速報→「流星ワゴン」キャラメルボックス
2011.12.10 14:00
重松清原作の舞台化、125分。神戸公演のあと、サンシャイン劇場で25日まで。可能なら平日の方が残席は多いようです。
38歳の男、もう死んでしまってもいいかと思っていた。解雇、離婚、子供の引きこもり、郷里の父親も病床で伏せっていていて先に希望が持てない。疲れ果てて戻ってきた駅前のロータリーに停まっていた赤いオデッセイ。橋本と名乗る父親と息子が乗っているが、すでに二人はこの世のものではない。男を乗せて走り始めた車は、男の大切な「ところ」に向かう。
原作は読んでいませんでしたが、劇場で文庫を購入。この劇団ではこのパターンが増えていて、小説を読むことがすっかり減っているアタシにとっては貴重なきっかけになっています。いわゆる単行本ではなくて、文庫で買えるのも、週末ごとに移動をしているあたしにとっては助かります。
あとがきによれば(本編の前に読み始めるのは悪い癖だ)、父親になったから書けたはなしなのだとあって、たしかにアタシがいまひとつピンとこなかったのはよくわかります。父親であり、(自分の父親の)息子でもあり、妻との距離感の微妙さも含めて、ふつうに暮らしていれば40代前後の男のリアリティ。人生のそういう経験が豊富ならば、きっとどれもがヒットするようなたくさんのフックがあって、確かに客席が泣く感じは男性の観客たちが、という感じがします。
460ページを越える原作を2時間で、とはさすがに行かない上に、じっさいのところもっと色っぽい描写もあったりして、正直に言えばものがたりのディテールという点では舞台の方は少々薄味な感は否めません。妻の浮気を知って家に戻り、晩ご飯の準備をする妻の姿をみながら、というあたりの描写、未来を知ってしまっていて、気持ちではもがくけれど、滑稽なほどに行動は過去に行われたことをそのままなぞってしまうということの悲喜劇の感覚、あるいは生活というものの描写もキャラメルボックスという演出の枠の中ではさすがに小説の執拗な描写の中年男視点には届きません。
息子も妻も手の届いておらず(泣)、父親もいまのところはまだ元気なアタシにとっての物語のフックは、ファンタジー色が強いけれども父親が現在の自分と同じ年齢で現れて、まるで併走してくれるかのように、あるいは一人の友人であるかのように過ごす時間の豊かさなのです。演じた三浦剛、昭和な感じのブルドーザーのよう。ときにガサツさもあるけれどその力強さは今作において軸となっていて強い印象を残します。原作にはない読者という視点の坂口理恵の丁寧な物語のフォローが嬉しい。阿部丈二の「くたびれた男」感はさすがにそこまで疲れた感じに見えないのはまあ仕方ないところか。岡内美喜子演じる妻は今作の舞台の中ではどうにも描写がたりなくなってしまうのは前述の演出・脚色ゆえに仕方のないところかと思うけれど、小説のあの過剰な色気感には少々上品にすぎる(ようにみえる)ゆえという気もします。いや、そういうの観たいのは山々なれどとかおもっちゃうおやじでもあるのだけれど、この脚色ではそれは無理なのだろうとも思います。
それでも舞台を観なければこの作家の小説を読むきっかけはなかっただろうなぁとも思うわけで、新しい出会いのきっかけとなるだけのちゃんとしたクオリティを感じさせる舞台なのは間違いないのです。
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