラルというのは実は難しい役だと思うのだけど、本多巧は少々の軽さとまじめさで乗り切ります。

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