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2012.03.26

速報→「Kon-Kon、昔話」世田谷シルク

2013.3.25 14:00 [CoRich]

世田谷シルクが福岡で行った公演を加筆改訂した100分で凱旋公演。25日までpit北/区域。狐の物語を王子で、というのがいいじゃありませんか。

いつものように目覚めた男、階下に降りトーストを頬張り「おいしい」と声をかけた妻は狐だった。飛び出した男は自分以外の人々が皆、狐だということに気づく。逃げ回るうち、狐の一匹に呼び止められるが観に覚えはない。さらに逃げ回るうち、穴に落ちてしまう。上の穴にはどうしても戻れそうにない。通れそうにない小さなドアがあるが、勧められた薬を飲むと体は小さくなり、その向こう側へ。
出てきた場所は、藁葺きの屋根の古い家。妻らしい女も居る。まだ冬で食料もギリギリだというのに、餌をせがむ狐に男は餌を与え、果ては自分たちが食べるものまで与えてしまう。ある夜、尋ねる少女が居て、彼女は恩返しにきたのだという。いよいよ食べるモノに困る夜、妻は少女を吉原へ、と云い出す。

狐遊女、という昔話をもとにしているとのことだけれど、恩返しとか、竜宮城とかを交えつつ、全体としては「不思議の国のおじさん」というような感じ。子供がいない夫婦、妻との関係だったり、どうにも(妻も含めた)世間が全体に騙し騙され生き馬の目を抜くような違和感を感じているような話をベースにして、可愛らしい娘を見る目、貧困ゆえに娘を吉原に送るという無力感とその後の脱力感などさまざまにないまぜ。もともとイベントの一部として構成されたらしく、実にわかりやすく雄弁でしかもラップだったりダンスだったりと盛りだくさんで実に楽しいのです。

空中を浮かぶようだったり穴から落ちてくる感じだったり、亀に連れられて海中を進むようなさまざまの「空間の仕掛け」が楽しい。しかもそれをセットとかワイヤーとかではなく、役者だけで作り上げるのは山の手事情舎譲りのような楽しさがあります。

あるいは維新派というか、「ままごと」というか、ラップ調のリズムに乗せるというのも、ただそれに頼らず、しっかりとしたダンスだったり、拍子木を交えたりと「あがる」感じが見ていて楽しい。こういう楽しさって重要な要素で、それがこの濃密な空間を飽きずに見続けさせる一つの要因なのです。

ベースにしっかりとした物語を古典から引用し、役者の動きやリズム、構成の力で仕上げる力の確かさ。いくつもの物語を盛り込んだって無理矢理感もなく、濃密な空間を作り出すのです。見慣れない古典で作るのもまた楽しいけれど、既になじんでいるシンプルな物語をベースにして、これだけ大人が楽しい感じなのは実に楽しい。

遊郭を後半の舞台にしながらも、とりわけの色っぽさに走らないのもまたいい感じ。こんなにも親しみやすい物語だから、こういうバランスがいいのかもしれません。

堀越涼は前説、落語で客席を暖めつつも、女形(やり手ババアだけど)からドアノブに至るまでの活躍、そのどれもが目を離せないぐらいに圧巻で印象に残ります。岩田裕耳はきっちり主役、若いけれどおじさん代表な疲れ具合から娘(じゃないけど)に目を細める感じまでアタシの視座にもっとも近く。少女を演じた大日向裕実は可愛らしさ全面で、いたいけ、という言葉がぴったりくる感じで走りきります。子供や遊女の一人を演じた前園あかりは、可愛らしさ、元気の良さ、ちょっとやさぐれたり、ナンバーワンから転落したりとさまざまをしっかりと。遊女の一人を演じた小林真梨恵はダンスの体の切れ、堀越涼と並んでも遜色ない背丈と、美しい。堀川炎は台詞を排して、動きだけで子供を演じるのはさすが。 作家が当日パンフに書いた「おじさん」の話はちょっともの悲しいけれど、もしかしたら今の日本の姿、というのは大げさで、どちらかというといつでも「あちら側」に落ちてもおかしくないアタシだから身に沁みたということかもしれませんが。

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