速報→「90ミニッツ」パルコ劇場
2011.12.29 14:00 [CoRich]
今年の三谷幸喜のシリーズは大笑いできるものではなく深刻な方向にシフトしていて(311で微調整しているようですが)、これも例外ではない100分。30日までパルコ劇場。2月に追加公演が設定されています。それ以外に北九州、大阪、金沢、福岡、仙台、新潟、名鉄、広島。
交通事故で運び込まれた9歳の子供。手術をすればほぼ助かるが大きな怪我。手術の同意書へのサインを求める病院に対して父親はそれを拒む。時間は限られている。
開演直後の字幕、特定の宗教や信条を非難したりするものではない、と。報道で時折目にする輸血などの医療行為の拒否。アタシを含めおそらく多数なのは、それでも手術を受けるべきだという立場になるのだろうし、アタシはそこで思考停止してしまうところだけれど、一筋縄で行かない作家、その奥へ奥へと執拗に掘り下げていきます。
序盤、父親の譲れない一戦はどこにあるのか、ということを探る過程。手術がだめなのは輸血するからで、輸血がだめなのは肉を食べることと同じで、肉を食べることがだめなのは他者の命を絶ってでも自分が生きるということがだめで、献血は命を絶ってないけれどだめで、牛乳は実はいい。その過程は懇切丁寧に論点を探る過程。医者の立場と同じ過程をたどって観客も起きている事態を理解する。議論をするというのはどういうことかという意味で教科書のようで実に面白い。これ中高校生のときに見たかったなぁ。実に巧いなと思うのです。
中盤では、妥協点を探ります。お互いに自分の立場をそのままにして、「体裁を整え」たり「仕方なかったこと」とできないかというさまざま。お互いに相手の立場もちゃんと尊重して、お互いにアイディアを出し、お互いにそれを吟味する。子供の命を救うという共有されているゴールが明確だからこそできる議論の濃密なこと。
一般的には正義となるのは医者の立場だけれど、作家は観客にそこで立ち止まることを許しません。なぜ(自分たちが信じている永遠の命を絶ってまで)手術を受けなければいけないのか、なぜ手術を受けるのに同意書が必要なのか。命を助けることが至上命題のはずの医者だけれど、やはり一人の生活者であるという視点。
「笑の大学」と同様に、それぞれの立場、信条、自分たちの信じているものの線引き、妥協点を話し続けること。何が正義なのか、ということはたとえばサンデル教授の哲学の講義(いやテレビでしか見てないけど)のように、相対的なものだと気づかせるための少々センシティブな話題という気もするのです。
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