速報→「くろねこちゃんとベージュねこちゃん」DULL-COLORED POP
2012.4.7 19:30 [CoRich]
東京をスタートし、新潟、仙台、京都、大阪、広島を経ての凱旋公演。アタシは初見です。100分に、毎回トークショーが設定されています。8日までアトリエ春風舎。
父親が事故で亡くなった。息子と妻、娘が実家を訪れる。大学を辞めて実家を飛び出した息子、受験の時に兄とは違うのだから頑張らなくていいと云われてしまった娘。娘が父親の書斎から遺言状のようなものを見つける。
可愛らしいタイトルとは裏腹に、家族、特に「母親」という役割をめぐるずっしりと重い物語。
母親にとって子供はいくつになっても子供なのだ、というベースで進む物語の大枠。芝居をしたいといい食えないのではないかという制止を振り切ったあげくに飛び出す息子、どうもいまひとつ馴染めない感じのその嫁、人との交わりが得意じゃなくて、それでも一念発起して受験勉強を頑張ろうというのに、無理じゃないかといわれてしまう娘。
「普通の平凡な生活を送りたい、送ってほしい」ということに腐心する母親だけれど、それは当然子供たちの反感を買うのです。最後の支えであるはずの夫(父親)ですらも、これからは趣味に生きたいと云ってしまう始末。家族の幸せのため、たったひとつの基盤を失ってしまうことですべてが崩壊にむかってしまう悲劇。 母親という役割は子供たちをどこまでも心配するものだ、ということは前提としつつも、母親という「役割」が彼女にとって人間としてのすべてとなってしまっているという描き方。本当は彼女には彼女自身があるはずなのに、それはどこかに行ってしまったよう。
確かに母親の描き方はあまりといえばあんまりで、ごくシンプルに、切なく、悲劇に向かうような話なのだけれど、アタシにとっての母親にもどこか片鱗が思い当たるようなところがあったりします。大事に育てて貰ったのにうざったいと思ってついきついことばを使ってしまったりする自分の姿にも思い当たるのです。
新婚で、赤坂で芝居を打って、というのは作家自身のリアルに繋がるようなところがあります。もっとも、妻のリアルが公開結婚式で見たリアルな妻に繋がるとは思えないので、物語全体はリアルじゃないのでしょう。 でもなんだろう、母親に対する愛情とねじれた気持ちのようなものは、何かトークショーで語ったりする作家自身の姿の向こうに透け見えるのです。
ネタバレかも
終盤で救われたかに見える父親の遺書なのだけれど、それが息子たちの手によるものだということは、ある種のバッドエンド。息子や娘がそこに至るのは、息子たちの優しさなのか、それとも何かのたくらみか、それはまさに「火曜サスペンス」な感じ。公正証書があるから、遺書の骨子は変わらないのでしょう(このあたり、アタシ詳しくないですが)、ならば、その優しい言葉が作文だったのだとするならば、何も言葉すらない遺書だけがある、という冷たさを和らげるためのものだったのかな、とも思うのです。そこを更に「遺産を手に入れた」というような、ちょっと悪ぶった感じなのは何か照れのようなのかなと思ったり、もしかしたら誤読していますか、あたし。
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