速報→「春風」年年有魚
2012.3.24 19:30 [CoRich]
年年有魚の新作。「がんばって」という言葉を素直に受け止められなくなった今にこそ描くがんばる人、頑張れない人の話90分。25日まで駅前劇場。地元の店がモデルになった連ドラの新番組のヒロインをゲストに呼ぶ桜祭りは市長以下気合いが入っている。会場近くの喫茶店が控え室代わりにあてられ、放送局の広報やスタイリスト、マネージャなども大挙して押し寄せる。母親と兄が切り盛りしている店、小学校教諭の妹は学校に行けなくなって半年ほど経つがまだ誰にも話せていない。祖母は行動や記憶が怪しくなっているが、その祖母を若い男が尋ねてやってくる。
駅前劇場を幅いっぱいに、落ち着いた喫茶店をしつらえます。窓の向こうに桜、時折り花びらが散り、まさに祭りの季節のやわらかな日差しを舞台上に。
低学年児童ではうまくできていたのに高学年になって馴染めなくなって学校にいけなくなった小学校教諭。「正義とはどういうことか」を先輩教師に尋ねたりはしますが、彼女の悩みがどういうところにあるのかということは明確には語られません。 何かに足がすくんで、その中に飛び込んでいけないこと、心因性の何かという感じもするけれど治療を受けている感じではなく、しかし「頑張る」という言葉を不用意にかけられない、という感じ。
体調がすぐれない新人女優がそれでも無理を押してがんばるということが対比として描かれます。なぜそこまで頑張るのか、ということに対しては「代わりなんていくらでもいる」から、「今頑張らないと明日はない」という、しごく真っ当な答えが示されます。「ナンバーワンよりオンリーワン」なんていうのは耳に心地いい言葉だけれど、代わりのいない、ということがいかに難しいことなのか、ということをいわゆる芸能人を仲介として描くのはちょっと巧い感じがします。
メインの二つの物語、それに寄り添う祖母の話、あるいはタレントスタッフたちの話。微妙な間合いだったり、くすり笑いだったりはするものの、春風のようにそれはそよいでいて、大きなパワーという感じではありません。正直にいえば、脇のさまざまは物語を持たないわりには、(音量という意味ではなく)わりと煩い感じではあって、メインの物語の対比がみえづらくなっている感じはします。見慣れた役者のさまざまという楽しみ方をするアタシはともかく、初めて観るひとにとってはちょっと厳しいとおもうのです。
辻川幸代という役者はずいぶん観ている気がしますが、今作での母親というのはベストアクトなんじゃないかと思うぐらいに。母たる強さとある種のカジュアルさのバランスが実によくて印象に残ります。トツカユミコは今までどうしてもあくが強くてちょっと苦手な役者でしたが今作のナチュラルさはちょっといい感じ。同僚を演じた安東桂吾はいままでにないさわやかでまっとうさ。巻き込まれ、笑いをとり、静かに進む物語の中でリズムを刻みます。祖母を演じた岩堀美紀は若い女優が演じるステロタイプな老人になっている感はあるものの、見続けているうちに味わいのようなものがじわっとくる感じになじんでしまって終演後にメイクを落としてロビーに現れたときにちょっとびっくりするアタシです。松下知世の心ない感じはじつにいいバランス。ADを演じる今城文恵はあまりといえばあまりな造型ですが、ならばいっそもっと突き抜けられる感も。 前有佳はしごく真っ当に、しっかりと物語の世界を支えます。
明らかに消耗しきってる女優はともかく、小学校教諭の方は悩みが何なのか、ということの原因を描いた方がきっと人物はもっと明確に浮かび上がってくる気はします。が、作家は「そうなってしまった人がここにいる」ということ、もっといえばその人にどう寄り添えるか、どうやって前に進んでいくのか、ということが作家の描きたいことだと思うのです。
その彼女がボケはじめてしまった祖母を守ろうとすること、「死んだ目」という容赦ない言葉に反抗するだけの力がまだ残っていること、を描くのは弱り切った人の中に、種火のように残るエネルギーを表すよう。あるいはその祖母が呉れる飴玉に込められた気持ち、貰うことでわき起こる気持ちもまた、人の心の中にある種火なのだよな、と思うのです。
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