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2011.10.25

速報→「ひとよ」KAKUTA

2011.10.23 14:00 [CoRich]

KAKUTAの新作、岡まゆみ、まいど豊などの客演陣を迎えて。110分。30日までシアタートラム。

母親は、突然家を出ていった。15年たったら必ず戻ってくると子供たちに言い残していた。社長をしていたタクシー会社は親戚が引継ぎ、こどもたちもなんとか成長した15年目の日、果たして母親は戻ってきた。

芯が強そうで周りになんと云われても信念を曲げないある種肝っ玉母さん風の母親を核に、健気にしかしその母親の行動ゆえに結果的に人生振り回される感のある子供たち。電気店勤務、スナックのホステス、東京でフリーライターというそれぞれの人生だけれど、母親が出ていった時点のそれとはちょっと違う感じになっていたりと、小技が効いています。

が、じっさいのところ、今作の深みは周りの人々のキャラクタに負うところが大きい気がします。 磯西真喜演じる若い恋人の居る女、バツイチだけれど前夫の母親の介護、子供のことを抱えながら、決して若くない冴えない主婦然とした感じだけれど、恋心に対してはなんかとてもうきうきしていて、内面が輝いていて、しかし介護している義母のことでは実に真剣で心労きわまっているという市井の「どこにでもいそうな」ダイナミックレンジの塩梅が実にすてきです。

あるいは、まいど豊演じる、元漁師という、中年はとうに過ぎた新人ドライバーの謎めいた過去は物語ゆえということはあるけれど、物語にわくわくする感じ。成清正紀演じるレゲエ風の男、外国人なのか日本人なのかわからないキャラクタの造型はちょっと浮ついた感じでバランスが危ういところもあるけれど、確かに客席を爆笑に誘い、要所要所にスパイス。

これだけいる登場人物たちそれぞれがきちんと物語を背負っています。子供たちもそうなんだけど、タクシー会社の従業員たちのそれぞれの人生。特に女性たちの描写は年代と立場がグラデーションのよう。弟と長髪の女の純粋にデートするかどうかの段階、結婚したはいいけれど夫とのすれ違いや価値観の違いに悩む段階、介護やバツイチを背負いながらも若い恋人とのうきうき、子供のことがずっと忘れられなかった母親といったぐあいに、メインのストーリーとはちょっと違うけれどもそれぞれの人物が魅力いっぱいに実に生き生きと描かれるのです。若い作家なのだけれど、こういう味わいのある人生を幾重にも描き分けるという安心感。わずか2時間の芝居なのだけれど、これでもかという詰め具合がお買い得感すらあります。

これで15年目、まだ若い作家ですが、物語のこの奥行き。幅広い年齢層、さまざまな人々に広くリーチする面白い物語を、地に足をつけてしっかりと描き出す力にはこれからも期待してしまうのです。

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速報→「Archives of Leviathan」風琴工房

2011.10.22 19:00 [CoRich]

風琴工房の新作。青色LEDの開発の現場をモチーフにして、熱い男たちの物語として描き出す、サラリーマンにこそ見てほしい110分。24日までザ・スズナリ。

物語では「青い光」とか「半導体」というだけの言葉で、はっきりと青色LEDという単語自体は出てきませが、特許を巡る元従業員と会社の裁判というのは誰もがしっているあの話。もちろん創作もふんだんに盛り込まれているのでしょう。(wikipedia 1, 2)

物語の運びは、一人の突出した天才(タイトルの"Leviathan"、なるほど旧約聖書に登場する怪物)と、彼が親友と認めるほぼ唯一の男を軸に。小さな会社に突然現れた天才に振り回される開発室の上司や同僚、人事担当者たち。発明の成果は成果として認めながらも、天才と呼ばれた男をことさらに礼賛いっぽうというのではなく、かといって断絶した関係をことさらに掘り下げるのでもなく。むしろこの作品のもう一人の主役は「会社」という組織そのものだという、実に不思議な味わいがあります。少ない人数の人々の間の嵐と、それが生み出した圧倒的な発明は、もちろん一人の天才だけではなくて、それを支え投資し続けた会社の懐の深さのようなものをきちんと描き出す作家の視点、「仕事場における会社員のことを描ける小劇場の数少ない作家」だというのは間違いないなぁと思うのです。

作家は「男の嫉妬」を描きたかったのだといいます。その発明が生まれてほしくないと思ったり、その発明に近いところにいながらも自分の立場って何だろうと思ったりと、確かに会社の開発という現場ゆえの悩み。それが人間くさい男たちの造型につながっているのです。発明にまつわる心が躍るような感じは、実際のところ今作においては少ないけれど、その偉業やダイナミズムに拘らずに人間を描こうとした作家の確かな力を見せつけられます。

天才を研究者を演じた酒巻誉洋は癖が強い研究者をしかしあるバランスの中でしっかりと描きます。根津茂尚演じる、会社側(つまりは人事部)と研究者の板挟みの中で、しかしこの現場を支えるまじめなマネージャー像を説得力を持って。マネージャーといえば寺井義貴演じる人事部も人間くさく、しかしこちらも別の立場ゆえの真摯な姿。多根周作演じるフリーライターは聞き手という立場ゆえの私たち観客への橋渡しに安心感。今作において、圧巻なのは、岡本篤演じる高専卒の少々劣等感に苛まれる研究員。もちろん物語での描かれ方ゆえの「オイシさ」はあるのですが、それにしても序盤のはしゃぎ方(雨でずぶぬれ、を舞台奥で水をかぶるところから見せるのもちょっといい)も、終盤での少々屈折した想いもあわせて、今年はヒットな役が多いなと思うのです (1, 2)。

もう一つの魅力は、格子状に組み合わされた棚のような美術。壁面を覆うような空間は、時に冷たい感じすらするけれど、青ベースの照明が実に美しくて、会場中からぼおっと見とれてしまうほどのすてきな美術なのです。

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2011.10.24

速報→「眠るまで何もしない」タテヨコ企画

2011.10.22 15:00 [CoRich]

2008年に別劇団で上演された横田作品を、役者、青木柳葉魚が演出。24日までOFF OFFシアター。105分。

芸能事務所に勤めるサラリーマンの男とその妻は会社の部下の結婚式の仲人を引き受けて、友人の歌手とカメラマン、そのアシスタントと共に結婚式に向かおうとしている日、妻は倒れてしまう。

まだ若い夫婦、死が分かつことは大きなドラマだけれどその推移を静かに見守りつづけるだけ、まさに 何もしない」という風情の、ゆったりたおやかな時間を描くことを主眼にした描きかた。まわりの人々はその間に結婚や出産、あるいは仕事の成功や独立といった時間の流れ、しかし中心に居るその死にゆく人はごくゆっくりと流れる時間。あるいはそのあとの遺された人々の余韻もふくめて描き出します。

舘智子はごく静かな役をしっかりと。西山竜一演じる夫の優しい視線、カメラマンを演じた郷志郎の飄々と軽やかさのあるメリハリが見やすい。ご近所さんを演じた加藤和彦のあまりに飛び道具な造形にはびっくりしますが、静かなだけになりがちな物語に対しては、少々妙なテンションもまた緩急のひとつに。

客席は三面囲み、畳の部屋にちゃぶ台の舞台はシンプルで美しい。座席は入って正面側、つまり通常のOFF OFFでの客席に当たるところがおすすめ。というか、囲みの客席を設定しながら、あからさまに正面を想定した芝居にするというのは少々美術と演出がマッチしていない印象を受けます。ちょうど後ろ側に座ったアタシは、まあ、裏の表情だったり出入りのシーンの迫力というまた別の楽しみがないわけではないのですが、ここまで正面があからさまだと、少々寂しい感じもします。

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2011.10.20

速報→「Kと真夜中のほとりで」マームとジプシー

2011.10.16 14:00 [CoRich]

前売り完売です。125分。24日までアゴラ劇場。

夜中の1時、眠れない女は友人を訪ね、やっと子供を寝かしつけた女は一息つき、テレビのくだらない番組に腹を立てた女は出かけることにし、男は毎晩の日課のように、懐中電灯を持って探索に出かける。

3年前の出来事を結束店にしながら、真夜中に歩き回る人々。時に酔っぱらいの帰宅者も混じりながら、町の中を夜中に動き回る人々。物語としてはごくごくシンプル(なんせ最後の20分ぐらいでもういちど全体をなぞれるぐらいだ)なものがたりを、相当に役者にダンスというか疲労させるような動きを繰り返させて語ります。

今までのマームに比べると、繰り返しはあっても行きつ戻りつが少ない気がします。そのかわり、上演時間の長さもあって、リピートの分量が相当に多いこと、あるいは役者に課せられた動きは相当に多くてかなりの負荷がかかります。

Kの記憶が薄れてしまうということへの追憶、Kの記憶に苛まれる人、街を出て行く人。なるほど、ナイトウォーカーな感じ。

正直に言うと、これだけの負荷と時間をかけて語りたかった物語は何だったのだろう、という感じは残ります。いままでも物語自体はシンプルだったけれど、その場に居合わせたこと、どう感じたかということを醸すような厚みが持ち味だったとおもうのだけれど、そこが少々薄く感じます。 照明が暗く大音量のシーンも多いのです。台詞が聞こえないことじたいは繰り返しのシーンですから折り込み済みだとは思いながらも、情報が極端に少ないなかでこの時間の上演をして醸したものは何だったのかと思うのです。

3年もの間抜け出せなかった「真夜中」のうんざりした感じは確かに醸し出されていて、それは上演時間と無関係ではありません。これがねらって作られたものならばすごいと思うけれど、体感としては少々キツい感じもします。役者の疲労を見せるという点で東京デスロック、リズム二乗せて回るシーンの多用という点でままごと(我が星)に似て見えてしまうのは、順番の問題とはいえ惜しい。

召田実子はこの話の中であふれる愛情とその空回りという異質感が見やすさに貢献していて、本当にかわいらしい。成田亜佑美はまさかの子持ちという役だけれど、終幕近くできっちりと背負う説得力。尾野島慎太朗は一途さをしっかりと体現しています。常連の役者の強みは確かに圧巻なのです。

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2011.10.17

速報→「飛ぶ教室」キャラメルボックス

2011.10.15 19:00 [CoRich]

キャラメルボックスの若手を中心に原作ものを上演する「世界名作劇場」の3回目はケストナーの児童文学。アタシはこのシリーズは初めて拝見します。23日まで池袋・あうるすぽっと、そのあと、葛飾・かめありリリオホール、北九州芸術劇場・中劇場。120分。

ドイツの高等学校、寄宿舎の生徒たち。親に捨てられたり、貧しかったり、とさまざま。「正義」先生はきちんと筋がとおっていて厳しいけれど生徒たちの尊敬を集めている。農園の中の古い客車を住処にしている男は「禁煙」さんと呼ばれていて、学校では話しづらいこともここでは話せる。
ある日、書取帳を別の学校の生徒に奪われ、奪われた生徒も監禁されてしまう。それを知って先生には内緒で、救出と書取帳の奪還を計画する生徒たち。はたしてそれは成功する。 (wikipedia)

「飛ぶ教室」は生徒たちが企画している芝居のタイトルで、5幕からなる将来の学校の姿を子供たちの目線で描いた夢。なるほど、現場に行って授業ができる、ということは今のネットのそれとは違う想像力の方向にわくわくします。書かれたのはナチスの時代で子供向けしか書くことが許されなかったという作家のひとつの矜恃、そういう背景を知ってからは更に感じるのです。

これをクリスマスに上演するという枠組みのそわそわ浮き足立つ感じは寄宿舎という場所ゆえだけれど、それを人々として見せるのは芝居の強み。それが叶わないことの落差も大きく感じられます。キャラメルボックスといえばクリスマスというぐらいに得意なシチュエーションだけれど、単に幸せということではなくて、そういう時に居合わせたとしても、子供にだって辛いことだってある、というのは「さよならノーチラス号」な味わいがあるのです。

井上麻美子は健気さに惹かれます。ボーイッシュに身を包んでもどこか凛とした感じで、たしかにこれが彼女のベストアクトという巷の噂もあながち嘘ではありません。体格がよく、お菓子を食べ続けるという筒井俊作は体格も含めて説得力をしっかり。小さな親友(小林千恵)を大事にする姿が実に格好いいし、軽やかに笑わせるのも確かな力を感じます。

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2011.10.16

速報→「散る 散る 満ちる・その2」東京ネジ

2011.10.15 17:00 [CoRich]

東京ネジのカフェ公演。昨年冬のカフェ公演に続くものだったのかなぁと思いつつ、楽しみに向かった70分。二本立て。16日まで、なんてんcafe。

繰り返し読む手紙、軒下にあるタイムカプセルの中、未来の私に向けて書いた「手紙」( 原案・宮沢賢治「手紙 四」 (青空文庫))
店じまいをした店主のところにスーパーの籠を抱えた女が入ってくる。15年前の6月6日に勤めていた会社の社員食堂で昼食に食べたものを思い出してくれないと、彼女の先輩が罪に問われてしまうのだという「奥村さんのお茄子」 (原作・高野文子「棒がいっぽん」(wikipedia)所収」

「手紙」の方はインスタレーションのような仕上がり。宮沢賢治の作品の朗読をバックにもちながらも、物語としてはそこを直接描くわけではありません。昔に書いた手紙を繰り返し読むという気持ちの何か。中盤ではさまる女三人の会話(ふきちゃん、などと呼びかけるので、ここは役者の地の会話という設定のよう)の、グータンヌーボ感がむしろ楽しめると思ってしまうのは、あたしの下世話さか。

「奥村さん〜」の方は、しっかりと物語。宇宙人がでてきたりするSFな話なのだけれど、社員食堂だったり茄子だったり、ビデオのメディアの意外さだったりとびっくりするほど機械ってものがでてこないおもしろさ。15年前に食べた茄子の味といわれても、というシュールすぎる設定は彼女たちの創作ではないようで、原作のぶっとびっぷりに驚くのです。更に終盤でもうひとつひっくり返すのも物語のおもしろさ。なるほど宇宙人らしいSF風味の設定、のわりになんかものすごく時間軸が悠久の時という感じでもあっておもしろいのです。

三つあるバージョンのうち、あたしが観たのは佐々木なふみ出演のCバージョン。ほかとの違いはわからないけれど、wikipediaにかかれた原作の雰囲気には近い感じの仕上がりのよう。googleの画像検索をしてみるとそういう物語の雰囲気をきちんと描いているということがわかります。 抜けた感じでもあり、かわいらしい感じでもあって、ニュートラルな仕上がり。残りの二バージョンでどういう違いがでるのかなというのは確かに観てみたいなぁとおもわせるのですが、一週末で三バージョンは、さすがに押し込めないのが惜しい。

会場のなんてんcafeは、有楽町線の要町からほど近い古民家風の建物だけれど、よく見てみると柱などは古いもので壁や天井は新しい。こういう建物の作り方もあるのだなぁと思うのです。物語に合わせて上演場所を選んだのだというのはわかる感じがします。

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速報→「カミサマの恋」民藝

2011.10.15 14:00 [CoRich]

渡辺源四郎商店の畑澤聖悟が劇団民藝に書き下ろした新作。19日まで紀伊國屋ホール。120分。

東北、相談を受けてカミサマの言葉を伝える女の家。東京から弟子入りしてきた女も住んでいる。近所の女性たちの相談を受ける日々、テレビ番組で出たりしたので、東京からも相談者が訪れる。家主には息子と娘がいるがすでに家を出ている。ずいぶん久しぶりに息子が訪れる。

秋田生まれの青森在住の作家ゆえに東北の言葉があふれる物語。東北にはあるかもしれないと思わせる日常の場所。たとえばナベゲンに比べると役者の(そして客席の)年齢が高いのも、こういう場所、ということの説得力があります。

話をきいて、指針を与えるというのが基本の仕事。「仏降ろし」という少々オカルトな題材もあるけれど、それがカミサマと呼ばれるこの家の主の演技なのか、あるいは本当に降りてきたものなのか、ということは物語では明らかにはされません。じっさいのところ、コミュニティに対する作家の優しい視線だと思うのです。

久しぶりに戻ってきた息子、強面なのに妻に先立たれて死んで会いにいきたいというのをなんとかしてやめさせるべく一計を案じる母親の姿、その母親が息子に見たもの、ということがごくごくミニマルで沁みる物語。 奈良岡朋子演じる「カミサマ」はときにいいオバちゃんであり、時に少しばかりの奇跡がみえたり、時に普通の母親だったり、時に一人の女だったりとさまざまな顔を見せるのです。そのどれもが魅力的だと、紀伊國屋ホールのはるか後方の席からでもきっちり感じられるのです。

民藝は初めて拝見したのだけれど、満杯の客席を埋めるのはあたしよりはすくなくとも10や20年上の人々。こういう客層を集める団体というのは確かにあるんだなぁと思うのです。年会費を払うとその年の公演が観られてパンフレットもついてくる、といういわゆるサポーターズクラブ的なものもしっかりやっているということにもちょっとびっくりします。そういう意味ではキャラメルボックスというのは新劇というシステムに近いのかもしれないなぁと思ったりもするのです。

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2011.10.14

速報→「インスパイア『箱娘』」ジェットラグ

2011.10.11 14:00

名作からインスパイアされた作品を上演する企画。二本を交互上演のうち、安部公房「箱男」を種とする根本宗子の「箱娘」、90分。13日まで銀座みゆき館劇場。

生まれてこのかたホテルを出たことのない二十歳になる女を主人公にした漫画「箱娘」が人気の漫画家だが二十話にして書けなくなっている。すぐに担当漫画家と恋仲になってしまう編集者の苦肉のアイディアでアシスタントたちはその登場人物になりきって先生に描かせようとしているが芳しくない。いよいよ描けなくなって追いつめられたところで、アシスタントの一人が描きためた原稿を使ってほしいという。それは、この家に迷い込んできた漫画オタクの女を主人公にした物語だった。

創れないクリエーターの物語と思いきやそれは助走に過ぎず、そこでのし上がったイケメンのクリエーターとそれにまとわりつく女たち、という方に物語の主軸。根本宗子の書いた芝居は初めて拝見しますが、一部で云われる本谷有希子っぽさは確かに満載(なんせユニット名が自身の名前なのも共通だ)です。

面倒くさい女を描くと云うよりは、「何かと寝る」女たちの面倒くささをいろんな登場人物で描くという感じ。 冴えない女の豹変、才能と寝てみたい女、才能に仕事として惚れ込んでしまう女など、さまざまをイヤな感じも含めてしっかりと。正直に言えば、まだ荒削りというよりは人数に対してそれぞれに突出したキャラクタを与えられていないという感はありますが、その萌芽はしっかりとあるのです。

描けないセンセイを演じた鈴木歩己の才能の夕暮れ感がしっかり。秋山莉奈演じる担当編集にモテすぎる(役な)のは癪に障るけれども(笑)。歌川椎子演じる家政婦との最後のシーンが実にちょっといい枯れ具合なのです。

メガネジャージな女を演じた内田亜希子は、未成熟を善とする(日本の)男の視点を体現しつつ、そこからもう一歩脱皮したいという本人の希望と、それに失望する男という構図への説得力。そこから一歩踏みだそうということこそが「箱娘」なのだなぁと思うのです。

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2011.10.11

速報→「ヨコハマアパートメント」studio salt

2011.10.10 14:00 [CoRich]

横浜の劇団、スタジオソルトの新作は 横浜の野毛にほど近い住宅街の中のほんとうに居住者の居るアパート、吹き抜ける風が気持ちいい空間の75分。週末三日間だけの公演を繰り返して、30日まで、ヨコハマアパートメント

吹き抜けのあるアパート、住民たちのパーティの準備をしている。出ていった人のパーティ。新しい住人も交えてカレーを作る。夫婦、独り者、近所の人、管理人。恋心だったり、子供のことだったり、馬鹿馬鹿しい競争だったりで盛り上がる。

住人同士の気安さというのとは違う感じの微妙な空気感。 「新人」の捉え難さはあるけれど、これがどういうコミュニティかということを観客のアタシの理解の大きな助け。前半は女性たちのものがたり。あたしが好きな「ピクニック」に似た雰囲気(そういえばソルトで久しぶりに調理の過程を全て見せたシーンだ)で、恩田和美と大倉みなみ演じる二人の女性の年齢や立場の違い、その無邪気さと酔いが発する言葉の切っ先を物語の軸に。いい歳だけれど独身のある種の閉塞する気持ち、カップルの二人にしても、やってることは閉塞だと思うけれど、そうやってでも彼らが生きていくことは責められないのだという優しい視点。

後半は少しばかり一転して、男たちの友達の物語。ちょっとカクスコっぽい感じもあったりして楽しい。あとから思えば前半にヒントはあるのだけれど、そこを詮索しない方が(まあ、アタシは気づかなかっただけなんだけど)素直に楽しめる気がします。

好きだったのは岩井晶子演じる独身の女性の「私を安く見てほしくない」というあたり。男の側視点だけれど、ああ、そうやって考えてしまう瞬間あるかなぁ。それに恋心を抱く男も含めて、これはコンプレックスの話でもあるのです。あるいは無邪気に男たちが競争を始めたりするのも、こういう空間ゆえに楽しい。

場所の持つ力があるすてきなところ。ただし住宅地でもあって制約は厳しいようで注意書きがけっこうあります。場所は非常にわかりにくいので、劇団に伝えてバス停まで迎えにきてもらうルートが推奨されています。わりと坂道のあるところなので、体力があれば散歩がてら歩くのもおすすめですが、わかりにくいのでGPS携帯でも、緻密に地図を持っていくなどの工夫を。席は椅子や階段を利用した三方囲み、あたしは入って左手、舞台としては正面になる(コの字の縦棒の辺)ベンチシートに座りましたが、座る場所でずいぶん見え方が異なる感じもあります。

多少のネタバレ

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速報→「砂利塚アンリミテッド」ホチキス

2011.10.9 19:00 [CoRich]

ホラーSF風味をまぶしつつも、これはがっつりとファミリードラマ。役者それぞれの力が存分に楽しい115分。10日まで王子小劇場。

砂利塚クリーンは夫婦と数人の従業員の会社。行政の指導で廃棄物処理業となっているが、霊を確保し成仏させるいわゆる除霊を行っている。娘は適齢期だがこの家業を知った恋人たちからはことごとく振られている。夫は機材の開発に勤しみ、妻は丁寧に除霊をする。市役所の職員は執拗に嫌がらせをしている。

いわゆるゴーストバスターを生業とする人々の物語。家族がいて従業員が居てという枠組みでコミカルに、しかし丁寧に家族の物語を紡ぎます。夫と妻と娘、色っぽい従業員(私服がすごい)、有能な従業員、役所の男、恋人を物語の軸に、広告デザイナーを語り部として作り上げています。この枠組み、志村けんの夜中のコント番組のようなフォーマット。

役者の力が圧巻なのは間違いありませんが、たとえば「サマータイムマシーンブルース」のようなコミカルなSF邦画として作れそうな物語の力もしっかりとあるのです。妻を演じる看板、小玉久仁子は作り物感というかコミカルからしっとりまで一瞬で切り替わるダイナミックレンジがすごい。加藤敦はものがたりをしっかりと受け止める確かなちから、この夫婦の実に味わい深い感じ。娘を演じた津留崎夏子は実にかわいらしくて、けなげさに説得力があります。小野哲史の演じるコミカルはなかなかホームの箱庭円舞曲ではみられないキャラクターで楽しい。なしお成もホームの電動夏子安置システムよりも、かわいらしく似合うような衣装やキャラクタで人物としての説得力があります。

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速報→「三鷹の化け物」ろりえ

2011.10.9 14:00 [CoRich]

ろりえの新作、気がつけば175分。10日まで三鷹芸術文官センター星のホール。

お笑いを目指しているが相方が先に売れてしまった。泣いていると同じ川原に女の子が泣いているので引きこもりの兄と二人で暮らしている家につれて帰るものの、好きになってしまったのに先には進めず。男は放送作家の集まりに喫茶店に行く。その商店街は例に漏れず景気が悪い。母親との電話は時々で、ある日の電話をきっかけに母親の怒りが爆発して。

空間が埋められずに敗退する劇団が多いこの劇場。まるで川原の芝生のような場所、いくつかの室内をその中に組み込んだ舞台美術。両端に急斜面。終盤ではもう一つサプライズがあって、その驚きという楽しさは間違いなくあるのです。アタシはそこよりもむしろ、川原や斜面、客席背面を縦横無尽に疾走する役者たちを観る楽しさ。電動自転車を使うというのは新しいアイディアで、斜面の角度と、その登るスピード感とのバランスを崩すように作るのが実に面白いのです。

正直に言うと、本筋の恋人の物語に対してカウンターとなる女(中村梨那の登場シーンは息をのむほどに美しくて眼福)の三角関係のようなもの、がほっぽりっぱなしな感じがして少々もったいない感じがあります。空間を埋めることには貢献しているものの、物語に対してはキャストの人数があっていない感じはあって、もっときゅっとコンパクトに創れるはずだと思うのです。 キャストの多さと作家の責任なのは、時間の長さで、いくつもの物語を放り込んだりした結果だと思うのだけれど、この劇団、わりと観客に何かの我慢を強いるというのがフォーマットになっている感があって、それは今作においても継承されているのです。

梅舟 惟永はまっすぐな想いの強さに説得力。後藤剛範の情けなさとは違うコミカルな感じは珍しくて楽しい。久保貫太郎のお兄ちゃん感は役柄とは別になんかほっこりしてしまう感じはあふれる優しさオーラのようなものがなせる技か。

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2011.10.09

速報→「紙屋町さくらホテル」うたかた

2011.10.7 19:00 [CoRich]

平日夜の公演が有り難いけれど、終われば結構な時間の195分。9日まで松本・ピカデリーホール。新国立劇場での上演は観てないので、アタシにとって初めての「紙屋町」はがっつり井上ひさし節、それをしっかりと演じる劇場所属の劇団の上演です。

終戦まもなく、自分を戦争犯罪人として拘留しろと通う軍人に再会した男。二人はわずか半年前に広島で初めて出会った。慰問を目的とした移動演劇隊の宿舎には新劇の俳優が二人、演劇隊をつくったものの、役者がそろわず、地元の人々での上演を画策する。本拠地は「さくらホテル」。三日後に1200名の観客の前での演劇の上演をするのだ。富山の薬売りと名乗る男、傷痍軍人と名乗る男、方言研究の教授、ピアノの上手い女学生、宿の女将とその姪、そして特高の刑事がこの宿に集う。

劇場所属の30代から70代のシニア劇団。仕事もあるだろうに、この大作、しかもピカデリーホールは元映画館なのでタッパも高くて広い空間にもかかわらず、そこに負けることのないしっかりした役者たち。初日に関して云えば、台詞そのものが怪しいところがあったり、役者全員が巧いというわけでもないのだけれど、1800円でこの密度、飽きることのないしっかりした空間を作りだすのです。

もちろん、井上ひさしの手による戯曲の圧倒的なおもしろさに支えられている部分が多いというのはあると思うのです。こまつ座以外での上演を観たことがないので、戯曲だけでどうやっても面白くなるのか、演出や役者に負う部分が多いのかはよくわかりません。が、本作、井上ひさし節の空間がきっちり出現しているのです。

終戦間近の広島という場所、そこに新劇の演劇隊という枠組みのおもしろさ。役者、身分を隠した軍人、日系二世アメリカ人の女将を監視するための特高刑事、言葉に対して真摯な教授という振り幅の大きな人物たちをこの一カ所に集わせるだけの理由はたぶん創作ですが、この人物たちがその時代の軍人と民間人(特高がその中間に位置するのがまた面白い)の立場で対立する瞬間。井上ひさしという作家のめがねの奥に光る鋭い視線は、容赦がありません。まるで水戸黄門のごとく終戦を方向付けたり、特高を説き伏せたというのも創作だろうと思いますが、ある種の奇跡は確かに物語を面白くします。

戦争犯罪人を逃れようと汲々としている軍人たちの間にあって、この物語の最初のきっかけになる「自首する戦争犯罪人」と昨今の原発被害の企業を重ねるのはあまりに無茶なことだとは思うのだけれど、矜持という言葉を久しぶりに思い出すのです。

後半にある、(新しいものとしての)新劇と宝塚を対比してみせるシーンは面白い、というか勉強になります。女性を訪ねる男性の登場の仕方がたった三つのパターンしかないというあたりは少々の誇張と揶揄なんだろうけれど、この軽やかさが圧巻に面白い。個人的には新劇というフォーマットにあまり興味がなかったりもするけれど、今作は言葉が古びない力を圧巻で感じるのです。

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2011.10.02

速報→「ドードーの旗のもとに2」ガソリーナ

2011.10.2 14:00 [CoRich]

入籍100日目だという、じんのひろあきの6部作の2つ目(1)。2日までザムザ阿佐谷。135分。千秋楽は超満員で開演は10分押し。

王国が乗っ取られ、逃げ延びた屋根裏に潜んでいた前国王の息子である王子はやがて脱出の機会を得て、ドードー鳥を抱え、四本の腕を持つ男の手引きで船で海へと出る。が、嵐にあい遭難。漂着した港の町で一人の少女と出会う。「残酷な」人形劇団で巡業しているという彼女が人形劇団に誘い、ドードー鳥の物珍しさもあって、一団に加わる。いっぽう、王国を乗っ取った現国王の息子も国を出て、動物との会話を生かして生きていきたいと考える。

膨大な物語なので映画にする前にプレスコとして録音するのだという枠組みで、リーディングの形態を成立させています。その外側の物語についてはほとんどふれず、がっつりと物語だけを語ります。もっとも、二人の王子、それぞれの物語、一人の王子が大切に抱える書物の中の物語が代わる代わる語られたりするので、6部作というのもうなづけるほどに、膨大な台詞です。

本筋ではない、刑務所から脱走した男のものがたり、そのパートナーが国が復活していくために自分はここに残る、という台詞。今の日本のわたしたちには重く、しかし勇気の出ることばとして受け止められます。

「ひかりごけ」だったり「笛吹男」を織り交ぜたりもしながら、少年の冒険譚を語る物語として今作もしっかり。わくわくするような広がりがあって、それをリーディングとして聞かせるというスタイルは確かに正しいのです。が、週刊や月刊というわけにはいかず、しかも客席にじっと座って聞くべきものかとも思うのです。これはむしろラジオドラマとして成立させてほしいところ。とはいえ、お金になるようにするのはなかなか難しいわけですが、上演台本よりはむしろMP3で買いたいと思うのです。

もうひとつ正直に言うと、キャストの数が多すぎる感じは否めません。何役かこなすベテランの一方で、ほとんど出番のない役者もいて、しかも彼らは舞台の外周に沿った椅子に座ってスタンバイしていなければなりません。物語そのものを語るためには、たぶん半分の人数で成立させられるはず。後の物語につながっていくのかもしれないけれど。

じんのひろあきといえば、壮大な物語を紡ぐはずだったメトロポリスプロジェクトが頓挫している今、続く目があって、しかも6部作全部書き上げていると言い放つ作家だけれど、次回は外伝というのは少々逃げを感じます。大きな物語はほんとうに完成させて、私たちが受け取れるのか、まだアタシは半信半疑なのです。

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速報→「ヤングフォーエバー」壁ノ花団

2011.10.1 19:30 [CoRich]

ずいぶん久しぶりに拝見。アタシが京都の劇団に感じる難解さが前面にでてしまった80分。福岡のあと、2日まで王子小劇場。

ほぼ人が住んでいなくて、一人だけいる村。王様と王妃が通りかかり、疲れたので、休みたいという。一人しかいない男は村の名前も自分の名前も思い出せない。王が寝ているが、王妃は男を警戒して寝ない。

振り返ってみれば、スワステカと呼ばれる独りで生きている男の妄想の物話、人ならぬ者が訪れたりする。見たことのない自分と同年代の女性、襲われるのではないかという警戒の気持ち、あるいは自分より偉い誰か、あるいは口の中の何かを誰かと共有できたと思って楽しい気持ちになるとか。

と考えてみれば、これは昼に観た芝居とは全く反対の、余りに寂しい話。当日パンフによれば、3月には男2人と女性ひとりで演じていたのだといいます(アタシは未見)。作家はより作品の骨子が明確になるように男5人の芝居にしたのだといいます。女優がいればこれはもっと生々しくなるけれど、男ばかりならば、なるほど孤独が強調されますが、反面、作家は(観客も含めて)人と交わるように物語を書きたくないのではないか、とも思うのです。

ブロックを敷き詰めた舞台、あとは角材だけというのはあまりない感じで面白い。ものすごく小さな椅子も、城壁も、あるいは爪でブロックを取り出そうとするのも、端の部分から取り出すのも、なんかレゴブロック(子供のころは買ってもらえなかったアタシはダイヤブロックでしたが)で舞台を作り出すような感覚。人物もそういう感じにフラットに配置するのは面白い。

が、正直に言うと、いわゆる京都っぽい、難解さというかめんどくささが全面に出る芝居ではあって、芝居を見ている最中、アタシには少々しんどいのです。

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速報→「沈み愛」ガラス玉遊戯

2011.10.1 14:00 [CoRich]

アタシは初見の劇団です。T1-project(こちらも未見)はやけに多くの役者を抱えていますが、その若手を中心に据えたユニットのよう。2日まで「劇」小劇場。90分。

二次会の打ち合わせの為に集まった大学時代のサークルの仲間たち。その中の一人の弟が結婚することになったのだ。集まるのが久しぶりになったのは、中の一人が視力を失い、その原因が彼らにあるからで...

サークルの仲間たち、その間の恋愛模様。よく考えたら相当にドロドロな話。一人の失明した男の少し屈折した感じと、その仲間たちのある種の罪悪感をベースに、笑いらしい笑いはほとんどなく、ごく静かに物語は進みます。突出した驚きではないけれど、違和感というか嫌な感じの空気が延々と流れ続けるというのは元気が吸い取られるようなところがあって、見る側の体力にもよる感じではあります。

ドロドロとした恋愛模様、というよりはもはや愛憎劇。語られる好き、という感覚がなんていうんだろう、心からの好意というのではなくて、同情だったり感謝だったり、あるいは自分に利があるということだったりという感じなのは、「沈んでいく愛」という感じにはよくあっているけれど、見目麗しい役者ばかりだというのもあって、美しく描き込まれているしその背景としての奥行きもあるのに、人間の体温が低い感じで、感情で動いていない感じになるのは、恋愛の話としては不思議な味わいになっています。

肉食女子を演じた守美樹は、少々無理矢理な押し込み強盗ならぬ押しつけがましく口説きにかかる割に、それがさめてしまう瞬間の落差だったり、でも病院にいくときのやけに勝負服だったりという色気にやられる感じで、実はいいアクセントになっています。関西弁でじつは一番観客の視点に近い(が、それを普通云うのははばかられる)女を演じた西尾美鈴はあけすけだけれど、素直というポジションを好演。

いくつかの場面があって、それは時系列なのだけど大雨の夜、病院のことというシーンの間には相当な時間が流れているのがちょっとわかりにくい感じ。ソファーの裏の狭さやガラスのコップなど動線が盲目の男の家としてはちょっと妙な感じなのはまあ、具象と見るべきではないのかもしれません。

当日パンフに俳優名だけで役名を記さないのは予断をさせないため、ということかもしれませんが、個人的にはあんまりうれしくない感じがします。じゃあwebで探そうとおもってもガラス玉遊戯のwebには写真らしい写真はなく、その母体となったT1-Projectを見なさい、ということか。

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