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2011.11.07

速報→「いつも誰かのせいにする」箱庭円舞曲

2011.11.5 19:30 [CoRich]

CoRich舞台芸術「2011春の舞台芸術まつり」のグランプリに輝く箱庭円舞曲の新作はがっつり2週末、120分。12日まで駅前劇場。

新進の映画制作会社。作品が当たらず多額の借金を抱え込んだ若いプロデューサーに、上司は再挑戦、つまりもう一本映画を製作するように申し渡す。借金を作品で返そうというのだ。とはいえ、予算は限られるため、予算を切り詰めて製作する新作は、ベタベタの恋愛映画に成り下がってしまっていたが、それを売り出すための方策を考えていて。

舞台はタッパのない駅前劇場にも関わらず階段ももう一部屋もきっちりつくり、角度をつけることでミザンス(って見やすさ?)が圧倒的に。正面がおすすめだけれど、下手側は下手側で終幕前の片桐はづきの表情が圧巻で観られるという特典が嬉しい。

仕事ってのは結局のところ、お金を回すこと、誰かからお金を貰って何かを提供するということだということがきっちりわかっているという点で作家(古川貴義)は圧倒的に信用できるのです。あたしにはわからないクリエイターや職人の現場の感覚も、そういうことがあるんじゃないかな、と思えるぐらいにはリアリティ。あるいはもうこれ以上は昇れないという実感、腐れ縁的なつながりで仕事をまわそうとする感覚など。

正直に云うと、いろんなことを詰め込みすぎているという感じはあります。映画のお金のながれ、仕事の流れ、あるいは恋人、そろそろ気づくべき自分の器、あるいはヤクザ、あるいは(覚悟のない)デモなどさまざまな軸があって、そのどれが幹かが見えづらいので、物語を追いかけるのには少々苦労します。もちろん、ひとつひとつの会話の説得力はしっかりと。

あたしの友人はこれは革命の話で、それを描く作家はロマンチストなのだといいます。あたしの視点は少しばかり違っていて、デモはしているけれど、ホントに革命をする人は居ない今の日本という前提の物語だと思うのです。革命という言葉があったりはしますが、その覚悟のない人々のこの国、という。

助監督のセカンドとバイトの二人、それまでの世代とは違う価値観、熱中できることがないわけではないけれど、それを自分のポジションをあげていくということに興味がない、という今時の若者感がしっかりと書き込まれています。

あるいは、CoRich界隈で劇団が手を焼いている、いわゆるチケプレ族をちくりと刺す感覚(それをあえてスポンサー公演で取り上げるという感覚)の正しさ。映画の試写会族、というのと類型化して、只なら観たいという「観たい」には価値があるのか、外れたら「観たい」を引っ込める、という了見は何様なのだ、ということの矜持がカッコいいのです。F/Tのように、芸術は観てもらえばいい、という考え方もあるけれど、お金貰う以上はそれはエンタテインメントで、それにただ乗りするフリーライダーに対しての毅然とした態度。

プロデューサを演じた片桐はづき、それでもきっちり前に進む役柄をしっかりと。序盤で少々不安になるキャラクタの造形の須貝英は後半にかけてがつんと。キャスティング会社のザンヨウコはこの物語の中でほっこりと息を抜ける感じ。バイトの女を演じた、軽い感じと鋭さが同居するダイナミックレンジの広さ。小林タクシー演じる初めての監督、若い役者なのに40歳は気の毒だけれど、そのペーソス感がしみじみするのです。この会社の事実上の社長を演じた井上裕朗の背負う立場、原田優理子の登場シーンのあまりのかっこよさに惚れ惚れ。あたしの席からは逆光のシルエットが実に美しかったのです。

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