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2011.12.30

速報→「Gaku-GAY-kai 2011」フライングステージ

2011.12.29 18:30 [CoRich]

劇団・フライングステージ名義ですが、芝居とレビューを混ぜ合わせて200分ほど。★。30日まで雑遊。

第一部「贋作・GO」。男として生まれたのに、戦乱を避けるために女として育てられた三姉妹(兄弟)。戦乱の世、翻弄されていく。
第二部「It's Show Time」

  1. 「アイハラミホ。の驚愕!ダイナマイトパワフル歌謡パフォーマンスしょー」
  2. 天辺歌劇場3「香港の黒豚」作・岸田今日子(amazon)
  3. 「女優リーディング『悪女について』」関根信一
  4. 「今年はアタシも、第二部で何かやろうかねえ」エスムラルダ
  5. 「リヴァイタル2」モイラ
  6. 「中森夏奈子のスパンコール・チャイナイトvol.4」西田夏奈子

「贋作・GO」
云わずと知れた大河ドラマ「江」をゲイたちの話に読み替えた贋作版。辻褄のあわないところを「趣向ですから」という一言で片付けつつ、でも90分でわかる「江」という感じなのも楽しい。(いや、実は見てないので)
必ずしも手慣れた役者ばかりではないので、初日だということを差し引いても(で、ホンも最後は前日夜とか)、仕上がっていない感じではあります。明らかに飛んでしまう台詞、段取りなども見えてしまいます。いわゆる 舞台を期待していくと少々不満が残りそうな感じではありましたが、なにせタイトルからして「学芸会(しかもゲイたちの)」ですから その全体のバタバタも含めて楽しむのが吉。人数の多いダンスは圧巻ですが、アタシが入場したのは少し遅かったので、横から見る感じになってしまったのはちょっと残念なのです。

「アイハラミホの〜」わりと豊満を通り越してまん丸な感じの彼女がパワフルに踊る二曲。コミカルでもあって、そのわりにカラダの切れがすごいので見ていてぴしっと決まるのがカッコいい。

「天辺〜」どこまでが原作に忠実なのかわかりませんが、香港で見つけた「豚」に恋してしまった女の話。それがどんどん不幸になっていくような落ちる感じ。

「悪女について」は有吉佐和子の小説で、その中から「その3」と題された部分のリーディング。世間知らずの公家の宝石を換金して成り上がっていく女のことを、その公家の女性からの証言として成立させたものがたり。さすがに関根信一らしく、情感も繊細さが圧巻。

悪夢の、と紹介された「今年はアタシも〜」は、曲をかけつつ踊る下ネタ2本で構成。女性客も多いので気を遣いつつも、そのパフォーマンスに、女性の声を中心に盛り上がる客席。この密室、秘密な感じがたのしい。

「リヴァイタル」は美しいパフォーマンス。少し長い感はあります。

「中森夏奈子〜」は中森明菜風だけど、彼女の曲ではない二曲。 しっかりと中森明菜の歌い口になってるのが楽しくもりあがります。

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速報→「90ミニッツ」パルコ劇場

2011.12.29 14:00 [CoRich]

今年の三谷幸喜のシリーズは大笑いできるものではなく深刻な方向にシフトしていて(311で微調整しているようですが)、これも例外ではない100分。30日までパルコ劇場。2月に追加公演が設定されています。それ以外に北九州、大阪、金沢、福岡、仙台、新潟、名鉄、広島。

交通事故で運び込まれた9歳の子供。手術をすればほぼ助かるが大きな怪我。手術の同意書へのサインを求める病院に対して父親はそれを拒む。時間は限られている。

開演直後の字幕、特定の宗教や信条を非難したりするものではない、と。報道で時折目にする輸血などの医療行為の拒否。アタシを含めおそらく多数なのは、それでも手術を受けるべきだという立場になるのだろうし、アタシはそこで思考停止してしまうところだけれど、一筋縄で行かない作家、その奥へ奥へと執拗に掘り下げていきます。

序盤、父親の譲れない一戦はどこにあるのか、ということを探る過程。手術がだめなのは輸血するからで、輸血がだめなのは肉を食べることと同じで、肉を食べることがだめなのは他者の命を絶ってでも自分が生きるということがだめで、献血は命を絶ってないけれどだめで、牛乳は実はいい。その過程は懇切丁寧に論点を探る過程。医者の立場と同じ過程をたどって観客も起きている事態を理解する。議論をするというのはどういうことかという意味で教科書のようで実に面白い。これ中高校生のときに見たかったなぁ。実に巧いなと思うのです。

中盤では、妥協点を探ります。お互いに自分の立場をそのままにして、「体裁を整え」たり「仕方なかったこと」とできないかというさまざま。お互いに相手の立場もちゃんと尊重して、お互いにアイディアを出し、お互いにそれを吟味する。子供の命を救うという共有されているゴールが明確だからこそできる議論の濃密なこと。

一般的には正義となるのは医者の立場だけれど、作家は観客にそこで立ち止まることを許しません。なぜ(自分たちが信じている永遠の命を絶ってまで)手術を受けなければいけないのか、なぜ手術を受けるのに同意書が必要なのか。命を助けることが至上命題のはずの医者だけれど、やはり一人の生活者であるという視点。

「笑の大学」と同様に、それぞれの立場、信条、自分たちの信じているものの線引き、妥協点を話し続けること。何が正義なのか、ということはたとえばサンデル教授の哲学の講義(いやテレビでしか見てないけど)のように、相対的なものだと気づかせるための少々センシティブな話題という気もするのです。

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速報→「ゆく年くる年 "SHIBA⇔トン" 歳末大感謝祭」faifai(快快)

2011.12.28 19:30 [CoRich]

ずいぶんと久しぶりに拝見した気がします。2010年6月の東京上演のあとに、大阪、ベルリン、ブタペストを経て熟成を重ねた「快快の芝浜」の上演を核に、ツアー報告を交えたり今年の様々を織り込んで忘年会にもなっている180分ほど。28日までイベントスペースM。

中央に場所を空け、まわりを囲むように観客を座布団や椅子で座らせる、というなんていうんだろう、ドリンク・フードがあるからか、東京初演にくらべるとずっとパーティな雰囲気。

ツアーでは、その町ごとに長期間の滞在をして、各々のメンバーがその土地の「だめ人間」的な物をフィールドワークを重ねてきたのだといいます。時にドラッグ、時に風俗、時に舞台美術のためにゴミ置き場を歩いたり。あるいは世界各地の監視カメラに写る人々のこと。それぞれをメンバーの報告という形でそれぞれの役者、スタッフの語り。これもパーティ風という体裁によくあっています。これを聴くと、一年半、見た目のユルさとは裏腹に、彼らは実に地道にフィールドワークを重ねてきたのです。ステロタイプな「だめ人間」や「一攫千金」のようなものを言葉に頼らず、それは人にとってどういうことなのか、ということを言葉の違う土地での作業を通じて自分たちの中に沈殿させるというか、なじませる感じ。なじませたものを、200年前から江戸・東京と続く時間の地層の中で変わらない何かをつかもうとしている、という風に思います。

もっともその結果、今作で出てきたものはといえば、やはり「酒浸り」という単語だったり、「100円じゃんけん」という一攫千金シミュレーションだったり、あるいは「女体盛り」だったりと、前半のイベントは、やはりお気楽な感じではあります。それを経ての、後半、彼ら自身の演じる「高速マッシュアップ版・芝浜」というのは圧巻です。

だめ人間・クマちゃんと、その妻。芝浜の物語を語ろうというよりは、そのキーワードになる「だめな人」「一攫千金」「夢」のあたりを骨格にさまざまにインスタレーションをめまぐるしく作り出します。物語に直接関係なくても、地震のこと、原発や避難地域のことなど交えつつ。あるいは夫婦の愛情だったり、次から次ぎへと。こういうパフォーマンスで「マッシュアップ」ということばを使うのは珍しいと思うけれど、さまさまなフィールドワークで培った地力、それを砕き、ばらばらにして混ぜ合わせる構成力、まさにマッシュアップということばがぴったり。パフォーマーたちがiPhone片手にイベントを仕切るというのも、おそらくはプリンターなんかが当てにならないあちこちを飛び回る中で培った手法なんだろうけれど、なんか「道具として使いこなしている」感じで実にかっこいい。

前半のイベントの中の一つ、ミュージシャンたちに混じっての立川志ら乃の落語。といってもほとんどは、「二つ目昇進試験の時の話(NHKでの放映があったらしい)」。アタシはついに、生の立川談志を聴くことはできなかったけれど、その孫弟子の口から語られるその人となり(といっても試験のその場だけのことなのだけど)が見えたりするのは、年の瀬らしくてまたちょっとお得な感じもあります。

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速報→「ウイリアムの仇討ち」うさぎ庵

2011.12.28 16:00 [CoRich]

「ハムレット」を下敷きに現代での復習を描く90分。29日までザ・スズナリ。

製菓会社の社長と秘書が飛行機事故で消息を絶ってから一年。社長はその弟に譲られ、社長夫人も弟と再婚している。元社長の息子は、その飛行機事故じたいが仕組まれたもので、復習を果たさなければいけない、と云われる。一年後、その関係者たちがチャーター機に乗り込むことになる。

たしかに「ハムレット」の骨格に見える登場人物たち。王を製菓会社の社長と読み替え、飛行機の機内のワンシチュエーションのミステリ仕立てに。ほぼ同じ流れを二度繰り返し、一回目と二回目で複数箇所での会話のうち観客に見せる会話を変えるなどをしています。

ハムレットの隅々が自分のものになっているとは云い難いアタシです。かろうじて「流血ハムレット」を今年観ているので、わかるということに過ぎません。だから、正直に言うと、今作での読み替えをすることの効果や物語の意味合いといったものが今一つとらえきれずにいるのです。

おそらくは原文のままの英語の台詞に重ねて現代の台詞を見せるというのはちょっとおもしろい感じ。暗喩というよりは抽象度が高くて、さまざまな場面で当てはまる、という感じで、シェイクスピアを英語のテキストとして使うのはわりと当然のことなのかもしれないけれど、それを芝居で見せるのは珍しい気もします。

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2011.12.27

速報→「お披露目ライブ」38mmなぐりーず

2011.12.25 19:00 [CoRich]

「小劇場発のアイドルユニット」で一般の観客にリーチしたいのだというプロデューサーの心意気。お披露目ライブは、小劇場の作家に作詞を依頼したオリジナル曲4曲と、コント2本という構成で70分。握手会を設定しています。25日までシアターミラクル。

AKB、モーニング娘。はおろか、世代的にはばっちりのはずの、おにゃんこクラブもオールナイターズも、実は全くはまっていないアタシです。アイドルを観る文法も作法もわからないので、これが果たしてアイドルのパロディとして成立しているのか、あるいは当パンにあるとおりに今はマイナーだけどガチでアイドルとして成立させて普段、劇場に来ない観客にリーチしようとしているのか、ということは正直わかりません。

曲は小劇場の作家が書いたオリジナルになっています。

上野友之(劇団競泳水着)の「マフラー」は純粋に女性アイドルが歌いそうな詞をキャッチーな曲に。詩を読む限りは、もっとバラード調になりそうなところを、アップテンポにした理由がよくわからなかったりはします。今回の4曲の中では、唯一、小劇場に絡んだ内容ではないので、そういう意味ではほかの曲に比べて印象に残りづらいのはもったいない。

ハセガワアユム(MU)の「私を劇場につれてって。」は、ポップで耳に残り、口ずさんでしまいそうな曲調が印象的。東京の劇場をさまざまに織り込んだ詩は、劇場への愛に溢れていて、聴いてて涙出ちゃいそうになるいい詩なのに、はやりなのか、Perfume調のボーカル(いや、音楽のことほんとにわからないので、これが正しい表現かどうかはわからないのだけど)それを聴きづらくしてるのはもったいない気がします。あらかじめ詩を読んでおくべきなんだろうけど、これなら字幕とか映像が何かあると合いそうだよなぁと思います。

「外郎売」は役者の発声を鍛えるために使われてる早口言葉のようなもの、それを曲に乗せるという試み。といっても、芝居をしたことがないアタシはほぼ何を云っているかわからないのが残念。これこそ字幕があれば生きてくる感じがします。あるいはFlash職人の出番か。もっとも、確かにこれは小劇場ゆえで、ほかからの参入障壁が高いという意味ではうまい題材を見つけたなとは思います。一般にリーチするためには、これをわけわからない早口言葉だと、観客に思わせない工夫が必要ではないかという気がします。

谷賢一(DULL-COLOERD POP)による「KANGEKI☆おじさん」小劇場界隈で確かに多いアタシも含めた中年以上のおやじたち、女優を出待ちしたり差し入れしたりというのは確かに日常の風景だったりします。それに「観劇おじさん」という言葉を与えたのは誰かはわからないけれど、揶揄と少しばかりの感謝をめいっぱいに詰め込んで詩として立ち上げた作家は大したものだし、少々コミカルさ(つまり志村けんの「変なオジサン」だ)を交えた振りをきっちり作り込んだのはさすがに二階堂瞳子(バナナ学園純情乙女組)で、キラーチューンになってる一本。もっとも、その当のオジサンなアタシは喜ぶとしても、誰得なんだ、という気がしないでもありませんが。

こうなれば物販(CDでもいいけれど、アタシとしてはIPhoneやUSBにコピー貰う方が嬉しいです。その場でお金払いますからw(帰り道で聴きたいので)してもらいたいなぁと思います。

コントも凄い布陣です。
オカヨウヘイ(PLAT-formance)による「英会話学校」はどうみてもちゃんと授業してない英会話学校の授業風景。少々無理矢理な感じはしますが、ホワイトボードで綺麗にまとめた感じだけど、PLAT-formanceのポテンシャルならこの何倍も、という想いは残ります。

富坂友(アガリスクエンターテイメント)による「境界線」は三流アイドルと、それをやめて次のステップに進んだ元アイドルの会話劇というちょっと無理矢理感漂う設定だけれど、それはアイドルに限らなくて、小劇場の女優自身にだって、あるいは指標は違うけれど、会社に残るとか会社辞めて次のステップに、なんていう対立軸っぽくてこれはこれで見応えがありますが、もうすこしコンパクトに成立させられそうな気はします。

アイドルの見方の教養のないアタシです。ほぼ知り合いではない女優たちの歌い踊る姿の見目麗しい眼福(白シャツ、黒スカートってのは巧い気がする)はともかくあるとしても、どこを観るかということの難しさがあります。小劇場の観客としてのM2,M3,M4は確かにおもしろいと思いますが、当日パンフでプロデューサーの語る「小劇場を観ない一般の観客へのリーチ」が冗談ではなく本気ならば、これはサブとして残すべきなのであって、ともかくいちおうアイドルとして成立させることを目指さないと、コアな小劇場フリーク(しかも観劇おじさん)のリピートに頼る、というあまり望ましくない方向にいってしまうのではないか、という気がしてならないのです。いや、それはそれでアタシは楽しいからそれでいいのですが。

あるいは、これなら曲も歌詞もあらかじめ公開しておくべきなのでしょう。そもそも聞き取りづらい歌詞もあるわけで、これはむしろ予習を促すほうが良さそうな気がします。

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速報→「節電 ボーダー トルネード」クロムモリブデン

2011.12.25 14:00 [CoRich]

クロムモリブデンの新作。前回の4月公演は震災前に作ったものを震災直後に上演して苦しかったが、今作は正真正銘震災後に作ったのだという105分。大阪の後、東京・RED/THEATERでの上演は30日まで。

竜巻に襲われ大きな被害を受けた町。ひき逃げ事件を目撃した女、ひき逃げされた女、ひき逃げしたタクシーの運転手をつきだした女たちが警官のもとを訪れるが、取り合わない。竜巻で倒壊した隣町の刑務所が緊急避難措置で囚人を「切り離し」たので、この町にやってくるからそれどころじゃないのだという。
いっぽう、竜巻でホスピタルが倒壊して路頭に迷っていた患者の女二人、エレキギターをもった「先生」のもとでバンドの練習を始めるのだが、電力がどうにも足りない。

舞台左右に設えられた高めのステージ、その中央に穴。そこをブースにしたり出入りに使ったり、時に飛び出すよう出てきたり、ぐるぐると人が巡ったり。たとえば終幕で衣装が替わるびっくり、あるいはトランポリンかと思うような勢いで飛び出してきたりと、派手ではないけれど、舞台を使いこなします。いくつもの劇団(総数姉妹のソビエト系の芝居はすごかった)にとってのTOPSがそうであったように、REDを知り尽くしたクロムモリブデンだから、さまざまに使いこなせるのだなぁと思うのです。

クールビューティが特徴な幸田尚子が可愛らしかったり、妙な感じだったりという新しい魅力。七味まゆみとの掛け合いは時に漫才のよう。 渡邉とかげは、すっかりと綺麗な女の子(ラジオボンバー出演の時の切れキャラも好きだけど)。金沢涼恵の包帯巻いた姿にちょっと萌えるという気持ちはわからないでもないなとおもったり。今作、女優をフィーチャーしたつくり故か、どの女優もきっちりと魅力的でおもしろくて可愛くて。荒削りだったそれぞれの魅力というより、みんなきれいになっちゃうというのは、ちょっと危惧しないでもないのだけれど、裏を返せば誰でも美女から三枚目まで、というのをきっちりできているわけで、厚みを感じるのです。

ネタバレかも

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2011.12.25

速報→「バンザイ」劇26.25団

2011.12.24 19:30 [CoRich]

26.25団の新作。いまこの時点の下北沢での上演に意味がある、のだというちょっと盛りだくさんなじつはラブストーリー。28日まで駅前劇場。105分。

商店街のたこ焼き屋。実家から取り寄せた国産小麦をウリにした「つるまきスペシャル」は近所でも評判だし、修学旅行の高校生がわざわざ訪れたりもするが、フランチャイズ本部の警告を受け、出せなくなっている。アメリカ人のミュージシャンは向かいのスナックのホステスに教えられてこのたこ焼きを食べたいと云って訪れるが、勘違いから店主は彼のことを刺し殺そうとする。そこをそのホステスに見られてしまう。

いまから3年後の下北沢。小田急線の地下化が完成していて町並みが変わっているけれどそれからは取り残された感の路地。なるほど現実の商店街を歩くとある、こういう風情のもともとは個人経営のたこ焼き屋っぽいものがあります。こういう路地があるかどうかはよくわかりませんが、北口横に広がるバラックの路地の雰囲気はありますが、あそこはスナックないしなぁ。

放射線の被害、遺伝子組み替え小麦、地方の農業の疲弊と、土地が道路に変わって大金が転がり込むことを期待してしまう人々のこと。あるいは店そのものは変わらないのに、個人商店がフランチャイズに加盟することで仕入れやメニューを本部開発のもの以外が許されなくなるという商売のこと。今の私たちの食をめぐるさまざまを物語の軸に、下北沢という場所の今を舞台にして織りあげられていることに、年末に上演されることの意味があるのだと思うのです。

全体的に素直に見やすい構成になってきています。少々屈折しつつも、ちゃんとラブストーリーになっているのもクリスマスの夜の独り身には堪えるということ以外には問題はありません。ただ、正直に言うと、終盤、トランクの中身が明かされたり、そのトランクを押入に放り込んで「閉じこめて」しまうというあたりの気持ちの流れ、じつはよくわからなかったりします。このあたり、やっぱりこの作家、一筋縄でわかりやすくまとめたりはしないのだな、と感心したりもするのです。

物語の本筋というわけではないのだけれど、今作、やけにネットやスマホが表に立っているということを感じます。作家が今年それに何かを感じたということなのでしょうか。 たとえば「食べログ」をめぐる少しばかりの台詞。それはあのサイト限定の話ではなくて、軽はずみな発言からの大事になってしまうことだったり、あるいはネットの口コミ評価というものの危うさは芝居界隈のCoRich(このサイトが悪いわけではなくて、それ以外の芝居関連の口コミサイトは、こういう小細工が効くほどには規模もなくて機能していないということなんですが)とも近い感じ。あるいは音声翻訳はSiri(wikipedia)であと一歩だし、iPadでフランチャイズ本部への発注端末とするというのもありそう。あるいはTwitterの位置情報なんてのも、ありそでなかなかこういう芝居を書いている作家は小劇場界隈では今年、あまり居ない気がします。(カレログ、なんて格好のネタのはずなんだけどなぁ)。

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速報→「STRIKE BACK先輩」デス電所

2011.12.24 14:00 [CoRich]

アタシは初めて拝見します。クリスマスにこれを観るのもちょっと乙な感じのデスなミュージカル。120分。25日まで中野・ポケット。

妻の実家近くに家を構えた放送作家。都心からはずいぶん離れてしまった。そこに突然6年間音信不通だった妻の姉夫婦が訪れるて、住んでいる場所に来て欲しいという。行ってみれば猫カフェの二階。オーナーはこの町に中学生で突然現れ、それからこの町をずっと仕切ってきた妻の「先輩」の男だった。その男は刑事がつきまとう。周りの人間がもう何人も姿を消しているのだ。

心地よいというか、信じたい言葉を発する人を信じてしまったことで、立ち止まることも引き返すこともできずに思えば遠くに来てしまった町の人々。それだけのちからのある言葉を発する人だから正しいとは限らない、というのは、今年の私たちが311以降、ずっと感じてきたことだという気がするのです。それはあの日以降に起きたことばかりじゃなくて、そこまでに繋がる、復興の上り坂をのぼってきた人々には敬意を払いつつも、でも、こうなる前にどうにかなるターニングポイントはいくつもあったはず、なのだという気持ちなのです。

物語のほうは、信じろという事実上の権力者の言葉の心地よさや安心感。やばいとおもっていても、たとえば殺人、たとえば人を消すことを続けてしまう人々。もちろん平静ではいられませんから、この気持ちのもちよう、保ちようをさがす方法、それは物語を生み、新しい人の台詞を生み。それは悪くなっていくいっぽうの世界で、自分が生きていくために縋るわらしべだと思うのです。

それにしてもこれをミュージカルとして疾走させる力。序盤の映像のセンス、あるいは説明を詰め込む曲もあって、どこか新感線の雰囲気(もうずいぶん観てないけど)すら感じるのです。

じっさいのところ、アタシとしてはまったく候補にしていなかった今週末の一本、昨日のアタシの師匠が薦めてくれたのでここに。その理由たる、葛木英。チューブトップ、オーバーオール、猫耳、首輪とさまざまな衣装が楽しいけれど、こんなにも歌って踊るか、という瞬発力にちょっとびっくり(失礼)。確かに目も顔も細い彼女だけれど、登場の役はたしかにこういう雰囲気ってのはほとんどない気がします。

あるいは今奈良孝行の怪しく圧巻で信じさせてしまうようなちから。あるいは羽鳥名美子もきっちりと歌い踊り。田島杏子に目を奪われてしまうアタシもどうかと思いますが、それだけの破壊力。

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速報→「腐れ愛しい」ペナペナG×早稲田大学演劇倶楽部

2011.12.23 19:00 [CoRich]

早稲田大学演劇倶楽部(エンクラ)の企画公演、ペナペナG名義。あたしは初見です。26日まで。早稲田大学学生会館B202。130分。アナウンスはありますが、場内はシャレにならないぐらい暑くなりますので、覚悟をして。

女子大生、破格で住んでいるアパート。前の住人の漫画家の卵たちがまだ居座っていたりする。かつてバンドを組んでいた二人からもらった人形はずっと部屋に居るし、押入に貼ってある時東ぁみのポスター。

コの時囲みの客席、客席入って正面はスクリーンを兼ねていたりも。なのであたしの座った端の席からでは正直見えません。ジャングルジムのように組まれたイントレも効果的という感じでないのは惜しい。

バンドをやっていた時のほのかな恋心、何かがきっかけでそれがなくなってしまって、この部屋の日々の大騒ぎに疲れた感じ、もう何もない、女子力のないままこのまま朽ちていくのではないかという諦めと恐怖。しっかりと大学に行っている幼なじみや、愛されキャラ押しで男に取り入る女、自覚などなくても破壊力一杯な美人など、「冴えないわたし」に対する敵となる女たちを細かく描き分ける作家・須賀麻維子のコンプレックスとも思える執拗さが実にいいのです。前の住人の漫画家の卵のだめ男たちにはズブズブに利用されていたりする流され易さというのもなんかいいのです。

たいていの場合、こういう材料を揃えると、当然セックス、みたいなことになりがちなのだけれどそこを完全に無視して踏みとどまるのはちょっと凄い気がします。もちろん現実感という点では薄くなるともいえますが、ここまで潔く描けばたいしたもの。

黒タイツ姿の女三人、実は「うらみ」「つらみ」「にくみ」という名前をもっていて、主人公の女の心の中の舌打ち感のようなものを体言。途中で当日パンフを目にして気づいたけれど、それがちょっとわかりにくいのは惜しい感じ。出入りがバタバタするのも少し残念。だけれど、このアイディアというか見せ方はおもしろくて、印象に残ります。

コンプレックス女を演じた栗原香は必死さ、余裕のなさ感が実によくて、観ているアタシにとっては愛おしささえ感じるのです。

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速報→「nice kitchen no.9」JAM BAL JANJAN パイレート

2011.12.23 14:00 [CoRich]

決して見やすい物語ではなくて、作家の頭の中をひっくり返したようなとりとめなさを楽しむ110分。 25日までウエストエンドスタジオ。

時にお茶の間コント風、時にぼやき漫才風、時にダンスとさまざまに詰め込んだインスタレーションのよう。ひとつに繋がるストーリーとして追いかけようとするとけっこう大変で、そのさまざまをぼんやり眺めているほうが楽しかったりします。

ロボット、クローン羊を物語の足がかりに、生きていくこと、ずっと続いていくことをさまざまな形で描き出している感じ。黄金比で分割されていくかのように分裂していくように、あるいはまるでリンゴを煮て固めるアップルジェリーのように、かたまりになり、生物になるように、生命が生まれ。あるいは人間がロボットやクローン羊を作る原動力を、「自分自身を新たに作った【生命】に認識してもらうこと」なのだと云ってみたり何かの結論や何かの物語りというのではなくて、広い意味での「命」をめぐる思索をとりとめなく続けている作家の頭の中を一緒に漂うよう。けっしてわかりやすい感じではないけれど、時に哲学的だったり、時にコントだったりで楽しむのです。

BigDog(四足歩行のロボットで横から蹴り出されてもバランスを失わないネット動画が有名です)は、たしかに人間が向かい合ってやっているような、どこかきもちわるいような動きで、これはこれでけっこうやったもの勝ちという感はあります。

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2011.12.19

速報→「六本木姦姦娘★☆★純情乙女の陵辱Xデー!!!!!」バナナ学園純情乙女組

2011.12.18 18:00 [CoRich]

演劇ライター、徳永京子のProduce lab 89、今年5月にスタートして早くも6本目のハイペース。あたしは初めて拝見しますが、確かに目利きが選んだという感じのラインナップ。アゴラの支援会員から乗り換えようかと思っちゃう(いや、こっちには支援会員ないけど)のですが。クリスマスらしい女性ばかりの華やかで少し過激でアダルトな55分は22時開演でも終電安心でちょっといいなぁと思うのです。18日まで六本木・新世界。

この劇場、初めて訪れます。こういうのがあるところが六本木のすごさ ずいぶんと深く傾斜した客席、舞台はずいぶん高く設えてあります。最前列は「パンチラシート」と名付けられて少し料金高めの設定。あたしはそのすぐ後ろ、たまたま空いていた中央に。舞台の高さとほぼ同じ、遮る者がない没入感。じっさいのところ、後ろの通路で起きていることが何もわからないとか、舞台から投げられる白い粉(まあ砂糖ですが)やら、「ふえるわかめちゃん」やら、高性能な水鉄砲で遠くから打ち込まれる水やら、ときに水が固まりとなって飛んできたりと、このあと、満員の4列シートの高速バスで帰らなきゃいけないんですアタシ、ということにはまるで容赦がありません。たとえばスプラッシュマウンテンで水がかかるのを楽しむように、それを覚悟どころか楽しみにいくというのもバナナの一つのありかたですから、これも折り込み済み。徐々にコストを切り詰めるすべを身につけたか、配られる雨具すらも、こんなに薄い(しかし、簡単に破れたりする)のがあるのかというのもびっくりで。

物語をバナ学が語らなくなってずいぶん経つような気がします。過激というよりはカオスの中に立ち上がる情景を作り出して、それを観る側にゆだねるような作り方が手慣れてきてはいます。が、まあ、クリスマスの女子パーティゆえのなんかブラ姿っぽい露出多めだったり、耳元でなんか云われたり、あるいは肌が触れたり、なんてことにテンションと心拍数が上がったりする楽しさ。

この役者の中ではちょっと年齢高めじゃないかと思う川田希、中林舞はゲストだと思うけれどちょっとすごい。川田希は「ナツヤスミ語辞典」もそうだったけれど、身体を動かすというタイプに見えないのにけっこうきっちり。中林舞はもちろん身体の動きの綺麗さに目を奪われます。終幕でトゥシューズを結んでから踊り始める動き、この狭い舞台の上でもしっかりとしていて、ああ、訓練というのはこういうことだなぁと思うのです。ばんない美貴子もたとえば中央の手すりを移動するときの見慣れないと怖い感じだけれどきっちりとキレもあってな安定感もまた、身体を使えるということなのだなぁと思うのです。岡安慶子、実は踊ると結構ぱしっぱしっと決まる感じがかっこいい。

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速報→「バータイム/パラダイム」Minami Produce

2011.12.18 15:00 [CoRich]

アタシは初見のMinami Produce、バーを舞台にした少しミステリというかSFめいた70分はテンポもよくてドリンク片手に気楽に楽しめます。夜遅い時間や早めの時間の設定も嬉しい配慮です。23日までエビス駅前バー(このバーでの公演はいつもチケット代とは別でワンドリンク必須です)

バーのカウンターでウイスキーを注文する男。もうここで何杯これを飲み続けているか知れない。いつものように奥にはカップル、横には職業がわからない女性、勤め帰りの常連、カウンターにはマスターと雇われのバーテンダー。男は酔いつぶれそうになっている。男は、時間の繰り返しのループの中に捕らわれていて、それを抜け出す、あるいは繰り返しがおこる条件がわからないまま、何度も同じ時間を繰り返しているのだ。

今年公開の映画「8ミニッツ」(アタシは未見)に似た枠組み。小劇場らしく、バーの中で起こるできごと、男と女、人生やらが見え隠れで楽しい感じ。同じSE、同じタイトルコールを繰り返し使うことで、「巻き戻り」を観客に明確に示し(で、それはゲームオーバーのような残念感とともに再チャレンジの始まりということが観客も巻き込まれていくのです)、やがてそれがリズムを生み出します。ときにそれはひどく短いことがあるのもまた楽しい。短い時間にテンポをきちんと作り出すことでエンタテイメントとして観ていて楽しいステージになるのです。

正直に言えば、繰り返しが起こる理由をミステリ仕立てに明かしていく後半よりも、前半、バーで起こるさまざま、特に一番奥の「頃合いのいい薬剤師」と「愛され女子」と「職業のわからない女」をめぐる、陳腐かもしれないけれど、相手を値踏みする人々の会話に冴えを感じます。あるいは中だるみになりそうな中盤を支える「ドラマチックな学生」も常にテンション高い感じで楽しい。

今回の作・演出それぞれの団体に所属を持つ、「だてあずみ。」(句点付くのが正しいらしい)は物語の背骨をしっかりと支えます。若くてちゃらちゃらしてそうだけれど、その軽さゆえに苦悩が際だつ感が今作では巧く機能している感じがする田中正伸。酔っぱらいの常連というのがアタシにはもっとも近い存在に感じてしまう男を演じた島田雅之、もっともキャリアに見えない感じなのはまあ、ご愛敬。

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速報→「死の町」チャリT企画

2011.12.18 13:00 [CoRich]

チャリT企画の新作は、鉢呂経産相の辞任のきっかけになった「死の町」発言をめぐり仮説を交えた検証の体裁を取る、こっちこそよっぽど「日本の問題」な、しかしエンタメな60分。18日までギャラリールデコ5。

大臣辞任のきっかけとなった「死の町」発言、その謝罪の後に出てきた「放射能つけちゃうぞ」の発言のダブルパンチ。報道で語られる言葉がいまひとつはっきりしないこと、発言の時間軸と報道の時間軸がずれているという謎を、古今東西の名探偵たちが解き明かす。

新聞やテレビの報道、その報道の微妙なずれやおかしさというのはネットでは粘着質なほどに語られています。基本的には報道されていることをベースにしている本作だけれど、その大筋の主張はネットに比べて目新しいというわけではありません。が、これをちゃんとした役者が「語り口」も含めて演じるというのはメディア自身はこの問題を扱うことはしないでしょうから、小劇場のわりとちゃんとした役者たちの口から語られる言葉として聞こえること、というのはネットの文字面とは違う説得力があります。これこそYouTubeとかで流せばいいのになぁと思ったりもします。

死の町と発言した前後の文脈、福島県民のことば、オフレコ談話で語られた「放射能つけちゃうぞ」のどうにも不明瞭で媒体によって違いすぎることば。報道のタイミングがエネルギー行政の根本的な方針を脱原発と推進とを半々にまでたかめようという部会のメンバー発表の直前という怪しさ。

前半は池上彰よろしく、あるいはショーアップされたニュースショーやワイドショーの体裁でテロップを使ったり、疑問を疑問のままぶつけながら進めます。報道された発言がどうしてこうもぶれるのか、最初に報道したフジテレビの記者はその場には居たけれど談話の輪のぶらさがりの中にはいなかった、という多少の憶測、なすりつけられたとするTBSやその作業服。その「つけちゃうぞ」発言の前後があまりに不自然で唐突に過ぎること。

彼らの語り口がいいな、と思うのは、どうしてこのタイミングで、ということからいわゆる東電やメディアの陰謀説というところをにおわせながらもそこに踏み込まないこと。それはもう憶測でしかありませんから、物語としてはおもしろいかもしれないけれど、こういう体裁を取るときはあまり巧く働かないような気もします。それならそれで事実を存分に想像力で補完するパラドックス定数の作家がどうやって語るかな、というのはちょっとみたい気もします。

後半はもうすこし作家の想像力が入ってきます。発言の流れがあまりに不自然なこと、それを補完するように現場では何が起きていたのだろうと想像する力。もちろんそれは憶測には過ぎないけれど、そうだったかもしれない、と考えるちからのようなものは少なくともアタシ自身はどんどん落ちている気がして、そういう意味でははっとさせらるところでもあるのです。前半の疑問、後半の想像力というのは、行きすぎてしまえば意味のない妄想にすぎないけれど、そういう頭の働かせ方をしていくこと、という意味で、まるでメディアリテラシーの教科書の一部のようで、実に鮮やかなバランスなのです。

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速報→「うつくしい世界」こゆび侍

2011.12.17 19:00 [CoRich]

こゆび侍の第10回公演は、ダークファンタジーっぽい仕上がり、奥行きのある110分。25日までサンモールスタジオ。

文明は後退し、缶詰だって発掘されたものを珍重しているだけな時代。 空気は汚れ、配給された「蓄空気」を持ち歩かなければならない。その空気は特権的な階級が支配する温室で育てられた「バラ」から得られている。貧しくとも仲良く暮らす姉妹、近所の夫婦に交換して欲しいといわれた「蓄空気」は壊れているが代替は途方もない金貨がなければ手に入らない。妹の学校の友達の男の子の家は金持ちだから、きっと蓄空気を余分に持っているに違いないから、盗んでこようと考える姉。 病弱で学校はおろか外にも出られない妹はその男の子のことが好きだが、声すらかけられなかったし、出られない今となっては姿を見ることもできない。姉はその男の子の家に忍び込むが、隣の部屋で親が汚く罵っているのを聴いてしまう。 はたしてその男の子に見つかってしまうが。

気持ちと裏腹の言葉というファンタジーといえば後藤ひろひとの「ダブリンの鐘突きカビ人間」という傑作がありますが、ケルトの雰囲気を纏うという意味でもどこか連想させるものがあります。それに勝るとも劣らない強度のある物語で、劇団のマスターピースとなるような風格すら感じさせます。

物語の骨格となる、「バラ」と愛情にまつわる言葉の物語がしっかりとファンタジーになっているだけではありません。「空気が汚れて」「文明が後退している」というのはどこか今の私たちの感覚にぴったり合いますし、「美しい言葉」というものの怪しさ危うさや「互いを監視することで生き延びていく時代」の怖さ、あるいは「いきすぎた上昇志向」など、寓話的に現代を織り込むというセンスの良さも光ります。 アタシとしてはボーイミーツガール(というよりはガールミーツボーイだが)な感覚、はしゃぎ時にちょっときつい言葉を投げ合いつつのほほえましい感じがなにか暖かで大好きな感じ。

これだけの物語を作り上げていることにもちろん賞賛しつつ、 正直にいえば、細部の仕上げに少々ひっかかるところがないではありません。たとえば言葉。空気を蓄える機械は「蓄空気」だとなんか違うしもしかして「蓄空器」なのかなぁ。あるいは普通の言葉だけれど「官吏」という言葉を使うかなぁとか。たとえばモチベーション。自由は奪われてしまうにせよ命をかけてでも逃げたり逃がしたりしなければならないほど何かがあるのかが今一つぴんとこない感じ。あるいは終幕で「バラ」に起きたことは何なのか、とか。あるいは仕掛け。誰が「バラのみずやり」をやってもいいわけではなさそうだけれど、想いが反映されるのならばそれは表面の言葉が汚くたって効くんじゃないか、とか。

浅野千鶴が走り回る快活な女の子を好演、けっこう珍しいタイプの役だけれどテンションもあって、印象的。病弱な妹を演じた小石川祐子はたぶん初めて拝見するけれど可憐さの中に見せる嫉妬の強さを絞り出す確かな力。男の子を演じた猪股和磨のなんていうんだろう女の子にモテてるだろうな明るさと可愛さの同居。廣瀬友美はついに母親という領域へ、あふれる愛情ということの説得力。ヒールに近い役どころの笹野鈴々音や永山智啓は軽い感じではあっても、支配する側の苦悩のようなものまで織り込む物語に応える役者の力が圧巻。福島崇之・浅川千絵演じる近所の夫婦の、自覚のない意欲正しく小ずるい小市民感覚の奥行きには闇や絶望的な気持ちを感じさせる何かが含まれていてちょっと怖い感じすら。

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速報→「この世で一番幸せな家族」月刊 根本宗子

2011.12.17 14:00 [CoRich] アタシは初めて拝見します。105分。20日までタイニイアリス。

地方都市の小さな医者を営む家族。その医療行為に近隣住民から強いバッシングを受けているが、なんとか暮らしている。長男は引きこもり気味だが妹の友達が毎日のように部屋に通ってきて彼女らしいのに毎晩のようにチャットで別の女といちゃついている。妹とその友人は学校でいじめられていて数少ない友達どうし。妻は子供の頃から可愛らしく、告白してくる男は数知れず、その中からもっとも顔がよくて頭もよかった今の夫を選んだのだったが、夫婦となってしまうと昔のようにかまってもらえなくなったことが不満で万引きを繰り返したりしている。
ある日、20年ぶりに夫婦の幼なじみの男がこの家を訪れる。二人、とくに妻のことが忘れられずに思いあぐねてやってきたのだ。

現実というか、実際に生きていくということ、幸せの基準を微調整しながら折り合いをつけていくことという「大人になること」ができない人々をさまざまに描き出します。引きこもりの兄は一歩進んだ感じで、セックスの相手も居るし、ライブチャットで浮気もどきのことまでしてしまう、なんか時代だなぁと思ったり。妹はどこか本谷有希子ちっくな「ここから出て行きたい、白馬の王子様を積極駅に探しながら待つ」という感じだし、妻だってその幼なじみだって子供の頃のかつての想いがずっと持続するとおもっている。程度の差こそあれ、いい歳して独りもんというアタシだって、どこかそういう大人になってない感というのに苛まれる気持ちがあって、それを平成生まれという作家がずばりと刺してくるのです。

子供の頃、あるいは結婚を決めた頃のように楽しいことがいっぱいあってうきうきわくわくとしたまま結婚生活が続くと思っていた妻、夫が結婚や大人になることは現実とその夢との折り合いをつけていくことなのだと云われてもかわらず、受け入れてもらえないラブラブな気持ちを十数年も持ち続けている。夫への不満からの万引きというのはいくらでもネタとしてあっても、こういうかわいらしさからの発露というのはちょっと珍しい気がします。新谷真弓をこんな間近に見ることはずいぶんと久しぶりだけれど、年齢を重ねていてもそのかわいらしさを持ち続けているということの説得力があって、ぼおっと見続けてしまうように魅惑されてしまうのです。

子供の頃に強くあこがれていた女、その気持ちをずっと持ち続けてしまっているがゆえにほかの女にもいくことができない男、「幸せになりたいから」という理由で振られたけれど、今の幸せな姿をみれば諦められると思って再会を企てたのに、女は昔のままかわいらしく、しかも幸せだと感じていなくて、失敗したかもと思っている、という姿を見せつけられることのなんと残酷なことか。それでも手に手を取って逃避行、という風にはいかないし、女が誘ってもそれに乗らないと云う男、これもまたあこがれのまま大人になりきれないという姿なのです。

この家に居続けたくない、早く家を出て行きたいと焦る地方都市の女の子という長女、そのきっかけになりそうな「東京から来た男」に誘いをかける小悪魔風の。「私のことかわいいと思ったでしょう」という台詞を自分で書いて自分で云ってしまうという、自覚して武器にする過剰な自意識というのはちょっとすごい感じがします。演じた根本宗子もまた、可愛らしいというだけとは違った何か妙に説得力を感じます。

引きこもりだけれどモテる兄を演じた野田裕貴の可愛らしさ、思い続けてきた男を演じた山田伊久磨の煮えきらなさにいらいらしつつも、まあ、アタシだって人のことは云えないかと思い直して(笑)。

ネタバレかも

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2011.12.14

速報→「乞局」乞局

2011.12.11 14:00

劇団名をタイトルにした、旗揚げ前の公演、10回公演に続く三演め。もはやマスターピースの風合いまで感じる120分。13日まで王子小劇場。

商店街の喫茶店。店の真ん中に金網で囲まれた不思議な作りになっている。子供を預けた弟が養育費の振り込みが滞っていると訪れている。妻は一晩寝ると記憶が病気になった時点の記憶に戻ってしまうため、その日起きたことを分厚いノートに書き留めている。

今年風に味付けはしているけれど、基本的にはそのままの物語。 いわゆる記憶の消しゴムの話は数あれど、うんざりするほどの毎日の繰り返しを過ごすことの幣束感の物語のベースにする発想のおもしろさがこのモノガタリの骨格の強さ。 飛び抜けて気持ち悪い、というシーンは実は減っている感じもしますが、じわじわと効いてくるシーンがいくつもあります。

多少のネタバレをしつつ。

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2011.12.12

速報→「河童夫人」猫の会

2011.12.10 19:30

猫の会の新作。演出があひるなんちゃらの関村俊介というのもおもしろい85分。11日まで中野・MOMO★。

都会の川岸、台風の後らしい河口近く。初めて来た女は何かを待っている。路上生活者(いわゆるホームレス)、釣り人など。

物語の背景には、台風による水害らしい爪痕を。それでも力強く川とかかわり暮らしていく人々、日常に少しずつ戻りつつある釣り人たちや取材する作家、あるいは居なくなってしまった人を諦めきれない人を加えて骨格を作ります。これもまた、震災が癒えはじめている今描かれることに意味があるのだと思います。

全体に流れがあるものがたりというよりは、ある時点の人々を描くこと、時にそれはその人の持つ過去だったり、想いだったり、あるいは欲望だったりを少しずつ詳らかにしていくことで、災害が徐々に過去のものになっていく風景を切り取ります。川という繋がりで、外来種の魚の問題やホームレスたちなど、これまであった問題を分け隔てなく並べる感じはおもしろい。

ホームレスの一人を演じた澤唯は、冷静で圧倒的な信頼をあつめるという役の説得力を軽やかに。家に帰れない男を演じた田中伸一もまた違う意味で軽くてちょいちょいおかしな感じが楽しくて印象に残ります。高見綾演じるホームレスの女のなんと力強いことか。

ネタバレかも

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速報→「流星ワゴン」キャラメルボックス

2011.12.10 14:00

重松清原作の舞台化、125分。神戸公演のあと、サンシャイン劇場で25日まで。可能なら平日の方が残席は多いようです。

38歳の男、もう死んでしまってもいいかと思っていた。解雇、離婚、子供の引きこもり、郷里の父親も病床で伏せっていていて先に希望が持てない。疲れ果てて戻ってきた駅前のロータリーに停まっていた赤いオデッセイ。橋本と名乗る父親と息子が乗っているが、すでに二人はこの世のものではない。男を乗せて走り始めた車は、男の大切な「ところ」に向かう。

原作は読んでいませんでしたが、劇場で文庫を購入。この劇団ではこのパターンが増えていて、小説を読むことがすっかり減っているアタシにとっては貴重なきっかけになっています。いわゆる単行本ではなくて、文庫で買えるのも、週末ごとに移動をしているあたしにとっては助かります。

あとがきによれば(本編の前に読み始めるのは悪い癖だ)、父親になったから書けたはなしなのだとあって、たしかにアタシがいまひとつピンとこなかったのはよくわかります。父親であり、(自分の父親の)息子でもあり、妻との距離感の微妙さも含めて、ふつうに暮らしていれば40代前後の男のリアリティ。人生のそういう経験が豊富ならば、きっとどれもがヒットするようなたくさんのフックがあって、確かに客席が泣く感じは男性の観客たちが、という感じがします。

460ページを越える原作を2時間で、とはさすがに行かない上に、じっさいのところもっと色っぽい描写もあったりして、正直に言えばものがたりのディテールという点では舞台の方は少々薄味な感は否めません。妻の浮気を知って家に戻り、晩ご飯の準備をする妻の姿をみながら、というあたりの描写、未来を知ってしまっていて、気持ちではもがくけれど、滑稽なほどに行動は過去に行われたことをそのままなぞってしまうということの悲喜劇の感覚、あるいは生活というものの描写もキャラメルボックスという演出の枠の中ではさすがに小説の執拗な描写の中年男視点には届きません。

息子も妻も手の届いておらず(泣)、父親もいまのところはまだ元気なアタシにとっての物語のフックは、ファンタジー色が強いけれども父親が現在の自分と同じ年齢で現れて、まるで併走してくれるかのように、あるいは一人の友人であるかのように過ごす時間の豊かさなのです。演じた三浦剛、昭和な感じのブルドーザーのよう。ときにガサツさもあるけれどその力強さは今作において軸となっていて強い印象を残します。原作にはない読者という視点の坂口理恵の丁寧な物語のフォローが嬉しい。阿部丈二の「くたびれた男」感はさすがにそこまで疲れた感じに見えないのはまあ仕方ないところか。岡内美喜子演じる妻は今作の舞台の中ではどうにも描写がたりなくなってしまうのは前述の演出・脚色ゆえに仕方のないところかと思うけれど、小説のあの過剰な色気感には少々上品にすぎる(ようにみえる)ゆえという気もします。いや、そういうの観たいのは山々なれどとかおもっちゃうおやじでもあるのだけれど、この脚色ではそれは無理なのだろうとも思います。

それでも舞台を観なければこの作家の小説を読むきっかけはなかっただろうなぁとも思うわけで、新しい出会いのきっかけとなるだけのちゃんとしたクオリティを感じさせる舞台なのは間違いないのです。

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2011.12.05

速報→「愛想笑いしかできない」andMe

2011.12.4 [CoRich]

女性ばかりで上演する劇団の新作、結婚をめぐるさまざまな女たちの物語を90分。6日までOFF OFFシアター。

結婚相談所に登録している女、なかなか縁遠くもう諦めて一人で結婚式を挙げるのだと言い出す。相談所と提携するブライダルサロンの担当者は姉から結婚しないのかとしつこく責められるが、そういう気にはなれないというのは理由があって。

女性ばかり、結婚するとかしないとか、できるとかできないとかを描いている話といえば、アタシが大好物な物語の香りなのだけれど、少々食い足りない感じも残ります。盛り込んだ題材があまりに多岐にわたるためか、あるいはたいていの女性の悩みの共感が得られるようにしようとしたためか全体にステロタイプな感じになっているのは惜しい感じがします。アタシの友人の云う「カタログになってる」というのはアタシも同感。

とはいえ、女性たちがそれぞれにきちんとキャラクタを持ち、しかも割と見目麗しい女優も多くて、気がつけば鼻の下のばしつつも、物語りに取り込まれてる自分に気がつきます。気楽に観られる体裁にしながらも、 アラサー・アラフォー近辺の女性たちの語るそれぞれの物語は時に鋭く切り込みます。 結婚、仕事、恋愛、不倫、子供、夫のこと、というあたりまではステロタイプな感じがしないでもありません。あるいは仕事と結婚と子供と、どれかを選ぶとどれかを捨てなければいけないのか、というのはきっと女性ならばどこかでその壁を感じることが多いのだろうけれど、題材としてはそう斬新なものではない気がしますが、わりと執拗に多くの角度から描こうというのはちょっと珍しい気がします。とりわけ「あまり苦労せずに就職もして、あんまり考えずに仕事をしてるお嬢様」という感じのキャラクタを描く芝居はそうはないのではないかと思います。

演じた菊池美里が圧巻の安定感とコミカルを自在に操るたしかな力。 一歩間違えば「優秀じゃないのに恵まれてる」という身も蓋もないいやな役になりかねないところを、愛すべき人物に造型するのは役者のちからによるところも多いのではないかと思います。 もたい陽子演じるブライダルサロンの担当者は物語としては軸となるところで、そうそう弾けるわけにもいかず、けっこう難しいところだけれど、ニュートラルさをしっかりと。 大見遥演じる、結婚できそうもない女をあまりにステロタイプなブスキャラに造型するのは、こういう題材の場合どうなんだろうなぁと個人的には思います。とりたてて美人でもなければ恵まれているわけでもない、仕事は一生懸命やっていてお金はちゃんと貯めている、不倫はしてるかもしれないけれど、まったく乾ききってるわけでもない、という意味ではもっともニュートラルな、観客の大多数にリーチしそうな役だけに観客が寄り添えない感じなのはもったいない気がします。一人で結婚式という突飛な願望はおもしろくてそこでもう一本書けそうな気がします。

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速報→「日本の問題(A&B)」

2011.12.4 13:00 [CoRich]

150分(休憩10分)のあと、トークショー25分。4日まで中野・ポケット。

震災に巻き込まれた妹を想い兄は走る、走り続けて光の速度を超えて、あの3日前にたどりつくが「金魚の行方」(経済とH)
流されてなくなってしまった町。ヤクザ風の男二人が訪れた廃墟にはシスターが居るがどうもインチキくさい。ここが教会だと信じて居るようだが、男たちは死んだおじきの残したマイボールを返すために廃墟となったボウリング場に来たのだ「天使なんかじゃないもんで」(Mrs.fictions)
解散を繰り返し、首相は次々とかわり人々は騒ぎ、最初は様子をみててもすぐ飽きる「ボレロ、あるいは明るい未来のためのエチュード」(DULL-COLORED POP)
最初は廃棄物を処理するためにつくられた「消滅」の技術だったが300年後、権力となり恐怖の装置として働いていた。エリートを選んで教育のために治外法権的に扱われてきたこの学習センターにもその手は迫ってきた「博物学の終焉」(風琴工房)
震災の直後、人の居なくなった被災地を回り、タンス預金を盗む旅を続ける男女。ふと見つけた車の中で死んでいる女の指に輝く指輪を見つけた男は指を切り落として指輪も盗もうと考えるが、女はそれは踏み越えてはいけない一線のように思えてカッターナイフを渡すことができない。「指」(ミナモザ)
女子高生がテレビを見ていて思いついた。もう混乱の極みに来てしまった日本は解散して小国の集まりに「廃県置藩」するしかないのだ。その意見を採り入れようと若き首相は考える。「日本の終わり」(アロッタファジャイナ)
男は女と京都を旅行するうち川原で男たちに拉致され警察に誤認逮捕されすべてを失う。数年後、東北の川で魚を捕っているところを熊と間違え撃たれ、未亡人の家につれてこられるが、もはや身体はうごかなくなっていた。その娘は母を心配して「立たない」男をどうにかしてくれないかと新聞の三行広告を打ち、やってきたのは防護服で身を包んだ「テコキの女王」だった。「枯れ葉によせて(仮)」(ろりえ)
避難して空き家となった家を訪れる妻と娘。二人は東京に引っ越していたが、夫はこの土地で避難所の生活を送って別居が続いていたが、自殺してしまった。理由がどうしてもわからず、理由を探して妻はこの家を訪れたのだった「甘えない蟻」(JACROW)

「金魚〜」は切り貼りして並べた壁新聞という印象。作家が経済評論家という肩書きなら事実の解説の先にもう少しなにかあるんじゃないかという期待だったのですが、ファンタジーに着地しようとしているのはわかります。若い役者を存分に走らせるというのは疾走感があっておもしろいのはたぶん、ドラマ「太陽に吠えろ」と同じ仕掛けなのだろうけれど、生身の役者がいることの重要さ。

「天使〜」はこの短い時間でがっつり物語、今回の中ではアタシの友人たちに(もちろんアタシも)もっとも評価が高かったのがこれで、濃密で印象を残します。場所があり、謎の人が居て、集う理由があって、別れる理由があって、心が通う瞬間があって。わずか20分とは思えないぐらいに盛りだくさんで、きちんと丁寧に物語が紡げる奇跡。
ヤンキーの素直さ、戻れば死ぬとわかっているのに戻る男たち、聖職者ならそれは止めるでしょうな感じ。終幕、誰もいなくなった(が物は残っている)空間は、この土地に居続けてしまったがために亡くなってしまったのか、それとも東京に3人で向かったのかという余韻がのこるのも巧い。

「ボレロ〜」は、トークショーによればほぼテキストは書いてないそう。エチュードと、首相就任の演説の抜き書きで構成。ゴングを鳴らした谷が象徴しているものは、本人は特に意識はないと云うけれど、それは私たちか。飽きちゃってる私たち、とうのも私たちの姿。それを観客の私たちに突きつける切っ先。それにボレロという単調なリズムを組み合わせるのは巧くて、ずっと続いてきたこれまで。ボレロの最後のシンバルが鳴るのはいつなのか、そしてそれはどういう形になるのか、という現在進行のあたしたちのドキドキが余韻に残ります。

「博物学〜」ファンタジー、SFか。なんか不思議な手触りで優しさすら感じさせます。描いているのはずいぶんと暗い世界の絶望があるけれど。廃棄物は確かに日本の問題。分類して言葉を生み出して人に伝えるのを支えるのが博物学で、それが希薄になっているというのは頷ける解釈だなぁと思います。物語としてはけっして成功していない気がしますが、このモチーフは愛おしい印象を残します。

休憩を挟んで、
「指〜」は、ある種の極限の男女、踏み込んではいけない領域の線引きの違いとその駆け引きを鮮やかに。指輪を金目のものと考えると切り取るのを拒んでいた女が結婚指輪なのだといわれるとあっさり同意したり、あるいは死体は人じゃないから盗んでもいいけれど、それが知り合いだとわかると、指の切断はしたくないと思うという、くるくると変わる線引きがおもしろい。それはいろんな理由で放射線量とか、限度ということの難しさという意味で今の日本の国の問題という深読みできちゃう楽しさ。

「日本の終わり」女子高生が思いついた政策を首相が受け取る過程が端折られていてアタシには繋がりがみえづらいのが残念。終幕の演説は作家の自説なのかなと思いながらうつらうつら聴いていましたが、そこに説得力が欲しい。ほぼデタラメ(にアタシは思える)演説を(広い意味での)演出によって人民を鼓舞するという演説の怖さを感じさせるラストシーンは見事だと思います。

「枯れ葉〜」はポップにすぎて怒られそうな題材の扱い。確かに風俗ってのは日本の問題のひとつだし、地方の過疎化も、女性の性欲にしても、それは日本の問題なのかそれともどこにでもある問題なのかというのはよくわかりませんが、この中でこれを取り上げたのはここだけだというのはちょっとおもしろい。まあ、そういう担当ともいえますが。センスのいいところがいくつもあって、真ん中あたりで第二部、と宣言して同時に(そこまでは謎の)防護服の人が宣言した人を振り向くという瞬間のスパイスが実にすばらしいのです(いや、物語としてはまったく関係ないのですが)

「〜蟻」はJACROWらしい緻密さが魅力だけれど、トークショーで作家が語るとおり、女性故のやわらかい感じが全面にでるのは珍しい気がします。トークショーによれば、震災前に予定していた企業と自殺の問題だったもとのアイディアが震災によって変更を余儀なくされたのだといいます。震災があってもなくても、自殺は確かに今の私たちの問題ですから、そこを見抜いた作家の力を感じます。

企画は311以前のもので、それ以降には演目を変えたり、題材をかえたりしたのだといいます。たしかに震災は今何かを表現するときに避けて通りづらいのは事実なのだけれど、どうしても「震災の問題」みたいな感じになってしまったのはもしかしたら誤算だと思いますが、それはまあ、仕方のないことかなと思います。

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2011.12.04

速報→「ア・ラ・カルト2」青山円形劇場P

2011.12.3 18:30 [CoRich]

この季節の青山円形の風物詩、昨年からの新キャスト構成の「ア・ラ・カルト2」は、まだ安定というわけにはいかないけれど、ハプニングも楽しい初日。150分(休憩10分で短め)。25日まで。

店を訪れる女、予約は二人だけれど、待ち合わせの男が来る気配はない「フローズン・マルガリータ〜心が冷めたら氷でハートを凍らせてしまえばいい」
タカハシと営業部らしい後輩。仕事以外のつきあいも、始めた会はまだ会員二人「フランス料理とワインを嗜む会〜フランス料理と僕たちの微妙な関係」
マダムジュジュとゲスト(池田鉄洋)のフリートーク「おしゃべりなレストラン〜ワインは喋っているうちに美味しくなるらしい」
ぎこちない男女、歯医者でみかけるうちに食事にいこうということになって初めての「フランス料理恋のレシピ小辞典」
コルクに四苦八苦〜ギャルソンのショー〜など「ショータイム」
久しぶりに会った初老の男女、心配して手紙を書いてきて、久しぶりに会うことにしたのだ「黄昏のビギン〜あなたと逢った今宵の夜」
そろそろ閉店、おでんに行かなくてよかった、と店を出ようとすると「ホット・ブランデー・エッグ・ノッグ〜恋の予感はディナーのあとで」

「2」になってから、フォーマットはがらりと変わりましたが、去年からはほとんど変えないというのはたぶん成功につながると思います。偉大なるマンネリへの第一歩。去年と同様、家族をめぐるものがたりはすっぱりとそぎおとして、恋人のこと、あるいは友人とのことというフォーマットに。クリスマスにより絞って二人で観るのにより適している気が。

「〜嗜む会」は既婚だったはずのタカハシのキャラクタがぼやけてくる感じ、前のフォーマットからの決別かと思いつつ。テイスティングをはじめてシャンパンにする違いを楽しんだりするのは毎年のリピーターゆえの楽しみ。
「〜小辞典」は歯医者で見かけた男女が初めて一緒に食事、若くはない男女がどうやって恋を始めるかの、ひとつの形のわくわく。アドリブ感満載につくっているけれど、これを毎日台本を変えるということはないんじゃないかと思うので、その新鮮さをどうやってたもつつもりなのかはちょっと観てみたいけれど、去年も今年も初日を観てしまったのでそこはよくわかりません。
「黄昏の〜」は久しぶりの再会という老いらくの二人の始まりの予感。ずんだ餅のおみやげ、一人で片づけるたいへんさみたいなことが入っているのはさすがに今年は避けて通れない311(序盤に出てくる宮城の日本酒、というのもその片鱗か)。心配して手紙を書いてというきっかけの絶妙。返事を夏にして、ここで食事するのは12月、というごくゆっくりな時間の流れの中で逢うまでの時間の熟成の豊かさ。沁みます。
オープニングとエンディングちゃんと待ち人が、クリスマスらしくすてきで。

ゲスト、池田鉄洋はNHKにもレギュラーだったりするぐらいにすっかりと有名人。久しぶりに生で拝見してみればまあ、それなりに太ったなぁと思ったりもしつつ、いたずらにエキセントリックに走らない落ち着いた感じもいいなぁと思うのです。

初日に関して云えば、ゲストが出てくる飲み物を冷たいものと思ってたいへんなことになってみたり、まさかシャンパンのコルクが飛んでみたりと初日らしいハプニングがあったりして。これはこれで楽しい師走の始まりなのです。

全体に高泉淳子をメインに。それをレギュラーやゲストで支えるという構成になっているがゆえに、高泉淳子がいないとどのシーンも始まらないというのは少々厳しいところではあるのだけれど。

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速報→「あゆみ」ままごと

2011.12.3 15:00 [CoRich]

いくつかあるバージョンの「あゆみ」のうち、去年愛知で上演されたものがベースのものとか。80分。4日まで森下スタジオC。そのあと横浜、赤レンガ倉庫。あたしはダイジェスト版しか観たことがありません(1)

生まれ、歩き、小学校に、高校に、働いて結婚して、子供ができて。そんな、あたしのあるいていく、あゆみのはなし。

ある女性、一人をカメラで追いかけるように、赤ん坊が初めて立って歩き、小学生で赤い靴を買ってほしいとせがんだり、少し気になる女の子の友達と仲良くしたいと思ったのに、ほかの友達につられて待っててあげなかったり、高校では男の先輩が気になって後を付けてしまうのに告白できなかったり、町をでて東京で一人暮らししたり、会社に入って飲み会に行ってつぶれてしまったり、海に行ってつきあうことになったり、結婚したり、子供ができたり。

その人生を定点カメラで観ている観客、その前を走馬燈のようにくるくると、エンドレスにつながっている感じ。初演からなのか、今作からなのかはわかりませんが、対面の客席に並行して一直線の流れだったものが、犬を怖がって避けたり、中学校で友達を待っててあげなかったという選択をしたということを反映するかのように、役者の動き方向が十字になり、やがてその頂点を結ぶ正方形になり、さらにその外側の正方形になり。徐々に広がっていく無数の分岐の選択かのように、線が面に広がっていきます。面への広がりは終幕近くで「私が通らなかった道も、私につながる、たどりつく」というあたりでぱあっと広がる感じが圧巻。どれを選んだとしてもつながるアタシ、という作家の優しさが見え隠れします。

老いて、ゆっくりと歩いていくシーンの前後、シーンをリフレイン。それがどういうことかはきちんと読みきれなかったアタシです。でもそれは「選ばなかった別の道」なのかもしれないし、「前半では語らなかったけれど間にあったできごと」かもしれないし、もしかしたら今になって思い出して謝りたいと思う気持ちかもしれない。あるいは途中で出会ったあの知らないおばさんが私の姿かもしれない。たくさんの「わたし」は、もちろん私にとっては主役なのだけれど、他の人の「あゆみ」の中に登場することで他の人にとっての枝葉でもあるのだなあと思うのです

仲良くしたいと思う友達だけれど、ほかの友達の手前でうまくつきあえなかったり、気になって好きなんだけれどどうしても告白できないことにしても、酔っぱらって歩いて、翌朝なんか気まずく分かれるにしても、遊びにいった海でちょっと恋する心が芽生えたりと、なんかひとつひとつがごく些細だけれど私の人生。自分の人生を認め受け入れることってのが力強く生きることだよなぁと思ったり。その力強さがいいなぁと思うのです。

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速報→「赤ペン先生添削ライブvol.9 ベストテン」

2011.12.2 20:00

赤ペン瀧川先生こと瀧川英次のエロメール添削を出発点とするトークライブ(wikipedia)の9回目。いままでのネタから選りすぐりの30本の中から開演前の投票によって10本を選ぶというスタイルの140分(開演20分押し、20分休憩込み)。ロフトプラスワン。

  • 10位: サイトの掲示板添削
  • 9位: 私はチンパンジーです
  • 8位: 小学校の先生による日記への添削
  • 7位: AV・ピンク映画のタイトル添削
  • 6位: 官能小説用語表現辞典添削
  • 5位: 先生vs細木○子 出会い系対決
  • 4位: 伝説・米田寅美
  • 3位: パキスタン人の彼氏が帰国してしまった
  • 2位: 小室哲哉の英語の曲名添削
  • 1位: 高校生の時の日記添削
思えば遠くへ来たもんだな3年間で9回目。迷惑エロメールに端を発して出会い系サイトで出会えないおもしろおかしさ、24時間ネタなど、さまざまな体当たりルポの様相を呈してきている昨今。迷惑エロメールの名作というのがざくざくあった初期、今回でいえばに比べると、そういう名作メール自体が減っているということかもしれません。誰もが受け取ったことのあるその手の名作に比べるとルポ系はどうにも「演出」臭く見えてしまうのがちょっと残念だったりもします。それにしてもテンション押しでちゃんと150のキャパを単独ライブで埋めて、チカラワザででもかっちり客席を沸かせます。アタシにとってはネタを観るよりも、瀧川英次という役者を観たいという想いで通ってしまうのです。

彼自身の高校時代の日記を元ネタとした「高校生の告白」が甘酸っぱく切なくて見応え。あるいは孫娘を女にしてやってほしいと懇願する老婆・米田寅美はその分量もメールのクオリティの高さもあって、圧巻におもしろい。

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2011.12.03

速報→「エクソシストたち」渡辺源四郎商店

2011.12.2 15:00 [CoRich]

9年前の弘前劇場として上演された「月の二階の下」(未見)の改訂再演というか、別の話になったので新作らしい80分。一週間の青森公演のあと、アゴラ劇場で4日まで。80分。

学校を長いこと休んでいる児童を心配して担任が家庭を訪れる。自分に原因があるとおもい自責の念でなかなか足が向かなかった。
その直後にカミサマ、僧侶、神父、ミュージシャン、精神科医がそろって訪れたのには理由があった。ある日突然娘が突然野太い声で母親を罵倒し、叫び、暴れるようになったのだった。顔もからだもまったくかわってしまい、可愛らしかった面影はなく、悪魔が憑いたとしかおもえなかった。悪魔を払うべく彼らを呼んだのだった。前の夫と離婚する直前だったが、母親は別の男と暮らし始めている。

エクソシストという映画を下敷きにし、いわゆる「悪魔憑き」を下敷きにしながらも、「悲しさ」が先に立つ物語としてオマージュにしているのだといいます。コミカルに見える悪魔祓い(エクソシスト)たちをベースにしながらも、母親、離婚、再婚、その間の子供というミニマルなコミュニティの話を静かに描きます。

正直なところ、悪魔憑きの原因やその結末がきちんと語られはしなくて、あるいは笑いという点でも人情喜劇としてもうすこし突き抜けた感じもほしいところ。終幕は同じことが続くという予兆の怖さはたしかにホラーへのオマージュなのだなぁと思うのです。

小学生の娘を演じた音喜多咲子はプロフィールをみてびっくりな大学生。不器用なぶっきらぼうさが小学校高学年っぽい感じ。母親を演じた工藤由佳子は終幕近くでの迫力というか怖さ。はまってしまいそうな魅惑は更に磨きがかかって。内縁の夫を演じた山田百次、元夫を演じた音喜多昭吾の風貌などのコントラストが、なるほどそれだけの魅惑を感じさせる妻の説得力。

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速報→「深呼吸する惑星」第三舞台

2011.11.27 18:00 [CoRich]

人気劇団、10年ぶりの復活&解散公演。紀伊國屋ホールから大阪・森ノ宮ピロティホール、神奈川・KAAT神奈川芸術劇場、東京・サンシャイン劇場、福岡・キャナルシティ劇場。120分。

辺境の惑星アルテア65は長年の独立戦争に負け地球連邦に属ている。敵対するアートン星との対立も地球連邦の傘の下にあることで小康状態にある。アルテア人は地球人のように改造手術を受けることも多いが、地球人の生活の水準と同等とはいえない。まもなく地球からの長官の表敬訪問が近づいており、この惑星の首相はその成功を強く望んでおり、この星に根付く踊りでも歓待したいと考えている。街角ではこの国の国花だったキリアスを名乗る男が訪問の中止を求め、演説をしているが耳を貸す人は居ない。 この惑星を訪れた地球人の多くは非常にリアルな幻覚を見る症状を訴える。多くの地球人兵士が自殺してしまうことの原因もこの幻覚に原因があると思われ、その調査のために研究員が派遣されてくる。

日曜夜だというのにやけに年齢が高く、男女とりまぜて満員の劇場、開演前の音楽、期待する客席の熱気。静かに始まり、オープニングのダンス、遠いどこかの場所。鴻上節がめいっぱい。 沸騰するような熱気の時代からはだいぶ遅れて観はじめたアタシにとっても、やはりこの劇団は特別なのです。だけれど、一貫して小さなコミュニティが崩壊していくことと恋愛と孤独を描いていると感じているアタシにとって、わりと今の「日本の問題」を下敷きに描いたような、違和感の序盤ではじまります。

しかし、「日本の問題」を下敷きにしながらも、その中で生きていく、若くはない私たちの些細な、しかし自分にとっては重大な悩み、のようなものにはやはり共感してしまうのです。たとえば中年はとうに過ぎているのに恋のはじめ方がわからなくなってるとか、たとえ恋を始められたとしても、どうなってしまうんだろう自分とか、あるいはかつての恋を思い出してしまう気持ちとか。 あるいは色恋ごとではなくても年齢を重ねてしまって、体動くのかなぁという感じとか。

かつての第三舞台が大好きだったとしても、観客たちもそれぞれに10年のあいだにずいぶん立場が変化してしまったわけで、共感できない人も多いような気がします。しかし、あたしはこういうたまらない孤独な気持ちに実に共感するのです。

正直に云えば、セルフカバーのように、少々古い感じがあるところを意識的に強調している感があるのは、懐かしさという点では確かにうれしいのだけれど、最後だからこそそこは踏ん張ってほしいという感じはあります。

「日本の問題」を扱うことの違和感はあるのだけれど、 何かのバランスオブパワーの均衡点としての惑星、基地があってその土地の雇用も生活もその基地前提になっているという均衡点を生み出しているのは「不満はあっても諦めることで受け流すこと」なのだというのは実にうまい感じ。多くは語られないけれど、イジメられた体験というようなものにも通じる点でこれももまた私たちの問題。 あるいは、「目に見えないけれど飛散してくるもの」への恐怖感のようなものは、「日本の問題」であると当時に、確かに今の私たちにとっては避けられないというのも事実。

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