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2012.04.23

速報→「わたしたち、お船に浮かんでどこまでも!」黒ヰ乙姫団

2012.4.22 19:00 [CoRich]

アタシは初見の劇団です。70分。22日までゴールデン街劇場。

外国航路の船員の父にビデオレターを送る母と娘二人。滅多に日本に来ない父のために、クリスマスと節分、ひな祭りと七夕を一緒にして祝っている。母は可愛らしいけれどメカヲタの長女をかわいがり、自分の母に似た次女はどうにも苦手だ。実際のところ、父親からの仕送りは途絶えていて、家計を預かる次女は悩んでいる。母親はとっくに別の男に乗り換えている。長女はその母親の電話の会話を盗聴し、妹には間違った恋愛指南をしている。

自分の母親に似ている娘、自分に似ている娘、かわいがり方の偏り。帰ってこない父親のこと、その中で家族のイベントを維持する母親だけれど、確かに女ではあって、別の男への色恋だってまだまだ続いていて、それが突然ある日、という終幕には「若返る」工夫があります。

正直に云えば、一番見応えがあったのは、関西に嫁いだ祖母が柄の悪い感じでやってくるシーン。物語の背景説明ではあるけれど、そこから母親に起こったことというのに繋がるわけではなくて、それ以外の物語から遠く離れ小島のようにぽつんと残っている感じなのはもったいない感じがします。

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速報→「オーシャンズ・カジノ」北京蝶々

2012.4.22 14:30 [CoRich]

北京蝶々の新作。100分。30日まで王子小劇場。そのあと大阪で短縮版の上演を予定しています。ぬいぐるみハンター・池亀三太の演出で。

日本での合法化をにらみ船を仕立てて公海上でカジノパーティイベントを開催する男。長崎がこのまま没落していくことがどうにも我慢がならず、といえば聞こえはいいが、事業化の一番乗りを果たそうとしている。建設予定地の地権者や土木工事を請け負うゼネコン、県議や中国人企業家を招待し、いわばその下地づくりをねらった航海。彼氏を追いかけて招待券を持たない若い女が無理矢理乗り込む。パチンコにうつつを抜かしてこの航海で一攫千金を狙う彼氏。果たして従業員たちに見つかってしまうが、掃除婦姿の女が匿う。

地方や日本の経済がどうにもならないことに対するカジノによる活性化策、その利権を巡る海外資本の目や警察など権力との関係を張り巡らせて描き出しつつ、ギャンブルに「はまりこむ」プロセスを描くのは、作家・大塩哲史らしい俯瞰な視点。断片は知っていても、いわゆるパチンコマネーをめぐるちょっと際どい描写もあったりします。(そうでもないか)

ギャンブルに限らず、何かにはまり込むということには理由があって、それは後がないということだったり、調子に乗ってしまうことだったり、あるいは酒で気が大きくなってる、なんてこと。勝たせられているということには何か裏があるのではないか、というごく当たり前のことに気づかないことの怖さ。

作家の歩みは更に続きます。 取材や調査を通したそういう社会の問題としてのカジノということをベースにしながらも、パチンコなどのいまのギャンブルですら地方の活力を奮い立たせるどころか、殺いでいるのではないかというあたり、地方の国道にパチンコ屋ばかりができて、昼間から駐車場が車でいっぱいだというのもまた地方の真実。カジノができれば活性化されるという楽観を立ち止まり、考えることの大切さ。

作家の描く物語によく登場するのが、もはや貧困の領域にまで踏み込もうとしている若者たちの姿です。カジノの華やかさの裏にある二極化の姿。あるいはその中にあっての恋人たちのつつましい生活、もっと上に行きたいという気持ちと一緒にいたいという気持ちの板挟みは切実です。

日本を救うぐらいに大きくなってしまった終盤のゲーム、芝居ですから偶然によることのおおいギャンブルのゲームそのものを描いても芝居になりません。つり上がる掛け金をどこから調達するか、とかあるいは万事休すな状況からの一発逆転の鮮やかさがエンタメとしてのおもしろさ。伏線をするすると回収しながら巧い追い込み方で、けっこう好きな感じです。

ちょと堅くなりがちになってしまいそうな話題だけれど、池上三太の演出は、この高さのある舞台を縦横無尽に走り回り、飛び回ります。正直ちょっと見た目にはヒヤっとすることもあるのだけれど、確かにスピード感、疾走感があって見やすい。

オープニングから飛び回る格好良さ、笑いに走って崩れることなく、ちゃんとヒロインを背負った帯金ゆかりがしっかりと。その情けないダメ彼氏を演じた堀越涼は、終盤の格好良さ、切れのいい台詞といい実に印象的。中国人企業家を演じた鬼頭真也は、ときにコミカルだけれど、冷徹な感じもしっかりとしていて、間違いなくヒールを背負います。

小劇場であってもカジノである以上、しょぼさを感じさせては元も子もありません。華やかさ、という点ででチャイナドレス姿のコンパニオンを演じた四人の女優の存在は大きいのです。甘粕阿紗子のぶりぶりな可愛さ、太股に見とれるオヤジなアタシ。あるいは胸元を大胆に開いた衣装の安川まりの「はさめるんです」という台詞にひっくり返りそうに(喜んでいます(笑))。それにしても、チャイナドレス姿でこのタッパのある舞台を走り回るのはちょっとした迫力ですが、怪我ののないことを願うばかり。

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速報→「深海のカンパネルラ」空想組曲

2012.4.21 19:00 [CoRich]

「銀河鉄道の夜」に着想しながらも、空想組曲らしいダークファンタジー135分。22日までRED/THEATER。

「銀河鉄道の夜」を繰り返し読む男。亡くした友人と自分をカンパネルラとジョバンニに、同級生たちもその物語の中に登場する。あまりにも入り込んでしまって、現実との境が曖昧になって、物語の世界に入り込んでしまっていて。

亡くした友に寄り添うこと、想い続けることという「銀河鉄道の夜」を、思い続けてしまって戻れなくなることを「どこまでも行ける切符」と読むのはアタシにとっては新しい感じがします。たしかにそこから現実に戻ることが原作のゴール、というのも納得できるのです。

正直に云えば、これがあと30分短ければ、という感じは否めません。作家が盛り込みたかったこと、語りたいことが盛りだくさんで、きっとそれは何か強く思ったことがあるのでしょう。そういう感じはよくわかります。

全体に静かになりがちな芝居に緩急をつくる圧倒的な力は女王と魚心先生を演じた小玉久仁子。物語の本筋には絡まないけれど、彼女が出てくると舞台に光が射し、笑いも格好良さにも見とれてしまうのです。テンションの高い女王も先生もいいけれど、アタシが好きなのはスーパーのパートらしい「おばちゃん」のシーンなのです。主人公の今の現実にうっすらではあっても繋がっている人が居るということの嬉しさだけれど、いろんな役を演じてみせることで、実は主人公が妄想に入り込んでしまう下地を作っているという説得力があります。

中田顕史郎は地の文とでもいうべき原作の言葉を発していることが、アタシに心地いい。渡邊とかげは可愛らしく同級生、思っている気持ちの強さの発露が印象的。牛水里美は女性からは嫌われそうな「嘘泣き」や「女の武器」存分な説得力があって目を奪われます。

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速報→「オーラルメソッド」シンクロ少女

2012.4.21 15:00 [CoRich]

銀座の小さなギャラリーで、過去二作の再演企画。21日まで若山美術館。70分。

私の話。友達の彼に出会って奪うように結婚して、お金には困らなくて、演劇も続けられて、でもやっぱり私は淋しくて「極私的エロス」(リーディング)

官能小説の大御所。下品でそんな小説は大嫌いだという妻。妻は家を出るといい出すが、それは男が居るようだと直感的に感じ取り。「性的人間」(原案・団鬼六「不貞の季節」)

作演・名嘉友美の結婚から離婚に至る、夫婦の日々という体裁。これがリアルなことなのか、フィクションなのかはアタシは知る由もありません。無口で一人で居ることが好きな夫と、一人で寝ることが淋しくて、セックスからどうしても離れられないという妻。イキオイで結婚したし、経済的に困ることなんかなかったけれど、やっぱり違和感が拭えず、離婚に至るはなし。正直に云うと一本調子といえば一本調子な話で、結婚の直後が頂点で、あとは単調に下っていく日々という物語そのものに驚きがあったりするわけではないのです。

略奪婚にしても、浮気にしても実は悪いと思ってない女、彼は確かに優しかったし、演劇ができるというのはとても理想的だけれど、離れてしまう気持ち。自分を責めるでもなく、相手の気持ちに思いを寄せるでもなく、事実と、私はこういう人間なのだということと、私はこう思われているのだということをただひたすら描き続けます。このスタイルは、物語と云うよりは、一人語りをしているようだし、観客の好みははっきり別れそうに思います。

ぐるぐると同じところを回る感じ、愛情とは別のところにある、肌に触れてもらえること、一緒に誰かと一晩を伴にせずにはいられない、やむにやまれない気持ちを、表面上はごく静かに、しかしその奥底に燃えたぎ渦巻くきもち、の温度がじんわりと感じ取れるのです。

「性的人間」の方は、団鬼六を思わせる和装の男、妻はその小説が下品だといって、もう我慢がならないというけれど、それを寝取った男、その男の前で妻が見せたであろう仕草や表情、ことばにいたるまでを想像し、妄想し身悶える作家。こちらも愛情とは別のところにある、妻の中で燃えさかるものを描く点では同じですが、こちらは妻の視点ではなく、妻を寝取られた作家の姿を描くというちょっとねじれた描き方がおもしろい。わりとコミカルに演出されていて、爆笑編になっているのもちょっと意外な感じがします。正直に云えば、作家を演じた俳優(どちらかわからず)は官能小説の大御所としては少々若すぎる感はあって、序盤は不安な感じなのですが、この爆笑編という作られ方にはずいぶんあっているのです。セックスというものから離れがたいことということに観客のすべてが共感するかどうかはよくわからないのだけれど、愛情とは別の何かだ、という描き方は一本目と同様で、アタシには腑に落ちる感じ。だけれど、これは人には言いづらいよなぁ、こういう性癖というか嗜好とというか、考えかたというか。

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2012.04.18

速報→「お仕事いろいろ(C)」桃唄309+デフロスターズ

2012.4.15 15:30 [CoRich]

さまざまな仕事にまつわる短編を2本立て、3バージョン。アタシが観られたのはデフロスターズ・松本哲也が作演しかも出演までこなすという(C)バージョンで70分。15日まで東中野RAFT。

ふらりと旅をしている男が訪れた田舎の食堂はメニューがたったひとつ、弟が調理し姉が接客をするちいさな食堂で、料理が来ても姉は客の男のことをずっと見ていて。「ありがとう、ごはん」
役者は大きい仕事にプロデューサーを呼びだして相談があるという。どうも最近恋人とうまくいっていなくて、仕事に身が入らないのだという。ついては、本番一週間前だけど、降板させてほしい、と。「春ボケ」
「~ごはん」は 田舎にある暖かい雰囲気の食堂、といえばなんか最近流行の邦画っぽい感じもあるけれど、なんかずれた不思議ちゃん感というか、しゃもじをねぶってみたり、かいわれの水切りを頼まれてみたりとたしかに「少し不思議」感がいっぱい。物語として巧いと思うのは、こういう不思議さがあっても「おいしい」とか「やさしい味」というステロタイプに味のクオリティを担保するという安易に流れず、「ギリギリだからね」とか「まずい」うえに、モノの割にちょっと高いというのが巧い。それでも暖かい感じにするということのおもしろさ。もっとも、このおかげで二度とここを訪れることはない、という一過性な感じがちょっといいのです。

店の女を演じた篠本美帆は、その慇懃無礼、ずかずかと踏み込んでくる感じなのだけれど、可愛らしさで嫌な感じにならないのがいいのです。松本哲也は無口、巻き込まれる感じが観客の視座。一言も喋らない塙育大は独特の存在感。

「春ボケ」は、 色ボケして、うまくいってない恋人ゆえに本番1週間前にして仕事を投げ出そうとする役者と、それをなだめすかし、時にヒドいこと云われながらもどたばたと奮闘するプロデューサーと、言いたい放題なわがままを振りかざす役者という二人芝居。実際のところ、何も解決しないどころか、そのままかよ、という突っ込みをしたのはアタシばかりじゃないとは思うのだけれど、物語の構造とか物語そのものというよりは、そのプロセスと役者を楽しむ感じが気楽に楽しいのです。

ほぼ同じ流れで男女を入れ替えてという構成。微妙に変えているけれど、それが物語に大きく影響という感じではありません。それぞれの立場、あたかもアドリブな感じの何カ所かを中心に役者を楽しむ感じなのです。

終盤、何かを期待させるような物言いするから期待していたら、という「何このフられた感じ」という台詞、ベタだけど楽しい。

異儀田夏葉は、プロデューサーではモテない感、巻き込まれ感いっぱいで時に突っ込み、時に蹴ったり、役者では可愛らしさと、わがまま感。くるくると変わる表情が楽しい。

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速報→「約束するぜと笑って言えよ」エビス駅前バー

2012.4.15 13:00 [CoRich]

ホチキスの米山和仁の作に、Mrs.fictions中嶋康太の演出。バーだけを舞台にしない設定という芝居は珍しい気がします。60分。18日までエビス駅前バー。

進学雑誌の勧誘マンガを編集者に見せる女。長すぎるし、編集者は誰もが経験しているようなシンプルな青春や恋愛を描けばいいとアドバイスするが、女はそんな実体験がないまま今に至っているという。それでは、とネット掲示板に書かれたある男の「思い出話を語ろうと思う」を読ませる。
中三の夏休みの図書館で声をかけて来た同世代の女の子。男は友達も少ないし勉強もいまいち、どちらかというとモテなかったので、そんな経験はそれまでなかったので舞い上がるが、一緒に図書館のライブラリで映画を見たりする夏休みを過ごすものの、告白もしないままに突然姿を消してしまう。
が、高校で映画研究会に入った男、高二になって奇跡の再会を。

恋愛にとんと疎い女が2ちゃんの書き込み、しかもこちらもモテない男の奇跡の物語を読み進む、というフォーマット。掲示板に書き込まれた奇跡の物語も、劇中の映画にしても斬新と云うよりは個々にはどこかで聞いたことのある話な感じではありますが、それを読む人を設定すること、微妙な感じのヲタ感を散りばめることと、60分のいう時間の短さとテンポの良さで一気に楽しく見られるエンタメに成っています。

バーという場所なので、ここで上演される芝居はたいていバーを舞台にした大人の男女のちょっと恋をまぶしたような話、というのがほとんどなのだけれど、バーを舞台にしない話、しかも告白にすら至りそうで至らないという話は珍しい気がします。それを支えるのは対面客席とカウンターを使わないという方法なのだけれど、わりとうまく機能している気がします。

漫画家と部長を演じた菊池美里は奥手な大人、恋愛に至らない女友達、時につっこんで見たり。目の奥の表情でしっかりとした芝居。大学に入ってからの東京を訪れるシーンのなんというちから。マドンナたる「ひまわり」を演じた根本沙織は可愛らしい同級生感が満載な説得力。編集者、ヲタ友を演じた伊丹孝利はその落差、ヲタ感をきっちりと支えて、こういう物語をの枠組みがしっかり。主役たる男を演じた山﨑雅志は勇気がなくて一歩が踏み出せないことこそがこの物語を支えるのだけれど、その説得力。

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2012.04.17

速報→「絶頂マクベス」柿喰う客

2012.4.14 18:00 [CoRich]

女体シェイクスピアと題した女優だけでの上演シリーズ二本目はマクベス(wikipedia)。90分。23日まで吉祥寺シアター。そのあと伊丹。

当日パンフによれば野心や欲望よりも不満足感や劣等感に焦点をあてているのだといいます。ネットのどなたかの感想で言及されていた社畜、つまり使われる人間の姿を描いている、ということだというのです。なるほど、チラシでフィーチャーされる、スーツ姿に眼鏡というのはそういうことか、なるほど。

まるでミュージカルやキャバレーのショーのように華やかだったり、コミカルだったりというシーンを テンポの良く次々と切り替えながら進みます。物語をがっつり見せるというよりはショー的な要素の方に重きがある感じはあるのだけれど、シェイクスピアの骨太な物語、それでも一本芯が通った物語を観た、という感じで満腹感はもちろん味わえるのです。中屋敷演出の緩急のコントラストがしっかりしたテンポ、台詞のリズムがしっかりとしていることはもちろん健在で、この圧縮度合いなのに、台詞がぜんぶちゃんと聞きやすいというのはたいしたことだと思うのです。

終演後のトークショーによれば、若手公演的な意図があるといいます。なるほど、海千山千な岡田あがさ、渡邊安里、葛木英(もちろんみんな若いのだけれど)で脇を固めているように思うのです。にぎやかし、といえばそうなのだけれど、鮮やかだし、コントラストがはっきりして楽しいのです。

正直に云えば、初日時点では、マクベス夫人を演じた内田亜希子は美しいけれどまだ上品すぎる印象。怯えるマクベスを鼓舞し組み伏せ奮い立たせて血染めの物語の一歩へ踏み込ませるだけの説得力が欲しくて、力強さなり色香なりまであと一歩踏み込んで欲しい感じ。もっとも、後半で狂っていく儚さはきっちり。深谷由梨香は生真面目さ、繊細さ怖がる気持ちに説得力があり、このストレス一杯になっている主役をきっちりと。

なんてことをつらつら考えながらも、ともかく華やかでテンポがよくてしかも下味たる物語がしっかりとしていて、アタシの脳みそはへらへらと喜んでしまうのです。

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2012.04.16

速報→「俺以上の無駄はない」MCR

2012.4.14 15:00 [CoRich]

友人の言葉を借りれば、ペーソスな味わいすらにじむ新作90分。17日まで駅前劇場。

働いてない男、同居している姉は実家の近所ではキチガイと呼ばれたりしていて、二人でひっそりと暮らしているが、家の中では罵りあう。男が入っている不幸を語り合うサークルでは姉のネタばかりだと云われる。男には彼女が居るが別れる寸前で。男のところに幼馴染みの男友達が訪れる。姉には離婚した夫が居るが金目当てで通ってくる。ある日、姉の様子が変で。

大声の罵倒、不幸自慢な人々、大笑いな台詞という感じでコントっぽい感じの序盤、あんまり大笑いしていい感じの不幸じゃない気もするけれど、なんか笑っちゃう感じのコント感。

徐々にこの姉弟の離れがたい感じ、その想いの深さに分け入ります。あちこちに迷い、うろうろしながら、そうするしかないという意味でも進んでそうしてしまうという意味でも悲劇かもしれないけれど。そういう不幸を語ること、あるいは書き物にすることという点では、主役を演じる作家らしさが見え隠れします。これを編集が云う、見せ物にするチャンスだと思わなきゃということの残酷さ。

たとえば愛について一瞬かたる姉の台詞の冴え、かと思えば見てくれで手のひらを返す元ダンナのひどさという一面の真実、あるいは序盤の男友達の一種のホモソーシャル感。たった90分の芝居で、あちらこちらに、上下左右に飛び回る物語について行くという楽しさ、この奥行きを笑いベースで芝居にしてしまう作家の確かなちから。

病院で一人で居ることの心細さという繊細さ、親と一緒のことしやがって、という台詞にはここまでに至るこの姉弟の歴史がほんの数秒にぎゅっと圧縮される濃密さにはびっくりするのです。

主役を演じた櫻井智也は舞台にほぼ出ずっぱり、緩急がすごい。石澤美和との迫力のある応酬は見応えがあります。彼女を演じたザネリは存分に可愛らしさ。なんかとても気になるのが伊達香苗演じる大家の娘。確かに可愛らしいのだけれど、台詞でも浴びせられる薄幸な感じというのがほめ言葉になるかわからないけれど、印象に残るのです。

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速報→「HIDE AND SEEK」パラドックス定数

2012.4.13 19:30 [CoRich]

4年前の初演に比べると三人増えたキャストがプラスに働いているように思える、笑いも多く軽やかな125分。22日まで三鷹市芸術文化センター星のホール。

夢野久作を尋ねる江戸川乱歩。不調で書けないと嘯いたりしながらなんだかんだと交流していて。乱歩は自作の登場人物、明智小五郎と小林少年、夢野久作は呉一郎と若林教授が目の前に現れて物語を紡ぐ。ぴたりと書けなくなったり、予想を超えて動き出したり。売れるものと書きたいものと書けるもののギャップに悩み。新しいもの、おもしろいものを求めてつきまとう「編集者」から逃げ回り。編集者の一人だった、横溝正史の中にもこう、形にならない登場人物がもやもやとわき上がる。それは、袴の探偵と、警察官と。

同じ時代に生きて居た三人だけれど、おそらく交流があったり、編集者の経歴というような今作の作家の嘘を巧妙に織り込み、そこに少々ファンタジーめいた設定という不思議な色合いの一本。正直に云うと、初演の時のアタシの印象はあまりよくなくて、それまでのキリキリと締め上げるような緊張感を期待していたアタシが、少し緩く、奇妙な味わいの今作に戸惑っていた覚えがあります。

野木萌木という作家が時折当日パンフなどでいう「登場人物たちが立ち上がり、勝手に動き回る」感覚をまさに地で行くような感じ。「お話をつくる」なんてこととはすっぱり無縁なアタシには、それが素直に腑に落ちてくる感じはないものの、もしかしたら作家の中にはこういう感覚で物語を紡ぐのかもしれない、という脳内を覗くような楽しさがあります。更にそれぞれの作家の頭の中で起こる孤独な創作という作業を「見える化」するだけではなく、作家互いの想いというか嫉妬に近い「比べる気持ち」の揺れまでも、その創作上の人物たちに担わせていて、奥行きを感じさせます。

書きたいもの、求められるもの、売れるもの、書けるもの、ほかの作家のこと、編集者のこと、読者のこと。それゆえの作家の苦悩のようなものは、もちろんアタシは知るべくもありませんし、そういう作家の苦悩ということを描いた作品は山のようにあれど、それがあっても書き続けたいと思う気持ちの前向きな発露までいくと、なんで作家ってものを続けていくのか、ということの今作の作家の決意というか存在証明のようなものをここに感じ取るのです。

初演にもあった犬神家の一シーンや、途中のダンスめいたシーンは単純にあかるく、楽しく。こういうスパイスが混ざるのは内向きに内向きになりがちなこういう話でアタシのテンションが保たれて嬉しい感じ。より軽やかに、いい意味で軽薄に飛び回る役者たちも心なしか楽しげに。

読者に対する恐怖心のようなものを一点に集約させる終盤、こちとら金払ってるのだから、さあ、何を楽しませてくれるというのは読者(や、あるいは観客)に対する敬意を含みつつも畏怖も含んだないまぜな感情をそのままに。が、たとえば終幕では「作る側」と「消費する側」に明確に一線を引いているよう。「もえぎの会」なんてイベントで観客と交流することは行いつつも、そこにある一線を明確に引くという心意気は、実にカッコよくて、惚れちゃうのです。

初演に比べて、物語の骨子は変わらないのだといいます。が、私の薄れた記憶の中にあるものよりは、ドタバタだったり、コミカルだったりがずっと強くなっている気がします。三人増えた役者は、作家たちの脳内登場人物たちをそれぞれ一人増やしたことに割り当てられていることで、作家と登場人物たちとの間の三角形の会話が成り立つこと、単に人数が増えたことによって一同に会するいくつかのシーンにぎやかになっていることが、その印象の差ではないかと思うのです。

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2012.04.15

速報→「青色文庫(B)」青☆組

2012.4.12 19:30 [CoRich]

父母もなくなりドラえもんとも別れて一人で暮らすのび太の家に久し振りにあのころの友達が集まる。ジャイアンのお別れパーティを開こうということなのだが「さよならドラえもん」
ある日タイコがイクラちゃんを磯野家に預けに来る。夫が書いたラブレターを見つけたので二人で話をするためなのだという。サザエさんちにはそういうことがなくていいわ、と云われるが「磯野家の夜」
前任者と替わって訪れた生命保険のセールスの男。美人で妊娠している妻に商品を勧める。初老の夫が帰ってくる、妻と名乗る女がさらに居て。「恋女房」(1, 2)
ものを盗った女が捕まり交番で、これが何度目かと訊かれる。若い有能な男が恥ずかしくないように、海水着に手を出しただけなのだ。「燈籠」(原作・太宰治)

ごく短い一本の「〜ドラえもん」が書かれたのは高校を卒業した後の(ということは「転校生」初演(再演)の後だ)、役者志望だったときに書いたものだといいます。うっちゃりというか、なんだろう、書くことに興味がないという荒削りすぎる雰囲気こそが一番すごいのです。戦争が始まっていて、徴兵される人がいて、その先の希望が消えていく雰囲気は現在では書きづらいけれど、この無邪気さ、ちょっと好き、懐かしく感じるのです。

なんだろう、スネ夫な林竜三、ドラミな井上みなみ、出木杉な荒井志郎は語りどころか観ていてもその雰囲気がちょっとすごい。

「磯野家〜」も同じ歳。これもかなりうっちゃり感がありますが、こちらは平和すぎる日常ゆえのさざ波が心の奥に広がっていく感じ。タマを演じる木下祐子が実に可愛らしい。人を追っていく感じ、鳴く感じもちょっとすごい。

「恋女房」は不条理すぎると感じる序盤から、それは(法律として)成立しているという舞台設定の強み。ここでも大西玲子の圧巻な触れ幅。妻のうちの一人を演じた木下祐子、この部屋を取り仕切るような雰囲気がキリっとして、カッコいいのです。

「燈籠」は原作は女がとり散らかした気持ちなのでしょう。その原作の外側にもう一つの物語を描こうという貪欲さが実にいいのです。

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速報→「青色文庫(C)」青☆組

2012.4.12 18:00 [CoRich]

引っ越した女、宅配ピザのキャンペーン企画で当たったのはハイビジョンテレビだった。が、箱を開けると中から手が出てきて「スイッチと野菜ジュース」
恋人とうまくいかない女、雨の日に疲れ切って戻ると自宅はきれいに掃除され、食事の準備もしてあって、疲れを労ってくれる女房と名乗る女が居た「押し掛け女房」(1)

不思議な味わい、というかSF(少し・不思議)風味の芝居も多い作家、ここで取り上げられた二作は突飛な枠組みだけれど、そこにある人々の想いや営みが色濃いのです。しかし隔たりは12年。びっくりするぐらい雰囲気が変わらない二作なのです。

「スイッチ〜」は宅配ピザとか「ハイビジョン」テレビっていう言葉に時代を感じつつも、テレビ役を配するという突飛な序盤。チャンネルを変えるたび、目まぐるしくかわる番組が楽しい。が、物語の背骨は妹と姉の会話。お互いの近況、喧嘩、また会話、というゆるい感じこそが今作の味わいだと思うのです。めまぐるしいテレビの時間と、テレビや携帯を離れて、今ここに居る人とのゆったり、スローモーな会話の実に豊かなこと、ということが実に濃密なのです。

テレビ(!)として語った荒井志郎は、様々な口調やら演じ分けのショーケースのよう、テレビに流れる時間軸のめまぐるしさをきっちり体現。部屋の主として語った大西玲子、陰を感じさせる奥行きの深さ、妹として語る井上みなみは今までになくスリムでスタイリッシュな雰囲気としっかりした語り口。少し太めのフレームのメガネってのも似合うなと思ったりも。

「押し掛け〜」は一人暮らしの女性が部屋に戻ると女房が居た、という序盤の突飛さが圧巻におもしろいのだけれど、会社の休憩室の不穏な雰囲気から終盤になだれ込むような展開は今観ても凄みがあります。

部屋の主、東澤有香は疲れて帰り着いて誰かが家で待っていてくれることの安心感ということの雰囲気をしっかりと。そうだよねぇ、家で待ってくれる人が居れば(泣)。女房、大西玲子のダイナミックレンジの広さが圧巻なのです。その色香も含めて夢に出そう。結婚する女(井上みなみ)、結婚している女(林竜三)、これからの女(福寿奈央)の会話、会社の休憩室な感じだけれど、この三人で会話を書く感じが、アタシが作家を好きな理由なのです。

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2012.04.10

速報→「青空文庫(A)」青☆組

2012.4.8 19:30 [CoRich]

吉田小夏の作品を取り混ぜ4バージョンで朗読公演する企画、「大人の絵本を開く」と題されたAバージョン。70分。14日まで、ゆうど。目白の古民家です。

口うるさい母親から独立したい、母親の言いつけで病気のお婆ちゃんを見舞いに行く途中で「独りで生きたいという願いは叶う」と云われた直後、で出会いがしらに狼にぶつかって「青ずきん」。
遠く海に沈む夕日を見に来た老女二人、いろんなことを忘れてしまう一人に、もう一人が思い出して教える。が、ここに来たら思い出せると思ったのに思い出せないことがあると。「夕焼けの名前」
(「prism」で上演の)「幸福の王子」

「青ずきん」は中学生の時に卒業生向けに初めて「台詞を書いた」ものだというコピーを貸本で配布。中学生なのに呑んだくれてみたり、親に反発して一人暮らししたいなぁなんて云わせてみたり。なんか猟師が妙にかっこつけてる男子だったりと、少女なりの奔放がほほえましい。ギャグになるのかならないのかわからないような小ネタが挟まるというのもいい感じだけれど、人は独りでは生きていけないんだという、いい子な着地点もよい育ちかたをしたのだなぁと思ったり。しかし、もし本当にこれが本物なら中学生でこれかぁ。すごいなぁ。

カミシモを切り、朗読というよりは、どちらかというと落語のような技法での語り口を吉田小夏の独り語りという手法で。アニメ声から老婆、おばあちゃん、猟師の男に至るまでさまざまに声を使い分けて、ト書きと、劇中音楽を女優たちが、というのも妙に豪華で嬉しく、特に猟師と青ずきんの対峙のシーンの音楽が盛り上がってわくわくします。

「夕焼けの~」は歳を取って忘れてしまうという「夕暮れ」の似合う風景な芝居。老女二人の会話劇。最初に忘れてしまった言葉が余りに悲しい。それに寄り添い支える人が居るということのある種の幸せとの少しずれたコントラストの強烈さが印象的なのだけれど、そこで物語を終わらせず、もう少し「残酷」なこと、そしてかつての風景という転換の鮮やかさ。そこに封じこめられた二人の歩んできた時間の深みを、しかし軽やかに描く見事さ。この二人がどういう歴史だったのか、というのは語られないけれど、なんかそこにも一癖ある余韻があります。 鮮やかな声色が強みの福寿奈央、髙橋智子。深い奥行きの時間軸を描き出すちから。

「幸福の王子」は童話を原作に。銅像が登場する前の部分、壁の向こう側を知らなかった王子が、銅像となってこの街を見渡すと、ということは追加されたのかなぁ。どうだろう。3本の中では少し長めで、童話という平坦な感じもあって、朗読という形で見続けさせるには少々苦しい感もありますが、かといって普通の芝居にしてもなぁ、というので悩ましいところ。 傍系の話だけれど、親子の会話(福寿奈央・髙橋智子)がなんか圧巻で印象に残るのです。

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速報→「石川のことはよく知らない(A)」東京ネジ

2012.4.8 17:00[CoRich]

Bバージョンを観たあと、Aバージョン、なんとか時間が取れそうだったので観ることにしました。50分、8日まで。

舞台やものがたりどころか、おそらく台詞もほとんど変わっていないのだけれど、役者は総入れ替え。物語の持つ力はもちろんそのままだし、雰囲気だって実は大きく変わったりはしないのだけれど、それぞれの人物の造型はずいぶん違います。造型と云うよりは役者の等身大が出ているように見えたりもしますが、本当にそうなのかは、もちろんよくわかりません。「怒って」いたり「寂しいと思っ」たりする気持ちの骨子は同じなのだろうけれど、その見え方だったり、その人物にとっての寂しさの感じられ方が変わって見えるのではないかと思うのです。

たとえば妻。Bで演じた佐々木富貴子は包み込もうと頑張ってるけれど、自分の知らない夫に淋しくなってしまう気持ちという感じ。対してAを演じた佐々木なふみはもう少し夫との間には気持ちの距離があって、踏み込むことすら怖がっているという感じ。

たとえば元妻。Bで演じた両角葉は、あっさり、あっけらかんというようなキーワードがぴんと来る感じ。Aでの佐々木香与子の造型ではなぜか元夫に対する気持ちの残りがもう少しあるように感じられます。

夫をBで演じた安田有吾は大人なんだけれどタクボクのことは好きすぎるて幼くなる印象で、Aで演じた金川周平はもっと全体にずっと若くフラットな感じを受けたのです。

二回目にして観てみるとなるほど、と思うことも。 見返してみれば、花粉症対策の注射をしなかった、というのもそうか妊娠だからか、と。女性二人と男性一人のコンパクトな芝居、椅子とテーブル、外へ出る扉さえあればできてしまうポータブルな芝居で、これをそのままでも、あるいは石川啄木ではなくて他のバリエーションも作れそう。じつに広がりのある芝居だなと思うのです。

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2012.04.09

速報→「さようならv2(平田オリザ・演劇展vol.2)」青年団

2012.4.8 14:00 [CoRich]

平田オリザが初めてアンドロイドを使って作った演劇「さようなら」に加筆した25分。15日までこまばアゴラ劇場。

死にゆく人に、古今東西の詩を読むアンドロイド、いすにもたれ、ゆるやかにその詩を聞き、二言三言を交わしている日々。
そして、その後、おそらく主は亡くなったあと。家財道具、アンドロイドを運び出す。

ロボット演劇「働く私」は見ているけれど、「森の奥」も初演版「さようなら」は観られていないアタシです。アンドロイドとして出演しているのはジェミノイドF(今年のバレンタインデーに高島屋でガラスに囲まれてデモしていたあれだ)。声が井上三奈子ということはわかったけれど、当日パンフを観てびっくりの、「動き」も。ジェミノイドは動くことができなんないので、これはほとんど表情ということに集約されます。動きが繰り返しに見えてしまうというのは、きっとアクチュエーターの動きの制約という気がします。アンケートに聞かれる「感動しましたか」や「どちらがアンドロイドに見えましたか」というのは、学問としてしっかり統計を取ろうという気持ちはわかるものの、そりゃないでしょう、という気もします。

物語としては、詩を聞いて感じて、ということにはまだアタシは少々若いようです。わかるようでわからない、そのときの気持ち、という感じ。そのあとの「男」が出てきてからは俄然おもしろい感じ。しょせん機械なのだ、というパワーオフとかリセット、あるいはバグっちゃう感じは楽しいのです。

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速報→「くろねこちゃんとベージュねこちゃん」DULL-COLORED POP

2012.4.7 19:30 [CoRich]

東京をスタートし、新潟、仙台、京都、大阪、広島を経ての凱旋公演。アタシは初見です。100分に、毎回トークショーが設定されています。8日までアトリエ春風舎。

父親が事故で亡くなった。息子と妻、娘が実家を訪れる。大学を辞めて実家を飛び出した息子、受験の時に兄とは違うのだから頑張らなくていいと云われてしまった娘。娘が父親の書斎から遺言状のようなものを見つける。

可愛らしいタイトルとは裏腹に、家族、特に「母親」という役割をめぐるずっしりと重い物語。

母親にとって子供はいくつになっても子供なのだ、というベースで進む物語の大枠。芝居をしたいといい食えないのではないかという制止を振り切ったあげくに飛び出す息子、どうもいまひとつ馴染めない感じのその嫁、人との交わりが得意じゃなくて、それでも一念発起して受験勉強を頑張ろうというのに、無理じゃないかといわれてしまう娘。

「普通の平凡な生活を送りたい、送ってほしい」ということに腐心する母親だけれど、それは当然子供たちの反感を買うのです。最後の支えであるはずの夫(父親)ですらも、これからは趣味に生きたいと云ってしまう始末。家族の幸せのため、たったひとつの基盤を失ってしまうことですべてが崩壊にむかってしまう悲劇。 母親という役割は子供たちをどこまでも心配するものだ、ということは前提としつつも、母親という「役割」が彼女にとって人間としてのすべてとなってしまっているという描き方。本当は彼女には彼女自身があるはずなのに、それはどこかに行ってしまったよう。

確かに母親の描き方はあまりといえばあんまりで、ごくシンプルに、切なく、悲劇に向かうような話なのだけれど、アタシにとっての母親にもどこか片鱗が思い当たるようなところがあったりします。大事に育てて貰ったのにうざったいと思ってついきついことばを使ってしまったりする自分の姿にも思い当たるのです。

新婚で、赤坂で芝居を打って、というのは作家自身のリアルに繋がるようなところがあります。もっとも、妻のリアルが公開結婚式で見たリアルな妻に繋がるとは思えないので、物語全体はリアルじゃないのでしょう。 でもなんだろう、母親に対する愛情とねじれた気持ちのようなものは、何かトークショーで語ったりする作家自身の姿の向こうに透け見えるのです。

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速報→「貴方と私の演劇革命」月刊「根本宗子」

2012.4.7 14:00 [CoRich]

月刊・根本宗子から派生して、外部の作家4名の一人芝居と、自作を日替わりゲストとの二人芝居で構成する80分。9日までゴールデン街劇場。

柔道着姿の女、父の敵を討つために力をつけるには女であることを隠してこの最強の道場に入門して「男 根本宗子」(作・政岡泰志(動物電気))
女の部屋、男と甘い日々を暮らしているのに、頭のおかしい姉はしつこく電話をかけてきて、果てには家におしかけてくる「ボーイフレンド」(作・河西裕介(国分寺大人倶楽部))
ナンバーワンのキャバクラ嬢、男なんか財布代わりにしか思っていなかったが、ある日男の顔がすべて同じ顔に見えるようになってしまった「顔」(田所仁(ライス))
女がパジャマ姿で「寝る前に」(作・鎌田順也(ナカゴー))
「僕の彼女は、根本宗子」で、浮気がばれて大変なことになっていて(作・根本宗子(月刊[根本宗子]))

自分の名前を掲げて活動する一人ユニット、月刊と名付けて自作で勝負する通常公演とは趣を変えて別冊と名付けて外部作家で構成し、役者としての根本宗子をフィーチャーしています。なるほど、それぞれの芝居のそれぞれの根本像があって素敵なのです。

「男~」は男臭くてすぐ裸になったりする動物電気の作家らしい舞台に、かわいらしい女の子が放り込まれるシチュエーション、セクハラも勘違いもとりまぜてバラエティーが楽しく、スターターとして客席を暖めるのです。

「ボーイフレンド」は国分寺大人倶楽部の隠れた名作「ガールフレンド」に似た着想だけれど、童貞色いっぱいな「想像」だった国分寺版とはちがって、居なくなってしまった人への想いが溢れた結果、という意味では現象は同じでもずいぶん物語の印象が異なります。序盤でのベッド、下世話な色っぽさめいっぱいなのだけれど、ことさらに露出をせずに布団で成立させるというのはむしろ新鮮でもっと色っぽい。中盤のキスから妙な具合になっていくというおもしろさは作家の力なのだけれど、それを実にかわいらしく、少々病的に演じる役者の魅力。

「顔」は、見た目ではキャバ嬢というのもあってもっとも露出が高い感じ。興味がないものは同じに見える、というのはもちろんほぼ誰もが感じることで、ああ、なるほどアタシがAKBがわからないのはこういうこと。それで困る職業というのを選ぶのは物語のセンスの良さだけれど、そこからもう一歩踏み込んでいい話にしてしまう力を感じます。

「寝る前に」は日常を覗くような静かな淡々とした日常、前髪をピンで止めて顔が変わって見えるということにびっくりする(いや、それはたいていそうなのだけど、経験のなさがここに露呈するアタシです)のだけれど、そのあとのオンステージ、歌詞をちゃんと追わなかったというのはたぶんアタシの失敗。

「僕の彼女は~」は毎回同じかどうかわからないけれど、浮気に逆上した彼女と、その男の話。こういうライトな病的さを可愛らしく演じるのは実に巧いのです。そういう意味ではもっと突き詰めそうな本谷有希子とはずいぶん仕上がりというか手触りは違う感じがありますが、自分を全面に出す、という売り出し方のベクトルは似ているのはちょっと不思議な感じすらします。

見せ方、物語のおもしろさという感じでは「ボーイフレンド」と「顔」が一歩リードしている感じがします。

アタシがみた土曜昼の回、女性客が半分をはるかに上回る男女比。この手の芝居だとアタシのような「観劇おじさん」がいっぱいにしそうなものだけれど、花見に浮かれて来なかったのか、あるいはゲストで選んでいるのか、この回は若い女性が客席に多いのはとても印象的です。いわゆる友達なのか、あるいは物語に惹かれた女性が多いということなのか、いまひとつわからないのですが。

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2012.04.08

速報→「石川のことはよく知らない(B)」東京ネジ

2012.4.6 21:00 [CoRich]

2006年初演2007年再演の三人芝居、三演め。アタシが見たのはBバージョンの21:30。この時間なら会社を少し早めに出れば松本からでも間に合うことがわかったアタシには嬉しい。50分、8日まで。

骨壺を抱えて泣く男、なぐさめる女、後からくる久しぶりにあう女、という三人芝居、前二回に比べると、外の見え具合を借景にする、というわけにはいかないロケーション。ですが、物語の持つ確かな力はもちろんそのままです。

前二回、わかりあえる・あえないの話だと書いていたアタシですが、今回は「相手のことを知りたいと思う気持ち」「自分のことを話そうと思うわずかな勇気」「知らないことに嫉妬する気持ち」ということをより強く感じます。

たとえば男と久しぶりの女の弾む会話、ということで疎外される気持ち、久しぶりの方を大切にしちゃうこと、それでさらに疎外される気持ち。それが更に結婚しているのにこの人のこと、何にも知らないなと思う気持ち。本当は話したいことがあるのに、話せない気持ち。そのそれぞれの想いがテーブルの周りで寄り添い、あるいはこそこそ話をしたり、何かを察したりということの濃密さがとてもいい感じなのです。 役者を変えて2バージョンの上演。アタシの観たBは、妻を演じた佐々木富貴子は、やさしく包み込むように、「一緒に暮らしている」女をきちんと。も元の妻を演じた両角葉を舞台で拝見するのはずいぶん久しぶりな気がします。かつては何かがあったかもしれないけれど、それに拘泥することなく、あっさりとしているという説得力。男から見ると女友達ち、というくくりのつもりだけれど、そのじゃけすけさもふくめて、「好き」なんだよね、ということがしっかりとしています。男を演じた安田有吾は 序盤の泣き声に一瞬不安がよぎるものの、ナイーブさ空間を満たす中盤からは不安なく。

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2012.04.03

速報→「日曜日よりの使者」石原正一ショー(NMSグレイティストヒッツ)

2012.4.1 16:00 [CoRich]

東京公演での最終回は、前説からカーテンコールに至るまで彼らの想いがぎゅっと詰まった感のある60分。1日までアゴラ劇場。

コーヒーを淹れる老人。入ってきたもう一人の老人は記憶が曖昧でそれを思い出させるために本人が云いだしたのだ。それは徐々に記憶を呼び起こす。看板娘、海岸近くのファーストフードと襲いかかるカモメのこと、図書館で出会った友達、マドンナのこと。コーヒーを淹れた老人、実はその男のことを知っている。

16日間の東京公演、最終日の最後の公演らしく、客席に渡したカモメの折り紙の説明の前説からして想いがあふれる感じ。それはチラシの「思えば遠くに来たもんだ」という言葉は終演後の挨拶にこみ上げる想いそのままです。かつてはあった小劇場演劇の拠点劇場、扇町ミュージアムスクエア(OMS)と同じネーミング、中崎町ミュージアムスクエア(NMS)をカフェで絵続けていこうという心意気がいいじゃありませんか。

老いた男と、その思いでの中に居るはずの友達の話。どこまでも平和だった日々に思いを馳せるという過去に向かっての物語を若い女性が書いたというのは意外な感じがします。むしろ彼らに近いはずのアタシは、じっさいのところ芝居を見ている最中はぴんと来ない感じなのはなぜなのだろう。 とはいえ、横を見れば(他人だけど)泣いている(たぶんリピーター)女性も居たりします。

思い出してみると、たとえばキャラメルボックスのハーフタイムシアター「銀河旋律」や「ブリザードミュージック」のような香りがする物語。もちろん物語はまったく違うのだけれど、学校という場所の話だったり、老人の話ということかもしれません。軽やかな芝居の中に浮き上がる滋味とでもいいましょうか、その味わいが確かなのです。

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速報→「神様それではひどいなり」石原正一ショー(NMSグレイティストヒッツ)

2012.4.1 14:00 [CoRich]

石原正一が大阪・中崎町のカフェを舞台に続ける二人芝居企画を10本まとめて東京再演のうちの一本。1日までアゴラ劇場。

5年間一緒に住んでいた女が居なくなったことを告白する役者らしい男。美しい女性に見とれる男、痴漢と間違われたが、女は初めて会ったのにもかかわらず、引っ越しの手伝いに来てほしいと頼む。女は頻繁に引っ越しを繰り返しそのたびに男は手伝う日々。男は結婚を望むが女は要領を得ない。消えた女の足取りを追いかけるうち、一人の女性が消えたことがわかる。

美しい女性と美しくはないその友人の女性の間での、美人というだけでもてはやされる美醜の不公平さに端を発し、殺人、整形して逃走という事件の骨組み。芝居で女装した男の姿がその友人にとても似ている、というワンポイントを要にしつつも、男の一方的な愛情の気持ちに対比して女の側の「男が抱いているのは私ではない、抱いているのは(整形した)私の顔と形なのだ」という美醜にまつわる女の想いを濃密な物語としてコンパクトに仕上げます。二人芝居ゆえの制約をうまく逆手にとることで、女の側の理屈と男の側の理屈の溝とゆえに起こる悲劇とその後が鮮やかなのです。

街で出会った誰かを可愛らしいと思う気持ち、まさかその彼女が自分のことを可愛いといってくれたり、(引っ越しの手伝いとはいえ)家に行っていい、って云ってくれたりということがおこるなんて、という奇跡。まさに彼女は「神様」。チラシにある「中学生のような」というのは少なくとも男の側の論理としては腑に落ちるのです。ああ、こういう奇跡って起きないものかと思っちゃうアタシ、それは白馬に乗った王子様を待つってことだよと、いい加減に気づけと自省。

女性を演じるサリngROCKは実に可愛らしく美しく。目に力があって離せない感じはまさに、はまるよう。

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2012.04.02

速報→「『ことば』vol.2」BoroBon企画

2012.3.31 19:00 [CoRich]

詩や歌詞、絵本や短い物語、あるいはその断片で言葉を紡ぐ120分。シンプルな語りだけですが、わりと豪華な役者陣なので見応えがあります。休憩10分あり。4月4日まで絵空箱。日によって出演者が多少変わります。

来月に出産を控える、ハイリンド・はざまみゆきをセンターに。そのせいかどうか、子供、親子、出産、妊娠というような緩やかなテーマが全体を貫きます。時に産まれてくる子供の側から、時に生命を宿した母親の側からのさまざまな詩、短文が連なり、暖かな空間。

いす取りゲームのように役者が争ってポジションをとって、短い語りを、というようなゲーム、カードを引いて「私は〜」ですという語りをするようなゲームっぽいものから、絵本の読み聞かせのような体裁など、さまざまに。もともとの文章の力が圧倒的に強いというのはもちろんあるのです。でも、それに説得力をもたせるだけの役者のちからはもちろん必要なのは間違いありません。

自分の息子の成長が、ブスだけれど優しい女と美人だけれど悪人な女とどちらをとるか、ということを通して見えてくるさまざま「女の入り口」(佐野洋子/「覚えていない」所収)がかなり好きなのです。これは買ってもいいかなと思わせます。 あるいは「おまえうまそうだな」は絵本で、肉食獣を親と感違いした草食獣の恐竜の話。親子の話で可愛らしくて、暖かくて寂しい物語が心に沁みます。 関西弁でのテンポよい掛け合いがかっこいい「耳飾り」(江坂遊/「仕掛け花火」所収)は、実は釣りの浮きで、男を見極められるという不思議な力のある話。コミカルでもあって実に楽しい。 離婚した夫婦の話「さくらんぼパイ」(江國香織/「つめたいよるに」所収)の何事もあたしは経験してないけれど、大人な語り口。久保田芳之が実にかっこよく。 温井摩耶が自分の祖父母について熱く語る「私のささやかなゆめ」はかなりの大作ですが彼女が語りたいこと、ということが濃密に作られるのです。

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速報→「ストレンジャー彼女」tsumazuki no ishi

2012.3.31 14:00 [CoRich]

4月1日まで雑遊。130分。

タワーマンションの建設現場だが、工事は止まっている。その一角に住む女。まわりには、子供、と名乗る人々。近所のワンルームマンションで発見された遺体と同居していた筈の女。そこで降霊をするという噂を聞いて尋ねてくる母娘。殺人をしてみたいという妄想が止まらないのを心配して、母親が連れてきたのだ。果たして霊は降りてきて。

四角い舞台を四方囲みの舞台。入り口側が正面という演出。アタシは一番奥、目の前を斜めにパイプが走る角の席。全体に舞台は暗く、演出の向きも全く考慮されていない感じで、この狭い空間なのに、ずいぶん遠く感じるのは、アタシがこういう死とか霊とかを考えないようにしているからかもしれません。

いわゆる凶悪犯罪のさまざまな犯人っぽい人々が死者も生き霊もごっちゃに光臨。なにか鬱々と考えを巡らせる作家の周囲をぐるぐる回って観ているような感覚にとらわれます。虐待の末殺したであろう母親の周りに集う子供たちはもちろんこの世のものではありません。その目前で起こること、あるいは犯罪に手を染めてしまった人々も、彼女一人の妄想な気がします。もしかしたら、ここを訪れる客人たちさえも居ないのではないか、というのはアタシの感想ですが。とはいえ、誰かをどうにかしたいと思う瞬間、どうにかされそうだと思う恐怖の瞬間、どちらも(子供の頃はともかく)そういうことは(今のところは)そうそうないアタシにとって、この視点の人々をそとから眺めることは、微妙な罪悪感すら感じます。安全柵のこちら側から見ているということの申し訳なさというか。

舞台は暗く、役者の魅力のようなもので見続けるのもつらい感じで、この印象がアタシのちょっと厳しい印象に繋がります。じっさいのところ、演出を兼ねる寺十吾が「ポール」として降りてくる瞬間はぱっと舞台は軽やかで(照明も)明るく。この瞬間はとても楽しく観られます。

ほかにわかるのは拝見したことがある福原冠。正面から見られたのもあって、表情が薄く幼い感じにみえるというのはサカキバラという役な雰囲気をきちんとまといます。殺人願望に捕らわれる少女を演じた若松絵里、殺された異母姉妹を演じた亜矢乃は遠目にもきれいなのは感じられるのだけれど、いかんせん、暗すぎるし、その間にほぼ背中しか見えない役者が多すぎて壁のよう。なるほど、「関係者席」と書かれた紙が置かれている入り口横ならこういうことはないのでしょう。そこに座るわけにはいきませんから(まあ、早く行けばいいことなので自業自得ですが)、こういうことが観客のストレスになるな、とあたしは思うのですが。

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